2009年12月10日木曜日

鳩山政権の自爆外交

大方の予想に相違して、鳩山首相の安全保障政策はブレていないことがはっきりした。普天間基地の移設先はあくまでも県外か国外で一貫しているようだ。10月頃は江戸幕府の「ぶらかし」戦術をとっているのかと思ったが、日米関係が険悪化を恐れる岡田外相や北沢防衛相が早々とアメリカに白旗を挙げて日米合意通り普天間基地の辺野古移設止むなしと決断しているにもかかわらず、県外あるいは国外移設に固執する鳩山首相の決意はますます強固になっていくようだ。まさに幕末の尊皇攘夷派にそっくりだ。今風に言えば、さしずめ尊中攘米といったところか。
 ところで私は10月25日のブログで皮肉を込めて以下のように書いた。
---私は、鳩山外交を断固支持する。それは鳩山の友愛外交や寺島「外交」を支持するということではない。「ぶらかし」外交を続けてきた江戸幕府は最後にはペリーの圧力に負けて開国をした。今度こそ鳩山外交は最後までつっぱって、是非対米「開戦」路線をとってほしい。そうすれば、アジアの「冷戦構造」が一気に瓦解し、国内情勢はもとより国際情勢も流動化するだろう。その過程でこそ国内社会では明治以来の官僚支配構造も、また国際社会ではアメリカの支配構造も崩壊するだろう。
 鳩山政権には是非、政党を壊すことしかできなかった「壊し屋」小沢一郎以上に、官僚支配、米国支配の「壊し屋」になってほしい。鳩山政権に歴史的意義があるとするなら、対米「開戦」の捨て石になることである---

 鳩山首相は奇しくも、太平洋戦争開戦の12月8日に普天間問題を先送りすることを明確にした。これこそ現代の「対米開戦」の宣戦布告である。鳩山首相の「対米開戦」の決断には右、左を問わず反米派を中心に案外共感する人は多いようだ。小沢一郎も党務に専念するという名目で事実上鳩山外交を容認している。湾岸戦争の時にアメリカから恫喝され、巨額の資金を提供させられたトラウマでもあるのか、彼は以後親米から親中に舵を切ったようだ。米国へのあてつけのように大訪中団を率いて中国首脳部への叩頭外交を実行している。
 鳩山首相には安全保障に対する明確なビジョンがないと批判される。たしかにその通りだ。ただし、不明瞭でおぼろげながらも、これまでの冷戦的世界観ではない多国間協調の友愛的世界観に基づいて外交政策を展開しているように思えてきた。鳩山首相が描く世界は日米の既存の安全保障コミュニティの住人が描く国家中心的世界ではなく、非国家主体も交えた多中心的世界あるいは市民が主人公の国家を超えた人間中心的世界なのだろう。そうした世界には米軍基地はふさわしくないと本心から思っているようだ。
 鳩山首相がブレルことなく友愛外交を実現するには、いくつかの条件がある。
 第1に、米国からの圧力、国内の親米派からの圧力をはねのけて政権を維持できるか。
すでに鳩山下ろしの噂が立ち始めている。後釜と噂されているのは菅直人である。アメリカは反米政権にはさまざまな手段で圧力をかけてきたことは歴史が証明している。はたして鳩山に国内外からの圧力をはねのけて政権を維持できる力量があるのだろうか。鍵を握るのは間違いなく小沢一郎だ。小沢が国内外からのアメリカの圧力を凌ぐことができれば鳩山政権も存続できるだろう。 
 第2に、日米安保、日米関係をどうするのか。日米地域協定の改定や米軍基地の整理・再編をマニフェストに掲げているが、問題はそれだけでなく日米安保体制、日米関係そのものの見直しは避けられない。つまり「影の外務大臣」であり事実上の外務大臣である寺島実郎が繰り返し強調している日米関係の再設計である。寺島に腹案はあるのだろうが、どのように再設計するかはいまだに不明だ。
 第3に、日本の安全保障政策をどうするか。米国との対等な関係を維持しようと思えば、通常は自主武装に踏み切らざるを得ない。すくなくとも集団的自衛権の解釈を変更し、できれば憲法9条を改定し、さらに国防費を少なくとも諸外国なみのGDP3パーセント、現行の約3倍にまで増額し、さらに核武装をもする必要があるだろう。この自主武装路線でなければ、日米同盟に代わる、あるいは補完する全く別の安全保障体制を構築しなければならない。たとえば日中軍事同盟、日米中安全保障同盟、東アジア集団安全保障体制などである。
 恐らく鳩山首相は日本の安全保障政策や今後の日米関係について深く考えてはいないだろう。「仲よきことは善き哉」くらいにしか考えていなだろう。こちらがよいことをしているのに相手(米国)が怒るはずもないないと軽く考えているのではないか。
 鳩山首相の友愛外交が今後もブレルことなく続けば、前述のブログでも書いたように、国内政治だけでなく国際政治にも大きな激震が走るだろう。その時日本は国際社会で今のような地位を維持できるかどうかはきわめて疑わしい。鳩山政権の友愛外交は自爆外交となり国内外の秩序を吹き飛ばし、日本に文字どおり「回天」をもたらすだろう。

2009年11月17日火曜日

鳩山首相の未熟な安全保障政策

 鳩山首相には本当に安全保障や軍事に関する知識があるのだろうか。彼の経歴を見る限り安全保障には全くの素人と考えた方がよさそうだ。そもそも抑止という概念を知っているのだろうか。あるいは勢力均衡という概念を知っているのだろうか。こうした安全保障の基本概念を踏まえた上で東アジア共同体のような多国間協調体制について語っているのなら、まだ安心だ。しかし、どうも心もとない。
 鳩山首相のアドバイザーとみなされている寺島実郎氏も安全保障の専門家とは言い難い。なにしろ私と同じ「バカダ大学」の出身だから、それほど頭脳明晰とも思えない。またもう一人のアドバイザーがいるようだ。昨日(2009年11月16日)の新聞の「首相動静」を見ると軍事アナリストの小川和久氏が首相を訪問している。普天間問題についてなんらかのアドバイスをしたのだろうか。彼は少年自衛官出身で同志社大学の神学部を卒業後週刊誌のライターを経験した後、独立して軍事アナリストを名乗っている。経歴を見る限り、軍事のゼネラリストではあるがスペシャリストとは言い難い。二人のアドバイザーを見る限り、どうも防衛問題の専門家や研究者が鳩山首相のまわりにはいないようだ。安全保障政策がブレるのもしかたがないのかもしれない。
 寺島氏の安全保障に対する基本的な考え方は、冷戦後の日米同盟の再々定義ということであろう。日米同盟は1996年にその目的を「アジア・太平洋の平和と安定」と定義し直した。実は、それ以前の92年に宮沢首相とブッシュ(父)大統領はグローバルな役割を日米同盟が担うということを共同声明で明らかにしていた。つまり、冷戦後の日米同盟の役割については定義の見直しが何度か企てられてきたのである。寺島実郎の提案もその延長線上にある私案の一つである。要するに21世紀の安全保障環境にあわせて、普天間基地問題も全面的に見直すべきだという提案である。恐らく鳩山首相の普天間問題の全面的見直し論は寺島氏の受け売りではないか。
 たしかに寺島氏の論には納得できる部分も多い。寺島氏の言うように、北朝鮮の核はたしかに脅威ではあるが米中の圧力での解決は可能である。また相互依存関係が進む現在中国を仮想敵とするのは時代錯誤である。しかし、寺島氏や鳩山首相の安全保障政策の最大の問題は日本の安全保障政策をどのようにするかが明確になっていない点である。
 この問題を考える際にリトマス試験紙となるのは、自衛隊は合憲かそして集団的自衛権を認めるか否かである。二人とも自衛隊は認めているとは思うが、集団的自衛権は容認していないようだ(鳩山首相の発言はブレるので明確なところは不明ではあるが)。集団的自衛権の政府解釈を変更しない限り、現実には自衛隊のPKOや国際治安維持部隊への参加も、さらに日米間の共同作戦行動もできない。
 仮に集団的自衛権を認めないというのであるなら、日本単独で安全保障体制を構築していく以外に方策はない。しかし、鳩山首相に日本独自の軍事力の構築を図る決意があるだろうか。
 鳩山首相が安全保障で対等な関係を主張した時、恐らく対米独立派の右派の一部は快哉を叫んだことだろう。対米従属体制から脱して、対等な軍事関係に依拠した日米同盟の再定義は右派保守派の積年の願いであった。右派の諸君は、鳩山首相がこの願いを実現してくれるもの多いに期待したことだろう。
 しかし、鳩山首相には、そこまでの見識と度胸はなかったようだ。また寺島氏もそこまでは深く踏み込んでは考えていないようだ。二人とも日米関係や日中関係の軸足を軍事から経済関係に移すことで、対米独立が達成できると安易に考えているのだろう。
 安全保障の究極は結局力である。しかもその力は軍事力というハードパワーである。二人の希望はともかくも、残念ながら秩序の源泉は最終的には軍事力でしかない。その軍事力を効率的、効果的に使いこなしてこそ国際社会に平和と安定が訪れる。鳩山首相も寺島氏も安全保障のその要諦が理解できていないようだ。
 鳩山首相の未熟で無能な安全保障外交が日本に災厄をもたらさないことを祈るばかりだ。

2009年11月16日月曜日

鳩山首相は大丈夫か

 鳩山総理に、首相としての能力、力量があるのだろうか。本当に心配になってきた。日米首脳会談で合意したはずの普天間移設問題に関して、「これまでの日米合意を前提としない」との発言には正直驚きを通り越して、首相の精神に一抹の不安を感じた。首相の問題というより、約束したことをすぐに反故にするなど一個の人格として問題があるのではないか。これまでの日米合意を踏まえた上で、検証作業を行うということを首脳会談で約束したのではないのか。「これまでの日米合意を前提としない」という言い方では、全く白紙に戻して再考するとしか受け取りようがない。事実、ニュースを見聞きすると、政府高官筋(官房長官だが)本当に困ったといって頭を抱えているという。
 また「友愛ボート」という提案にも正直驚かされた。一体だれの発案なのか。ピースボートの主催者だった社民党の辻本清美なのか。一般民間人も乗艦させて自衛艦を文化交流や医療支援にあたらせるという。軍艦をピースボートに仕立ててどうするつもりなのか。それよりも自衛艦に乗船し、自衛隊員と一緒に活動しようというNGOが日本にあるのだろうか。しも、これが「単純延長はしない」というインド洋の自衛隊艦の給油の代替措置だとしたら、まさに噴飯物としか言いようがない。給由に代えて文化交流に使うほど自衛艦に余裕があるとは思えない。またそのような任務を与えられる自衛隊員も気の毒としか言いようがない。
 さらにアフガニスタンに4500億円もの援助を5年間に渡って実施するというが、だれがどのようにして具体的に援助を実施するのだろうか。湾岸戦争の時のように日本は再び小切手外交にもどるのだろうか。4500億円もの巨額の無償資金をアフガニスタン一国に割り当てて、今までアフリカやアジアなどの発展途上国に行ってきた経済援助は「事業仕分け」で廃止、削減されるのだろうか。
 鳥越俊太郎は、米国追随ではなく日本独自の援助をすべきだという、あいかわらず「丸い三角」論つまり言葉ではいくらでも言えるが実行は不可能という主張だ。自衛隊抜きの日本独自の非武装援助部隊が現実に不可能だから問題なのだ。二言目にはジャイカの日本人はがんばっているというが、ジャイカの職員は防弾車や外国の警備会社の武装警備員や他国の兵士に守られながら活動をしている。しかも、ほとんどの場合事務所と宿舎の往復だ。また危険があれば、ただちにアフガン国外へ一時退避している。
 恐らくずっとアフガニスタンにとどまり何の警備もつけずに非武装で活動しているペシャワル会の中村哲さん一人だけだろう。彼がタリバーンに襲われないのは、彼がタリバーンだからだと現地で噂されているほど、農民の中に溶け込んでいるからだ。逆に、彼の立場はアフガン政権や欧米や日本政府の立場とは微妙にズレが生じている。
 もし、鳥越氏の言うように日本独自の非武装の支援活動をするというのなら、私が提案する憲法9条部隊のような組織しかないだろう。それはペシャワル会も同じだが、まさかの時には他国の兵士と同様に一命を投げ出す、真の意味での非暴力ボランティア(志願兵)でなければならない。残念ながら、鳥越氏にも自ら一命を投げ出してまでボランティアに志願しようという気はないだろう。だから彼の主張は評論家の「丸い三角」論でしかないのだ。
 日本人には一命を賭してでもアフガンにボランティア活動に行こうという奇特な人間はいないだろう。つまり4500億円は間違いなく他国のNGOに分配されるか、仮にジャイカが予算を執行するにしても、ジャイカは外国の企業と契約し、外国人を雇って援助をするだろう。一体どこに日本人の顔の見える援助となるのだろう。
 鳩山首相は本当に外交には全くの素人としか思えない。その上軍事や安全保障については全く無知蒙昧である。同盟関係とは本来はお互いに相手のために血を流すことを約束した血盟関係である。日米同盟も本質は血盟である。にもかかわらず鳩山首相は環境問題や温暖化など日米間で幅広く重層的な関係を深化させるという。同盟は文化交流ではない。
 本当に鳩山首相で大丈夫か、本当に鳩山首相は大丈夫か。

2009年11月14日土曜日

事業仕分けの女子と小人は養いがたし

 まさに「女子と小人は養い難し」というべきか。また「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とでもいうべきか。事業仕分けでスーパーコンピューターの予算が風前のともし火だ。その理由が「世界一でなくていい」、「巨艦主義のスパコンの必要性を見直せ」、「将来生まれる成果を明確にすべきだ」との理由から、最終的に内容を再検討すべきだとの結論になったという。
 技術立国を目指す日本が、その根幹をなすスーパーコンピューターで「世界一でなくていい」「なぜ第二位ではいけないのですか」という女子(蓮舫)の全く的外れの理由から、事業の廃止に追い込まれそうだ。環境問題を最優先課題に掲げる民主党政権が、環境問題の解決に不可欠な技術開発をないがしろにしてどうするのだろうか。そもそもこの女子はスーパーコンピーターの意義を理解しているとはとても思えない。スーパーコンピューター開発がどれほどの波及効果をもたらすか少しでも考えてみたことがあるのだろうか。この女子の経歴を見る限り、到底科学的な知識があるとは思えない。ノーベル化学賞受賞者の野依良治理化学研究所理事長が、まさかこんな小娘に虚仮にされるとは思いもよらなかったろう。所詮、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」しかない。
 また、だれの発言かはわからないが「巨艦主義のスパコンの必要性を見直せ」というのなら、並列式のコンピューターの開発をせよとでもいうのだろうか。また「将来生まれる成果を明確にすべきだ」などと研究開発のなんたるかを知らないバカの発言を聞くと、本当に日本の将来に暗澹たる思いを抱いてしまう。将来日本からは誰一人としてノーベル物理学賞、化学賞、医学賞の授賞者は生まれないだろう。
 恐らく同じ文脈からであろう費用対効果の点で効果が薄いと判定されて、若手研究者養成のための科学技術振興調整費(同125億円)と科学研究費補助金(同330億円)も削減の結論が出た。たしかに若手研究者養成には研究者の失業対策の側面があることは否めない。また科研費にもたしかに無駄がある。しかし、多くの無駄の積み重ねでしか研究の成果はあがらない。そもそも将来生まれる成果がわかっていたら、それは新しい研究とは言えない。
 どのような成果があがるかわからないが、なにかの役に立つかもしれないという研究こそが真の研究だ。マリー・キューリーが放射線を発見したとき、これは将来計り知れない成果を生むだろうなどと考えたのだろうか。ニュートリノを発見しノーベル物理学賞を授賞した小柴昌俊東大名誉教授の研究など、はたしてどれほどの成果が将来あげられるのだろう。
 事業仕分けを見ていると本当に日本は大丈夫なのかという思いにかられる。国民目線で事業仕分けを行うということだが、国民目線というのは義務教育を終えた人の能力である。というのもだれでもが理解できる範囲が国民の能力であり、国民の判断基準なのである。それは義務教育レベルである。どうも民主党政権は日本に衆愚政治をもたらしつつあるようだ。
 官僚支配はエリート主義の弊害をもたらしたが、民主党政権は官僚支配を蛇蝎のごとく嫌うあまり日本に衆愚政治をもたらそうとしている。若い事業仕分人が年配の官僚を切って捨てるかのごとき様子を見ると、毛沢東時代の紅衛兵を思い出す。
 思うに最初に事業仕分けが必要なのは、国会議員ではないだろうか。まず真っ先に政党助成金を廃止し、全国会議員は給料を全額国庫に返納したらどうだろうか。その上で国会議員を半分にへらしてはどうか。すくなくとも民主党の新人議員程度の数はへらせるだろう。新人議員はまったく国会議員の働きをしていないのだから。まずは「隗より始めよ」だ。

2009年11月8日日曜日

鳩山政権の政策のブレ

 鳩山政権の外交政策がブレにブレている。
 岡田外務大臣は普天間基地の海兵隊基地を米空軍が管理する嘉手納に統合しようとしている。この統合案を外相に入れ知恵したのは、外務政務次官の長島昭久であろう。彼は、依然に嘉手納統合案を主調していたことがある。また長島に入れ知恵したのは、彼が元いたワシントンの民主統計シンクタンク・ブルッキングス研究所か、民主党系に近い、たとえばマイケル・オハンロンのような研究者ではないか。長島も岡田も、民主党系の人脈を通じて嘉手納統合案が多少なりとも実現性が高いと踏んだのではないか。
 また岡田もかつては民主党色の強いハーバード大学国際問題研究所の日米関係プログラムに在籍したことがあり、民主党系におそらく強い人脈を持っているのだろう。しかし、当時同研究所の所長であり、かつては国務次官補として1996年の日米安保の再定義を主導したジョセフ・ナイ教授は辺野古への移設を支持している。米国内でも意見は割れているようだ。
 他方、北沢防衛大臣のブレも酷いものである。県外移設を主張していたかと思えば、次には県内移設を、そして今では辺野古以外には選択肢はないとまでほのめかすようになった。さらにアフガニスタンのISAFへの自衛隊員派遣まで言及し、鳩山首相が直ちにそれを否定する始末だ。神輿と大臣は軽い方がよい、とは私が防衛研究所時代に官僚からよく聞いた話だ。北沢大臣は完全に官僚に籠絡されたようだ。
 さて当の首相も過去の集団的自衛権を容認する発言を曖昧であったとの理由であっさりと撤回するなど、過去の自身の主張からのブレが目立ち始めた。恐らくは社民党との連立や民主党内部の旧社会党系議員を慮ってのことだろうが、いずれは安全保障問題で党内が分裂する事態となりかねない危険を孕んでいる。
 そもそも対米従属路線からの脱却という鳩山首相の主張はアドバルーンとして高く上がりすぎたようだ。しかし、左右両派からの賛成がえられる主張だけに問題を孕んでいる。自民党のタカ派からは対米独立自主武装路線、社民党や公明党のようなハト派やダチョウ派からは対米独立親中非武装路線への画期として賛同が得られる主張だ。また、左右両極からのみならず前原国交大臣のように集団的自衛権を容認し米国と対等な関係を築きたいと考える民主党内の現実主義のフクロウ派からも賛同が得やすい。つまり対米従属からの脱却といえばだれからも反対されることはない。単なる理念だからこそ誰もが賛成する。しかし、一度対等な関係を安全保障で求めようとすると、結局は自主防衛か、少なくとも集団的自衛権の解釈変更による軍事力の強化か、あるいは全く逆に憲法9条を堅持し日米関係を精算して米中との多国間関係をとるかのいずれかである。いずれの政策であれ明確に政策として実行しようとすれば、連立の崩壊、民主党の分裂は避けられない。
 また辺野古問題も連立破綻の契機となる要素を孕んでいる。だからこそ鳩山首相もにわかには政治決断ができずに、ブレにブレているのだろう。県外移設を主張していた以上、嘉手納であれ辺野古であれ、県内移設となれば食言を批判されることは間違いない。たしかにマニフェストには「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とあり、「県外移設」とは一言も書かれていない。しかし、これまで鳩山首相は県外移設が最も望ましいとの主張を再三再四くり返してきたように、やはり県内移設しかも辺野古沖で自民党政権時代の政策を踏襲することになれば、一体何のためのマニフェストだということになりかねない。
 さらに東アジア共同体論は、アジアを「亜細亜」と漢字で書けば、尾崎秀実の「東亜共同体論」と全く変わらない。ましてや、この手のアジア主義は明治からある。樽井藤吉の『大東合邦論』。日本がこうしたアジア共同体論を提起すれば、太平洋戦争の反省が足らないと思われたり、その弱点をつかれて米国や中国あるいは近隣諸国から反発を受けたり、また利用されないとも限らない。
 かつてアメリカのダレス国務長官がアジアにもNATOのような反共軍事同盟を作りたいとアジア諸国に呼びかけたことがある。しかし、かつての敵国と同盟関係を結ぶことにオーストラリア、フィリピンが頑強に抵抗した。結局アジア太平洋には多国間同盟ではなく米国をハブとした日米、日韓、米比、アンザスの二ないし三国間同盟が創設された経緯がある。
 そもそも現在の東アジア共同体論は韓国が提案し、それを中国が利用し、あわてて日本が追随したという経緯がある。東アジア共同体論は長年同案を主張してきた多摩大学学長の寺島実郎が鳩山に吹き込んだのだろう。鳩山首相の東アジア共同体論を聴くと、中江兆民の『三酔人経綸問答』の洋学紳士君を思い出す。南海先生は洋学紳士君の理想について「紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵さ、言葉や文字では発表したが、まだ世の中に実現されていないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの」と述べている。
 鳩山首相の政策がブレているのは、内容空疎な言葉を多用し、中身がないからであろう。インド洋での給油問題について、「単純」延長はしないとおもわせぶりな発言をくり返してきた首相だが、結局、延長はしないということになってしまった。「単純」と言ったのは一体どういう意味合いを含めていたのだろうか。「巧言令色少なし仁」である。

2009年10月25日日曜日

鳩山外交の「ぶらかし」

 普天間の米海兵隊移設問題が風雲急を告げる様相となり始めた。ゲーツ国防長官はオバマ大統領訪日までに回答せよと岡田外務、北沢防衛の両大臣に強く迫ったようだ。すでに防衛官僚に籠絡され早々と辺野古沖への移設を容認した北沢防衛大臣はともかくも、これまで県外移設に固執してきた岡田外務大臣までもが、ゲーツ国防長官との会談後に、渋面をつくりながら県内移設しか選択肢はないと、軌道修正を図りつつある。よほど、ゲーツ国防長官に恫喝されたようだ。一方鳩山首相は今(10月25日)に至るも、「いろいろな選択がある。最終判断を下すのは私だ」と、岡田外相の発言を否定し、なおも県外移設にこだわっている。
 これまでの自民党、民主党の普天間移設問題をみると、まるでペリーに開港を迫られた幕末の江戸幕府のようだ。江戸幕府はペリーに開国か開戦かを迫られ、「内厳外寛」の方針の下、国内の軍備の充実ができるまで開国の要求を「ぶらかし」(回答延期)続けた。対露外交で「ぶらかし」が成功したために、アメリカにも同じ手が使えると考えたのだ。しかし、ロシアのブチャーチンが強硬策を取らず、幕府の「ぶらかし」が成功したのは、ロシアがクリミア戦争で手一杯だったからで、決して日本の「ぶらかし」が成功したわけではない。案の定、1854年にペリーが再来航した際、結局「ぶらかし」外交は破綻し、1854年3月31日に日米和親条約を締結して開国した。
 アメリカは、鳩山政権が江戸幕府のように「ぶらかし」政策をとっていると判断しているようだ。だとすると、アメリカの外交方針はペリーと同じ。強硬策に出て、鳩山政権をガツンと一発恫喝するしかない。つまりオバマ来日までに移設問題に決着を着けなければ、海兵隊のグアム移転も全て白紙に戻すということだ。そうなれば、そもそも日本側が問題視してきた普天間の海兵隊基地問題は元の木阿弥となる。1996年の状態に振り出しにもどる。
 米軍にとって、グアム移転は必ずしも喫緊の課題ではない。たしかに世界的な基地の再編問題は米軍の課題ではあるものの、戦略的に今すぐに移転が必要な状況にはない。当面日本の出方を見守る余裕はある。しかし、日本はそうはいかない。普天間基地周辺の住民の安全を考えれば、これ以上移設問題を先送りすることは難しい。
 にもかかわらず、鳩山首相が「ぶらかし」を続けるのはなぜか。恐らく鳩山首相自身に明確なビジョンがあるわけではないだろう。鳩山首相の言動の裏を推し量ることのできる発言が、10月23日金曜日のニュース・ステーションに出演した寺島実郎氏のコメントにあった。要約すると、寺島氏は、政権が交代したのだから、普天間の基地移設問題を含めてこれまでの日米同盟を全面的に見直し、より自主独立の道を模索すべきだ、そのためには結論を急ぐべきではない。右派民族派の発言のように聞こえる寺島の発言に、あわてた古館一郎が、もちろんそれは日本の平和主義に基づいてですねと、寺島の発言を丸めた。
 寺島の発言は額面通りに生受け取れば、自主武装か非武装かは別にして、明らかに対米自主独立路線である。寺島は鳩山の外交ブレーンであり、東アジア共同体構想は寺島の長年の持論である。また鳩山の対米自主独立路線も、かつては早稲田の民族派にも近かったといわれる寺島の信念であろう。寺島としては、右派のように集団的自衛権の見直しや自主核武装論を考えているわけではないだろうが、その対米自主独立の信念は右派から大いに称賛されるだろう。
 右派だけではない。反米左派、反米リベラル派からも寺島外交ともいうべき鳩山外交への支持があるようだ。10月24日の朝日新聞朝刊に編集委員の星浩がやはり、今こそ冷戦時代のまま続いてきた日米関係を見直す絶好の機会ととらえ、鳩山政権の「脱冷戦外交」を応援している。
 私は、鳩山外交を断固支持する。それは鳩山の友愛外交や寺島「外交」を支持するということではない。「ぶらかし」外交を続けてきた江戸幕府は最後にはペリーの圧力に負けて開国をした。今度こそ鳩山外交は最後までつっぱって、是非対米「開戦」路線をとってほしい。そうすれば、アジアの「冷戦構造」が一気に瓦解し、国内情勢はもとより国際情勢も流動化するだろう。その過程でこそ国内社会では明治以来の官僚支配構造も、また国際社会ではアメリカの支配構造も崩壊するだろう。
 鳩山政権には是非、政党を壊すことしかできなかった「壊し屋」小沢一郎以上に、官僚支配、米国支配の「壊し屋」になってほしい。鳩山政権に歴史的意義があるとするなら、対米「開戦」の捨て石になることである。

2009年10月15日木曜日

「闘う護憲派」宣言

 最初に述べておく。私はいわゆる護憲派ではない。しかし、国内外の状況から、もはや改憲はここ当分どころかひょっとすると未来永劫、不可能といわざるをえない。
 その理由は二つ。自主憲法制定を党是とする自民党が当分は政権復帰が難しいこと。かりに復帰できたとしても、民主党との政権交代の可能性を常に孕んだ状況では、政権交代につながりかねない憲法改正のような法案はおいそれと政治日程にあげることはできない。
 いま一つの理由は、国際社会が事実上、日本の憲法9条、というよりもむしろ非武装の外交について次第に理解を深めるようになり、国際世論の圧力から改憲することが困難でもあり、また国益上も不利になりつつあることだ。マレーシアのサンダカンという田舎町で、50歳代前半の両替商のオヤジが、「日本は外国に軍隊を出さないそうだが、いいことだ」といわれたときには少し驚いた。憲法9条のややこしい議論は抜きにして、どうやらアメリカとの対照で、日本は海外派兵しない国というイメージはひろがりつつあるようだ。
 したがって、現行の憲法9条を前提に日本の安全保障を組み立て直すしか現実的な方法はない。
 国際社会の平和と安定という国際治安活動に自衛隊が参加できない以上、自衛隊に代わる部隊を作らざるをえない。自衛隊とは別組織をつくるべきだという議論は湾岸戦争の時にはじめて話題に上った。しかし、結局その時は自衛隊が最も効果的、効率的だという結論に落ち着いた。とは言うものの、現実には憲法9条が足かせとなって自衛隊は派遣できず、別組織もできず、結局何もできなかった。
 その後日本政府は解釈改憲に次ぐ解釈改憲を行い、事実上丸腰の自衛隊員を民間人よりも安全な場所にいかせるという、世にも不思議なPKO部隊を編成した。
 私自身も湾岸戦争当時は憲法改正して自衛隊をだすのが最適と考えた。しかし、もはや憲法改正が不可能な以上、明らかに憲法違反の特別措置法で自衛隊を派遣する代わりに、自衛隊とは別組織を日本の平和活動の柱とすべきであるとの結論に至った。
 そこで以前から主張しているのは、これまで一貫して護憲を主張してきた労働組合の連合を中心に民間がPKO部隊(PKF)を編成して、非武装で民生協力をすることである。
 この部隊はソマリアやアフガニスタンなどのようないかに治安が悪い地域でも、非武装で民生協力を行うのである。犠牲者は出るだろう。しかし、他国の兵士がこれまでも数多く犠牲になっていることを考えれば、多少の犠牲はやむをえない。なぜなら、日本の非武装平和維持部隊はまさに「平和のボランティア」すなわち「平和の志願兵」だからである。かつてスペイン内戦に多くの日本人志願兵が参加したように、また日本赤軍がパレスチナ紛争に義勇兵として参加したように、かならずや「平和の志願兵」にも日本赤軍支持者や憲法9条の会をはじめ数多くの護憲派が参加するだろう。
 これこそが「闘う護憲派」である。これこそが「真の護憲」である。
 護憲運動は冷戦時代には、実践を問われることはなかった。護憲は単なる反政府運動のスローガンでしかなかったからである。護憲派の誰もが「世界人民」のために護憲運動をしていたわけではなかった。今も、その気分が抜けず、護憲とは国会議事堂前をデモをすることだと勘違いしている連中が多い。
 しかし、いまや「地球市民」や「世界の人民」のための平和への実践こそが問われている。憲法9条を書写することが護憲の実践ではない。国会デモをすることが護憲の実践ではない。護憲の実践は、「地球市民」のため、「世界の人民」のためにある。
 今こそ非武装でアフガニスタンやソマリアに民生協力をしよう。それが憲法9条を持つ日本が国際社会に示すことのできる真の国際協力である。いまこそ民主党そして連合そして護憲派の諸君、一身を賭して「地球市民や「世界の人民」のために「闘う護憲派」宣言を。

2009年10月11日日曜日

オバマのノーベル平和賞授賞

 オバマがノーベル平和賞を授賞した。これで、アメリカの拡大抑止政策は事実上破綻した。ノーベル平和賞を授賞したオバマがはたして核ミサイルのスィッチを押すことができるだろうか。自国ならともかく、拡大抑止で他国のためにノーベル平和賞の名誉を捨ててまで核兵器を使用する決断を下すだろうか。
 これまでもアメリカの核の傘が日本にはさしかけられることはないと何度か書いてきた。
1996年に国際司法裁判所は核兵器裁判で、たとえ自国の存亡が危殆に瀕しているような最高緊急事態でも核兵器の使用は合法とも違法とも言えない、という勧告的意見を出している。日本が仮に北朝鮮や中国の核兵器で攻撃されるようなことがあったとしてもオバマが自国の自衛とはいえない日本の防衛のために核兵器を使用することなどありえない。ましてや、彼はいまやノーベル平和賞を授賞した平和の使途である。
 世界は、オバマの言うように「核無き世界」に向かうのだろうか。そして核無き世界ははたして平和の世界となるのだろうか。
 オバマのノーベル平和賞で思い出すのは、ウッドロー・ウィルソンだ。かれは国連を創設し、第1次世界大戦後の国際社会の平和に多大な貢献をしたことで、やはり大統領在職中にノーベル平和賞を授賞した。しかし、世界は平和になるどころか、再び第2次世界大戦を招いてしまった。理由の一つは、「戦争屋」ヒトラーの登場をふせぐことができなかったことにある。
 「平和の使途」の最大の問題は、「戦争屋」の登場を防ぐために武力を使うことをためらうことだ。武力を使えば、「平和の使途」ではくな、自らも「戦争屋」と非難される。非難を覚悟で武力を使うことは難しい。それが核兵器ならなおさらだ。ノーベル平和賞の授賞でオバマはウィルソンよりも、「平和の使途」として安全保障上の政策選択の幅をせばめられてしまった。
 おそらくオバマのノーベル平和賞授賞を最も喜んでいるのは北朝鮮の金正日とイランのアフマディネジャド大統領だろう。

2009年10月7日水曜日

民主党の二酸化炭素削減政策賛成

 民主党の二酸化炭素削減政策に風当たりが強い。たしかに今の技術では25パーセント削減はきわめて困難であろう。しかし、なんらかの技術突破があれば、25パーセントは夢ではないかもしれない。
 実は、自民党政権下で同様の技術突破を前提にした政策目標が掲げられていることを多くの人は見落としている。とりわけ民主党のCO2削減に反対している人々は、無視している。それはMDだ。MDもまた、環境技術同様に、今の技術系では達成不可能なミサイル弾頭の迎撃という目標を掲げている。 たしかに条件を事前に設定した実験では成功している。しかし、実戦では今のMD技術水準では全く役に立たない。相手側がMDより安価で容易な欺瞞技術を開発すれば、簡単にMD網を突破することができる。
 二酸化炭素削減懐疑派の多くは保守派、自民党支持派で、したがってMD容認派も多い。しかし、どちらの技術も、何らかの技術突破がなければ、実現は不可能である。環境政策に反対しながら防衛政策には賛成するというのは単に地球環境よりも一国防衛が重要であるとの価値判断に過ぎない。技術的な視点からいえば、くりかえしになるが、どちらも同じ未完成技術を元にした議論だ。私自身は、いずれの政策にも賛成である。それはいずれの技術も完成(完成はないが)に向けた技術開発がなんらかの技術突破や技術革新をもたらすと信ずるからである。
 二酸化炭素削減は環境安全保障、ミサイル防衛は国際安全保障と,両者とも同じ安全保障問題である。同時に国際政治の喫緊の政治課題である。軍事安全保障のミサイル防衛で日本がイニシアチブをとることは不可能である。だからこそ非軍事安全保障の環境分野で日本がイニシアチブをとることには大いに意義がある。
 1971年に日本のホンダは、当時は技術的に不可能とまでいわれるほど厳格な米国の排ガス規制マスキー法をいちはやくクリアし、米国進出の足掛かりをつくったことがある。ホンダに続いて日本車が次々とマスキー法をクリアして米国に進出し、環境技術で出遅れたアメリカの自動車会社を打倒していった。二酸化炭素削減も、新たな技術革新が生まれれば、日本の未来は明るい。

2009年9月27日日曜日

「核兵器のない世界」とは

核兵器のない世界は兵器の無い、非武装、非暴力の平和の世界ではない。核兵器のない世界は現在の世界と変わりの無い通常兵器のあふれた、暴力の蔓延した世界である。なぜならヒロシマ、ナガサキで使用されて以来、核兵器は60年以上にわたって使われてこなかったし、今後も使われる蓋然性はきわめて低い。核兵器が使用される恐怖はあったが、現実には核兵器が使われたわけではなかったのである。つまり、事実上の核兵器のない世界だったのだ。
 その一方で通常兵器は、第1次、第2次世界大戦の時に比べても、大量に使用されてきた。その結果、通常兵器で殺傷された人々の数は核兵器で殺傷された人々の数をはるかに多い。たとえばカラシニコフは「草の根の核兵器」と呼ばれるほどに何千万もの人々を殺傷してきた。現在世界各地で人々を殺傷しているのは通常兵器であって核兵器ではない。だから将来核兵器のない世界がきたとしても、それは通常兵器のない世界でもないし、むしろ核兵器に代わるあらたな通常兵器が登場する世界となるかもしれない。
 オバマ政権がなぜ、今核兵器のない世界を世界に向けアピールするのか。
 第1に政治的な背景。医療改革で国内世論の激しい反対に会い、支持率を急速に下げていること。国内での人気の低下を外交で取り戻そうという狙いがあるように思われる。アメリカで医療改革は一種のタブーのような政策だ。クリントンも第1期に医療改革に取り組んだことがあるが、結局失敗した。
 第2に軍事的な理由。最大の理由は核兵器の軍事的有用性が著しく低下したことにある。
核兵器はもともと軍事的兵器というよりも政治的兵器である。戦術的兵器というよりも戦略的兵器である。その意味は戦場で使用する通常兵器ではなく、政治的影響力を行使するために外交で使用する政治兵器である。破壊力を政治力に変換してはじめて核兵器は有効性を発揮できる。一旦使用すれば、単に大量破壊を招くだけで、政治力に変えることはできない。
 冷戦時代には米ソ対立の中で核兵器は相互抑止力を担う軍事的兵器として、また国際秩序を形成する政治的兵器として大いに役にたってきた。しかし、冷戦が終焉した現在、核兵器は相互抑止のための軍事的兵器としての役割は著しく低下している。また国際秩序を形成する政治的兵器としての役割も低下している。米中間の経済関係をみてもわかるように、世界各国間の経済的相互依存関係の深化にともない主に経済力が世界秩序を形成するようになっている。
 大国の核兵器の軍事的、政治的有用性が著しく低下している反面、発展途上国の核兵器の政治的有用性が高まる傾向にある。核兵器の軍事力を政治力に変換し、その政治力で経済力を高めるという核兵器の軍事から経済への代替可能性(fungibility)が著しく高まっているのである。典型が北朝鮮である。核兵器を開発し、それを政治力として、米中日韓などに経済援助を迫る。現在、イランが北朝鮮を真似している。またビルマも北朝鮮の後を追いかけようと、北朝鮮との関係を深めているといわれる。
 核大国とりわけアメリカとしては今のうちに発展途上国への核拡散を防止しなければ、将来的に現在の北朝鮮のような問題をいくつも抱え込むことになる。かつて国際政治学者モートン・カプランが「単位拒否体系」として予想した、世界中に核兵器が拡散しだれも世界を統治することができない恐怖の世界になってしまう。
 さらに深刻なのは、核兵器がテロ組織にわたることである。数年前にキッシンジャーはじめ冷戦時代に核戦略を唱導していた戦略家たちが核兵器の廃棄を提唱したことがある。その最大の理由がテロ組織に核兵器がわたることの恐怖にあった。アルカイダに核兵器がわたったら9.11同時多発テロの被害ではすまない。抑止力のきかないテロ組織に核兵器をわたさないよう核兵器を廃棄し、また核兵器の原材料、技術も徹底して管理することが結果的には国家安全保障に最も有効という論理である。
 米国はじめ現在の核大国が核管理を担えば、仮に核兵器を全廃しても万一の場合には再び核兵器を生産できる。かつて徳川幕府が鉄砲と火薬の原料となる硝石の製造を厳重に管理して、諸藩の謀叛を防いだ。同様に、現在の核大国が維持管理費のかかる現有核兵器を廃棄した上で、プルトニウム、ウラニウム等の原材料の製造、保有や核兵器技術を厳重に管理するのだ。そうすればハードウェアーとしての核兵器は廃棄するものの、ソフトウェアーとしての核兵器を保有していくことができる。
 また最先端の通常兵器であるRMA兵器が最も進んでいる米国にとって核兵器を世界から全廃すれば通常兵器では圧倒的な軍事的優位を保つことができる。なにしろ世界の軍事費の半分近くを米国が使用しており、第2位以下20位くらいまでの国家の軍事費の総計とほぼ同じである。第2位の中国でさえ世界の軍事費の8パーセント程度である。核兵器では米中ロは対等だが通常兵器では米国が断トツの軍事力を誇っている。核兵器の全廃は米国が圧倒的な軍事力を保有し、米国による世界の軍事的支配を強化することにつながる。
 うがった見方かもしれないが、オバマ政権が核兵器全廃を提唱するのは上記のような背景があると考えられる。決して理想主義的な思いから核兵器全廃を主張しているのではないだろう。
 では日本はオバマの核兵器全廃構想にどう対処すべきか。鳩山首相は日本が核兵器を保有する能力はあるが、非核三原則を堅持することをあらためて世界に言明した。日本が核兵器を造り、保有する必要はない。「つくらず」、「持たず」はしっかりと守った上で、しかし、核兵器の作り方は知っておくことである。すなわち技術というソフトウェアーとしての核兵器を保有するのである。核兵器の製造方法を知っておくことは非核三原則に抵触しない。
 現在の核兵器保有国が現有の核兵器を全廃すれば、核兵器技術を保有する潜在的核兵器保有国となる。その時に日本も核兵器製造の技術を獲得していれば核兵器技術を保有する潜在的核保有国として他の潜在的核保有国と同等の政治的影響力をもつことができる。
 鳩山首相は核兵器の技術獲得を目指すべきでないか。二酸化炭素25パーセント削減の技術力が期待できる日本の産業界ならもはやローテクの核兵器技術など容易に獲得できるだろう。それが現在の北朝鮮への核抑止にもつながり、また核兵器全廃の世界において政治的影響力を確保できる国家戦略となるだろう。

2009年9月25日金曜日

元クラーク空軍基地訪問
















 フィリピンに行くなら是非とも行って見たい場所があった。それは元クラーク米軍基地とスービック元米海軍基地である。今回念願かなってクラーク空軍基地跡を8月18日(2009年)に訪問することができた。残念ながら時間がなくスービック海軍基地は訪問できなかった。
 クラーク空軍基地は首都マニラから約60キロ、高速バスでおよそ2時間の距離にある。元空軍基地のあるDAUの街のバスターミナルからトライシクルで10分、60ペソで元空軍基地の正門前に到着する。
 市中を走るトライシクルは正門までしか行かない。経済特区に指定されているためか、元基地内を走るジプニーは特別の許可がいるようだ。そのため正門前には基地内を走るジプニーが多数客待ちをしている。そのうちの一台のジプニーを借り上げ、元空軍基地内を一周してもらうことにした。
 クラーク空軍基地は、スービック米海軍基地とともに冷戦時代には東南アジアにおける米軍の拠点だった。特にベトナム戦争時には重要な戦略拠点であった。しかし、冷戦が終わり戦略上の重要性は著しく低下した。また1991年にピナツボ火山の爆発で大量の火山灰が降り注ぎ、大きな被害を受けた。さらに同年、フィリピン上院1947年に締結され99年間の軍事基地協定の拡張を拒否した。こうした事情が重なって米軍はスービック海軍基地とともに1991年11月26日に返還した。
 元クラーク空軍基地訪問の目的は、米軍の基地返還後の跡地の利用がどのようになっているかを確かめることにあった。
 ピーク時には15000人もの人口があったといわれるクラーク空軍基地跡だ。それだけにとにかく広い。アメリカの地方都市の大きさだ。基地外の雑然とした街並みと比べると,基地内の道路、公園、住宅など街の景観は全くアメリカの田舎街の趣だ。この街並みを見ただけでは、ここがフィリピンだとはとても思えない。
 米空軍が使用していた広大な飛行場は現在国際空港として使われている。とはいえ、私がいた間に離発着した航空機は全くなく、滑走路や駐機上にも飛行機の姿はみえなかった。ターミナルも外観を見るかぎりアメリカの田舎の空港にあるような見すぼらしい施設でしかなかった。
 ガイドブックには免税店やファースト・フード店、レストラン、ホテルなどの商業施設が掲載されている。たしかにあるにはあったが、とてもはやっているとは思えない。とにかく人が少ない。基地外には人があふれかえって、すさまじい喧騒なのに、基地内はシーンと静まり返り、アメリカのさびれた田舎街の静けさだ。
 カジノ付きのホテルもある。昼間だったせいもあるあるが人の出入りは全くなかった。恐らく夜でも、そんなにはやっているとは思えない。基地外の貧困にあえぐフィリピン人がカジノに来ることなど全く考えられない。マニラや外国からわざわざカジノを楽しみに来る金持ちもそれほど多いとは思えない。アメリカで言えばラスベガス近郊の、周囲には砂漠しかないモーテルのカジノのように、ホテルの周辺には何の娯楽もない。これではバクチにしか関心のない客しか来ないだろう。
 基地内を一時間近く走ったが、人にも車にも出会うことはあまりなかった。人の出入りがみられたのは、フィリピン軍の駐屯地と警察の訓練施設の周辺だけだった。
 フィリピン政府は基地の返還に成功したものの、あまりに広大な基地をもてあましているようだ。たしかにこれだけ広大な敷地を再開発しようとすれば、莫大な資金が必要となるだろう。それだけの余裕は今のフィリピン経済にはない。
 また外資を呼び込もうとしても、いくつかの問題がある。まず環境汚染である。敷地内は長年の基地使用で環境汚染がひどいといわれている。環境浄化にも莫大な投資が必要だ。加えて最大の問題はピナツボ火山にある。ピナツボ火山が再噴火する危険性は否定できないからだ。大規模開発しても1991年のような大噴火が再び起これば、元の木阿弥だ。
 基地の跡地利用というのは、一朝一夕には進まない。それにしても返還後18年経った今もほとんど再開発が進んでいないというのは、基地返還そのものが良かったのかという疑問さえ抱かせる。

2009年9月20日日曜日

岡田外相の核密約調査

 岡田外相が米国との核持ち込みの密約を暴こうと懸命だ。目的は外交に対する国民の信頼を取り戻すことにあるという。核密約の存在は、1981年にライシャワー米駐日大使がすでに証言していた。その後も日米両国の関係者から密約の存在は示唆されてきた。若泉敬は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の中で、佐藤首相とニクソン大統領の間で密約が交わされたことを生々しく描いている。
 専門家の間では、日米の間で何らかの合意があることは常識だった。というのも、冷戦時代には米国の艦船が核兵器を搭載していることは常識であったし、また核兵器を搭載した艦船、航空機が日本に寄港する際にわざわざ核兵器だけを持ち込まないようにすることなど戦略的、戦術的にもありえないことだったからである。米国艦船や航空機による日本への核兵器の持ち込みは日米両国政府の阿吽の呼吸、暗黙の了解であった。それを公にしないことで、曖昧性が高まり抑止力の強化に役立っていたのである。核密約があったかどうかは、その検証は歴史家の仕事ではあっても、新政権の外務大臣がまなじりをけっして行う仕事ではないだろう。
 むしろ岡田外務大臣が真っ先に手がけなければならない仕事は、将来に向けて、非核三原則をどうするかを明確にすることである。冷戦後、米国の艦船、航空機は核兵器を搭載していない。今後搭載するかどうかは明言していないし、明言もしないだろう。米国の核戦略の基本はND(Not Deny)、NC(Not Confirm)だからである。
 では、米国から核兵器持ち込みの要請があった場合日本政府はそれを認めるのか、あるいは日本が米国に核兵器の持ち込みを要請しなければならない状況に陥った時、岡田外相はどうするのか。非核三原則を今後とも堅持するのか、社民党の要請を受けて法制化するのか。あるいは逆に核持ち込みを撤廃し非核二原則とするのか、あるいは非核三原則は全て撤廃するのか。核密約問題とは、結局過去の核密約をあばくことが重要なのではなく、非核三原則を今後どうするのかという問題である。
 核密約が明確になったところで、何か劇的に解決する問題があるのだろうか。核密約が解明されたとして、問題となるのは岡田外相も述べているように密約を交わしたことではなく、密約を無かったと歴代自民党政権が嘘をつき続けてきたことにある。しかし、マキャベリではないが権謀術数渦巻く政治では政治家が国益を考えて嘘をつくことは許される。
たしかに歴代政権に問題があるとするなら、冷戦が終わってからも嘘をつき続けた、その戦略思考の無さにあるのではないか。

2009年9月1日火曜日

憲法9条を実践せよ

 民主党が政権を取ったことで憲法改正は当分遠のいた。朝日新聞(9月2日朝刊)の調査によると、民主党の改憲賛成派議員が50パーセントから16パーセントに減ったために、自民党の改憲派とあわせても憲法改正の発議に必要な三分の二に届かない、という。また民主党内の旧社会党やリベラル派などの左派勢力や、社民党との連立の可能性を考えるとサヨクバネが働いて、集団的自衛権の解釈変更も難しくなるだろう。それどころか鳩山政権が政策マニフェストでインド洋での自衛隊による給油活動を継続しないと明言している。
自民党の改憲論議や安保政策を批判するばかりであった民主党もいよいよ現実的な安保政策の策定が求められることになった。それは民主党だけではない、いわゆる護憲勢力も同じだ。いよいよその言葉では無く、実行が試されることになった。
 これまでの護憲勢力の運動の全てが、改憲反対、憲法9条を守れ、という反政府運動を展開していれば事足りた。しかし、前述のように憲法改正は事実上不可能になった。集団的自衛権の解釈変更もきわめて困難となり、また鳩山政権の反米自主独立路線を考えると、自衛隊が国際協力で海外に出る機会も減るだろう。つまり民主党政権の誕生で、憲法改正や自衛隊の海外派兵を阻止するという護憲勢力の目的は成就できたのである。ではこれから憲法9条の会など護憲勢力は何を目的として運動を展開するのだろうか。今こそ、憲法9条、より正確には憲法前文の実践が求められるのではないか。
 ここであらためて憲法前文を読み返してみよう。
 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」(1946年11月3日公布)
 戦後60有余年、いわゆる平和勢力は改憲反対、憲法9条を守れという反自民、反政府の内向きの護憲平和運動を展開してきた。しかし、自民党が崩壊した現在、そうした内向の護憲平和運動も自民党の崩壊とともに、瓦解した。今、平和勢力に問われているのは、護憲ではなく、憲法前文に書かれた憲法の実践である。
 具体的には、これまでもブログで主張してきたように、戦後の平和運動を担い、そして今では民主党政権を支える「連合」が主体となって、非武装・非暴力の連合PKO(憲法9条部隊)を編成して、アフガニスタンに行くべきである。特別措置法による自衛隊のインド洋給油活動は明らかに憲法違反であり、民主党が給油活動の継続に反対するのは全く正当である。だからこそ、そして憲法前文の精神を実践するためにも、自衛隊の代わりに連合の組合員を中心に民間人で非暴力平和隊(憲法9条部隊)を編成してアフガニスタンに数千人規模で隊員を送り込むべきである。連合の組合員数は600万人といわれる。そのうちの1000人に一人が志願すれば、6000人の部隊ができる。連合だけでなく志願制の自衛隊と同じように広く国民に呼びかけて隊員を募集すれば、平和を愛する日本国民の多くが志願、瞬く間にその規模は倍増するだろう。また国民全員が協力するという意味で、消費税を一パーセント上げて国際協力の目的税として使用してはどうか。国際平和のために1パーセントの消費税率をあげることに反対する国民は誰一人としていないだろう。また民主党も反対しないだろうし、社民党も反対することないだろう。法案は簡単に衆参ともに国会で賛成多数で成立する。
 憲法9条部隊は、一切の護衛をつけることなく、アフガニスタンをはじめ世界各地の紛争地に赴き、教育、医療、運輸、建設など連合組合員からなる隊員の専門を活かして紛争の解決、社会の復興にあたるのである。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いるが故に、他国民から危害が加えられることは無い。万、万一危害が加えられ、仮に殉死することがあったとしても、それは平和に殉じた平和の聖徒として国際社会から深い尊敬の念をもって称賛されるだろう。犠牲者を祀る慰霊施設を新たに建設し、靖国神社に代わって全国民が参拝できるようになする。
 こうした自己犠牲的な非暴力平和活動こそが、平和日本の安全保障上のソフトパワーとなり、軍事力というハードパワー以上に日本の安全と平和を守るソフトパワーとなるだろう。米国をはじめ多くの国が武力を行使する中で多くの兵士を犠牲にしてきた。これに対して日本は狡いという批判がこれまでもあった。しかし、日本は血を流す覚悟があることを憲法9条部隊で示すのである。
 今まで日本人は、幸いにも海外で一発の銃弾も撃っていない。たとえ自らの身を守るためであっても、これからも一発の銃弾も撃つべきではない。かつてガンジーは、たとえ何十人、何百人、何千人、何万人が犠牲になったとしても、非暴力を貫けと教えた。憲法前文は日本国民に徹底したガンジー主義の非暴力による平和の実践を要請しているのである。
 護憲派の諸君、今こそ立ちあがれ。そしてアフガニスタン、フィリピン、スーダン、イラク、ソマリアなど世界各地の紛争地にでかけ非暴力で暴力と戦え。もう自民党本部や国会にデモをする必要はない。写経のように憲法前文や9条を書き写し、暗記している場合ではない。実践あるのみだ。

2009年8月28日金曜日

サンダカンから船に乗ってサンボアンガに着いた














































 事前にネットで調べたところ、サンボアンガからサンダカンへのフェリーについては情報があった。しかし、逆にサンダカンからサンボアンガへの情報がなかった。サンボアンガからサンダカンへの船があるのだから間違いなく逆の航路もあるはずという思い込みでサンダカンを目指した。今から数百年前にイラスム教がボルネオから島伝いにフィリピンのミンダナオ島そして最後はルソン島まで伝わっていった。そのイスラム・ルートをどうしてもたどってみたかった。現在もイスラム教の流れがあるのかを実際に体感したかった。
 同じルートでマレーシアからフィリピンをめざす人もあると思うので、参考までに船旅の方法について記しておく。
 サンダカンからサンボアンガへの船は2009年8月時点ではフィリピンの船会社Aleson Shipping Linesが運航している。サンダカンからは火曜日と金曜日の出港。私が乗船したのは火曜日5時出港予定(実際は5時半出港)の船だった。
チケットはサンダカンのBandar Hsiong Gardenの一角にあるMaritime(089-212063)というチケット販売所で事前に購入する。外からは乗船券を販売しているとはとても思えない、うっかりすると見落としてしまいそうな間口一間ほどの小さな事務所だ。私は最も高いキャビンのチケットを290リンギで購入した。キャビン(下から4枚目の写真)だから個室かと思ったら、6畳程度の広さしかなく、そこに上下二段ベッドが二つおいてある4人相部屋だった。幸い私一人だったからよかった。しかし、実際には出港してすぐにエアコンが故障して蒸し風呂のような暑さになった。それでもスチュワーデスがシーツを敷き、枕カバーをかけてくれたベッドでなんとか横になった。ベッドをよくみると小さなゴキブリがあちこちで動き回っている。南京虫よりはましだと覚悟を決めて寝た。しかし、蒸し暑さに夜中に何度も目が覚めた。キャビンといってもフィリピンの安宿ロッジ程度である。
教訓。一番良い部屋は、エアコンの効いた大部屋だ。やはり二段ベッドだが値段のせいかそんなに乗客も多くはなく、快適そうに見えた。値段は270リンギだと思う。一番やすいのはデッキだ。甲板に二段ベッドをぎっしりと並べ、夜風、海風に当たりながら床につくのだ。日常風景、庶民の生活を知りたければ、甲板を薦める。値段はそれほど安くはない。250リンギだ。フェリーはフィリピンやアフリカでしばしば沈没事故をおこすような古びた船である。
甲板は小さな子どもを連れた家族や、大きな荷物を抱えた商売人らしき人たちでほぼ満員だった。
船は三層に分かれ、キャビンとエアコンのある大部屋そして甲板ベッドが最上層、中層には甲板ベッドのみ、そして最下層はコンテナや車を積み込む貨物室である。私の乗った船はサンダカンで荷物をあまり積み込まなかったようでほぼ空だった。トップ・ヘビーで転覆するのではないかと恐れたが、ほぼ丸一昼夜の航海の間、海は内海のように穏やかで、船は全く揺れなかった。
 サンダカンの港は市街から少し離れたKaramunting港だ(一番下の写真)。市内からタクシーで30リンギ、約20分くらいのところにある。4時に行くように言われていたが、用心のため3時に港についた。港といってもコンテナ・ヤードの横に出入国管理事務所の建物があるだけで、人々は炎天下、外で出国手続きが始まるのを待っていた。何軒か露店が出ており、弁当や飲み物を売っている(下から2番目の写真)。また両替商が何人もいてペソ、リンギ、ドルの両替をしていた。船の売店ではペソしか扱わないので事前に両替が必要。
出国手続きが始まったのは5時近くになってから。出国事務所の入り口に突然人々が群がり始めたので、あわてて私も並んだ。今考えれば、全く無意味な行列だった。甲板ベッドを取る人は、早く乗船して最上のベッドを取る必要があるのかもしれない。ただし甲板ベッドにそれほど良い、悪いがあるとは思えなかった。
やがて事務所のドアが開き、係官三人が出国手続きを始めた。私は随分前に並んでいたが、出国までに半時間はかかったろうか、とにかく時間がかかる。やっと出国手続きがすむと、出口には船までの送りのバスが待っていた。無料だと思ったら、2リンギとられた。ほんの数百メートル走って船にたどりついた。ちなみに2リンギといえば、サンダカンの空港から市内までのバス料金と同じである。全くのぼったくりだ。
いよいよ乗船である。まずは乗船名簿の確認、そしてインフルエンザ検査である。簡易体温計で熱を計られ、異常なしということでやっと乗船を許された。乗り込んで半時間ほどして、船は港を離れた。
船内でのすごし方について少し触れておく。出港してしばらくすると陽が沈む。日本の船のように娯楽設備があるわけではない。トイレはトイレット・ペーパーを使わないイスラム式の水洗便所。キャビンにはシャワー室があったが、とても使える代物ではない。船員たちは船で生活しているのか、キャビンの一室はスチュワーデス四人の寝室になっていた。彼らは入出港の際に検疫の手伝いや入国審査の手伝いなどをしていた。
船内にはキャンティーンがある。しかし、売っているものは限られている。ご飯とオカズのゆで卵。ゆで卵をオカズにご飯に醤油らしきものをかけて夕食にしている乗客が多かった。食事は他にビーフンとカップ麺のみ。ビール、インスタント・コーヒー、ビスケットといった本当に簡単なものしか売っていない。事前に食料は買い込んでおいたほうがよい。
ビールは60円くらいで安い。ひたすら酒を飲んで寝るしかない。
5時頃には空が明るくなり、6時過ぎには夜が明けた。あとはひたすら海をみつめ、遠くの島影をながめるだけである。日なたに出れば、あっと言う間に日焼けだ。退屈した乗客の中には歌を歌い、踊りだすものもいる。子どもたちは甲板を駆け回り、女たちはおしゃべりに夢中になる。やがてどこからともなく大きな歓声が響きわたってきた。行ってみると、日本で言えばさしずめチンチロリンというところか、二枚のコインを使ってバクチが始まった。1ペソ、2ペソのコインから始まってやがて札が舞いだす。といっても、100ペソもいかない。少額だと思っていたが、貧しい人にとっては、一日の稼ぎにも匹敵する金額だ。結構な大金をはっていたのだ。
2時過ぎにサンボアンガの街並みが遠くに見え始めた。船内のキャンティーンでは入国にあたってパスポートのチェックが行われた。これで入国手続は終わりかと思っていたら、実際には船が接岸すると同時に数人の小銃を持った兵士を引き連れて三人の入国係官が乗船してきた。出口を兵士が封鎖する中、係官が入国手続を行った。接岸から実際に下船するまで小一時間かかった。
船が港に近づいたころ、2~3人の子どもが乗った船外機つきの小舟やおもちゃのような小舟が数隻船に近づいてきた。盛んに乗客に物乞いをしていた。そのうち乗客の一人がコインを海に放り投げると、子どもがすぐに海に潜ってコインを取るのである。あまりコインをなげる客はいなかった。中には食べかけのパンをほうりなげる客もいた。船から完全に乗客がいなくなるまで、ずっと小舟から乗客を見上げてコインをせがんでいた。サンボアンガの港(一番上の写真)だけでなく、バシラン島イサベラの港でも同じ光景を見た。水上生活をする子どもたちなのだろうか。3~4才と思しき女児までが本当に器用に小舟を操っていた。
最後に下船する乗客を待ち構えるように、トライシクルやジープニーの運転手が誘いをかけてくる。港から市内までトライシクルなら20ペソで十分だ。それを200ペソ吹っ掛ける運転手もいるので要注意。
イスラム・ルートを求めて船の旅をしたが、結論としてはあまりイスラムのニオイはしない。船内でお祈りでもあるのではないかと思ったが、メッカに向かって祈りを捧げる人をみかけることはなかった。女性で髪をベールで覆っている人を何人かみかけたものの、髭面の男はみなかった。乗客の中で一番髭面だったのは私だった。



2009年8月20日木曜日

非暴力平和隊は今こそフィリピンで非暴力の割り込みを

 非暴力平和隊そして憲法9条の会のメンバーは今こそ日頃の主張や理念を実践するために、ただちにフィリピンのミンダナオ島イスラム地域、特にバシラン島に入って、政府軍とモロ民族解放戦線およびアブサヤフの暴力を非暴力で停止せよ。両者の間の停戦はこれまで何度も破られてきた。そして今回私がバシラン島へ入った8月17日にもバシラン島ティポティポで両者の戦闘が発生、政府軍兵士が一人犠牲になった。イスラム勢力側、市民側の犠牲は不明。また同日、バシラン島の戦闘状況を偵察していた政府軍ヘリコプターも何者かに銃撃され、従軍取材していたフィリピンのテレビクルーが負傷した。戦闘は明らかに激化している。
 フィリピンアロヨ政府は8月に入ってイスラム勢力の掃討作戦を開始した。両者の暴力のエスカレートを防ぎ、市民の巻き添えを防ぐために、いまこそ非暴力平和隊が両者の間に割り込み、その力量を発揮する時である。戦闘が激化した時に撤退し、市民を危険に曝したスリランカ内戦の徹を二度と踏んではならない。
 また憲法9条の会は、自衛隊の派兵反対を叫ぶばかりでなく、自ら護憲を実践する時が来たことを深く自覚すべきである。是非、井上ひさし氏そしてノーベル賞受賞者益川敏英氏らが先頭にたって、バシラン島に入り両者の間にはいって非暴力で紛争解決を訴え、憲法9条を実践してほしい。
 伊勢崎賢治氏が言うように、アジアの人々には日本に対する「美しい誤解」がある。すなわち日本は平和で戦争をしない国だということである。それは今のところ彼らにとって単なる伝聞にしかすぎない。いまこそ、フィリピンで憲法9条の精神を実践し、具体的な護憲運動を展開してほしい。
 非武装平和隊・日本は国際組織から独立して、憲法9条隊を結成し、独自の活動を展開すべき時が来た。国際組織に入っている限り、たとえNGOといえども各国の国益に左右されがちである。財政面での心配はない。日頃から護憲を主張している労働組合の連合が資金援助や人員協力を拒否するはずがない。また民社党も今こそその護憲を実践するために連合に積極的に働きかけるだろう。連合に加入していた元労働者の退職者で憲法9条隊を編成し、紛争地で非暴力による紛争解決を実践するのである。連合の組合員も憲法9条をまもるために年間1万円を拠出するのだ。それだけで600万人もの組合員を抱える連合からは600億もの資金が集まる。護憲のために年間一万円は高くないだろう。
 非暴力も護憲も口先だけではなく実践してはじめてその意義がある。暴力のないところでいくら非暴力といっても全く無意味だ。非暴力平和隊には暴力の蔓延する地域でガンジーの精神にのっとって非暴力で紛争を解決してほしい。それこそが憲法9条の具現化であり、また真の意味での護憲である。冷房の効いている部屋でいくら論議してもバシラン州の人々の苦難は救えない。

2009年8月18日火曜日

フィリピンの現状




いくつかの失敗をのりこえて(バスの接続を間違えてイスラム自治地域のコタバトを通過できなかったことなど)、昨日ようやくマニラに到着。最高級ホテルの一つ、ペニンシュラに投宿した。ホテルのあるマカティ地区そしてこのホテルは全く東京と変わらない。物乞の姿などどこにもない。フィリピン名物のトライシクルの影もない。これでロッヂのようなもっとも安い宿泊場所から最高級ホテルまで一応あらゆるクラスの施設に宿泊した。感じたことは、あまりの格差の激しさであった。こうした社会的格差はアメリカや日本のような先進国にもある。しかし、フィリッピンの格差の規模は半端ではない。
 昨夜、当地の日本語新聞『マニラ新聞』に興味深い数字を見つけた。現在の人口はおよそ9千万人。その内半数の4500万人が貧困ライン以下、1000万以上が失業もしくは満足な仕事が得られない、そして900万人が海外就労者という。これでは国家の体をなしていない。ついでながらアロヨ大統領の月給は税引き後の手取り額が5万7750ペソ(約13万円)とあった。公務員の給料は推して知るべしだ。ただし彼女は金持ち階級で、その蓄財が大統領に就任してから倍増しているとして問題視されている。とにかく餓死寸前の人からペニンシュラで豪勢なパーティを開く(昨夜マニラのロータリ・クラブが開いていた)突出した金持ちまであまりの格差だ。特に南部ミンダナオと北部との格差またキリスト教徒地域とイスラム地域との地域間、宗教間格差が大きい印象だ。
 そのイスラム地域にたいしてアロヨ政権はついに過激派掃討作戦を開始した。私が訪問したバシラン州でも作戦が始まったようだ。しかし、社会的格差が縮まらない限りイスラムの反乱、左派の反乱は治まらないだろう。
 写真はバシラン島のイザベラ市の対岸にある水上住宅の村を訪ねたとき、子供たちに囲まれて撮った写真。日本人が珍しかったのか、子供から写真を撮ってくれとせがまれた。

2009年8月15日土曜日

カガヤンにて

昨日やっとネットにつながるホテルに宿泊しました。詳細は帰国後にします。24時間かけてサンボアンガに入り、2泊しました。一日は対岸のバシラン島に行きました。ここはイスラム教徒と政府との対立がはげしく、非暴力平和隊の要員が誘拐されたこともあります。
 昨日は朝7時にバスに乗って、ダバオを目指したのですが、バスの路線の関係上、カガヤンデオロに来ることになりました。14時間のバス旅行で今朝もいささか疲れ気味です。
予定を変更して今日はスリガオに向かいます。
 しかし、キリスト教徒の北部とイスラ教徒の多い南部では開発が雲泥の差です。サンボアンガからくるとここカガヤンは先進国のようです。

2009年8月11日火曜日

サンダカンはアンリイスラムのにおいがしません。髭面の男が少ないせいかもしれません。

サンダカン中心部の様子をアップします。

2009年8月10日月曜日

サンダカンにて

 サンダカンは小さな町だ。市の中心部を歩いても30分であらかたの場所を見て回ることができる。下水道が整備されていないのか、いたるところで下水の匂いがする。とにかく湿気が高く、暑い。欧米系の観光客が多い。泊まっているリゾート・ホテルもひと組の日本人家族を除けば全員が欧米系だ。海やジャングル観光なのだろう。
 イスラム教のはずなのに、市の中心をおろかどこにもモスクを見かけなかった。天主教と書かれたキリスト教の教会が目につくぐらいだ。スカーフをしている女性よりも、していない人のほうが多い印象だ。イスラムつながりでフィリッピンのミンダナオとの関係が深いと思っていたら、全く予想外だ。フィリッピン行きの船は週2便とすくなく、飛行機の直行便は出ていない。釜山と下関、福岡のような頻繁な行き来があると思っていたが、予想外に往来が少ない。アジアのイスラム勢力が跳梁跋扈するようなイメージだが、あまりイスラムのにおいがしない。
 さっきやっとサンボアンガ行きの船のチケットがとれた。チケット売り場に日本人のバックパッカーの若い男がいた。小さな町にしてはホテルが多いが、バックパッカーの拠点のようだ。
 1974年に山崎朋子がサンダカンを訪れているが、その時彼女が宿泊したホテルが、いま私が泊まっているサバ・ホテルのようだ。町は当時とは様変わりし、そしてホテルも一変したようだ。一世紀近く前にここに多くの日本人が暮らしていたとは思えないほど今は中国系の人々が暮らしている。
 さて明日は夕方にサンダカンをたって明後日んの昼頃にサンボアンガに到着の予定だ。このルートがイスラム街道かどうか調べたい。

2009年8月8日土曜日

8月ジャーナリスムと憲法9条

また8月ジャーナリズムの季節がやってきた。
 8月6日のNHK番組「核は大地に刻まれていた~“死の灰” 消えぬ脅威」では、カザフスタンで行われた第1回目の核実験の死の灰の影響を土壌分析から検証しようとする日本人科学者の活動を追っていた。カザフスタンではいまだに深刻な影響が出ているとのことだ。同様に日本でも、死の灰をかぶった地域では、被爆被害を続いているという。素人考えながら、もしいまなお深刻な被害が出ているとするなら、爆心地にある広島や長崎で暮らすことは危険なのではないか。実際、爆心地に都市を再建した国は日本以外にない。何十発も核実験をした実験地と違い、一発の核兵器の影響はそれほど深刻な影響を及ぼさないということなのか。それとも、危険を伏せたまま、都市を再建したということなのだろうか。NHKのドキュメンタリーを見る限り、広島、長崎に暮らすことは、今なお危険という印象を受けたのだが。是非、専門家にきいてみたい。
 8月ジャーナリズムというのは、8月に限って、戦争特集を組んで、前の戦争のことについて反省するジャーナリズムのことである。日頃戦争のことなどあまり取り上げなくなったメディアが反省を込めて少なくとも8月だけでも戦争について反省しようということなのだろう。
 取り上げられる戦争は、きまって第2次世界大戦と核問題である。戦争反対、核兵器廃絶という視点はどこのメディアも変わらない。戦争反対といいながら、NHKは日露戦争を美化する『坂の上の雲』を製作中だし、またここ何十年にわたって毎週日曜日には時代劇で合戦の物語を放映している。源平の合戦や長篠の戦い、薩英戦争、鳥羽伏見の戦いなどは戦争ではないのか。日露戦争は時代劇になりつつあるのか。そうすると、いずれ太平洋戦争も時代劇になるのだろうか。取り上げ方、切り口があまりに紋切り方になっているからこそ、8月ジャーナリズムと揶揄されるのだろう。反戦の視点さえ取り入れれば、最低限良心的な番組といわれ、視聴者の反発も来ず、そしてジャーナリストとしての良心を癒すことができる番組となるのだろう。
 少なくとも9.11以来、戦争は第2次世界大戦のような総力戦や国家間戦争とは異なり、全く新しい時代の社会武力紛争の時代に入ったというのに、8月ジャーナリズムにはその視点が全く欠けている。今日8月8日のフジテレビでノーベル賞物理学者の益川敏英氏が戦争と憲法9条について語っていた。その中であと200年後には戦争はなくなると語っていた。益川氏の言う「戦争」とはどういう戦争をいうのだろうか。
 もし第2次世界大戦のような国家総力戦をいうのなら、もはや「総力戦」は起こらない。国家総力戦では、国家が総力を挙げて、向上で兵器を生産しつつ戦場で兵器を消耗する大量生産大量破壊の戦争である。しかし、情報革命、軍事革命が進み時代は少量生産少量破壊の情報時代へと転換した現在、総力戦など起きようはずもない。益川氏のいうように200年も待たなくても、国家間戦争は、ごく一部の例外を除いて、もはや過去のものである。
 もし戦争が民族集団、宗教組織間などの間でおこる社会「武力紛争」という意味であれば、200年後も続いているだろう。なにせ、人類は有史以来、武力闘争を止めたことは無い。ただし、文明は、武力紛争を法という制度や国家という組織によって抑制する努力は続けてきた。その結果、主権国家間の武力紛争はようやく抑制できるようになった。しかし、社会武力紛争は未来永劫をつづくだろう。人類はこの社会武力紛争を抑制するために、従来の主権国家に代わって世界共和国のような新たな「国家」をつくりだすかもしれない。
 いずれにせよ、戦争とは何かをきちんと定義しないかぎり、200年後に戦争がなくなりますといわれても、一体どのような戦争がなくなるのか不明である。益川氏自身も語っていたように、こと戦争に関する彼の思想や発言はナイーブとしかいいようがない。
 ところで益川氏は科学者でつくる憲法9条の会のメンバーだという。ならばこそ、私は益川氏に是非お願いしたい。憲法9条の精神をもって世界の紛争を解決してほしい。特にパレスチナ問題である。ノーベル賞受賞の権威をもって、ガザに乗り込み、イスラエルとパレスチナの問題を憲法9条の精神で、非暴力で両者に和解を迫ってほしい。なぜなら憲法前文で示された平和主義は寺島俊穂『市民的不服従』(風行者、2004年)のいうように、「より平和な世界を構築していくために非暴力によって世界の現実に積極的にかかわっていくことを宣言した原理」(265頁)だからである。もはや護憲を叫び、政府の安全保障政策に反対するだけでは不十分である。より積極的に世界の平和に向けて行動することが必要であろう。さもなければ、平和研究者のダグラス・スミスが批判するように、日本人は憲法前文の精神を実践したこともなく、安穏として米国の核の傘の下に暮らしていたにすぎない(寺島、262頁)、との批判を受けることになる。
 冷戦が終焉した現在、米国の核の傘はなくなり、われわれは安穏とした生活をつづけることはできなくなった。実際、核廃絶を訴えるオバマが日本のために核兵器を使用することなど有り得ないし、また核戦争に反対する日本国民がアメリカの核の傘に守られるという偽善を許すはずもない。たとえ北朝鮮が万が一日本に核攻撃を行ったとしても、日本国民はオバマに核兵器による報復はもちろん通常兵器による報復を要請することなどないだろう。朝日新聞がはたして米国は日米同盟の義務を履行して北朝鮮に核報復せよなどという社説を書くなどとはとても考えられない。憲法前文の精神を深く理解する日本国民は甘んじて第2のヒロシマ、ナガサキを受け入れるだろう。
 だからこそ、そうならないように、アメリカの核の傘に代えて、憲法前文の非暴力の原理で世界の紛争の解決に益川氏をはじめ憲法9条の会は立ちあがってほしい。益川氏には北朝鮮に乗り込んで拉致被害者を非暴力で取り返してほしい。またガザに入り、イスラエルとパレスチナの間に割り込んでほしい。それだけで世界中の耳目を集めるだろう。なにしろノーベル文学賞の候補者というだけで村上春樹があれほどの注目を浴びたのだ。実際にノーベル賞を受賞した益川氏が紛争地に赴けば事態は大きく変化するだろう。さらにガンジーのように殉死を覚悟すれば、一気に問題は解決の方向に動くかもしれない。それこそが寺島のいうように「より平和な世界を構築していくために非暴力によって世界の現実に積極的にかかわっていくこと」になるのだ。憲法9条の会は、今こそ憲法の精神を実践すべき時だ。

2009年8月6日木曜日

バーダー・マインホフとファシズム

 『バーダー・マインホフ-野望の果てに-』を見た。原作はシュテファン・アウスト著のドキュメンタリー、『バーダー・マインホフ・コンプレックス』だ。わざわざ映画の冒頭で事実に基づいて製作しているとテロップがあった。それで長年疑問に思っていたことが氷解した。
 まずなぜ、西独赤軍の受刑者たちが獄中自殺できたのか。中の一人は拳銃で自殺した。刑務所にどうして拳銃を持ち込むことができたのか。映画で、その理由がわかった。弁護士が協力して、裁判記録の中に隠して房内に運び込んだのだ。日本の刑務所とは異なり、書棚もあれば、テーブルもある、まるでひろびろとした1Kのアパートの一室のようだ。タバコも自由に吸える。テレビもラジオもある。相当に自由に生活ができたようだ。また裁判が始まってからは、裁判を迅速に行うことを理由に受刑者同士の打ち合わせの機会が与えられ、別々の刑務所に収監されていた犯人たちが一つの刑務所に集められてもいる。
 日本から見れば、全く異例とも思える受刑者への待遇だ。それが西独では一般的であったのか、それとも西独赤軍に対してのみ与えられた特例だったのかは、映画ではよくわからなかった。西独赤軍が裁判闘争を刑務所の内外で行った結果、裁判を迅速に進めたい当局が西独赤軍の要求を受け入れて、さまざまな特例を認めたのかもしれない。
 アンドレアス・バーダー、ウルリケ・マインホフ、グドルン・エンスリンの西独赤軍の創設メンバーが獄中に入ってからも、かれらの脱獄、解放に向けたハイジャックや大使館襲撃、誘拐などの奪還闘争が何年にも渡って続いた。一体だれが、どのようにして組織を維持し、命令を伝達できたのか。その一端が映画で明らかにされている。それは、弁護士が獄中の受刑者と外部との連絡は仲介していたのだ。またパレスチナ過激派組織PFLPがかれらの活動を支援していたのだ。PFLPの背後には東独がおり、東独の背後にはソ連がいた。つまり西独赤軍を背後で操っていたのは、結局東独やソ連ということだ。西独赤軍の目的や理念はともかく、その活動は米ソ冷戦に巻き込まれ、やがて東独やソ連のエージェントと化していった。ちょうど同じことは日本赤軍にも言える。かれらの活動もまたパレスチナ問題に関わったときから冷戦に巻き込まれ、結局はソ連の手先となってしまった。ちなみに西独赤軍の「赤軍」は日本「赤軍」に由来している。
 70年代に過激派を多数排出した国は日本、ドイツそしてイタリアである。その特徴はいずれもファシズム国家だったことだ。日本の日本赤軍、西独の西独赤軍そしてイタリアは「赤い旅団」は、いずれも共産主義を信奉し、都市ゲリラとして銀行強盗や誘拐やハイジャックなどの過激な手段によって体制を変革しようとした。彼らが目指したのは結局のところ、共産主義という名の全体主義国家であり、それは彼らが批判して止まなかった日本陸軍の青年将校の軍国主義やヒットラーのナチズムそしてムッソリーニのファシズムと本質的に何ら変わるところは無い。
 彼らが、全体主義を激しく批判し、やがて自壊していったのは、敵だと思っていた相手が鏡に映った己が姿であることに気がついたからだろう。資本家はブタであり、殺してもよいとのマインホフの主張は、ナチスのユダヤ人虐殺の論理と変わらない。実際、『ベニスの承認』の昔からヨーロッパで金融を昔から牛耳っていたのはユダヤ人財閥である。銀行家を抹殺せよとの思想の背後には、ユダヤ人に対する差別観が潜んでいるとしか思えない。また日本赤軍の指導者重信房子の父親は戦前の右翼運動に関わっており、彼女もまた父親の生き方に大きな影響を受けたと自伝で記している。
 結局、西独赤軍、日本赤軍そして赤い旅団の本質は、マルクス主義ではなく、共産主義の全体主義的イデオロギーの影響を受けた、戦前のファシズム復興運動ではなかったのか。そう考えると彼らがなぜ米帝国主義を激しく憎悪したかがわかる。それは勝者の占領政策に対する敗者からの異義申し立てであったのだ。冷戦時代とは、米ソ間のイデオロギー闘争であると同時に、ポストファシズムとしての敗戦国住民による勝利国政府への武力闘争の時代でもあったのだ。その目標は、まずは占領政府である米国政府に従属する自国政府に向けられ、そしてその背後に控える支配国家米国政府に向けられたのだ。ソ連やPLOと共闘し、逆にソ連やPLOが彼らを利用したのは、米国という共通の敵を共有していたからに他ならない。
 ポストファシズムという文脈から考えると、現在の憲法ナショナリズムに連なる戦後の日本の左翼運動の淵源は、マルクス主義ではなく共産主義の全体主義に通底する戦前のファシズムにある。高い理想を掲げ、その理想を判断基準に現実を改革しようとする理想主義である。日本の政治思想の中で、こうした理想主義が生まれたのは、明治維新、昭和前半の青年将校そして戦後の学生運動の時期である。いずれも若者が理想を掲げ現実の改革を迫った。明治維新は成功した。しかし、対米戦で完敗し、青年将校の思いは遂げられなかった。彼等の反米思想はやがて戦後の学生に受け継がれ、共産主義反米ナショナリズムとして左翼運動に引き継がれた。左翼の流れをくむ環境運動、人権運動など現在のサヨク運動は本質的に左翼ではない。それはグローバリズムやエコロジーという名のファシズムである。
 作家の阿川弘之は大江健三郎を、まるで青年将校のようだ、と評しているといわれる。2.26事件で青年将校を叱責した昭和天皇と青年将校との因縁の対決は、昭和天皇を尊崇する阿川のような天皇ナショナリズム派と昭和天皇を毛嫌いし文化勲章を辞退した大江のような憲法ナショナリズム派との間で今もなお続いている。
 西独赤軍、日本赤軍や赤い旅団のファシズム復興運動は、冷戦の終焉とともに姿を変えて、現在では環境問題へとその焦点が移っている。いつの時代でも全体主義体制におもいを寄せる人々は多い。問題なのは、それが常に正義の衣をまとっていることだ。
 バーダー・マインホフを見て、思わず妄想がひろがってしまった。

2009年8月2日日曜日

『憲法9条を輸出せよ! 』のツッコミどころ

 随分前から気になる本があった。2008年にピース・ボート共同代表の吉岡達也氏が出版した『9条を輸出せよ!』である。帯に「『”丸腰”こそ安全』という『紛争地の常識』」、「『武装することの危険』を知らない日本人」など、刺激的な惹句が並んでいる。本棚にずっと並べておいたのだが、手にとる機会がないままに一年がすぎた。憲法9条問題を考えるにあったて今あらためて読んでみると、これは一種のトンデモ本だということがわかった。憲法関連の書籍には、ただひたすら平和を念じ、念ずるあまりついに本を出版したという市井の善意の平和運動家が多い。吉岡氏のピース・ボート共同代表という肩書、また出版社も大月出版という共産党系の比較的しっかりした出版社であることから、弱小出版社から出版された素人著者の著作とは違うと期待していたのだが、内容はさほど変わらなかった。
 本は一種のエッセーや体験談の寄せ集めだ。その中で、私がひっかかったのは、いわゆる平和主義者の偽善をもっともよくあらわしている「『”丸腰”こそ安全』という『紛争地の常識』」という旧ユーゴでの吉岡氏の体験談である。
 1992年に吉岡氏はクロアチア共和国内の最前線の街パクラッツに入り、そこで引率していたPKO部隊のミスで、セルビア人武装勢力に取り囲まれ、PKO部隊の建物から出られなくなった。武装勢力側が彼の身柄を引き渡すよう強硬に要求したが、国連本部による交渉の結果、ミスを犯した現地のPKO部隊の将校が辞任することで武装勢力と話しがつき、、吉岡氏は解放されたという。紛争地では、ありがちなトラブルである。しかし、ありがちでなかったのは、なぜ解放されたか、吉岡氏の説明である。彼はこう記している。
「このパクラッツ事件で、私はナイフやピストルを持ったセルビア系住民たちに囲まれ、危機一髪と言っていい状況を経験した。『日本の常識』からいうと『だから紛争地に行くときは、せめてピストルか小銃でも持っていかないと危ないんだ』ということになるかもしれない。しかし、実際には、この経験を経て、より丸腰の安全性について確信を深めることになった。なぜなら、私たちが丸腰であったことが、最終的に何の危害も加えられずに解放された最大の理由だった」(吉岡、52頁)。
この説明を読み、思わず椅子からずり落ちそうになった。そもそも「『日本の常識』からいうと『だから紛争地に行くときは、せめてピストルか小銃でも持っていかないと危ないんだ』」というのは、日本の常識なのか。こんなことを本当に普通の日本人が常識として持っているのだろうか。よしんば、これが常識であったとしても、それはPKO部隊に参加する自衛隊の場合だろう。
吉岡氏はこう続ける。
「もし、セルビア系住民に取り囲まれた時、私たちが武器を持っていたらどうなっていただろうか。おそらく彼らの目に私たちは明確な敵対者として映り、物理的攻撃を受けていた可能性は大いにある。また、私たちを引率していたカナダ軍の兵士が必至に「彼らは武器を持っていない!」と何度も叫んでいたのも目の当たりにしている。まさに『丸腰』であることが、彼等の暴力をおもいとどまらせる説得力を持っているからこそ、そのカナダ軍兵士は私たちの『丸腰』を訴えていたのではないだろうか」(吉岡、52頁)
吉岡氏はPKO部隊の武装したカナダ軍兵士に護衛されていたではないのか。本人たちが丸腰であろうがなかろうが、武装兵士が護衛すれば、それは「丸腰」とはいわないだろう。さらに吉岡氏は、続けてこう記す。
「そして人道支援で現地に行く時にもっとも大事なことは丸腰で行くことであり、『丸腰こそが安全である』という『紛争地の常識』を発見したのだ」(吉岡、53頁)。我田引水極まれり、である。この吉岡氏の発言を護衛したカナダ軍兵士や解放交渉にあたった国連関係者が知ったら一体どう思うだろうか。吉岡氏自身にも、尋ねたいのだが、ではなぜピース・ボートはソマリア沖で自衛隊の護衛を頼んだのか。
いや、そうではなくて、吉岡氏の論理で言えば、たとえ武装した兵士や軍艦に護衛されても自分たちが丸腰であることが丸腰の意味なのだろう。それは、「日本の常識」からは全く外れた「吉岡氏の常識」ではないのか。吉岡氏が事件にあった92年以降世界に紛争が広がり、丸腰であろうがなかろうが、一般市民を対象にした殺戮は後を絶たない。人道支援だからといって殺傷されない保証はない。実際、92年7月にはカンボジアで中田厚仁氏、2008年8 月にはアフガニスタンでペシャワル会の伊藤和也氏が殺害されなど、日本人に限らず、丸腰の人道支援のボランティアが次々と犠牲になっている。この現状を吉岡氏はどう考えるのだろうか。また人道援助でなくても、治安が悪ければ丸腰であろうがなかろうが殺人事件は起こる。「誰しも『丸腰』の人間に危害を加えることには躊躇する」(吉岡、52)というが、その動機の如何に関わらず一般に殺人のほとんどは、丸腰の人間を対象にしている。
さらに吉岡氏は、無事に解放された理由として自分が日本人であることを挙げている。
「私たちの解放のためにセルビア側との粘り強い交渉を続けてくれた国連高官が、解放後、笑いながら私にこんなことを言った。
『君が日本人じゃなくて、もし銃を持っていたら、(解放は)無理だったな』。
彼もまた『丸腰』が私たちの安全を保障したことを認めたわけだが、さらに、それに加え、私が『日本人』であったことも解放の要因として挙げたのである。その理由は、当時、欧米が強くセルビア側を非難していたために、欧米人でなくてよかったということがひとつ。
そして、もう一つはセルビア人を含め旧ユーゴの多くの人が抱いている『ヒロシマ・ナガサキを経験した平和国家』という日本のイメージが果たした役割なのだ」
それでは同行したクロアチア人ジャーナリストやドライバーは解放されなかったのだろうか。いくら『9条を輸出せよ!』という本の題名にあわせるためとはいえ、これではあまりに我田引水のしすぎだろう。
いっそのこと日の丸をもって、憲法9条を読経しながら紛争地に行けば、たとえ武装した護衛がいなくても、弾にもあたらず襲われることないだろう、とツッコミを入れたいところだ。それについて吉岡氏は治安のよくないところに行く時の心構えについてこう答えている。
「現地の人々に守ってもらう」のが、「一番現実的で、安全で、理にかなっている。もちろん私たちは一切武装すべきではない。では、今度は、私たちを守る現地の人々は武装してもいいのかという疑問がでるかもしれない。たしかにこれは難しい問題だ。この答えに関しては賛否両論あるかもしれないが、私の意見は、もしその『武装』が攻撃目的のものではなく、護身用の範囲を越えないものならば、現地の人々の考えに任すべきだというものだ。その土地の現状を熟知しているのは、そこに暮らしている人々だからである」(吉岡、54頁)
ではなぜ、吉岡氏はカナダ軍兵士の護衛を受けたのだろうか。また自分は『丸腰』で護衛という危険な任務は現地の人に任せるというのは、道徳や倫理に悖る行為ではないのか。ジョージ・オーウェルは『ナショナリズムについて』にこう記している。「平和主義者が『暴力』を放棄できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使してくれるからだ」。吉岡氏もまた、他人のことに思いを致さない典型的な平和主義者なのだろう。
平和主義者と国粋主義者はまるで合わせ鏡のように同じような思考パターンを持っている。それは憲法9条ナショナリズムか天皇ナショナリズムかナショナリズムの対象が違うだけで、日本ナショナリズムの体現者である。そしてかれらはいずれもがみずからのナショナリズムを絶対視し、「日本の常識」とはかけ離れた世界に住み、みずからの主張を声高に叫んでいる。そして自分達の都合にあわせて世界を解釈し、行動している。それだけに吉岡氏の本はツッコミどころ満載できりがない。これからも吉岡氏には大いにボケてもらいたい。

2009年7月29日水曜日

憲法9条と非武装国民抵抗②

 引き続き非武装国民抵抗の問題点について宮田光雄『非武装国民抵抗の思想』を参考に考えてみたい。
 非武装で殉死を覚悟で守るべきは一体何なのか。領土なのか、社会制度や政治体制などの国体なのか、集団としての国民なのか、それとも個々人の生命や財産なのか。この問題は、心情的には個々人の生命や財産ということになるだろう。しかし、実際には集団としての国民の生命や国体としての社会制度や政治体制、あるいはそれらを物理的に担保する領土ということになるだろう。
 この問題について宮田は守るべき対象は社会的デモクラシーの体制であるという。決して国民の生命や財産が第一義的な防衛目標ではない。
 「『・・・≪市民的防衛≫の基本的前提条件をなすものは≪社会的デモクラシー≫の体制である。政治過程にたいして監視と参加を怠らない≪成人した市民≫こそ、そのもっとも有用な責任主体といわねばならない』(C・ラウー「市民的抵抗者の精神態度」K・ゴットシュタイン編『会議記録・市民的防衛』1969年)。つまり、こうした社会的生活様式こそ、まさに守るに価する本来の防衛目標なのである。そこから生まれた真のデモクラシーの精神は、占領によって、たとえデモクラティックな社会機構が秩序正しい活動を阻止される場合にも、国民抵抗を支える忠誠のエネルギー源となるであろう」(117頁)。
 これに続けて宮田はこう記している。
「その意味では、不法な侵略や権力奪取が行われる瞬間こそは、それまでデモクラシーが実質的に存在したか否か、それとも権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかったか、が白日のもとにあきらかになる最終判定の時点といっても過言ではない」(117頁)
 この文の意味するところを、うがった見方をすれば、「真のデモクラシーの精神」にあふれた外国勢力が侵略しても、それは「それまでデモクラシーが実質的に存在」せずに「権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかった」体制を変革する「解放」だということにならないか。そうした秘められた意図があるのか、宮田は「非暴力抵抗の精神は、仮想敵にたいする官庁的に組織化された≪調練≫によって形成されるのではなく、むしろデモクラシーの社会体制を脅かす現実の危険にたいする自発的な市民の反対行動からのみ生み出されるであろう。デモクラシーを守り、さらにそれを一層実質的に民主化するための日常闘争にまさる国民抵抗の修練はありえない。こうした社会核心のための政治的・経済的闘争において非暴力の原理を摘要する可能性は枚挙にいとまない。今日、しばしば聞かれる≪参加する民主主義≫の要求から≪院外野党≫の運動、さらに≪市民的不服従≫の行動にいたるまで、いずれも平時における非暴力抵抗の国民的訓練というべきであろう」。(121頁)。
 冷戦時代のしかも1971年秋のベトナム戦争当時に執筆されたという時代背景を考えれば、社会主義勢力を「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制とみなし、一方の資本主義勢力(特に日本)を「デモクラシーが実質的に存在」せずに「権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかった」体制と宮田がみなしていると考えてもあながち的外れではないだろう。したがって、一般の日本人が社会主義勢力に侵略されたらどうするという危惧を抱いていたのとは反対に、仮に社会主義勢力に「侵略」されたとしても、それは「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制による「解放」であって決して「侵略」ではない、というのが非武装国民抵抗の政治的本質ではなかったろうか。
 実際、「侵略」が「解放」と言い換えられた事例をいくつかみることができる。1975年の北ベトナムによる南ベトナム「解放」である。ベトナム解放戦線による解放といいながら実質的には北ベトナムによる侵略であった。それどころか「侵略」を「解放」と言い換えた事例は、われわれ自身がすでに太平洋戦争の敗戦時に経験していることでもある。米軍は解放軍であって占領軍ではなかった。皆、諸手をあげてマッカーサーによる統治をうけいれたのである。誰一人として、非武装であれ武装であれ国民抵抗などしなかった。
 百歩譲って、こうした時代的文脈を無視したとしても、非武装国民民抵抗には問題がある。それは、「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制が「市民的抵抗」によって奪還、獲得、復興されたとして、その体制を防衛するのもやはり非暴力市民的抵抗によるのだろうか。非武装国民抵抗戦略の問題は非暴力で権力を奪取した後の体制を非暴力でまもることができるのかという問題である。歴史の多くは、それが以前よりも苛烈になることを教えている。
 たとえば1979年のイラン革命である。イラン革命は、フランス革命以来はじめての市民の抵抗によるほぼ無血の革命となった。しかし、権力奪還後後の市民派内部の権力闘争はすさまじく、イスラム宗教勢力は革命防衛隊という治安部隊であり民兵組織を使って民主派を根こそぎ逮捕、監禁、虐殺した。いかなる体制であろうとも、一旦権力を握れば、それを防衛するために警察権力や軍事力等の暴力を行使せざるを得ない。つまり非武装国民抵抗とは権力奪取のための戦略の一種でしかなく、一旦権力奪取に成功した後まで非暴力国民抵抗戦略をとるべきとはいっていない。実際、非武装の「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制側がどのようにして体制を維持するのであろうか。宮田光雄先生をはじめ非武装国民抵抗運動の主張者は、「真のデモクラシーの精神」があれば、軍事力はもちろん警察さえなくても体制は維持できるとお考えなのだろうか。論理的には、そのように主張しなければ整合性がとれないし、また憲法9条の非暴力主義はそれを求めている。憲法9条は憲法9条体制を守ることも非暴力であることを要求する歴史上はじめて(多分。もし先例があったとして、恐らくそのような「憲法」をもった国は歴史からは消えている)の画期的な憲法といえる。

2009年7月28日火曜日

憲法9条と「新しい戦争」③非武装抵抗戦略の問題

 憲法9条と「新しい戦争」➀で長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』(ちくま新書465、2004年)を紹介した。長谷部によれば、憲法9条を「準則」として遵守し、自衛隊を廃棄し国家による自衛も否定すれば、日本が侵略された場合には、第1に群民蜂起やパルチザン戦による侵略軍への武装抵抗、第2に非暴力不服従、第3に一切の抵抗をせず侵略・支配を受け入れる「善き生き方」としての絶対平和主義の実践、第4に「世界統一国家による『全世界を覆う警察サービス』の実現という四つの戦略があるという。
 長谷部の戦略の前提となっている憲法9条は、憲法前文とあわせて理解すべきだと考える。すなわち前文には本文を拘束する法規範性があるのであり、前文を無視して憲法9条は存立しないし、前文抜きの戦略は有り得ない。そこであらためて前文の重要な部分を抜き出してみる。
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
 「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」との部分からは、日本国民は国内外の人々を問わず全ての人間相互の関係において崇高な理想が支配していると深く自覚しており、また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との部分からは、他国の国民が平和を愛しているおり、日本国民はかれらの公正と信義を信頼しているとの決意が述べられている。この決意を素直に読む限り、日本国憲法は性善説に基づき、世の中全ての人は善人であり他人や他国民を傷つけることなど有り得ないという前提にたっている。だからこそ憲法9条で軍隊も持たず、戦争もしないということが意味を持つのである。さらに善人しかいない世の中であれば警察力も必要のない、一切の暴力を排した絶対平和主義を前提にした憲法なのである。自衛隊が違憲ならば、海上保安庁も警察も裁判所も違憲である。なぜなら世の中に悪人はいないことが憲法の前提だからである。
 したがって、絶対平和主義の憲法でとりうる戦略とは、実際には長谷部のいう第3の戦略しか取り得ない。なぜならそれ以外の戦略は、憲法前文の精神に反して「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないからである。この絶対平和主義の戦略が非現実的などということは全くない。われわれは戦後、厳密には冷戦時代は、少なくとも米国(あるいは西側諸国)の世「公正と信義に信頼して」、一切の抵抗をせず「米国」の侵略・支配を受け入れる「善き生き方」としての絶対平和主義を実践してきたのである。たしかに自衛隊は創った。しかし、それもまた「米国の公正と信義に信頼」した「善き生き方」として受け入れてきたのである。
 ところでいわゆる護憲派の中には、第2の戦略である非暴力不服従すなわち非武装抵抗を主張する人たちが多い。上述したように、非武装抵抗運動そのものは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないという意味で憲法前文に反しており、自衛隊による武力行使に反対する護憲派もまた同様に違憲の非武装運動を主張しているのである。それを別にしても、長谷部も主張するように、非暴力不服従戦略は問題の多い戦略である。
 そもそも非暴力不服従運動がまるで無血運動であるかのように捉えられていることに大きな問題がある。非暴力不服従運動は時には武力以上の犠牲を強いる運動である。実際、ガンジーの非暴力運動でも6000人以上の犠牲者を出している。ガンジー自身も非暴力不服従が無血の運動などとは一切口外していない。それどころかユダヤ人の虐殺について、仮に民族が全滅しても非暴力を徹底すべきだといっていた。非暴力運動に犠牲はつきものであり、ガンジーは最後は非暴力運動に殉死した。
 日本で非武装不服従運動について一般書を著したのは神学者の宮田光雄氏である。彼は『非武装国民抵抗の思想』(岩波新書、1971年)で、イギリスの海軍提督キング・ホールの『核時代における防衛』(1958年)を参考に日本の非武装抵抗運動について語っている。キング・ホールを含め欧米には戦略論として非武装抵抗論を主張する学者は多い。中でも非暴力戦争のクラウゼヴィッツとしてジーン・シャープ(Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One: Power and Struggle, MA: Porter Sargent, 1973) が特に名を知られている。しかし、宮田、ホール、シャープの誰であれ、彼らの非武装抵抗戦略論には致命的な欠陥があり、現在の「新しい戦争」には適応できない。
 その問題は合理性と倫理性の二つに大別できる。
 第1の問題は合理性である。非武装抵抗戦略論の理論的前提は、核戦略論と同様に合理的主体モデルである。
 そもそも非武装抵抗戦略は、宮田、ホール、シャープにしても冷戦時代に著作を執筆していることでもわかるように、核時代の核戦争を前提にした戦略論である。つまり核戦略論と対をなす「旧い戦争」の戦略論である。「新しい戦争」の時代に入った今日、核戦略論の有効性が失われたように核戦略の対抗戦略としての非武装国民抵抗戦略は時代後れになった。
 「旧い戦争」と「新しい戦争」の特徴を比較してみると次のようになる。
【旧い戦争】                 【新しい戦争】
➀国家間戦争                  LIC(低強度紛争)
②全面戦争                   限定戦争
③核兵器                    精密誘導兵器
④配分価値をめぐる戦争             承認価値をめぐる戦争 

 非武装国民抵抗が前提とする戦争は、上記の「旧い戦争」である。たしかに「旧い戦争」には合理的戦略として非武装国民抵抗が有効な場合もある。たとえば全ての非武装抵抗論が前提にしているのが、国家間の全面戦争の場合、とりわけ核兵器が使用されるような場合には、戦争による犠牲と非武装抵抗による犠牲とを比較考量すれば、経済的、政治的にも非武装抵抗の方が合理的な場合がある。つまり核兵器で全滅するよりは降伏や侵略を受け入れて、他日を期したほうがよい場合がある。こうした合理的判断が有効なのは、相手国が合理的に判断し、相手国を核攻撃して全滅させるよりは、占領、支配して自国の利益にかなうようにさせる方がよいとの功利主義的判断をした場合のみである。非武装国民抵抗運動は、こうした国家を合理的主体とみなし、いずれの国家も国益を最大化するために合理的に、功利主義的に判断するとの前提にたっている。この判断は核戦略や現実主義の戦略理論と全く同様である。シャープが非暴力戦争のクラウゼヴィッツと呼ばれるのもこうした合理主体モデルや功利主義的戦略に基づいているからである。
 一方現在の「新しい戦争」では、紛争主体は国家とは限らない。むしろテロ、ゲリラ組織、犯罪集団、民族組織、宗教団体等、武装した非国家主体が主流である。こうした非国家主体によるいわゆるLICが国家間戦争に変わって武力紛争の中心を占めるようになっている。また使用される兵器も核兵器のような大量破壊兵器ではなく、自爆テロのような爆弾や、それに対抗するための精密誘導兵器である。被害も極限化される。たしかに無辜の市民が巻き添えになる可能性は否定できないものの、核戦争のような大量破壊による巻き添えとは比較にならないくらいに犠牲者の数は極限化される。だから武力行使の方が非暴力よりも犠牲が少ない場合も出てくる。
 たとえば一般には非武力的手段とみなされている経済制裁である。以前のブログにも書いたがイラクに対する経済制裁では最初の10年間で100万が死亡した。一方イラク戦争での犠牲者はそれよりもはるかに少ない。武力が常に他の手段よりも犠牲者が多いというのは、核戦争や国家間の全面戦争(しかも第1次、2次世界大戦型。湾岸戦争やイラク戦争にはあてはまらない)の場合だけである。したがって、合理主義的、功利主義的判断に基づく非武装国民抵抗戦略は核戦略がそうであったように冷戦時代の遺物といってもよいだろう。
 そして何よりも問題は、「新しい戦争」は承認をめぐる戦争だということである。つまりナショナリズム、宗教、思想などアイデンティティが争点となる戦争である。この戦争には一切の妥協はない。「旧い戦争」が主として領土の割譲、占領など経済的利益の配分をめぐる戦争であり、足して二で割るという妥協が可能な戦争であるのとは全く対照的である。一種の宗教戦争のような戦争こそが「新しい戦争」の本質である。したがって非武装であろうがなかろうが、抵抗する限りすなわち自分たちのイデオロギーを受け入れない限り、殲滅される可能性は否定できない。「新しい戦争」は非武装抵抗戦略が考えているように、すべての戦争を経済的問題すなわち配分をめぐる戦争には還元できない。非武装抵抗戦略は配分をめぐる戦争には有効な場合もあるが、承認をめぐる戦争では全く無効である。
 非武装国民抵抗の第2の問題は倫理性である。
 非武装国民抵抗は、自らは主体的に暴力を使わない。それは上記の合理モデルによれば暴力を使用することが非倫理的であるからではなく、むしろ非合理的であるからである。単純に言えば、上述したように武力抵抗よりも非暴力抵抗の方が犠牲が少ないとの合理主義的、功利主義的判断だからである。しかし、抵抗側には犠牲者が生れることを覚悟しなければならない。しかもその覚悟はだれからの強制でもなく自発的でなければならない。非武装、非暴力を物理的にでなくても心理的にでも強制すれば、それは非暴力ではなく暴力でしかない。それこそ非武装国民抵抗戦略の倫理に悖る。とはいえ全ての人が強制なしに自発的に一致団結して非暴力抵抗運動に参加できるのだろうか。
 よしんば、子どもも老人も皆がみずからの命を犠牲にして非武装抵抗に協力したとしても、非武装国民抵抗戦略には倫理的問題が残る。すなわち「殺さない」ということは実践できたとしても「殺させない」という倫理が実践できないからである。真の非暴力主義とは「殺さない、殺させない」ということである。相手にも暴力を行使させないことこそ真の非暴力主義である。しかし、非暴力武装抵抗は場合によっては多くの殉死を求めることになる。逆に言えば、相手が多くの人々を殺傷することになる。敵が暴力をふるうことの非倫理性だけではなく、それを傍観することの非倫理性も非武装国民抵抗戦略にはある。子どもを殺されるのを傍観できる親がいたとして、その親は非暴力を実践したとして称賛されるのだろうか、それとも人倫に悖る人非人として非難されるのだろうか。
 実はこの問題は、抵抗運動ではなく、人道的介入の問題としてわれわれの前に立ちふさがっている。非武装抵抗の多くは、武装介入しないほうが合理的に判断して犠牲者が少ないとの判断から、人道的武力介入にも反対している。合理主義的、功利主義的に正しいとしても、では虐殺を傍観することの非倫理性をどのように考えるのか。
 さらに非武装抵抗戦略の最大の問題は、合理的判断に立つのか、倫理的判断に立つのかという問題である。憲法を守る日本人の多くは、非武装抵抗運動は武力行使が非倫理的であるからという理由で非武装抵抗運動を支持するであろう。一方合理的判断に立った非武装抵抗運動は、場合によっては、武装抵抗運動の方が経済的、政治的に功利主義的に判断して有利になるとの判断に立つ。しかし、もし、合理主義的判断をはじめから否定するのなら、倫理的判断に立った非武装抵抗戦略と同じになる。つまり合理的判断に立った非武装抵抗戦略は、通常の武装抵抗戦略と本質的には変わらないということである。一方倫理的判断に立った非武装抵抗戦略は絶対平和主義の非武装無抵抗戦略と本質的には変わらないということである。
 冷戦時代の非武装抵抗戦略論が無効になった以上、憲法を遵守する限り、日本人は絶対平和主義戦略をとる以外に方法はない。その戦略とは具体的には、米国にさらに「侵略、占領され」米国と一体化し、自衛隊員に全員米国籍を与えて、自衛隊を米軍化するのである。そして「日系アメリカ人」の自衛隊による日本防衛により、良心的兵役拒否国家ではなくアーミッシュ国家になることである。憲法9条に基づく戦略とは、「アーミッシュ国家化」である。

2009年7月25日土曜日

新聞を止めるの記

 今月から朝日新聞の宅配を止めた。記事に不満があったからではない。無くても不便を感じないからだ。ここ半年、海外に出ることが続き、その度に新聞の留め置きをした。帰宅後、まとめて配達してもらい、読むことにしていた。しかし、実際には全く読まなかった。海外でもネットで主なニュースを読むことができたし、また大きなホテルでは日本のテレビを見ることもできた。あらためて読む必要もなければ、読む時間もなかった。その上新聞そのものが最近は読む記事が少なくなった。一面広告ばかりが目について、読みたい記事がほとんど無い日が多い。ざっと目を通すだけで終わりである。夕刊はもっと酷い。広告の間に記事が挟まっているとしか思えない。夕刊を開くことも無く捨てる日々が続いた。これでは地球環境に悪い。エコ・キャンペーンに賛同して新聞を止めた。 
 朝日新聞をはじめ全国紙は記事のデパートのようになっている。国内、国際、政治、経済、学芸、家庭、科学、芸能、スポーツ、番組案内と盛りだくさんだ。しかし、これらの分野の記事全てを必要としている人などまずいないだろう。私の場合には国内、国際の政治、経済ニュースがあれば十分だ。しかし、こうした分野の記事が最近少なくなっている。とりわけ国際面の記事の減り方は異常だ。今でも覚えているが、朝日新聞の国際面がまだ1頁しかなかったおよそ40年前に、朝日は当時のベトナム戦争の報道を充実させるために国際面を2倍にすると社告を出し、それ以来朝日の国際面は他の新聞を圧していた。しかし、最近、どうかすると国際面が1頁しかない日があった。そんな日は新聞をは読むのではなく、単に頁をめくって終わりである。ふと気付くと一番熱心に読んでいたのはテレビ番組欄で、しかもNHK衛星放送のドキュメンタリー番組欄だ。教材用に海外のドキュメンタリー番組を録画するために見逃さずに見ていた。こうして新聞は私にはあまり必要のないものとなってしまった。
 なぜこのようなことになったのだろうか。記事内容について文句があるから抗議のために講読を止めたのではない。自宅で朝、宅配された新聞を読んで情報を入れるという必要性が薄れたからである。しかし、入手する情報の量そのものは時々刻々といってよいくらいに増えている。テレビやネットで新聞のヘッドラインを確認し、必要があれば、売店で新聞を買う。最近買う新聞は決まっている。朝刊は産経新聞、夕刊は毎日新聞である。両紙とも経営悪化で取材力が弱いのか、日々のニュースはつまらない。面白いのは、コラム、解説、評論記事である。産経にいたっては記事がないのか、30年前の社説や社外の有識者のコラム、伝記、評伝の類まで掲載している。ニュースではなくオールズのオンパレードである。ストレート・ニュースはテレビ、ネットに譲ってしまったのか、月刊『正論』の日刊版の趣がある。朝日新聞も『論座』になれば面白いと思うのだが。
 さて長々と私の朝日新聞止めるの弁を書いたのは、佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年)に触発されたからだ。私が新聞を止めてもよいと思ったのは、決して私の個人的理由からだけではなく、マスメディアに今起きている激変のせいだということがわかった。一言で言うなら、新聞が情報時代に追いついて行けず、もはや情報を伝達するという使命が終わろうとしているということだ。
 情報の伝達は三層構造になっているという。コンテンツ、コンテナ、コンベヤである。新聞では、コンテンツは新聞記事、コンテナは新聞紙面、コンベヤは販売店である。現在、新聞社はこれら三つを全て牛耳っている。記者が新聞記事を書き、新聞社で印刷し、系列の新聞販売店が配達する。しかし、ネットの登場でこの流れが大きく変わった。コンテナがグーグル・ニュース、ヤフー・ニュースあるいはブログなどに変わり、コンベヤがインターネット回線になっている。変わらない部分は記事の作成である。現在、ネットで配信されている記事は依然として新聞記者が作成している。
 しかし、この部分もブログの書き手によって取って代わられる可能性がある。私がスリランカに入ったとき、日本の特派員は一人もいなかった。記者はインドでインドの新聞やテレビを見ながらスリランカの記事を書いていたのである。これならブログに書いた私の記事の内容の方が現地の状況を的確につたえているのではないかと思った。決して記者は現場を踏んで記事を書いているわけではない。ならば、記者よりは専門知識を持った私が書いた方がまだましな記事が書けるし、また私自身が現場に行けば記者よりもずっとよい記事が書ける。
 これまでは新聞紙面というコンテナを新聞社に独占されていたために一般人が記事を書いて配信することなど不可能であった。しかし、ネットのおかげで、われわれ一般人も記事の内容で記者と互角に対抗できる局面が生れたのである。ただし、簡単に対抗できるわけではない。そこには乗り越えなければならない山がいくつもある。典型的な例がネットのアマチュ新聞「オーマイニュース」である。同サイトは記事の内容と利益を挙げるためのビジネス・モデルの構築に失敗して今年4月に廃刊となりネットから消えた。 
 新聞社の存亡はもはやいかに内容のあるコンテンツすなわち記事を作成するかにかかっている。取材力は通信社に劣る。だからストレート・ニュースは通信社にませるしかない。残るは評論、解説、分析である。何のことはない、結果的に「産経新聞」化、「毎日新聞」化することが新聞社が生き残る道ということになる。両社は経営悪化のためにやむなく現在のような日刊評論紙になったが、いずれ朝日、読売もそうならざるを得ないだろう。逆に日刊評論紙になれば、それはわれわれも「オーマイニュース」が失敗したようなストレート・ニュースではなく、ブログ評論で対抗できるということである。必要なのは高い専門性を備えた知識である。
 蛇足ながら、ではこうしたメディアの変革は教育にどのような影響を及ぼすのか。教育も幅広い意味でメディアそのものである。コンテンツは講義内容、コンテナは学部やカリキュラム、コンベアは教室、大学施設である。コンベアをインターネットにする試みは行われているが、サイバー大学の例をみてもわかるが、なかなかうまくいかない。教育は基本的には対面販売が基本となるサービスである。一人一人の学生と直接に会って講義を伝達しなければ商品が無形のものだけに、なかなか消費者(学生)の満足は得られない。
 コンテナの改革はほとんどの大学が手を変え、品を変えて実施している。ここは大学運営の基本部分である。講義という商品を仕入れ、その品質を維持し、品揃えをよくし、大学のブランドをつけていかに消費者(学生)に売るか、大学経営者の腕の見せ所である。これに失敗するとブランド力の無い大学はあっと言う間につぶれる。
 教育の最大の問題は、コンテンツの部分である。たとえば従来の大学は徒弟制度の中で教員を養成し、講義(商品)を提供してきた。しかし、最近は大学での教員養成では間に合わないほどにコンテナが多様化したために外部の専門家を導入することが大幅に増えた。なにを隠そう、私もその一人である。情報時代が来なければ、私が大学教員になることなど全くなかったろう。コンテンツそのものは教員個人が作成しなければならない。それが質的に高いものでなければ、次々と教員の淘汰が起こり、外部の専門家と交代させられるだろう。学の独立、真理の探求などと高邁な戯言、寝言をいっている場合ではない。
 メディアという観点から見れば、ユーチューブに追い上げられているテレビも新聞もそして大学も置かれている状況はさほど変わらない。状況は質が問われる時代だということだ。考えてみれば、それはまさにメディアそして教育の原点でもある。

2009年7月21日火曜日

『名著で学ぶ戦争論』を読む


 若い気鋭の研究者の仕事ぶりを見て、嫉妬ではなく感心するようになったら年をとった証拠だ。そんな感想を抱かせる文庫本が出版された『名著で学ぶ戦争論』である。石津朋之、永末聡、塚本勝也、中島浩貴ら、まさに日本の安全保障研究をリードするいわゆる防研(防衛研究所)学派の少壮の研究者が書いた戦略研究の入門書である。軍事戦略の解説書といいながら、同書が取り上げている著作は、クラウゼヴィッツ『戦争論』のような純粋な軍事戦略の研究書だけではない。ヘロドトス『歴史』、トウ-キュディデス『戦史』、マキャベリ『君主論』、さらにはトルストイの小説『戦争と平和』に至るまで、歴史書、政治学書そして小説に至るまで幅広く渉猟している。
 個人的な感想を言えば、キッシンジャー『回復された世界平和』は小生が修士論文で取り挙げた著作で、興味深く解説を読んだ。「正当性秩序」と「革命秩序」という二つの中心的概念を用いてナポレオン戦争後の欧州の秩序回復の外交過程を描いた同書が、その後のキッシンジャー外交のイデオロギーとなった。そしてキッシンジャーは米国外交が忌避してきた「勢力均衡概念」に基づいて、ベトナム戦争、中東戦争、中国そしてソ連との冷戦を事例に現実主義外交を展開したのである。見方を変えれば、キッシンジャーは自らの世界観、理論に基づいて世界を作り替えようとしたのである。それは現実主義外交というより、現実主義という名の理想を掲げたきわめて理想主義的外交ではなかったろうか。つまり戦略論とは現実との応答の術というよりは、現実という名の夢を記した著作ではないだろうか。今から30年前に『回復された世界平和』と格闘した日々を思い出しながら解説を読んだ。
 もう一つ忘れられない本がある。クレフェルト『戦争の変遷』である。同書は主権国家戦争とは異なる戦争である「低強度戦争」について記した研究書である。小生の著作『現代戦争論』とアイデアは全く同じである。クレフェルトの『戦争の変遷』が1991年の出版、小著が1993年で、2年小著の出版が遅い。だから小著は二番煎じの誹りを免れないのだが、実のところ、防衛研究所の内部資料として小著はクレフェルトとほぼ同時の1991年に公刊した。
 「低強度紛争」の用語はすでに80年代半ばには専門家の間に知られており、小生も85年にスタンフォード大学のフーバー研究所に留学した際に一年間かけて「低強度紛争」について徹底的に調査した。その成果は「米国の対テロリズム政策の課題と問題」『国際問題』(第 320号、1986年)に発表した。『現代戦争論』の骨格は全てこの論文にある。その後、この論文を発展させて1991年に『現代戦争論』(実際には新書判よりもっと理論的であったが、新書にする際に理論部分は編集者の指示で割愛した)の元となる内部研究成果報告書を印刷した。そして1992年にひょんなことから中公の編集者の眼に止まり、新書の出版が決まった。ただし、条件は新書に向けて全て書き直すことであった。結局92年の約一年間かけて毎月一章ずつ書き直し、93年の夏に出版した。
 90年、91年と内部報告書の印刷の段階で徹底して先行研究調査をした。しかし、うかつにもクレフェルトの著作には気付かなかった。先行研究調査をしていたころにはまだ出版されていなかったからか、あるいはその題名The Transformation of Warという題名から小生と同じようなテーマを扱っていたことに気付かなかったのかもしれない。同書を知ったのは90年代の半ばすぎだったように思う。いずれにせよ先行研究調査の重要性を身に沁みて思い知った。同時に同じ研究テーマを追求している研究者が世界にもう一人いたことに、研究の方向性は間違っていなかったことを知って安心した。核戦略研究全盛の頃に防衛研究所で全く異端の「低強度紛争」やテロの研究をしており、単なる思いつきのアイデア倒れの研究ではないかといつも不安にかられていたらからだ。
別にクレフェルトに並べて小著をとりあげてくれというつもりは心底全くないが、気になったことがある。日本の軍事戦略書が全く取り上げられていないことだ。日本にはとりあげるに値する軍事戦略書はないのだろうか。たとえば北一輝『日本国家改造法案大綱』や石原莞爾『戦争史大観』は戦略論や戦争論には値しないだのだろうか。
 かねてから思っていたのだが、今日本でクラウゼヴィッツをはじめ『名著で学ぶ戦争論』をいくら学んでも、それは所詮他国のことであり、現在の日本にとってなんら得るところはないのではないか。「低強度紛争」をいくら研究しても、所詮それはアメリカの戦略であり、百歩譲っても、軍事力を国家の外交手段として行使できる国家の戦略論、戦争論でしかない。戦略論を学ぶ基本は、外交手段としていかに軍事力を用いるか、その術を学ぶことにある。しかし、憲法9条で外交手段としての軍事力の威嚇も行使も禁止されている日本にとって、古今東西の戦略論の名著を学んでも、なんらわが国の外交に裨益することはない。
 もし、日本に戦略論があるとするなら、憲法9条を前提にした戦略論でしかない。これは文字通り「丸い三角」を書けというのと同じである。軍事力を否定している憲法に基づいて、軍事力を前提にした戦略論を描くことなど不可能である。もし万一可能だとするなら、それは軍事力を前提にしない戦略論である。しかし、残念ながら、エラスムス、モア、カント、サン・ピエールなど古今東西の平和論、戦争論、平和論、戦略論のいずれであれ、一切の戦争や軍事力を否定した著作は一書もない。
 憲法9条という人類史上類例のない憲法をもった国家に暮らす我々が戦略論を「名著に学ぶ」ことなど全く不可能である。新たに「非武装・非軍事戦略」論を書くしかない。

2009年7月5日日曜日

殉死を求める憲法九条

  死んでも、自らの命を賭してでも憲法9条を守ろうという人たち増えていることに最近気がついた。
 随分上の世代だが、1926年生れ山口瞳が「私の根本思想」嵐山光三郎編『男性自身傑作選 熟年篇』新潮文庫、2003年)に次のように記している。
「人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯主義の理想主義である。
 私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか」(227頁)。戦前生れの山口瞳にとって無抵抗主義は大戦の経験が影響しているのであろう。
 私とほぼ同じ世代で1950年生れの中沢新一も、太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)で護憲のための犠牲を覚悟すべきだと次のように論じている。
「(中沢)・・・日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受け入れるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのとおりに生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕は、その犠牲を受け入れたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。」
「太田 憲法九条を世界遺産にするということは、状況によっては、殺される覚悟も必要だということですね。」
「中沢 突き詰めれば、そういうことです。無条件で護憲しろという人たち、あるいはこの憲法は現実的でないから変えろという人たち、その両方になじめません。価値あるものを守るためには、気持ちのいいことだけではすまないぞと。」
 まさに、その覚悟や、よし!である。憲法9条に殉ずる覚悟こそ真の護憲派に求められる心意気である。
  彼らの立場は、まさかの時には憲法9条とともに殉死する覚悟である。そしてかれら憲法九条殉死派に満腔からの賛意を呈しているのが、1965年生まれの専修大学教授田村理である。彼は『国家は僕らをまもらない-愛と自由の憲法論』(朝日新書、2007年)の中で、彼ら二人の意見を受けて、こう記している。
「まったく同感だ。だから、憲法9条をまもろうと言いながら、『自衛権』は日本国憲法でも当然認められるとし、『武力なき自衛権』に逃げ込んでしまった護憲派憲法学の多くを、僕は断じて支持できない。その『覚悟の甘さ』はすぐに人々に伝わり、憲法9条の魅力を欺瞞にかえた。首相でさえ『正当防衛権を認めることは戦争を誘発することになる』から自衛戦争も放棄するのだといい、文部省が『新しい憲法の話し』で中学生に『正しいことぐらい強いものはありません』と胸をはった時代もあったのに、憲法学が、『卑怯未練の理想主義者』になれなかったことが残念でならない」。
 彼ら三者に共通しているのは、無抵抗主義すなわち自衛権の放棄であり、国家によるいかなる武力行使も否定するということである。究極のところ「覚悟」をもって憲法9条に殉ずることである。
 憲法を字義どおりに解釈するなら、かれらの見解は全く正しい。そもそも、私がいつも言っていることだが、憲法の内容は義務教育を終えた普通の国民が理解できる範囲でなければならない。なぜなら憲法は、国民が国家に対し守るよう求めた国民からの約束だからである。しでもないこうでもないと憲法学者が解釈すべきものではない。そもそも憲法が学問の対象になること自体がおかしな話だ。
 ここでは憲法九条が自然権である自衛権を否定しているかどうかの憲法解釈をするつもりはない。結論から言えば、人間には自衛権すなわち正当防衛権はあるが、その類推としての国家に自衛権があると考えるのは間違いである。たとえばホッブズは人間の身体性から自然権としての自己保存の権利を正当化したが、国家については一言も触れていない。
 いずれにせよ、憲法九条が自衛権を否定しているのは、田村が記した通り、憲法制定当時は当然のこととしてみなされていた。また憲法九条の思想的淵源はカント(彼も人民の武装抵抗は肯定している)などではなく、第一次世界大戦後に澎湃として沸き起こったレビンソンやデューイらの「戦争非合法化」論にあるとの意見のほうが正しい(たとえば河上暁弘『日本国憲法第九条成立の思想的淵源』専修大学出版局、2006年)。さらに憲法9条の起草に携わり、徹底して日本の非武装化を画策したGHQ関係者や日本の平和主義思想の本流であるキリスト教徒とくにクウエーカー教徒の影響も大きいと思われる。とにかく憲法9条が自衛権も含め全ての国家権力による暴力行使を否定していることは疑いもない。つまり憲法九条は、憲法九条の理念を護るために、人々に憲法九条に殉ずることを求めているのである。上記の三人が求めている覚悟とは、憲法九条に殉ずる覚悟である。
 しかし、憲法殉死派のかれらの最大の問題点は、国民の生命、財産、人権を守るために国家の国民に対する約束である憲法が、その憲法を守るために国民自身が人身御供になるべきだという矛盾である。国民に護憲のために殉死を求める憲法というのは、国民に護国のために殉死を求める国家とどうちがうのだろうか。戦前は国家のために殉死を拒否する者は非国民と非難された。翻って、憲法9条のために殉死を拒否する者もやはり非国民として非難されるのだろうか。殉死した人は、護国神社ならぬ、護憲神社に英霊として祭ってもらえるのであろうか。護憲派の中でも非暴力無抵抗主義の絶対平和主義者と改憲派の武装抵抗主義の絶対現実主者と殉死を求めるという意味では全く変わらない。両者は合わせ鏡にしかすぎない。お互いに映る己の姿をひたすら相互に批判し続けている。それが己自身の姿だとも自覚しないままに。 

2009年7月3日金曜日

マイケル・ジャクソンWe are the World

 マイケル・ジャクソンが急死してあちこちのテレビ番組で追悼番組が放送されている。私自身はマイケル・ジャクソンを聴く機会はあまりなかった。彼の想い出といえば、まだジャクソン・ファイブ時代に兄弟と一緒に歌っていた幼いマイケルだ。NHKの番組だったような気がするが、歌がうまいので非常に印象に残っている。次に彼の想い出といえば1985年のSave Africa Campaignのテーマ曲「We are the world」を当時の一流のアーティストと一緒に歌っていた姿だ。レコーディング・スタジオでダイアナ・ロスと一緒に手をつなぎながら歌っていたシーンが今となっては印象的だ。
「We are the World」を聞いたのは、1985年の春か、夏かいつの頃だったか今となってははっきり覚えていない。ただ場所はよく覚えている。新宿三丁目の丸井の前を通りかかった時に突然、どこかの店から聞こえてきた。思わず足を止めて聞き入ってしまった。その年の秋、アメリカに留学した。アメリカでも何度も聞いた覚えがある。エチオビアの飢餓を救えというキャンペーンがフタンフォードのキャンパスでも繰り広げられていた。全米でアフリカを救えというキャンペーンが展開されていた。
あらためてビデオを見ると、本当に懐かしい顔が勢ぞろいしている。ネットで調べると次の順番で出演している。
ライオネル・リッチー → スティーヴィー・ワンダー → ポール・サイモン → ケニー・ロジャース → ジェームス・イングラム → ティナ・ターナー → ビリー・ジョエル → マイケル・ジャクソン → ダイアナ・ロス → ディオンヌ・ワーウィック → ウィリー・ネルソン → アル・ジャロウ → ブルース・スプリリングスティーン → ケニー・ロギンズ → スティーヴ・ペリー → ダリル・ホール → マイケル・ジャクソン → ヒューイ・ルイス → シンディ・ローパー → キム・カーンズ → ボブ・ディラン → レイ・チャールズ → スティーヴィー・ワンダー&ブルース・スプリングスティーン → ジェームス・イングラム
このうちの半分の歌手は、普段あまりアメリカの音楽を聞かない私でも知っている。特にダイアナ・ロスには強い想い出がある。彼女がまだシュプリームズで歌っていた1972年だったと思うが、アルバイトをしていた「ニューラテン・クウォーター」でジュープリームズのショーがあった。舞台の袖で彼女の歌を聞いたときには、本当に仰天した。歌がうまいとか、声がいいとかといったことを遥かに超越して、ただ、ただ感動だけが残った。今でも彼女の後ろ姿ははっきりと覚えている。
 「We are the World」はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作になっているが、実質的には8割をマイケルが作ったらしい。そう思って歌詞を読むと、マイケルらしいフレーズが出で来る。サビの「We are the World, We are the Children」はデイズニーランドの It's a small world やマイケルが造ったNever Landの世界をイメージしているのではないだろうか。
Save Africa Campaignも「We are the World」もある意味で偽善めいた行為かもしれない。当時も、そうした批判は聞かれた。しかし、今あらためて「We are the World」を聴いてみると、四半世紀の時を越えて、すなおに感動を覚える。偽善でもいい。たしかに
「We are the World」は世界中の多くの人々に感動を与え、そして人々の眼をアフリカに向けさせることに貢献した。
たしかにアメリカという国はベトナム戦争、イラク戦争など多くの人々を戦火に巻き込むような悪いこともした。しかし、その反面、Save Africa Campaignのように良いことも数限りなくしている。それだけダイナミズムにあふれる国家なのだ。だからこそ中東や中南米そして世界中の反米の人々でさえも、亡命先のいの一番にあげるのがアメリカなのだ。
翻って我が日本はどうだろう。悪いこともしなかった代わりに、良いこともほとんどしていない。コクーン(繭玉)の中で永遠に幼虫のまま蠢いているだけだ。

2009年7月2日木曜日

自主核武装再考

 北朝鮮はどんなことがあろうとも核兵器を放棄することはなさそうだ。早稲田大学の重村智計は近著『金正日の後継者』でも繰り返し力説している。彼は、北朝鮮がまだ核兵器をミサイルに搭載できるほどに小型化できていないとの前提にたっている。アメリカの研究者シーラ・スミスもミイサル搭載できるほどには至ってないと推測している。恐らくそうかもしれない。しかし、それは現時点での話であって、これまでの北朝鮮の核開発の歩みを見れば、将来的には確実に小型化し、少なくともノドンミサイルには搭載できるようになることは確実だ。私自身はパキスタンとの「共同開発」ですでにノドンに搭載できる程度(一トン程度)には小型化を完成しているのではないかと考えている。いずれにせよ、日本は遠からず本格的に核武装した北朝鮮と向き合わなければならなくなるだろう。
 最も好ましい解決策は、内部からの自壊であれ外部からの破壊であれ、金正日体制が崩壊して韓国同様の親米、親日体制が誕生し、核兵器を放棄するのを待つことである。しかし、中国が北朝鮮の崩壊を望んでおらず、この解決策は希望にしかすぎない。最もありうるシナリオは今後も金王朝が続き、北朝鮮がさらに核武装を強化することである。この場合の解決策は二つ。一つはアメリカの核の傘を強化する。今一つは日本の自主核武装である。
 前者のオプションについては、これまでも何度か述べてきたが、アメリカの核の傘は開かない、あるいは開いたとしても破れ傘である。最近、日本の自主核武装論が澎湃として沸き起こってきたことに懸念を示したアメリカ政府から、日本への拡大抑止の強化について発言があいついでいる。たとえばトーマス・シーファー前駐日大使は、その立場もあるのだろうが、拡大抑止の有効性を主張している。「米国は東京のためにニューヨークを危うくはしないと(日本人は主張することがあるが)、でもわれわれはそうしてきた。60年間にわたって。そして、それは今後も変わらない」(「ハロランの眼」『産経新聞』09年7月1日)きた。
 思い出せばそうだった。ただし、冷戦時代は。冷戦時代には日本へのソ連の攻撃は、極東米軍への攻撃であり、米軍世界戦略への直接攻撃であった。しかし、北朝鮮の核は、米軍やましてや米本土には何ら脅威とはならない。北朝鮮のミサイル発射を前にして、ゲーツ米国防長官は3月29日、FOXテレビの番組で、北朝鮮のミサイルがハワイなど米国の領域を標的としたものでない限り、米軍がミサイル防衛(MD)で迎撃することはないとの見解を示した。もちろん、これは今回の北朝鮮のミサイルに限ったことで、核ミサイルの脅威から日本を守らないと言っているわけではないとの見方もある。たしかにその後5月30日に、日本に対し核の傘を確約している。ただし、今のところ口約束にしかすぎない。韓国や欧州諸国のように、どのような場合に、どのようにして核兵器をしようするのか現時点では日米間では明確に文書化されていない。たとえ文書化されたとしても、最後は米国の決断しだいだ。米国の善意をあてにする以外にない。
 いくらゲーツ国防長官が拡大抑止の強化を約束しても、肝心のオバマ大統領がはたして本当に日本のために核兵器のスイッチを押してくれるだろうか。以前のブログ「核の傘は開かない」でも書いたが、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見すなわち「国際法の現状から見て、また確認できる事実の要素から見て、核兵器の威嚇または使用が、ある国家の生存そのものが危機に瀕しているような自衛の極限的状況において合法であるか違法であるかを、ICJは明確に決することができない」(意味するところは、自衛の極限的状況でなければ違法ということである。北朝鮮の日本に対する核攻撃は、いかなる意味においても米国の自衛に対する極限的状況とは言えない)に従えば、オバマ大統領が日本のために核兵器を北朝鮮に使用することなど考えられない。ましてや彼はプラハで核の全面廃棄を世界に向けて公約したのだ。万一核を使用すれば、「人道に対する罪」でハーグ国際裁判所に戦犯として訴追されかねない。数千人の虐殺の罪で元ユーゴ大統領ミロシェビッチは被告人になったのだ。数万人もの犠牲を覚悟で、ましてや日本のために、戦争犯罪人の汚名を覚悟でオバマが核兵器のスイッチに手をかけるわけがない。
 日本に残された道は自主核武装である。何度も記すが、自主核武装というと、一気に核兵器の開発、配備とおもわれがちだが、そうではない。核兵器はきわめて政治性の強い兵器である。したがって、自主核武装というカードは政治と密接に関連づけながら北朝鮮に対して政治カードとして切っていく必要がある。まずは自主核武装の可能性をほのめかす。今がその段階である。日本の自主核武装論の声は、国際社会にさざなみのように伝わりはじめ、国際政治を状況化させはじめている。
 状況が日本側に好転しはじめたら、その段階で自主核武装戦略は打ち切ればよい。好転しなければ、次の段階に進む。政府首脳によるほのめかし、政策決定、開発着手と進めていく。そして開発は設計、コンピュータでの実験(データがないのでうまくいかどうかは不明だが)など、政治状況にあわせて細かな段階を経てエスカレートさせていく。そして最終的には、脱兵器化の段階すなわち核物質と核弾頭とミサイルを分離した状態で保管するのである。これであればNPTにも違反せず、IAEAからも脱退する必要はない。また非核三原則にも違反しない。
 ひところ米ロの核軍縮を訴えて注目を浴びた元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが最近、日本の核武装を主張しているという。現実主義者の眼から見て、日本の核武装は合理的判断なのだろう。いずれにせよ日本は岐路に立たされている。お守りのように憲法手帳を身につけ、憲法の前文をお経のように読経し、憲法9条を写経のごとく写九し(実際に行っている小中学校があるという)、祈りの中で非暴力主義を徹底して、ガンジーやキングのように殺されるか。それとも田原総一郎氏がいうように巨額の経済協力という「みかじめ料」を払って、殴り込まれないようにするか。今こそ日本は正念場を迎えた。

2009年6月28日日曜日

民主党の安全保障政策

 民主党がいよいよ政権を奪取しそうだ。だからだろうが、アメリカでも民主党の安全保障政策に不安を覚える声が高まりつつある。議会でハーバード大学のジョセフ・ナイ教授をはじめいわゆる知日派の人々からは、民主党が政権を取れば日米同盟に摩擦が起きかねないいとの懸念がしきりにマスメディアに流されている。
 民主党が取るべき戦略は、米国に見捨てられないようにこれまで以上に米国に「思いやり」をかける「勝ち馬戦略」をとるか、あるいは日米中の正三角形による対等な関係を結ぶ「勢力均衡戦略」をとるか、あるいはまた国連や東アジア共同体を重視する「多国間協調戦略」のいずれかである。「勝ち馬戦略」は自民党主流派の政策であり、また民主党では長島昭久、前原誠司ら親米派が主張している。対米独立的な「勢力均衡政策」は自民党では加藤紘一ら非主流派、民主党では親中派が主張している。国連重視は小沢一郎、アジア共同体構想は鳩山一郎、アジア非核地帯構想は岡田克也の主張である。ところで民主党はいずれの戦略をとるのか。政策原案集を見ても、いまだに不明瞭だ。
 大国と同盟を結ぶ小国には常に見捨てられ論と巻き込まれ論の二つの恐怖がつきまとう。冷戦時代のように米ソ核戦争に巻き込まれる恐れはなくなったものの、今もなお自民党は見捨てられないようにできる限り米国に思いやりをかけるべきだと主張している。しかし、冷静に考えてみれば、安全保障環境は9.11同時多発テロ以後激変している。96年の再定義で「アジア・太平洋の平和と安定に欠かせない」はずの日米安保は、米中の戦略的協力関係に取って代わられようとしている。日本の最大の脅威である北朝鮮の核問題も北朝鮮には対米、対中問題でしかない。日本の最大の外交カードである経済力も中国に追い抜かれるのは必至だ。強いと自惚れていた自衛隊の戦力も憲法9条で自縄自縛の上に防衛予算の実質的な削減で弱体化しつつある。今や日本の安全保障上の地位はアジア・太平洋でも国際社会でもじり貧状態にある。
 このような安全保障環境の下で民主党がいずれの戦略をとるにせよ、実は憲法改正かもしくは集団的自衛権の解釈の変更による、より積極的な安全保障政策は避けられない。民主党親米派の「勝ち馬戦略」に基づく対米関係強化政策はアフガンをはじめ国際紛争で日本がどれほど軍事的な対米協力ができるかにかかっている。それは自民党以上の「思いやり」政策となる。対米自主独立派の「勢力均衡戦略」に基づく日米中正三角形政策は、対米、対中との勢力均衡を図るためになおのこと日本の軍事力の強化が求められる。鳩山由紀夫代表の祖父鳩山一郎ばりの改憲、軍備強化が必要だ。また「多国間協調戦略」に基づく小沢一郎代表代行の国連重視政策では国連憲章第41条、42条に基づく自衛隊の海外派遣を覚悟しなければならない。さらに同戦略に基づく鳩山代表の東アジア共同体構想や岡田幹事長の北東アジア非核地帯構想では、北朝鮮、中国、ロシアの核保有国と対等に交渉しようとすれば、潜在的核兵器開発可能国として日本はそれなりの覚悟を決めなければならない。北朝鮮はもちろん中国やロシアが核放棄や核軍縮、非核地帯化について非核国の日本を対等な交渉相手国とみなすことなどありえないからだ。
 今こそ民主党は、見捨てられるかもしれないと怯える自民党の臆病なタカとなるよりも、獰猛なハトとなって「百万人といえども我ゆかん」の自主独立の気概をもって憲法を改正し集団的自衛権を明確にし、日米安全保障条約の再々定義により対米軍事依存から脱却し、アメリカの核の傘から出るために少なくとも脱兵器化核武装を宣言し、国連憲章第41条、42条、43条に基づき国連軍への自衛隊参加を明言し、それらの政策を実践する覚悟を決めなければならない。それが民主党が責任ある政権与党となる唯一の方策である。

2009年6月14日日曜日

対北朝鮮国連制裁に秘められた米中の戦略

 北朝鮮に対する国連安保理決議が採択された。決議は、高須国連大使が胸を張って言うほどには実質的な意味を持たない内容となった。北朝鮮に入港する船舶の検査も各国に要請するだけで、義務化はできなかった。もっとも義務化した場合に、北朝鮮船籍の船舶検査をする場合に日本は困った立場に置かれたことだろう。海上自衛隊や海上保安庁が公海上で船舶検査を行うには現行法では周辺事態法を摘要しなければならない。つまり「武力攻撃」が差し迫っているという前提条件が必要だ。それこそ、北朝鮮が言うように、船舶検査は事実上の戦争行為である。恐らくはどこの国もそうした切迫した事態を避けるために、北朝鮮船籍の船舶に対しては、核兵器関連物資など禁止品目を積載していると「信じるに足る合理的情報がある」と認定できないとの理由をつけて船舶検査を実施しないだろう。北朝鮮以外の船舶への検査を実施してお茶を濁すということになるのは目に見えている。
 核実験から17日も経ってやっと国連決議が採択されたこと自体、北朝鮮に対する制裁が本気でないことの証である。北の核兵器が脅威となっているのは日本だけである。だから米国も含めて中国もロシアもその他の安保理事国も北の制裁には熱心になれない。オバマにとって最優先の政策は国内経済の建て直しである。それには中国の協力が不可欠である。また核脅威についても盟邦イスラエルへの脅威となるイランの核開発、またがテロ組織に渡るおそれのあるパキスタンの核のほうが北朝鮮の核よりもはるかに米国にとっては深刻だ。核不拡散体制が事実上崩壊した今、北への核拡散を阻止して核不拡散体制を維持することよりもイランやテロ組織への個別の核拡散にどう対応するかが問題だ。
 だからか、米国はすでに北が核兵器保有国であることを前提にして外交を行っているようだ。ブッシュ政権の末期以来、アメリカは北朝鮮に対してはほぼ一貫して宥和政策を取り続けている。今回の制裁決議も表向き強硬姿勢を見せているが、実質的には中国の対北朝鮮宥和政策をいいわけに米国も宥和的姿勢に終始した。オバマ政権は米朝の二国間交渉開始の時機をうかがっているのであろう。そのきっかけは現在拘束されている二人のジャーナリストの解放交渉になるだろう。3ヶ月先か半年先かはわからないが、いずれは米朝二国間交渉が始まり、日本は置いてきぼりをくわされるのは必至だ。
 米朝交渉が始まるまでは、北朝鮮は核実験やミサイル発射で盛大に危機を煽ることだろう。もはや米朝直接交渉しか解決の方法はないとの国際世論を醸成するのである。そして最終的に米朝国交回復、平和条約締結によって朝鮮戦争の終戦を宣言するのである。中国を仲介人にすでに米朝の間ではこうしたシナリオができているのではないか。米朝そして中国の3カ国による三文芝居をこれからわれわれは見せつけられることになるだろう。だから北朝鮮がもはや6者協議にもどることはない。静岡県立大の伊豆見元教授がNHKニュースで自身たっぷりに、いずれ北朝鮮は6カ国協議に復帰するとコメントしていたが、はたして私と彼との予測でいずれが正しいだろうか。興味深い。
 いずれにせよ日本の政治的、経済的地盤沈下は著しい。もはや日米同盟は形骸化しつつある。おなじく地盤沈下しつつある韓国は、こうした情勢の変化を素早く察知したのか、米国に対し核の傘を保証するよう、今月16日に米ワシントンで行われる米韓首脳会談での合意文書に明記するよう求めている。米韓同盟の再保証措置である。私の記憶に間違いがない限り、日米同盟にはこうした明文規定はない。何度もこのブログで取り上げているように、日本に対する核の傘は開かない。
 最悪のケースは北朝鮮による日本への核攻撃が行われ、米国も反撃もせず日米同盟が破綻し、日本も憲法9条の下でなにもできないままに日本が弱小化していくという事態である。日本が破綻したところで米国も中国も、ましてや韓国、北朝鮮が破綻するはずもない。休戦協定が平和協定になり朝鮮半島問題が米朝韓中の間で解決すれば、その時日本は核保有国に囲まれ、さらに憲法9条によって完全に事実上の非武装国家化し極東の小国となるのだろう。朝鮮戦争の勃発によって止むをえず図日本の再軍備を認めたために実現できなかったが、それこそ米国が第2次世界大戦終戦時に望んだことだ。米中安全保障体制が日米安全保障体制に代わる日は近い。北朝鮮の核問題はそうした米中両国のアジア戦略の一貫にすぎない。

2009年6月7日日曜日

朝日と産経の差のない対北朝鮮政策

 昨日(2009年6月6日)日本の対北朝鮮政策について対照的な記事が朝日と産経に掲載された。一見全く真逆の見解のようでいて、実は両記事とも本質的に同様の政策、すなわちいかに米国との同盟を強化するかという対米政策の強化を主張しているにすぎない。
 朝日も産経も程度の差こそあれ、自民党を中心に一部の議員が主張している「敵基地攻撃論」に否定的である。では日本にはどのような政策があるのか。朝日の社説はこう主張する。「北朝鮮の脅威が深刻であればあるほど、米国との信頼、近隣国との結束を固めるべきだ」。一方産経の「くにのあとさき」(湯浅博)は西ドイツがパーシング2を導入したように、日本も「米国核」を導入せよと主張する。そして「日本が巡航ミサイルを持つにしろ、『米国傘』導入の検討にしろ、米国との協調なくしては成り立たない」と続ける。期せずして、普段なら意見が対立することが多い両紙が同じ日に対米協調を主張したのである。
これは、もはや対北朝鮮政策では対米協調以外に打つ手がないという日本外交の手詰まりを如実に示している。
 たしかに、北の核保有そして北の核保有を利用しながら対米交渉や対アジア戦略を進めている中国外交を考えれば、一見、最後の頼みの綱は米国以外にないように思われる。しかし、外交はギブ・アンド・テイクの関係である。日本がいくら対米協調を望んだところで一体日本は何をギブできるのだろうか。両紙とも具体的にどのようにして対米協調をはかるか、具体的な提案は全くない。
 冷戦時代ならソ連や中国に対する前方展開基地として日本は戦略的価値があった。しかし、今や戦略的価値は著しく低下している。では苦境にある米国経済への支援ということになるのだろうか。とはいえ米国の自動車産業を壊滅に追い込んだのは日本だし、また米国債を買い支える役割も中国に奪われている。残るは沖縄の普天間基地移設問題の早期解決や米軍のグアム移転費用の負担増加ということになるのだろうか。しかし、民主党が政権をとれば、こうした対米思いやり政策は白紙撤回されるだろう。
 そもそも、冷戦時代のような安全保障を事実上金で買うような同盟関係のあり方はもはや通用しない。同盟とは、相手のためにともに血を流す関係である。日本は流さないが、アメリカには流してもらうというご都合主義的関係を精算しないかぎり、米国の核の傘も開かなければ、米兵が日本のために血を流すということもないだろう。
 オバマ政権が日本に望むのはアフガニスタンでの日本の協力だろう。北の核の脅威に備えて、対米協調を望むのなら、直近の政策としては、憲法改正は間に合わないからせめて憲法解釈を変更して集団的自衛権を認めて米国の対アフガン政策に協力するのが最も適切ではないだろうか。その上で、長期的には以前にも述べた日本の脱核兵器化核武装政策をとるのがよいと思うが、いかがだろうか。

2009年6月5日金曜日

コンラッド『密偵』を読む


 「暴力・連帯・国際秩序」の題名に惹かれて『思想』(岩波書店、2009年4月)を購入した。その中に興味深い論考があった。中村研一「テロリズムのアイロニー-コンラッド『密偵』の表象戦略-」である。ジョセフ・コンラッド『密偵』をテキストに、テロとは何かを明らかにしようとする論文、否、文学評論といってよいだろう。中村は、作者コンラッドやテロ研究者ウォルター・ラカーの言葉を引用しながら、文学の社会科学に対する優位を認めている(31-32頁)。中村はこの評論で、『密偵』をテロという視点から、そこに関わるさまざまな人物、主人公ヴァーロック、その妻ウィニー、妻の弟のスティーブ、ヴァーロックにテロを使嗾するロシア大使館員ウラジミール、爆弾作りのプロッフェッサー、アナーキストのミハエリス、ロンドン警視庁の警視官などの心理描写を通じてコンラッドが『密偵』でどのようにテロを物語ったか、そして読まれてきたか、さらにどのように読まれるべきかを考察している。
 テロ研究では社会科学は文学に負けるというのは、悔しいが納得できる。特に9.11同時多発テロは、私も「ニヒリズム・テロ」(拙著『テロ』中公新書、2002年)と名付けざるを得なかったように、近代合理性の枠組みでは理解不能な現象である。だからこそ、1894年に起こった「グリニッジ爆弾事件」を題材にとった1907年出版の『密偵』であっても、そこに描かれたアナーキストの心理を誰もが参考にしたいと思うのであろう。たしかにテロリストを主人公に、テロの政治ではなくテロリストの心理を描写した小説は多くはない。ましてや世界的な名声を得た小説となると、恐らく『密偵』一冊くらいか。『密偵』が政治小説やハードボイルドであったなら、これほどまでに現在、読み込まれることはなかったろう。実際、私はうかつにも知らなかったが、特に9.11以降『密偵』がテロ研究者や実務家に多く読まれ、現在の自爆テロを少しでも理解しようとする努力が続けられているという。
 どんな名作でもそうだが、『密偵』の粗筋は、すこぶる簡単である。ロシア大使館の密偵であり同時にロンドン警視庁への情報内通者である主人公ヴァーロックがウラジミールに命令され、プロフェッサーのつくった爆弾を、知恵遅れの義弟スティーブに持たせてグリッニッジ天文台を爆破しようとする。ところがスティーブが途中で転んで、弾みに爆弾が爆発、目的を果たせないままにスティーブが吹き飛んだ。それをヴァーロックから訊いた妻ウィニーが弟の仇を討つべくヴァーロックを刺殺し、本人もまた船から身を投げて自殺する。この過程で登場するさまざまな人々の心の動きや葛藤が細密に心理描写される。波瀾万丈な筋立てというものは全くない。ひたすら登場する人物の考えや心理に焦点が当てられる。だからこそ今でも読み込まれる小説となっている。これがもし、当時の政治状況に焦点をあてた政治小説であったら、陳腐な駄作にしかならなかったろう。
 逆に言えば、この小説を現在の政治状況にあてはめて解釈することは誤読以外の何ものでもないだろう。だからこの小説を現代のテロという文脈にあてはめて解釈すること自体が誤りであろう。むしろ、コンラッドの名作『闇の奥』(映画『地獄の黙示録』の原作)の延長線上にある人間の本性の不可知性あるいはヨーロッパ近代に生れた近代主義的人間が抱える近代ヨーロッパの暴力性といった問題として読み解くべきであろう。
 グリニッジ爆弾事件が起こった19世紀末にはヨーロッパでは数多くの爆弾テロ事件が起きた。この時代は、丁度産業革命による農業時代から工業時代への時代の転換点であり、国家体制が封建国家から近代国家へ、そして人々もまた群集(マルチチュード)から個人への変容を強いられた時代である。こうした時代の境目には必ず社会的混乱、政治的腐敗、アイデンティティーの喪失などからテロ事件が起きる。現在のイスラムによる自爆テロもまさに工業時代から情報時代への時代の転換点、近代国家から脱近代国家への変容そして近代的自我の崩壊にともなう個人のアイデンティティーの喪失という中で起きた社会的、政治的そして人間的な事象である。
 最後に、中村の評論は最後の段落でもって破綻したようだ。彼はこう記している。
「コンラッドが描いたのは、アナーキストのルポルタージュでもなく、その思想の実証主義的再現でもなかった。当時の英国人たちがアナーキストに対して抱いた理念型を選び出し、それを戯画、モンタージュ、アイロニーなどの手法を用いて笑えるように表象したのである。その結果、通常の社会科学が表現し得ないテロリズムの内的真実を照明し、暴力に対応する戦略の提示に成功している」(48頁)。
「テロリズムの内的真実」とはどういうものかがわかっていなくては、このような表現はできないだろう。しかし、「テロリズムの内的真実」がわからないから科学は文学に負けているのだし、また「テロリズムの内的真実」がわからない限り、はたして文学が「テロリズムの内的真実」を明らかにしたかどうかも不明のはずである。現代のテロの問題は「テロリズムの内的真実」などというものがあるのだと前提にするその近代合理主義的姿勢を問うている。ましてや「暴力に対応する戦略の提示に成功している」などとは到底言えないし、コンラッドが対テロ戦略を明らかにしようなどとはおもってもいないだろうし、また『密偵』をそこまで読み込むことなどできない。とういよりも、そのような近代合理主義的な読み込みを拒否するのが現在のテロである。
 だから今必要なのは『密偵』を解釈することではなく、『密偵』に匹敵する文学を創造することである。 「暴力・連帯・国際秩序」の題名に惹かれて『思想』(岩波書店、2009年4月)を購入した。その中に興味深い論考があった。中村研一「テロリズムのアイロニー-コンラッド『密偵』の表象戦略-」である。ジョセフ・コンラッド『密偵』をテキストに、テロとは何かを明らかにしようとする論文、否、文学評論といってよいだろう。中村は、作者コンラッドやテロ研究者ウォルター・ラカーの言葉を引用しながら、文学の社会科学に対する優位を認めている(31-32頁)。中村はこの評論で、『密偵』をテロという視点から、そこに関わるさまざまな人物、主人公ヴァーロック、その妻ウィニー、妻の弟のスティーブ、ヴァーロックにテロを使嗾するロシア大使館員ウラジミール、爆弾作りのプロッフェッサー、アナーキストのミハエリス、ロンドン警視庁の警視官などの心理描写を通じてコンラッドが『密偵』でどのようにテロを物語ったか、そして読まれてきたか、さらにどのように読まれるべきかを考察している。
 テロ研究では社会科学は文学に負けるというのは、悔しいが納得できる。特に9.11同時多発テロは、私も「ニヒリズム・テロ」(拙著『テロ』中公新書、2002年)と名付けざるを得なかったように、近代合理性の枠組みでは理解不能な現象である。だからこそ、1894年に起こった「グリニッジ爆弾事件」を題材にとった1907年出版の『密偵』であっても、そこに描かれたアナーキストの心理を誰もが参考にしたいと思うのであろう。たしかにテロリストを主人公に、テロの政治ではなくテロリストの心理を描写した小説は多くはない。ましてや世界的な名声を得た小説となると、恐らく『密偵』一冊くらいか。『密偵』が政治小説やハードボイルドであったなら、これほどまでに現在、読み込まれることはなかったろう。実際、私はうかつにも知らなかったが、特に9.11以降『密偵』がテロ研究者や実務家に多く読まれ、現在の自爆テロを少しでも理解しようとする努力が続けられているという。
 どんな名作でもそうだが、『密偵』の粗筋は、すこぶる簡単である。ロシア大使館の密偵であり同時にロンドン警視庁への情報内通者である主人公ヴァーロックがウラジミールに命令され、プロフェッサーのつくった爆弾を、知恵遅れの義弟スティーブに持たせてグリッニッジ天文台を爆破しようとする。ところがスティーブが途中で転んで、弾みに爆弾が爆発、目的を果たせないままにスティーブが吹き飛んだ。それをヴァーロックから訊いた妻ウィニーが弟の仇を討つべくヴァーロックを刺殺し、本人もまた船から身を投げて自殺する。この過程で登場するさまざまな人々の心の動きや葛藤が細密に心理描写される。波瀾万丈な筋立てというものは全くない。ひたすら登場する人物の考えや心理に焦点が当てられる。だからこそ今でも読み込まれる小説となっている。これがもし、当時の政治状況に焦点をあてた政治小説であったら、陳腐な駄作にしかならなかったろう。
 逆に言えば、この小説を現在の政治状況にあてはめて解釈することは誤読以外の何ものでもないだろう。だからこの小説を現代のテロという文脈にあてはめて解釈すること自体が誤りであろう。むしろ、コンラッドの名作『闇の奥』(映画『地獄の黙示録』の原作)の延長線上にある人間の本性の不可知性あるいはヨーロッパ近代に生れた近代主義的人間が抱える近代ヨーロッパの暴力性といった問題として読み解くべきであろう。
 グリニッジ爆弾事件が起こった19世紀末にはヨーロッパでは数多くの爆弾テロ事件が起きた。この時代は、丁度産業革命による農業時代から工業時代への時代の転換点であり、国家体制が封建国家から近代国家へ、そして人々もまた群集(マルチチュード)から個人への変容を強いられた時代である。こうした時代の境目には必ず社会的混乱、政治的腐敗、アイデンティティーの喪失などからテロ事件が起きる。現在のイスラムによる自爆テロもまさに工業時代から情報時代への時代の転換点、近代国家から脱近代国家への変容そして近代的自我の崩壊にともなう個人のアイデンティティーの喪失という中で起きた社会的、政治的そして人間的な事象である。
 最後に、中村の評論は最後の段落でもって破綻したようだ。彼はこう記している。
「コンラッドが描いたのは、アナーキストのルポルタージュでもなく、その思想の実証主義的再現でもなかった。当時の英国人たちがアナーキストに対して抱いた理念型を選び出し、それを戯画、モンタージュ、アイロニーなどの手法を用いて笑えるように表象したのである。その結果、通常の社会科学が表現し得ないテロリズムの内的真実を照明し、暴力に対応する戦略の提示に成功している」(48頁)。
「テロリズムの内的真実」とはどういうものかがわかっていなくては、このような表現はできないだろう。しかし、「テロリズムの内的真実」がわからないから科学は文学に負けているのだし、また「テロリズムの内的真実」がわからない限り、はたして文学が「テロリズムの内的真実」を明らかにしたかどうかも不明のはずである。現代のテロの問題は「テロリズムの内的真実」などというものがあるのだと前提にするその近代合理主義的姿勢を問うている。ましてや「暴力に対応する戦略の提示に成功している」などとは到底言えないし、コンラッドが対テロ戦略を明らかにしようなどとはおもってもいないだろうし、また『密偵』をそこまで読み込むことなどできない。とういよりも、そのような近代合理主義的な読み込みを拒否するのが現在のテロである。
 だから今必要なのは『密偵』を解釈することではなく、『密偵』に匹敵する文学を創造することである。

2009年6月2日火曜日

日本の対北朝鮮政策はどうあるべきか

 政府は意図的に北朝鮮の核の脅威を低く見積もっているのだろうか。自民党の細田幹事長は、北の核兵器はまだ小型化できていないとの見方を示している。日本政府の対応はまだ手遅れではないということを強調したいのだろうか。しかし、最悪に備えるという危機管理の要諦からすれば、核兵器の小型化が完成し、ノドンに搭載できることを前提にして対策を考えるべきであろう。昨日(09年5月31日)のサンデー・プロジェクトで北朝鮮、パキスタン、イランの3ヶ国による核兵器開発について報道していた。北の核兵器開発は、これら3ヶ国の共同開発でてあり、単に北朝鮮単独で実施しているわけではないことは明々白々である。以前にも書いたが、少なくともパキスタン並みのプルトニウム型核兵器を保有していると考えるべきであろう。
 では、北朝鮮の核保有に対して日本はどのように対応すべきか。
 第1に国連との協力で北朝鮮に圧力をかけ、これ以上の核開発を思い止まらせる。
現在、日本がとっている政策である。国連決議違反を理由にさらなる制裁を北朝鮮にかけるのである。国連を舞台にした対北朝鮮政策は、つまるところ北を支援する中国をいかに説得するかにかかっている。経済制裁や最も有効な金融制裁であっても、中国が北に宥和的な姿勢をとる限り、まったく効果はない。中国は北に宥和的な姿勢をとることで金正日政権への影響力を確保できる。一方、日本に協力して北への圧力を強化しても、中国は日本から得るものはなにもない。日本は今のところ対中カードを全く持っていない。昔なら経済協力カードがあったのだろうが、今となっては全く無意味だ。米国の軍事カードを利用して中国に圧力をかけることも、現在の米中関係を考えればアメリカがそのようなリスクを犯すはずも無く、ほぼ不可能だ。結局、日本が中国に対して持つことのできる唯一のカードは、日本の核武装論である。核武装論については脱兵器化核武装論について詳述したことがあるので、そちらを参照してほしい。
 第2に日米同盟のさらなる強化によって、米国の軍事力を抑止力として北朝鮮に核開発、や核使用を思いとどまらせる。これについても以前「核の傘は開かない」「対北宥和政策と日米同盟」で詳述したので、そちらを読んでほしい。結論を言えば、万一北が日本に対して核攻撃をした場合に米国が核あるいは通常戦力で反撃する蓋然性は限りなく0に近いということだ。ましてや北朝鮮が米本土にまで届く弾道ミサイルの開発に成功すれば、米国が犠牲を覚悟で日本のために北に報復するなど有り得ない。つまり米国の核の傘は開かない、ということである。
 この問題はかつて欧州諸国と米国との間で議論された問題と同じである。ソ連が欧州諸国を核攻撃した場合、米国は犠牲覚悟でソ連に報復するかという問題である。この問題を解決するためには、欧米は一衣帯水の関係にあることをソ連に信じさせること、そして欧州諸国が単独(英、仏は報復可能)ソ連に報復できるようにすることの二つが必要だった。冷戦時代にはこの二つの要件は満たされていた。一方日米同盟においても、アメリカの核の傘の信憑性は高かった。それは日本という戦略的資産が米国の世界戦略にとって、つまり米国の国益にとって必要不可欠だったからである。しかし、今や日本の戦略的価値は冷戦時代に比べて著しく低下している。
 第3は北への宥和政策である。北の要求を受け入れれば、北が日本に対して攻撃することもない、との理屈である。事実上の全面降伏である。紆余曲折はあるだろうが、憲法9条を持つ日本にとってはこの政策の蓋然性が一番高い。
 米国が北朝鮮と干戈を交える蓋然性は低い。オバマ政権は軍事力で北朝鮮と対峙する勇気はない。米朝間のチキン・ゲームはどうみても、失うものもあまりない捨て身で米国に挑んでいる北朝鮮に有利である。他方、米国にとって北朝鮮問題は、二の次、三の次の問題である。まずは国内の経済の建て直し、次にアフガニスタン問題、そしてイラン核問題、パレスチナ問題そして北朝鮮問題であろう。いざとなれば、米国は北朝鮮問題については中国にイニシアチブをわたしかねない。中国を通じて間接的に北朝鮮をコントロールするのである。つまり米国はいずれ北朝鮮と交渉し、平和条約を締結するだろう。そうなれば日本は単独で北朝鮮と渡り合うこともできず、結局北朝鮮と日韓基本条約のように事実上の平和条約を締結することになる。この経緯は、核武装した中国が核兵器を背景に政治力を高め結局米国と国交回復し、日本があわてて日中平和条約を結んだ経緯に良く似ることになる。そして中国にしたように、日本は韓国以上に北朝鮮にも莫大な経済援助を実施することになる。
 プライドも何もかもかなぐり捨てて、「死んで花実が咲くものか」と考えれば、北朝鮮の言いなりになるのも一つの手かもしれない。「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国民であれば、金正日政権が日本国民を手ひどく痛めつけることはないと確信しているはずだ。なにしろ最近では教育勅語を暗記するように憲法前文を暗記することや、写経ならぬ写九すなわち憲法9条を書き写すことがはやっている。平和憲法はまさに国家宗教になりつつある。この憲法教を持ってすれば、怨敵退散すること間違いない。

2009年5月31日日曜日

ガザ遠景

ガザの東側境界に隣接するイスラエルの町ネティボット郊外から撮影。ガザ境界線までの約1キロはイスラエル軍が管理し、道路は封鎖されていた。小高い丘からは遠くにガザの街が見渡せる。ガザ攻撃の際には世界各国のメディアがここから撮影したと思われる。ガザは見る限り、破壊された跡が確認できなかった。パレスチナ首府のラマッラーやパレスチナ西岸地区の大都市ナブルスよりも大きな街だ。中層や高層の建物が多いことに驚いた。(撮影日2009年2月9日)

2009年5月30日土曜日

スリランカ・バブニア検問所

2009年3月末にスリランカ内戦の最後を見届けようとスリランカに行った。北部戦闘地域へ通ずる道路は全て軍によって封鎖されていた。ここは北部戦闘地域への検問所。証明書をもった住民は通行が許可されるが、国防省の許可を持たない私は止むえず引き返した。私服の兵士が続々と戦闘地域に入って行った。

最近の小著『入門・リアリズム平和学』


加藤 朗 (著) 『入門・リアリズム平和学』勁草書房、2009年。
内容紹介憲法九条のなにが問題?人権ってほんとに大事?どうして貧しい国を援助するの?民主主義で世界は平和になるの?地に足をつけて考えよう!平和とは何か。いままでの平和論の本は、宗教的色彩を帯びたり、政治的に偏った議論を展開したり、主観的になりがちだった。本書では暴力、人権、人道、正義といった基本的な概念を、バランスをとりながらかみくだいて説明する。21世紀のいま、やましい良心にさいなまれないで、現実をみすえて考えるために。

内容(著者より)
 教科書として執筆した平和学の入門書である。これまでの平和学が平和研究からの規範的な内容に終始していることに不満があった。一方、安全保障研究からの平和研究はほとんどないに等しい。そこで両者を融合させる形で、平和主義的現実主義の立場からこれまでの平和学を再構成したのが本書である。
 特徴は平和思想の歴史的な読み直しと、平和的手段による安全保障論の再検討である。これまでの平和研究は平和学の規範にあわない平和思想は無視してきた。たとえばトマス・モア、カント、中江兆民をはじめほとんどの平和思想家は絶対非武装主義者ではなかったこと、また非暴力主義のガンジーも決して終生を通じて非暴力主義者ではなかったことなどこれまでの平和研究は意図的にかどうかはわからないが、無視もしくは軽視してきた。本書では無視された彼らの思想も取り上げ、かれらがいかにリアリストであったかを明らかにした。
 また他方で安全保障研究では軽視されがちな平和的手段による安全保障、たとえば人間の安全保障、予防外交あるいは民主主義による平和などをとりあげ、その可能性をあくまでも現実主義の立場から再検討した。さらに安全保障研究ではやはり軽視されがちな国際社会における正義や倫理の問題も取り上げ、考察した。
 本書が平和研究と安全保障研究の無用な対立を架橋する一助となればとの思いから執筆した。

最近の小著『戦争の読みかた』春風社、2008年


内容(「MARC」データベースより)9.11は何をもたらし、何を告げたのか? ネグリとハート、カルドーらの議論を整理。変貌する紛争の系譜をたどり、衰退する国民国家体制に代わる「人間の安全保障」の可能性をさぐる
内容(著者より)
『現代戦争論』(中公新書、1993年)の終章で提起したいくつかの問題や予想した21世紀の世界について、果たして問題は解決されたのか、また予想が正しかったのかを明らかにした。いわば過去の自分への回答書である。1993年の『現代戦争論』を執筆した当時、『現代戦争論』で提示した紛争観や戦争観はあまりに先を行き過ぎて受け入れられなかった。
 当時、私と同じ問題意識を持っていたのは、私の知る限り、イスラエルの安全保障研究者のマーチン・ヴァン、クレフェルトだけであった。その後、問題意識は全く同じであったが、論考の質量では小著を圧倒したネグリとハートの『帝国』や、小著の論証とほぼ同じレベル(と私は思っているが)のメアリー・カルドー『新戦争論』が21世紀になって相次いで出版された。そして同じ頃9.11事件が起き、小著の予測の正しさが証明されたと自負している。では、これからの世界はどうなるのか。『戦争の読みかた』ではさらに考察を重ねている。
 本書は、元来、大学の教科書にするつもりで執筆した。編集者の助言に従い、いくつかの章を削除し、結果的には評論のような本になった。本書をたたき台に今後はさらに考察を深めていくつもりだ。乞う、ご期待。 

最近の小著『兵器の歴史』芙蓉書房出版、2008年

 加藤 朗 (著), 戦略研究学会 (編集), 石津 朋之 『兵器の歴史』 (ストラテジー選書)芙蓉書房出版、2008年。
内容(「BOOK」データベースより)「兵器を身体の模倣と捉え、どのように道具、機械、装置に置換させてきたかを歴史的に明らかにする」
(著者より)
 兵器がどのように歴史的に発展してきたかを、農業時代、工業時代そして情報時代という産業構造の変化を下絵に、身体の模倣、身体の拡張という視点から明らかにした。映画『2001年宇宙の度』の冒頭シーンを覚えている人も多いだろう。石器時代の類人猿が武器として持っていた骨を空に放り投げると、一気に21世紀へと時代は飛び、宇宙船へと変わった象徴的なシーンを。もはや、兵器の発展に残された唯一の未開拓な領域は「脳」しかない。兵器はまさに量から質への大転換期にある。それにともない戦略も戦術もそして戦争も変容するのだ。

北朝鮮の核兵器阻止は不可能

 5月25日北朝鮮はアメリカのメモリアル・デーに合わせるかのように二度目の核実験を強行した。今日(5月30日)、国連の制裁決議を牽制するかのように、金正日政権は再度ミサイル実験を実施する兆候を見せ始めた。まさに北朝鮮と国際社会とのチキン・ゲームが始まった。ところで北朝鮮は誰とチキン・ゲームをしているのだろうか。
 北朝鮮は核兵器を振り回しながら、一体何を求めているのだろうか。アメリカとの平和条約なのか。アメリカとの平和条約を締結し、金正日体制維持の保証をとりつけることだとよく言われる。では、それに対してアメリカはどのような政策を望んでいるのだろうか。何よりも北の核兵器の放棄であるというのが通説である。では、ここで冷静に考えてみよう。北朝鮮が核兵器を保有することでアメリカの国益にどのような影響があるのだろうか。実は、直接的な影響はほとんどない。それこそが、日米の間で北朝鮮をめぐって国益の非対称性を生み、日米同盟が揺るぎかねない状況を創り出しているのである。
 北朝鮮が核兵器を保有しても、米本土に届く長距離ミサイルがなければアメリカにとって直接的な脅威とはならない。では、なぜアメリカが北朝鮮の核兵器保有に反対するのか。それはNPT体制すなわち5大国による核独占体制が崩壊し、核拡散が始まるからというのが次の理由。しかし、NPT体制の崩壊というのならアメリカだけでなく、中国、ロシア、そして英、仏も少なくともアメリカと同じ程に反対してもよさそうだが、中国、ロシアも宥和的であり、英、仏に至っては国連安保理以外では関心すら寄せていないように思える。仮に北朝鮮の核兵器を廃棄させたとしても、NPT体制はインド、パキスタンそしてイスラエルがすでに保有している現状では、破綻したに等しい。アメリカにとって、北朝鮮の核保有は望ましくはないが、米国の国益に直接影響を与える問題でないことがわかる。だからこそ1995年の第1次朝鮮半島危機以来、米国は紆余曲折はあるものの北朝鮮の核保有には宥和的だったのだ。結局のところアメリカは北朝鮮が仮に核を保有したとしても米中によって統制できるとたかをくくっているのではないだろうか。
 他方、北朝鮮は核兵器を保有する限り、その軍事的影響力を政治的影響力に変えることができる。冷戦時代北朝鮮はその地理的位置からロシアや中国にとって米国が大陸へ進出する際の防波堤としての役割を負っていた。しかし、冷戦の終焉とともに、地政学的な価値は暴落してしまった。もはや地政学的価値を利用して政治的影響力に変換することができなくなったのである。北朝鮮はせかいでも最貧国の一つになってしまった。金正日政権が体制を記事しながら韓国に伍して発展するために残された手段はただ一つ、軍事力を政治力に変換して生き残りを図る以外にない。しかし、湾岸戦争で明らかになったように旧式の大規模軍隊では脱近代戦では全く戦えない。だからといって北朝鮮にはRMA型の近代軍を整備する経済力は全くない。残された道は経済的、合理的な方法は核兵器開発だけである。北朝鮮の国家戦略は正しかった。
 経済力も軍事力も劣る発展途上国が手っとり早く政治力を獲得する唯一の方法は核兵器である。北朝鮮にはそのモデルがあった。それは中国である。中国が核兵器開発を目指した50年代末から60年代にかけて中国は今の北朝鮮なみに貧しい発展途上国でしかなかった。毛沢東は経済的発展を後回しにしてでも核開発を優先し、そして1964年ついに核保有国となった。核兵器保有後、中国は核兵器を政治力に変えて、核大国として国際社会でその政治力を遺憾なく発揮したのである。やがて中国は国連に常任理事国として復帰し、米中は国交を回復し、それにあわせて日本も日中国交回復に踏み切った。その後中国は国内混乱で経済発展がおくれたものの、90年代から一気に経済発展を加速させ、今ではGDP世界第3位の経済大国そして核保有国として君臨している。明らかに北朝鮮は中国をモデルにしている。だから北朝鮮にとっては核兵器は絶対に手放せない。国際社会は核保有国としての北朝鮮に否応なく向き合わざるを得ない。
 こうしてみると、軍事力で北朝鮮を崩壊させる以外にもははやいかなる手段を講じても北に核兵器を放棄させることはできない。また核開発を止めることもできない。北は絶対に核兵器を手放さない。日本はこの東アジアにおける核化の現状を前提にして、これいかに対処すべきかを考えなければならない。具体的には、以前ブログにも書いたように日本は「脱兵器化核武装」戦略をとり、それを政治的梃子に少なくとも東アジアの脱核兵器化による核軍縮を実現させていかなければならない。

2009年5月29日金曜日

日本のコスタリカ化

 コスタリカは軍隊の無い国として一部の人々の間では熱狂的な支持を受けている国である。常備軍はないものの一般には準軍事組織とみなされる市民警備隊4400人が存在している。非武装を国是としているわけではなく、集団的自衛権を否定しているわけでもない。緊急時にはあらためて軍隊を創設し、米州機構や国連の集団安全保障による国家防衛を想定している。これはカントが主張した、常備軍を排し、民兵組織による防衛構想に近い安全保障体制である。その意味で集団的自衛権を否定し、非武装、非暴力を求める憲法9条とは根本の平和思想において大きな違いがある。
 また人口はわずか450万人で国土面積も九州と四国をあわせたほどの広さの小国である。さらに南北をパナマとニカラグアにはさまれ、東西は太平洋とカリブ海に囲まれ、一人当たりのGDPも5千ドル程度の発展途上国である。コスタリカが常備軍を廃止したからといって国際安全保障はもちろん地域の安全保障にもさほど影響はない。市民警備隊の4400人や国境警備隊で常備軍に十分代替できる(数字はいずれも2007年度。外務省ホームページと『ミリタリー・バランス』より)。
 さて日本はコスタリカのように国際政治においても地域政治においても影響力を失い、事実上平和憲法が目指すような状況、すなわちコスタリカ化しつつあるのではないか。コスタリカが常備軍の廃止を憲法で決定したのは1948年である。その後は国境警備隊、市民警備隊、地方警備隊からなる警察で国内の治安および国境警備にあたっていた。この過程は日本と似通っている。戦後1946年の新憲法で軍隊を廃棄する一方、国内の治安のための警察予備隊や領海警備の海上警備隊が創設されている。コスタリカと異なるのは、日本はその後朝鮮戦争の勃発、冷戦の激化など国際情勢の変化とともに警察力の一部であった部隊を自衛隊として実質的に軍事組織化していったことである。逆にいうと国際情勢の変化とともに自衛隊が再び警察力の一部に成る可能性を秘めているということである。そして実質的にはコスタリカのように国際政治にも地域政治にもあまり影響を与えることのない小国となって、平和憲法を謳歌する時代がくるかもしれない。朝鮮戦争の勃発が自衛隊誕生の契機になったとすれば、北朝鮮の核実験こそが自衛隊の無力化と平和憲法の実体化の狼煙となるのではないか。
 そもそも改憲派、護憲派いずれであれ、憲法を論議する際の暗黙の前提がある。それは日本が大国だという錯覚である。護憲派は日本が大国だから、ちょっと気を許せば戦前のように再び軍事大国化すると懸念している。一方改憲派は、大国にふさわしい軍事力をもち国際政治に影響力を発揮したいと妄想している。
 さて冷静に考えてみよう。19世紀アジア諸国が近代化を始めて以来、日本は一貫してアジアの大国であり続けてきた。戦後の混乱期でさえ中国や朝鮮も内戦で混乱し、日本が相対的に国力では優位に立ち、大国の地位を維持していた。だから、日本が再び軍事大国化すればアジア地域の平和と安定に大きな脅威となるとの懸念にはそれなりの理由があった。
 しかし、今日の情勢をみてみよう。日本の国内総生産は米国に次いで2位(ただし個人では米国15位、日本は23位)である。一方、発展途上国であった中国が今や第3位である。ちなみにコスタリカは82~3位である(ウイキの国際通貨基金、世界銀行、CIA統計による)。軍事力をみれば、中国と北朝鮮が核を保有し、自衛隊と比較すれば、圧倒的に軍事的優位を占めている。また中国は90年代から軍事の近代化を始め、今世紀になって一層近代化の速度を速めている。最新鋭の戦闘機の導入をはじめ空母の建造にまで着手している。数年もしない内に、通常戦力でも日本の自衛隊は中国軍の後塵を排することは間違いない。そして今また核兵器を保有した北朝鮮よりも軍事力においては劣勢に立たされている。明治以来日本ははじめてアジアにおける盟主の座を中国に明け渡そうとしている。つまりもはや改憲派、護憲派が前提としている日本大国論は幻影にしかすぎなくなった。
 現在まだ日本外交がかろうじて国際政治と関わることができるのは、米国との同盟関係があるからである。米軍の軍事力を梃子に外交力を維持しているにすぎない。しかし、その日米同盟関係がもはやあてにできなくなりつつある。米国は日本から中国へと政策の重点を移しつつある。また北朝鮮の核保有も事実上認めつつある。北朝鮮の核兵器が米国にとっては何ら脅威ではないこと、また中国が北朝鮮を支配している限り、中国との関係を良好に維持すれば、北朝鮮を間接的にコントロールできると考えているからであろう。クリントン国務長官がいくら日本の重要性を強調しても、冷戦時代と比べれば米国にとって明らかに日本の政治的、軍事的そして経済的重要性は低下している。
 このままでは日本は米中関係の中に埋没していき、恐らく将来は中国の支配下や核付き統一朝鮮の風下に立たされることになるだろう。それこそまさに日本のコスタリカ化である。その時、日本が平和憲法を持とうが持つまいが、コスタリカのように国境警備隊化した自衛隊のみの事実上の非武装国家となるだろう。護憲派の懸念は杞憂にしかすぎない。平和憲法の精神は日本がコスタリカのように小国化することで十分に達成できる。石橋湛山の小国主義が実現する日は近い。 

2009年5月28日木曜日

検疫制度は即刻廃止せよ

 今日午後のテレビニュースで、下記のような報道があった。以下引用はYOMIURI ONLINE「木村氏は、政府の当初対策が機内検疫による「水際対策」に偏りすぎたとし、『マスクをつけて検疫官が飛び回っている姿は国民にパフォーマンス的な共感を呼ぶ。そういうことに利用されたのではないかと疑っている』と述べた。さらに、『厚労省の医系技官の中で、十分な議論や情報収集がされないまま検疫偏重になったと思う』と強調した」。
 このニュースを知り、まず驚き、そしてあきれ、最後に納得した。国会でここまではっきりと政府の対策を現役の検疫官が否定したことに驚き、そしてそんなに効果がないと思うのなら多少は手抜きをすればよかったではないかとあきれ、そして国内感染の拡大を見てやっぱり検疫では防げないと納得した。
 今回の豚インフルエンザでの結論である。意味のない検疫制度は即刻廃止し、検疫所は閉鎖し検疫官も配置転換すべきである。
 実は、私は4月29日のNW19便で米国ミネアポリスから帰国し、機内検疫では最長の3時間も機内に閉じ込められたのである。その時は我慢していたが、いまさらあれは無駄で、単なるパフォーマンスであったなどといわれては、あの苦痛は何だったのかと怒りを通り越して笑うしかない。
 たまたま私の隣の米国人の若い女性が花粉症のアレルギーで鼻水が出ると質問書に記載したために大騒ぎになった。私も含め、彼女の周りにいた、ボーイング747の最後尾付近の乗客30~40人が赤いシールを肩に貼られ、外に出られないように、制服、私服の数人の警察官に取り囲まれた。検疫官が彼女に片言の英語で質問するのだが、なかなか通じない。彼女は繰り返しアレルギーというのだが、アレルギーが検疫官には聞き取れない。たまらず「アレルギーだそうですよ」と私が伝えた。後はなぜか私に通訳を頼むかのように彼女に日本語で話しかけた。鼻水が出るか、咳は出るか、熱はあるかと簡単な質問をした。それで終わるのかと思ったら、彼女は簡易検査に連れて行かれた。それまでに既に2時間以上時間をとられ、乗り継ぎ便は皆出発し、外国人乗客の多くが途方にくれていた。検疫官ももう少し英語ができるかと思っていたら、中学生レベルといっても良いくらいひどかった。問診できる程度の英語力があれば、無駄な簡易検査などしなくてすんだだろうに。ましてや検疫官自身が検疫が無駄だとわかっていたのなら、それこそパフォーマンスだけにして簡易検査など止めて欲しかった。
 検査の結果米国人は陰性とわかり、3時間ぶりに解放された。陽性だったらわれわれは1週間の停留のところだった。実際停留措置を受けた人は、単なるパフォーマンスのために大変な苦痛を強いられたのだ。
 そもそも検疫など必要なのだろうか。水際検疫はたとえトリインフルエンザでも役に立たないというではないか。水際検疫など止めて、国内の検疫体制を強化してはどうか。実際今回の機内検疫の体験でも検疫官の語学のおそまつさには驚いた。国会で証言した検疫官が水際検疫は役に立たないといったことは全くその通りだ。またいつも不思議におもっていたのだか、普段でも検疫というのは役にたっているのだろうか。そもそも多くの人が検疫が嫉視されていることを知っているのだろうか。入国審査の前に検疫諸があるが、係官がいた試しはない。アフリカから帰国した時だけ係官がいて問診票を回収していた。今回もそれで十分ではなかったのか。搭乗客の追跡調査など、航空会社の乗客リストで容易にわかるはずだ。国内検疫なら乗客の住所さえわかれば十分であろう。ならば空港での検疫など全く不要である。
 現職の検疫官が水際検疫を不要といっている以上、舛添厚生労働大臣は即刻検疫制度などやめて、検疫所を廃止し、検疫官を動物検疫や植物検疫に配置転換してはどうか。

北朝鮮の再核実験

 北朝鮮が再び核実験を行った。今回の爆発規模は推定5~20㌔トン(韓国国防省)から2~4㌔トン(ヘッカー米フタンフォード大学教授)まで相当な幅がある。数㌔トンだとすれば、爆発規模が小さいから爆縮技術が未完成で十分な核分裂が起きなかったとして失敗とみる(同教授)か、それとも前回の1㌔トン未満の爆発も含めて「制御技術」のさらなる向上とみるか(田岡俊次)、意見の分かれるところである。私は、最悪に備えるという危機管理の視点からみて、後者の田岡説をとる。実験直後の朝鮮中央通信は、「~爆発力と操縦技術において新たな高い段階で安全に実施し、~」(asahi.com)と「爆発力」に続けてわざわざ「操縦技術」という文言を入れている。深読みかも知れないが、「操縦技術」とは核爆発力の制御技術ではないだろうか。もし、そうだとすれば、北朝鮮は核爆発の出力の制御技術を持っており、すなわち核兵器の小型化技術をすでに獲得したことになる。
 田岡氏は、前回の核実験の際に北朝鮮が4㌔トンの核実験を行うと中国に事前通告したことを重視している。4㌔トンという出力を事前通告できるということは、すでに出力制御の技術を入手していたことになる。ただし、制御しすぎたために予想通りに出力を制御できずに1㌔トン未満の爆発に終わったというのが田岡氏の見立てである。したがって、今回は朝鮮中央通信の報道を信ずるなら、たとえ爆発出力が数㌔トンであったとしても、それは完全に出力制御に成功した上での数字ということになり、核兵器の小型化の技術が完成したとみるべきであろう。むしろ20㌔トンであったほうが、まだ安心できる。20㌔トンなら爆縮技術が完成したという基礎的レベルで、これから小型化の実験が必要ということになるからである。
 仮に北朝鮮がすでに小型化の技術を獲得していたとするなら、北朝鮮はそれ以前に必要な基礎的な爆縮の技術はどのようにして獲得したのだろうか。以前このブログでも紹介したが、恐らく、それはパキスタンから入手したのではないか。北朝鮮の核開発は、パキスタンやイランとの共同開発と考えるべきであろう。北朝鮮はノドンのミサイル技術をパキスタンに、一方パキスタンは核技術を北朝鮮にと、相互に浩瀚し、両国で核ミサイルを開発したとみるべきである。だから北朝鮮の核ミサイルはパキスタンと同程度と考えるのが妥当であろう。と、すると北朝鮮の核ミサイル技術は最悪、パキスタン程度と覚悟しておく必要がある。つまり、自衛隊は事実上対抗手段がないということである。
 憲法上の問題はさておいたとしてても、発射前の敵地攻撃は現在の日本の航空自衛隊の能力ではまず無理である。ノドンでは発射から日本に着弾するまでの時間は10数分である。ノドンの発射システムは車両による移動式であるため、発見が難しい。また液体燃料ではあるが、常温保存ができ、また注入後1週間から数ヶ月は燃料の劣化や燃料タンクの腐食は防げるようだ。さらに中距離ミサイルで燃料が比較的少ないために、短時間で注入ができる。その意味で運用性が高く、ミサイルそのものを発射前に発見、攻撃することは困難である。
 発見するには常時監視体制をとらなければならない。しかし、日本には偵察衛星、偵察機を含め24時間常時偵察、監視する能力はない。仮に米軍との協力で発見したとしても十分な対地攻撃能力はない。現在対地攻撃能力を持つ航空自衛隊の攻撃機はF2とF4である。現在のF15Jの対地攻撃能力はきわめて限定されている。たとえミイサルを発見して緊急発信しても北朝鮮まで3~40分はかかる。帰投時には空中給油を受ける必要がある。湾岸戦争の際に米、英空軍がイラクのスカッド部隊を発見攻撃するのがきわめてむずかしかったことう考えると、日本の対攻撃能力にはあまり期待できない。また巡航ミサイルや対地ミサイルの案も出ているようだが、ミサイルは固定目標には有効であっても、移動する目標の攻撃には向かない。
 要するに、日本は北朝鮮のノドンミサイルに全くといってよいくらい対抗手段はない。湾岸戦争の際に、米軍がスカッドにいかに手こずったかを考えれば。イラクのスカッドは通常弾頭だったから仮に迎撃しそこなっても被害は限定的であった。しかし、ノドンには核をはじめ化学弾頭も搭載できる。ノドンは日本にとって、すぐ底にある脅威である。

2009年5月4日月曜日

海自ソマリア派遣

 海上自衛隊がソマリア海域に派遣される。私は反対の立場をとる。その理由は二つ。
 第1は、憲法違反である。法律上の細かな解釈により憲法違反にはならないとの議論もある。しかし、何度も繰り返すが、憲法の条文は義務教育を終えた国民が理解できる内容が憲法の正しい理解である。その点から考えれば、自衛隊はそもそも憲法違反である。百歩譲って自衛のための戦力として自衛隊を認めたとしても、行動範囲は日本の領海に限定されるべきである。もし自衛隊を海外に派遣するなら、前提として憲法の改正は必須である。憲法も改正しないまま自衛隊の行動範囲を広げることは、実質的に憲法が無きに等しい状況をつくりだすことに他ならない。
 第2は、自衛隊の能力である。海上自衛隊は海賊のような武装集団を鎮圧する専門の部隊もなければ、訓練も戦術も交戦規定もない。たしかに10年前から特殊部隊を創設して海上ゲリラ戦への備えはしてきている。しかし、想定している敵は敵国の特殊部隊もしくはテロ組織である。金目当ての海賊とは異なる。現在の海上自衛隊の能力では適切な対応が難しい。過剰反応すれば、国際世論の批判を浴びる可能性がある。また過少反応すれば、自衛隊に犠牲者が出る。
 今回の派遣は、昔から議論されたシーレーン防衛の実践だ。冷戦時代はソ連から、対テロ戦争時代はテロ組織から、そして今や海賊から日本のシーレーンを防衛せよ、との主張だ。今回は国連決議もある。中国軍も韓国軍も派遣している。しかし、「遅れてならじ」とまなじり決して押っ取り刀であわてて派遣しても成果は期待できない。
 派遣を考えるなら、ここは王道を歩んで、まずは憲法改正の議論を喚起すべきであろう。その間、たとえ日本船が乗っ取られ、犠牲者が出たとしても、憲法9条を墨守する日本国民は、それを「平和の代償」として甘受すべきである。