引き続き非武装国民抵抗の問題点について宮田光雄『非武装国民抵抗の思想』を参考に考えてみたい。
非武装で殉死を覚悟で守るべきは一体何なのか。領土なのか、社会制度や政治体制などの国体なのか、集団としての国民なのか、それとも個々人の生命や財産なのか。この問題は、心情的には個々人の生命や財産ということになるだろう。しかし、実際には集団としての国民の生命や国体としての社会制度や政治体制、あるいはそれらを物理的に担保する領土ということになるだろう。
この問題について宮田は守るべき対象は社会的デモクラシーの体制であるという。決して国民の生命や財産が第一義的な防衛目標ではない。
「『・・・≪市民的防衛≫の基本的前提条件をなすものは≪社会的デモクラシー≫の体制である。政治過程にたいして監視と参加を怠らない≪成人した市民≫こそ、そのもっとも有用な責任主体といわねばならない』(C・ラウー「市民的抵抗者の精神態度」K・ゴットシュタイン編『会議記録・市民的防衛』1969年)。つまり、こうした社会的生活様式こそ、まさに守るに価する本来の防衛目標なのである。そこから生まれた真のデモクラシーの精神は、占領によって、たとえデモクラティックな社会機構が秩序正しい活動を阻止される場合にも、国民抵抗を支える忠誠のエネルギー源となるであろう」(117頁)。
これに続けて宮田はこう記している。
「その意味では、不法な侵略や権力奪取が行われる瞬間こそは、それまでデモクラシーが実質的に存在したか否か、それとも権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかったか、が白日のもとにあきらかになる最終判定の時点といっても過言ではない」(117頁)
この文の意味するところを、うがった見方をすれば、「真のデモクラシーの精神」にあふれた外国勢力が侵略しても、それは「それまでデモクラシーが実質的に存在」せずに「権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかった」体制を変革する「解放」だということにならないか。そうした秘められた意図があるのか、宮田は「非暴力抵抗の精神は、仮想敵にたいする官庁的に組織化された≪調練≫によって形成されるのではなく、むしろデモクラシーの社会体制を脅かす現実の危険にたいする自発的な市民の反対行動からのみ生み出されるであろう。デモクラシーを守り、さらにそれを一層実質的に民主化するための日常闘争にまさる国民抵抗の修練はありえない。こうした社会核心のための政治的・経済的闘争において非暴力の原理を摘要する可能性は枚挙にいとまない。今日、しばしば聞かれる≪参加する民主主義≫の要求から≪院外野党≫の運動、さらに≪市民的不服従≫の行動にいたるまで、いずれも平時における非暴力抵抗の国民的訓練というべきであろう」。(121頁)。
冷戦時代のしかも1971年秋のベトナム戦争当時に執筆されたという時代背景を考えれば、社会主義勢力を「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制とみなし、一方の資本主義勢力(特に日本)を「デモクラシーが実質的に存在」せずに「権威主義的支配を隠蔽するイデオロギー的建前にすぎなかった」体制と宮田がみなしていると考えてもあながち的外れではないだろう。したがって、一般の日本人が社会主義勢力に侵略されたらどうするという危惧を抱いていたのとは反対に、仮に社会主義勢力に「侵略」されたとしても、それは「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制による「解放」であって決して「侵略」ではない、というのが非武装国民抵抗の政治的本質ではなかったろうか。
実際、「侵略」が「解放」と言い換えられた事例をいくつかみることができる。1975年の北ベトナムによる南ベトナム「解放」である。ベトナム解放戦線による解放といいながら実質的には北ベトナムによる侵略であった。それどころか「侵略」を「解放」と言い換えた事例は、われわれ自身がすでに太平洋戦争の敗戦時に経験していることでもある。米軍は解放軍であって占領軍ではなかった。皆、諸手をあげてマッカーサーによる統治をうけいれたのである。誰一人として、非武装であれ武装であれ国民抵抗などしなかった。
百歩譲って、こうした時代的文脈を無視したとしても、非武装国民民抵抗には問題がある。それは、「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制が「市民的抵抗」によって奪還、獲得、復興されたとして、その体制を防衛するのもやはり非暴力市民的抵抗によるのだろうか。非武装国民抵抗戦略の問題は非暴力で権力を奪取した後の体制を非暴力でまもることができるのかという問題である。歴史の多くは、それが以前よりも苛烈になることを教えている。
たとえば1979年のイラン革命である。イラン革命は、フランス革命以来はじめての市民の抵抗によるほぼ無血の革命となった。しかし、権力奪還後後の市民派内部の権力闘争はすさまじく、イスラム宗教勢力は革命防衛隊という治安部隊であり民兵組織を使って民主派を根こそぎ逮捕、監禁、虐殺した。いかなる体制であろうとも、一旦権力を握れば、それを防衛するために警察権力や軍事力等の暴力を行使せざるを得ない。つまり非武装国民抵抗とは権力奪取のための戦略の一種でしかなく、一旦権力奪取に成功した後まで非暴力国民抵抗戦略をとるべきとはいっていない。実際、非武装の「真のデモクラシーの精神」にあふれた社会体制側がどのようにして体制を維持するのであろうか。宮田光雄先生をはじめ非武装国民抵抗運動の主張者は、「真のデモクラシーの精神」があれば、軍事力はもちろん警察さえなくても体制は維持できるとお考えなのだろうか。論理的には、そのように主張しなければ整合性がとれないし、また憲法9条の非暴力主義はそれを求めている。憲法9条は憲法9条体制を守ることも非暴力であることを要求する歴史上はじめて(多分。もし先例があったとして、恐らくそのような「憲法」をもった国は歴史からは消えている)の画期的な憲法といえる。
2009年7月29日水曜日
2009年7月28日火曜日
憲法9条と「新しい戦争」③非武装抵抗戦略の問題
憲法9条と「新しい戦争」➀で長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』(ちくま新書465、2004年)を紹介した。長谷部によれば、憲法9条を「準則」として遵守し、自衛隊を廃棄し国家による自衛も否定すれば、日本が侵略された場合には、第1に群民蜂起やパルチザン戦による侵略軍への武装抵抗、第2に非暴力不服従、第3に一切の抵抗をせず侵略・支配を受け入れる「善き生き方」としての絶対平和主義の実践、第4に「世界統一国家による『全世界を覆う警察サービス』の実現という四つの戦略があるという。
長谷部の戦略の前提となっている憲法9条は、憲法前文とあわせて理解すべきだと考える。すなわち前文には本文を拘束する法規範性があるのであり、前文を無視して憲法9条は存立しないし、前文抜きの戦略は有り得ない。そこであらためて前文の重要な部分を抜き出してみる。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」との部分からは、日本国民は国内外の人々を問わず全ての人間相互の関係において崇高な理想が支配していると深く自覚しており、また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との部分からは、他国の国民が平和を愛しているおり、日本国民はかれらの公正と信義を信頼しているとの決意が述べられている。この決意を素直に読む限り、日本国憲法は性善説に基づき、世の中全ての人は善人であり他人や他国民を傷つけることなど有り得ないという前提にたっている。だからこそ憲法9条で軍隊も持たず、戦争もしないということが意味を持つのである。さらに善人しかいない世の中であれば警察力も必要のない、一切の暴力を排した絶対平和主義を前提にした憲法なのである。自衛隊が違憲ならば、海上保安庁も警察も裁判所も違憲である。なぜなら世の中に悪人はいないことが憲法の前提だからである。
したがって、絶対平和主義の憲法でとりうる戦略とは、実際には長谷部のいう第3の戦略しか取り得ない。なぜならそれ以外の戦略は、憲法前文の精神に反して「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないからである。この絶対平和主義の戦略が非現実的などということは全くない。われわれは戦後、厳密には冷戦時代は、少なくとも米国(あるいは西側諸国)の世「公正と信義に信頼して」、一切の抵抗をせず「米国」の侵略・支配を受け入れる「善き生き方」としての絶対平和主義を実践してきたのである。たしかに自衛隊は創った。しかし、それもまた「米国の公正と信義に信頼」した「善き生き方」として受け入れてきたのである。
ところでいわゆる護憲派の中には、第2の戦略である非暴力不服従すなわち非武装抵抗を主張する人たちが多い。上述したように、非武装抵抗運動そのものは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないという意味で憲法前文に反しており、自衛隊による武力行使に反対する護憲派もまた同様に違憲の非武装運動を主張しているのである。それを別にしても、長谷部も主張するように、非暴力不服従戦略は問題の多い戦略である。
そもそも非暴力不服従運動がまるで無血運動であるかのように捉えられていることに大きな問題がある。非暴力不服従運動は時には武力以上の犠牲を強いる運動である。実際、ガンジーの非暴力運動でも6000人以上の犠牲者を出している。ガンジー自身も非暴力不服従が無血の運動などとは一切口外していない。それどころかユダヤ人の虐殺について、仮に民族が全滅しても非暴力を徹底すべきだといっていた。非暴力運動に犠牲はつきものであり、ガンジーは最後は非暴力運動に殉死した。
日本で非武装不服従運動について一般書を著したのは神学者の宮田光雄氏である。彼は『非武装国民抵抗の思想』(岩波新書、1971年)で、イギリスの海軍提督キング・ホールの『核時代における防衛』(1958年)を参考に日本の非武装抵抗運動について語っている。キング・ホールを含め欧米には戦略論として非武装抵抗論を主張する学者は多い。中でも非暴力戦争のクラウゼヴィッツとしてジーン・シャープ(Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One: Power and Struggle, MA: Porter Sargent, 1973) が特に名を知られている。しかし、宮田、ホール、シャープの誰であれ、彼らの非武装抵抗戦略論には致命的な欠陥があり、現在の「新しい戦争」には適応できない。
その問題は合理性と倫理性の二つに大別できる。
第1の問題は合理性である。非武装抵抗戦略論の理論的前提は、核戦略論と同様に合理的主体モデルである。
そもそも非武装抵抗戦略は、宮田、ホール、シャープにしても冷戦時代に著作を執筆していることでもわかるように、核時代の核戦争を前提にした戦略論である。つまり核戦略論と対をなす「旧い戦争」の戦略論である。「新しい戦争」の時代に入った今日、核戦略論の有効性が失われたように核戦略の対抗戦略としての非武装国民抵抗戦略は時代後れになった。
「旧い戦争」と「新しい戦争」の特徴を比較してみると次のようになる。
【旧い戦争】 【新しい戦争】
➀国家間戦争 LIC(低強度紛争)
②全面戦争 限定戦争
③核兵器 精密誘導兵器
④配分価値をめぐる戦争 承認価値をめぐる戦争
非武装国民抵抗が前提とする戦争は、上記の「旧い戦争」である。たしかに「旧い戦争」には合理的戦略として非武装国民抵抗が有効な場合もある。たとえば全ての非武装抵抗論が前提にしているのが、国家間の全面戦争の場合、とりわけ核兵器が使用されるような場合には、戦争による犠牲と非武装抵抗による犠牲とを比較考量すれば、経済的、政治的にも非武装抵抗の方が合理的な場合がある。つまり核兵器で全滅するよりは降伏や侵略を受け入れて、他日を期したほうがよい場合がある。こうした合理的判断が有効なのは、相手国が合理的に判断し、相手国を核攻撃して全滅させるよりは、占領、支配して自国の利益にかなうようにさせる方がよいとの功利主義的判断をした場合のみである。非武装国民抵抗運動は、こうした国家を合理的主体とみなし、いずれの国家も国益を最大化するために合理的に、功利主義的に判断するとの前提にたっている。この判断は核戦略や現実主義の戦略理論と全く同様である。シャープが非暴力戦争のクラウゼヴィッツと呼ばれるのもこうした合理主体モデルや功利主義的戦略に基づいているからである。
一方現在の「新しい戦争」では、紛争主体は国家とは限らない。むしろテロ、ゲリラ組織、犯罪集団、民族組織、宗教団体等、武装した非国家主体が主流である。こうした非国家主体によるいわゆるLICが国家間戦争に変わって武力紛争の中心を占めるようになっている。また使用される兵器も核兵器のような大量破壊兵器ではなく、自爆テロのような爆弾や、それに対抗するための精密誘導兵器である。被害も極限化される。たしかに無辜の市民が巻き添えになる可能性は否定できないものの、核戦争のような大量破壊による巻き添えとは比較にならないくらいに犠牲者の数は極限化される。だから武力行使の方が非暴力よりも犠牲が少ない場合も出てくる。
たとえば一般には非武力的手段とみなされている経済制裁である。以前のブログにも書いたがイラクに対する経済制裁では最初の10年間で100万が死亡した。一方イラク戦争での犠牲者はそれよりもはるかに少ない。武力が常に他の手段よりも犠牲者が多いというのは、核戦争や国家間の全面戦争(しかも第1次、2次世界大戦型。湾岸戦争やイラク戦争にはあてはまらない)の場合だけである。したがって、合理主義的、功利主義的判断に基づく非武装国民抵抗戦略は核戦略がそうであったように冷戦時代の遺物といってもよいだろう。
そして何よりも問題は、「新しい戦争」は承認をめぐる戦争だということである。つまりナショナリズム、宗教、思想などアイデンティティが争点となる戦争である。この戦争には一切の妥協はない。「旧い戦争」が主として領土の割譲、占領など経済的利益の配分をめぐる戦争であり、足して二で割るという妥協が可能な戦争であるのとは全く対照的である。一種の宗教戦争のような戦争こそが「新しい戦争」の本質である。したがって非武装であろうがなかろうが、抵抗する限りすなわち自分たちのイデオロギーを受け入れない限り、殲滅される可能性は否定できない。「新しい戦争」は非武装抵抗戦略が考えているように、すべての戦争を経済的問題すなわち配分をめぐる戦争には還元できない。非武装抵抗戦略は配分をめぐる戦争には有効な場合もあるが、承認をめぐる戦争では全く無効である。
非武装国民抵抗の第2の問題は倫理性である。
非武装国民抵抗は、自らは主体的に暴力を使わない。それは上記の合理モデルによれば暴力を使用することが非倫理的であるからではなく、むしろ非合理的であるからである。単純に言えば、上述したように武力抵抗よりも非暴力抵抗の方が犠牲が少ないとの合理主義的、功利主義的判断だからである。しかし、抵抗側には犠牲者が生れることを覚悟しなければならない。しかもその覚悟はだれからの強制でもなく自発的でなければならない。非武装、非暴力を物理的にでなくても心理的にでも強制すれば、それは非暴力ではなく暴力でしかない。それこそ非武装国民抵抗戦略の倫理に悖る。とはいえ全ての人が強制なしに自発的に一致団結して非暴力抵抗運動に参加できるのだろうか。
よしんば、子どもも老人も皆がみずからの命を犠牲にして非武装抵抗に協力したとしても、非武装国民抵抗戦略には倫理的問題が残る。すなわち「殺さない」ということは実践できたとしても「殺させない」という倫理が実践できないからである。真の非暴力主義とは「殺さない、殺させない」ということである。相手にも暴力を行使させないことこそ真の非暴力主義である。しかし、非暴力武装抵抗は場合によっては多くの殉死を求めることになる。逆に言えば、相手が多くの人々を殺傷することになる。敵が暴力をふるうことの非倫理性だけではなく、それを傍観することの非倫理性も非武装国民抵抗戦略にはある。子どもを殺されるのを傍観できる親がいたとして、その親は非暴力を実践したとして称賛されるのだろうか、それとも人倫に悖る人非人として非難されるのだろうか。
実はこの問題は、抵抗運動ではなく、人道的介入の問題としてわれわれの前に立ちふさがっている。非武装抵抗の多くは、武装介入しないほうが合理的に判断して犠牲者が少ないとの判断から、人道的武力介入にも反対している。合理主義的、功利主義的に正しいとしても、では虐殺を傍観することの非倫理性をどのように考えるのか。
さらに非武装抵抗戦略の最大の問題は、合理的判断に立つのか、倫理的判断に立つのかという問題である。憲法を守る日本人の多くは、非武装抵抗運動は武力行使が非倫理的であるからという理由で非武装抵抗運動を支持するであろう。一方合理的判断に立った非武装抵抗運動は、場合によっては、武装抵抗運動の方が経済的、政治的に功利主義的に判断して有利になるとの判断に立つ。しかし、もし、合理主義的判断をはじめから否定するのなら、倫理的判断に立った非武装抵抗戦略と同じになる。つまり合理的判断に立った非武装抵抗戦略は、通常の武装抵抗戦略と本質的には変わらないということである。一方倫理的判断に立った非武装抵抗戦略は絶対平和主義の非武装無抵抗戦略と本質的には変わらないということである。
冷戦時代の非武装抵抗戦略論が無効になった以上、憲法を遵守する限り、日本人は絶対平和主義戦略をとる以外に方法はない。その戦略とは具体的には、米国にさらに「侵略、占領され」米国と一体化し、自衛隊員に全員米国籍を与えて、自衛隊を米軍化するのである。そして「日系アメリカ人」の自衛隊による日本防衛により、良心的兵役拒否国家ではなくアーミッシュ国家になることである。憲法9条に基づく戦略とは、「アーミッシュ国家化」である。
長谷部の戦略の前提となっている憲法9条は、憲法前文とあわせて理解すべきだと考える。すなわち前文には本文を拘束する法規範性があるのであり、前文を無視して憲法9条は存立しないし、前文抜きの戦略は有り得ない。そこであらためて前文の重要な部分を抜き出してみる。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって」との部分からは、日本国民は国内外の人々を問わず全ての人間相互の関係において崇高な理想が支配していると深く自覚しており、また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との部分からは、他国の国民が平和を愛しているおり、日本国民はかれらの公正と信義を信頼しているとの決意が述べられている。この決意を素直に読む限り、日本国憲法は性善説に基づき、世の中全ての人は善人であり他人や他国民を傷つけることなど有り得ないという前提にたっている。だからこそ憲法9条で軍隊も持たず、戦争もしないということが意味を持つのである。さらに善人しかいない世の中であれば警察力も必要のない、一切の暴力を排した絶対平和主義を前提にした憲法なのである。自衛隊が違憲ならば、海上保安庁も警察も裁判所も違憲である。なぜなら世の中に悪人はいないことが憲法の前提だからである。
したがって、絶対平和主義の憲法でとりうる戦略とは、実際には長谷部のいう第3の戦略しか取り得ない。なぜならそれ以外の戦略は、憲法前文の精神に反して「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないからである。この絶対平和主義の戦略が非現実的などということは全くない。われわれは戦後、厳密には冷戦時代は、少なくとも米国(あるいは西側諸国)の世「公正と信義に信頼して」、一切の抵抗をせず「米国」の侵略・支配を受け入れる「善き生き方」としての絶対平和主義を実践してきたのである。たしかに自衛隊は創った。しかし、それもまた「米国の公正と信義に信頼」した「善き生き方」として受け入れてきたのである。
ところでいわゆる護憲派の中には、第2の戦略である非暴力不服従すなわち非武装抵抗を主張する人たちが多い。上述したように、非武装抵抗運動そのものは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いないという意味で憲法前文に反しており、自衛隊による武力行使に反対する護憲派もまた同様に違憲の非武装運動を主張しているのである。それを別にしても、長谷部も主張するように、非暴力不服従戦略は問題の多い戦略である。
そもそも非暴力不服従運動がまるで無血運動であるかのように捉えられていることに大きな問題がある。非暴力不服従運動は時には武力以上の犠牲を強いる運動である。実際、ガンジーの非暴力運動でも6000人以上の犠牲者を出している。ガンジー自身も非暴力不服従が無血の運動などとは一切口外していない。それどころかユダヤ人の虐殺について、仮に民族が全滅しても非暴力を徹底すべきだといっていた。非暴力運動に犠牲はつきものであり、ガンジーは最後は非暴力運動に殉死した。
日本で非武装不服従運動について一般書を著したのは神学者の宮田光雄氏である。彼は『非武装国民抵抗の思想』(岩波新書、1971年)で、イギリスの海軍提督キング・ホールの『核時代における防衛』(1958年)を参考に日本の非武装抵抗運動について語っている。キング・ホールを含め欧米には戦略論として非武装抵抗論を主張する学者は多い。中でも非暴力戦争のクラウゼヴィッツとしてジーン・シャープ(Gene Sharp, The Politics of Nonviolent Action, Part One: Power and Struggle, MA: Porter Sargent, 1973) が特に名を知られている。しかし、宮田、ホール、シャープの誰であれ、彼らの非武装抵抗戦略論には致命的な欠陥があり、現在の「新しい戦争」には適応できない。
その問題は合理性と倫理性の二つに大別できる。
第1の問題は合理性である。非武装抵抗戦略論の理論的前提は、核戦略論と同様に合理的主体モデルである。
そもそも非武装抵抗戦略は、宮田、ホール、シャープにしても冷戦時代に著作を執筆していることでもわかるように、核時代の核戦争を前提にした戦略論である。つまり核戦略論と対をなす「旧い戦争」の戦略論である。「新しい戦争」の時代に入った今日、核戦略論の有効性が失われたように核戦略の対抗戦略としての非武装国民抵抗戦略は時代後れになった。
「旧い戦争」と「新しい戦争」の特徴を比較してみると次のようになる。
【旧い戦争】 【新しい戦争】
➀国家間戦争 LIC(低強度紛争)
②全面戦争 限定戦争
③核兵器 精密誘導兵器
④配分価値をめぐる戦争 承認価値をめぐる戦争
非武装国民抵抗が前提とする戦争は、上記の「旧い戦争」である。たしかに「旧い戦争」には合理的戦略として非武装国民抵抗が有効な場合もある。たとえば全ての非武装抵抗論が前提にしているのが、国家間の全面戦争の場合、とりわけ核兵器が使用されるような場合には、戦争による犠牲と非武装抵抗による犠牲とを比較考量すれば、経済的、政治的にも非武装抵抗の方が合理的な場合がある。つまり核兵器で全滅するよりは降伏や侵略を受け入れて、他日を期したほうがよい場合がある。こうした合理的判断が有効なのは、相手国が合理的に判断し、相手国を核攻撃して全滅させるよりは、占領、支配して自国の利益にかなうようにさせる方がよいとの功利主義的判断をした場合のみである。非武装国民抵抗運動は、こうした国家を合理的主体とみなし、いずれの国家も国益を最大化するために合理的に、功利主義的に判断するとの前提にたっている。この判断は核戦略や現実主義の戦略理論と全く同様である。シャープが非暴力戦争のクラウゼヴィッツと呼ばれるのもこうした合理主体モデルや功利主義的戦略に基づいているからである。
一方現在の「新しい戦争」では、紛争主体は国家とは限らない。むしろテロ、ゲリラ組織、犯罪集団、民族組織、宗教団体等、武装した非国家主体が主流である。こうした非国家主体によるいわゆるLICが国家間戦争に変わって武力紛争の中心を占めるようになっている。また使用される兵器も核兵器のような大量破壊兵器ではなく、自爆テロのような爆弾や、それに対抗するための精密誘導兵器である。被害も極限化される。たしかに無辜の市民が巻き添えになる可能性は否定できないものの、核戦争のような大量破壊による巻き添えとは比較にならないくらいに犠牲者の数は極限化される。だから武力行使の方が非暴力よりも犠牲が少ない場合も出てくる。
たとえば一般には非武力的手段とみなされている経済制裁である。以前のブログにも書いたがイラクに対する経済制裁では最初の10年間で100万が死亡した。一方イラク戦争での犠牲者はそれよりもはるかに少ない。武力が常に他の手段よりも犠牲者が多いというのは、核戦争や国家間の全面戦争(しかも第1次、2次世界大戦型。湾岸戦争やイラク戦争にはあてはまらない)の場合だけである。したがって、合理主義的、功利主義的判断に基づく非武装国民抵抗戦略は核戦略がそうであったように冷戦時代の遺物といってもよいだろう。
そして何よりも問題は、「新しい戦争」は承認をめぐる戦争だということである。つまりナショナリズム、宗教、思想などアイデンティティが争点となる戦争である。この戦争には一切の妥協はない。「旧い戦争」が主として領土の割譲、占領など経済的利益の配分をめぐる戦争であり、足して二で割るという妥協が可能な戦争であるのとは全く対照的である。一種の宗教戦争のような戦争こそが「新しい戦争」の本質である。したがって非武装であろうがなかろうが、抵抗する限りすなわち自分たちのイデオロギーを受け入れない限り、殲滅される可能性は否定できない。「新しい戦争」は非武装抵抗戦略が考えているように、すべての戦争を経済的問題すなわち配分をめぐる戦争には還元できない。非武装抵抗戦略は配分をめぐる戦争には有効な場合もあるが、承認をめぐる戦争では全く無効である。
非武装国民抵抗の第2の問題は倫理性である。
非武装国民抵抗は、自らは主体的に暴力を使わない。それは上記の合理モデルによれば暴力を使用することが非倫理的であるからではなく、むしろ非合理的であるからである。単純に言えば、上述したように武力抵抗よりも非暴力抵抗の方が犠牲が少ないとの合理主義的、功利主義的判断だからである。しかし、抵抗側には犠牲者が生れることを覚悟しなければならない。しかもその覚悟はだれからの強制でもなく自発的でなければならない。非武装、非暴力を物理的にでなくても心理的にでも強制すれば、それは非暴力ではなく暴力でしかない。それこそ非武装国民抵抗戦略の倫理に悖る。とはいえ全ての人が強制なしに自発的に一致団結して非暴力抵抗運動に参加できるのだろうか。
よしんば、子どもも老人も皆がみずからの命を犠牲にして非武装抵抗に協力したとしても、非武装国民抵抗戦略には倫理的問題が残る。すなわち「殺さない」ということは実践できたとしても「殺させない」という倫理が実践できないからである。真の非暴力主義とは「殺さない、殺させない」ということである。相手にも暴力を行使させないことこそ真の非暴力主義である。しかし、非暴力武装抵抗は場合によっては多くの殉死を求めることになる。逆に言えば、相手が多くの人々を殺傷することになる。敵が暴力をふるうことの非倫理性だけではなく、それを傍観することの非倫理性も非武装国民抵抗戦略にはある。子どもを殺されるのを傍観できる親がいたとして、その親は非暴力を実践したとして称賛されるのだろうか、それとも人倫に悖る人非人として非難されるのだろうか。
実はこの問題は、抵抗運動ではなく、人道的介入の問題としてわれわれの前に立ちふさがっている。非武装抵抗の多くは、武装介入しないほうが合理的に判断して犠牲者が少ないとの判断から、人道的武力介入にも反対している。合理主義的、功利主義的に正しいとしても、では虐殺を傍観することの非倫理性をどのように考えるのか。
さらに非武装抵抗戦略の最大の問題は、合理的判断に立つのか、倫理的判断に立つのかという問題である。憲法を守る日本人の多くは、非武装抵抗運動は武力行使が非倫理的であるからという理由で非武装抵抗運動を支持するであろう。一方合理的判断に立った非武装抵抗運動は、場合によっては、武装抵抗運動の方が経済的、政治的に功利主義的に判断して有利になるとの判断に立つ。しかし、もし、合理主義的判断をはじめから否定するのなら、倫理的判断に立った非武装抵抗戦略と同じになる。つまり合理的判断に立った非武装抵抗戦略は、通常の武装抵抗戦略と本質的には変わらないということである。一方倫理的判断に立った非武装抵抗戦略は絶対平和主義の非武装無抵抗戦略と本質的には変わらないということである。
冷戦時代の非武装抵抗戦略論が無効になった以上、憲法を遵守する限り、日本人は絶対平和主義戦略をとる以外に方法はない。その戦略とは具体的には、米国にさらに「侵略、占領され」米国と一体化し、自衛隊員に全員米国籍を与えて、自衛隊を米軍化するのである。そして「日系アメリカ人」の自衛隊による日本防衛により、良心的兵役拒否国家ではなくアーミッシュ国家になることである。憲法9条に基づく戦略とは、「アーミッシュ国家化」である。
2009年7月25日土曜日
新聞を止めるの記
今月から朝日新聞の宅配を止めた。記事に不満があったからではない。無くても不便を感じないからだ。ここ半年、海外に出ることが続き、その度に新聞の留め置きをした。帰宅後、まとめて配達してもらい、読むことにしていた。しかし、実際には全く読まなかった。海外でもネットで主なニュースを読むことができたし、また大きなホテルでは日本のテレビを見ることもできた。あらためて読む必要もなければ、読む時間もなかった。その上新聞そのものが最近は読む記事が少なくなった。一面広告ばかりが目について、読みたい記事がほとんど無い日が多い。ざっと目を通すだけで終わりである。夕刊はもっと酷い。広告の間に記事が挟まっているとしか思えない。夕刊を開くことも無く捨てる日々が続いた。これでは地球環境に悪い。エコ・キャンペーンに賛同して新聞を止めた。
朝日新聞をはじめ全国紙は記事のデパートのようになっている。国内、国際、政治、経済、学芸、家庭、科学、芸能、スポーツ、番組案内と盛りだくさんだ。しかし、これらの分野の記事全てを必要としている人などまずいないだろう。私の場合には国内、国際の政治、経済ニュースがあれば十分だ。しかし、こうした分野の記事が最近少なくなっている。とりわけ国際面の記事の減り方は異常だ。今でも覚えているが、朝日新聞の国際面がまだ1頁しかなかったおよそ40年前に、朝日は当時のベトナム戦争の報道を充実させるために国際面を2倍にすると社告を出し、それ以来朝日の国際面は他の新聞を圧していた。しかし、最近、どうかすると国際面が1頁しかない日があった。そんな日は新聞をは読むのではなく、単に頁をめくって終わりである。ふと気付くと一番熱心に読んでいたのはテレビ番組欄で、しかもNHK衛星放送のドキュメンタリー番組欄だ。教材用に海外のドキュメンタリー番組を録画するために見逃さずに見ていた。こうして新聞は私にはあまり必要のないものとなってしまった。
なぜこのようなことになったのだろうか。記事内容について文句があるから抗議のために講読を止めたのではない。自宅で朝、宅配された新聞を読んで情報を入れるという必要性が薄れたからである。しかし、入手する情報の量そのものは時々刻々といってよいくらいに増えている。テレビやネットで新聞のヘッドラインを確認し、必要があれば、売店で新聞を買う。最近買う新聞は決まっている。朝刊は産経新聞、夕刊は毎日新聞である。両紙とも経営悪化で取材力が弱いのか、日々のニュースはつまらない。面白いのは、コラム、解説、評論記事である。産経にいたっては記事がないのか、30年前の社説や社外の有識者のコラム、伝記、評伝の類まで掲載している。ニュースではなくオールズのオンパレードである。ストレート・ニュースはテレビ、ネットに譲ってしまったのか、月刊『正論』の日刊版の趣がある。朝日新聞も『論座』になれば面白いと思うのだが。
さて長々と私の朝日新聞止めるの弁を書いたのは、佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年)に触発されたからだ。私が新聞を止めてもよいと思ったのは、決して私の個人的理由からだけではなく、マスメディアに今起きている激変のせいだということがわかった。一言で言うなら、新聞が情報時代に追いついて行けず、もはや情報を伝達するという使命が終わろうとしているということだ。
情報の伝達は三層構造になっているという。コンテンツ、コンテナ、コンベヤである。新聞では、コンテンツは新聞記事、コンテナは新聞紙面、コンベヤは販売店である。現在、新聞社はこれら三つを全て牛耳っている。記者が新聞記事を書き、新聞社で印刷し、系列の新聞販売店が配達する。しかし、ネットの登場でこの流れが大きく変わった。コンテナがグーグル・ニュース、ヤフー・ニュースあるいはブログなどに変わり、コンベヤがインターネット回線になっている。変わらない部分は記事の作成である。現在、ネットで配信されている記事は依然として新聞記者が作成している。
しかし、この部分もブログの書き手によって取って代わられる可能性がある。私がスリランカに入ったとき、日本の特派員は一人もいなかった。記者はインドでインドの新聞やテレビを見ながらスリランカの記事を書いていたのである。これならブログに書いた私の記事の内容の方が現地の状況を的確につたえているのではないかと思った。決して記者は現場を踏んで記事を書いているわけではない。ならば、記者よりは専門知識を持った私が書いた方がまだましな記事が書けるし、また私自身が現場に行けば記者よりもずっとよい記事が書ける。
これまでは新聞紙面というコンテナを新聞社に独占されていたために一般人が記事を書いて配信することなど不可能であった。しかし、ネットのおかげで、われわれ一般人も記事の内容で記者と互角に対抗できる局面が生れたのである。ただし、簡単に対抗できるわけではない。そこには乗り越えなければならない山がいくつもある。典型的な例がネットのアマチュ新聞「オーマイニュース」である。同サイトは記事の内容と利益を挙げるためのビジネス・モデルの構築に失敗して今年4月に廃刊となりネットから消えた。
新聞社の存亡はもはやいかに内容のあるコンテンツすなわち記事を作成するかにかかっている。取材力は通信社に劣る。だからストレート・ニュースは通信社にませるしかない。残るは評論、解説、分析である。何のことはない、結果的に「産経新聞」化、「毎日新聞」化することが新聞社が生き残る道ということになる。両社は経営悪化のためにやむなく現在のような日刊評論紙になったが、いずれ朝日、読売もそうならざるを得ないだろう。逆に日刊評論紙になれば、それはわれわれも「オーマイニュース」が失敗したようなストレート・ニュースではなく、ブログ評論で対抗できるということである。必要なのは高い専門性を備えた知識である。
蛇足ながら、ではこうしたメディアの変革は教育にどのような影響を及ぼすのか。教育も幅広い意味でメディアそのものである。コンテンツは講義内容、コンテナは学部やカリキュラム、コンベアは教室、大学施設である。コンベアをインターネットにする試みは行われているが、サイバー大学の例をみてもわかるが、なかなかうまくいかない。教育は基本的には対面販売が基本となるサービスである。一人一人の学生と直接に会って講義を伝達しなければ商品が無形のものだけに、なかなか消費者(学生)の満足は得られない。
コンテナの改革はほとんどの大学が手を変え、品を変えて実施している。ここは大学運営の基本部分である。講義という商品を仕入れ、その品質を維持し、品揃えをよくし、大学のブランドをつけていかに消費者(学生)に売るか、大学経営者の腕の見せ所である。これに失敗するとブランド力の無い大学はあっと言う間につぶれる。
教育の最大の問題は、コンテンツの部分である。たとえば従来の大学は徒弟制度の中で教員を養成し、講義(商品)を提供してきた。しかし、最近は大学での教員養成では間に合わないほどにコンテナが多様化したために外部の専門家を導入することが大幅に増えた。なにを隠そう、私もその一人である。情報時代が来なければ、私が大学教員になることなど全くなかったろう。コンテンツそのものは教員個人が作成しなければならない。それが質的に高いものでなければ、次々と教員の淘汰が起こり、外部の専門家と交代させられるだろう。学の独立、真理の探求などと高邁な戯言、寝言をいっている場合ではない。
メディアという観点から見れば、ユーチューブに追い上げられているテレビも新聞もそして大学も置かれている状況はさほど変わらない。状況は質が問われる時代だということだ。考えてみれば、それはまさにメディアそして教育の原点でもある。
朝日新聞をはじめ全国紙は記事のデパートのようになっている。国内、国際、政治、経済、学芸、家庭、科学、芸能、スポーツ、番組案内と盛りだくさんだ。しかし、これらの分野の記事全てを必要としている人などまずいないだろう。私の場合には国内、国際の政治、経済ニュースがあれば十分だ。しかし、こうした分野の記事が最近少なくなっている。とりわけ国際面の記事の減り方は異常だ。今でも覚えているが、朝日新聞の国際面がまだ1頁しかなかったおよそ40年前に、朝日は当時のベトナム戦争の報道を充実させるために国際面を2倍にすると社告を出し、それ以来朝日の国際面は他の新聞を圧していた。しかし、最近、どうかすると国際面が1頁しかない日があった。そんな日は新聞をは読むのではなく、単に頁をめくって終わりである。ふと気付くと一番熱心に読んでいたのはテレビ番組欄で、しかもNHK衛星放送のドキュメンタリー番組欄だ。教材用に海外のドキュメンタリー番組を録画するために見逃さずに見ていた。こうして新聞は私にはあまり必要のないものとなってしまった。
なぜこのようなことになったのだろうか。記事内容について文句があるから抗議のために講読を止めたのではない。自宅で朝、宅配された新聞を読んで情報を入れるという必要性が薄れたからである。しかし、入手する情報の量そのものは時々刻々といってよいくらいに増えている。テレビやネットで新聞のヘッドラインを確認し、必要があれば、売店で新聞を買う。最近買う新聞は決まっている。朝刊は産経新聞、夕刊は毎日新聞である。両紙とも経営悪化で取材力が弱いのか、日々のニュースはつまらない。面白いのは、コラム、解説、評論記事である。産経にいたっては記事がないのか、30年前の社説や社外の有識者のコラム、伝記、評伝の類まで掲載している。ニュースではなくオールズのオンパレードである。ストレート・ニュースはテレビ、ネットに譲ってしまったのか、月刊『正論』の日刊版の趣がある。朝日新聞も『論座』になれば面白いと思うのだが。
さて長々と私の朝日新聞止めるの弁を書いたのは、佐々木俊尚『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年)に触発されたからだ。私が新聞を止めてもよいと思ったのは、決して私の個人的理由からだけではなく、マスメディアに今起きている激変のせいだということがわかった。一言で言うなら、新聞が情報時代に追いついて行けず、もはや情報を伝達するという使命が終わろうとしているということだ。
情報の伝達は三層構造になっているという。コンテンツ、コンテナ、コンベヤである。新聞では、コンテンツは新聞記事、コンテナは新聞紙面、コンベヤは販売店である。現在、新聞社はこれら三つを全て牛耳っている。記者が新聞記事を書き、新聞社で印刷し、系列の新聞販売店が配達する。しかし、ネットの登場でこの流れが大きく変わった。コンテナがグーグル・ニュース、ヤフー・ニュースあるいはブログなどに変わり、コンベヤがインターネット回線になっている。変わらない部分は記事の作成である。現在、ネットで配信されている記事は依然として新聞記者が作成している。
しかし、この部分もブログの書き手によって取って代わられる可能性がある。私がスリランカに入ったとき、日本の特派員は一人もいなかった。記者はインドでインドの新聞やテレビを見ながらスリランカの記事を書いていたのである。これならブログに書いた私の記事の内容の方が現地の状況を的確につたえているのではないかと思った。決して記者は現場を踏んで記事を書いているわけではない。ならば、記者よりは専門知識を持った私が書いた方がまだましな記事が書けるし、また私自身が現場に行けば記者よりもずっとよい記事が書ける。
これまでは新聞紙面というコンテナを新聞社に独占されていたために一般人が記事を書いて配信することなど不可能であった。しかし、ネットのおかげで、われわれ一般人も記事の内容で記者と互角に対抗できる局面が生れたのである。ただし、簡単に対抗できるわけではない。そこには乗り越えなければならない山がいくつもある。典型的な例がネットのアマチュ新聞「オーマイニュース」である。同サイトは記事の内容と利益を挙げるためのビジネス・モデルの構築に失敗して今年4月に廃刊となりネットから消えた。
新聞社の存亡はもはやいかに内容のあるコンテンツすなわち記事を作成するかにかかっている。取材力は通信社に劣る。だからストレート・ニュースは通信社にませるしかない。残るは評論、解説、分析である。何のことはない、結果的に「産経新聞」化、「毎日新聞」化することが新聞社が生き残る道ということになる。両社は経営悪化のためにやむなく現在のような日刊評論紙になったが、いずれ朝日、読売もそうならざるを得ないだろう。逆に日刊評論紙になれば、それはわれわれも「オーマイニュース」が失敗したようなストレート・ニュースではなく、ブログ評論で対抗できるということである。必要なのは高い専門性を備えた知識である。
蛇足ながら、ではこうしたメディアの変革は教育にどのような影響を及ぼすのか。教育も幅広い意味でメディアそのものである。コンテンツは講義内容、コンテナは学部やカリキュラム、コンベアは教室、大学施設である。コンベアをインターネットにする試みは行われているが、サイバー大学の例をみてもわかるが、なかなかうまくいかない。教育は基本的には対面販売が基本となるサービスである。一人一人の学生と直接に会って講義を伝達しなければ商品が無形のものだけに、なかなか消費者(学生)の満足は得られない。
コンテナの改革はほとんどの大学が手を変え、品を変えて実施している。ここは大学運営の基本部分である。講義という商品を仕入れ、その品質を維持し、品揃えをよくし、大学のブランドをつけていかに消費者(学生)に売るか、大学経営者の腕の見せ所である。これに失敗するとブランド力の無い大学はあっと言う間につぶれる。
教育の最大の問題は、コンテンツの部分である。たとえば従来の大学は徒弟制度の中で教員を養成し、講義(商品)を提供してきた。しかし、最近は大学での教員養成では間に合わないほどにコンテナが多様化したために外部の専門家を導入することが大幅に増えた。なにを隠そう、私もその一人である。情報時代が来なければ、私が大学教員になることなど全くなかったろう。コンテンツそのものは教員個人が作成しなければならない。それが質的に高いものでなければ、次々と教員の淘汰が起こり、外部の専門家と交代させられるだろう。学の独立、真理の探求などと高邁な戯言、寝言をいっている場合ではない。
メディアという観点から見れば、ユーチューブに追い上げられているテレビも新聞もそして大学も置かれている状況はさほど変わらない。状況は質が問われる時代だということだ。考えてみれば、それはまさにメディアそして教育の原点でもある。
2009年7月21日火曜日
『名著で学ぶ戦争論』を読む
若い気鋭の研究者の仕事ぶりを見て、嫉妬ではなく感心するようになったら年をとった証拠だ。そんな感想を抱かせる文庫本が出版された『名著で学ぶ戦争論』である。石津朋之、永末聡、塚本勝也、中島浩貴ら、まさに日本の安全保障研究をリードするいわゆる防研(防衛研究所)学派の少壮の研究者が書いた戦略研究の入門書である。軍事戦略の解説書といいながら、同書が取り上げている著作は、クラウゼヴィッツ『戦争論』のような純粋な軍事戦略の研究書だけではない。ヘロドトス『歴史』、トウ-キュディデス『戦史』、マキャベリ『君主論』、さらにはトルストイの小説『戦争と平和』に至るまで、歴史書、政治学書そして小説に至るまで幅広く渉猟している。
個人的な感想を言えば、キッシンジャー『回復された世界平和』は小生が修士論文で取り挙げた著作で、興味深く解説を読んだ。「正当性秩序」と「革命秩序」という二つの中心的概念を用いてナポレオン戦争後の欧州の秩序回復の外交過程を描いた同書が、その後のキッシンジャー外交のイデオロギーとなった。そしてキッシンジャーは米国外交が忌避してきた「勢力均衡概念」に基づいて、ベトナム戦争、中東戦争、中国そしてソ連との冷戦を事例に現実主義外交を展開したのである。見方を変えれば、キッシンジャーは自らの世界観、理論に基づいて世界を作り替えようとしたのである。それは現実主義外交というより、現実主義という名の理想を掲げたきわめて理想主義的外交ではなかったろうか。つまり戦略論とは現実との応答の術というよりは、現実という名の夢を記した著作ではないだろうか。今から30年前に『回復された世界平和』と格闘した日々を思い出しながら解説を読んだ。
もう一つ忘れられない本がある。クレフェルト『戦争の変遷』である。同書は主権国家戦争とは異なる戦争である「低強度戦争」について記した研究書である。小生の著作『現代戦争論』とアイデアは全く同じである。クレフェルトの『戦争の変遷』が1991年の出版、小著が1993年で、2年小著の出版が遅い。だから小著は二番煎じの誹りを免れないのだが、実のところ、防衛研究所の内部資料として小著はクレフェルトとほぼ同時の1991年に公刊した。
「低強度紛争」の用語はすでに80年代半ばには専門家の間に知られており、小生も85年にスタンフォード大学のフーバー研究所に留学した際に一年間かけて「低強度紛争」について徹底的に調査した。その成果は「米国の対テロリズム政策の課題と問題」『国際問題』(第 320号、1986年)に発表した。『現代戦争論』の骨格は全てこの論文にある。その後、この論文を発展させて1991年に『現代戦争論』(実際には新書判よりもっと理論的であったが、新書にする際に理論部分は編集者の指示で割愛した)の元となる内部研究成果報告書を印刷した。そして1992年にひょんなことから中公の編集者の眼に止まり、新書の出版が決まった。ただし、条件は新書に向けて全て書き直すことであった。結局92年の約一年間かけて毎月一章ずつ書き直し、93年の夏に出版した。
90年、91年と内部報告書の印刷の段階で徹底して先行研究調査をした。しかし、うかつにもクレフェルトの著作には気付かなかった。先行研究調査をしていたころにはまだ出版されていなかったからか、あるいはその題名The Transformation of Warという題名から小生と同じようなテーマを扱っていたことに気付かなかったのかもしれない。同書を知ったのは90年代の半ばすぎだったように思う。いずれにせよ先行研究調査の重要性を身に沁みて思い知った。同時に同じ研究テーマを追求している研究者が世界にもう一人いたことに、研究の方向性は間違っていなかったことを知って安心した。核戦略研究全盛の頃に防衛研究所で全く異端の「低強度紛争」やテロの研究をしており、単なる思いつきのアイデア倒れの研究ではないかといつも不安にかられていたらからだ。
別にクレフェルトに並べて小著をとりあげてくれというつもりは心底全くないが、気になったことがある。日本の軍事戦略書が全く取り上げられていないことだ。日本にはとりあげるに値する軍事戦略書はないのだろうか。たとえば北一輝『日本国家改造法案大綱』や石原莞爾『戦争史大観』は戦略論や戦争論には値しないだのだろうか。
かねてから思っていたのだが、今日本でクラウゼヴィッツをはじめ『名著で学ぶ戦争論』をいくら学んでも、それは所詮他国のことであり、現在の日本にとってなんら得るところはないのではないか。「低強度紛争」をいくら研究しても、所詮それはアメリカの戦略であり、百歩譲っても、軍事力を国家の外交手段として行使できる国家の戦略論、戦争論でしかない。戦略論を学ぶ基本は、外交手段としていかに軍事力を用いるか、その術を学ぶことにある。しかし、憲法9条で外交手段としての軍事力の威嚇も行使も禁止されている日本にとって、古今東西の戦略論の名著を学んでも、なんらわが国の外交に裨益することはない。
もし、日本に戦略論があるとするなら、憲法9条を前提にした戦略論でしかない。これは文字通り「丸い三角」を書けというのと同じである。軍事力を否定している憲法に基づいて、軍事力を前提にした戦略論を描くことなど不可能である。もし万一可能だとするなら、それは軍事力を前提にしない戦略論である。しかし、残念ながら、エラスムス、モア、カント、サン・ピエールなど古今東西の平和論、戦争論、平和論、戦略論のいずれであれ、一切の戦争や軍事力を否定した著作は一書もない。
憲法9条という人類史上類例のない憲法をもった国家に暮らす我々が戦略論を「名著に学ぶ」ことなど全く不可能である。新たに「非武装・非軍事戦略」論を書くしかない。
個人的な感想を言えば、キッシンジャー『回復された世界平和』は小生が修士論文で取り挙げた著作で、興味深く解説を読んだ。「正当性秩序」と「革命秩序」という二つの中心的概念を用いてナポレオン戦争後の欧州の秩序回復の外交過程を描いた同書が、その後のキッシンジャー外交のイデオロギーとなった。そしてキッシンジャーは米国外交が忌避してきた「勢力均衡概念」に基づいて、ベトナム戦争、中東戦争、中国そしてソ連との冷戦を事例に現実主義外交を展開したのである。見方を変えれば、キッシンジャーは自らの世界観、理論に基づいて世界を作り替えようとしたのである。それは現実主義外交というより、現実主義という名の理想を掲げたきわめて理想主義的外交ではなかったろうか。つまり戦略論とは現実との応答の術というよりは、現実という名の夢を記した著作ではないだろうか。今から30年前に『回復された世界平和』と格闘した日々を思い出しながら解説を読んだ。
もう一つ忘れられない本がある。クレフェルト『戦争の変遷』である。同書は主権国家戦争とは異なる戦争である「低強度戦争」について記した研究書である。小生の著作『現代戦争論』とアイデアは全く同じである。クレフェルトの『戦争の変遷』が1991年の出版、小著が1993年で、2年小著の出版が遅い。だから小著は二番煎じの誹りを免れないのだが、実のところ、防衛研究所の内部資料として小著はクレフェルトとほぼ同時の1991年に公刊した。
「低強度紛争」の用語はすでに80年代半ばには専門家の間に知られており、小生も85年にスタンフォード大学のフーバー研究所に留学した際に一年間かけて「低強度紛争」について徹底的に調査した。その成果は「米国の対テロリズム政策の課題と問題」『国際問題』(第 320号、1986年)に発表した。『現代戦争論』の骨格は全てこの論文にある。その後、この論文を発展させて1991年に『現代戦争論』(実際には新書判よりもっと理論的であったが、新書にする際に理論部分は編集者の指示で割愛した)の元となる内部研究成果報告書を印刷した。そして1992年にひょんなことから中公の編集者の眼に止まり、新書の出版が決まった。ただし、条件は新書に向けて全て書き直すことであった。結局92年の約一年間かけて毎月一章ずつ書き直し、93年の夏に出版した。
90年、91年と内部報告書の印刷の段階で徹底して先行研究調査をした。しかし、うかつにもクレフェルトの著作には気付かなかった。先行研究調査をしていたころにはまだ出版されていなかったからか、あるいはその題名The Transformation of Warという題名から小生と同じようなテーマを扱っていたことに気付かなかったのかもしれない。同書を知ったのは90年代の半ばすぎだったように思う。いずれにせよ先行研究調査の重要性を身に沁みて思い知った。同時に同じ研究テーマを追求している研究者が世界にもう一人いたことに、研究の方向性は間違っていなかったことを知って安心した。核戦略研究全盛の頃に防衛研究所で全く異端の「低強度紛争」やテロの研究をしており、単なる思いつきのアイデア倒れの研究ではないかといつも不安にかられていたらからだ。
別にクレフェルトに並べて小著をとりあげてくれというつもりは心底全くないが、気になったことがある。日本の軍事戦略書が全く取り上げられていないことだ。日本にはとりあげるに値する軍事戦略書はないのだろうか。たとえば北一輝『日本国家改造法案大綱』や石原莞爾『戦争史大観』は戦略論や戦争論には値しないだのだろうか。
かねてから思っていたのだが、今日本でクラウゼヴィッツをはじめ『名著で学ぶ戦争論』をいくら学んでも、それは所詮他国のことであり、現在の日本にとってなんら得るところはないのではないか。「低強度紛争」をいくら研究しても、所詮それはアメリカの戦略であり、百歩譲っても、軍事力を国家の外交手段として行使できる国家の戦略論、戦争論でしかない。戦略論を学ぶ基本は、外交手段としていかに軍事力を用いるか、その術を学ぶことにある。しかし、憲法9条で外交手段としての軍事力の威嚇も行使も禁止されている日本にとって、古今東西の戦略論の名著を学んでも、なんらわが国の外交に裨益することはない。
もし、日本に戦略論があるとするなら、憲法9条を前提にした戦略論でしかない。これは文字通り「丸い三角」を書けというのと同じである。軍事力を否定している憲法に基づいて、軍事力を前提にした戦略論を描くことなど不可能である。もし万一可能だとするなら、それは軍事力を前提にしない戦略論である。しかし、残念ながら、エラスムス、モア、カント、サン・ピエールなど古今東西の平和論、戦争論、平和論、戦略論のいずれであれ、一切の戦争や軍事力を否定した著作は一書もない。
憲法9条という人類史上類例のない憲法をもった国家に暮らす我々が戦略論を「名著に学ぶ」ことなど全く不可能である。新たに「非武装・非軍事戦略」論を書くしかない。
2009年7月5日日曜日
殉死を求める憲法九条
死んでも、自らの命を賭してでも憲法9条を守ろうという人たち増えていることに最近気がついた。
随分上の世代だが、1926年生れ山口瞳が「私の根本思想」嵐山光三郎編『男性自身傑作選 熟年篇』新潮文庫、2003年)に次のように記している。
「人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯主義の理想主義である。
私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか」(227頁)。戦前生れの山口瞳にとって無抵抗主義は大戦の経験が影響しているのであろう。
私とほぼ同じ世代で1950年生れの中沢新一も、太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)で護憲のための犠牲を覚悟すべきだと次のように論じている。
「(中沢)・・・日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受け入れるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのとおりに生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕は、その犠牲を受け入れたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。」
「太田 憲法九条を世界遺産にするということは、状況によっては、殺される覚悟も必要だということですね。」
「中沢 突き詰めれば、そういうことです。無条件で護憲しろという人たち、あるいはこの憲法は現実的でないから変えろという人たち、その両方になじめません。価値あるものを守るためには、気持ちのいいことだけではすまないぞと。」
まさに、その覚悟や、よし!である。憲法9条に殉ずる覚悟こそ真の護憲派に求められる心意気である。
彼らの立場は、まさかの時には憲法9条とともに殉死する覚悟である。そしてかれら憲法九条殉死派に満腔からの賛意を呈しているのが、1965年生まれの専修大学教授田村理である。彼は『国家は僕らをまもらない-愛と自由の憲法論』(朝日新書、2007年)の中で、彼ら二人の意見を受けて、こう記している。
「まったく同感だ。だから、憲法9条をまもろうと言いながら、『自衛権』は日本国憲法でも当然認められるとし、『武力なき自衛権』に逃げ込んでしまった護憲派憲法学の多くを、僕は断じて支持できない。その『覚悟の甘さ』はすぐに人々に伝わり、憲法9条の魅力を欺瞞にかえた。首相でさえ『正当防衛権を認めることは戦争を誘発することになる』から自衛戦争も放棄するのだといい、文部省が『新しい憲法の話し』で中学生に『正しいことぐらい強いものはありません』と胸をはった時代もあったのに、憲法学が、『卑怯未練の理想主義者』になれなかったことが残念でならない」。
彼ら三者に共通しているのは、無抵抗主義すなわち自衛権の放棄であり、国家によるいかなる武力行使も否定するということである。究極のところ「覚悟」をもって憲法9条に殉ずることである。
憲法を字義どおりに解釈するなら、かれらの見解は全く正しい。そもそも、私がいつも言っていることだが、憲法の内容は義務教育を終えた普通の国民が理解できる範囲でなければならない。なぜなら憲法は、国民が国家に対し守るよう求めた国民からの約束だからである。しでもないこうでもないと憲法学者が解釈すべきものではない。そもそも憲法が学問の対象になること自体がおかしな話だ。
ここでは憲法九条が自然権である自衛権を否定しているかどうかの憲法解釈をするつもりはない。結論から言えば、人間には自衛権すなわち正当防衛権はあるが、その類推としての国家に自衛権があると考えるのは間違いである。たとえばホッブズは人間の身体性から自然権としての自己保存の権利を正当化したが、国家については一言も触れていない。
いずれにせよ、憲法九条が自衛権を否定しているのは、田村が記した通り、憲法制定当時は当然のこととしてみなされていた。また憲法九条の思想的淵源はカント(彼も人民の武装抵抗は肯定している)などではなく、第一次世界大戦後に澎湃として沸き起こったレビンソンやデューイらの「戦争非合法化」論にあるとの意見のほうが正しい(たとえば河上暁弘『日本国憲法第九条成立の思想的淵源』専修大学出版局、2006年)。さらに憲法9条の起草に携わり、徹底して日本の非武装化を画策したGHQ関係者や日本の平和主義思想の本流であるキリスト教徒とくにクウエーカー教徒の影響も大きいと思われる。とにかく憲法9条が自衛権も含め全ての国家権力による暴力行使を否定していることは疑いもない。つまり憲法九条は、憲法九条の理念を護るために、人々に憲法九条に殉ずることを求めているのである。上記の三人が求めている覚悟とは、憲法九条に殉ずる覚悟である。
しかし、憲法殉死派のかれらの最大の問題点は、国民の生命、財産、人権を守るために国家の国民に対する約束である憲法が、その憲法を守るために国民自身が人身御供になるべきだという矛盾である。国民に護憲のために殉死を求める憲法というのは、国民に護国のために殉死を求める国家とどうちがうのだろうか。戦前は国家のために殉死を拒否する者は非国民と非難された。翻って、憲法9条のために殉死を拒否する者もやはり非国民として非難されるのだろうか。殉死した人は、護国神社ならぬ、護憲神社に英霊として祭ってもらえるのであろうか。護憲派の中でも非暴力無抵抗主義の絶対平和主義者と改憲派の武装抵抗主義の絶対現実主者と殉死を求めるという意味では全く変わらない。両者は合わせ鏡にしかすぎない。お互いに映る己の姿をひたすら相互に批判し続けている。それが己自身の姿だとも自覚しないままに。
随分上の世代だが、1926年生れ山口瞳が「私の根本思想」嵐山光三郎編『男性自身傑作選 熟年篇』新潮文庫、2003年)に次のように記している。
「人は、私のような無抵抗主義は理想論だと言うだろう。その通り。私は女々しくて卑怯主義の理想主義である。
私は、日本という国は亡びてしまってもいいと思っている。皆殺しにされてもいいと思っている。かつて、歴史上に、人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったといったことで充分ではないか」(227頁)。戦前生れの山口瞳にとって無抵抗主義は大戦の経験が影響しているのであろう。
私とほぼ同じ世代で1950年生れの中沢新一も、太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)で護憲のための犠牲を覚悟すべきだと次のように論じている。
「(中沢)・・・日本が軍隊を持とうが持つまいが、いやおうなく戦争に巻き込まれていく状態はあると思います。平和憲法護持と言っていた人たちが、その現実をどう受け入れるのか。そのとき、多少どころか、かなりの犠牲が発生するかもしれない。普通では実現できないものを守ろうとしたり、考えたり、そのとおりに生きようとすると、必ず犠牲が伴います。僕は、その犠牲を受け入れたいと思います。覚悟を持って、価値というものを守りたいと思う。」
「太田 憲法九条を世界遺産にするということは、状況によっては、殺される覚悟も必要だということですね。」
「中沢 突き詰めれば、そういうことです。無条件で護憲しろという人たち、あるいはこの憲法は現実的でないから変えろという人たち、その両方になじめません。価値あるものを守るためには、気持ちのいいことだけではすまないぞと。」
まさに、その覚悟や、よし!である。憲法9条に殉ずる覚悟こそ真の護憲派に求められる心意気である。
彼らの立場は、まさかの時には憲法9条とともに殉死する覚悟である。そしてかれら憲法九条殉死派に満腔からの賛意を呈しているのが、1965年生まれの専修大学教授田村理である。彼は『国家は僕らをまもらない-愛と自由の憲法論』(朝日新書、2007年)の中で、彼ら二人の意見を受けて、こう記している。
「まったく同感だ。だから、憲法9条をまもろうと言いながら、『自衛権』は日本国憲法でも当然認められるとし、『武力なき自衛権』に逃げ込んでしまった護憲派憲法学の多くを、僕は断じて支持できない。その『覚悟の甘さ』はすぐに人々に伝わり、憲法9条の魅力を欺瞞にかえた。首相でさえ『正当防衛権を認めることは戦争を誘発することになる』から自衛戦争も放棄するのだといい、文部省が『新しい憲法の話し』で中学生に『正しいことぐらい強いものはありません』と胸をはった時代もあったのに、憲法学が、『卑怯未練の理想主義者』になれなかったことが残念でならない」。
彼ら三者に共通しているのは、無抵抗主義すなわち自衛権の放棄であり、国家によるいかなる武力行使も否定するということである。究極のところ「覚悟」をもって憲法9条に殉ずることである。
憲法を字義どおりに解釈するなら、かれらの見解は全く正しい。そもそも、私がいつも言っていることだが、憲法の内容は義務教育を終えた普通の国民が理解できる範囲でなければならない。なぜなら憲法は、国民が国家に対し守るよう求めた国民からの約束だからである。しでもないこうでもないと憲法学者が解釈すべきものではない。そもそも憲法が学問の対象になること自体がおかしな話だ。
ここでは憲法九条が自然権である自衛権を否定しているかどうかの憲法解釈をするつもりはない。結論から言えば、人間には自衛権すなわち正当防衛権はあるが、その類推としての国家に自衛権があると考えるのは間違いである。たとえばホッブズは人間の身体性から自然権としての自己保存の権利を正当化したが、国家については一言も触れていない。
いずれにせよ、憲法九条が自衛権を否定しているのは、田村が記した通り、憲法制定当時は当然のこととしてみなされていた。また憲法九条の思想的淵源はカント(彼も人民の武装抵抗は肯定している)などではなく、第一次世界大戦後に澎湃として沸き起こったレビンソンやデューイらの「戦争非合法化」論にあるとの意見のほうが正しい(たとえば河上暁弘『日本国憲法第九条成立の思想的淵源』専修大学出版局、2006年)。さらに憲法9条の起草に携わり、徹底して日本の非武装化を画策したGHQ関係者や日本の平和主義思想の本流であるキリスト教徒とくにクウエーカー教徒の影響も大きいと思われる。とにかく憲法9条が自衛権も含め全ての国家権力による暴力行使を否定していることは疑いもない。つまり憲法九条は、憲法九条の理念を護るために、人々に憲法九条に殉ずることを求めているのである。上記の三人が求めている覚悟とは、憲法九条に殉ずる覚悟である。
しかし、憲法殉死派のかれらの最大の問題点は、国民の生命、財産、人権を守るために国家の国民に対する約束である憲法が、その憲法を守るために国民自身が人身御供になるべきだという矛盾である。国民に護憲のために殉死を求める憲法というのは、国民に護国のために殉死を求める国家とどうちがうのだろうか。戦前は国家のために殉死を拒否する者は非国民と非難された。翻って、憲法9条のために殉死を拒否する者もやはり非国民として非難されるのだろうか。殉死した人は、護国神社ならぬ、護憲神社に英霊として祭ってもらえるのであろうか。護憲派の中でも非暴力無抵抗主義の絶対平和主義者と改憲派の武装抵抗主義の絶対現実主者と殉死を求めるという意味では全く変わらない。両者は合わせ鏡にしかすぎない。お互いに映る己の姿をひたすら相互に批判し続けている。それが己自身の姿だとも自覚しないままに。
2009年7月3日金曜日
マイケル・ジャクソンWe are the World
マイケル・ジャクソンが急死してあちこちのテレビ番組で追悼番組が放送されている。私自身はマイケル・ジャクソンを聴く機会はあまりなかった。彼の想い出といえば、まだジャクソン・ファイブ時代に兄弟と一緒に歌っていた幼いマイケルだ。NHKの番組だったような気がするが、歌がうまいので非常に印象に残っている。次に彼の想い出といえば1985年のSave Africa Campaignのテーマ曲「We are the world」を当時の一流のアーティストと一緒に歌っていた姿だ。レコーディング・スタジオでダイアナ・ロスと一緒に手をつなぎながら歌っていたシーンが今となっては印象的だ。
「We are the World」を聞いたのは、1985年の春か、夏かいつの頃だったか今となってははっきり覚えていない。ただ場所はよく覚えている。新宿三丁目の丸井の前を通りかかった時に突然、どこかの店から聞こえてきた。思わず足を止めて聞き入ってしまった。その年の秋、アメリカに留学した。アメリカでも何度も聞いた覚えがある。エチオビアの飢餓を救えというキャンペーンがフタンフォードのキャンパスでも繰り広げられていた。全米でアフリカを救えというキャンペーンが展開されていた。
あらためてビデオを見ると、本当に懐かしい顔が勢ぞろいしている。ネットで調べると次の順番で出演している。
ライオネル・リッチー → スティーヴィー・ワンダー → ポール・サイモン → ケニー・ロジャース → ジェームス・イングラム → ティナ・ターナー → ビリー・ジョエル → マイケル・ジャクソン → ダイアナ・ロス → ディオンヌ・ワーウィック → ウィリー・ネルソン → アル・ジャロウ → ブルース・スプリリングスティーン → ケニー・ロギンズ → スティーヴ・ペリー → ダリル・ホール → マイケル・ジャクソン → ヒューイ・ルイス → シンディ・ローパー → キム・カーンズ → ボブ・ディラン → レイ・チャールズ → スティーヴィー・ワンダー&ブルース・スプリングスティーン → ジェームス・イングラム
このうちの半分の歌手は、普段あまりアメリカの音楽を聞かない私でも知っている。特にダイアナ・ロスには強い想い出がある。彼女がまだシュプリームズで歌っていた1972年だったと思うが、アルバイトをしていた「ニューラテン・クウォーター」でジュープリームズのショーがあった。舞台の袖で彼女の歌を聞いたときには、本当に仰天した。歌がうまいとか、声がいいとかといったことを遥かに超越して、ただ、ただ感動だけが残った。今でも彼女の後ろ姿ははっきりと覚えている。
「We are the World」はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作になっているが、実質的には8割をマイケルが作ったらしい。そう思って歌詞を読むと、マイケルらしいフレーズが出で来る。サビの「We are the World, We are the Children」はデイズニーランドの It's a small world やマイケルが造ったNever Landの世界をイメージしているのではないだろうか。
Save Africa Campaignも「We are the World」もある意味で偽善めいた行為かもしれない。当時も、そうした批判は聞かれた。しかし、今あらためて「We are the World」を聴いてみると、四半世紀の時を越えて、すなおに感動を覚える。偽善でもいい。たしかに
「We are the World」は世界中の多くの人々に感動を与え、そして人々の眼をアフリカに向けさせることに貢献した。
たしかにアメリカという国はベトナム戦争、イラク戦争など多くの人々を戦火に巻き込むような悪いこともした。しかし、その反面、Save Africa Campaignのように良いことも数限りなくしている。それだけダイナミズムにあふれる国家なのだ。だからこそ中東や中南米そして世界中の反米の人々でさえも、亡命先のいの一番にあげるのがアメリカなのだ。
翻って我が日本はどうだろう。悪いこともしなかった代わりに、良いこともほとんどしていない。コクーン(繭玉)の中で永遠に幼虫のまま蠢いているだけだ。
「We are the World」を聞いたのは、1985年の春か、夏かいつの頃だったか今となってははっきり覚えていない。ただ場所はよく覚えている。新宿三丁目の丸井の前を通りかかった時に突然、どこかの店から聞こえてきた。思わず足を止めて聞き入ってしまった。その年の秋、アメリカに留学した。アメリカでも何度も聞いた覚えがある。エチオビアの飢餓を救えというキャンペーンがフタンフォードのキャンパスでも繰り広げられていた。全米でアフリカを救えというキャンペーンが展開されていた。
あらためてビデオを見ると、本当に懐かしい顔が勢ぞろいしている。ネットで調べると次の順番で出演している。
ライオネル・リッチー → スティーヴィー・ワンダー → ポール・サイモン → ケニー・ロジャース → ジェームス・イングラム → ティナ・ターナー → ビリー・ジョエル → マイケル・ジャクソン → ダイアナ・ロス → ディオンヌ・ワーウィック → ウィリー・ネルソン → アル・ジャロウ → ブルース・スプリリングスティーン → ケニー・ロギンズ → スティーヴ・ペリー → ダリル・ホール → マイケル・ジャクソン → ヒューイ・ルイス → シンディ・ローパー → キム・カーンズ → ボブ・ディラン → レイ・チャールズ → スティーヴィー・ワンダー&ブルース・スプリングスティーン → ジェームス・イングラム
このうちの半分の歌手は、普段あまりアメリカの音楽を聞かない私でも知っている。特にダイアナ・ロスには強い想い出がある。彼女がまだシュプリームズで歌っていた1972年だったと思うが、アルバイトをしていた「ニューラテン・クウォーター」でジュープリームズのショーがあった。舞台の袖で彼女の歌を聞いたときには、本当に仰天した。歌がうまいとか、声がいいとかといったことを遥かに超越して、ただ、ただ感動だけが残った。今でも彼女の後ろ姿ははっきりと覚えている。
「We are the World」はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作になっているが、実質的には8割をマイケルが作ったらしい。そう思って歌詞を読むと、マイケルらしいフレーズが出で来る。サビの「We are the World, We are the Children」はデイズニーランドの It's a small world やマイケルが造ったNever Landの世界をイメージしているのではないだろうか。
Save Africa Campaignも「We are the World」もある意味で偽善めいた行為かもしれない。当時も、そうした批判は聞かれた。しかし、今あらためて「We are the World」を聴いてみると、四半世紀の時を越えて、すなおに感動を覚える。偽善でもいい。たしかに
「We are the World」は世界中の多くの人々に感動を与え、そして人々の眼をアフリカに向けさせることに貢献した。
たしかにアメリカという国はベトナム戦争、イラク戦争など多くの人々を戦火に巻き込むような悪いこともした。しかし、その反面、Save Africa Campaignのように良いことも数限りなくしている。それだけダイナミズムにあふれる国家なのだ。だからこそ中東や中南米そして世界中の反米の人々でさえも、亡命先のいの一番にあげるのがアメリカなのだ。
翻って我が日本はどうだろう。悪いこともしなかった代わりに、良いこともほとんどしていない。コクーン(繭玉)の中で永遠に幼虫のまま蠢いているだけだ。
2009年7月2日木曜日
自主核武装再考
北朝鮮はどんなことがあろうとも核兵器を放棄することはなさそうだ。早稲田大学の重村智計は近著『金正日の後継者』でも繰り返し力説している。彼は、北朝鮮がまだ核兵器をミサイルに搭載できるほどに小型化できていないとの前提にたっている。アメリカの研究者シーラ・スミスもミイサル搭載できるほどには至ってないと推測している。恐らくそうかもしれない。しかし、それは現時点での話であって、これまでの北朝鮮の核開発の歩みを見れば、将来的には確実に小型化し、少なくともノドンミサイルには搭載できるようになることは確実だ。私自身はパキスタンとの「共同開発」ですでにノドンに搭載できる程度(一トン程度)には小型化を完成しているのではないかと考えている。いずれにせよ、日本は遠からず本格的に核武装した北朝鮮と向き合わなければならなくなるだろう。
最も好ましい解決策は、内部からの自壊であれ外部からの破壊であれ、金正日体制が崩壊して韓国同様の親米、親日体制が誕生し、核兵器を放棄するのを待つことである。しかし、中国が北朝鮮の崩壊を望んでおらず、この解決策は希望にしかすぎない。最もありうるシナリオは今後も金王朝が続き、北朝鮮がさらに核武装を強化することである。この場合の解決策は二つ。一つはアメリカの核の傘を強化する。今一つは日本の自主核武装である。
前者のオプションについては、これまでも何度か述べてきたが、アメリカの核の傘は開かない、あるいは開いたとしても破れ傘である。最近、日本の自主核武装論が澎湃として沸き起こってきたことに懸念を示したアメリカ政府から、日本への拡大抑止の強化について発言があいついでいる。たとえばトーマス・シーファー前駐日大使は、その立場もあるのだろうが、拡大抑止の有効性を主張している。「米国は東京のためにニューヨークを危うくはしないと(日本人は主張することがあるが)、でもわれわれはそうしてきた。60年間にわたって。そして、それは今後も変わらない」(「ハロランの眼」『産経新聞』09年7月1日)きた。
思い出せばそうだった。ただし、冷戦時代は。冷戦時代には日本へのソ連の攻撃は、極東米軍への攻撃であり、米軍世界戦略への直接攻撃であった。しかし、北朝鮮の核は、米軍やましてや米本土には何ら脅威とはならない。北朝鮮のミサイル発射を前にして、ゲーツ米国防長官は3月29日、FOXテレビの番組で、北朝鮮のミサイルがハワイなど米国の領域を標的としたものでない限り、米軍がミサイル防衛(MD)で迎撃することはないとの見解を示した。もちろん、これは今回の北朝鮮のミサイルに限ったことで、核ミサイルの脅威から日本を守らないと言っているわけではないとの見方もある。たしかにその後5月30日に、日本に対し核の傘を確約している。ただし、今のところ口約束にしかすぎない。韓国や欧州諸国のように、どのような場合に、どのようにして核兵器をしようするのか現時点では日米間では明確に文書化されていない。たとえ文書化されたとしても、最後は米国の決断しだいだ。米国の善意をあてにする以外にない。
いくらゲーツ国防長官が拡大抑止の強化を約束しても、肝心のオバマ大統領がはたして本当に日本のために核兵器のスイッチを押してくれるだろうか。以前のブログ「核の傘は開かない」でも書いたが、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見すなわち「国際法の現状から見て、また確認できる事実の要素から見て、核兵器の威嚇または使用が、ある国家の生存そのものが危機に瀕しているような自衛の極限的状況において合法であるか違法であるかを、ICJは明確に決することができない」(意味するところは、自衛の極限的状況でなければ違法ということである。北朝鮮の日本に対する核攻撃は、いかなる意味においても米国の自衛に対する極限的状況とは言えない)に従えば、オバマ大統領が日本のために核兵器を北朝鮮に使用することなど考えられない。ましてや彼はプラハで核の全面廃棄を世界に向けて公約したのだ。万一核を使用すれば、「人道に対する罪」でハーグ国際裁判所に戦犯として訴追されかねない。数千人の虐殺の罪で元ユーゴ大統領ミロシェビッチは被告人になったのだ。数万人もの犠牲を覚悟で、ましてや日本のために、戦争犯罪人の汚名を覚悟でオバマが核兵器のスイッチに手をかけるわけがない。
日本に残された道は自主核武装である。何度も記すが、自主核武装というと、一気に核兵器の開発、配備とおもわれがちだが、そうではない。核兵器はきわめて政治性の強い兵器である。したがって、自主核武装というカードは政治と密接に関連づけながら北朝鮮に対して政治カードとして切っていく必要がある。まずは自主核武装の可能性をほのめかす。今がその段階である。日本の自主核武装論の声は、国際社会にさざなみのように伝わりはじめ、国際政治を状況化させはじめている。
状況が日本側に好転しはじめたら、その段階で自主核武装戦略は打ち切ればよい。好転しなければ、次の段階に進む。政府首脳によるほのめかし、政策決定、開発着手と進めていく。そして開発は設計、コンピュータでの実験(データがないのでうまくいかどうかは不明だが)など、政治状況にあわせて細かな段階を経てエスカレートさせていく。そして最終的には、脱兵器化の段階すなわち核物質と核弾頭とミサイルを分離した状態で保管するのである。これであればNPTにも違反せず、IAEAからも脱退する必要はない。また非核三原則にも違反しない。
ひところ米ロの核軍縮を訴えて注目を浴びた元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが最近、日本の核武装を主張しているという。現実主義者の眼から見て、日本の核武装は合理的判断なのだろう。いずれにせよ日本は岐路に立たされている。お守りのように憲法手帳を身につけ、憲法の前文をお経のように読経し、憲法9条を写経のごとく写九し(実際に行っている小中学校があるという)、祈りの中で非暴力主義を徹底して、ガンジーやキングのように殺されるか。それとも田原総一郎氏がいうように巨額の経済協力という「みかじめ料」を払って、殴り込まれないようにするか。今こそ日本は正念場を迎えた。
最も好ましい解決策は、内部からの自壊であれ外部からの破壊であれ、金正日体制が崩壊して韓国同様の親米、親日体制が誕生し、核兵器を放棄するのを待つことである。しかし、中国が北朝鮮の崩壊を望んでおらず、この解決策は希望にしかすぎない。最もありうるシナリオは今後も金王朝が続き、北朝鮮がさらに核武装を強化することである。この場合の解決策は二つ。一つはアメリカの核の傘を強化する。今一つは日本の自主核武装である。
前者のオプションについては、これまでも何度か述べてきたが、アメリカの核の傘は開かない、あるいは開いたとしても破れ傘である。最近、日本の自主核武装論が澎湃として沸き起こってきたことに懸念を示したアメリカ政府から、日本への拡大抑止の強化について発言があいついでいる。たとえばトーマス・シーファー前駐日大使は、その立場もあるのだろうが、拡大抑止の有効性を主張している。「米国は東京のためにニューヨークを危うくはしないと(日本人は主張することがあるが)、でもわれわれはそうしてきた。60年間にわたって。そして、それは今後も変わらない」(「ハロランの眼」『産経新聞』09年7月1日)きた。
思い出せばそうだった。ただし、冷戦時代は。冷戦時代には日本へのソ連の攻撃は、極東米軍への攻撃であり、米軍世界戦略への直接攻撃であった。しかし、北朝鮮の核は、米軍やましてや米本土には何ら脅威とはならない。北朝鮮のミサイル発射を前にして、ゲーツ米国防長官は3月29日、FOXテレビの番組で、北朝鮮のミサイルがハワイなど米国の領域を標的としたものでない限り、米軍がミサイル防衛(MD)で迎撃することはないとの見解を示した。もちろん、これは今回の北朝鮮のミサイルに限ったことで、核ミサイルの脅威から日本を守らないと言っているわけではないとの見方もある。たしかにその後5月30日に、日本に対し核の傘を確約している。ただし、今のところ口約束にしかすぎない。韓国や欧州諸国のように、どのような場合に、どのようにして核兵器をしようするのか現時点では日米間では明確に文書化されていない。たとえ文書化されたとしても、最後は米国の決断しだいだ。米国の善意をあてにする以外にない。
いくらゲーツ国防長官が拡大抑止の強化を約束しても、肝心のオバマ大統領がはたして本当に日本のために核兵器のスイッチを押してくれるだろうか。以前のブログ「核の傘は開かない」でも書いたが、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見すなわち「国際法の現状から見て、また確認できる事実の要素から見て、核兵器の威嚇または使用が、ある国家の生存そのものが危機に瀕しているような自衛の極限的状況において合法であるか違法であるかを、ICJは明確に決することができない」(意味するところは、自衛の極限的状況でなければ違法ということである。北朝鮮の日本に対する核攻撃は、いかなる意味においても米国の自衛に対する極限的状況とは言えない)に従えば、オバマ大統領が日本のために核兵器を北朝鮮に使用することなど考えられない。ましてや彼はプラハで核の全面廃棄を世界に向けて公約したのだ。万一核を使用すれば、「人道に対する罪」でハーグ国際裁判所に戦犯として訴追されかねない。数千人の虐殺の罪で元ユーゴ大統領ミロシェビッチは被告人になったのだ。数万人もの犠牲を覚悟で、ましてや日本のために、戦争犯罪人の汚名を覚悟でオバマが核兵器のスイッチに手をかけるわけがない。
日本に残された道は自主核武装である。何度も記すが、自主核武装というと、一気に核兵器の開発、配備とおもわれがちだが、そうではない。核兵器はきわめて政治性の強い兵器である。したがって、自主核武装というカードは政治と密接に関連づけながら北朝鮮に対して政治カードとして切っていく必要がある。まずは自主核武装の可能性をほのめかす。今がその段階である。日本の自主核武装論の声は、国際社会にさざなみのように伝わりはじめ、国際政治を状況化させはじめている。
状況が日本側に好転しはじめたら、その段階で自主核武装戦略は打ち切ればよい。好転しなければ、次の段階に進む。政府首脳によるほのめかし、政策決定、開発着手と進めていく。そして開発は設計、コンピュータでの実験(データがないのでうまくいかどうかは不明だが)など、政治状況にあわせて細かな段階を経てエスカレートさせていく。そして最終的には、脱兵器化の段階すなわち核物質と核弾頭とミサイルを分離した状態で保管するのである。これであればNPTにも違反せず、IAEAからも脱退する必要はない。また非核三原則にも違反しない。
ひところ米ロの核軍縮を訴えて注目を浴びた元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが最近、日本の核武装を主張しているという。現実主義者の眼から見て、日本の核武装は合理的判断なのだろう。いずれにせよ日本は岐路に立たされている。お守りのように憲法手帳を身につけ、憲法の前文をお経のように読経し、憲法9条を写経のごとく写九し(実際に行っている小中学校があるという)、祈りの中で非暴力主義を徹底して、ガンジーやキングのように殺されるか。それとも田原総一郎氏がいうように巨額の経済協力という「みかじめ料」を払って、殴り込まれないようにするか。今こそ日本は正念場を迎えた。
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