コスタリカは軍隊の無い国として一部の人々の間では熱狂的な支持を受けている国である。常備軍はないものの一般には準軍事組織とみなされる市民警備隊4400人が存在している。非武装を国是としているわけではなく、集団的自衛権を否定しているわけでもない。緊急時にはあらためて軍隊を創設し、米州機構や国連の集団安全保障による国家防衛を想定している。これはカントが主張した、常備軍を排し、民兵組織による防衛構想に近い安全保障体制である。その意味で集団的自衛権を否定し、非武装、非暴力を求める憲法9条とは根本の平和思想において大きな違いがある。
また人口はわずか450万人で国土面積も九州と四国をあわせたほどの広さの小国である。さらに南北をパナマとニカラグアにはさまれ、東西は太平洋とカリブ海に囲まれ、一人当たりのGDPも5千ドル程度の発展途上国である。コスタリカが常備軍を廃止したからといって国際安全保障はもちろん地域の安全保障にもさほど影響はない。市民警備隊の4400人や国境警備隊で常備軍に十分代替できる(数字はいずれも2007年度。外務省ホームページと『ミリタリー・バランス』より)。
さて日本はコスタリカのように国際政治においても地域政治においても影響力を失い、事実上平和憲法が目指すような状況、すなわちコスタリカ化しつつあるのではないか。コスタリカが常備軍の廃止を憲法で決定したのは1948年である。その後は国境警備隊、市民警備隊、地方警備隊からなる警察で国内の治安および国境警備にあたっていた。この過程は日本と似通っている。戦後1946年の新憲法で軍隊を廃棄する一方、国内の治安のための警察予備隊や領海警備の海上警備隊が創設されている。コスタリカと異なるのは、日本はその後朝鮮戦争の勃発、冷戦の激化など国際情勢の変化とともに警察力の一部であった部隊を自衛隊として実質的に軍事組織化していったことである。逆にいうと国際情勢の変化とともに自衛隊が再び警察力の一部に成る可能性を秘めているということである。そして実質的にはコスタリカのように国際政治にも地域政治にもあまり影響を与えることのない小国となって、平和憲法を謳歌する時代がくるかもしれない。朝鮮戦争の勃発が自衛隊誕生の契機になったとすれば、北朝鮮の核実験こそが自衛隊の無力化と平和憲法の実体化の狼煙となるのではないか。
そもそも改憲派、護憲派いずれであれ、憲法を論議する際の暗黙の前提がある。それは日本が大国だという錯覚である。護憲派は日本が大国だから、ちょっと気を許せば戦前のように再び軍事大国化すると懸念している。一方改憲派は、大国にふさわしい軍事力をもち国際政治に影響力を発揮したいと妄想している。
さて冷静に考えてみよう。19世紀アジア諸国が近代化を始めて以来、日本は一貫してアジアの大国であり続けてきた。戦後の混乱期でさえ中国や朝鮮も内戦で混乱し、日本が相対的に国力では優位に立ち、大国の地位を維持していた。だから、日本が再び軍事大国化すればアジア地域の平和と安定に大きな脅威となるとの懸念にはそれなりの理由があった。
しかし、今日の情勢をみてみよう。日本の国内総生産は米国に次いで2位(ただし個人では米国15位、日本は23位)である。一方、発展途上国であった中国が今や第3位である。ちなみにコスタリカは82~3位である(ウイキの国際通貨基金、世界銀行、CIA統計による)。軍事力をみれば、中国と北朝鮮が核を保有し、自衛隊と比較すれば、圧倒的に軍事的優位を占めている。また中国は90年代から軍事の近代化を始め、今世紀になって一層近代化の速度を速めている。最新鋭の戦闘機の導入をはじめ空母の建造にまで着手している。数年もしない内に、通常戦力でも日本の自衛隊は中国軍の後塵を排することは間違いない。そして今また核兵器を保有した北朝鮮よりも軍事力においては劣勢に立たされている。明治以来日本ははじめてアジアにおける盟主の座を中国に明け渡そうとしている。つまりもはや改憲派、護憲派が前提としている日本大国論は幻影にしかすぎなくなった。
現在まだ日本外交がかろうじて国際政治と関わることができるのは、米国との同盟関係があるからである。米軍の軍事力を梃子に外交力を維持しているにすぎない。しかし、その日米同盟関係がもはやあてにできなくなりつつある。米国は日本から中国へと政策の重点を移しつつある。また北朝鮮の核保有も事実上認めつつある。北朝鮮の核兵器が米国にとっては何ら脅威ではないこと、また中国が北朝鮮を支配している限り、中国との関係を良好に維持すれば、北朝鮮を間接的にコントロールできると考えているからであろう。クリントン国務長官がいくら日本の重要性を強調しても、冷戦時代と比べれば米国にとって明らかに日本の政治的、軍事的そして経済的重要性は低下している。
このままでは日本は米中関係の中に埋没していき、恐らく将来は中国の支配下や核付き統一朝鮮の風下に立たされることになるだろう。それこそまさに日本のコスタリカ化である。その時、日本が平和憲法を持とうが持つまいが、コスタリカのように国境警備隊化した自衛隊のみの事実上の非武装国家となるだろう。護憲派の懸念は杞憂にしかすぎない。平和憲法の精神は日本がコスタリカのように小国化することで十分に達成できる。石橋湛山の小国主義が実現する日は近い。
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