2009年9月20日日曜日

岡田外相の核密約調査

 岡田外相が米国との核持ち込みの密約を暴こうと懸命だ。目的は外交に対する国民の信頼を取り戻すことにあるという。核密約の存在は、1981年にライシャワー米駐日大使がすでに証言していた。その後も日米両国の関係者から密約の存在は示唆されてきた。若泉敬は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の中で、佐藤首相とニクソン大統領の間で密約が交わされたことを生々しく描いている。
 専門家の間では、日米の間で何らかの合意があることは常識だった。というのも、冷戦時代には米国の艦船が核兵器を搭載していることは常識であったし、また核兵器を搭載した艦船、航空機が日本に寄港する際にわざわざ核兵器だけを持ち込まないようにすることなど戦略的、戦術的にもありえないことだったからである。米国艦船や航空機による日本への核兵器の持ち込みは日米両国政府の阿吽の呼吸、暗黙の了解であった。それを公にしないことで、曖昧性が高まり抑止力の強化に役立っていたのである。核密約があったかどうかは、その検証は歴史家の仕事ではあっても、新政権の外務大臣がまなじりをけっして行う仕事ではないだろう。
 むしろ岡田外務大臣が真っ先に手がけなければならない仕事は、将来に向けて、非核三原則をどうするかを明確にすることである。冷戦後、米国の艦船、航空機は核兵器を搭載していない。今後搭載するかどうかは明言していないし、明言もしないだろう。米国の核戦略の基本はND(Not Deny)、NC(Not Confirm)だからである。
 では、米国から核兵器持ち込みの要請があった場合日本政府はそれを認めるのか、あるいは日本が米国に核兵器の持ち込みを要請しなければならない状況に陥った時、岡田外相はどうするのか。非核三原則を今後とも堅持するのか、社民党の要請を受けて法制化するのか。あるいは逆に核持ち込みを撤廃し非核二原則とするのか、あるいは非核三原則は全て撤廃するのか。核密約問題とは、結局過去の核密約をあばくことが重要なのではなく、非核三原則を今後どうするのかという問題である。
 核密約が明確になったところで、何か劇的に解決する問題があるのだろうか。核密約が解明されたとして、問題となるのは岡田外相も述べているように密約を交わしたことではなく、密約を無かったと歴代自民党政権が嘘をつき続けてきたことにある。しかし、マキャベリではないが権謀術数渦巻く政治では政治家が国益を考えて嘘をつくことは許される。
たしかに歴代政権に問題があるとするなら、冷戦が終わってからも嘘をつき続けた、その戦略思考の無さにあるのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿