最初に述べておく。私はいわゆる護憲派ではない。しかし、国内外の状況から、もはや改憲はここ当分どころかひょっとすると未来永劫、不可能といわざるをえない。
その理由は二つ。自主憲法制定を党是とする自民党が当分は政権復帰が難しいこと。かりに復帰できたとしても、民主党との政権交代の可能性を常に孕んだ状況では、政権交代につながりかねない憲法改正のような法案はおいそれと政治日程にあげることはできない。
いま一つの理由は、国際社会が事実上、日本の憲法9条、というよりもむしろ非武装の外交について次第に理解を深めるようになり、国際世論の圧力から改憲することが困難でもあり、また国益上も不利になりつつあることだ。マレーシアのサンダカンという田舎町で、50歳代前半の両替商のオヤジが、「日本は外国に軍隊を出さないそうだが、いいことだ」といわれたときには少し驚いた。憲法9条のややこしい議論は抜きにして、どうやらアメリカとの対照で、日本は海外派兵しない国というイメージはひろがりつつあるようだ。
したがって、現行の憲法9条を前提に日本の安全保障を組み立て直すしか現実的な方法はない。
国際社会の平和と安定という国際治安活動に自衛隊が参加できない以上、自衛隊に代わる部隊を作らざるをえない。自衛隊とは別組織をつくるべきだという議論は湾岸戦争の時にはじめて話題に上った。しかし、結局その時は自衛隊が最も効果的、効率的だという結論に落ち着いた。とは言うものの、現実には憲法9条が足かせとなって自衛隊は派遣できず、別組織もできず、結局何もできなかった。
その後日本政府は解釈改憲に次ぐ解釈改憲を行い、事実上丸腰の自衛隊員を民間人よりも安全な場所にいかせるという、世にも不思議なPKO部隊を編成した。
私自身も湾岸戦争当時は憲法改正して自衛隊をだすのが最適と考えた。しかし、もはや憲法改正が不可能な以上、明らかに憲法違反の特別措置法で自衛隊を派遣する代わりに、自衛隊とは別組織を日本の平和活動の柱とすべきであるとの結論に至った。
そこで以前から主張しているのは、これまで一貫して護憲を主張してきた労働組合の連合を中心に民間がPKO部隊(PKF)を編成して、非武装で民生協力をすることである。
この部隊はソマリアやアフガニスタンなどのようないかに治安が悪い地域でも、非武装で民生協力を行うのである。犠牲者は出るだろう。しかし、他国の兵士がこれまでも数多く犠牲になっていることを考えれば、多少の犠牲はやむをえない。なぜなら、日本の非武装平和維持部隊はまさに「平和のボランティア」すなわち「平和の志願兵」だからである。かつてスペイン内戦に多くの日本人志願兵が参加したように、また日本赤軍がパレスチナ紛争に義勇兵として参加したように、かならずや「平和の志願兵」にも日本赤軍支持者や憲法9条の会をはじめ数多くの護憲派が参加するだろう。
これこそが「闘う護憲派」である。これこそが「真の護憲」である。
護憲運動は冷戦時代には、実践を問われることはなかった。護憲は単なる反政府運動のスローガンでしかなかったからである。護憲派の誰もが「世界人民」のために護憲運動をしていたわけではなかった。今も、その気分が抜けず、護憲とは国会議事堂前をデモをすることだと勘違いしている連中が多い。
しかし、いまや「地球市民」や「世界の人民」のための平和への実践こそが問われている。憲法9条を書写することが護憲の実践ではない。国会デモをすることが護憲の実践ではない。護憲の実践は、「地球市民」のため、「世界の人民」のためにある。
今こそ非武装でアフガニスタンやソマリアに民生協力をしよう。それが憲法9条を持つ日本が国際社会に示すことのできる真の国際協力である。いまこそ民主党そして連合そして護憲派の諸君、一身を賭して「地球市民や「世界の人民」のために「闘う護憲派」宣言を。
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