2009年9月27日日曜日

「核兵器のない世界」とは

核兵器のない世界は兵器の無い、非武装、非暴力の平和の世界ではない。核兵器のない世界は現在の世界と変わりの無い通常兵器のあふれた、暴力の蔓延した世界である。なぜならヒロシマ、ナガサキで使用されて以来、核兵器は60年以上にわたって使われてこなかったし、今後も使われる蓋然性はきわめて低い。核兵器が使用される恐怖はあったが、現実には核兵器が使われたわけではなかったのである。つまり、事実上の核兵器のない世界だったのだ。
 その一方で通常兵器は、第1次、第2次世界大戦の時に比べても、大量に使用されてきた。その結果、通常兵器で殺傷された人々の数は核兵器で殺傷された人々の数をはるかに多い。たとえばカラシニコフは「草の根の核兵器」と呼ばれるほどに何千万もの人々を殺傷してきた。現在世界各地で人々を殺傷しているのは通常兵器であって核兵器ではない。だから将来核兵器のない世界がきたとしても、それは通常兵器のない世界でもないし、むしろ核兵器に代わるあらたな通常兵器が登場する世界となるかもしれない。
 オバマ政権がなぜ、今核兵器のない世界を世界に向けアピールするのか。
 第1に政治的な背景。医療改革で国内世論の激しい反対に会い、支持率を急速に下げていること。国内での人気の低下を外交で取り戻そうという狙いがあるように思われる。アメリカで医療改革は一種のタブーのような政策だ。クリントンも第1期に医療改革に取り組んだことがあるが、結局失敗した。
 第2に軍事的な理由。最大の理由は核兵器の軍事的有用性が著しく低下したことにある。
核兵器はもともと軍事的兵器というよりも政治的兵器である。戦術的兵器というよりも戦略的兵器である。その意味は戦場で使用する通常兵器ではなく、政治的影響力を行使するために外交で使用する政治兵器である。破壊力を政治力に変換してはじめて核兵器は有効性を発揮できる。一旦使用すれば、単に大量破壊を招くだけで、政治力に変えることはできない。
 冷戦時代には米ソ対立の中で核兵器は相互抑止力を担う軍事的兵器として、また国際秩序を形成する政治的兵器として大いに役にたってきた。しかし、冷戦が終焉した現在、核兵器は相互抑止のための軍事的兵器としての役割は著しく低下している。また国際秩序を形成する政治的兵器としての役割も低下している。米中間の経済関係をみてもわかるように、世界各国間の経済的相互依存関係の深化にともない主に経済力が世界秩序を形成するようになっている。
 大国の核兵器の軍事的、政治的有用性が著しく低下している反面、発展途上国の核兵器の政治的有用性が高まる傾向にある。核兵器の軍事力を政治力に変換し、その政治力で経済力を高めるという核兵器の軍事から経済への代替可能性(fungibility)が著しく高まっているのである。典型が北朝鮮である。核兵器を開発し、それを政治力として、米中日韓などに経済援助を迫る。現在、イランが北朝鮮を真似している。またビルマも北朝鮮の後を追いかけようと、北朝鮮との関係を深めているといわれる。
 核大国とりわけアメリカとしては今のうちに発展途上国への核拡散を防止しなければ、将来的に現在の北朝鮮のような問題をいくつも抱え込むことになる。かつて国際政治学者モートン・カプランが「単位拒否体系」として予想した、世界中に核兵器が拡散しだれも世界を統治することができない恐怖の世界になってしまう。
 さらに深刻なのは、核兵器がテロ組織にわたることである。数年前にキッシンジャーはじめ冷戦時代に核戦略を唱導していた戦略家たちが核兵器の廃棄を提唱したことがある。その最大の理由がテロ組織に核兵器がわたることの恐怖にあった。アルカイダに核兵器がわたったら9.11同時多発テロの被害ではすまない。抑止力のきかないテロ組織に核兵器をわたさないよう核兵器を廃棄し、また核兵器の原材料、技術も徹底して管理することが結果的には国家安全保障に最も有効という論理である。
 米国はじめ現在の核大国が核管理を担えば、仮に核兵器を全廃しても万一の場合には再び核兵器を生産できる。かつて徳川幕府が鉄砲と火薬の原料となる硝石の製造を厳重に管理して、諸藩の謀叛を防いだ。同様に、現在の核大国が維持管理費のかかる現有核兵器を廃棄した上で、プルトニウム、ウラニウム等の原材料の製造、保有や核兵器技術を厳重に管理するのだ。そうすればハードウェアーとしての核兵器は廃棄するものの、ソフトウェアーとしての核兵器を保有していくことができる。
 また最先端の通常兵器であるRMA兵器が最も進んでいる米国にとって核兵器を世界から全廃すれば通常兵器では圧倒的な軍事的優位を保つことができる。なにしろ世界の軍事費の半分近くを米国が使用しており、第2位以下20位くらいまでの国家の軍事費の総計とほぼ同じである。第2位の中国でさえ世界の軍事費の8パーセント程度である。核兵器では米中ロは対等だが通常兵器では米国が断トツの軍事力を誇っている。核兵器の全廃は米国が圧倒的な軍事力を保有し、米国による世界の軍事的支配を強化することにつながる。
 うがった見方かもしれないが、オバマ政権が核兵器全廃を提唱するのは上記のような背景があると考えられる。決して理想主義的な思いから核兵器全廃を主張しているのではないだろう。
 では日本はオバマの核兵器全廃構想にどう対処すべきか。鳩山首相は日本が核兵器を保有する能力はあるが、非核三原則を堅持することをあらためて世界に言明した。日本が核兵器を造り、保有する必要はない。「つくらず」、「持たず」はしっかりと守った上で、しかし、核兵器の作り方は知っておくことである。すなわち技術というソフトウェアーとしての核兵器を保有するのである。核兵器の製造方法を知っておくことは非核三原則に抵触しない。
 現在の核兵器保有国が現有の核兵器を全廃すれば、核兵器技術を保有する潜在的核兵器保有国となる。その時に日本も核兵器製造の技術を獲得していれば核兵器技術を保有する潜在的核保有国として他の潜在的核保有国と同等の政治的影響力をもつことができる。
 鳩山首相は核兵器の技術獲得を目指すべきでないか。二酸化炭素25パーセント削減の技術力が期待できる日本の産業界ならもはやローテクの核兵器技術など容易に獲得できるだろう。それが現在の北朝鮮への核抑止にもつながり、また核兵器全廃の世界において政治的影響力を確保できる国家戦略となるだろう。

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