普天間の米海兵隊移設問題が風雲急を告げる様相となり始めた。ゲーツ国防長官はオバマ大統領訪日までに回答せよと岡田外務、北沢防衛の両大臣に強く迫ったようだ。すでに防衛官僚に籠絡され早々と辺野古沖への移設を容認した北沢防衛大臣はともかくも、これまで県外移設に固執してきた岡田外務大臣までもが、ゲーツ国防長官との会談後に、渋面をつくりながら県内移設しか選択肢はないと、軌道修正を図りつつある。よほど、ゲーツ国防長官に恫喝されたようだ。一方鳩山首相は今(10月25日)に至るも、「いろいろな選択がある。最終判断を下すのは私だ」と、岡田外相の発言を否定し、なおも県外移設にこだわっている。
これまでの自民党、民主党の普天間移設問題をみると、まるでペリーに開港を迫られた幕末の江戸幕府のようだ。江戸幕府はペリーに開国か開戦かを迫られ、「内厳外寛」の方針の下、国内の軍備の充実ができるまで開国の要求を「ぶらかし」(回答延期)続けた。対露外交で「ぶらかし」が成功したために、アメリカにも同じ手が使えると考えたのだ。しかし、ロシアのブチャーチンが強硬策を取らず、幕府の「ぶらかし」が成功したのは、ロシアがクリミア戦争で手一杯だったからで、決して日本の「ぶらかし」が成功したわけではない。案の定、1854年にペリーが再来航した際、結局「ぶらかし」外交は破綻し、1854年3月31日に日米和親条約を締結して開国した。
アメリカは、鳩山政権が江戸幕府のように「ぶらかし」政策をとっていると判断しているようだ。だとすると、アメリカの外交方針はペリーと同じ。強硬策に出て、鳩山政権をガツンと一発恫喝するしかない。つまりオバマ来日までに移設問題に決着を着けなければ、海兵隊のグアム移転も全て白紙に戻すということだ。そうなれば、そもそも日本側が問題視してきた普天間の海兵隊基地問題は元の木阿弥となる。1996年の状態に振り出しにもどる。
米軍にとって、グアム移転は必ずしも喫緊の課題ではない。たしかに世界的な基地の再編問題は米軍の課題ではあるものの、戦略的に今すぐに移転が必要な状況にはない。当面日本の出方を見守る余裕はある。しかし、日本はそうはいかない。普天間基地周辺の住民の安全を考えれば、これ以上移設問題を先送りすることは難しい。
にもかかわらず、鳩山首相が「ぶらかし」を続けるのはなぜか。恐らく鳩山首相自身に明確なビジョンがあるわけではないだろう。鳩山首相の言動の裏を推し量ることのできる発言が、10月23日金曜日のニュース・ステーションに出演した寺島実郎氏のコメントにあった。要約すると、寺島氏は、政権が交代したのだから、普天間の基地移設問題を含めてこれまでの日米同盟を全面的に見直し、より自主独立の道を模索すべきだ、そのためには結論を急ぐべきではない。右派民族派の発言のように聞こえる寺島の発言に、あわてた古館一郎が、もちろんそれは日本の平和主義に基づいてですねと、寺島の発言を丸めた。
寺島の発言は額面通りに生受け取れば、自主武装か非武装かは別にして、明らかに対米自主独立路線である。寺島は鳩山の外交ブレーンであり、東アジア共同体構想は寺島の長年の持論である。また鳩山の対米自主独立路線も、かつては早稲田の民族派にも近かったといわれる寺島の信念であろう。寺島としては、右派のように集団的自衛権の見直しや自主核武装論を考えているわけではないだろうが、その対米自主独立の信念は右派から大いに称賛されるだろう。
右派だけではない。反米左派、反米リベラル派からも寺島外交ともいうべき鳩山外交への支持があるようだ。10月24日の朝日新聞朝刊に編集委員の星浩がやはり、今こそ冷戦時代のまま続いてきた日米関係を見直す絶好の機会ととらえ、鳩山政権の「脱冷戦外交」を応援している。
私は、鳩山外交を断固支持する。それは鳩山の友愛外交や寺島「外交」を支持するということではない。「ぶらかし」外交を続けてきた江戸幕府は最後にはペリーの圧力に負けて開国をした。今度こそ鳩山外交は最後までつっぱって、是非対米「開戦」路線をとってほしい。そうすれば、アジアの「冷戦構造」が一気に瓦解し、国内情勢はもとより国際情勢も流動化するだろう。その過程でこそ国内社会では明治以来の官僚支配構造も、また国際社会ではアメリカの支配構造も崩壊するだろう。
鳩山政権には是非、政党を壊すことしかできなかった「壊し屋」小沢一郎以上に、官僚支配、米国支配の「壊し屋」になってほしい。鳩山政権に歴史的意義があるとするなら、対米「開戦」の捨て石になることである。
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