2015年9月29日火曜日
琉球独立支持
琉球独立論者である著者松島泰勝龍谷大学教授は自著『琉球独立』にこう記している。「いきなりではありますが、ここで直言しましょう。日本および日本人は、琉球の独立、および独立後の琉球を支援すべきです。いまからでも遅くはありません。私は、日本人の覚醒を猛烈に要望する者です」。松島氏に「猛烈に覚醒された」日本人として私は安倍政権に沖縄独立を支持するよう強く求める。理由は以下の通り。
第一、尖閣問題を日本から切り離す。現在日中間の直接的な懸案事項は尖閣問題だけである。尖閣問題を琉球政府と中国の問題とすることで、日中間での争点をなくすことができる。
第二、基地問題を日本から切り離す。日本政府と沖縄県で懸案となっている辺野古や普天間等の基地問題を琉球政府と米国との二国間問題とすることで、日本は長年の基地問題から解放される。
第三に、歴史を振り返れば、1854年7月11日に琉球王国とアメリカとは琉米修好条約を締結しており、琉球王国は米国との対等な外交関係を締結した独立国家である。日本が併合、植民地化したことは紛れもない歴史的事実であり、コソボ同様に独立は認められるべきである。
では沖縄が独立することによって、日本の安全保障にいかなる影響があるか。結論を言えば日本の安全保障に懸念されるほど大きな変化ない。それは以下の理由による。
第一に現在の東アジアの安全保障環境は米中の覇権争いである。尖閣や琉球の中国領有権問題を除けば冷戦期のように日本本土の安全が中国によって直接脅かされるような事態ではない。むしろ尖閣や琉球問題を切り離すことで日中関係は改善される。
第二に万が一中国が琉球を併合した場合でも、日本の安全保障にはさほど問題は生じない。アメリカのシンクタンクのシュミレーションでも米国のASB(エアーシーバトル)戦略は在沖米空軍ではなく、むしろ日本本土の三沢、横田などの基地が拠点となる。米海軍も佐世保、横須賀が拠点であり、沖縄ではない。
第三に日本は琉球共和国の非武装中立化を支援し、また日米中台間で琉球周辺を非武装地帯化することで、第一列島線をめぐる日米中台間の軍事衝突を回避することができる。
過日、翁長沖縄県知事がジュネーブの国連人権理事会で、沖縄の「自己決定権が侵害された」歴史を語った。それはまさしく沖縄県民の独立に向けた思いを語ったものであろう。また琉球の人々をアイヌの人々とともに先住民族と認めよとの運動もあるように、すでに日本人とは異なるアイデンティティが琉球には芽生えている。琉球人の自己決定権や先住民族としての権利を一刻も早く安倍政権は認め、琉球共和国との外交関係を樹立すべきだ。
2015年6月26日金曜日
集団的自衛権をめぐる論争について
集団的自衛権をめぐって喧しい限りです。集団的自衛権行使を合憲とする憲法学者は違憲派から文字通り罵詈雑言を浴びせられています。違憲派によれば憲法学者の中で合憲を支持するものは数パ-セントだということです。
ところでつい最近集団的自衛権の行使を容認する学者も結構いるのではないかと思わせる本に出会いました。時の人である長谷部恭男早稲田大学教授が編集、執筆された『「この国のかたち」を考える』(岩波書店、2014年)です。同書に所収された苅部直東京大学教授の講義録「戦後の平和思想と憲法』で苅部教授は、憲法前文の国際協調主義に基づいて南原繁が個別的自衛権か集団的自衛権かにはこだわらず自衛権を容認していたと、1946年8月の貴族院本会議での南原の演説を引用しています。
「すなわち、本条章はわが国が将来「国際連合」への加入を許容されることを予想したものと思うが、現に同憲章は各国家の自衛権を承認している。且つ、国際連合における兵力の組織は各加盟国がそれぞれ兵力を提供するの義務を負うのである。日本が将来それに加盟するに際して、これらの権利と同時に義務をも放棄せんとするのであろうかを伺いたい。かくて日本は永久にただ他国の善意と信義に依頼して生き延びんとするむしろ東洋的諦念主義に陥るおそれはないか。進んで人類の自由と正義を擁護するがために互に血と汗の犠牲を払って世界平和の確立に協力貢献するという積極的理想はかえって放棄せられるのではないか」(185頁)。
この南原演説に対し、苅部教授はこうコメントを加えています。
「・・南原が、このように「世界平和の確立」への軍事的な貢献を積極的に支持し、一国平和主義と揶揄されるような考え方を批判していたことは、いまでもふりかえるに値する事実でしょう。
また、南原はこのとき国連憲章が認める「自衛権」とだけ言って、それが個別的自衛権か集団的自衛権かにはこだわらず、その行使が日本にも認められるべきだと主張しています」(185-6頁)
憲法前文の国際協調主義を重視する南原演説は、安倍の積極的平和主義の理念と全く同じといってよいでしょう。
続けて苅部教授は、集団的自衛権の違憲、合憲問題について、次のように記しています。
「一九五〇年台から六〇年台にかけての、外務省条約局長や内閣法制局長官による国会答弁では、日本が攻撃されていないのに他国へ自衛隊を派遣することは憲法に反すると説いた例がありますが、集団的自衛権の行使が一般的に不可能だとは解していません。ところがその後、一九六九年もしくは七二年に至って法制局は集団的自衛権の行使は憲法違反だと説明するようになりました。その背景には、日米同盟の廃止をスローガンとする野党に妥協して、国会の法案審議を円滑に進めようとした、自民党政権の政局対策がうかがえます」(186-7頁)。
続けて法制局の憲法解釈についても、苅部教授はこう記しています。「したがって、時の政権の都合によって法制局の憲法解釈が変更されることは、何も二〇一四年の安倍晋三内閣が初めてではありません。そのことは近年何人もの研究者によって実証的に明らかにされています(注略、引用者)。一九七二年の解釈変更の手続きは批判しないのに二〇一四年だけを批判するのはいったい・・・いや、これ以上言うと、教壇からの発言のルールを破ってしまいますね」(187頁)。立憲主義に基づき内閣による憲法解釈は認められないとする違憲派への反論です。
ちなみに長谷部教授は最後の章で、集団的自衛権そして立憲主義に基づきその行使容認の政府解釈変更も違憲との主張をされています。長谷部教授を国会に招致した自民党の船田元憲法審査会筆頭理事は同書をまずは読むべきだったでしょう。
さて現在の集団的自衛権問題は、与野党の権力闘争、保守、リベラルのイデオロギー抗争、Abephilia(安倍好き)、Abephobia (安倍嫌い)の感情的衝突という視点はさておき、憲法の国際協調主義と立憲主義の対立です。この問題は実は南原の演説でもわかるように、制定時から憲法が抱える根の深い問題です。国際政治学や安全保障の立場からは前者、憲法学の立場からは後者に立って論陣を張ることになるのでしょう。元来国際協調主義と立憲主義を止揚する論理や実践が必要なのですが、現在の言論空間ではとても冷静な議論が成り立ちません。残念ながら、憲法や安保法制の問題が、安倍首相個人の個人的資質や性格に還元されてしまい、政争の具や個人攻撃になっているからです。
双方とも冷静に論議のできる論争空間を構築する必要があるのではないかと思います。それにしても「三バカ」と揶揄され個人攻撃を受けている三人の識者に代わって、苅部直東大教授や大石真京大教授が議論に加われば、もう少し冷静な議論ができるのではないかと思うのですが。
2015年6月12日金曜日
集団的自衛権異聞
集団的自衛権問題が喧しい。とりわけ自民党推薦の長谷部恭男早稲田大学教授までもが違憲と断じたために、政府は一気にコーナーまで追い込まれてしまった。ところで長谷部教授は『憲法と平和を問い直す』(筑摩新書、2004年)で、憲法を原理、原則、理想の表明という立場から護憲論を展開している。その意味ではいわゆる原理主義的護憲派とは一線を画している。今から6年前に、そのことについてブログに書いたことがある。何かの参考になればと思い、再掲する。
憲法を原理、原則、理想の表明という立場からの護憲論がある。たとえば長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』(筑摩新書、2004年)や内田樹『9条どうでしょう』(毎日新聞、2006年)などである。これまでの憲法論議は改憲派、護憲派のいずれであれ、憲法9条を道路交通法のような「準則」と考え、現実と憲法との乖離を問題にしてきた。改憲派は現実にあわせて憲法改正を主張し、護憲派は憲法を厳守して現実を変えよと叫ぶ。
どこかで似たような話しを読んだことある。中江兆民『三酔人経綸問答』である。改憲派、護憲派の論争は東洋豪傑君と洋学紳士君の問答そのままだ。武装を主張する東洋豪傑君、非武装を主張する洋学紳士君の説を南海先生はそれぞれ次のように批判する。
「紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵させ、言葉や文字では発表したが、まだ世の中に実現されていないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの。豪傑君の説は、昔のすぐれた偉人が、百年、千年に一度、じっさい事業におこなって功名をかち得たことはあるが、今日ではもはや実行し得ない政治的手品です。瑞雲は、未来への吉兆だが、はるかに眺めて楽しむばかり。手品は、過去のめずらしいみものだが、振り返って痛快がるばかり。どちらも現在の役にたつはずのものではありません」(中江兆民、桑原武夫・島田分虔次訳・校注『三酔人経綸問答』岩波文庫、93頁)。
そして南海先生の意見は、二人にとっては全く期待はずれにも、至極当たり前のものであった。南海先生の言によれば、「国家百年の大計を論ずるばあいには、奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか」(109頁)。「外交の方針としては、「平和友好を原則として、国威を傷つけられない限り、高圧的に出たり、武力を振るったりすることを」しない(109頁)。
これまでの憲法論議は、東洋豪傑君と南海紳士君の「奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がる」ような論争ではなかったか。長谷部や内田らの議論は、まさに憲法9条を原則、理想としつつ、実際には政治家が責任倫理にしたがって妥協の術としての政治により原則に則って理想を実現できるよう憲法9条を弾力的に解釈、運用するのが一番ということになる。だから「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との理想を掲げた前文はもちろん、理想としての憲法9条の条文も変える必要はないということになる。
理想、原則としての憲法9条というのは、ユダヤ教、キリスト教の「汝、殺すなかれ」あるいはジャイナ教、仏教の「非殺生」の教えに似ている。これらはいずれも絶対的な教えではあるが、原則や理想であって、この禁戒を厳密に実践している者など誰一人いない。「汝、殺すなかれ」の教えでは殺してはいけない対象である「汝」の範囲が、人間であり、また同胞であり、また殺人者以外でありと、さまざまに限定を加えながら、現実には多くの「汝」を殺してきた。さもなければユダヤ教もキリスト教もとっくの昔に消滅していたろう。またジャイナ教の「非殺生」の対象も動物であり、また動物でも四つ足の哺乳類とするなど、さまざまな解釈が加えられ、今日ではほとんど守られてはいない。
護憲派には熱心なキリスト教徒や仏教徒が多い。信仰を基礎にした護憲論は護憲論として尊重すべきである。しかし、そのそれぞれの宗教においてすら、原則は原則として、弾力的に解釈すべきものだとされる。たとえば、ボンヘッファーの事例である。20世紀を代表する高名なルーテル派のドイツの神学者であるボンヘッファーは、ヒトラー暗殺計画に加担し、ドイツ降伏の直前に処刑された。「汝、殺すなかれ」の実践を誰よりも求められる聖職者が暗殺を計画したということをどきように理解すべきか。日本で最も高名なキリスト神学者の一人である宮田光雄聖戦は、ボンヘッファーの行為をこう擁護する。
暗殺計画加担が問題とされるのは、「ボンヘッファーにおける平和主義と暴力的抵抗とのあいだに矛盾があると考えるからです。しかし、このことは、ボンヘッファーが無時間的な原則主義的倫理につねに反対していたことを思い起こせば、解消するのではないでしょうか。たとえば、テート教授によれば、ボンヘッファーは、『じっさい、最高の諸原則というものを、-それがたとえ平和主義や平和であったとしても、拒否した。むしろ、現在の状況において、何が生ける神の具体的な戒めとして聞かなければならないか、を具体的に問うのである」(宮田光雄『ボンヘッファーとその時代』新教出版社、2007年、379頁)。
護憲派は、ボンヘッファーのように「最高の諸原則」である憲法9条を拒否してでも、「現在の状況において、何が生ける神の具体的な戒めとして聞かなければならない」だろう。だからといって「汝、殺すなかれ」という教えが否定されるのではない。あくまでも教えは教えとして、原理は原理として、原則は原則として高く掲げなければならない。
長谷部や内田が主張するように、憲法9条も「汝、殺すなかれ」と同様に原則として理解する限り、改憲する必要はない。拒否すべきは改憲派、護憲派の「無時間的な原則主義的」憲法解釈である。とはいえ、状況に対応した憲法解釈では、解釈次第では、いかようにも解釈が可能となり、事実上無憲法状況に陥って理想をまったく蔑ろにする恐れがある。理想と現実との甚だしい落差は、「汝、殺すなかれ」「非殺生」との教えがありながらキリスト教徒や仏教徒がいかに多くの殺戮を繰り返してきたかを思い起こせば十分であろう。だから、融通無碍、勝手気ままな憲法解釈ができないように何らかの歯止めが必要となる。改憲が必要とすれば、まさに現状の解釈改憲に歯止めを効かすような改憲であろう。
2015年6月10日水曜日
日本はメロス島になるなかれ
安倍ドクトリンの問題は、「尖閣と自衛隊の交換」がかつての「糸と縄」の交換のように、日本に国益があるかどうかである。「尖閣」とは対中抑止であり、「自衛隊」とは対米軍事協力の強化である。集団的自衛権をめぐる世論の分裂や国内の混乱を甘受してまで米軍から対中抑止力を今以上に得ることができるのか。残念ながら、厳密には誰にも実証もできなければ反証もできない。しかし、戦史にこの問題を考えるヒントがある。
かつてトゥキュディデスは『戦史』の「メロス島の対話」の箇所で、アテナイの使者にこう語らせている。「援助を求める側がいくら忠誠を示しても、相手を盟約履行の絆で縛ることにはなるまい、いな、求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」(トゥキュディデス『戦史』中公クラシックス、221頁)。安倍ドクトリンの問題はアテナイの使者のこの言葉に尽きる。安倍政権が対米貢献を強化し米国に忠誠を尽くしたとして、それがアメリカを盟約履行の絆で縛ることにはならない。アメリカはアメリカの国益にしたがって行動するからである。ギリシアの昔から同盟の契りは危ういものである。
それでもなおメロス側が同盟国たるラケダイモンに期待をかけるのは、次のような理由からである。「快こそ善、利こそ正義と信ずることにかけて、かれら(引用者注:ラケダイモン)の露骨な態度はまた世に類ないと言われよう。されば、かくのごときかれらの考えが、現在諸君が理を無視して夢を託す救済などと、相容れぬことは言をまたぬ」とのアテナイ側の主張に対し、メロス島の代表はこう応えている。「しかしわれらは今諸君が言ったと同じ理由により、とりわけラケダイモン人の利益中心の考え方に信を置いている。彼らの植民地たるメロスを裏切れば、心をよせるギリシア諸邦の信望を失い、敵勢に利を与えることになる。ラケダイモン人がこれを望もうわけがない」(同上、220頁)。アメリカが日本を裏切れば、アジアの同盟、友好諸国はアメリカに見切りをつけ、中国との友好、同盟関係を結ぶかもしれない。そうすればアメリカアジアでの影響力を失う。そのような不利益をこうむってまでアメリカは日本を見捨てることはないだろう、というのが日米同盟強化派の心情だろう。
しかしアテナイ側はこう切り返している。「では尋ねるが、利益とは安全の上に立ち、正義、名誉とは危険を冒してかちえられるもの、と諸君は考えないか。だが危険こそ、概してラケダイモン人ができうる限り避けようとするものだ」(同上220-221頁)。たしかにアメリカは尖閣防衛のために米中衝突という危険を冒すとは考えられない。これに対しメロス側は、「だがその危険でも、われらのためとあれば、すすんでかれらは冒すにちがいない、われらの島はペロポネソスにたいしては戦略的にも近く、また血縁ゆえにわれらの忠誠は他より強い信頼に値するだけに」との希望を述べた。結局メロス島はラケダイモンの支援もなくアテナイによって滅ぼされた。日本は中国にたいしては戦略的に近いものの、アメリカとの血縁は無い。血縁なき日本がはたして血縁があってもラケダイモンの支援を受けられなかったメロス島住民以上にアメリカの絆をあてにすることができるのだろうか。
日米同盟をメロスとラケダイモンの関係に当てはめるには無理があるとの批判はあろう。しかし、同盟の絆はギリシアの昔から国益に基づく。安倍政権の危うさは、国益よりも自由、民主主義など普遍的価値観を頼みにしていることである。アテナイの使者が「求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」と言ったように、日本は日本周辺において専守防衛に徹し在日米軍にできる限り拮抗する軍事力を備えることが肝要ではないか。はるばる海外に自衛隊を派遣する余裕はない。
安倍ドクトリンの最大の問題は、保守派の政治家と思われている安倍首相が実は普通の国を目指すタカ派の理想主義者であり、国益を何よりも重視する現実主義者でないことにある。
2015年5月9日土曜日
世界は歴史戦争の時代へ
戦後70年の世界の安全保障環境の変遷を振り返ると、おおよそ次の三つの時代に大別できる。1945年から1989年の冷戦時代。1990年から2009年までの対テロ戦争の時代。そして2010年以後と大別できるのではないか。中国がGDPで世界第二位に躍進しアメリカの覇権に挑戦し始めた2010年以降を歴史戦争の時代と名付けたい。今や世界は歴史をめぐって争う時代に入った。
振り返ると2014年3月ロシアはウクライナ領のクリミアを併合し、ソ連崩壊後初めての領土拡大を果たした。ロシアはさらに軍事力を背景にウクライナ東部の割譲を目論んでいる。まるでかつてのロシア帝国の復興を夢見ているようだ。また同年6月、イスラム世界ではアル・バクル・バグダーディがカリフを自称し、オスマン朝以来途絶えたカリフ制のイスラム国の誕生を宣言した。イスラム国は第1次世界大戦後に画定した中東地域の国境線を否定し、かつてのオスマン朝の版図を超えて中東、中央アジア、北アフリカさらにイベリア半島、インドネシア、マレーシアにまで及ぶカリフ制国家を構想している。歴史が1世紀も逆戻りしたかのようである。
目を東アジアに転ずれば、同じように100年以上も昔に回帰したのかと思えるほど歴史をめぐる対立が日中韓の間で繰り広げられている。中国習近平体制は2049年の建国100年に向け「中華民族の偉大な復興」を掲げ「一帯一路」構想の下、南シナ海からインド洋への海洋進出を目指し、陸上では中央アジア諸国への影響力の拡大を目指している。また中国は、日清戦争で逆転した日中間の地位を再逆転し、日本からアジアの大国という地位を奪い返す手段として尖閣問題を使い、歴史認識問題で日本の世論を揺さぶっている。
韓国は相対的に縮まった国力差を背景に、日本による植民地支配の「恨」を今こそ晴らそうと、植民地問題、慰安婦問題と歴史問題にばかり拘泥し日本への非難を続けている。朴槿恵大統領は2013年5月に米議会上下両院合同会議でワイツゼッカーの「過去に目を閉じる者には未来が見えない」を引用して暗に日本を批判したことがある。しかし、現在韓国はチャーチルが残した名言通りになっている。「過去にこだわるものは未来を失う」。過去に囚われすぎて朴政権は日韓関係で二進も三進もいかなくなっている。
ただし、その責任の一端は日本にあるかもしれない。日本でも中韓同様に歴史に回帰し、古き良き時代の「普通の国」への願望が強まっている。戦後憲法制定前までに時計の針を戻し、憲法を見直そうとの動きが本格化し始めた。環境権や緊急事態の条項を新たに付け加えるだけならともかく、九条を改定して普通の国家を目指すことは、中国の後塵を拝するアジアのただの二流の普通の国家になるということに他ならない。変化する国際環境に合わせて憲法を改定するのは当然ではないかとの主張があるが、それは本末転倒である。
憲法は国柄を表し、国家の理想を世界に宣命する宣言文である。理想と現実が乖離するのは当然である。吉田ドクトリンのように理想と現実の妥協はあり得ても、理想が現実と合わないから、理想を引っ込めるというのは話が逆だ。理想に向けて努力することを昭和天皇はじめ我々日本国民は世界に誓ったのだ。九条の理想は自衛戦争を含めたすべての戦争を放棄することである。それは日本のみならず世界の理想である。この理想を掲げる憲法を持っている限り日本は世界の平和大国というアイデンティティを持つことができる。それこそが東アジアの歴史戦争から抜け出し、アジアの指導国、一流国家の地位を確保する唯一の道だ。
フランシス・フクヤマは「歴史の終焉か?」でいみじくも指摘していた。いずれ世界は平和の退屈さに耐え切れず、歴史に回帰するかもしれない、と。退屈さというよりも、どのような世界が望ましいのか、世界は歴史にしか未来の展望を見いだせない状況に陥っているのかもしれない。歴史戦争に勝ち残るには、あるべき未来の世界を構想するソフトパワーをつけることである。
2015年3月23日月曜日
イスラム国は国家である
3月18日にチュニジアのチュニスで発生したバルドー美術館襲撃事件に関し、イスラム国からの声明が発表され、同事件へのイスラム国の関与が強まった。この事件を報道するメディアが「イスラム国」をイスラム過激組織あるいはテロ組織と呼んでいるが、この呼称は人々に誤解を与え、事件の本質を覆い隠すことになりかねない。イスラム国はあくまでも国家である。ただ、国際社会が承認しないだけである。
今回の事件同様に観光客を標的にした無差別テロがあった。1997年9月、エジプトのカイロ考古学博物館で観光バスが襲撃され、ドイツ人観光客10人が死亡した。そして2か月後の11月にエジプトのルクソールで日本人10名を含む観光客61人が殺害されるテロ事件が起こった。いずれも当時のムバラク政権を打倒しイスラム国家の樹立を狙ったイスラム原理主義勢力「イスラム集団」の仕業であった。エジプトは観光業が主要産業であり、観光客へのテロはエジプト経済に大きな影響を与え、政権への大きな打撃となった。チュニジアもエジプト同様に観光業が主要産業であり、今回の事件による政権への打撃は図りしれない。
今回の事件はイスラム国ではなく、チュニジアのアンサール・アル・シャリアが実行したとの説もあるが、いずれであれイスラム国家の樹立という目的で両者は一致している。むしろアンサール・アル・シャリアがイスラム国のカリフであるバクル・バグダディに忠誠を誓い、テロ事件を起こしたのではないか。アンサール・アル・シャリアはリビア、イエメンにもあり、いずれもイスラム国家の樹立を目指している。
スンニ派イスラム原理主義力は、かつてはまず政権の打倒を目指し、各国で反政府テロを繰り返してきた。しかし、イラク、シリア、エジプト、リビア、シリア、イエメン、チュニジアなど独裁政権による弾圧でその活動が封じ込まれてきた。ところが2011年にチュニジアで始まった民主化運動で独裁政権が次々と倒れると、各国のイスラム組織が活動を活発化さえ、次の目標に向かって闘争が激化したのである。その目標とはオスマン朝以後途絶えたカリフ制イスラム国家の再興である。この目標をいち早く達成したのがイスラム国であり、カリフに就任したアブー・バクル・バグダディはすべてのイスラム国家(ウンマ)を目指すスンニ派原理主義勢力の指導者となったのである。言い換えるなら、イスラム国を承認し、バクル・バグダディをカリフと認める組織が、今イスラム国の拡大を目指してイスラム各地で活動を活発化させているのである。実際、チュニジアの事件の二日後にイエメンでイスラム国によると思われる自爆テロが起こり、敵対するシーア派教徒137人が死亡した。
イスラム国の誕生は、実はイスラエルの建国の過程と瓜二つである。オスマン朝が滅亡した後、パレスチナはイギリスの委任統治下に置かれた。しかし、アラブ系住民とユダヤ系住民との対立が絶えず、またユダヤ系のテロ組織による反英闘争も激化し、1948年5月ついにイギリスは委任統治を放棄した。イスラエルはただちに建国を宣言し、反対する周辺アラブ諸国との第一次中東戦争をしのぎ、イスラエル国家を樹立した。
考えてみるとイスラム国も同様である。フセイン政権崩壊後イラクは事実上アメリカの占領下に置かれた。スンニ派イスラム原理主義勢力が反米闘争を展開し、その後対立するシーア派との宗派間闘争が始まり、2011年12月ついに米軍はイギリス同様に間接統治を諦めイラクから撤退した。治安の混乱に乗じて、イスラム国がモスルやラッカを支配し、建国を宣言したのである。支配領域を持ったカリフ制国家はオスマン朝以来初めてである。イスラエルとイスラム国の違いは、イスラエルが建国直後にアメリカやソ連など国際社会の国家承認を受けた反面、イスラム国は国際社会の承認が無いことである。その一方で各地のイスラム原理主義勢力からカリフへの忠誠を受けている。つまり、イスラム国は国際社会から承認されないものの、建国当時のイスラエルよりも広大な国土を持つ「国家」なのである。決して単なるテロ組織などではない。
したがってイスラム国に対しては、テロ組織に対するような対応は間違っている。イスラム国が戦術としてとるテロが問題なのではない。イスラム国のような「国家」に対してどのように対応するかが問題なのである。しかし、イスラム国をテロ組織と呼ぶ限り、その対応は貧困の撲滅のような相も変わらぬテロ対策になる。他方イスラム国を国家として認めれば、かつてPLO(パレスチナ解放機構)を準国家として主権国家体制に取り込んだように、イスラム国を準国家として国際社会に取り込むか、あるいは軍事的に壊滅するかのいずれかである。いずれにせよパレスチナ問題が半世紀以上たっても解決しないように、イスラム国問題の解決もまた数十年単位となるだろう。
安倍ドクトリンの問題
3月20日、自民党と公明党が、新たな安全保障法制の基本方針について正式合意した。
遂に吉田ドクトリンに代わる安倍ドクトリンとでもいうべき、国家安全保障戦略の大転換が現実となった。
振り返ってみると安倍政権は安全保障戦略の方針転換を一気呵成に行ってきた。2013年12月4日、国家安全保障会議発足、同月6日特定秘密保護法成立、同月17日国家安全保障戦略策定、2014年4月1日防衛装備移転三原則閣議決定、7月1日集団的自衛権行使容認閣議決定、そして2015年3月20日の新たな安全保障法制の制定である。
安倍ドクトリンの最大の目的は、対中国抑止にある。そのためにはアメリカの抑止力が不可欠である。アメリカの抑止力を確実なものにするためには、自衛隊にアメリカ軍の代替や後方支援にあたらせ、日米同盟を深化させることが必要だ。自衛隊とアメリカ軍との軍事協力関係を密接にする(自衛隊が事実上米軍の隷下に入るということ)ために安倍政権は、特定秘密保護法で日米間の情報共有を確実にし、防衛装備移転三原則で日米間の武器開発・製造を円滑にし、そして集団的自衛権行使容認で自衛隊の活動の場を拡大し、安全保障法制で米軍と共に戦う態勢を法的に整備するなど、着実に手を打ってきた。
とはいえ安倍ドクトリンによってはたして抑止力は高まるのか。安倍ドクトリンの問題は、アメリカの抑止力の信頼性である。抑止の能力から見れば、日米の軍事の一体化が進めば、抑止力が高まる可能性はある。中国側として米軍が同盟国日本の防衛にどれだけ軍事力を投入するかわからなくなるからである。いずれ中国の軍事力は質、量とも自衛隊を凌駕するにしても、米軍が日本に協力すれば、中国は太刀打ちできない。しかし、問題はアメリカに中国を抑止する意志があるかどうかである。はたして日本がアメリカに対米協力という恩を売るだけで、アメリカの抑止の意志が高まるだろうか。
中国側はまさに、この点をついて、心理戦、歴史戦を仕掛けている。中国は米中がかつて第二次世界大戦で日本と戦った同盟国であることを強調し、また戦後レジームからの脱却を主張する安倍首相に歴史修正主義者のレッテルを張って日米の離間を図ろうとしている。安倍首相も靖国参拝をしたことでアメリカから猜疑心を持って見られており、レーガン・中曽根、ブッシュ・小泉政権時代ほど安倍・オバマの信頼関係は深くない。日米関係がどこまで緊密化できるかは、国家安全保障の基本理念の「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」をアメリカとどれほど共有できるかにかかっている。とはいえ、米中関係には常に第二の「朝海の悪夢」(1972年のニクソン・ショックのように事前通告なしの米中関係改善が行われること)の恐れがあることを念頭に、日本は対米関係を考える必要がある。
抑止力の信頼性に関してはもう一つの問題がある。それは、どこまでアメリカに協力すれば抑止が確実になるかはわからないことだ。そのためアメリカに際限なく追随する恐れがあり、かえって日本の安全保障にマイナスになるかもしれない。特に国際安全保障分野での対米協力である。もし再びイラク紛争のような紛争が起こり、アメリカが有志連合への協力を要請してきた場合、集団的自衛権の行使を容認した以上、憲法を盾にしたかつてのイラク支援のような復興支援だけというわけにはいかない。より積極的な対米協力をすれば、アメリカの紛争に巻き込まれ恐れがある。他方アメリカにとっても、日本への協力がアメリカの国益を損なう恐れもある。尖閣問題が典型である。アメリカは尖閣を第一次世界大戦の契機となった第二のサラエボにするつもりはない。他方日本は尖閣を、国際社会が事実上併合を認めてしまった第二のクリミアにするつもりはない。日米双方で国益の違いから、抑止力の信頼性に疑問符が付く場合がある。
安倍ドクトリンの最大の問題は、安倍首相が描く将来日本の国家像が不明なことである。吉田ドクトリンは経済優先の国家目標があった。では安倍ドクトリンには具体的にどのような国家目標があるのだろうか。安倍首相は日本をどのような国家にしようとしているのかがわからない。かつては「美しい国」であり、今では「強い国」であり、そして「強い国を取り戻す」というのが安倍首相の国家目標のようである。しかし、災害に強い国を取り戻すことはできても、二度と世界第二の経済大国という座を取り戻すことはできないし、ましてや安全保障で強い国になることなどあり得ない。
国家には秩序を形成する能力のある大国、その秩序を維持する能力のある中級国家、そしてその秩序に追随する能力しかない小国の三種類がある。戦前の日本は秩序を形成する能力のある大国だった。しかし、新たな秩序形成に失敗し小国へと転落した。幸いにも戦後経済大国として復活したが、その実態はアメリカが形成した秩序を維持する中級国家でしかなかった。慶応大学の添谷芳秀教授が『日本の「ミドルパワー」外交』(ちくま新書、2005年)で指摘するように吉田ドクトリンはまさに中級国家戦略だったのである。安倍ドクトリンははたして戦前のような大国日本の復活を目指しているのだろうか。それとも世界の大国でもアジアの指導国でもない日本の現状を踏まえ身の丈にあった中級国家を築こうとしているのか。坂の上にもう雲はない。
2015年2月12日木曜日
旅券返納問題はジャーナリストの役割の低下の証左
日本政府が、シリア行を計画していたフリー・カメラマンの旅券を強制的に返納させたことに賛否が渦巻いている。私の基本的立場は、個人の自由の権利は何人たりとも犯すことはできない、ということにある。したがって、日本政府の決定は明らかに誤りであり、直ちに旅券を持ち主に返すべきである。その上で、報道、行動の自由の問題とは別の視点から、シリア入国の問題を取り上げてみたい。それは、ジャーナリストの役割である。
ところで件のカメラマンはどこから、どのようにシリアに入国するつもりだったのだろうか。トルコ国境から入るなら、シリア政府の国境管理は行われていないから、シリア政府にとってはトルコ国境からの入国は不法入国である。つまり日本政府は、正式国交のある国家に日本国民が不法入国するのを知りながら、それを看過することは許されるのだろうか。万一不法入国すれば、「イスラム国」だけではなくシリア政府にも捕まる懼れ(もっともアサド政権はもはやダマスカス地域しか支配していないから蓋然性は限りなく0に近いが)があった。カメラマンは不法入国は当然と考えていたのだろうか。
他方、日本人人質事件が起きていた同じ時期に『朝日新聞』の記者がシリア入りしていたことで、政府はもとより同業の読売、産経が朝日を非難した。全く的外れの非難である。朝日の記者はシリアのプレス・ビザをもって正式に入国しているのである。ある意味、シリア政府が彼らの身の安全を保証している。その代わりに記者の行動の自由や取材の自由は制限されているはずである。当該国政府が認めた取材活動まで危険だからと言って規制しようとするのは全くお門違いだ。朝日の記者が非難されるとしたら、当局の監視つき取材ツアーで本当に取材ができるのかという問題であろう。
不法入国であろうが合法入国であろうが、いずれにしてもジャーナリストはある種の特権意識や特権があるということが改めてわかった。前者は、報道に当たるジャーナリストだから不法入国は許されると考える。他方後者はジャーナリストだからプレス・ビザが発給される。いずれであれ、ジャーナリストであるがゆえの特権意識であり特権である。
それは報道するというジャーナリストの使命であって特権意識ではないという反論が聞こえてきそうである。しかし、ジャーナリストがもはや特権階級ではないということを明らかにしたのは他ならぬ「イスラム国」である。ネットが発達する以前ならテロ側の口舌となって主張を伝えてくれるジャーナリストの役割は大きかった。だが、ネットで自らの主張を発信できる「イスラム国」にはジャーナリストなど無用で、容赦なく彼らを殺害している。
他方、多くの人々の耳目となって紛争地の現状がどうなっているかを我々に伝えてくれるジャーナリストの役割もかつてはやはり大きかった。しかし、ネットの発達した今日、紛争地の現状もまた戦場カメラマンではなく現場に居合わせた人々がネットで配信してくれる。戦闘が激化しているウクライナから砲爆撃の生々しい模様をYOUTUBE で伝えているのは現地住民である。ジャーナリストが伝えるのは今では戦闘の跡や難民キャンプの様子である。それとてもその場で暮らす人々や支援にあたるNGOがネットで伝えてくれる。
それでもなおジャーナリストの役割があるとすれば、それは一体何だろう。旅券返納問題は、結局ジャーナリストの役割が低下したことの表れではないか。
2015年2月9日月曜日
邦人救出と改憲
イスラム国による日本人人質殺害事件を契機に邦人救出問題が再び国会で議論の的になっている。安倍首相は、2月2日の参院予算委員会で、邦人救出問題で、海外でテロなどに巻き込まれた邦人を救出できるようにする法整備を進める考え明らかにした。その先には改憲が視野に入っているようだ。
これに対し2月5日の『しんぶん赤旗』は、「「国民を守る」といえばなんでも許されるなら、それこそ世界は「力」の強さがものをいう無法な時代に逆戻りです。・・・戦争という手段で「国民を守る」などというのは今日の世界に通用するものではありません」、と真っ向から反対している。まことに正論である。とはいえ、具体的な解決策は提案できず、「いま必要なのは、国際社会の一致した力で「イスラム国」を追い詰め、武装解除と解体に追い込むことです」と、安倍政権と何ら変わらない一般論の主張しかしていない。
海外における邦人保護の問題は集団的自衛権に絡んで昨年来議論が繰り返されてきた。戦乱に巻き込まれた邦人を救出する同盟国艦艇を護るために安倍首相は集団的自衛権行使容認を閣議決定した。今また海外でテロに巻き込まれた邦人救出のための法整備や果ては憲法の改正を安倍政権は目論んでいる。これに反対する野党や護憲派はただただ法律論や感情論を持ち出すだけで全く有効な反論をしていない。だから今回のような人質事件が起こると一気に国民世論が改憲になびくことになる。
改憲に追い風が吹いていると見てか、2015年2月7日の『産経抄』がさっそく次のように護憲派を揶揄しながら改憲を主張した。「日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることがよくわかる。護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない」。
これまでも何度も主張してきたが、日本国憲法は元来国家に対して国民を武力で護らないよう約束させた世界でも画期的な平和憲法である。国民は自らの安全を自らで護ることを決意したのである。日本国民は憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のである。つまり国際社会はホッブズのいう「万人の万人による」闘争状態ではなく、すべての諸国民は平和を愛する平和な状態にある。それが日本国憲法の大前提である。
常識的な憲法理解はあくまで国家には国民を護る義務があるとしている。たとえば2015年月8日『朝日新聞』の長谷部恭男・早稲田大学教授との対論で杉田敦・法政大学教授は「近代国家には自国民を保護する義務がある」と強調している。長谷川教授も「はい。これは国民国家である以上「ある」としか言いようがなく、ありかたは国によって違います」と同意している。全く御説の通りである。近代国家には国民を護る義務がある。しかし、国民が国家に対しその義務を履行しなくてよいと定めたのが日本国憲法ではないのか。だから元来個別的自衛権も含め自衛権はあるが日本政府は国民との約束によって行使できないのである。まさに「ありかたは国によって違います」と長谷川教授が言うように、日本は国家の国民防護義務を国民が拒否した国家なのである。
では今回のような人質事件が起きたらどうするのか。たまたま必ずしも平和を愛さない諸国民がいたに過ぎないと諦め、平和憲法に殉ずるしかない。憲法に殉ずる覚悟さえあれば、安倍首相の改憲論議など一蹴できるではないか。その覚悟がなく、いくら改憲反対などと叫んでも何の効果もない。日本の憲法の平和主義を今一度再確認し、全国民が憲法に殉ずる覚悟を決めることでしか安倍首相の改憲に対抗する手段はない。
だからこそ共産党を含め護憲派は安倍首相に宣言すべきである。「戦争という手段で「国民を守る」ことなどしなくてよい、と。何故護憲派は声を大にして「自らの身は自らが護る」と言えないのか。何故テロリストに「憲法を読んでね」と言えないのか。
2015年2月4日水曜日
安倍首相責任論
人質事件が最悪の結末に終わって、いよいよ安倍首相の責任追及が始まった。論点は二つ。第一は、2億ドルの人道支援援助の演説の適否。第二は、昨年湯川遥菜氏と後藤健二氏が人質に取られてから身代金要求事件が発生するまでの対応。
第一の論点については、「イスラム国」と戦う国々を支援すると宣言したこと、そしてイスラエルのネタニヤフ首相とテロとの戦いに取り組むと宣言したこと、が問題として指摘されている(黒木英充・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授『朝日新聞』2015年2月2日朝刊)。
前者については、イスラム国を挑発したのではないかとの批判がある。宣言をしたからイスラム国と日本が敵対関係になったわけでもなく、二人が拘束されたわけでもない。イスラム国の前身であるイラクのアルカイーダの時代にはすでに日本は反イスラム戦線の一翼を担う国家としてイスラム過激派とは敵対関係にあった。2004年10月には自衛隊の撤退を求めるイラクのアルカイーダに香田証生氏が殺害されている。
湯川遥菜氏の扱いに困り、また後藤健二氏との秘密裏の身代金交渉もうまくいかず、イスラム国は彼らのもっともうまい利用法を考えていたのだろう。そこに安倍首相が中東を訪問して2億ドルの人道支援の声明を出した。それを口実としてイスラム国は宣伝のための絶好の機会ととらえ、2億ドルもの身代金要求を突き付けたのだろう。初めから交渉するつもりなどなかったことは、ヨルダン人パイロットが事件発生前に殺害されていたことで明らかだ。
後者については、そもそもイスラム国にはイスラエルなど眼中にない。実際、彼らが掲げる目標は、かつてあったイスラムの版図の再興である。パレスチナが目指す国民国家の復興ではない。パレスチナを支援するアラブ諸国やアラブ民衆にとって日本がイスラエルと共闘することは敵対行為にうつるであろう。しかし、イスラム世界の拡張を目指すイスラム国にとって、日本がイスラエルと友好関係にあろうがなかろうが、イスラム国に敵対するものはすべて敵という論理しかない。イスラエルとテロで共闘したからと言って、それが今回の事件の原因になったわけではない。
第二の問題、事件が発生するまでの対応が正しかったかどうかである。この点についての検証は十分に行う必要がある。特に、中田考氏と常岡浩介氏の問題である。彼らは、イスラム国に人脈を持っていた。それなのに、その人脈を利用しなかったのはなぜか。元レバノン大使の天木直人氏が「BLOGOS」で記しているように、第一に外務省のプライド、第二にアメリカの圧力、第三にアメリカの意向を忖度した日本政府の自制を推測している。それに加えて、好意的に考えれば、何らかの交渉が行われており、その邪魔とならないように中田、常岡ルートを使わなかった。いずれであれ結果的に両氏の人脈は使われなかった。
また後藤氏の家族あてに身代金要求のメールが来た時に政府はどのように対応したのか。全く闇の中である。家族に身代金の支払いを拒否するように言明したのか、時間稼ぎをするように助言したのか、いずれにせよ、イスラム国とどのようなやり取りがあったのかは十分に検証する必要がある。
安倍首相の責任追及はこれから本格するだろうが、今後の教訓となるように責任の追及を行うべきであろう。ゆめゆめ反安倍の政争の具に使うことのないように野党にはお願いしておく。
2015年2月3日火曜日
だれか湯川遥菜氏に一筋の涙を
後藤健二氏の死後、彼への賛辞がメディアであふれかえっている。他方、湯川氏の死についてはだれも語らなくなった。誰か彼のために涙を流す人はいないのか。
マスメディアやネットメディアは、まるで湯川遥菜という人間がいなかったかのように、
湯川氏については全く触れていない。何故これほどまでに両者の扱いに差があるのか。湯川氏に関する情報やテレビ素材が無いからなのか、それとも湯川氏は報道するに値しないからなのか。メディアの両者の扱いの差には違和感を覚える。
多くのメディアやジャーナリスが後藤氏を賞賛するのは、後藤氏への負い目があるからではないか。
第一に、マスメディアは自社の記者の代わりに、鉄砲玉としてフリーランスのジャーナリストを使うことへの負い目である。実際、記者個人の思いはともかく、マスコミは社として社員を危険なところへは派遣できない。結局、社員の代わりにフリーランスのジャーナリストを特派員として紛争地に送り込むことになる。マスコミとフリーランスの間には正社員と非正規社員のような格差が厳然と存在する。
第二に、社員、フリーランスに限らず、ジャーナリストとして現場で取材しなかったことへの負い目である。命を懸けて現場で取材することこそジャーナリストとしての本懐である。にもかかわらず後藤氏のように現場取材をしなかったことへの悔恨は多くのジャーナリストに共通の思いではないか。
こうした負い目が、あふれんばかりの後藤氏への絶賛報道につながっているのではないか。しかし、今一度冷静に振り返ってみよう。こうしたジャーリストの仲間褒めが湯川氏の命を奪ったのではないか。I am Kenjiの嘆願要請や母親の記者会見が、湯川氏よりも後藤氏のほうが有力な交渉カードだとイスラム国に思わせ、結局湯川氏はイスラム国の本気度を見せつけるカードとして利用され、真っ先に殺害されたのだろう。
『朝日新聞』1月30日の「声」に「自己責任論」について次のような投書があった。紛争地の現状などの現状をジャーナリストは命を賭して伝えてくれる。だから「そういった事実を無視して、自己責任論を唱えて頬かむりを決め込もうとするのは公正な態度か」と、一部でささやかれている後藤氏への自己責任論に反論を加えている。では、投稿者はジャーナリストではない湯川氏には自己責任があるというのだろうか。職業によって自己責任のあるなしが決まるのだろうか。もしそう考えるジャーナリストがいたとしたら思い上がりも甚だしい。
自己責任は国家の役割をどのように考えるかによって決まる。国家はいかなる場合であれ、すべての国民の命を護る義務があると考えるなら、国民に自己責任はない。他方、平和憲法が国家に命ずるように、国家は国民の安全を守らなくてよい、自らの安全は自ら護るという護憲派の立場に立てば、すべての責任は自らにある。いずれにせよ自己責任は国家との関係であって、職業の差異にあるのではない。
安倍首相は、国家の責任を十分に認識していた。後藤氏の殺害の報に触れ、「湯川遥菜さんに続いて後藤健二さんが・・・」と声明文で後藤氏だけでなく、真っ先に湯川氏について触れていた。湯川氏を無視し続けるマスコミにはたして安倍首相を批判する資格はあるのだろうか。
後藤氏を事件に巻き込んだことへの自責の念からか、わが子の死を淡々と受け止めていた湯川氏の父親が後藤氏の悲報に触れた際には思わず滂沱の涙を流した。父親にさえ涙をかけてもらえなかった湯川遥菜氏の不憫さを思わずにいられなかった。いったい誰が湯川遥菜氏に涙を流すのか。
湯川遥菜氏、後藤健二氏の御霊の永遠に安からんことを衷心より祈念します。合掌。
2015年2月1日日曜日
イスラム国のYOUTUBEテロ
テロは心理的暴力である。殺傷、破壊という物理的暴力を恐怖という心理的暴力に変えて身代金の獲得、人質の交換、政治宣伝などの目的を達成する。この物理的暴力を心理的暴力に変換するのが宣伝、広報のための手段としてのメディアである。
テロの歴史はメディアの発達の歴史でもある。そもそも現代テロの始まりは、1968年7月にパレスチナ解放人民戦線がイスラエルのエルアル機をハイジャックしたことに始まる。目的は、世界にパレスチナ問題を知らせることにあった。しかし、当時はまだ衛星中継が十分に発達せずに世界的なニュースになることはなかった。その後衛生中継の発達とともに、テレビはテロの心理的恐怖を拡散させるメディアとして重要な役割を果たした。1972年、パレスチナ過激派組織「黒い九月」によるミュンヘン・オリンピック襲撃事件、1977年の日本赤軍による日航機ハイジャック事件など、事件の経過が刻々とテレビで放映され、国際社会に大きな衝撃を与えた。そして、2001年のアルカイダによる9.11同時多発テロでは、世界中の何十億もの人々が世界貿易センタービルの倒壊を目撃し、テロの恐怖に震撼したのである。
1980年代に入ってテレビに加えて新たなメディアが登場してきた。それはビデオである。ビデオの登場によってテロ組織はテロの目的をビデオに録画し、放送局を通じ放送できるようになった。それまでは単にテロ事件が報道されるだけであったのが、テロ組織が自らの目的を発信する手段を得たのである。その結果自爆犯が事前に録画したテロ決行の決意表明を録画したビデオが放送局を通じて放映されるようになった。とはいえ自らテレビ放送をすることまではできなかった。
こうした状況を劇的に変えたのがネットの発達である。フェースブックやツイッターなどSNSを使えば今や誰もが自らの主張を世界中に伝えることができる。またYOUTUBEを使えば動画さえも世界中に配信できる。ネットのこの特性を利用してアルカイダは広報誌や広報ビデオを作成しネットを通じて世界中に配信し、自らの活動を宣伝している。さらに洗練された手法を用いているのが「イスラム国」である。アルカイダがアラビア語とせいぜい英語で発信していたのに比べ、「イスラム国」はアラビア語、英語はもちろん、ドイツ語やフランス語など多言語で発信している。今回の人質事件はネットやYOUTUBEなしではできなかった。さしずめYOUTUBEテロといって良いだろう
ネットの発達によって、もっとも劇的な変化が起きたのは、既存のマスメディアとテロ組織との関係である。これまでテレビや新聞などの既存のマスメディアは、テロ組織のメガフォンの役割を果たしてきた。たとえ中立的にテロを報道するだけでも、テロ側にとって十分に宣伝効果はある。しかし、ネットの発達でテロ組織は既存のマスメディアに頼ることなく、自らの主張を世界中にくまなく発信することができるようになった。つまりテロ側にとって既存のマスメディアは不要になったのである。イスラム国が記者を次々に人質に取るのも、記者の役割がテロ組織にとって低下したことの表れである。事実今回の人質事件を見ても、現場での取材はほとんどなく、犯人側の要求をYOUTUBEやツイッターで探すなどサイバー空間上での取材となっている。現地対策本部のあるアンマンの日本大使館前からの中継ほどむなしい報道はなかった。各局ともネット情報以上の報道はほとんどなかった。
テロの舞台がサイバー空間に移ったことで、これまでとは全く異なるテロ対策が必要になってきた。画像は合成ではないか、常に真偽のほどを確かめなければならなくなった。メールもなりすましではないか確認が必要になる。そして最大の問題は、テロ組織によるネットを通じた広報、宣伝を規制するのか否かである。一部では「イスラム国」のネットを規制すべきだとの意見も上がり始めている。しかし、ネットの自由を原則にしている日本をはじめ欧米自由諸国は簡単にはネット規制には踏み切れないだろう。さりとて「イスラム国」の宣伝を野放しにすれば、彼らはさらにテロをエスカレートさせるだろう。
「イスラム国」のテロの狙いは、テロの語源そのものである「恐怖による支配」だ。まさにネットはうってつけのメディアである。
2015年1月28日水曜日
ISILの巧妙なネット戦略に翻弄される日本
イスラム国に囚われた人質の一人湯川遥菜氏が殺害された。口にこそ出さなかったが、イスラム国の本気度を日本政府に見せつけるために一人が殺害されるのではないかと多くの識者が懸念していた。結局その通りになった。とはいえ殺害されたのがなぜ湯川氏だったのか。この背景には、ネットの情報が大きく影響していたのではないか。
もう一人の人質後藤健二氏は、外国特派員協会での母親の記者会見やニューヨーク在住の映像ジャーナリスト西前拓氏が「私は健二」というプラカードを掲げるなど、後藤氏救出の動きが顕著になった。それに引き換え湯川氏には解放を求める動きはなかった。それどころか、湯川氏は犠牲になっても仕方がないといった書き込みさえネットに出てきた。
こうした情報はすべてISILに伝わっていたのではないだろうか。中東では衛星放送が主要な情報メディアである。CNN、BBCはもちろんNHK国際放送も受信できる。日本の情報が英語で伝えられえているのである。また中東のアラビア語の放送局も事件の概要を伝えている。ISILが日本政府の動きや世論の動向を知ろうと思えば意図も簡単に入手できるだろう。
むしろテレビよりも重要なのはネットによる情報である。ISILがメッセージを日本政府に送り付けているのはネットである。しかも、人質家族に直接メッセージを送りつけたり、あるいはYOUTUBEで不特定多数にメッセージを公表している。情報発信の巧妙さに、日本政府や日本国民は文字通り翻弄されている。脅迫状や電話あるいはビデオが犯人側からのメッセージの伝達手段であった昔を考えると隔世の感がある。
情報発信だけではない。ネットは犯人側に情報収集も可能にした。今回の事件に関して日本では大量の情報がネットにあふれた。これらの情報のほとんどが日本語である。だからISILには日本の世論が事件をどのように見ているかわからないと多くの人は思うだろう。そうではない。日本語を英語やアラビア語に翻訳するソフトはグーグルにある。細かなニュアンスは伝わらなくても概略はわかる。あるいはフェイスブックやツイッターでボランティアの翻訳者を募ることもできる。また日本国内にも反米、反安倍を理由にISILを支持する者や同情する者がいる可能性は高い。いずれにせよ日本側の情報は筒抜けだと考えたほうがよい。
ISILが身代金要求を取り下げて人質の交換を要求してきた背景には、高額な身代金の支払いに否定的な日本政府や世論の動向を熟知したからではないか。また一部のメディアや政治家などが事件を利用して反安倍、反政府、倒閣運動を画策していること察知して、身代金より現実的と思われる人質交換に戦術を切り替えたのではないか。
ISILは日本側の手の内を熟知している。それに引き換え日本政府はISILに対する情報はほとんど持っていないようだ。テレビなどの既存メディアやスパイに頼る従来の情報発信や情報収集はネットが地球上を覆い尽くす現在もはや時代遅れかもしれない。
(2015年1月25日)
2015年1月13日火曜日
イスラムの草の根の世界戦争
2015年1月7日イスラム過激派による風刺週刊誌「シャルリー・エブド」襲撃事件は「民主社会の根幹である言論の自由への重大な挑戦」(社説『朝日新聞』2015年1月9日)であるとしてフランスのみならず世界に大きな衝撃を与えた。フランスではパリを中心に各地で反テロを叫ぶ多くの市民が手にペンを携えてデモ行進をした。確かに、ムハンマドに対する冒涜を理由に新聞社を襲撃したことで今回のテロ事件は一見「言論の自由への重大な挑戦」に見える。しかし、今回の襲撃事件は単に「言論に対する暴力や脅し」や、今後懸念されるイスラム教徒への「差別や偏見に基づくヘイトスピーチ」(社説『朝日新聞』2015年1月9日)の問題ではない。実際は「言論の自由」という西洋イデオロギーやそのイデオロギーに基づく現在の国際社会の秩序に対する挑戦である。この文脈で今回の事件は犯罪ではなく、明らかに共産主義対自由主義の闘争に似たイデオロギー闘争でありイスラム・イデオロギーに基づく革命戦争の一環である。決して貧困や差別の社会問題が生み出した事件ではない。また単なる宗教対立でもない。政治闘争である。
俯瞰的に現代の紛争やテロの原因を見ると、そのほとんどの紛争の主体がイスラム対非イスラムであり、またその紛争地域はイスラムと非イスラムの境界線上で多発している。歴史的に見ても、1979年2月のイラン革命以降、国際テロのほとんどはイスラムに関連している。その後2001年の9.11同時多発テロ以降は西洋諸国が対テロ戦争の名目でイスラムへの攻撃を激化させ、それにイスラムが弱者の戦術としてテロを行使している。今回のパリのテロ事件も単にムハンマドを冒涜したという理由からだけではなかった。ユダヤ系スーパーを襲撃したアムディ・クリバリは、ネットで「イスラム国への爆撃で兵士や市民が殺害された報復」であると襲撃の理由を語っている。つまり単なる個人の単独テロではなく、イスラム対非イスラムの「戦争」の一環として、クリバリはテロを戦術として用いたのである。
イスラム対非イスラムの「戦争」という視点から見れば、1979年のイラン革命以来イスラムの「戦争」は前線なき、「草の根の世界戦争」として拡大の一途をたどっている。80年代は中東特にレバノンに集中していた。90年代に入るとソ連や東独等共産主義陣営が使嗾する共産テロが終息し、相対的にイスラムテロがフィリピン、インドネシア、ケニヤ、ソマリアなど中東以外でも頻発するようになった。そして21世紀に入り9.11を契機に欧米にもイスラムテロが拡大し、今や全世界がイスラムの戦争の前線になっている。
個々の事件は、必ずしも表面的には連携はないが、何かしらその地下茎がつながりあって世界各地でテロ事件が起きている。それは単なるテロではなく、全体としてみればやはりイスラム対非イスラムのある種の戦争が戦われているといっても良いだろう。その地下茎とは、結局のところ、主権在神のイスラムの政治イデオロギーではないのか。それを伝える手段がイラン革命当時のカセットテープからネットに代わり、一気に世界にイデオロギーが拡散していったのだ。
今回のパリのテロ事件は主権在民の西洋政治イデオロギーと主権在神のイスラム政治イデオロギーが抜き差しならないところまで先鋭化したことを如実に表しているように思える。
登録:
投稿 (Atom)