2009年11月17日火曜日

鳩山首相の未熟な安全保障政策

 鳩山首相には本当に安全保障や軍事に関する知識があるのだろうか。彼の経歴を見る限り安全保障には全くの素人と考えた方がよさそうだ。そもそも抑止という概念を知っているのだろうか。あるいは勢力均衡という概念を知っているのだろうか。こうした安全保障の基本概念を踏まえた上で東アジア共同体のような多国間協調体制について語っているのなら、まだ安心だ。しかし、どうも心もとない。
 鳩山首相のアドバイザーとみなされている寺島実郎氏も安全保障の専門家とは言い難い。なにしろ私と同じ「バカダ大学」の出身だから、それほど頭脳明晰とも思えない。またもう一人のアドバイザーがいるようだ。昨日(2009年11月16日)の新聞の「首相動静」を見ると軍事アナリストの小川和久氏が首相を訪問している。普天間問題についてなんらかのアドバイスをしたのだろうか。彼は少年自衛官出身で同志社大学の神学部を卒業後週刊誌のライターを経験した後、独立して軍事アナリストを名乗っている。経歴を見る限り、軍事のゼネラリストではあるがスペシャリストとは言い難い。二人のアドバイザーを見る限り、どうも防衛問題の専門家や研究者が鳩山首相のまわりにはいないようだ。安全保障政策がブレるのもしかたがないのかもしれない。
 寺島氏の安全保障に対する基本的な考え方は、冷戦後の日米同盟の再々定義ということであろう。日米同盟は1996年にその目的を「アジア・太平洋の平和と安定」と定義し直した。実は、それ以前の92年に宮沢首相とブッシュ(父)大統領はグローバルな役割を日米同盟が担うということを共同声明で明らかにしていた。つまり、冷戦後の日米同盟の役割については定義の見直しが何度か企てられてきたのである。寺島実郎の提案もその延長線上にある私案の一つである。要するに21世紀の安全保障環境にあわせて、普天間基地問題も全面的に見直すべきだという提案である。恐らく鳩山首相の普天間問題の全面的見直し論は寺島氏の受け売りではないか。
 たしかに寺島氏の論には納得できる部分も多い。寺島氏の言うように、北朝鮮の核はたしかに脅威ではあるが米中の圧力での解決は可能である。また相互依存関係が進む現在中国を仮想敵とするのは時代錯誤である。しかし、寺島氏や鳩山首相の安全保障政策の最大の問題は日本の安全保障政策をどのようにするかが明確になっていない点である。
 この問題を考える際にリトマス試験紙となるのは、自衛隊は合憲かそして集団的自衛権を認めるか否かである。二人とも自衛隊は認めているとは思うが、集団的自衛権は容認していないようだ(鳩山首相の発言はブレるので明確なところは不明ではあるが)。集団的自衛権の政府解釈を変更しない限り、現実には自衛隊のPKOや国際治安維持部隊への参加も、さらに日米間の共同作戦行動もできない。
 仮に集団的自衛権を認めないというのであるなら、日本単独で安全保障体制を構築していく以外に方策はない。しかし、鳩山首相に日本独自の軍事力の構築を図る決意があるだろうか。
 鳩山首相が安全保障で対等な関係を主張した時、恐らく対米独立派の右派の一部は快哉を叫んだことだろう。対米従属体制から脱して、対等な軍事関係に依拠した日米同盟の再定義は右派保守派の積年の願いであった。右派の諸君は、鳩山首相がこの願いを実現してくれるもの多いに期待したことだろう。
 しかし、鳩山首相には、そこまでの見識と度胸はなかったようだ。また寺島氏もそこまでは深く踏み込んでは考えていないようだ。二人とも日米関係や日中関係の軸足を軍事から経済関係に移すことで、対米独立が達成できると安易に考えているのだろう。
 安全保障の究極は結局力である。しかもその力は軍事力というハードパワーである。二人の希望はともかくも、残念ながら秩序の源泉は最終的には軍事力でしかない。その軍事力を効率的、効果的に使いこなしてこそ国際社会に平和と安定が訪れる。鳩山首相も寺島氏も安全保障のその要諦が理解できていないようだ。
 鳩山首相の未熟で無能な安全保障外交が日本に災厄をもたらさないことを祈るばかりだ。

2009年11月16日月曜日

鳩山首相は大丈夫か

 鳩山総理に、首相としての能力、力量があるのだろうか。本当に心配になってきた。日米首脳会談で合意したはずの普天間移設問題に関して、「これまでの日米合意を前提としない」との発言には正直驚きを通り越して、首相の精神に一抹の不安を感じた。首相の問題というより、約束したことをすぐに反故にするなど一個の人格として問題があるのではないか。これまでの日米合意を踏まえた上で、検証作業を行うということを首脳会談で約束したのではないのか。「これまでの日米合意を前提としない」という言い方では、全く白紙に戻して再考するとしか受け取りようがない。事実、ニュースを見聞きすると、政府高官筋(官房長官だが)本当に困ったといって頭を抱えているという。
 また「友愛ボート」という提案にも正直驚かされた。一体だれの発案なのか。ピースボートの主催者だった社民党の辻本清美なのか。一般民間人も乗艦させて自衛艦を文化交流や医療支援にあたらせるという。軍艦をピースボートに仕立ててどうするつもりなのか。それよりも自衛艦に乗船し、自衛隊員と一緒に活動しようというNGOが日本にあるのだろうか。しも、これが「単純延長はしない」というインド洋の自衛隊艦の給油の代替措置だとしたら、まさに噴飯物としか言いようがない。給由に代えて文化交流に使うほど自衛艦に余裕があるとは思えない。またそのような任務を与えられる自衛隊員も気の毒としか言いようがない。
 さらにアフガニスタンに4500億円もの援助を5年間に渡って実施するというが、だれがどのようにして具体的に援助を実施するのだろうか。湾岸戦争の時のように日本は再び小切手外交にもどるのだろうか。4500億円もの巨額の無償資金をアフガニスタン一国に割り当てて、今までアフリカやアジアなどの発展途上国に行ってきた経済援助は「事業仕分け」で廃止、削減されるのだろうか。
 鳥越俊太郎は、米国追随ではなく日本独自の援助をすべきだという、あいかわらず「丸い三角」論つまり言葉ではいくらでも言えるが実行は不可能という主張だ。自衛隊抜きの日本独自の非武装援助部隊が現実に不可能だから問題なのだ。二言目にはジャイカの日本人はがんばっているというが、ジャイカの職員は防弾車や外国の警備会社の武装警備員や他国の兵士に守られながら活動をしている。しかも、ほとんどの場合事務所と宿舎の往復だ。また危険があれば、ただちにアフガン国外へ一時退避している。
 恐らくずっとアフガニスタンにとどまり何の警備もつけずに非武装で活動しているペシャワル会の中村哲さん一人だけだろう。彼がタリバーンに襲われないのは、彼がタリバーンだからだと現地で噂されているほど、農民の中に溶け込んでいるからだ。逆に、彼の立場はアフガン政権や欧米や日本政府の立場とは微妙にズレが生じている。
 もし、鳥越氏の言うように日本独自の非武装の支援活動をするというのなら、私が提案する憲法9条部隊のような組織しかないだろう。それはペシャワル会も同じだが、まさかの時には他国の兵士と同様に一命を投げ出す、真の意味での非暴力ボランティア(志願兵)でなければならない。残念ながら、鳥越氏にも自ら一命を投げ出してまでボランティアに志願しようという気はないだろう。だから彼の主張は評論家の「丸い三角」論でしかないのだ。
 日本人には一命を賭してでもアフガンにボランティア活動に行こうという奇特な人間はいないだろう。つまり4500億円は間違いなく他国のNGOに分配されるか、仮にジャイカが予算を執行するにしても、ジャイカは外国の企業と契約し、外国人を雇って援助をするだろう。一体どこに日本人の顔の見える援助となるのだろう。
 鳩山首相は本当に外交には全くの素人としか思えない。その上軍事や安全保障については全く無知蒙昧である。同盟関係とは本来はお互いに相手のために血を流すことを約束した血盟関係である。日米同盟も本質は血盟である。にもかかわらず鳩山首相は環境問題や温暖化など日米間で幅広く重層的な関係を深化させるという。同盟は文化交流ではない。
 本当に鳩山首相で大丈夫か、本当に鳩山首相は大丈夫か。

2009年11月14日土曜日

事業仕分けの女子と小人は養いがたし

 まさに「女子と小人は養い難し」というべきか。また「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とでもいうべきか。事業仕分けでスーパーコンピューターの予算が風前のともし火だ。その理由が「世界一でなくていい」、「巨艦主義のスパコンの必要性を見直せ」、「将来生まれる成果を明確にすべきだ」との理由から、最終的に内容を再検討すべきだとの結論になったという。
 技術立国を目指す日本が、その根幹をなすスーパーコンピューターで「世界一でなくていい」「なぜ第二位ではいけないのですか」という女子(蓮舫)の全く的外れの理由から、事業の廃止に追い込まれそうだ。環境問題を最優先課題に掲げる民主党政権が、環境問題の解決に不可欠な技術開発をないがしろにしてどうするのだろうか。そもそもこの女子はスーパーコンピーターの意義を理解しているとはとても思えない。スーパーコンピューター開発がどれほどの波及効果をもたらすか少しでも考えてみたことがあるのだろうか。この女子の経歴を見る限り、到底科学的な知識があるとは思えない。ノーベル化学賞受賞者の野依良治理化学研究所理事長が、まさかこんな小娘に虚仮にされるとは思いもよらなかったろう。所詮、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」しかない。
 また、だれの発言かはわからないが「巨艦主義のスパコンの必要性を見直せ」というのなら、並列式のコンピューターの開発をせよとでもいうのだろうか。また「将来生まれる成果を明確にすべきだ」などと研究開発のなんたるかを知らないバカの発言を聞くと、本当に日本の将来に暗澹たる思いを抱いてしまう。将来日本からは誰一人としてノーベル物理学賞、化学賞、医学賞の授賞者は生まれないだろう。
 恐らく同じ文脈からであろう費用対効果の点で効果が薄いと判定されて、若手研究者養成のための科学技術振興調整費(同125億円)と科学研究費補助金(同330億円)も削減の結論が出た。たしかに若手研究者養成には研究者の失業対策の側面があることは否めない。また科研費にもたしかに無駄がある。しかし、多くの無駄の積み重ねでしか研究の成果はあがらない。そもそも将来生まれる成果がわかっていたら、それは新しい研究とは言えない。
 どのような成果があがるかわからないが、なにかの役に立つかもしれないという研究こそが真の研究だ。マリー・キューリーが放射線を発見したとき、これは将来計り知れない成果を生むだろうなどと考えたのだろうか。ニュートリノを発見しノーベル物理学賞を授賞した小柴昌俊東大名誉教授の研究など、はたしてどれほどの成果が将来あげられるのだろう。
 事業仕分けを見ていると本当に日本は大丈夫なのかという思いにかられる。国民目線で事業仕分けを行うということだが、国民目線というのは義務教育を終えた人の能力である。というのもだれでもが理解できる範囲が国民の能力であり、国民の判断基準なのである。それは義務教育レベルである。どうも民主党政権は日本に衆愚政治をもたらしつつあるようだ。
 官僚支配はエリート主義の弊害をもたらしたが、民主党政権は官僚支配を蛇蝎のごとく嫌うあまり日本に衆愚政治をもたらそうとしている。若い事業仕分人が年配の官僚を切って捨てるかのごとき様子を見ると、毛沢東時代の紅衛兵を思い出す。
 思うに最初に事業仕分けが必要なのは、国会議員ではないだろうか。まず真っ先に政党助成金を廃止し、全国会議員は給料を全額国庫に返納したらどうだろうか。その上で国会議員を半分にへらしてはどうか。すくなくとも民主党の新人議員程度の数はへらせるだろう。新人議員はまったく国会議員の働きをしていないのだから。まずは「隗より始めよ」だ。

2009年11月8日日曜日

鳩山政権の政策のブレ

 鳩山政権の外交政策がブレにブレている。
 岡田外務大臣は普天間基地の海兵隊基地を米空軍が管理する嘉手納に統合しようとしている。この統合案を外相に入れ知恵したのは、外務政務次官の長島昭久であろう。彼は、依然に嘉手納統合案を主調していたことがある。また長島に入れ知恵したのは、彼が元いたワシントンの民主統計シンクタンク・ブルッキングス研究所か、民主党系に近い、たとえばマイケル・オハンロンのような研究者ではないか。長島も岡田も、民主党系の人脈を通じて嘉手納統合案が多少なりとも実現性が高いと踏んだのではないか。
 また岡田もかつては民主党色の強いハーバード大学国際問題研究所の日米関係プログラムに在籍したことがあり、民主党系におそらく強い人脈を持っているのだろう。しかし、当時同研究所の所長であり、かつては国務次官補として1996年の日米安保の再定義を主導したジョセフ・ナイ教授は辺野古への移設を支持している。米国内でも意見は割れているようだ。
 他方、北沢防衛大臣のブレも酷いものである。県外移設を主張していたかと思えば、次には県内移設を、そして今では辺野古以外には選択肢はないとまでほのめかすようになった。さらにアフガニスタンのISAFへの自衛隊員派遣まで言及し、鳩山首相が直ちにそれを否定する始末だ。神輿と大臣は軽い方がよい、とは私が防衛研究所時代に官僚からよく聞いた話だ。北沢大臣は完全に官僚に籠絡されたようだ。
 さて当の首相も過去の集団的自衛権を容認する発言を曖昧であったとの理由であっさりと撤回するなど、過去の自身の主張からのブレが目立ち始めた。恐らくは社民党との連立や民主党内部の旧社会党系議員を慮ってのことだろうが、いずれは安全保障問題で党内が分裂する事態となりかねない危険を孕んでいる。
 そもそも対米従属路線からの脱却という鳩山首相の主張はアドバルーンとして高く上がりすぎたようだ。しかし、左右両派からの賛成がえられる主張だけに問題を孕んでいる。自民党のタカ派からは対米独立自主武装路線、社民党や公明党のようなハト派やダチョウ派からは対米独立親中非武装路線への画期として賛同が得られる主張だ。また、左右両極からのみならず前原国交大臣のように集団的自衛権を容認し米国と対等な関係を築きたいと考える民主党内の現実主義のフクロウ派からも賛同が得やすい。つまり対米従属からの脱却といえばだれからも反対されることはない。単なる理念だからこそ誰もが賛成する。しかし、一度対等な関係を安全保障で求めようとすると、結局は自主防衛か、少なくとも集団的自衛権の解釈変更による軍事力の強化か、あるいは全く逆に憲法9条を堅持し日米関係を精算して米中との多国間関係をとるかのいずれかである。いずれの政策であれ明確に政策として実行しようとすれば、連立の崩壊、民主党の分裂は避けられない。
 また辺野古問題も連立破綻の契機となる要素を孕んでいる。だからこそ鳩山首相もにわかには政治決断ができずに、ブレにブレているのだろう。県外移設を主張していた以上、嘉手納であれ辺野古であれ、県内移設となれば食言を批判されることは間違いない。たしかにマニフェストには「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とあり、「県外移設」とは一言も書かれていない。しかし、これまで鳩山首相は県外移設が最も望ましいとの主張を再三再四くり返してきたように、やはり県内移設しかも辺野古沖で自民党政権時代の政策を踏襲することになれば、一体何のためのマニフェストだということになりかねない。
 さらに東アジア共同体論は、アジアを「亜細亜」と漢字で書けば、尾崎秀実の「東亜共同体論」と全く変わらない。ましてや、この手のアジア主義は明治からある。樽井藤吉の『大東合邦論』。日本がこうしたアジア共同体論を提起すれば、太平洋戦争の反省が足らないと思われたり、その弱点をつかれて米国や中国あるいは近隣諸国から反発を受けたり、また利用されないとも限らない。
 かつてアメリカのダレス国務長官がアジアにもNATOのような反共軍事同盟を作りたいとアジア諸国に呼びかけたことがある。しかし、かつての敵国と同盟関係を結ぶことにオーストラリア、フィリピンが頑強に抵抗した。結局アジア太平洋には多国間同盟ではなく米国をハブとした日米、日韓、米比、アンザスの二ないし三国間同盟が創設された経緯がある。
 そもそも現在の東アジア共同体論は韓国が提案し、それを中国が利用し、あわてて日本が追随したという経緯がある。東アジア共同体論は長年同案を主張してきた多摩大学学長の寺島実郎が鳩山に吹き込んだのだろう。鳩山首相の東アジア共同体論を聴くと、中江兆民の『三酔人経綸問答』の洋学紳士君を思い出す。南海先生は洋学紳士君の理想について「紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵さ、言葉や文字では発表したが、まだ世の中に実現されていないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの」と述べている。
 鳩山首相の政策がブレているのは、内容空疎な言葉を多用し、中身がないからであろう。インド洋での給油問題について、「単純」延長はしないとおもわせぶりな発言をくり返してきた首相だが、結局、延長はしないということになってしまった。「単純」と言ったのは一体どういう意味合いを含めていたのだろうか。「巧言令色少なし仁」である。