2014年10月29日水曜日

ルサンチマンの政治

 ルサンチマンの政治が世界中に広がっている。 貧困がテロの温床というのは、イスラム国の出現で見事に否定された。イスラム国の戦闘に参加するために世界中から志願兵が集まっている。その理由はルサンチマンだ。母国で居場所が見つからない人々が母国にルサンチマンを抱き、自らを受け入れ居場所を与えてくれるイスラム国に共感を覚えるのは当然のように思う。そしてそのイスラム国は、まさにその名前が物語るように、かつての欧米列強へさらには西洋キリスト教諸国へのルサンチマンを晴らすために戦っている。 彼らの目的はイスラム国の建国である。それは欧米列強が恣意的に画定した国境線を否定すなわち西洋主権国家を否定することである。それはとりもなおさず、イスラムを否定した西洋キリスト教諸国への恨みを晴らすことである。だからこそ、国際法も無視し、欧米流の人権も否定し、人質の処刑も残酷になるのである。 ルサンチマンの動きはイスラム国に限らない。中韓が日本に歴史認識問題を仕掛けてくるのは、まさに日本の植民地化に対するルサンチマンである。かつて、日本は中国が弱体化した時「死せるクジラ」と称して欧米列強とともに中国を蚕食し、台湾、韓国を植民地化した。今や立場は逆転した。20年以上にわたる長い経済低迷、それにとどめを刺すかのような東日本大震災と原発事故。安倍政権の掛け声もむなしく、日本の長期低落は避けられない。 弱体化した日本にこれまでの恨みを晴らそうと、中韓が歴史認識問題を仕掛けている。 ことは南京問題や慰安婦問題ではない。まさに歴史認識問題である。これまでのアジア一の大国としての歴史認識を日本が改め、二位、三位になったことを日本国民が受けいれるまで、つまりは中韓が日本より心理的に優位に立ち、それを具体的に日本人が受け入れるまで歴史認識問題は解決しない。慰安婦問題や産経新聞記者の拘束問題を日本が全面的に謝罪し竹島を放棄し、そして最終的には日本がかつて韓国皇帝を廃位させたように、天皇を廃位させるまで韓国の攻撃は続くだろう。 洋の東西を問わず、ルサンチマンの政治が勢いを増している。これまで劣位に置かれていた人々や国家が反撃を始めている。それは単に植民地化へのルサンチマンでとどまるのか、あるいは文明や宗教に基づくルサンチマンとなるのか。ルサンチマンに基づく草の根の第三次世界大戦がすでに始まっている。

大国心理の崩壊と日本外交

 明治維新以来、一貫して日本人はアジア随一の大国としての心理を抱いていた。しかし、2010年代に入りその心理はすでに過去のものとなった。今や日本に代わってアジアの大国が中国であると、中国人はもとより日本人のほとんど全員が思っている。今日本は、国民の心理では、アジアで二番目の国家になった。それだけではない、韓国人でさえ、日本人にはITとグローバル化では勝っていると思っている。中国、韓国ではついに日本に勝ったという心理が国民の間に横溢しているのだろう。  今このような駄文を書いている筆者を含めほとんどすべての日本人がこれまで、意識のあるなしにかかわらず、日本はアジア随一の大国との心理を抱いていたことだろう。だからこそ慰安婦問題に観られるように、日本人の間に、中国や韓国を弱者とみなし彼らに寄り添う心理的余裕が生まれたのである。 慰安婦問題がにわかに大きな問題になったのが、日本のバブル期であったことは決して偶然ではない。当時日本の大国意識は絶頂期を迎えた時代であった。将来はアメリカと日本の共同覇権、アメリッポンの時代が来ると本気で信じられていた時代だった。他方、中国は依然として発展途上国の域を出ず、韓国もオリンピックを開催するだけの国力を回復したものの、日本の経済力とは比較にもならなかった。この日本と中韓の経済力の差が日本人に心理的余裕を生み、「良心的日本人」に中韓の慰安婦に寄り添うことで自らの良心の証としたいとの思いがめばえたのだろう。 慰安婦問題での誤報を朝日新聞が取り消したのが今年2014年であったことは決して偶然ではない。朝日新聞が日本政府に厳しく、他方中韓に寄り添うような報道をしてきたことは、まさに日本人の大国心理を無意識の前提にしていたからである。その前提が崩れた以上、もはや朝日新聞がよって立つ弱者への思いやりという倫理的優位性も失われてしまった。また日本人も中韓からの非難に鷹揚に構えている心理的余裕を失った。朝日新聞へのバッシングは、まさに日本が大国の座から滑り落ちたことへの日本人のいらだちである。またいわゆる在特会に集まる人々は、まさに中韓の弱者よりも日本人の方がより弱者に、劣位に置かれているとの思いからヘイトスピーチを繰り返すのだろう。 日本はもはやアジア随一の大国ではない。この現状をどう心理的に受け止めてよいのか、だれも答えを見いだせない。安倍政権や自民党は「強い日本」を取り戻すとして、経済、軍事に力を注いでいる。しかし、どうあがいても中国を追い抜くことはできない。他方いわゆる平和主義者は憲法九条にノーベル賞を授章させる運動で何とか平和大国としての心理を得たいと考えている。しかし、不思議なことになぜ憲法九条がノーベル平和賞に値するのか、だれも論理だって説明できない。右も左も、だれも日本がアジアで二番目の国なったことを受け止められないでいる。 日本が置かれている現状は、添谷芳秀が主張するようなミドルパワーではない。まさにアジアでの第二位国家なのである。心理的余裕を失った日本人は今、原発反対、TPP反対の現代の鎖国政策をとるか、あるいは「開国」をして再度アジアの大国を目指すか、まさに正念場である。

2014年10月23日木曜日

10.21国際反戦デーの無惨

10.21と聞いてピンとくる人はいるだろうか。10月21日は国際反戦デーである。1969年10月21日、新宿を中心に新左翼、労働者、市民等による大規模な反戦デモが行われ、新宿が騒乱に包まれた。あれから45年の今年、2014年10月21日NHK 横の公園で200人ほどのデモ隊が戦争反対のデモをしていた。それはまさしく焼香デモだった。  先頭には全学連の横断幕を持った学生らしき集団がいた。その後ろにはほとんどホームレスのかっこうに近いしょぼくれた労働者らしき国労、千葉動労の横断幕を掲げた集団が続いた。その後に続くのは、60台、70台の全共闘崩れの爺さん、婆さんばかりだ。本当に秋風のしみる風景だ。  戦争反対、アメリカのイラク、シリアへの空爆反対、とシュプレヒコールを叫んでいたが、寒空にこだまするばかりで、ひたすら物悲しい。なぜアメリカの空爆に反対するのなら、現地に行って体を張って反対しないのだ。ただ自己満足だけの反戦運動をして何か世の役に立つと思っているのだろうか。なぜ日本にはこうした似非平和主義者ばかりはびこるのだろうか。足元もおぼつかない爺さん、婆さんが世の中の役に立つことはただ一つ、早くあの世に行くことだ。年金も健康保険も放棄するのが、日本の平和ひいては世界の平和に役立つ最良の方法だ。入れ歯をがたがた言わせながら、戦争反対と叫んでいる自分が世界の平和にとって最大の障害だということを悟るべきだ。  それにつけても、反政府派の過激派は自爆テロを実行するだけの度胸も覚悟もないのだろうか。本当に、本当に情けない。  辺野古の測量を請け負っている会社に爆発もしない金属弾を撃ち込んだ過激派がいる。過激派というのもおこがましい。おそらく60台、70台の全共闘崩れだろう。戦争の修羅場も知らず、自慰に等しい悪ふざけをしたに過ぎない。本気になって反戦、反米を主張するなら、アルカイダやイスラム国のように、銃や爆弾で反米、反政府闘争を敢行してくれ。花火で火遊びをする過激派など世界中どこを探してもいない。  結局日本の過激派や左翼は命を懸けることはなく、遊びや自己満足でしかなかったのだ。 10.21国際反戦デーの焼香デモを見てつくづくそう思った。

2014年10月13日月曜日

憲法九条のノーベル平和賞をめぐる悲喜交々

 2014年10月10日にノーベル平和賞の発表があった。事前予測では憲法九条は受賞候補第一位であった。もっとも直前の予想では圏外だったらしい。落胆する人もいれば安堵した人もいたろう。  たまたま私も、憲法九条にノーベル平和賞をという運動に賛同を求められていた。もちろん納得すれば喜んで賛同者に名を連ねます、と返答した。会合に出席して、憲法九条の何がノーベル平和賞に値するか、質問したところ、だれも明確に回答できなかった。  これまで日本は憲法九条のおかげで戦後70年近く一度も戦争をしなかったことが平和賞に値するというのが一般的な答えであろう。しかし、戦争をしなかったというなら、1648年から360年以上戦争をしなかったスイスこそ平和賞に値するのではないか。  ではいったい何が平和賞に値するのだろうか。自衛隊という、軍事費だけで言えば、世界第5位の立派な軍隊を持っている。憲法で戦争をしないとの条文を掲げているのは日本だけではない。イタリアもアフガニスタンも非戦の平和憲法を持っている。  どうしても納得できなかったので、結局賛同者には名を連ねなかった。会合に同席していた憲法九条を称賛する外国人に尋ねてみたところ、核廃絶を訴えたオバマの平和賞と同じで、これから日本が軍隊をなくすことを応援する意味だ、との回答があった。それこそ憲法九条が平和賞候補に挙がったことを安倍さんが「政治的だね」といったことを裏付ける。反安倍運動と見れば、今回の平和賞候補は納得できる。  一方で、万一受賞していたら、憲法九条を支援する人は大いに困ることになる。なぜなら、ノーベル平和賞が現状を肯定することになりかねないからだ。戦後憲法九条の下で、二十数万の軍隊を抱え、日米安保で米国と軍事同盟を締結し、今や個別的自衛権はもちろん集団的自衛権の行使を容認しているのである。平和賞は憲法九条という条文に与えられるわけではなかろう。憲法九条を護持してきた国民に与えられるとするなら、ノーベル平和賞は日本の現在の防衛政策を全面肯定することになる。なぜなら国民の代表たる国会議員によって憲法九条の下、国会で防衛政策が決められてきたからだ。それは、自衛隊、日米安保等現在の防衛政策に反対する社民党、共産党そして憲法九条にノーベル賞を、という運動を進める九条の会など護憲派の人々の思惑とは異なるだろう。  マスメディアが好意的に憲法九条にノーベル平和賞を、という運動を取り上げたのは、相模原の一人の主婦がアイデアを思いついたからだ。数十年前に杉並の主婦が反核平和運動を先導したり、また20年前にニュージーランドの主婦が核兵器裁判を起こしたことがある。今回は三匹目のドジョウをマスコミは狙ったのだろうか。  それにしても、万一憲法九条が授章した時、ノーベル賞委員会はどのような理由を挙げたか、まことに興味深い。また授賞式には国民を代表して安倍首相が出席するのだろうか。そのことを想像するだけで、憲法九条にノーベル平和賞を、という運動がブラック・ユーモアに思えてくる。

2014年10月4日土曜日

憲法九条の想定外の「国際紛争」

 安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定をめぐって賛否両論が激しく闘わされている。憲法九条第一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。これまで「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇又は武力の行使」については夥しいほどの数の著作が出版され議論が繰り返されてきた。にも関わらず元法制局長官阪田雅裕氏によれば(半田滋『日本は戦争をするのか』(岩波新書)62頁)「国際紛争」についてこれまで政府で議論になったことはないという。この国際紛争の解釈に一石を投じたのが、安保法制懇の北岡伸一座長代理である。彼は、「国際紛争」には第三国における紛争」たとえばアフガニスタン、イラクのような第三国での紛争は含まれないとの見解を明らかにしている(同上書、61頁)。たしかに「国際紛争」の由来を調べると北岡氏の主張は正しい。 そもそもマッカーサー・ノートでも、GHQ原案でも「他国との紛争」を解決する手段として「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄したのである。つまり憲法九条はアフガニスタンでのタリバン、イラクやイエメンなどでのアルカイダそしてシリアやイラクでのイスラム国など他国内での非国家主体との紛争など想定していなかった。現在「国際紛争」として問題となっているのは、「他国との紛争」ではなく「他国内における非国家主体との紛争」である。 「他国との紛争」に代わって「国際紛争」という文言が使用されたのは、帝国憲法改正案委員会小委員会第4回(1946年7月29日)以降である(『帝国憲法改正案委員会小委員会速記録』(現代史出版、2005年))。冒頭芦田委員長が次のように発言した。「又、第2項の『他国との間の紛争の解決の手段……』という表現はあまりにもだらだらしていますので、この文章も『国際紛争を解決する手段』と修正するという提案もありました」との記述がある(福永文夫独協大学教授のご教示に感謝します)。つまり憲法九条が想定している「国際紛争」とは日本と「他国との紛争」であって、「他国内における非国家主体との紛争」ではない。 そもそも憲法制定時に「他国内における非国家主体との紛争」など全く想定していなかったはずだ。憲法九条の目的はあくまでも日本を非武装化し、二度と「他国と紛争」ができないようにすることだったからである。しかるに現在の「国際紛争」は「他国との紛争」よりもむしろ憲法九条の想定外の「他国内における非国家主体との紛争」が主流になりつつある。つまり第三国における武力行使は憲法上禁止されていないという北岡氏の主張は論理的には正しいことになる。だとすれば憲法九条が想定していない国際紛争に武力の行使は許されるのだろうか。  現在アメリカはイスラム国に対する攻撃を自衛権で正当化している。はたして自衛権で正当化できるかどうかは微妙だが、日本がアメリカに協力を要請されれば明らかに集団的自衛権の発動となる。ただし憲法九条の想定外の「国際紛争」であるために、集団的自衛権の発動がはたして憲法違反となるかどうかは微妙である。あるいは集団的自衛権の発動ではなく日本が推進している人間の安全保障の「保護する責任」、あるいは戦時における婦女子の人権擁護の人道目的でイスラム国への武力行使をアメリカあるいは国連から要請されれば、それを憲法違反として日本政府は拒否できるだろうか。悩ましい問題ではあるが、今後こうした憲法九条の想定外の国際紛争が頻発するだろう。

映画ジャージーボーイズを観た

クリント・イーストウッド監督の『ジャージーボーイズ』を観た。ニューヨークの摩天楼を遠景に、後のジャージーボーイズのリーダーとなるトミー・デビートが落語の地語りのように観客に物語の発端を説明する。そして軽やかな足取りで歩いていく先は散髪屋だ。中に入るとゴッドファーザーのオマージュなのか、16歳のころの主人公フランキー・ヴァリが親方に代わって地元のマフィアの顔役ジブ・デカルロの髭を剃るシーンだ。驚くことにデカルロを演じているのはクリストファー・ウォーケンだ。このシーンを見ただけでアメリカのベビーブーマー世代はフランキー・ヴァリの大ヒット曲「君の瞳に恋している」のメロディーが頭の中に鳴り響いたことだろう。イーストウッドの配役の妙だ。そうクリストファー・ウォーケンはアカデミー助演男優賞を受賞した1978年の「ディアハンター」の中で「君の瞳に恋している」を熱唱していたのだ。 ロバート・デ・ニーロ主演の「ディアハンター」はベトナム戦争の過酷な体験で心身ともに傷ついた三人の帰還兵の友情を描いた青春映画(決して戦争映画ではない)で、バックグラウンドミュージックで流れるギターの名曲「カバティーナ」とともに「君に瞳に恋している」は時代を象徴する音楽である。クリストファー・ウォーケンの結婚式のダンス音楽として、また酒場でデ・ニーロやジョン・カザールらが酒をあおりながら熱唱するシーンで使われていた。団塊の世代はクリストファー・ウォーケンが登場するだけで一気に1960年代の青春時代に引き戻される。 映画はほぼミュージカルの脚本通りに進行する。違うのは冒頭でトミーやフランキーが窃盗などの悪さをしていた若い時代を付け加えたことだろうか。軍隊に入るか、犯罪に手を染めるか、有名になるか、貧乏から抜け出すには、それ以外にないというトミートの言葉が彼らがとにかく売れることに必死だった動機を説明している。また演出もミュージカル通りだ。酒場のネオンサインが壊れてOUR SONSとなっていたのが、故障が直るとFOUR SEASONSになり、それがフォーシーズンズの名前の由来となったというシーン。またエドサリバンショーに出演するシーンで、ミュージカルや映画のポスターになっている客席を背景にフォーシーズンズがきめのポーズを彼らの背後から写し取ったシーンなど、ほぼミュージカルの演出通りだ。とはいえ監督がイーストウッドならではのシーンがあった。ホテルの部屋にあったテレビにイーストウッドが出演したテレビ番組ローハイドが映し出され、若き頃のイーストウッドが映っていた。そしてラストシーンは出演者全員が登場し踊る。ミュージカルのラストと同じで、映画「蒲田行進曲」のラストを思い出した。  栄光と挫折そして復活という青春映画の王道を行くような物語である。ストーリーが単純なだけに音楽の役割は大きい。「シェリー」、「恋はヤセがまん」、「恋のハリキリ・ボーイ」そして「君の瞳に恋している」などアフレコではなく同録の歌唱シーンは緊張感あふれ圧巻である。団塊の世代なら音楽だけで、青春時代を思い出して涙がこぼれる。 私が初めてニューヨークでミュージカル「ジャージーボーイズ」を観たのは数年前のことである。以来、ニューヨークで4回、ロンドンで1回観た。ニューヨークの観客の多くはベビーブーマー世代の観光客だ。知っている曲がかかるとみんなが口ずさむ。初めて部隊を観たときは隣に座っていた60半ばの婆さんは感極まって涙を流しながら「君の瞳に恋している」を歌っていた。公民権運動、ベトナム戦争など激動の60年代を経験したアメリカ人にとってビートルズよりフォーシーズンズの方が身近なのかもしれない。それは昭和歌謡にノスタルジーを感じる日本人と相通ずるものがある。 それにしても監督イーストウッドの制作意欲には驚くばかりだ。音楽の効果的な使い方にも感嘆させられる。そして個人的には、彼が他の作品でも多用しているシーン、街道沿いや場末のアメリカン・レストランのシーンが好きだ。そこには必ずと言っていいほど、円筒形のガラスのケースに陳列されたまずそうなアメリカのパイやケーキが映し出されている。まさにアメリカを象徴する画だ。