事前にネットで調べたところ、サンボアンガからサンダカンへのフェリーについては情報があった。しかし、逆にサンダカンからサンボアンガへの情報がなかった。サンボアンガからサンダカンへの船があるのだから間違いなく逆の航路もあるはずという思い込みでサンダカンを目指した。今から数百年前にイラスム教がボルネオから島伝いにフィリピンのミンダナオ島そして最後はルソン島まで伝わっていった。そのイスラム・ルートをどうしてもたどってみたかった。現在もイスラム教の流れがあるのかを実際に体感したかった。
同じルートでマレーシアからフィリピンをめざす人もあると思うので、参考までに船旅の方法について記しておく。
サンダカンからサンボアンガへの船は2009年8月時点ではフィリピンの船会社Aleson Shipping Linesが運航している。サンダカンからは火曜日と金曜日の出港。私が乗船したのは火曜日5時出港予定(実際は5時半出港)の船だった。
チケットはサンダカンのBandar Hsiong Gardenの一角にあるMaritime(089-212063)というチケット販売所で事前に購入する。外からは乗船券を販売しているとはとても思えない、うっかりすると見落としてしまいそうな間口一間ほどの小さな事務所だ。私は最も高いキャビンのチケットを290リンギで購入した。キャビン(下から4枚目の写真)だから個室かと思ったら、6畳程度の広さしかなく、そこに上下二段ベッドが二つおいてある4人相部屋だった。幸い私一人だったからよかった。しかし、実際には出港してすぐにエアコンが故障して蒸し風呂のような暑さになった。それでもスチュワーデスがシーツを敷き、枕カバーをかけてくれたベッドでなんとか横になった。ベッドをよくみると小さなゴキブリがあちこちで動き回っている。南京虫よりはましだと覚悟を決めて寝た。しかし、蒸し暑さに夜中に何度も目が覚めた。キャビンといってもフィリピンの安宿ロッジ程度である。
教訓。一番良い部屋は、エアコンの効いた大部屋だ。やはり二段ベッドだが値段のせいかそんなに乗客も多くはなく、快適そうに見えた。値段は270リンギだと思う。一番やすいのはデッキだ。甲板に二段ベッドをぎっしりと並べ、夜風、海風に当たりながら床につくのだ。日常風景、庶民の生活を知りたければ、甲板を薦める。値段はそれほど安くはない。250リンギだ。フェリーはフィリピンやアフリカでしばしば沈没事故をおこすような古びた船である。
甲板は小さな子どもを連れた家族や、大きな荷物を抱えた商売人らしき人たちでほぼ満員だった。
船は三層に分かれ、キャビンとエアコンのある大部屋そして甲板ベッドが最上層、中層には甲板ベッドのみ、そして最下層はコンテナや車を積み込む貨物室である。私の乗った船はサンダカンで荷物をあまり積み込まなかったようでほぼ空だった。トップ・ヘビーで転覆するのではないかと恐れたが、ほぼ丸一昼夜の航海の間、海は内海のように穏やかで、船は全く揺れなかった。
サンダカンの港は市街から少し離れたKaramunting港だ(一番下の写真)。市内からタクシーで30リンギ、約20分くらいのところにある。4時に行くように言われていたが、用心のため3時に港についた。港といってもコンテナ・ヤードの横に出入国管理事務所の建物があるだけで、人々は炎天下、外で出国手続きが始まるのを待っていた。何軒か露店が出ており、弁当や飲み物を売っている(下から2番目の写真)。また両替商が何人もいてペソ、リンギ、ドルの両替をしていた。船の売店ではペソしか扱わないので事前に両替が必要。
出国手続きが始まったのは5時近くになってから。出国事務所の入り口に突然人々が群がり始めたので、あわてて私も並んだ。今考えれば、全く無意味な行列だった。甲板ベッドを取る人は、早く乗船して最上のベッドを取る必要があるのかもしれない。ただし甲板ベッドにそれほど良い、悪いがあるとは思えなかった。
やがて事務所のドアが開き、係官三人が出国手続きを始めた。私は随分前に並んでいたが、出国までに半時間はかかったろうか、とにかく時間がかかる。やっと出国手続きがすむと、出口には船までの送りのバスが待っていた。無料だと思ったら、2リンギとられた。ほんの数百メートル走って船にたどりついた。ちなみに2リンギといえば、サンダカンの空港から市内までのバス料金と同じである。全くのぼったくりだ。
いよいよ乗船である。まずは乗船名簿の確認、そしてインフルエンザ検査である。簡易体温計で熱を計られ、異常なしということでやっと乗船を許された。乗り込んで半時間ほどして、船は港を離れた。
船内でのすごし方について少し触れておく。出港してしばらくすると陽が沈む。日本の船のように娯楽設備があるわけではない。トイレはトイレット・ペーパーを使わないイスラム式の水洗便所。キャビンにはシャワー室があったが、とても使える代物ではない。船員たちは船で生活しているのか、キャビンの一室はスチュワーデス四人の寝室になっていた。彼らは入出港の際に検疫の手伝いや入国審査の手伝いなどをしていた。
船内にはキャンティーンがある。しかし、売っているものは限られている。ご飯とオカズのゆで卵。ゆで卵をオカズにご飯に醤油らしきものをかけて夕食にしている乗客が多かった。食事は他にビーフンとカップ麺のみ。ビール、インスタント・コーヒー、ビスケットといった本当に簡単なものしか売っていない。事前に食料は買い込んでおいたほうがよい。
ビールは60円くらいで安い。ひたすら酒を飲んで寝るしかない。
5時頃には空が明るくなり、6時過ぎには夜が明けた。あとはひたすら海をみつめ、遠くの島影をながめるだけである。日なたに出れば、あっと言う間に日焼けだ。退屈した乗客の中には歌を歌い、踊りだすものもいる。子どもたちは甲板を駆け回り、女たちはおしゃべりに夢中になる。やがてどこからともなく大きな歓声が響きわたってきた。行ってみると、日本で言えばさしずめチンチロリンというところか、二枚のコインを使ってバクチが始まった。1ペソ、2ペソのコインから始まってやがて札が舞いだす。といっても、100ペソもいかない。少額だと思っていたが、貧しい人にとっては、一日の稼ぎにも匹敵する金額だ。結構な大金をはっていたのだ。
2時過ぎにサンボアンガの街並みが遠くに見え始めた。船内のキャンティーンでは入国にあたってパスポートのチェックが行われた。これで入国手続は終わりかと思っていたら、実際には船が接岸すると同時に数人の小銃を持った兵士を引き連れて三人の入国係官が乗船してきた。出口を兵士が封鎖する中、係官が入国手続を行った。接岸から実際に下船するまで小一時間かかった。
船が港に近づいたころ、2~3人の子どもが乗った船外機つきの小舟やおもちゃのような小舟が数隻船に近づいてきた。盛んに乗客に物乞いをしていた。そのうち乗客の一人がコインを海に放り投げると、子どもがすぐに海に潜ってコインを取るのである。あまりコインをなげる客はいなかった。中には食べかけのパンをほうりなげる客もいた。船から完全に乗客がいなくなるまで、ずっと小舟から乗客を見上げてコインをせがんでいた。サンボアンガの港(一番上の写真)だけでなく、バシラン島イサベラの港でも同じ光景を見た。水上生活をする子どもたちなのだろうか。3~4才と思しき女児までが本当に器用に小舟を操っていた。
最後に下船する乗客を待ち構えるように、トライシクルやジープニーの運転手が誘いをかけてくる。港から市内までトライシクルなら20ペソで十分だ。それを200ペソ吹っ掛ける運転手もいるので要注意。
イスラム・ルートを求めて船の旅をしたが、結論としてはあまりイスラムのニオイはしない。船内でお祈りでもあるのではないかと思ったが、メッカに向かって祈りを捧げる人をみかけることはなかった。女性で髪をベールで覆っている人を何人かみかけたものの、髭面の男はみなかった。乗客の中で一番髭面だったのは私だった。
同じルートでマレーシアからフィリピンをめざす人もあると思うので、参考までに船旅の方法について記しておく。
サンダカンからサンボアンガへの船は2009年8月時点ではフィリピンの船会社Aleson Shipping Linesが運航している。サンダカンからは火曜日と金曜日の出港。私が乗船したのは火曜日5時出港予定(実際は5時半出港)の船だった。
チケットはサンダカンのBandar Hsiong Gardenの一角にあるMaritime(089-212063)というチケット販売所で事前に購入する。外からは乗船券を販売しているとはとても思えない、うっかりすると見落としてしまいそうな間口一間ほどの小さな事務所だ。私は最も高いキャビンのチケットを290リンギで購入した。キャビン(下から4枚目の写真)だから個室かと思ったら、6畳程度の広さしかなく、そこに上下二段ベッドが二つおいてある4人相部屋だった。幸い私一人だったからよかった。しかし、実際には出港してすぐにエアコンが故障して蒸し風呂のような暑さになった。それでもスチュワーデスがシーツを敷き、枕カバーをかけてくれたベッドでなんとか横になった。ベッドをよくみると小さなゴキブリがあちこちで動き回っている。南京虫よりはましだと覚悟を決めて寝た。しかし、蒸し暑さに夜中に何度も目が覚めた。キャビンといってもフィリピンの安宿ロッジ程度である。
教訓。一番良い部屋は、エアコンの効いた大部屋だ。やはり二段ベッドだが値段のせいかそんなに乗客も多くはなく、快適そうに見えた。値段は270リンギだと思う。一番やすいのはデッキだ。甲板に二段ベッドをぎっしりと並べ、夜風、海風に当たりながら床につくのだ。日常風景、庶民の生活を知りたければ、甲板を薦める。値段はそれほど安くはない。250リンギだ。フェリーはフィリピンやアフリカでしばしば沈没事故をおこすような古びた船である。
甲板は小さな子どもを連れた家族や、大きな荷物を抱えた商売人らしき人たちでほぼ満員だった。
船は三層に分かれ、キャビンとエアコンのある大部屋そして甲板ベッドが最上層、中層には甲板ベッドのみ、そして最下層はコンテナや車を積み込む貨物室である。私の乗った船はサンダカンで荷物をあまり積み込まなかったようでほぼ空だった。トップ・ヘビーで転覆するのではないかと恐れたが、ほぼ丸一昼夜の航海の間、海は内海のように穏やかで、船は全く揺れなかった。
サンダカンの港は市街から少し離れたKaramunting港だ(一番下の写真)。市内からタクシーで30リンギ、約20分くらいのところにある。4時に行くように言われていたが、用心のため3時に港についた。港といってもコンテナ・ヤードの横に出入国管理事務所の建物があるだけで、人々は炎天下、外で出国手続きが始まるのを待っていた。何軒か露店が出ており、弁当や飲み物を売っている(下から2番目の写真)。また両替商が何人もいてペソ、リンギ、ドルの両替をしていた。船の売店ではペソしか扱わないので事前に両替が必要。
出国手続きが始まったのは5時近くになってから。出国事務所の入り口に突然人々が群がり始めたので、あわてて私も並んだ。今考えれば、全く無意味な行列だった。甲板ベッドを取る人は、早く乗船して最上のベッドを取る必要があるのかもしれない。ただし甲板ベッドにそれほど良い、悪いがあるとは思えなかった。
やがて事務所のドアが開き、係官三人が出国手続きを始めた。私は随分前に並んでいたが、出国までに半時間はかかったろうか、とにかく時間がかかる。やっと出国手続きがすむと、出口には船までの送りのバスが待っていた。無料だと思ったら、2リンギとられた。ほんの数百メートル走って船にたどりついた。ちなみに2リンギといえば、サンダカンの空港から市内までのバス料金と同じである。全くのぼったくりだ。
いよいよ乗船である。まずは乗船名簿の確認、そしてインフルエンザ検査である。簡易体温計で熱を計られ、異常なしということでやっと乗船を許された。乗り込んで半時間ほどして、船は港を離れた。
船内でのすごし方について少し触れておく。出港してしばらくすると陽が沈む。日本の船のように娯楽設備があるわけではない。トイレはトイレット・ペーパーを使わないイスラム式の水洗便所。キャビンにはシャワー室があったが、とても使える代物ではない。船員たちは船で生活しているのか、キャビンの一室はスチュワーデス四人の寝室になっていた。彼らは入出港の際に検疫の手伝いや入国審査の手伝いなどをしていた。
船内にはキャンティーンがある。しかし、売っているものは限られている。ご飯とオカズのゆで卵。ゆで卵をオカズにご飯に醤油らしきものをかけて夕食にしている乗客が多かった。食事は他にビーフンとカップ麺のみ。ビール、インスタント・コーヒー、ビスケットといった本当に簡単なものしか売っていない。事前に食料は買い込んでおいたほうがよい。
ビールは60円くらいで安い。ひたすら酒を飲んで寝るしかない。
5時頃には空が明るくなり、6時過ぎには夜が明けた。あとはひたすら海をみつめ、遠くの島影をながめるだけである。日なたに出れば、あっと言う間に日焼けだ。退屈した乗客の中には歌を歌い、踊りだすものもいる。子どもたちは甲板を駆け回り、女たちはおしゃべりに夢中になる。やがてどこからともなく大きな歓声が響きわたってきた。行ってみると、日本で言えばさしずめチンチロリンというところか、二枚のコインを使ってバクチが始まった。1ペソ、2ペソのコインから始まってやがて札が舞いだす。といっても、100ペソもいかない。少額だと思っていたが、貧しい人にとっては、一日の稼ぎにも匹敵する金額だ。結構な大金をはっていたのだ。
2時過ぎにサンボアンガの街並みが遠くに見え始めた。船内のキャンティーンでは入国にあたってパスポートのチェックが行われた。これで入国手続は終わりかと思っていたら、実際には船が接岸すると同時に数人の小銃を持った兵士を引き連れて三人の入国係官が乗船してきた。出口を兵士が封鎖する中、係官が入国手続を行った。接岸から実際に下船するまで小一時間かかった。
船が港に近づいたころ、2~3人の子どもが乗った船外機つきの小舟やおもちゃのような小舟が数隻船に近づいてきた。盛んに乗客に物乞いをしていた。そのうち乗客の一人がコインを海に放り投げると、子どもがすぐに海に潜ってコインを取るのである。あまりコインをなげる客はいなかった。中には食べかけのパンをほうりなげる客もいた。船から完全に乗客がいなくなるまで、ずっと小舟から乗客を見上げてコインをせがんでいた。サンボアンガの港(一番上の写真)だけでなく、バシラン島イサベラの港でも同じ光景を見た。水上生活をする子どもたちなのだろうか。3~4才と思しき女児までが本当に器用に小舟を操っていた。
最後に下船する乗客を待ち構えるように、トライシクルやジープニーの運転手が誘いをかけてくる。港から市内までトライシクルなら20ペソで十分だ。それを200ペソ吹っ掛ける運転手もいるので要注意。
イスラム・ルートを求めて船の旅をしたが、結論としてはあまりイスラムのニオイはしない。船内でお祈りでもあるのではないかと思ったが、メッカに向かって祈りを捧げる人をみかけることはなかった。女性で髪をベールで覆っている人を何人かみかけたものの、髭面の男はみなかった。乗客の中で一番髭面だったのは私だった。