2009年10月11日日曜日

オバマのノーベル平和賞授賞

 オバマがノーベル平和賞を授賞した。これで、アメリカの拡大抑止政策は事実上破綻した。ノーベル平和賞を授賞したオバマがはたして核ミサイルのスィッチを押すことができるだろうか。自国ならともかく、拡大抑止で他国のためにノーベル平和賞の名誉を捨ててまで核兵器を使用する決断を下すだろうか。
 これまでもアメリカの核の傘が日本にはさしかけられることはないと何度か書いてきた。
1996年に国際司法裁判所は核兵器裁判で、たとえ自国の存亡が危殆に瀕しているような最高緊急事態でも核兵器の使用は合法とも違法とも言えない、という勧告的意見を出している。日本が仮に北朝鮮や中国の核兵器で攻撃されるようなことがあったとしてもオバマが自国の自衛とはいえない日本の防衛のために核兵器を使用することなどありえない。ましてや、彼はいまやノーベル平和賞を授賞した平和の使途である。
 世界は、オバマの言うように「核無き世界」に向かうのだろうか。そして核無き世界ははたして平和の世界となるのだろうか。
 オバマのノーベル平和賞で思い出すのは、ウッドロー・ウィルソンだ。かれは国連を創設し、第1次世界大戦後の国際社会の平和に多大な貢献をしたことで、やはり大統領在職中にノーベル平和賞を授賞した。しかし、世界は平和になるどころか、再び第2次世界大戦を招いてしまった。理由の一つは、「戦争屋」ヒトラーの登場をふせぐことができなかったことにある。
 「平和の使途」の最大の問題は、「戦争屋」の登場を防ぐために武力を使うことをためらうことだ。武力を使えば、「平和の使途」ではくな、自らも「戦争屋」と非難される。非難を覚悟で武力を使うことは難しい。それが核兵器ならなおさらだ。ノーベル平和賞の授賞でオバマはウィルソンよりも、「平和の使途」として安全保障上の政策選択の幅をせばめられてしまった。
 おそらくオバマのノーベル平和賞授賞を最も喜んでいるのは北朝鮮の金正日とイランのアフマディネジャド大統領だろう。

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