北朝鮮はどんなことがあろうとも核兵器を放棄することはなさそうだ。早稲田大学の重村智計は近著『金正日の後継者』でも繰り返し力説している。彼は、北朝鮮がまだ核兵器をミサイルに搭載できるほどに小型化できていないとの前提にたっている。アメリカの研究者シーラ・スミスもミイサル搭載できるほどには至ってないと推測している。恐らくそうかもしれない。しかし、それは現時点での話であって、これまでの北朝鮮の核開発の歩みを見れば、将来的には確実に小型化し、少なくともノドンミサイルには搭載できるようになることは確実だ。私自身はパキスタンとの「共同開発」ですでにノドンに搭載できる程度(一トン程度)には小型化を完成しているのではないかと考えている。いずれにせよ、日本は遠からず本格的に核武装した北朝鮮と向き合わなければならなくなるだろう。
最も好ましい解決策は、内部からの自壊であれ外部からの破壊であれ、金正日体制が崩壊して韓国同様の親米、親日体制が誕生し、核兵器を放棄するのを待つことである。しかし、中国が北朝鮮の崩壊を望んでおらず、この解決策は希望にしかすぎない。最もありうるシナリオは今後も金王朝が続き、北朝鮮がさらに核武装を強化することである。この場合の解決策は二つ。一つはアメリカの核の傘を強化する。今一つは日本の自主核武装である。
前者のオプションについては、これまでも何度か述べてきたが、アメリカの核の傘は開かない、あるいは開いたとしても破れ傘である。最近、日本の自主核武装論が澎湃として沸き起こってきたことに懸念を示したアメリカ政府から、日本への拡大抑止の強化について発言があいついでいる。たとえばトーマス・シーファー前駐日大使は、その立場もあるのだろうが、拡大抑止の有効性を主張している。「米国は東京のためにニューヨークを危うくはしないと(日本人は主張することがあるが)、でもわれわれはそうしてきた。60年間にわたって。そして、それは今後も変わらない」(「ハロランの眼」『産経新聞』09年7月1日)きた。
思い出せばそうだった。ただし、冷戦時代は。冷戦時代には日本へのソ連の攻撃は、極東米軍への攻撃であり、米軍世界戦略への直接攻撃であった。しかし、北朝鮮の核は、米軍やましてや米本土には何ら脅威とはならない。北朝鮮のミサイル発射を前にして、ゲーツ米国防長官は3月29日、FOXテレビの番組で、北朝鮮のミサイルがハワイなど米国の領域を標的としたものでない限り、米軍がミサイル防衛(MD)で迎撃することはないとの見解を示した。もちろん、これは今回の北朝鮮のミサイルに限ったことで、核ミサイルの脅威から日本を守らないと言っているわけではないとの見方もある。たしかにその後5月30日に、日本に対し核の傘を確約している。ただし、今のところ口約束にしかすぎない。韓国や欧州諸国のように、どのような場合に、どのようにして核兵器をしようするのか現時点では日米間では明確に文書化されていない。たとえ文書化されたとしても、最後は米国の決断しだいだ。米国の善意をあてにする以外にない。
いくらゲーツ国防長官が拡大抑止の強化を約束しても、肝心のオバマ大統領がはたして本当に日本のために核兵器のスイッチを押してくれるだろうか。以前のブログ「核の傘は開かない」でも書いたが、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見すなわち「国際法の現状から見て、また確認できる事実の要素から見て、核兵器の威嚇または使用が、ある国家の生存そのものが危機に瀕しているような自衛の極限的状況において合法であるか違法であるかを、ICJは明確に決することができない」(意味するところは、自衛の極限的状況でなければ違法ということである。北朝鮮の日本に対する核攻撃は、いかなる意味においても米国の自衛に対する極限的状況とは言えない)に従えば、オバマ大統領が日本のために核兵器を北朝鮮に使用することなど考えられない。ましてや彼はプラハで核の全面廃棄を世界に向けて公約したのだ。万一核を使用すれば、「人道に対する罪」でハーグ国際裁判所に戦犯として訴追されかねない。数千人の虐殺の罪で元ユーゴ大統領ミロシェビッチは被告人になったのだ。数万人もの犠牲を覚悟で、ましてや日本のために、戦争犯罪人の汚名を覚悟でオバマが核兵器のスイッチに手をかけるわけがない。
日本に残された道は自主核武装である。何度も記すが、自主核武装というと、一気に核兵器の開発、配備とおもわれがちだが、そうではない。核兵器はきわめて政治性の強い兵器である。したがって、自主核武装というカードは政治と密接に関連づけながら北朝鮮に対して政治カードとして切っていく必要がある。まずは自主核武装の可能性をほのめかす。今がその段階である。日本の自主核武装論の声は、国際社会にさざなみのように伝わりはじめ、国際政治を状況化させはじめている。
状況が日本側に好転しはじめたら、その段階で自主核武装戦略は打ち切ればよい。好転しなければ、次の段階に進む。政府首脳によるほのめかし、政策決定、開発着手と進めていく。そして開発は設計、コンピュータでの実験(データがないのでうまくいかどうかは不明だが)など、政治状況にあわせて細かな段階を経てエスカレートさせていく。そして最終的には、脱兵器化の段階すなわち核物質と核弾頭とミサイルを分離した状態で保管するのである。これであればNPTにも違反せず、IAEAからも脱退する必要はない。また非核三原則にも違反しない。
ひところ米ロの核軍縮を訴えて注目を浴びた元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが最近、日本の核武装を主張しているという。現実主義者の眼から見て、日本の核武装は合理的判断なのだろう。いずれにせよ日本は岐路に立たされている。お守りのように憲法手帳を身につけ、憲法の前文をお経のように読経し、憲法9条を写経のごとく写九し(実際に行っている小中学校があるという)、祈りの中で非暴力主義を徹底して、ガンジーやキングのように殺されるか。それとも田原総一郎氏がいうように巨額の経済協力という「みかじめ料」を払って、殴り込まれないようにするか。今こそ日本は正念場を迎えた。
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