『バーダー・マインホフ-野望の果てに-』を見た。原作はシュテファン・アウスト著のドキュメンタリー、『バーダー・マインホフ・コンプレックス』だ。わざわざ映画の冒頭で事実に基づいて製作しているとテロップがあった。それで長年疑問に思っていたことが氷解した。
まずなぜ、西独赤軍の受刑者たちが獄中自殺できたのか。中の一人は拳銃で自殺した。刑務所にどうして拳銃を持ち込むことができたのか。映画で、その理由がわかった。弁護士が協力して、裁判記録の中に隠して房内に運び込んだのだ。日本の刑務所とは異なり、書棚もあれば、テーブルもある、まるでひろびろとした1Kのアパートの一室のようだ。タバコも自由に吸える。テレビもラジオもある。相当に自由に生活ができたようだ。また裁判が始まってからは、裁判を迅速に行うことを理由に受刑者同士の打ち合わせの機会が与えられ、別々の刑務所に収監されていた犯人たちが一つの刑務所に集められてもいる。
日本から見れば、全く異例とも思える受刑者への待遇だ。それが西独では一般的であったのか、それとも西独赤軍に対してのみ与えられた特例だったのかは、映画ではよくわからなかった。西独赤軍が裁判闘争を刑務所の内外で行った結果、裁判を迅速に進めたい当局が西独赤軍の要求を受け入れて、さまざまな特例を認めたのかもしれない。
アンドレアス・バーダー、ウルリケ・マインホフ、グドルン・エンスリンの西独赤軍の創設メンバーが獄中に入ってからも、かれらの脱獄、解放に向けたハイジャックや大使館襲撃、誘拐などの奪還闘争が何年にも渡って続いた。一体だれが、どのようにして組織を維持し、命令を伝達できたのか。その一端が映画で明らかにされている。それは、弁護士が獄中の受刑者と外部との連絡は仲介していたのだ。またパレスチナ過激派組織PFLPがかれらの活動を支援していたのだ。PFLPの背後には東独がおり、東独の背後にはソ連がいた。つまり西独赤軍を背後で操っていたのは、結局東独やソ連ということだ。西独赤軍の目的や理念はともかく、その活動は米ソ冷戦に巻き込まれ、やがて東独やソ連のエージェントと化していった。ちょうど同じことは日本赤軍にも言える。かれらの活動もまたパレスチナ問題に関わったときから冷戦に巻き込まれ、結局はソ連の手先となってしまった。ちなみに西独赤軍の「赤軍」は日本「赤軍」に由来している。
70年代に過激派を多数排出した国は日本、ドイツそしてイタリアである。その特徴はいずれもファシズム国家だったことだ。日本の日本赤軍、西独の西独赤軍そしてイタリアは「赤い旅団」は、いずれも共産主義を信奉し、都市ゲリラとして銀行強盗や誘拐やハイジャックなどの過激な手段によって体制を変革しようとした。彼らが目指したのは結局のところ、共産主義という名の全体主義国家であり、それは彼らが批判して止まなかった日本陸軍の青年将校の軍国主義やヒットラーのナチズムそしてムッソリーニのファシズムと本質的に何ら変わるところは無い。
彼らが、全体主義を激しく批判し、やがて自壊していったのは、敵だと思っていた相手が鏡に映った己が姿であることに気がついたからだろう。資本家はブタであり、殺してもよいとのマインホフの主張は、ナチスのユダヤ人虐殺の論理と変わらない。実際、『ベニスの承認』の昔からヨーロッパで金融を昔から牛耳っていたのはユダヤ人財閥である。銀行家を抹殺せよとの思想の背後には、ユダヤ人に対する差別観が潜んでいるとしか思えない。また日本赤軍の指導者重信房子の父親は戦前の右翼運動に関わっており、彼女もまた父親の生き方に大きな影響を受けたと自伝で記している。
結局、西独赤軍、日本赤軍そして赤い旅団の本質は、マルクス主義ではなく、共産主義の全体主義的イデオロギーの影響を受けた、戦前のファシズム復興運動ではなかったのか。そう考えると彼らがなぜ米帝国主義を激しく憎悪したかがわかる。それは勝者の占領政策に対する敗者からの異義申し立てであったのだ。冷戦時代とは、米ソ間のイデオロギー闘争であると同時に、ポストファシズムとしての敗戦国住民による勝利国政府への武力闘争の時代でもあったのだ。その目標は、まずは占領政府である米国政府に従属する自国政府に向けられ、そしてその背後に控える支配国家米国政府に向けられたのだ。ソ連やPLOと共闘し、逆にソ連やPLOが彼らを利用したのは、米国という共通の敵を共有していたからに他ならない。
ポストファシズムという文脈から考えると、現在の憲法ナショナリズムに連なる戦後の日本の左翼運動の淵源は、マルクス主義ではなく共産主義の全体主義に通底する戦前のファシズムにある。高い理想を掲げ、その理想を判断基準に現実を改革しようとする理想主義である。日本の政治思想の中で、こうした理想主義が生まれたのは、明治維新、昭和前半の青年将校そして戦後の学生運動の時期である。いずれも若者が理想を掲げ現実の改革を迫った。明治維新は成功した。しかし、対米戦で完敗し、青年将校の思いは遂げられなかった。彼等の反米思想はやがて戦後の学生に受け継がれ、共産主義反米ナショナリズムとして左翼運動に引き継がれた。左翼の流れをくむ環境運動、人権運動など現在のサヨク運動は本質的に左翼ではない。それはグローバリズムやエコロジーという名のファシズムである。
作家の阿川弘之は大江健三郎を、まるで青年将校のようだ、と評しているといわれる。2.26事件で青年将校を叱責した昭和天皇と青年将校との因縁の対決は、昭和天皇を尊崇する阿川のような天皇ナショナリズム派と昭和天皇を毛嫌いし文化勲章を辞退した大江のような憲法ナショナリズム派との間で今もなお続いている。
西独赤軍、日本赤軍や赤い旅団のファシズム復興運動は、冷戦の終焉とともに姿を変えて、現在では環境問題へとその焦点が移っている。いつの時代でも全体主義体制におもいを寄せる人々は多い。問題なのは、それが常に正義の衣をまとっていることだ。
バーダー・マインホフを見て、思わず妄想がひろがってしまった。
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