2012年6月25日月曜日
原発は止めれば安全なのか
原発は止めれば安全なのか。素人ながら、どうしても腑に落ちない。大飯原発再稼働反対の反原発派の論理は、再稼働することで危険が増加するということだろう。本当にそうなのか。原発は再稼働しようが停止しようが、いずれにしても危険性には変わりはないのではないか。
福島原発では制御棒が降りたけれども、冷却用の水が払底して メルトダウンを起こしたのである。原発の稼働とは制御棒を引き抜いて核分裂反応を起こさせることだが、福島原発では制御棒が降りた状態すなわち停止状態になったにも関わらず、地震か津波が原因で冷却用水の電源が失われ、冷却用水の払底からメルトダウンが起きたのである。つまり大飯原発をはじめ全ての原発は停止状態にあっても、地震や津波が襲えば、福島原発の事故と同じ状況になる可能性があるということである。メディアでも一般の人々も、まるで原発を停止すれば安全かのような報道や受け止め方をしている。原子炉が停止するのが安全などころか、福島4号機のように原子炉容器から核燃料棒を取り出して、制御棒もないプールに格納している方がはるかに危険だということが明らかになっている。
原発の安全性を確保しようと思えば、原子炉を解体し、核分裂反応が起きないように処理をした上で核燃料を地中に埋める以外に方法はない。しかし、現在の原子炉を廃炉にするには短くても20~30年はかかる。この間原子炉を稼働しようが停止しようが安全性に変わりはないとするなら、むしろ稼働できるものは稼働して廃炉のための資金を準備した上で、古い原子炉から順次廃炉にしていくのが最も現実的な方法であろう。
資金の面だけではない。私が昨年来一貫して主張している技術者不足により廃炉ができない事態を避けるためにも、順次廃炉にする以外に現実的な方法はない。日本中の原子炉を同時に廃炉にできるほどの人的資源は今の日本にはない。それどころか今後ますます人材不足が深刻化していく。今朝(2012年6月25日)の『産経新聞』(東京版3面)に「原発技術者の卵、各大学院で減少、将来性懸念か」によれば、福島原発の事故以来、原子力発電の技術者を目指す学生が激減しているという。減少しているのは将来の上級技術者だけではない。原子力発電所の建設に従事してきた現場の作業員も減少している。
原子炉を廃炉にするには単純に考えれば、少なくとも建設に従事した人数に匹敵するだけの技術者、作業員がいる。脱原発だからといって、今の人的資源だけで今すぐ全ての原子炉を同時に廃炉、解体していくことは不可能であるばかりか、今後20~30年にわたって廃炉に必要な人材をどのように確保するのか。廃炉にするための原子力技術を、誰がいかに継承していくのか、脱原発の議論からはこの視点がすっぽり抜け落ちている。
止めても動かしても危険に変わりがないのなら、動かして廃炉のための資金を調達し、同時に廃炉のための技術を継承することが最も合理的な政策ではないのだろうか。廃炉、脱原発を叫ぶだけでは、これまでも現実的な代案を提示できないために何度も失敗してきた、そして結局原発の恩恵を享受してきた脱原発運動の二の舞である。
2012年6月12日火曜日
武器輸出三原則は国家戦略だ
武器輸出三原則について、いささか蒙を啓かれる思いをした。先日(2012年6月2日)の「日本防衛学会」のシンポジウムで、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員(訪問)の森本正崇氏(元防衛庁官僚)が、武器輸出三原則は外為法の下位規範であると、あらためて出席者の注意を喚起した。言われてみれば、その通りである。同席していた西山淳一(元三菱重工業(株)航空宇宙事業本部副事業本部長)氏の資料にも、外為法48条第1項に基づき輸出貿易管理令別表第1が定められ、そのさらに第1項に武器およびその部分品(武器輸出三原則等)が書き込まれている。武器輸出三原則によって、日本の武器輸出が法的に禁止されているわけではないのだ。いわゆる「武器」輸出を法的に規制するのは外為法なのである。では武器輸出三原則とは何か。それは、政府の政令の運用基準でしかない。
運用基準であるが故に、政府が基準を緩和すれば「武器」輸出ができるかと言えば、そうではない。上位規範である外為法による法的規制は依然として有効である。逆に言えば、「武器」の輸出は、武器輸出三原則があろうがなかろうが、基本的には外為法によって法的に規制されているのである。また対象とされる武器の定義も武器輸出三原則では「軍隊が使用するものであって,直接戦闘の用に供されるもの」と、きわめて曖昧である。だから状況次第、判断次第ではなおかつ外為法に反しないものなら、たとえば対米技術供与、対人地雷除去器材そして今般のBMD日米共同開発等のように、三原則の例外として認められる場合がある。
しかし、武器輸出三原則はもはや単なる政令の運用基準を越えて、いまでは非核三原則とともに平和憲法を具現化する外交上の宣言政策の一つとなってしまっている。したがって、武器輸出三原則を兵器メーカーの経済問題や航空機や艦船の高度技術の継承問題の視点から考えることは根本的に間違っている。国家戦略、安全保障戦略の視点からしかこの問題は議論できない。武器輸出三原則が外交上いかなる得失をもたらすかが重要なのである。あたりまえのことなのだが、どうもこの視点からの議論があまりなされていない気がする。
国家戦略から武器輸出三原則を議論する場合、次のような問題を考慮しなければならない。
第1に日本のソフトパワーの源泉となりつつある平和憲法との比較考量が必要となる(ちなみにこれまで日本のソフトパワーの二本柱であった経済力も技術力も陰りがでてきた現在、平和主義というソフトパワーが相対的に力を持ち始めている)。しかし、ハードパワーとしての兵器輸出とソフトパワーとしての平和主義ではゼロサム・ゲームとなり、あちらを立てればこちらが立たずということになる。
第2に兵器会社や技術継承のために兵器輸出を考えても、そこには米国との同盟関係を無視することはできない。加えて中国の動向や輸出相手国を取り巻く軍事バランス等安全保障環境も考慮しなければならない。また相手国が独自生産体制を確立したり相手国と敵対関係になった場合等、兵器の技術移転に伴うリスクも考慮しなければならない。だからこそ中長期的な国家戦略が必要となる。
他方、平和主義を主張して、一切の武器を輸出しないということも現実には不可能である。というのもそもそも武器とは何かが具体的、個別的にはなかなか定義できないからである。
ミサイル、駆逐艦、潜水艦、戦車、戦闘機、銃・砲など、これらはすぐに武器だとみなすことができる。しかし実際には、北朝鮮が主張したように弾頭部分に火薬ではなく衛星を積めばミサイルではなく単なるロケットになる。戦車から砲をとれば単なる重機になるし駆逐艦や潜水艦から兵装を外せば単なる船でしかない。戦闘機からミサイルを外せばやはり飛行機でしかない。では、銃・砲が武器なのかといえば、弾がなければ銃・砲は単なる鉄の筒だ。では弾が武器なのかといえば、火薬がなければ弾もまた鉄の固まりでしかない。では火薬が武器なのかといえば、炸薬用の火薬は雷管で爆発させなければただ燃えるだけだ。では武器とは結局雷管のことなのか。つまり、武器は、何万もの部品から成り立っており、その一つ一つは「戦闘の用に供する」武器ではない。またこれらの部品のほとんどは軍民両用のいわゆるデュアル・ユース技術であり、したがってこれらの部品を全て輸出禁止にするのは不可能である。
結局のところ、武器輸出三原則の原則はあくまでも原則として維持する一方、かつてPKO活動や人道支援に必要になったために地雷探知機や地雷除去ブルドーザーを例外扱いしたように、その時々の安全保障状況を考慮しながら、個別に判断する以外にない。要は、その個別に判断する基準が単なる武器かどうかということではなく、武器輸出が日本の外交にもたらす得失や戦略環境に与える影響等、日本の軍事戦略や国家戦略に基づいて判断しなければならない。なぜなら武器輸出三原則は、今や武器輸出を自制するための政策ではなく、平和憲法を具現化した国家戦略となっているからである。
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