2009年9月25日金曜日

元クラーク空軍基地訪問
















 フィリピンに行くなら是非とも行って見たい場所があった。それは元クラーク米軍基地とスービック元米海軍基地である。今回念願かなってクラーク空軍基地跡を8月18日(2009年)に訪問することができた。残念ながら時間がなくスービック海軍基地は訪問できなかった。
 クラーク空軍基地は首都マニラから約60キロ、高速バスでおよそ2時間の距離にある。元空軍基地のあるDAUの街のバスターミナルからトライシクルで10分、60ペソで元空軍基地の正門前に到着する。
 市中を走るトライシクルは正門までしか行かない。経済特区に指定されているためか、元基地内を走るジプニーは特別の許可がいるようだ。そのため正門前には基地内を走るジプニーが多数客待ちをしている。そのうちの一台のジプニーを借り上げ、元空軍基地内を一周してもらうことにした。
 クラーク空軍基地は、スービック米海軍基地とともに冷戦時代には東南アジアにおける米軍の拠点だった。特にベトナム戦争時には重要な戦略拠点であった。しかし、冷戦が終わり戦略上の重要性は著しく低下した。また1991年にピナツボ火山の爆発で大量の火山灰が降り注ぎ、大きな被害を受けた。さらに同年、フィリピン上院1947年に締結され99年間の軍事基地協定の拡張を拒否した。こうした事情が重なって米軍はスービック海軍基地とともに1991年11月26日に返還した。
 元クラーク空軍基地訪問の目的は、米軍の基地返還後の跡地の利用がどのようになっているかを確かめることにあった。
 ピーク時には15000人もの人口があったといわれるクラーク空軍基地跡だ。それだけにとにかく広い。アメリカの地方都市の大きさだ。基地外の雑然とした街並みと比べると,基地内の道路、公園、住宅など街の景観は全くアメリカの田舎街の趣だ。この街並みを見ただけでは、ここがフィリピンだとはとても思えない。
 米空軍が使用していた広大な飛行場は現在国際空港として使われている。とはいえ、私がいた間に離発着した航空機は全くなく、滑走路や駐機上にも飛行機の姿はみえなかった。ターミナルも外観を見るかぎりアメリカの田舎の空港にあるような見すぼらしい施設でしかなかった。
 ガイドブックには免税店やファースト・フード店、レストラン、ホテルなどの商業施設が掲載されている。たしかにあるにはあったが、とてもはやっているとは思えない。とにかく人が少ない。基地外には人があふれかえって、すさまじい喧騒なのに、基地内はシーンと静まり返り、アメリカのさびれた田舎街の静けさだ。
 カジノ付きのホテルもある。昼間だったせいもあるあるが人の出入りは全くなかった。恐らく夜でも、そんなにはやっているとは思えない。基地外の貧困にあえぐフィリピン人がカジノに来ることなど全く考えられない。マニラや外国からわざわざカジノを楽しみに来る金持ちもそれほど多いとは思えない。アメリカで言えばラスベガス近郊の、周囲には砂漠しかないモーテルのカジノのように、ホテルの周辺には何の娯楽もない。これではバクチにしか関心のない客しか来ないだろう。
 基地内を一時間近く走ったが、人にも車にも出会うことはあまりなかった。人の出入りがみられたのは、フィリピン軍の駐屯地と警察の訓練施設の周辺だけだった。
 フィリピン政府は基地の返還に成功したものの、あまりに広大な基地をもてあましているようだ。たしかにこれだけ広大な敷地を再開発しようとすれば、莫大な資金が必要となるだろう。それだけの余裕は今のフィリピン経済にはない。
 また外資を呼び込もうとしても、いくつかの問題がある。まず環境汚染である。敷地内は長年の基地使用で環境汚染がひどいといわれている。環境浄化にも莫大な投資が必要だ。加えて最大の問題はピナツボ火山にある。ピナツボ火山が再噴火する危険性は否定できないからだ。大規模開発しても1991年のような大噴火が再び起これば、元の木阿弥だ。
 基地の跡地利用というのは、一朝一夕には進まない。それにしても返還後18年経った今もほとんど再開発が進んでいないというのは、基地返還そのものが良かったのかという疑問さえ抱かせる。

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