2012年11月23日金曜日
アメリカも尖閣問題の当事者
アメリカは尖閣諸島問題にまるで他人事のように「中立」的立場を装っている。しかし、ワシントンの政治家たちは中国が同問題で日本と共にアメリカを名指しで非難していることをまさか忘れているわけではないだろう。9月26日『人民網』は日中英の三か国語で、「釣魚島は中国固有の領土」と題する白書をネットに掲載した。そこには前段で領有権問題について日本を非難するとともに、後段で日本に施政権を返還したアメリカを名指しで非難しているのだ。
領土問題は、土地の所有者は誰かという問題(領有権)よりも利用者は誰かという問題(施政権)の方がより本質的である。竹島、北方四島をみれば一目瞭然である。だからアメリカが尖閣諸島問題でわざわざ施政権と領有権を分離して議論すること自体奇妙だ。まさか「領土紛争には介入しない」という歴代政権の不介入中立原則を尖閣問題に適用するための布石ではないとは思うが。フォークランド紛争のときサッチャー首相がレーガン大統領に支援を要請したところ、不介入中立原則を盾にイギリスは積極的な支援を受けることができなかったという。
しかし、尖閣問題でアメリカは不介入中立などあり得ない。理由は二つ。第一に領土紛争は本質的に施政権の問題であり、尖閣諸島の施政権問題について言えば、中国がアメリカを非難しているように、米中間の問題だからである。第二に尖閣問題は、中国の三戦(輿論戦、心理戦、法律戦)のうちの法律戦(中国に都合の良いように国際法を変える)の一環であり、1990年8月のイラクのクエート侵略と同じ、「法による支配」に基づく国際秩序への挑戦だからである。単なるイラクとクエートの間の領土紛争でしかなかったにもかかわらずアメリカは、「法による支配」、「新世界秩序」(1991年ブッシュ大統領一般教書演説)を掲げて大軍を送って介入した。不介入中立原則は「法による支配」という大義の前にすでに破られている。尖閣問題はイラクによるクエート侵略とその本質は全く変わらない。
まさかの時は、アメリカは日本の領土を防衛するのではなく「法による支配」という国際政治の原則を守るために、そして自由と民主主義を守るために、湾岸戦争当時の決意を以て中国と戦う覚悟があることを期待する。もちろん、わが自衛隊もともに戦う覚悟であることを確信している。尖閣諸島問題は日中間の問題というよりもむしろ米中の問題であり、とりわけ国際社会全体の問題である。
2012年11月13日火曜日
いよいよ日中武力衝突か
いよいよ中国は日本との武力衝突の覚悟を固めたようだ。楊潔チ外相が10日に不気味なコメントを出した。
「中国共産党第18回全国代表大会の代表である楊潔チ外相は、9日、北京で「中米関係では、ゼロサムの概念、冷戦思想を捨てるべきだ」と述べました。
これは、9日に行われた中央国家機関代表団のオープンハウスで、楊外相が記者の質問に答えたものです。楊外相は、また「中米には重要な共同利益もあれば、原則的な意見の食い違いと矛盾もある。新しい時代に、両国国民の根本的な利益と世界の人々の共同利益に着目し、両国関係の発展を絶えず推 進していくべきだ」と語りました。
楊外相は、また「双方は、中米の三つの共同コミュニケ、中米両国首脳の共同声明の精神と原則を守れば、両国関係は更に発展していくだろう」と指摘しました。
海洋問題について記者に答えた楊外相は、一部の島嶼の領有権、一部の海域の区分について、一部の国との間に意見の食い違いがあると述べた 後、「私がさきほど言ったのは、南海の南沙諸島の一部の島嶼と海域の区分の問題だ。交渉と話し合いを通して、このような問題を適切に解決すべきだと思う。 問題解決の前では、争いを棚上げにし、共同開発を行う。これは中国の一貫した主張である」と強調しました。
楊外相は、更に「中国が国家領土主権を守る決心は固い。争いのある問題で、双方は接触を維持すべきだ。関係国が中国と同じように誠意を持ってほしい」と述べました。 (CRI:China Radio International Online,2012,11,10日本語版)
この翻訳が正しいとすれば、外相は米中が小異(原則的な意見の食い違いと矛盾)を捨てて大同(両国国民の根本的な利益と世界の人々の共同利益)につくべきと、米国をけん制している。原則的な意見の食い違いと矛盾とは、日本との関連でいえば日米安保や尖閣をめぐる米国の対応であろう。つまり、深読みすれば、尖閣で武力衝突が起きても米軍は介入するなということであろう。
より重大な発言は、後段である。「南海の南沙諸島の一部の島嶼と海域の区分の問題については、交渉と話し合いを通して、適切に解決すべきだと思う」と述べ、明らかに意図的に尖閣問題を交渉や話し合いの対象から除外している。
日本人の多くが誤解しているが、中国にとって尖閣問題は資源問題などではない。台湾の領有問題に絡んで戦後の国際秩序に関わる問題であり、同時に第一列島線以西を中国の影響下に置くための極めて重要な安全保障上の問題である。さらに中国人のこれまでの日本に対する恨みを晴らす絶好の機会でもある。何しろ中国は日本との戦いで元、清、日中戦争(共産党軍、国民党軍ともに)で日本に一度も勝利したことはない。さんざん戦争をしたうえで勝率がほぼ互角になったから独仏は和解できた。中国(特に共産党)が日本に一矢報いないうちは、すんなりと日中友好とはいかないだろう。
これまでも中国は国境紛争や領土問題で平和的に解決した例はない。中印、中ソ、中越、また小規模ながらフィリピンとも小競り合いを起こしている。さらに言えば尖閣問題はもはや単なるに日中間の領土問題ではない。米中間のアジア・太平洋をめぐる覇権闘争の発火点になっている。
尖閣諸島を占領すれば、台湾を含め第一列島線以西に米軍が展開するのは今以上に困難になる。問題は、尖閣問題で日米安保が発動されるかどうかである。米中の関係者の発言を聞くと、仮に発動されたとしても、一般に想像されているのとは異なり、米軍が直接戦闘に加わるのではなく、あくまでも情報の提供や後方支援に限られるだろう。アーミテージやグリーンら知日派は安全保障に対するもっと積極的な役割を日本に期待している。日本が積極的に取り組まない限り、米国が日本に代わって日本の安全を保障するなどということはない。尖閣諸島で武力紛争が起こっても、米国民は米軍が日本に代わって中国と戦うことなど決して容認しないだろう。日中間で限定的な武力紛争が起きれば中国は日本をファシスト、軍国主義と米国での宣伝戦を繰り広げるだろう。
中国は尖閣問題で米国に中国をとるか日本をとるか踏み絵を迫っている。それが外相の真意であろう。中国の侵略があるとすれば、米国大統領就任前で、その前にあると思われる衆議院選挙の時期である。これが大ぼらとなることを祈る。
2012年11月8日木曜日
オバマ再選、太平洋の波高し
大統領選挙が終わった。もう少し接戦になるかと思ったら、選挙人の獲得数ではオバマの圧勝だった。ただし、投票総数では大差がついたわけではない。クリティカル・ステートと呼ばれるオハイオ、ニューハンプシャー、アイオワ等では、オバマは僅差の勝利だった。投票結果以上に国論の分裂は深刻だ。それを懸念してか、オバマもロムニーも開票後の演説で、国民の団結を呼び掛けていた。選挙戦を見ていると、本当にこれからアメリカは党派を超えて団結できるのだろうかと思うほど亀裂は大きいようだ。実際のところ、今回の選挙戦で、富裕層と貧困層、若者と年寄り、白人と非白人、保守とリベラル等、米国内に走る断層がさらに深まったのではないか。
選挙が近づくにつれABC,NBC,CBS,FOXのいずれのテレビ局でも通常のコマーシャルは日を追って少なくなり、ここ1週間は両陣営の選挙広告で埋め尽くされた。しかも日に日に、相手を中傷する内容の選挙広告が増え、ほぼ悪口罵詈雑言である。候補者本人の選挙本部が作成した選挙広告だけでなく、支持団体が作成した応援広告まである。最後に候補者本人が、たとえばI am Barak Obama. I approved this message. と言って、選挙広告を認めるのである。ここまで相手を非難すれば、選挙が終わってすぐに握手をしましょうというわけにはいかないだろう。クリント・イーストウッドも登場して、オバマを非難していたのが印象的だった。
投票当日の午後にもまだ選挙広告が流れていた。投票に影響を与えてはいけないのではないかと思うのは日本人の感覚か。何しろメディアが、どちらを応援するかを明確にした上で報道する国である。日本で考える不偏不党は通用しない。開票も、西部やハワイではまだ投票中なのに東部時間の7時から始まり、全米で投票が終わる前の11時過ぎにはFOXテレビがオバマ再選を報道していた。報道で投票行動が左右されるということはないということなのだろう。
オバマ再選で日本への影響はどうなるのだろうか、とNHKが早速選挙結果分析をしていた。画面にマイケル・グリーンの懐かしい顔が出てきたが、彼の言わんとすることを一言でいえば、日本が存在感をアピールしなければJapan is nothing.ということだ。現実主義を本当に理解していればわかるが、国家間に友情はない。金であれ軍事力であれ力の切れ目が縁の切れ目である。アメリカにとって日本に利用価値があれば「トモダチ」でいられるが、なくなれば弊履破帽のごとく打ち捨てられるだけだ。
ワシントンの知日派も大変だ。日本の影響力の低下は彼らの影響力の低下を招き、将来の仕事にも差しさわりが出てくる。八月に出されたアーミテージ・レポートは日本への忠告だけではなく、彼ら知日派自身の焦燥感の現れでもある。
実際、選挙戦で中国が討論の遡上に上がったことはあったが、日本については、管見の限り全くなかった。2014年にアフガニスタンから米軍を完全撤退した後オバマはアジア・太平洋重視政策をとると予想されている。勘違いをしてはいけないが、アジア・太平洋重視は中国重視であって、日本重視ではない。だからイアン・ブレマーがNHKのインタビューに答えて、日本は中国のナショナリズムを刺激しないように靖国参拝はやめたほうがよい、さもなければグルジアがロシアを挑発して軍事衝突になった南オセチア紛争のようになると警告したのだ。
彼をもってアメリカの学界を代表することにはならないが、わずかでも日本のことを知る学者も中国主体の発想になっている証にはなるだろう。要するに尖閣をめぐって日中軍事衝突になっても、米軍が南オセチア紛争に介入しなかったように領土紛争(領有権争い)には中立の原則を堅持して、介入しないだろうということだ。NATO加盟も認められ、グルジアは米軍の抑止力が効くと思ってロシアに強く出たのだが、当てが外れた。日本もグルジアの二の舞になるな、ということだ。
オバマ政権は今後10年間で大幅な軍事費削減を計画している。オバマ当選で軍事費の削減は避けられない。いずれ、ニクソン・ドクトリンに匹敵するようなオバマ・ドクトリンが発表され、軍事費の重圧に耐えかねて米国は関与政策ではなくオフ・ショアー・バランシングあるいはキッシンジャーの提案する太平洋共同体構想に基づいてグアム以東に撤退するだろう。何しろゲイツ元国防長官も今後米国がとるべき戦略としてオフ・ショアー・バランシングをあげている。またパネッタ国防長官は9月の訪中の際には、中国海軍を2014年のリムパックにも招待したと言われている。
1921年に日本は4か国条約を締結し、日英同盟を廃棄した。将来4か国ではなく米中二か国が太平洋の覇権を分有する太平洋共同体が創設され、日米同盟は日英同盟のように形骸化しやがて破棄されるだろう。その時日本は独立自存で孤高の道を歩むか、米中のバランサーとなるか、孫崎享氏が薦めるように寄らば大樹の陰のバンドワゴン戦略で中国の影響下に入るか。歴史は米中が結託するとき、日本と両国との対立、戦争が生じていることを我々に教えている。オバマ政権の誕生は日本にとって決して吉兆ではない。太平洋の波高し。
2012年10月24日水曜日
対中戦略の柱は日露平和条約の締結
日本の対中戦略の柱は、和平演変と日露平和条約の締結にある。中国国内の反日感情を利用して民主化運動を扇動する一方、日露平和条約の締結で米中国交回復以前のように、中国を再び北方の「クマ」の脅威に曝し、中国による我が国南方に対する脅威を分散するのである。
中国が現在大国として台頭してきたきっかけは1972年のニクソン大統領訪中による米中国交正常化にある。毛沢東とキッシンジャーがイデオロギーを抜きにして、国益に基づく古典的な権力外交を展開した結果、中国は最大の脅威であったソ連を米国によって抑止することができた。米国も同様に、中国を味方にすることで、ソ連を封じ込めることに成功した。両国とも、敵の敵は味方という、三国志やマキャベリの教えに従って世界を変えたのである。結果、中国は鄧小平により改革開放政策とることができ、現在の経済的発展の礎を築くことができた。他方、アメリカはベトナムから撤退し、やがてソ連を崩壊に導くことで冷戦に勝利した。
日本もキッシンジャー外交を習って、敵の敵は味方という論理から、ロシアと平和条約を締結し、中国をロシアと対峙させるのである。領土問題が解決しない限り、日露平和条約はあり得ないという硬直した外交姿勢でいる限り、かつて華夷秩序下にあった朝鮮半島や台湾のように、いずれ日本も中国の覇権体制下に置かれるだろう。
日本は対中戦略の一貫として日露平和条約を望んだとしても、一方のロシアには締結の意欲があるだろうか。2000年台に鈴木宗雄事件まで平和条約締結の機運が日露両国で高まっていた。今もロシアに領土交渉に臨む動機があるだろうか。その可能性を示唆する論説を24日の『産経新聞』「正論」に木村汎北海道大学名誉教授が書いている。要するに表向き対等な関係に見えるが、中国が台頭する現状ではロシアは中国の弟分に成り下がり、極東地域は「中国の事実上の植民地になりかねない」。この屈辱的状況を避けるには、日本の協力で極東を開発することが必要になる、ということである。日本にも極東のエネルギー開発で大きな利益がある。平和条約の締結は両国ともに国益に合致する。
そこで何よりも領土問題の解決が必要になる。木村名誉教授は、四島返還を条件にシベリア開発に協力するという構想のようだが、本音のところでは、落としどころを二島返還にあるとみているのではないか。仮にそうだとしても、中国の華夷秩序に組み入れられよりも、二島を代価として独立を維持する方がはるかにましである。ここでは詳細には触れないが、四島返還論には法的問題を指摘する向きもある。
親米派からは日米安保の強化により中国をけん制せよという声が聞こえてきそうである。しかし、日露平和条約の締結は元来日米安保には矛盾しない。それよりも日米安保による対中抑止戦略がそもそも幻想でしかない。日米両国にとって中国は、平和条約を締結した友好国ではないにせよ冷戦時代の日米安保が想定していたような敵国ではない。それどころか日本の経済界もそうだが、討論会でオバマ、ロムニーもChina can be a partnerと言ったように経済面では潜在的友好国である。キッシンジャーに至っては、経済どころか政治的にも軍事的にも友好関係にあるとみなしているようだ。現状では米国は、中国が米国の経済的利益を害さない限り、日本の国益など考慮せず、中国の地域覇権を容認するだろう。だからこそ、日本は日本の国益に沿った日露平和条約の締結という独自の対中戦略が求められるのである。
2012年10月13日土曜日
今こそ和平演変戦略で中国の民主化を
日本政府は尖閣問題に対する対中戦略を間違ってはいけない。軍事力で対抗するよりよりも、今こそ中国の民主化を支援し和平演変により第二の天安門事件を起こし、中国共産党独裁政権を内部から打倒することが何よりも有効な対中戦略である。
尖閣諸島の領海警備の強化は当然としても、それ以上に防衛費を倍増し南西諸島防衛を強化するなどの防衛力増強による対中戦略は必ずしも上策ではない。こうしたハード・パワーによる対中戦略をとれば日本は中国との際限のない軍拡競争の泥沼に陥りかねない。他方、和平演変戦略を日本がとっても、中国は対抗のしようがない。和平演変戦略とはソフト・パワーによる中国民主化戦略である。かつて吉田茂は経済協力を通じた中国の民主化を夢見たが、経済ではなく文化を通じた中国民主化戦略である。具体的には、自由と民主主義の素晴らしさを中国人民とりわけ反日教育を受けた若い世代に伝えることである。それは流行の服や化粧、ブランド品、漫画、小説、アニメ、映画など民主主義社会が生み出したありとありあらゆる文化を通じて根気よく粘り強く中国の人々に自由の素晴らしさ、民主主義社会の精神的豊かさを伝え、共産党独裁体制が自由や人権を抑圧する体制であることを彼らに知ってもらうのである。仮に、その文化が必ずしも日本のものでなくてもかまわない。自由と民主主義を重んじる国ならアメリカでもヨーロッパでも構わない。
幸いなことに、反日政策で日本への訪問者が減ったとしても、中国は留学生や観光客を欧米など世界中に送り出している。海外で自由の素晴らしさを体得した中国人が増えれば増えるほど、思想言論行動の自由を弾圧し、独裁体制につきものの官僚の腐敗にまみれた中国共産党に対する反発が強まるであろう。また国内でいくら言論を統制しようとしても、完璧に統制することはできない。中国はかつてのソ連ほどには情報統制をしていないが、ソ連のグラスノスチが最終的にはソ連崩壊をもたらしたように、ネットの発達した現在では、スマートフォンの普及で一気に情報統制が損なわれるだろう。
現在の中国の最大の弱点は、国家のアイデンティティが失われたことである。だからこそ文化を通じた和平演変戦略が有効なのだ。毛沢東時代には、その評価はさておき、明確なナショナル・アイデンティティとしての共産主義、正確には毛沢東主義があった。毛沢東主義も共産主義も弊履のごとくかなぐり捨てた今の中国に一体何が残ったのだろう。欲望にまみれた拝金主義と官庁腐敗の蔓延する単なる独裁体制だけが残ったのではないか。国連での「盗み取った」発言、IMF 総会への欠席など、経済力と軍事力さえあれば世界は自分たちの思うとおりになるとの現政権の振る舞いは、中国の長い歴史や伝統、文化を損ない、経済力と軍事力以外に国家のアイデンティティを見いだせない現政権の弱点を露呈させてしまった。
眠れる獅子、死せる鯨と呼ばれた中国は、かつてイギリスがそう呼ばれたように、今や「世界の工場」と言われるまでになった、労働者の低賃金と消費市場の巨大さを狙って世界中の工場、会社が進出している。それは、考えてみれば、中国人労働者が低賃金で働かされ、中国の赤い資本家も含めて世界中の資本家から搾取されているのに等しい。百円ショップやユニクロに行ってメード・イン・チャイナの製品を見ると、いったいいくらの労賃が払われたのだろうと思い胸が痛む。見方によっては今の中国は、約100年前に日本も含め欧米列強の食い物になった清朝末期の「死せる鯨」の時代のようだ。当時、国民の貧富の格差は開くばかりか絶対的貧困に多くの農民はあえいでいた。官僚は腐敗し、労働者は買弁資本家や外国資本には搾取される。そして三一運動や五四運動のような反日民族運動が激化し日貨排斥運動が起きたことまで現在の反日暴動とそっくりである。
ならば徹底的に中国政府の反日政策を利用してはどうか。中国民衆の反日運動は、過去そうであったように体制転覆の引き金となる。かつては五四運動を契機に中国国民党や中国共産党が基盤を固め、軍閥を打倒していった。中国共産党は誕生まもない頃の反日ナショナリズムの手法を持ち出して権力を固めようとしている。しかし現代の中国共産党は毛沢東主義も共産主義もかなぐり捨て、金と力だけを武器に民衆を支配しようとした昔の軍閥と変わらない。現代の反日暴動の矛先は必ずや現代の軍閥、中国共産党に向けられるだろう。そして100年前の中国国民が夢見た自由と民主主義の国家が誕生するだろう。中国国民を解放するためにも、日本の対中戦略は文化を通じて中国の民主化を支援する和平演変戦略をとるべきなのである。
2012年10月9日火曜日
尖閣問題はキッシンジャー外交の負の遺産
尖閣問題を考えるとき、大きく分けて二つの視点がある。第一は歴史、第二は政治である。前者の視点に立てば、尖閣問題は日中の二か国の問題となる。他方、後者の視点に立てば、尖閣問題は日中の問題ではなく、米中の問題となる。我々日本人は前者の視点にばかり目を奪われがちだが、より重要なのは、後者の視点である。なぜなら前者の視点に立つ限り、中国には全く分がないからである。しかし、後者の視点に立てば、われわれに分がないのだ。
中国の主張は、要するに、尖閣は少なくとも明の時代から中国のものであり、1895年の日本の尖閣領有宣言は日清戦争の混乱に乗じて日本が中国から「盗み取った」との主張である。中国の主張の問題点は、国境概念のない明時代の『使琉球録』を根拠にしていることだ。封建帝国の時代の国と国との境界は、線で境界を引くのではなく、面で境界がおかれたのである。琉球が日本と明との両属体制下に置かれていたのは、琉球が幕府や明にとっても辺境の地だったからである。ましてや尖閣は中国の冊封体制下では、皇帝の徳の及ばない化外の地であり、現代の国際法で定められるような領土などではなかった。
国境で囲まれた領土の概念が誕生したのは、主権概念が明確化された近代主権国家になってからである。明治維新によってアジアで初の主権国家として誕生した日本は、主権の確立を図るために、千島、樺太、小笠原諸島、竹島そして尖閣列島と日本の主権の及ぶ範囲を確定したのである。尖閣列島領有を宣言したとき中国は清帝国時代であり、華夷秩序の化外の地であった尖閣を主権の及ぶ領土と主張する近代国家にさえなっていない。中国は、意図せずにかあるいは意図的にか、主権国家の国境概念と封建帝国の辺境概念を混同させている。
意図せずにであれば、中国はいまだに近代主権国家概念の根付かない封建帝国の世界観を抱いていることになる。封建帝国の辺境は国力次第で伸びたり縮んだりする。だから封建帝国の世界観に立てば、国力が増大しつつある中国が尖閣さらには琉球までをも「回収」しようとするのは当然のことなのだろう。もし、中国が前近代的な帝国的世界観に立った外交を仕掛けているのであれば、日本の戦略はまさに国際法に則って中国と堂々と対応し、他方近代主権国家である米国やインド、オーストラリアと協力して中国に近代主権国家のルールを順守させ、さらに日本と同様に中国と領有権問題争っているフィリピン、ベトナムなどと共闘して中国を封じ込めればよい。
他方、政治的視点に立つとき、尖閣問題は日中間の領土紛争ではなく、米中間の覇権闘争の一コマでしかない。というのも尖閣問題はアメリカにとって対中外交の一環でしかないからである。尖閣問題に対する米国の態度は、われわれにはあいまいどころか奇異に映る。なぜなら施政権と領有権を分離しているからである。尖閣に対する施政権は日本にあり、施政権を中国が侵犯する場合には日米安全保障条約が発動されるが、領有権については中立との立場をとっている。このことは、領有権の奪還を目的に掲げて中国が尖閣を武力攻撃した場合には日米安保は発動されないと言っているようなものだ。領海警備はともかく現在日本政府が具体的に尖閣諸島に施政権を行使していない状況では、尖閣問題は領有権問題でしかないと米国は強弁し、日米安保を発動せずにおくことは可能だ。
そもそも施政権と領有権を切り離した背景には、1972年の沖縄返還当時の米中ソの権力闘争があった。当時大統領補佐官であったキッシンジャーは米中国交回復によってソ連を封じ込めようとした。そのため尖閣問題で中国の不興を買わないように領有権問題を棚上げしたのだ。尖閣問題は、その意味で、キッシンジャー外交の負の遺産である。
キッシンジャーは国益を第一にイデオロギーを排して、敵の敵は味方という、権力政治を展開した。中国も、三国志の昔から、権謀術数の国である。ともに権力政治を信奉する毛沢東とキッシンジャーは互いにイデオロギーを超えて肝胆相照らす仲となったことだろう。キッシンジャーの思惑通り、ソ連は封じ込められ崩壊した。一方中国はキッシンジャーが懸念していた国際秩序破壊の革命国家ではなく、共産主義のイデオロギーを捨て、国内外に対してむき出しの軍事力を誇示する共産党独裁国家となった。もし、米国が今もなおキッシンジャー流の勢力均衡概念に基づいて対中関係を考えているのなら、尖閣問題は対中戦略の問題でしかない。
キッシンジャー外交はソ連という米国にとって敵を倒すために中国という本来は共産主義国家で独裁体制である敵と一時的に手を組んだだけのはずだ。ソ連を倒した後、次は中国の共産主義体制を倒し民主化するのが米国の大義ではなかったのか。だとすれば民主主義国家の日本と手を組んで中国の独裁体制打倒は当然であろう。人権を抑圧する中国政府の民主化こそ世界の平和と安定に不可欠であろう。尖閣問題であれ何であれ対中国に対しては日本との同盟を強固にするのが当然である。今こそ米国はキッシンジャー外交の負の遺産を捨て、中国の民主化を進める外交をとるべきだ。日本は米国とともに中国の民主化を進めるべきである。そして領土問題は、中国共産党ではなく中国民主政府との交渉にゆだねるべきである。
2012年10月3日水曜日
新しいメディアとシリア危機
今日(10月2日)ワシントンのアメリカ平和研究所(United States Institute Of Peace)で開かれた”Groundtruth:New Media, Technology and the Syria Crisis”を傍聴した。午前9時半から1時過ぎまで、三つのパネルが開かれた。要するにブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しい情報伝達手段や精密な衛星画像などの技術がシリア危機でどのような役割を果たしタカ、その功罪議論する内容だった。結論は、役に立つが、部分的に拡大してとりあげられ、あるいは内容の真偽の確認が取れないといった問題があるとの穏当な結論であった。
議論の中で、今年8月にシリアで行方不明なったアメリカ人ジャーナリストAustine Tice の名前が出てきた。彼は、私が拘束されてしばらくたった13日ころに行方不明になっている。正式なビザを取らずにトルコ国境から越境して、ダマスカス郊外を取材してレバノンに脱出する予定だった。米国務省はタイスがシリア政府の拘束下にあるとの声明を行方不明直後から発表している。私と同様に秘密警察に拘束されていると思われる。彼が、その御どうしているのか、何の報道もなかったので気になってネットを調べると、まさにこれから処刑されるかのような彼らしき人物のビデオが見つかった。6日前にyuotubeに投稿されたらしく、昨日になってアメリカのメディアが取り上げ始めた。
しかし、これは一目見て偽物、作り物であることがわかる。アメリカでもほとんどの人が信じていない。米国務省は、タイスがシリア政府の拘束下にあることを発表している。
何がおかしいかと言えば、タイスを引き連れている集団がアフガニスタンやイラクで見かけるようなイスラム原理主義の服装だからである。仮に、イスラム原理集団だとすれば、反アサドのはずだからタイスは味方のはずである。それがなぜ彼を処刑しなければならないのか理解できない。そもそも近代化の進んだシリアに政府、反政府を問わず原理主義者グループはいない。おそらくはよく似た人物を使って作られたプロパガンダのビデオだろう。しかし、いったい誰がこんな手の込んだビデオを作ったのか。政府がタイスの誘拐を反政府勢力の仕業と見せかけるために作ったのか。仮に政府が作ったとするなら、全くお粗末極まりない。図らずも、今日のシンポで話題になった新しいメディアの信頼性の問題が問われる。
ところで今日のシンポのパネリストにアメリカに逃れてきた三人のシリア人が参加していた。その中の一人にまるでモデルのような若い女性がいた。おしゃれのセンスもよく、こんな美人がアメリカ人にもいるのだとおもっていたら、3か月前にアメリカに来たシリア人の元アレッポ大学の学生だった。シリアで反体制運動をして、何度か投獄されたためにトルコへ密出国したとのことである。いったい誰が彼女を支援しているのか、背後の事情は不明だ。残り二人はおそらく30代の男性で、一人はシリア軍の元将校とのことである。
さて彼らに共通していることがある。それは英語に堪能だということである。女性はまだ米国に暮らして3か月しかたっていなので英語がうまくないと言っていたが、流暢に堂々と英語で応答していた。男性二人は、全く問題なく英語を操っていた。ブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しいメディアについて3時間以上にわたって議論していたが、それ以前に英語を使いこなすことのほうが先決、重要だというのが私の結論だ。国際世論―それは事実上アメリカの世論だが―を動かすには、新しいメディアであれ、旧いメディアであれ、いかに英語で発信するかである。アサド政権が苦境に陥るのは理解できる。
2012年9月25日火曜日
米国は旗幟鮮明に
日中間の対立がいよいよ深刻化している。デモなどは政府によって規制され、表面的には収まったかのように見える。しかし、潜在的には事態は領土問題からイデオロギー問題へと質的に変化している。
中国は当初から尖閣問題をきっかけにして日本の勢力を削ぐことを目的にしている。戦後一貫して中国は日本をファシズム、軍国主義国家として規定することで米国との関係を密にし、日米の分断を図ろうとしてきた。
しかし冷静に考えてみれば、米国が中国共産党との友好関係を図ろうとしたのはニクソン政権時代以降である。しかも、それは本当の友好というよりは当時の大統領補佐官のキッシンジャーの冷徹な権力外交の結果でしかない。敵の敵は味方という権力政治の原則に則り、米国が当時敵対していたソ連を封じ込めるために、やはりソ連と敵対関係にあった中国と友好関係を結んだにすぎない。イデオロギー的に見れば、昔も今も変わることなく、米中は水と油である。ただ両国は経済的には資本主義国家で、まさに双頭の鷲か蛇である。
第二次世界大戦中、国共合作していたとはいえ、筑波大学の古田博司教授が指摘するように(2012.9.20産経新聞「正論」)、実質的に日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党であって、毛沢東らの中国共産党ではない。それを、あたかも中国共産党が日本と戦ったかのように歴史を改竄し、米中はともに軍国主義日本と戦わなければならないと主張するのは、まさに笑止千万である。
依然として共産党の独裁下にあり、国民の自由を奪い人権を侵害している国が一体いかなる根拠をもって、少なくとも米国と同程度には民主的で、自由で人権を尊重する日本を軍国主義と非難し、過去を反省していないと言えるのか。
歴史を改竄しなければ、政権を維持できない国ほど、浅ましくも悲しい国家はない。米国はまさか、そのような国家に味方することはないと思う。もし、そうだとすれば、中国が主張するように、日本は過去を反省しない軍国主義でファシズムの国家だと米国が認めることになる。だとすれば、戦後の米国の対日政策は全くの失敗ということになる。米国の有識者に問いたい。日本は米国が指導してきたように民主主義国家なのか、それとも中国が主張するように戦後の国際秩序を破壊するファシズム国家なのか。
2012年9月20日木曜日
尖閣問題は自由と独裁の争い
尖閣諸島をめぐる日本と中国の争いは、資源や領土、主権をめぐる争いではない。自由主義体制と独裁体制との間の自由をめぐる戦いである。ワシントンに来て、それが身に染みてわかった。
ワシントンの街を歩く時、何も気にすることはない。上空を行きかう、おなじみの海兵隊のヘリコプターを撮影しても、誰も咎めることはない。ましてやシリアのように、逮捕、監禁されることもない。人々は誰をも気にすることもなく、自由に話し、行動している。
宿泊したホテルでたまたま私の部屋を掃除していたメードと話をする機会があった。訊くと、15年前にエチオピアから来たという。アメリカの暮らしはどうかと尋ねると、自由があって良いと言う。経済的な理由を挙げると思っていたら、真っ先に出た答えが自由だった。15年前のエチオピアというと、メンギスツ独裁政権が倒れた後にメレス・ゼナウィによる連邦共和制が樹立されて間もないころだ。改革開放がすすんでいたが、それでもなお国を捨てる決意までするほどに自由へのあこがれがあったのだろうか。しかしシリアの体験から私には、彼女の気持ちが少しだけわかる気がする。
人間にとって、最も重要なもの、かけがえのない価値とは、自由だ。豊かさは、自由を獲得する手段の一つでしかない。素晴らしい社会や国家とは、豊かであることよりも、皆が平等に自由を享受できる社会である。すべての価値の根源には自由がある。人は誰からも強制されることなく自らの生き方を決定する権利がある。先人の言葉を持ち出すまでもなく、人間は生まれついて自由である。人間は自由を求めて生きていくのである。働くことも、学ぶことも、窮極的には自由をできる限り獲得することにある。もちろん、その自由は他人の自由を侵すものであってはならない。独裁体制は、他者への配慮を欠いた一部の者による、多数の人々の自由の圧殺体制である。デモをもコントロールする現在の中国共産党体制はまさにその典型である。
中国にはデモをする行動の自由もなければ、ネットは規制され言論の自由もない。さらには都市戸籍と農村戸籍があり居住の自由もない。改革が進められているとはいえ、いまだに戸籍を変えようと思えば多額の賄賂がいる。シリアのように自由もなく賄賂が横行する国家が大国といえるのだろうか。ただ人口が多く、国土が大きいというだけではないか。その人口の多さを武器に経済でも、政治でも、ごり押しを重ねている。なぜ中国国民は自分たちを政治の手段や経済の道具としてしか見ない共産党に反旗を翻さないのか。最近の反日デモを見るにつけ、さらに反日デモが拡大して、反政府運動に拡大しないかと期待を膨らますばかりだ。
日中の対立で問われているのは、中国の独裁体制の悪であり、日本やアメリカなど自由主義陣営の自由の真価である。自由は決して金で売り買いできるものではない。中東で独裁体制への異議申し立てが次々と起こっている今、心ある中国国民には自由を求めて決起を促したい。自由の国アメリカに来て腹の底からそう思う
2012年9月5日水曜日
ダマスカス拘束120時間-秘密警察での48時間の拘束-②
【拘置所の実態】
今なお、私が一体どういう組織で、どういう施設に拘留されたのか、正確なところはわからない。シリアには「ショルタ」という一般警察、治安を担当する「ムハバラート」と呼ばれるいわゆる秘密警察がある。私を拘束したのは十中八九ムハバラートだと思う。拘留施設もムハバラートの施設だと思う。
とりあえず、この秘密警察の施設を拘置所と呼んでおく。ただし、実態は暴力が支配する拷問施設である。独房に拘置された小太りの初老の男性一人と、私を含め通路部分に収容された兵士十数人には暴力が振るわれることはほとんどなかった。しかし、年齢に関わりなく雑居房の収容者への暴力、拷問は日常茶飯事であった。
毎朝、恐らく8時か9時頃(時計がないので正確にはわからない)に取り調べが始まる。尋問係官が名簿をもって、我々が座る通路を通って雑居房へ行き、尋問予定の7~8人の名前を呼ぶ。雑居房の中ではリーダーかもしくは鉄扉付近にいる収容者が、異様に元気で大きな声で名前を中に向かって復唱する。呼ばれた者もまた、恐らくは恐怖の裏返しの行為なのであろう、これから楽しいことでもあるかのような弾んだ声で返事をする。そして扉が開けられ、一人一人ずつ雑居坊の中から尋問を受ける収容者が出てくる。この時、モタモタしてなかなか房から出てこない者には係官の容赦ないビンタやケリが加えられる。
初めて見たときにはそのビンタやケリの迫力に驚いた。ビンタは腕を曲げずに腕全体を使ってまるで分厚い板で殴るかのようにして横っ面を張り倒していた。映画やテレビで聞き知ったパンとかパチンといった乾いた音ではない。皮カバンを思い切り平手でたたいたようなドスンというくぐもった音だ。場合によっては、さらに腹部にケリが入れられる。係官は間違いなく空手のような武術を習得しているのであろう、体全体を使って足を素早く回転させ腹に思い切りケリを入れる。サンドバッグに蹴りを入れたときと同じようにドスンとくぐもった音が聞こえてくる。
係官の中には皮鞭を振るうものいる。皮鞭といっても、たたいても傷にならないように、ベルトほどの幅があり、数ミリの厚さのある、まるで皮の靴ベラのような鞭である。これを使って背中をたたいたり、足の向こう脛をたたいたりして、収容者にいうことをきかせていた。ヒュッという鞭が空気を切り裂く音、そしてバシッという鞭が体をたたく炸裂音、全く非日常的な情景にまるで映画をみているかのような錯覚が起き、恐怖もなにも感じない。
ビンタやケリよりももっと驚いたことがある。それは、ビンタやケリを入れられた収容者がまるで何も効いていなかったかのように平然としていることである。ほんの2~3メートル離れたところで目撃していたのだが、決して係官が力を手加減していたわけではない。ビンタを加えられれば勢いで体は横に揺らぎ、ケリを入れられれば後ろによろける。しかし、それも瞬時のことである。すぐにもとに戻り、まるでなにもなかったかのように平然としている。恐らくは、これから始まる拷問に比べればなにほどのこともないからかもしれない。
その拷問を恐れるあまりだろうか、小柄で太った40前後と思われる男が房からなかなか出てこなかった。仲間から押し出されるように房から出てきたときには号泣していた。係官は、彼に当然のようにビンタとケリを入れ、鞭を使いながら追い立てるように恐らく拷問場所だろう、追い立てて行った。しばらくすると、われわれのいる房から10メートルほど離れたところにある拷問室の方向から、バシッという音に続いて、恐らくその男だろう、奇妙な節のついた甲高い悲鳴が繰り返し繰り返し聞こえてきた。その悲鳴が続いている間、房には重苦しい空気が淀んでいた。たまらず若い兵士が、拷問室から悲鳴が上がるたびに、笑いながらその悲鳴を真似て奇声を発していたが、恐らく恐怖から逃れようとしていたのだろう。
小一時間もすると、尋問が終わった収容者が房に戻される。その時、我々の前を通っていくのだが、何ごともなかったように戻っていく者もあれば、指や脛に包帯を巻かれた者、日焼けしすぎたかのように背中一面が真っ赤に腫れ上がった者、仲間に支えられながら足を引きずりながら歩く者もいる。収容者の中には兵士と顔見知りの者もいるらしく、尋問の行き帰りに一言二言挨拶を交わす者や、中には笑顔で会釈をする者もいる。笑顔の意味はわからない。
収容者の年齢は、下は10代から上は60代まで、さまざまである。印象としては若者よりは40代以上の壮年や初老の年代が多かったように思う。私も含めて収容者は皆着たきり雀である。逮捕されたときの服装のまま長ければ何週間、何カ月も拘束される。なぜかわからないがパジャマを着た初老の男もいた。その男のパジャマの下半身部分は排泄物なのかそれとも血なのか茶色く汚れていた。シャワーがあるわけでもなく、洗濯ができるわけでもない。当然皆異臭を発する。とりわけすし詰め状態で収容されている雑居房からせ汗と糞尿とゴミの腐臭とを合わせたようなすさまじい異臭がする。雑居坊の鉄扉を開けるたびに鼻がひん曲がるような異様な匂いが通路にまで漂ってくる。尋問係官も思わず手で鼻を覆っていた。収容者が前を通って行くとき、私も思わず手を鼻にあててしまった。彼らが出て行った後、臭気を追い去るために、いつも若い兵士の一人が脱いだシャツを扇風機替わりに振り回し、臭気を消し去ろうとしていた。拘置所は暴力が支配する、家畜小屋のような臭気が漂い、落語の「地獄八景亡者の戯れ」のような地獄が天国と思えるような場所だった。(続く)
2012年8月30日木曜日
ダマスカス拘束120時間-秘密警察での48時間の拘束-
ダマスカス拘束120時間-秘密警察での48時間の拘束-
【拘束の顛末】
私がダマスカス郊外のプルマン・バスステーションで逮捕された時、逮捕した男は「セキュリティー・ポリス」と名乗っていた。シリアには警察「ショルタ」、秘密警察「ムハバラート」そして兵役中の軍人「アスカリ」が町の治安を保っているといわれる。私を逮捕したのは、その中のムハバラートすなわち秘密警察だと思われる。
逮捕されバスセンターないにあった事務症に連行され、人体尋問を受けた。これからどうなるのか問うと、ホテルに行く、というので、無罪放免になるとタカをくくっていた。しばらくすると、私を逮捕した係官が友達を呼ぶといって、電話を掛けていた。パスポートをホテルにおいてあったので、パスポートを確認するためにホテルまで私と同行するために車で送ってくれるのだろうと甘く考えていた。30分ほどすると、出川哲朗にそっくりな小太りの戦闘服姿の「友達」とAK47をもち防弾チョッキを着た神経質そうな男が現われた。そして私を小型のセダンに押し込み、バスセンターを後にした。車には若い運転手、そして助手席には「出川」、私は後部座席左側に乗せられ、右横には銃をもった男が乗り込んだ。バスセンターから15~20分くらい走ったろうか、明らかにホテルとは違う方向に向かっていた。近道なのかと思っていたら、連行された「ホテル」は秘密警察の収容施設だった。
秘密警察の収容、尋問施設というよりは拷問施設は、ダマスカス市内の住宅街の一角にあった。制服を着た兵士や民兵なのか私服姿の男たちがカラシニコフを手に警備し、施設に通ずる道路は何重にも封鎖されていた。表取りからは想像つかないような緊迫した雰囲気が漂っていた。
【収容所の概略】
施設そのものは、地上二階、地下一階の大きな邸宅のような建物であった。地上部分が事務所、そして地下が拘置施設になっていた。外部から直接、地下に続く階段があり、10段ほど降りたところには頑丈な鉄格子がはまっていた。中には二人の看守がカラシニコフを横に立てかけ椅子に陣取っていた。収容所の建物全体の床面積はせいぜい20メートル×30メートル程度ではなかったろうか。階段を降りて中に入ると、右手に鉄扉がはまった拷問室が四つ並びんで据えつけられており、左手には警官の宿泊施設や休憩所などがあった。私が放り込まれたのは、階段を降りて左手に行き、さらに左手に曲がった突き当たりにある拘置施設である。拘置施設に入る前はちょっとした炊事場となっており冷蔵庫、ガス台、流し台があった。その炊事場の奥に拘置施設があった。
この拘置施設は三つに分かれていた。入ってすぐ左手が独房、そして右側には幅1.2メートル長さ10メートル高さ3メートルの廊下が続き、その突き当たりに階段3段あがった踊り場があり、この踊り場の右手が雑居房である。私は、実はこの廊下の部分に拘置されていたのである。本来の拘置施設は独房と雑居房だけだと思われる。廊下には中古のコンピュータが何十台も積み上げられており、明らかに本来の拘置施設ではなかった。
独房、雑居房そして廊下にはそれぞれ別の拘置者が収容されていた。独房には中年の小太りの男性が拘置されていた。また雑居房には数十人もの「クリミナルズ」(私と同房の兵士の話による)が閉じ込められていた。一般犯罪ではなく、多分反政府勢力の政治犯罪あるいは治安犯罪の嫌疑をかけられた者たちではないか。
独房、雑居房それぞれに厳重に鍵がかけられていたが、私がいた廊下には炊事場に続く鉄扉しか扉はなく、しかも、その扉は閉められてはいたものの施錠はされていなかった。台所には一応見張り(常時みはりがいたわけではない)がいたものの、許可さえ得れば比較的自由に出入りができた。もっと台所を出たところには地下室と外部との出入り口になっているところに常時二人が見張っていたので、彼らの許可を得なければ、便所には行けなかった。水を汲んだりするために台所までは比較的自由に出入りができた。もっとも私は自由に出入りしていたわけではない。
台所までは比較的自由があったのには恐らく三つ理由がある。一つは、尋問官が雑居坊へ頻繁に出入りするために炊事場に通ずる出入り口の扉をしめるのが煩わしいこと、また廊下に収容されている拘置者が全員兵士で雑居房の拘置者とは扱いが違うこと、そして何よりも、仮に逃げ出そうとしても、地上に通ずる出口は一つしかなく、そこは常時銃を持った看守によって厳重に監視されており、事実上逃亡は無理だからだ。
【収容者の実態】
集団があるところには必ずリーダーがいる。牢屋ではいわゆる牢名主だ。秘密警察の拘置所にも牢名主がいた。炊事場をとおって扉を開け中に入るとすぐに牢名主のごとく陣取っていた髭もじゃの年寄りが目についた。彼が廊下に拘束されていた兵士たちのリーダーであった。一番年をとっているからなのか、それとも長く収容されているからなのか、リーダー的存在になったのではないかとずっと思っていた。二日目の夜に親しくなった若い男が収容者のことを話してくれた。それによると廊下に収容されているのは全員兵士だということだ。英語で説明してくれた若い男は軍曹だといっていた。彼によると、年寄りが一番階級が高く、どうやら陸軍の少尉のようだ。それで牢名主のような役割を果たしているようだ。話しによると、見た目よりも随分と若く五十歳前後ではないかと思う。他にも40歳代の中年の兵士が二人いた。彼らはいつも三人で入口近くに陣取っていた。食事も、彼ら三人は他の兵士とは別に食べていた。
この牢名主の采配で中に入り、開いた場所に座る。といっても、座る場所程度のスペースしかない。10人ほどの二十代から三十台前半の兵士が、コンクリートの床に毛布を引いただけの狭い廊下に寝たり、座り込んだりしていた。兵士の中には病気なのかと思ったほど寝汗を大量にかきながら眠り込んでいるものもいた。また雑談しているものもおり、思い思いに時間をつぶしていた。
廊下にはもちろんエアコンなどはない。廊下には、もちろん屋根も壁もあった。しかし、どうやら後で増築されたのではないかと思う。というのも、窓一つない科米の反対側、すなわち係官らが宿泊している部屋側には頑丈な鉄格子のはまった窓がとりつけられており、エアコンのダクトが部屋に引き込まれていたからである。明らかに建物があって、その後廊下にあたる部分に壁と屋根がつけられたような造りだったのである。係官らの宿泊している部屋にはエアコンがあり、いつもではなかったが、エアコンが運転されているのがダクトの音でわかった。
それに引き換え、外部に通ずるのは台所への出入り口一カ所がけという廊下はいつも空気が淀み、蒸し暑かった。そのため昼間はほとんど全員が上はシャツ一枚だ。夜はさすがに少し温度が下がり、床から伝わってくる冷たさで、中には上着を羽織る者もいた。私は空港の収容施設で服を着替えるまで、全くの着たきり雀状態だった。昼間はじっとしていても、汗が体からにじみ出て来る。外気が入らないから、空気が澱み、だんだん息苦しくなる。それよりも閉じ込められていると思うだけで、精神的に圧迫され、息が詰まる。
拘置所には犯罪者、軍人そして独房の一人と、三種類の留置人がいた。軍人は最も罪が軽いようで、他の留置人に比べて扱いが寛大だった。入り口の鉄扉は、半開きにしたままで、施錠はされなかった。寛大な代わりに、他の留置人の食事の面倒などを引き受けていた。(続く)
2012年8月24日金曜日
日韓共に冷静に
日本と 韓国との間で親書の受け取りを巡って、外交問題に発展している。いや、正確には外交問題が親書の受け取り問題に反映されているにすぎない。親書の受け取り問題が最終的に戦争の引き金になったことがある。それは1991年1月にジュネーヴで開催されたベーカー米国務長官とアジズイラク外務大臣との湾岸危機の最終交渉の席でのできごとである。
アジズ外相は、クウェートからの即時撤退、イラクが国際社会から孤立している現状そして米国の軍事力の強大さを記したジョージ・H・W・ブッシュ大統領の親書を手渡されると「このような手紙を我が大統領閣下には渡せない」と付き返し交渉は決裂した。そして時を待たず湾岸戦争が始まった。
会談も親書の提出も米国の思惑通りに運んだ。イラクも米国も最後まで湾岸危機の平和的解決の努力を続けているとのジェスチャーを国際社会に示す必要があった。そして米国は親書という形でイラクに最後通牒を突き付けたのである。外交交渉ではもはや解決ができないということの象徴が親書の受け取り拒否ということである。
8月18日の読売テレビ、ウェークアップ!プラスで民主党の前原誠司幹事長が、竹島問題の解決を訊かれて、最後には「実力」でと口走りスタジオが凍りついた。東京のスタジオから猪瀬直樹東京都副知事がすかさずツッコミをいれ、「 実力」とはどいうことかと前原に詰問した。前原も、口が滑ったと思ったのか、突然しどろもろになり、返答に窮した。なおも猪瀬が質問を続けた。たまらず、司会の辛坊が助け舟を出し、「そういうことではなく」つまり軍事力ではなく、平和的な実力という意味で前原が使ったと私たちは理解していると述べた。聞いている限り、猪瀬が正しい。そしてまた前原も正しい。領土問題が全く一発の銃弾を交えず解決した例は極めて少ない。思い浮かぶのは、沖縄返還だけである。
今、日韓双方とも国民世論の扇動でチキンゲームをしている。弱気になればどちらも政権(韓国は現政権よりも次期政権)がもたない。野田政権には、どこでチキンレースから降りるか、戦略はあるのだろうか。親書の受け取り拒否は外交交渉の終わりでもある。あとは制裁をかけるしか手段はない。制裁の行き着く先は前原の言うとおり実力行使である。米国もイラクに武力行使をした。
しかし、平和憲法を持つ我が国が武力を行使できるだろうか、との疑問を大方の人は持つだろう。しかし、領土問題は自衛権の発動と解すれば、憲法の現行解釈では合憲である。だからこそ日韓両政権共に冷静になってチキンレースをやめなければ、まさに正面衝突してしまう。
2012年8月23日木曜日
山本さんの冥福を衷心より御祈り申し上げます
シリアのアレッポでもフリージャーナリストの山本美香さん が死亡した。心より 哀悼の意を表したい。ジャーナリストと研究者の職業の違いはあるものの、戦時下の人々の暮らしを 伝えたいという思いは同じである。
フリーのジャーナリストには政府側のビザはおりにくいのであろう。だからトルコ側の反政府勢力 の支配地域からの潜入取材に ならざるを得ないのか。であればこそ、政府側の 攻撃は覚悟の 上だったと思う。不謹慎の誹りを承知の上でいえば、本望の最後ではなかったか。
反政府勢力との内戦 でアレッポは混乱の極みのように思われている。しかし、私がダマスカスに滞在した八月上旬は、飛行機もバスも問題なく運行されていた。アレッポには是非行きたかったが、残念ながら、その前に拘束され、願いは叶わなかった。
確かに反政府勢力の攻撃は続いているが、ダマスカスの様子を見る限り、政権は安定しているように思える。
ネットは制限されていると思ったが、特に規制はかけられていない。人々の暮らしや生活にも思ったほどの 影響は表向き 見られない。流石に観光業は大打撃のようで、宿泊したホテルも閑古鳥がないていた。内戦のせいなのか、内戦による不況のせいなのかシャッターが閉じられた店を ダマスカスでは多く見た。しかし、下町の食料品を売る 市場には活気が溢れていた。多くの人にとって、戦争は社会現象ではなく、台風や地震のような自然現象なのかもしれない。
山本さんは、不謹慎だが、名誉の戦死で救われたかもしれない。彼女と一緒に取材していたトルコとパレスチナの取材人が拘束されたとの報道がある。もし、事実なら、彼らには体を横たえる空間もないような 劣悪な収容施設に放り込まれ、最悪、凄まじい拷問が加えられるだろ。女性もおそらく似たような扱いだろう。
政府側の拷問の実態は、この目で目撃した。また不法入国者の収容施設でも、スパイ容疑で秘密警察の拷問を受けた男を見た。タバコの火のあとが身体中についていた。
シリアの内戦は、アサド政権の政府軍と自由シリアの反政府軍の戦いだけではない。政府系民兵組織と反政府系の自由シリア軍、それに加担する外国民兵、テロリストなどが加わり、戦時国際法の埒外で戦われている無法の戦争である。そして両者は世界のメディアに向けた熾烈な報道合戦をも繰り広げている。この戦いで圧倒的に不利な立場におかれている政府側は反政府側から取材するジャーナリストにも容赦なく銃口を向けるだろう。まさに仁義なき戦いである。
2012年8月18日土曜日
ダマスカス戦線異常なし
今日(2012年8月17日)TBSと日テレの取材チームがシリア北部の町アザーズにトルコ国境から入国し、政府軍による攻撃のもようをリポートしていた。まるで両局の報道ぶりは、まるでシリア全体が戦場であるかのような局部拡大方式のメディア操作としか言いようがない。トルコ国境から入国できたということは、少なくともシリア側の国境管理が反政府勢力が掌握していることの証拠である。それはまたトルコがシリアの反政府勢力を支援していることの現れでもある。つまり、今回の報道は、少なくとも反政府側の便宜供与を受けた取材であることをまずは確認しておかなければならない。現在シリア政府は外国メディアの取材や立ち入りを厳しく制限している(というよりは事実上禁止している)ために、政府側の立場に立った取材はできない。だから政府が支配を確立していると思われるダマスカスの様子は外部に伝わってこない。またそこはあまりに平和であるためにニュースにもならないのだろう。
ダマスカスを見た限りでは、人々の暮らしは比較的安定している。内戦激化のために食糧不足が起こっているとの報道が一部ではあったが、全くのでたらめである。ダマスカス市内のスークに足を運んだが、生鮮食品や食料品はあふれている。なによりも秘密警察に収監されている「犯罪者」への日々の食糧も十分すぎるほどに行われていることを身をもって体験した。主食のイスラム風のパンも毎日大量に留置所に運び込まれていた。副菜も十分にあった。少なくとも食料品が足らなくて(金が足らなくてということはもちろんある)人々が困窮しているなどということはダマスカス市内ではなかった。
食糧供給が安定しているということは、治安が安定していることの証左でもある。イスラエル、アフガニスタン、スリランカ、フィリピン・ミンダナオ島などこれまで戦時下の町には何ヶ国も、何度も行ったが、印象で言えば、ダマスカスは戦時下にあるとは思えないほど安定していた。その一つに要因は、私服でダマスカスの治安を監視している公安警察の存在が大きいと思われる。反政府勢力を徹底的に監視、取り締まりを行っている。だから拷問も日常茶飯事に行われている。表通りを歩いているだけでは気がつかなかったが、護送車に乗せられて路地裏をあちこち連れ回されたときに、車窓からは民兵なのか私服の警官なのかわからないが、銃を持った大勢の男たちが路地のあちこちで周囲の監視にあたっていた。まさに私は、そうした監視の中でスパイ容疑で逮捕された。逆に言えば、徹底した監視網がダマスカスの治安を維持していといえるだろう。さらにアサドに忠誠を誓う兵士、警官、役人たちは今も数多くいる。その証拠といえるかどうか、まるで北朝鮮のように公共機関には必ずアサド親子の写真が貼られていた。アサドの権威、権力、いまだ衰えずである。
とはいえ私が滞在していた一週間で政府軍ヘリによる攻撃を一度目にし、また反政府側の爆弾攻撃にも一度遭遇した。反政府勢力の爆弾と銃撃による攻撃に対し、政府軍側は約10分で掃討を終えた。たまたま日本でいえば入管のような施設に拘束されているときだった。建物を封鎖し職員が銃をもって攻撃にそなえたが、10分ほどで猛烈な銃撃戦が終わり、係官も20分もしないうちに平常業務に戻った。政府側に負傷者は出たようだが、その後の報道では死者は出なかったようだ。火力では圧倒的に政府側が勝っているように思えた。
また強制退去を受けて空港へ護送される途中、車窓からは、2カ所で装甲車に乗った兵士が道路を監視しているのを見ただけである。シリア到着時にタクシーで市内に向かったが、その時には兵士の姿や装甲車など全く見なかった。また強制退去させられた時の空港の様子も普通の空港と全く変わらなかった。空港に銃を構えた兵士がいるわけでもない。ただ、日本の地方空港並の規模でしかなく、また乗降客の数も少ないために、わびしい雰囲気は拭えなかった。しかし、便数は少ないものの航空機は24時間態勢できちんと運行されていた。私が乗ったエティハド航空機も毎日運行されていた。
また空港の待合室にもどこにでもある日常風景があった。家族ずれが多く、小さな子供たちがロビーを走り回っていた。ひょっとするとシリアを脱出するためかと思われるかもしれない。しかし、アブダビからシリアに向かうときにも家族ずれが何組もいたことを考えれば、必ずしもシリア脱出とは言えないのではないか。
シリア情勢に対するメディアの報道は、だれが取材許可を出すかによって全く異なる。現在、欧米メディアを受け入れているのは反政府勢力側である。日本も欧米メディアの一貫として反政府勢力側からの報道姿勢をとったのであろう。そうすると、アサド政権は今にも崩壊、瓦解しそうなニュアンスで伝えられ事が多くなる。一方で、アサド政権側からの報道にある、恐らくロシアや中国しか伝えられないのであろうが、反政府勢力はアルカイダのようなテロリストや欧米など外部勢力の支援を受けているといったニュースは全く外部に伝わってこない。
戦時下の報道で気をつけなければいけないのは、メディアがいかなる便宜供与をいかなる勢力から受けているかを吟味することである。そうでなければ一方的な報道によって判断を誤る原因となる。私が紛争地に入る際に、こうしたバイアスをさけるために一貫して実行しているのが、ツーリスト・ビザで入国できるかどうかである。今回在日シリア大使館はツーリスト・ビザを発給してくれた。またスパイ容疑でつかまったものの、最終的にツーリストとして釈放してくれたシリア政権は、その一事をもってしても、まだ安定しているといえる。
別にアサド政権の肩を持つわけではない。それどころか、その人権侵害政策には満腔の怒りを覚えている。しかし、客観的な事実と主観的な思いとは明確に区別しなければならない。アサド政権が転覆するとするなら、また反政府勢力がアサド政権を打倒することができるとするなら、やはりダマスカスの攻防戦にかかっていると思われる。だが、今のところ「ダマスカス戦線、異常なし」である。
2012年8月14日火曜日
紛争地を歩く-シリア編(拘束の顛末)-
本当に専門家としてあるまじき、恥ずかしい失態を演じ、7日午後から12日午後まで当局に拘束されました。帰国できたのは、今思い返せば、単に運が良かっただけかもしれません。一時は死を覚悟しました。事の顛末は以下のようなものです。
8月7日後2時頃、戦闘が激しくなっていると言われるアレッポの現状を見たいと思い、
同市行きのバスがあるかを確認するためにダマスカス郊外にあるプルマン・バスステーションへ行きました。7日の午前中にダマスカス市内の観光地ウマヤド・モスクやスークを見物したのですが、内戦の様子など微塵も感じられませんでした。メディアが報じる内戦の状況とは全くことなった様相に、過剰な報道がなされているのではないかと疑っていました。そこでアレッポでもダマスカスと同じ状況ではないかと思いアレッポ行きを決意しました。
バス・ステーションに着くと、客引きにアレッポ行きバスを運行する会社に連れて行かれました。その時上空で異様な音が聞こえました。見上げると、軍用ヘリが旋回しながら、地上に銃撃を加えていました。思わずカバンからビデオ・カメラを取り出して、撮影しようとした瞬間公安警察の私服警官に逮捕されました。撮影しているのがわからないような超小型のウェブ・カメラも持っていたのですが、早く撮影しなければと思い、思わず小型ビデオ・カメラを取り出してしまいました。撮影をする前に止められたために、カメラには警官がカメラを押さえる指しか写っていません。これまでもイスラエル、エジプトでも同様に撮影をとがめられたことがありました。その時には映像が残っていました。しかし、今回は一切写していませんでしたので、今回も注意処分でその場で釈放ではないかと高を括っていました。しかし、事態は最悪の方向に向かいました。
かれこれ30分ほども尋問を受けた後、これからどうなるのかと逮捕した警官に訊いたところ、ホテルだというので、てっきり宿泊先のホテルに送りとどけられるのかと思っていました。しかし、その後10分ほどしてから警官の上司と思しき、出川哲朗そっくりの小太りの戦闘服姿のオヤジと、カラシニコフを抱えたいかにもすぐに切れそうな兵士が私を車に押し込み、バス・ステーションをあとにしました。そして着いたところが、市内にある公安警察の尋問施設でした。そこは、付近の道路も建物も兵士によって厳重に警備されていました。それを見た時、事態はどうやら最悪の方向に向かっていることに気づきました。
すぐに、建物の地下室にある拘置場所に放り込まれました。この施設は警察の取調室と留置所などという場所ではなく、拷問施設です。ここには三種類の人が拘置されていました。独房に入れられた人一人、そして犯罪者(どういう犯罪かはわからなかった)数十人、そして軍事グループ。私は軍人グループに入れられました。軍人グループは軍の中で何か問題を起こして逮捕された人たちのようです。
丁度48時間後に公安警察から身柄を日本で言えば出入国管理局に移され、そこでの取り調べの後、9日木曜日の午後、不法滞在や不法入国者の一時収容施設に移され、やはり48時間収容されました。私の場合にはパスポート、ビザ、帰国のチケットも全て持っており、不法滞在ではなかったのですが、収容されました。強制退去処分にするために、一時収容されたのでしょう。一体何の罪で収容されるのかなんの説明もありませんでした。また運が悪ことに翌日が休日の金曜日で一切の手続が進まず、結局土曜日の午前中まで収容施設にとどまることになりました。
土曜日の午前中に収容施設から再び出入国管理局の事務所に戻され、強制退去の手続が始まりました。そして夕方に空港内にある小部屋に他の強制退去者など5人とともに拘束されました。以後、飛行機の搭乗手続が始まる日曜日の午後2時まで、およそ20時間を冷房の効きすぎる、壊れたソファ以外になにも無い部屋で待つことになりました。
拘束された時の詳しい様子はあらためてブログに書きます。今回、拘束を受けて、いろいろなことがわかりました。
第1に、ホッブズは人間は何故戦うのかという問いに身体的な自己保存を挙げました。しかし、今回の経験を受けて私は身体的な理由ではなく、自由にあると確信しました。人間は自由を求めて戦うのであって、そして自由を確保するために共同体や国家を形成していくのだと考えるようになりました。自由をうばわれることが如何につらいことか、わずかの期間でしたが、実感しました。
第2に、なぜユダヤ人は唯々諾々と処刑されていったのか、何故叛乱しなかったのか、その一旦がわかったような気がします。希望がなければ、死ぬ事でしか救われない。希望を失えば、もはや抵抗する意味も無く、ただ残された唯一の希望である神にすがる、つまりは死以外にないということでは無いのか。暴力の前に人間はいかに弱いかがわかります。わずか二日でしたが、拷問施設で見聞きした光景は生涯忘れられません。恐らく日本の平和主義者も含め誰もが、シリアの秘密警察の尋問官の怒声、ビンタ、蹴り、皮鞭等の拷問には堪えられず、唯々諾々と命じられたことに従うようになるでしょう。
第3に、人間はあまりの困難に遭遇すると、コンピュータでいうスリーピング・モードにはいるようです。拘束されている人が皆横になって寝ているのはやることがないからだ思っていました。しかし、そうではなくどうやら寝ることでつらい現実から目をそらす、身体の拒否反応のようです。私かも48時間のうち三分の二は寝ていました。といっても、ただ単に考えることを拒否するための睡眠です。頭が普通モードになるとさまざまなことを考えて、堪えられなくなります。
第4に、太陽の光、時間の感覚が人間にとって如何に重要かがわかりました。拘束施設は全て24時間蛍光灯で照らされています。一切窓がなく、太陽の光がありません。時間がわからなくなり、不安に陥ります。長期の拘束に備えて、他の人をみならって、壁に日付用の印をつけました。
個々の拘束に関する詳細については、いずれブログでアップします。
ご心配をおかけした皆さまにはこころよりお詫びを申し上げます。
2012年8月7日火曜日
紛争地を歩くーシリア編ー
八月五日、夜九時過ぎに成田を出発、現地時間早朝四時にアブダビ到着。八時間の待ち合わせの後、二時間半の飛行でダマスカス空港に到着。エティハド航空のA320-200の半分程度の座席が埋まっていた。100人前後はいたろうか。予想とは全く違っていた。脱出する人は多数いてもシリア人行く人はほとんどいないと思っていた。しかし、普通のフライト到着。変わりはない。入国審査のところでわかったのだが、シリア人だけでなく、他のアラブ諸国のひとや、それ以外の国の人も結構いた。中国人ビジネスマンと思われる三十代の男性が一人と私だけがアジア系であった。
入国審査も何の問題もなかった。聞かれたのは、型通りに、目的と滞在場所、滞在期間だった。観光です。五日間、ダマスカスに滞在すると告げると、係官が事務所に 行き、何やら上司と相談ししたらしい。二、三分後に戻って来ると、入国スタンプを押してくれた。
ダマスカス空港は日本の地方空港の規模だ。内戦中だからなのか、比較的閑散としていた。しかし、到着ロビーにはタクシーの客引きが多勢いて盛んに客を漁っていた。いつものことながら、この駆け引きが一番疲れる。めんどくさいのでほぼ言い値で承諾した。白タクだったので多分通常の倍以上だとおもう。運転手に25ドルとチップに5ドル、手引きして通訳してくれたおっさんに5ドルのチップ、都合35ドルでホテルに着いた。空港から市内に向かう道路に兵士の姿はほとんどなかった。四年前の内戦最後の局面に あったスリランカでは数百メートルおきに兵士が歩哨に立っていた様相とは全く異なる。伝えられているような内戦の影は全く感じられない。
市内に入れば、そこはまるでカイロのような人ごみと渋滞だ。中心部にあるシャンパレスホテルは客がいなくて閑散としていたが、中国料理屋や日本料理屋も開いていた。ちなみに夕食は中華料理屋に行き、
チャーハン、サンラータン、レバノンのビール二本では約千円だった。六時に行ったが、客はわたし一人だった。ホテルの中にある旅行会社約土産物屋は店を閉じていた。客がいないからかどうかはわからない
シリアで 驚くことは、あまりイスラム国とは思えないほどみんな開けている。女性も普通の格好をしている人がおおい 。またあまり厳格にラマダンを守っていない印象を受けた。飛行機の中で女性を中心に飲食をしている人が多かった。スーダン、エジプト、リビアとは多いに印象が異なる。
食事の前にホテルの周りを散歩したが、産業省を始め政府機関が結構あった。すぐにわかるのは、シリア国旗を、これでもかとはいうくらい飾り立てているからだ。警備の兵士には緊張感がない。エジプトのタハリール広場を警備していた兵士とは質が違うようだ。
早朝に このブログを書いている。市の中心部なのにまことに 静かだ。イスラム教国にはつきもののモスクからのアザーンモスク聞こえてこない。モスクの数が少ないのだろうか。
シリアの第一印象は全く気抜けするほどの平穏さだ。
2012年7月31日火曜日
「新日本国憲法ゲンロン草案」を支持する
東浩紀の「新日本国憲法ゲンロン草案」が話題になっている。さっそく安全保障に関わる箇所を読んでみた。第一八条で国家の武装を禁止した上で、第一九条で個人の武装権を認め、そして第二〇条で自衛隊の創設を提案している。この「自衛隊」はカントの「民兵」や中江兆民の「土著(ちゃく)兵」と全く同じである。非常に画期的な草案であり、この条文については全面的に支持する。
第一八条
国民および住民は、国際紛争を解決する手段としては、武力による威嚇または武力の行使は、永久にこれを放棄する。国の交戦権は、これを認めない。
第一九条
1. 国民および住民は、生命、自由ならびに財産の保全を脅かす自然災害と人的災害に対して、国民および住民それぞれの能力に応じ、自衛ならびに相互援助する権利を有する。
第二〇条
1. 国民および住民は、前条の目的を達するため、自衛隊を設立する。
2. 自衛隊は、国際相互援助の精神に則り、法律の制限および諸国民の同意のもとで、国外においても活動しうる
ひょっとして東はこのような解釈を想定していなかったかもしれない。しかし、憲法をいかに解釈するかは国民の権利である。第一八条で国家の自衛を否定する以上、「個人をまもらないという契約は無効である」というホッブズの社会契約論に従えば、自衛権は個人に返還される。安全保障の観点からすれば、東の構想する国家は支配者なきマルチチュードによる国家創造である。
2012年7月30日月曜日
老人から選挙権を剥奪せよ
還暦以上の高齢者から選挙権、被選挙権を剥奪もしくは自発的に返上してはどうか。というのもネット時代の現在、直接民主主義も模索してはどうかといった民主主義の見直しの議論も出始めているからだ。
今朝(2012年7月30日)の『朝日新聞』につぎのような社説が掲載された。
「有権者が、選挙で選んだ自分たちの代表(議員)を通じて政策を実現する。その間接民主主義の回路が機能せず、自分たちの声が政治に届かない。そんないらだちが、人々を直接民主主義的な行動に駆り立てているのではないか。・・・直接民主主義の流れは、今後も強まるだろう」。
脱原発をめぐって、原発の問題だけでなく民主主義のあり方が問われるようになったのである。 しかし、脱原発の問題や強いて言えば現在の政治については、間接民主主義か直接民主主義かの問題ではない。というのも原発の問題は3~40年先の将来の日本の形を決める問題であり、現在の政治の争点はまさに将来の日本の姿をどのようにするかをめぐる問題だからである。3~40年もの遠い将来の問題に、現在の還暦以上の高齢者が選挙に参加して、その結果に責任がもてるのだろうか。
昔から戦争の決定を老人にまかせるべきではないとよく言われる。老人は戦争に行く心配がないから無責任に戦争の決断をくだすからだ。同じことは原発問題や日本の将来の問題についても言える。健康や環境のことを考えれば脱原発が本当に正しいのか、経済や生活を考えれば原発推進が正しいのか、今現在正しいと思っていることも、3~40年立てば本当に正しいかどうかはわからない。3~40年後に今の還暦以上の世代はほとんど死に絶えている。とういよりも、もし生き長らえているとするならば、それは若い世代に高負担を強いるばかりで、犯罪、罪悪以外の何ものでもない。
いずれにせよ、今選挙権を行使して責任ももてない死後のことについて決定をくだすのはどう考えても倫理的、道義的、政治的に誤りである。還暦とは赤ん坊に戻ることである。であるならば、赤ん坊に選挙権、被選挙権が無い以上、還暦以上の高齢者に選挙権や被選挙権があるのはどう考えても理屈に会わない。それでもなお老人にも選挙権、被選挙権を与えというのであるならば、公平を期して60歳未満(年齢には考慮の余地あり)の女性にはこれから生まれてくるかもしれない子供の代理として一票を加算してはどうか。
脱原発問題が問うているのは、間接民主主義か直接民主主義かの問題ではない。世代間の不公平を是正するための政治システムである。日本の将来を慮るなら、高齢者は選挙権、被選挙権を返上し、無駄な医療を拒否し、年金を返上し、若い世代に世話になることなく、自らうば捨て山に登ることである。こうして政治を浄化し、日本から還暦以上の高齢者の人口が減少すれば、原発などなくても、若い世代は現在の生活水準を維持することができるだろう。グルコサミンやセサミンなどの健康食品を飲みながら原発反対デモに参加するよりも、医者にもかからず不健康な生活をおくってできる限り早く西方浄土の極楽に行くことのほうがどれほど世の中のためになるだろうか。団塊の全共闘世代諸君、いまさらエレキバンドを結成して、デンデケデケデケデンなどしている場合ではない。
2012年7月28日土曜日
丸い三角は書けない
今朝(2012年7月29日)の『朝日新聞』に朝日新聞社が主催している「ニッポン前へ委員会」の委員萱野稔人津田塾大学准教授が、昨日このブログで取り上げた、化石燃料の輸入にともなう貿易赤字の問題を取り上げていた。彼の論旨はこうだ。
原発の不足分を火力発電でまかなっているために、その輸入代金の支払いのために国民所得が大幅に低下したこと、それを埋め合わせるために電気料金が値上げされたにも関わらず、企業が値上げ分を価格に転嫁できず、従業員の給与カットで吸収する結果一層デフレが悪化している。そしてこう結論づける。「エネルギー効率を高め、化石燃料の消費を抑えることが、経済の発展にとって必要となったのである」
たしかにその通りである。少なくとも原発の停止によって増えた化石燃料の輸入分をエネルギー効率を高めることによって、節約しなければならない。しかし、それは本当に可能だろうか。いくらコジェネレーション型の燃料電池を使ったとしても、また再生可能エネルギーを今後大量に投入したとしても原発の不足分をまかなえるのか。というのもコジェネレーション型の発電装置や再可能エネルギーによる発電装置等も初期の製造段階では大量の化石燃料エネルギーが必要となるからだ。一時的にであれエネルギー転換の過程で、エネルギー消費はますます高まる。
萱野氏は結論でこう述べている。「もちろん、原発事故を経験した現在、私たちは安易に原発に頼ることはできない。エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方を模索するという、新たな挑戦が始まったのである」。「丸い三角を書こう」という全く形容矛盾、実行不可能な結論だ。この結論の持っていき方は、進歩的文化人の得意とするところだ。つまり反原発の進歩的文化人的スタンスを維持しながら、その一方で「経済発展を望むという」現実派をも納得させようと結論を丸めているのである。
それはさておき、経済発展というのはエネルギー消費の拡大以外のなにものでもない。経済発展を個人の豊かさに置き替えればそのことはすぐにわかる。われわれは豊かな生活、便利な生活を求めて働いてきた。その結果、経済が発展したのである。豊かな生活、便利な生活を支えるために大量のエネルギーが消費されてきたのである。おかげで生活環境の向上や高度な治療により寿命は格段に伸び、交通、通信は飛躍的に拡大し、われわれの生活を便利にしてきたのである。昨今大衆受けするグローバル化はエネルギーの大量消費があってはじめて実現したことを忘れてはいけない。航空交通網の発達は多量の石油を消費している。またネットの普及で世界中で使用されているコンピュータやサーバーを常時稼働させるためにどれほど大量のエネルギーが消費されているか。グーグルやマイクロソフトが原発の開発に前向きなのも、情報を伝達するための安定した電力供給こそがネットの命だからだ。
たしかに車も電気冷蔵庫、エアコンなど電化製品もありとあらゆるものが効率化され、個々の製品ごとの電力使用量やエネルギー消費量は減少してきた。しかし、そのことで逆に電気冷蔵庫のように製品が大型化したり、エアコンのように節電製品を皆が使うようになり、社会全体のエネルギー消費量は拡大の一途である。しかし、そのことがまた日本の経済発展を押しあげてきたのである。
つまり、「エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方」などはありえない。ありもしない、できもしないことを模索するのではなく、「豊かな生活」「便利な生活」をいかに捨て去るか、グローバル化ではなくローカル化をいかに推し進めるか、生活環境の悪化や病気治療の放棄によって平均寿命をどれほど縮めるか、そしてなによりも人口をいかに減らして社会全体のエネルギー消費量を落としていくかを考えなければならない。原発停止分の代替化石燃料輸入を諦めて「エネルギー消費の低下を基盤とする経済停滞の覚悟を決める」ことこそ、萱野氏の結論でなければならない。電車も携帯も使わない現代の仙人である京都大学の小出助教が力説する、脱原発どころか、将来的には脱化石燃料の社会である。
脱原発派の人たちの多くが恐らくは、原発を廃止しても今と同じ生活が維持できると考えているようだが、それは誤解だ。今の生活の豊かさ、便利さを維持しようと思えば、今と同じ程度のエネルギーは必要だ。再生可能エネルギーが今の化石燃料輸入増加分をまかなうまでには相当の年数がかかる。その間化石燃料を輸入し続けるとすると、萱野氏が指摘するように、「日本経済のさらなる萎縮と貧困化をもたらしかねない」。その貧困化をやむをえないとする覚悟を脱原発にはあるか。脱原発の本気度が試されている。
もっとも本気度が試される前に貧困化が進み、化石燃料の輸入もままならず、人口は減少し、社会全体のエネルギー消費量も低下し、節電などしなくてもすむだろう。江戸時代のように鎖国して3000万人程度の人口を養うに足る程度にまでエネルギーの消費量を落として再生可能な自然エネルギーのみにたよる自給自足の国になることこそが、「エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方を模索」の結論であろう。萱野氏も正直に、そう結論づけるべきだった。
2012年7月27日金曜日
オスプレイ問題を考える
オスプレイ問題で世情は喧しい限りである。問題の焦点が錯綜して、今では単にオスプレイ配備の問題にとどまらず、反原発運動のように反政府運動の様相まで呈し始めている。複雑に絡まりあったこの問題を整理すると、いくつの側面があることがわかる。
第1は技術的問題。まずは他の航空機よりも墜落しやすいかどうかである。これについては、産経新聞が以下のように伝えている。オスプレイには海兵隊用のMV22と空軍用のCV22がある。「両機の機体は9割方は同じだが、運用はMV22が人員・物資輸送、CV22は特殊作戦という大きな違いがある。フロリダ州での事故後にまとめた10万飛行 時間あたりの事故件数を示す「事故率」はCV22で13・47。一方、MV22は1・93にとどまり、海兵隊所属のヘリを含む航空機の平均事故率2・45 より低い」。オスプレイの見た目から、非常に不安定な印象を受ける航空機ではあるが、この数字を見る限り、CH-46ヘリコとさほど変わらない。ただし、海兵隊が事故隠しをしているとの関係者の証言もあり、数字の信頼性に問題なしとはしない。
またエンジン停止時に無事着陸できるオートローテション機能があるかどうかの問題もある。実際に欠如しているようだ。ヘリコプターにしては回転翼がCH-46に比較しても小さく、通常の航空機にしては水平翼が小さいためにエンジンが停止した場合には降下速度は早い。ましてやヘリコプター・モードから固定翼モードに移行するエンジンが斜めの状態の時、つまり離着陸態勢時で高度が低い状況にある時には素人が考えても墜落しやすいと思われる。
いずれにせよ技術的問題は、日本側の調査チームによって、場合によっては政府とは別の第三者の調査チームによってあきらかにする必要があるのではないか。
第2は、法的問題すなわち日米安全保障条約や地位協定の問題である。日本は米国に対し、「我が国の領域内にある米軍の装備における重要な変更(核弾頭及び中・長距離ミサイルの持込み並びにそれらの基地の建設をいう。)」があった場合には事前に協議することになっている。しかし、今回は単なる装備の更新であり、事前協議の対象にはなっていない。またオスプレイの訓練についても日米地位協定によって日本の航空法の適用外であり、日本側がオスプレイの訓練を禁止することはできない。つまり日本にはオスプレイの配備、訓練を差し止める法的手段はないということである。
このことが第3の安全保障上の問題をうむ。一体全体、日本は独立主権国家なのかという疑問である。米国の言いなりになって、日本は何もできないのではないか、これではアメリカの占領下におかれているのとかわらないではないかという、ナショナリズムに基づく反米感情である。これは、突き詰めれば、日本の安全保障をどのように考えるかという問題になる。つまりこれまで通り日米安全保障をわが国の安全保障の基盤とするのか。あるいは日米安全保障条約を廃棄して軍事的に対米独立を果たし、武装もしくは非武装中立の安全保障政策をとるかという問題である。
そしてこの安全保障上の問題を考える上で、第4の問題が浮上する。それは現在の安全保障環境をどのように考えるか、すなわち中国に対しどのような戦略、戦術をとるかという問題である。
中国が海洋進出を強めている現状で、また尖閣奪還どころか中国国立国防大学戦略調査研究所のツジン・イナン所長のように一部では琉球回収を主張するようになった中国に対し、日米同盟に基づいて対処しようとすれば、オスプレイを配備して、対中国への抑止力を強化するのが最も現実的なシナリオである。オスプレイというこれまでにない兵器の配備によって中国は、新たな戦略、戦術の練り直しが求められる。中国が十分な対応をとることができるようになるまでは、オスプレイは対中抑止力として機能するだろう。その証拠に中国はオスプレイの配備に不快感を示している。
対中戦略の問題は、第5の普天間問題と連動し、まさに政治問題化している。そもそもオスプレイの配備問題は普天間基地の恒久化を懸念する沖縄の問題であった。たしかに2003年6月にCH53Eの大型ヘリコプター墜落事故が起きている。その記憶がまだ消え去らぬ内に、周りを住宅街で取り囲んだ普天間基地に事故が多いと噂されているオスプレイが配備されるとなると、地元の不安は高まるのは当然であろう。オスプレイの配備を見越した上で計画されていた名護市辺野古への基地移設計画が鳩山内閣で頓挫したために、オスプレイ問題は単に普天間への配備反対だけではなく、米軍基地そのものの基地撤去要求に拡大する様相を見せている。さらに岩国市にも飛び火し、ここでも反基地闘争に火がついた。
加えて全国的な広がりを見せている反原発運動という名の反政府運動(脱原発の集会の呼びかけ人になった大江健三郎ははっきりと野田内閣の打倒をよびかけていた)と連動して、オスプレイ配備反対運動は野田政権打倒まさにアジサイ革命の様相を見せ始めている。
さてオスプレイ問題のおとしどころだが、野田首相は案外タカをくくっているかもしれない。パンとサーカスの愚民政策が存分に発揮できるからである。消費税問題はあるものの今のところ経済は安定し、パンはなんとかある。あとはオリンピックという見せ物で国民大衆の関心をオスプレイ問題や原発問題からそらすことができる。マスコミは間違ってもナデシコ・ジャパンをさしおいてオスプレイ配備問題を一面でとりあげることはないだろう。国民の本気度はこの夏に試される。
節電の効果はあったのか
7月25日に財務省が2012年上半期の貿易統計を発表した。貿易収支は2兆9158億円で、過去最大の赤字となった。輸出は前年同期と比べ1.5%増加したが、輸入が7.4%増加した。結果、貿易赤字が膨らんだ。赤字の最大の要因は、「東京電力福島第1原発の事故の影響で各地の原発が停止していることで、液化天然ガス(LNG)の輸入が前年同期比で49. 2%増えたことが大きい」(『朝日新聞』7月25日夕刊東京第4版2面)。要するに節電が功を奏していないこと、また原発無しではやはり日本のエネルギーをまかなえないということを意味している。
節電は、少なくとも原発でまかなっていた電力がなくても暮らして行けるレベルにまでなってこそ意味がある。環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也氏が今でも原発がなくても電力は不足していないと主張していたが、天然ガスの輸入が増えている現状をみると彼の主張は間違っているのではないか。今後どれだけ原油や天然ガスの輸入を抑えられるかが本当に脱原発できるかどうかを左右する要点だ。
脱原発運動になると必ず新聞が取り上げるのが、電気無しでどれだけ生活できるかという記事だ。正確には記憶していないが、2~30年前にやはり原発の新設をめぐって反原発運動がおこり、反対派の一人の男性が原発に反対して電気無しの生活に戻るという記事が報じられたことがある。彼はその後も電気無しに生活をしているのか、続報はなかった。
同じようなことが今朝(26日)朝日新聞の朝刊に掲載された。若い独身の同社の記者が契約アンペアの最低5アンペアに落として節電生活を過ごしているという。契約アンペア数は年に一度しか変更が効かないので、一年間は節電生活をするつもりなのだろう。どこまで堪えられるか。反原発運動の拠点である「たんぽぽ舎」のビルでさえ大型の空調が備えつけられ、冷房を使っていた。原発のない新たな暮らしをめざしているのなら、せめて冷房は我慢すべきだろう。だから一年間はやせ我慢を通すつもりの朝日の記者には、個人的には満腔よりエールを送りたい。
ところで個人の節電には大きな抜け穴がある。それは社会全体の電力節電にはあまり役立たないということである。冷蔵庫が使えないので、結局コンビニやスーパーで冷えたビールを買うことになる。電力で冷やした物、作った物は一切口にしないというのであれば、電力の節電になるが、そうでなければ個人で消費していた電力をコンビニやスーパーに移しかえただけだ。また電気炊飯器に代えてご飯もガスでたくと美味しいといっているが、エネルギーという観点から考えれば、天然ガスで発電された電力エネルギーを使うかガスを直接使うかの差で、根本的には天然ガス・エネルギーを消費していることには代わりがない。もちろん原発で発電しないという意味はあっても、二酸化炭素の排出は増加するし、何よりも原発のない再生可能エネルギーに基づく新たな暮らしを目指すという脱原発の理念に反する。要するに原発に代えて化石燃料を使いましょうということでしかない。実際、脱原発派の論理は再生可能エネルギーが普及するまでは天然ガスを使うことになっている。
その化石燃料はほぼ全て輸入に頼っている。化石燃料を買えるだけの金が日本にあるうちは問題ないだろう。しかし、今般の貿易赤字は、日本の輸出産業が衰退していけば、化石燃料を購入する金が無くなる恐れがあることを示している。
原発によって不足した電力を補った化石燃料代分は節電しないと本当の意味での節電にはならない。脱原発派、再稼働反対派には今こそ、その覚悟の本気度が試されている。5アンペアとはいわない。原子力発電がなかった1960年代に戻って、少なくとも15アンペアまでアンペア・ダウンしてはどうか。
(補足)私は脱原発、再稼働賛成派である。脱原発は以前に書いたとおり、技術者の不足によって原発が管理できなくなる前に廃炉にすべきだということである。六ヶ所村や文殊の事故は、明らかに日本の原子力技術の低下を物語っている。フクシマ原発の事故や世論の東電バッシングを考えれば、優秀な学生がいまさら原子力高額を学び、また東電に入射するなどありえない。外国人技術者やアレバのような外国企業に廃炉を請け負ってもらう前、日本人技術者がいる間に廃炉にしなければならない。
再稼働に賛成するのは、稼働しても止めたままでも、地震に対する危険性にはさほど変わりはないからである。フクシマ4号機を見ればわかるが、同機は運転を停止し、炉心から燃料棒は引き抜かれて冷却プールに入れられていたのである。それが、今では最も危険な状況にある。燃料棒はどこにあろうと熱を出し続け、その危険性は炉心であろうが燃料プールであろうが変わらない。であれば再稼働して、化石燃料の輸入を減らした方が現実的である。
2012年6月25日月曜日
原発は止めれば安全なのか
原発は止めれば安全なのか。素人ながら、どうしても腑に落ちない。大飯原発再稼働反対の反原発派の論理は、再稼働することで危険が増加するということだろう。本当にそうなのか。原発は再稼働しようが停止しようが、いずれにしても危険性には変わりはないのではないか。
福島原発では制御棒が降りたけれども、冷却用の水が払底して メルトダウンを起こしたのである。原発の稼働とは制御棒を引き抜いて核分裂反応を起こさせることだが、福島原発では制御棒が降りた状態すなわち停止状態になったにも関わらず、地震か津波が原因で冷却用水の電源が失われ、冷却用水の払底からメルトダウンが起きたのである。つまり大飯原発をはじめ全ての原発は停止状態にあっても、地震や津波が襲えば、福島原発の事故と同じ状況になる可能性があるということである。メディアでも一般の人々も、まるで原発を停止すれば安全かのような報道や受け止め方をしている。原子炉が停止するのが安全などころか、福島4号機のように原子炉容器から核燃料棒を取り出して、制御棒もないプールに格納している方がはるかに危険だということが明らかになっている。
原発の安全性を確保しようと思えば、原子炉を解体し、核分裂反応が起きないように処理をした上で核燃料を地中に埋める以外に方法はない。しかし、現在の原子炉を廃炉にするには短くても20~30年はかかる。この間原子炉を稼働しようが停止しようが安全性に変わりはないとするなら、むしろ稼働できるものは稼働して廃炉のための資金を準備した上で、古い原子炉から順次廃炉にしていくのが最も現実的な方法であろう。
資金の面だけではない。私が昨年来一貫して主張している技術者不足により廃炉ができない事態を避けるためにも、順次廃炉にする以外に現実的な方法はない。日本中の原子炉を同時に廃炉にできるほどの人的資源は今の日本にはない。それどころか今後ますます人材不足が深刻化していく。今朝(2012年6月25日)の『産経新聞』(東京版3面)に「原発技術者の卵、各大学院で減少、将来性懸念か」によれば、福島原発の事故以来、原子力発電の技術者を目指す学生が激減しているという。減少しているのは将来の上級技術者だけではない。原子力発電所の建設に従事してきた現場の作業員も減少している。
原子炉を廃炉にするには単純に考えれば、少なくとも建設に従事した人数に匹敵するだけの技術者、作業員がいる。脱原発だからといって、今の人的資源だけで今すぐ全ての原子炉を同時に廃炉、解体していくことは不可能であるばかりか、今後20~30年にわたって廃炉に必要な人材をどのように確保するのか。廃炉にするための原子力技術を、誰がいかに継承していくのか、脱原発の議論からはこの視点がすっぽり抜け落ちている。
止めても動かしても危険に変わりがないのなら、動かして廃炉のための資金を調達し、同時に廃炉のための技術を継承することが最も合理的な政策ではないのだろうか。廃炉、脱原発を叫ぶだけでは、これまでも現実的な代案を提示できないために何度も失敗してきた、そして結局原発の恩恵を享受してきた脱原発運動の二の舞である。
2012年6月12日火曜日
武器輸出三原則は国家戦略だ
武器輸出三原則について、いささか蒙を啓かれる思いをした。先日(2012年6月2日)の「日本防衛学会」のシンポジウムで、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員(訪問)の森本正崇氏(元防衛庁官僚)が、武器輸出三原則は外為法の下位規範であると、あらためて出席者の注意を喚起した。言われてみれば、その通りである。同席していた西山淳一(元三菱重工業(株)航空宇宙事業本部副事業本部長)氏の資料にも、外為法48条第1項に基づき輸出貿易管理令別表第1が定められ、そのさらに第1項に武器およびその部分品(武器輸出三原則等)が書き込まれている。武器輸出三原則によって、日本の武器輸出が法的に禁止されているわけではないのだ。いわゆる「武器」輸出を法的に規制するのは外為法なのである。では武器輸出三原則とは何か。それは、政府の政令の運用基準でしかない。
運用基準であるが故に、政府が基準を緩和すれば「武器」輸出ができるかと言えば、そうではない。上位規範である外為法による法的規制は依然として有効である。逆に言えば、「武器」の輸出は、武器輸出三原則があろうがなかろうが、基本的には外為法によって法的に規制されているのである。また対象とされる武器の定義も武器輸出三原則では「軍隊が使用するものであって,直接戦闘の用に供されるもの」と、きわめて曖昧である。だから状況次第、判断次第ではなおかつ外為法に反しないものなら、たとえば対米技術供与、対人地雷除去器材そして今般のBMD日米共同開発等のように、三原則の例外として認められる場合がある。
しかし、武器輸出三原則はもはや単なる政令の運用基準を越えて、いまでは非核三原則とともに平和憲法を具現化する外交上の宣言政策の一つとなってしまっている。したがって、武器輸出三原則を兵器メーカーの経済問題や航空機や艦船の高度技術の継承問題の視点から考えることは根本的に間違っている。国家戦略、安全保障戦略の視点からしかこの問題は議論できない。武器輸出三原則が外交上いかなる得失をもたらすかが重要なのである。あたりまえのことなのだが、どうもこの視点からの議論があまりなされていない気がする。
国家戦略から武器輸出三原則を議論する場合、次のような問題を考慮しなければならない。
第1に日本のソフトパワーの源泉となりつつある平和憲法との比較考量が必要となる(ちなみにこれまで日本のソフトパワーの二本柱であった経済力も技術力も陰りがでてきた現在、平和主義というソフトパワーが相対的に力を持ち始めている)。しかし、ハードパワーとしての兵器輸出とソフトパワーとしての平和主義ではゼロサム・ゲームとなり、あちらを立てればこちらが立たずということになる。
第2に兵器会社や技術継承のために兵器輸出を考えても、そこには米国との同盟関係を無視することはできない。加えて中国の動向や輸出相手国を取り巻く軍事バランス等安全保障環境も考慮しなければならない。また相手国が独自生産体制を確立したり相手国と敵対関係になった場合等、兵器の技術移転に伴うリスクも考慮しなければならない。だからこそ中長期的な国家戦略が必要となる。
他方、平和主義を主張して、一切の武器を輸出しないということも現実には不可能である。というのもそもそも武器とは何かが具体的、個別的にはなかなか定義できないからである。
ミサイル、駆逐艦、潜水艦、戦車、戦闘機、銃・砲など、これらはすぐに武器だとみなすことができる。しかし実際には、北朝鮮が主張したように弾頭部分に火薬ではなく衛星を積めばミサイルではなく単なるロケットになる。戦車から砲をとれば単なる重機になるし駆逐艦や潜水艦から兵装を外せば単なる船でしかない。戦闘機からミサイルを外せばやはり飛行機でしかない。では、銃・砲が武器なのかといえば、弾がなければ銃・砲は単なる鉄の筒だ。では弾が武器なのかといえば、火薬がなければ弾もまた鉄の固まりでしかない。では火薬が武器なのかといえば、炸薬用の火薬は雷管で爆発させなければただ燃えるだけだ。では武器とは結局雷管のことなのか。つまり、武器は、何万もの部品から成り立っており、その一つ一つは「戦闘の用に供する」武器ではない。またこれらの部品のほとんどは軍民両用のいわゆるデュアル・ユース技術であり、したがってこれらの部品を全て輸出禁止にするのは不可能である。
結局のところ、武器輸出三原則の原則はあくまでも原則として維持する一方、かつてPKO活動や人道支援に必要になったために地雷探知機や地雷除去ブルドーザーを例外扱いしたように、その時々の安全保障状況を考慮しながら、個別に判断する以外にない。要は、その個別に判断する基準が単なる武器かどうかということではなく、武器輸出が日本の外交にもたらす得失や戦略環境に与える影響等、日本の軍事戦略や国家戦略に基づいて判断しなければならない。なぜなら武器輸出三原則は、今や武器輸出を自制するための政策ではなく、平和憲法を具現化した国家戦略となっているからである。
2012年5月19日土曜日
電力不足は生き方の選択だ
関西電力が資料を出さない、出してきた数字は信用できないなどとたたきにたたかれている。関西電力(および経済産業省。以下同じ)の意図は明々白々である。何としても原発を再稼働させたい、ということである。今朝(5月17日)のテレビ朝日で放映していたが、小型の火力発電装置を大量(リースできるとのこと)に使用すれば、実は関西電力の云う不足分の電力は補えるというのだ。それよりも原発が動かなくなることを見越して昨年から製造を発注していれば電力不足騒動など起きなかったはずだ、とも云う。にも関わらず、関西電力がなぜ準備しなかったかといえば、原発を再稼働させたかったからだ。
もし電力不足に備えて昨年から準備していれば、原発を再稼働させなくても電力が足りる。そうなれば、国民世論は間違いなく原発の再稼働を認めず、日本全国の原発は全て一気に廃炉ということになりかねない。このことが電力会社のみならず日本の産業や社会に与える影響はきわめて大きい。
あらかじめ、私の立場を明らかにしておくが、以前にも小ブログで記したように、私は脱原発派である。なぜなら、技術者がいなくなる前に原発を廃炉にしなければならないからである。これほどの電力会社に対するバッシングの中で、ましてや反原発世論の中で、一体誰があらためて原発技術者になりたいと思うだろうか。原発の研究者を目指して大学に入りたいなどと思う若者がいるだろうか。また電力会社が独自で養成してきた原発の技術者がこれからもずっと電力会社で働き続けていくであろうか。優秀な研究者、技術者ならさっさと見切りを付けて外国の原発会社で働くことを選択するだろう。なにも嫌われながら、蔑視を浴びながら会社や日本のために働こうなどと考える奇特な人はそんなにいないだろう。2011年度に東電を依願退職した人数は460人と平年の3.5倍に上るという。恐らく今後はその数はますます増えるだろう。給与カット、リストラ、社会からの蔑視、差別等で転職できる、つまりは優秀な社員は次々と止めていくだろう。だからこそ技術者がいなくなる前に廃炉の方法を確立しておかなければならない。さもなければ、やがてはフチンスやアメリカなど外国の会社から技術者(その中には元日本の原発技術者もふくまれるようになるかもしれない)を雇って、日本の原発の管理をしてもらわなければならなくなるだろう。
さて全ての原発を廃炉にした場合、電力会社の経済的負担がどのくらいになるのか素人には見当もつかない。これまで原発に投資した資金は全てむだになる。また建設中の原子炉、ほとんど使用しない原子炉も含めて廃炉にかかる費用がどれだけの金額になるのか。原発の代わりに新たに火力発電所(小型の発電装置かもしれない)の建設が必要になる。再生可能エネルギーは遠い将来の話しであって、現時点では原発の代わりにはならない。またどう考えても再生可能エネルギーに補助金を付けて、さらに高額で買い取る制度は、太陽光発電などに投資できない大多数の貧困層には不公平である。補助金は税金で、余剰電気の買い取りは電気料金で負担するなど、消費税増税よりもはるかに不公平で、正気の沙汰とは思えない。再生可能エネルギーの問題に加えて、代替の火力発電にもいくつかの問題がある。
第一は、石油をはじめ天然ガスやシェール・ガス等を外国から輸入しなければならないが、そのコストを一体誰が、どのようにして負担するのか。
一部の人からは、シェール・ガスや天然ガスは産出量が増えているから安く買えるという楽観論がある。この議論には盲点がある。つまり日本に大量のエネルギーを買う外貨があれば、ということである。つまり、今後廃炉や火力発電への転換で電気料金は間違いなく上がる。となれば、高い電気料金を嫌って、国外に製造業が移転する可能性が高い。となれば、日本の経済力は低下し、外貨をこれまでのように稼ぐことができなくなり、結果、いかに石油や天然ガスの価格が低下しても、十分な量のエネルギーを輸入できなくなる恐れがある。
第二は、地球温暖化問題をどうするのか。脱原発派からは山本太郎のように、フクシマの惨状を見れば、外国も日本のCO2削減も猶予してもらえるはずだ、との甘ったれた予測をする者もいる。2011年に南アフリカで開かれたCOP17で京都議定書の延長参加を拒否した日本は削減に後ろ向きだということで化石賞を受賞するほどに非難の対象となったのだ。また広瀬隆のように、そもそも温暖化などない、という脱原発派もいる。そうは言っても、いまさら温暖化はないなどと国際政治の中では通用しない。温暖化は科学の議論ではなく政治の問題だからだ。
いかに天然ガスやシェール・ガスのCO2排出量が石油より少なくても、排出することは間違いない。では2020年までに25%を削減するという日本の国際公約をどうするのか。前環境事務次官の小林光は25%を堅持し、省エネ、新技術の開発で達成すべきだという。他方、元経済産業省で、日本経団連のシンクタンク「21世紀政策研究所」研究主幹の澤昭裕氏は「25%削減を省エネだけで達成するのは無理」という。小林氏の予測があたることを祈るが、最悪の場合、25%の削減量を達成できない場合には排出取引で外国から排出権を買うことになるのだろうか。その額は一体どれほどになるのだろうか。
脱原発に舵を切っても、当面火力に頼らなければならない現状では、脱原発派が期待するほど将来は明るくない。技術力、経済力の低下は生活レベルの低下すなわち貧困をもたらす。結果的に医療、福祉の低下から寿命は確実に短くなるだろう。だからといって原発再稼働も、たとえいかに安全性を強調されても再び事故が起これば、国家としては二度と立ち上がれないほどの危険性を孕んでいる。脱原発、原発再稼働、いずれを選択してもバラ色の未来はない。昔、環境問題が話題になるたびに、訊かれた選択肢と同じである。青空の下でのにぎり飯か、スモッグの下でのステーキか。関西電力の問題の本質は、日本人の生き方の選択である。電力不足などではない。
2012年5月14日月曜日
技術「大国」日本の現実
今日(2112年5月13日)興味深い記事が『朝日新聞』に掲載された。半導体製造装置で日本勢がオランダの会社に遅れをとっているという内容だ。80年代には日本の独壇場だった半導体や半導体製造装置で今では海外勢に売り上げで大きく水をあけられているという。うかつにも、円高や人件費の高騰など経済環境の悪化が日本の半導体産業を弱体化させているとばかり思っていたが、そうではなかった。日本は技術で完敗したのだ。
半導体の露光装置ではかつてはニコンとキャノンが世界の7割に達していたが、現在はオランダのASLMが8割を占めているという。たまたま今日テレビ東京で日本のモノヅクリの特集をしていたが、その中でニコンのレンズ造りの達人を紹介していた。しかし、そのレンズが使われる露光装置ですでにニコンは経営戦略上の大きな判断ミスを犯して、せっかくの達人の技術も十分にいかせていないことがわかった。
ちなみにモノヅクリという言葉が人口に膾炙しはじめたのはここ15年のことらしい。つまり日本がデフレを脱却できず、経済でじり貧状況に陥った時に、経済力に代わる日本の新たなアイデンティティーとして技術力が叫ばれたのだろう。
たしかに日本は依然として素材技術力、部品技術力はあるのだろう。しかし、統合的な技術力は、新しいモノを生み出す創造的な技術力はあるのだろうか。以前にも記したが、その象徴はやはりソニーだ。ソニーはウォークマンで音楽文化を変えるほどの衝撃を与えた。それは技術力ではなく企画力だった。同じように技術力ではなく企画力で成長したのがアップルだ。アップルの基本技術はほとんど既存の他社の技術だ。それをうまく一つにまとめる企画力こそ、故スティーブ・ジョブズの卓越した能力だ。本当ならソニーこそがiPodやiPhoneを開発していなければならなかった。
しかし、ソニーはウォークマン以後、ジャンクな製品しか生み出していない。外国人社長を雇ったのがまちがいだったのかもしれない。一体ソニーは何の会社なのだろうか。昔、日本の三大虚業と言われたのがソニー、サントリー、西部デパートだった。バブルの頃これらの会社は夢ばかりを売っていた。その西部デパートは衰退し、ソニーもまた凋落の一途である。唯一サントリーだけが、ビールやウィスキーで一息ついている。
技術力はたしかに必要だ。その一方で新しい世界や社会を創り出す企画力が何よりも重要だ。サンリオのキティーを見習って、ソフトパワーに力を入れるべきだろう。かつて日本が米国の技術力を打ち負かし自動車産業を興隆させたように、今ではテレビ、家電製品で韓国、中国が日本を追い上げている。こうした分野での技術力競争よりもアップルのような企画力に秀でた会社をたちあげる必要があるだろう。技術大国日本というのは単なる日本人の思い上がりにすぎないかもしれない。
2012年5月6日日曜日
日本の原発が全て止まった
日本の原発が全て止まった。止まったからといって停電がすぐに起こるわけではないので、ほとんどの人がまだ電気は足りていると思っているらしい。
電力問題を考える時に混乱するのは、足りている、不足しているという日常感覚が通用しないことだ。日常生活に関わる物資のほとんど全てが、時を越えて、あるいは無視して蓄えることができるものだ。つまり時間という要素が無視できる。だから備蓄すればたいていの場合解決する。それと同じ感覚で電力不足問題を議論している場合が多い。実際には、電力が余っているといっても、それを貯蔵することは、揚水発電のように重力エネルギーとしてエネルギーを水に変換して貯蔵する以外に実用的に有効な方法はない。
電力が余っているということは、需要予測に基づいて供給能力が上回っているということであって、電気が貯蔵されて余っているわけではない。この需要予測が不確かで、不足派は需要予測を高めに見積もり、充足派は低めに予測する傾向がある。今は不足派の電力会社や政府の信用が失墜しているので、電力は余っているという充足派が優勢だ。しかし、両者とも天候等の自然要因や社会、経済活動などの人為要因など多くの不確定要素に依拠しており、どちらか一方が正しいと断定することはできない。
実際、専門家の予測ほど当てにならぬものはないというのが今回の大震災の一般人の教訓だったから、不足派、充足派のいずれの専門家も不信感でしか見られていない。これがなによりも大きな問題だろう。予想がはずれたからといって責任をとった専門家、研究者、学者など東日本大震災でも聞いたことが無い。電力不足問題は人の生死に直結する問題である。はずれた場合の責任のとり方を明確にした上で、不足派、充足派のいずれの専門家も需要予測をすべきではないか。
電力需給は逼迫しているが節電で乗り切れるという説も根強い。しかし、昨年の夏に節電をして、相当程度節電は進んでおり、素人判断でも、これからさらに節電をするのは相当厳しいのではないか。だからだろう、九州電力がピーク時の節電を促すために、一般家庭を対象に時間別料金制の実証実験に入るという。アホなコメンテーターが「よいことだ」と推奨していたが、基本的に貧乏人は暑くても冷房は使うなということだ。時間別料金制が本格導入されれば、生活保護世帯や年金暮らしの高齢者など貧乏人に熱中症で死亡する人が続出するだろう。時間別料金制は、高齢者や病人をさっさとあの世に送って年金や医療保険問題を解決しようとする政府の陰謀ではないかと思う。
また環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は、節電の方法の一つとして契約アンペア数の引き下げを提言している。「たとえば、60アンペアなら50アンペアに、50アンペアなら40アンペアに、といった具合である。引き下げ効果の歩留まりが50%と仮定すれば、合計で約2500万kWある家庭・小口の最大電力量に対して、約250万kW引き下げることができる」。まったくその通りである。本ブログでも以前提案したことがある。
しかし、これは家庭の電力使用に20%の無駄、もくしは削りしろがあることが前提である。実際には20%カットすれば、ほとんどの家庭で日常生活に大きな不便をきたす。たとえば普通のマンションでは40アンペアが普通である。オール電化の高級マンションになれば50、60アンペアはあたりまえだろう。各家庭は、契約アンペア数を前提にして通常電化製品を購入している。というよりも、普通よほどのことが無い限り、契約アンペア数など気にせず電化製品を使用している家庭がほとんどのはずだ。結果、契約アンペア数ギリギリになっている家庭が多いのではないか。
ちなみに40アンペアだと、省エネ型であってもエアコン二台、掃除機、電子レンジを使用すると、他の照明器具、テレビを含めて、まずブレーカーが落ちる。30アンペアにするとエアコンを二台使うのはほぼ無理である。一旦契約アンペア数での生活になれてしまうと、そこから20パーセントカットするのは面倒このうえない。常に電化製品のアンペア数を計算しながら生活しなければならなくなる。
以前、林真理子がエッセーで、実家のアンペア数が低くて、二部屋それぞれについているエアコンを二台同時に使えない不便さを嘆いていた。こうした不便に一般家庭の人がどれほど耐え忍べるかが節電の鍵となる。だから50パーセントの人しかアンペア数は引き下げないと飯田氏は判断したのだろうが、50パーセントの根拠は全く無い。電力会社にわざわざきてもらって室内工事をしてまで契約アンペア数を引き下げようとする人がいるだろうか。ましてやそれを強制的に行うことは尚更むずかしいだろう。
電力不足問題が起きる三年前に、私は契約アンペア数を40から50に引き揚げた。独り暮らしでなぜ引き揚げが必要かといえば、猛暑や厳冬時にエアコンを二台使用したところ、オーブンレンジや照明を付けただけで、ブレーカーが落ちてしまい、パソコンのデータが消失するという苦い経験が続いたからである。冷蔵庫、ウォシュレット、テレビ、ビデオ等の待機電力も馬鹿にならない。だから、まさかの時に備えて、契約アンペア数は変更しないほうがいいという専門家もいる。
結局のところ、不足派も充足派も議論の中心が電力の不足、充足にある限り、電力問題は解決しない。電力問題は結局のところ、わが国の国の有り様、エネルギーをどうするかという問題だからである。飯田哲也氏が日本の電力需要はここ10年減少していると主張している。それはそうだろう。デフレで経済活動が停滞すれば電力需要も低迷する。経済活動が上昇する中で電力需要が減少するのならそれはすばらしいことである。しかし、人口も減り生産活動も海外に移れば、電力需要が減少することは素人にもわかることだ。省エネをいくらしても経済活動を拡大しGDPを引き揚げようとすれば、エネルギー消費量が増えるのは当然である。それが証拠に、1974年のオイルショック以降日本では世界で最も省エネが進んだ国だったが、電力消費は右肩あがりである。
問題は、日本は将来も経済活動を今後も活発化させていくのか、究極のところ再生可能エネルギーだけに依拠していた農業時代に戻りブータン化していくか。電力不足問題が問うているのは、わが国の将来である。
2012年5月5日土曜日
日本に憲法は無い
憲法は国民が国家に守らせるべき約束である。決してその逆ではない。なぜなら近代国家は社会契約に基づく国民と国家の契約によって成り立っており、憲法は国民に対する国家の契約、約束事だからである。したがって国民は国家がこの契約を守らない、守れないなど契約違反があった場合には、国民は国家との契約を見直す、すなわち憲法を改定する権利、時には武力をもってしても政府を交代させる権利、革命権を有する。だから各国とも憲法は時代に合わせて改訂している。
翻ってわが日本では憲法改定はきわめて困難である。なぜならわが国憲法とりわけ憲法9条は国家と国民との契約ではなく、むしろ日本国家、国民のアイデンティティーとなっているからである。日本国憲法は憲法ではない。あえてそれを憲法というのなら、「和を以て貴しと為す」という日本人のアイデンティティーである聖徳太子の一七条の憲法と同じである。日本の平和憲法は「世界遺産」だと評価する護憲派も、「押しつけ憲法」だと批判する改憲派もともに日本国憲法が成文の契約だと誤解している。日本には憲法、厳密には憲法9条は無い。あるのはアイデンティティーとしての憲法9条、「和を以て貴しと為す」との平和思想である。無いものを護ることも改めることもできない。
日本国憲法が日本人のアイデンティティーとなっていることを如実に現しているのが、沢田研二が歌う「我が窮状」であろう。どこの国に憲法を擬人化して、その「窮状」を訴える国家、国民があろうか。沢田研二だけではない。作曲家の外山雄三も憲法九条の曲をつくっている。彼以外にも憲法に関する曲は多くつくられており、なかにはベートベンの「第九交響曲」のもじりで「第九条交響曲」もある。九条だけではない。日本国憲法前文の歌まである。歌で驚いてはいけない。読経ならぬ憲法九条を念仏のごとく唱える「読九の会」、写経ならぬ写九の会まである。擬人化され、経典のごとくに扱われる憲法を憲法と呼んでいいのか。憲法は国家と国民の契約という近代国民国家の常識は、こと日本においては全く通用しない。近代国家の常識から言えば、日本は全くの無憲法状況なのである。この自覚こそが、護憲派にも改憲派にも求められる。
無憲法状況だからこそ、護憲派が懸念するように、状況に応じて日本国は自衛隊も持てば、その自衛隊も海外に派遣されるのである。憲法九条は「和を以て貴しと為す」に連なる日本人のアイデンティティーである。であればこそ、護憲派にはその実践が求められる。その実践とは国内で歌ったり、踊ったり、唱えたり、改憲反対のデモをしたりすることではない。憲法前文や憲法9条の実践である。たとえば自衛隊に代わり「憲法九条部隊」を編成して海外で紛争を非暴力で解決する実践活動である。その実践を通して憲法9条の精神すなわち日本人のアイデンティティーを広く国外で理解してもらい、日本の平和を護るのである。国内外でいくら憲法9条を主張しても、紛争解決の実践がなければ、偽善にしかすぎない。
他方改憲派も自主憲法制定や改憲など諦めたほうがよい。前述したように憲法九条は国家と国民の間に交わされた契約ではない。憲法九条をすなおに読めば(憲法は国民と国家の契約だから最大多数の国民が理解できるように、その内容は義務教育を終えた国民、最近の言葉で言えばB層の一般大衆が理解できるレベルでなければならない。憲法学者の解釈は憲法学や自らの権威のための解釈でしかない)、自衛隊は違憲であり自衛権も放棄している。
ただし、ホッブズがいうように、国民を守らないという契約は無効である。したがって、武力も自衛権も放棄するという憲法を持った国家は、社会契約説に基づく近代国民国家ではない。もっとも武力以外で国民を護るという契約はありうるという反論が聞こえそうだが、それは国家が暴力の排他的独占主体であるという国家の本質そのものに反しており、武力以外で国民を守るという契約はありえない。国家は対外的脅威だけでなく、国民間の暴力を武力で制約しなければならず、対外的には軍事力は行使しないが、対内的には警察力を行使するというのは論理矛盾である。軍事力も、警察力も国家の暴力であることにはかわりはない。だからもし改憲派が懸念するように外敵の脅威が心配なら、カントも提唱している民兵組織を創設すべきである。憲法九条は国家の武装は禁じているが、個人の武装は禁じていない。国民有志が武装して国土防衛に徹する民兵部隊をつくることの方が、事実上実現不可能な改憲運動をするよりはよほど現実的である。
毎年五月になると護憲、改憲の声が喧しい。もはや年中行事であって、内容空疎な議論が繰り返されている。護憲派が主張するように、護憲運動があったから憲法が護られてきたわけではない。憲法九条を護ったのは、皮肉にも憲法九条が否定する日米安全保障体制である。また改憲派が主張するように、米国から憲法を押しつけられたわけではない。実質的にはともかく形式的には国会で承認したのである。承認する代わりに日米安全保障体制の下で安全保障よりも経済発展を優先させたのである。いまさら憲法押しつけ論を主張するのは対米信義に悖る。いずれにせよ戦後一貫して日本には近代国民国家でいうところの憲法はなかった。あったのは日本人のアイデンティティーとしての憲法と、実質的に憲法9条を運用、解釈した米国の対日政策だけである。
さて護憲派、改憲派ともに考えなければならないのは、「国民国家というビッグ・ブラザーが壊死し、リトル・ピープルの時代」(宇野常寛『リトル・ピープルの時代』)となった現状をどのように考えるかである。憲法は国家と国民の約束である。その国家が壊死した現状では国民は国家と約束することはできない。つまり憲法は実質意味をなさず、国民は無憲法状況に置かれる。無憲法状況に置かれる国民は国民足り得ず、リトル・ピープルすなわちホッブズのマルチチュードに解体していくしかない。改憲派、護憲派の運動はそのベクトルは逆向きでも、結局は国家というビッグ・ブラザーの再生を求めた運動でしかない。
今われわれに求められているのは、国家との約束である憲法の護憲、改憲の問題ではなく、リトル・ピープル同士の契約をいかに結ぶかという問題である。「神無き地上において秩序は如何に可能か」というホッブズの問いかけをもう一度考えるところからしか、憲法問題の解決はありえない。
2012年5月4日金曜日
村上春樹とホッブズ
遅ればせながら村上春樹の『1Q84』ブック1を読んだ。本筋とは関係ないが、天吾と編集者小松のやりとりから村上春樹がどのように小説を書いているか、その一端がわかった。それにしても微に入り細を穿った過剰なまでの性描写がへきへきするくらい多い。私は小説家にはなれそうにもない。
ところで、ブック1ではリトル・ピープルの存在が暗示される。1Q84がオーウェルの『1984』のもじりであるところから、リトル・ピープルがビッグ・ブラザーの対意語であることは容易にわかる。このリトル・ピープルを手がかりに村上春樹を評論しているのが宇野常寛の『リトル・ピープルの時代』である。
一年前に話題になったこの本を発売と同時に買って読んだが、その時は『1Q84』を読んでいなかったので、あまり理解できず、途中で投げ出してしまった。しかし、ブック1を読んでから再度読み直してみるとリトル・ピープルの時代という宇野の問題意識が今度ははっきりとわかった。国家というビッグ・ブラザーや共産主義、革命といった大きな物語が終焉した後の時代にわれわれは生きている、そこにいるのは個々人に解体されたリトル・ピープルであり、物語の無い、暴力の横溢する時代だ、というのが村上春樹に対する宇野の評論である。宇野によれば、村上は1970年代の小説執筆当時から、こうした問題意識を秘めながら小説を展開していったという。
ビッグ・ブラザーに対するリトル・ピープルという村上春樹の問題設定は、なんのことは無い、ホッブズが描いたリヴァイアサンに対するマルチチュードに他ならない。つまり宇野の云うリトル・ピープルの時代とは国家が解体した後の「自然状態」ということだ。そこでは暴力はビッグ・ブラザーすなわち国家同士の国家間戦争ではなく、リトル・ブラザーすなわち個人や共同体同士のテロや暴力という形で表出してくる。だから村上は連合赤軍やオウム真理教を下敷きにしながら、1Q84を執筆したのだろう。
今われわれは国家や共産主義という大きな物語を語ることができない。国家や革命に自らのアイデンティティーを仮託することはもはや不可能な時代となった。だからこそ、宇野も論評するように、80年代にオカルト・ブームが訪れたのである。しかし、ホッブズが指摘するように、マルチチュードは自然状態のつらくて苦しい生活から逃れようとみずからの権利を一人の人間に譲渡し国家をつくったのである。全く同じ理由からオウム真理教に集まったリトル・ピープルは麻原彰晃に全てを委ねて擬似国家を作ろうとしたのである。
ホッブズは「聖俗分離」の宗教改革や宗教戦争後の「神無き時代」という当時のヨーロッパにあっては絶望的な時代に、何をもって秩序の形成は可能かということを考えた。そして彼が得た結論は、マルチチュードの絶望と恐怖を国家というリヴァイアサンによって救うという方法だった。たしかにマルチチュードは国民となりリヴァイアサンの王国にいる限り外敵の脅威からも国内の国民同士の暴力からも安全であった。ところが、ホッブズが思い至らなかったのは、リヴァイアサン同士が戦うという国際社会における自然状態であった。結論を言えば、リヴァイアサンの戦いはアメリカというリヴァイアサンの勝利に終わった。その時、リヴァイアサンの戦いという大きな物語が終わった。
では、世界にはアメリカというリヴァイアサンだけが生き残っているのか。そうではない。リヴァイアサンはライバルであるリヴァイアサンがいてこそリヴァイアサン足り得るのである。ライバルを失ったリヴァイアサンは外敵から国民を守るというリヴァイアサンとしての存在意義を失ってしまった。またアメリカというリヴァイアサンがグローバルに拡大したためにリヴァイアサン内部の国民同士の暴力を管理するという役割がみずからの手に負えないほどに拡大した。アフガン、イラクにおける対テロ戦争で明らかなように、アメリカも管理不能な状況になりリヴァイアサンの力を失ってしまった。つまりわれわれはグローバルな自然状態の時代に今、生きているのである。
村上春樹の問題意識は、多くの人々が共有する。最近ではネグリとハートの『<帝国>』はまさにその代表であろう。自惚れを許してもらえるなら、私は80年代から一貫してリトル・ピープルの叛乱であるテロとその時代背景を追いつづけてきた。そして結論は、ホッブズが問いかけた問題すなわち「神無き地上における秩序は如何にして可能か」というホッブズ問題の解決にあるということである。
ホッブズは神に代わって「国家」という地上における「神」を創造し、この問題を解決しようとした。しかし、その地上の「神」も死んだ。今再びわれわれは自然状態の中に暮らしている。しかもそれはホッブズの時代と違ってヨーロッパにとどまらない。全地球に広がっている。そこにわれわれはリトル・ピープルとして今暮らしているのである。
この問題を解決するには連合赤軍のように共産主義という物語を実現することでもなければ、オウム真理教のように再び地上における「神」を創造することでもない。また反米主義や反自由主義といった存在もしない亡霊と戦うことでもない。こうした外部に敵をつくる方法で秩序を形成することはできない。自然状態では、もはや外部に敵はいない。村上春樹が描くように、自らの暴力性を自覚し、それを自制してこそ秩序が形成される。
2012年5月3日木曜日
チアダンス優勝に見る日米文化の融合
大学で顧問をしているソングリーディング部クリームが、4月28、29日の両日フロリダ州オーランドにあるディズニー・ワールドのエプコット・センターで開催されたIASF(International All Star Federation)&USASF(United States All Star Federation) 主催のチアダンス世界大会のオープン・ジャズ部門で世界チャンピオンになった。これまで2008年、2009年、2010年(2011年は大震災の影響で出場を断念)と3回続けて2位と、シルバー・コレクターだった。しかし、四度目の正直で、ついに今年、永年の宿敵カリフォルニアのダンス・カンパニー「ペース・エリート」を打ち破り念願の優勝を果たした。この大会の前にやはりディズニー・ワールドのスポーツ・センターで開催されたICU(International Cheer Union) 主催の2012年World Cheerleading Championshipsではペース・エリートに僅差で破れ、2位に甘んじた。その悔しさをバネにシルバー・コレクターの名を跳ね返すべく、21人の学生が頑張った結果、初の優勝を獲得できた。
両大会について簡単に触れておく。前者のIASF&USASF主催のチアダンス世界大会は、世界中から集まったダンス・チームが部門別にその技を競う大会である。中心はやはりチアダンスが普及している米国、メキシコ、カナダ等北米、南米のダンス・チームが中心である。他方、ICU主催の大会は各国から部門毎に選抜されたダンス・チームが参加する大会である。日本からは桜美林がOpen Jazz部門、ダンス・チームPLANETSがOpen Pomに、ダンス・チームDSF BrilliantsがOpen Coed Hip Hop等に参加した。参加国は世界数十ヶ国に及ぶ。しかし、各国のダンスのレベルにはかなりの差がある。オリンピックと同じで、参加することに意義があるとしか思えない国のチームもあった。実質的には、前者の大会が事実上の世界チャンピオンを決める大会となる。
両大会を通じて日本チームはめざましい活躍を果たした。とりわけ事実上の世界チャンピオンを決めるチアダンス世界大会の結果は、Open Jazzで 桜美林のCreamが優勝した他に、Senior PomでGolden Hawks、Open Hip Pop でGolden Hawks、Open Coed Hip Popで DSF Brilliantsとなんと8部門のうち4部門で日本が1位を獲得、Open Pomで Planets Dance Companyが2位となるなど米国に次ぐ成績を挙げた。外国勢で一位をとった国は日本以外になく、メキシコ、イギリスが一部門ずつ3位に入ったにすぎない。あとは全て多数のチームが参加した米国がメダルを獲得した。逆に、多数の米国チームを破った日本のダンスのレベルがいかに高いかの証明でもある。両大会には中国のチームも多数参加したが、素人目にもまだまだの感がある。ジャズやヒップ・ホッブのダンス文化がまだ根付いていない。ただし、その技量は年々あがっている。
ダンスにも日米の国民性の違いが出るものだ。一言で言えば日本は和、米国は個が特徴だ。全体の統一性、同調性は日本が上回っている。全員が一糸乱れず、頭から爪先まで緊張感にあふれた踊りをする。他方、個々人の技量では米国が上回っている。回転する時に軸足がほとんどぶれない。体力もあり、一人一人の踊りが非常にエネルギッシュだ。また体格的にも最近は日本も見劣りしない。昔は胴長短脚でダンスにはあまり向かないと思われていた日本人だが、最近は手足の長い外国人体系の女子も多くなってきている。むしろアメリカ人に手足は長い太り気味のダンサーが多く目につくようになり、日本人の方が見栄えがよくなっている。もっとも太ったダンサーのヒップ・ホップは、それそはそれで迫力があり面白い。
ダンスの世界での日米の実力の伯仲は、ある意味ディズニー・ランドやセブン・イレブンに似ている。両方とも米国発の文化や会社ではあるが、日本に導入されて、むしろ本家をしのぐ、あるいは本家とは違った文化や会社としてグローバルな文化や会社となっている。もともとディズニーやセブン・イレブンは日本にアメリカン・スタンダードをおしつけようとした。しかし、結局日本はアメリカン・スタンダードを換骨奪胎し、むしろより普遍的なグローバル・スタンダードを確立し、日本文化でも米国文化でもないあらたな世界文化や会社を構築していったように思える。小難しく言えば、日米文化の対立が止揚されて新たな世界文化を生み出している。今回のダンスの結果も日本、米国の文化を超えた新たなダンスの文化を生み出す契機となるだろう。アメリカン・スタンダードが世界標準ではないことを、桜美林大学のクリームだけではなく日本のダンスチームが今回のダンス世界大会で見事に示してくれた。
2012年4月4日水曜日
エネルギー問題の複雑さ
旧聞に属するが、エネルギーに対する新たなパラダイムを中沢進一が『日本の大転換』で披露している。原子力発電について、彼はこう記している。「原子炉で起こる核分裂連鎖反応は、生態圏の外部である太陽圏に属する現象である」。これとは対照的に「石油や石炭を使った他のエネルギー利用とは、本質的に異なっている」(22頁)。
全く中沢の指摘の通りである。つまり、われわれは太陽からのエネルギーとは全く無関係の核分裂エネルギーを地上で創り出し、利用してきたのである。原子のエネルギーが取り出せれば、人類は永遠のエネルギーを手に入れることができる。しかし、残念なことに、核融合エネルギーである太陽エネルギーとは異なり、核分裂エネルギーである。核分裂エネルギーはプルトニウムを生産する増殖炉が実現すれば、人類にとって永遠のエネルギーになるはずだった。たった一つの問題を除けば。それは核のゴミ処理問題である。今のところ核廃棄物を処理する方法は見つかっていない。その意味では、核分裂エネルギーを利用した原発は欠陥のある技術である。たしかに、吉本隆明のいうように科学技術の進歩をとめることはできない。とはえい、少なくとも核分裂から核融合へ、あるいは核分裂エネルギーから太陽エネルギーや核融合エネルギーなど他のエネルギーへと科学技術の方向を変える必要はあるだろう。
とはいえ、新たなエネルギーとして太陽エネルギーにもバラ色の未来があるとは思えない。
現在地球上に70億人もの人類が生存している。これほどの人口増加したのも、ひとえに化石燃料のおかげである。単純に計算して、人間一人が生命を維持するのに必要な最低限のエネルギー総量は決まっている。太陽エネルギーを植物が蓄え、蓄えられた太陽エネルギーは草食動物によってさらに蓄積され、それを肉食動物や人間のように植物や動物も食べる雑食動物が食べて生存している。つまり生命の全てのエネルギーの源は太陽にある。
全てのエネルギーを太陽に依存していた時代が農業時代である。農業時代は太陽のエネルギーを食料としてほとんど蓄積できなかった。塩漬けや乾燥した肉や野菜のように動植物の貯蔵には限界があった。だから家畜を飼い、穀物や野菜をつくり、それらをすぐに消費し、貯蔵できる範囲でしか人間は生きられなかった。
ところが化石燃料の発見が状況を一変させた。化石燃料とは、太陽エネルギーの缶詰である。地球が過去に受けた太陽エネルギーを植物や動物として蓄え、さらにそれを濃縮して貯蔵したのが石油や石炭のような化石燃料である。この化石燃料のおかげで、食料生産は飛躍的に増加し、貯蔵もほぼ半永久的に可能となり、何よりも交通網の発達で余剰生産物を足りない地域や国に運搬することが可能になった。つまり、現代のわれわれは過去の太陽エネルギーの恩恵を受けて生存しているのである。だからこそ、70億もの人口をささえることができるのである。
さて、この化石燃料のエネルギーがいつまで持つかだれにもわからない。石油や石炭、メタンハイドレート、オイルサンド、シェールガス等の埋蔵量を合わせれば、ここ数十年、数百年は問題はないだろう。しかし、いつまでも化石燃料には依存できない。いずれは限界が来る。いつかは太陽エネルギーによってまかなわなければならなくなる日が来る。
しかし、化石燃料分のエネルギーを太陽エネルギーで補おうとすれば、化石燃料のように太陽エネルギーを貯蔵できる技術ができるかどうかにかかっている。しかし、仮にそうした技術ができたとして、はたして環境にどのような影響が及ぶか、実はだれにもわかっていない。太陽エネルギーがあたかも究極のエネルギーのように語られているが、実は太陽エネルギーの多くを人類が利用した場合、他の動植物や気象、海象等にどのような影響がおよぶかは全く未知である。しかし、これだけは言える。環境に大きな影響を与えることは間違いない。
というのも、単位時間あたり太陽エネルギーが地球に与えるエネルギーの総量はいまも昔も未来も変わらない。そのエネルギーを現在の地球上のほぼ全ての生物が受け、生存している。その一部を人間が太陽光発電等により途中で収奪した場合、その影響は微生物のレベルで大きな影響をあたえることは間違いない。食物連鎖の結果、最終的には、人間の食料生産にも甚大な影響を与えかねない。また風力、波力発電も元をたどれば太陽エネルギーである。太陽エネルギーを電力エネルギーとして取り出した場合、その程度がどれほどのものになるかはエネルギーの簒奪の規模によるが、気象、海象に影響をあたえることは間違いない。
現在は、こうした太陽エネルギーの利用がごくわずかなために、地球規模の環境にはほとんど影響を及ぼしていない。しかし、現在の化石燃料、否、原発のエネルギー全てを太陽エネルギーに代替させようとすれば、環境にも大きな影響が出てくる。ことは電気の問題だけではなく、とどのつまり食料生産や環境の問題につながる。
環境への影響を避けようとすれば、太陽エネルギーや化石エネルギーへの依存を減らし、エネルギー消費を減らせばよい。たしかに先進国では必ずしも人間の生存に直接関わるギリギリのエネルギー消費のレベルではない。だから節電も可能である。しかし、発展途上国では、エネルギーがそもそも不足している。エネルギー消費を節約すれば、それは直ちに死を意味する。
要するに現在の70億人の人類が生存可能なのは、現在我々が太陽から得ているエネルギーと、石油、石炭等の化石燃料に蓄えられた太陽エネルギーがあるからだ。もし、化石燃料も止めて、全てを現在の太陽エネルギーによってまかなおうとすれば、一定時間における太陽エネルギーの総量が同じである以上、化石燃料のエネルギーに依存していた人口は生存できなくなる。太陽エネルギーの時代は単位時間当たり限りある太陽エネルギーをめぐって人類どうしで戦争が起きる時代となるかもしれない。再生可能エネルギーという文言には大きなまやかしがある。太陽エネルギーは再生できない。
全く中沢の指摘の通りである。つまり、われわれは太陽からのエネルギーとは全く無関係の核分裂エネルギーを地上で創り出し、利用してきたのである。原子のエネルギーが取り出せれば、人類は永遠のエネルギーを手に入れることができる。しかし、残念なことに、核融合エネルギーである太陽エネルギーとは異なり、核分裂エネルギーである。核分裂エネルギーはプルトニウムを生産する増殖炉が実現すれば、人類にとって永遠のエネルギーになるはずだった。たった一つの問題を除けば。それは核のゴミ処理問題である。今のところ核廃棄物を処理する方法は見つかっていない。その意味では、核分裂エネルギーを利用した原発は欠陥のある技術である。たしかに、吉本隆明のいうように科学技術の進歩をとめることはできない。とはえい、少なくとも核分裂から核融合へ、あるいは核分裂エネルギーから太陽エネルギーや核融合エネルギーなど他のエネルギーへと科学技術の方向を変える必要はあるだろう。
とはいえ、新たなエネルギーとして太陽エネルギーにもバラ色の未来があるとは思えない。
現在地球上に70億人もの人類が生存している。これほどの人口増加したのも、ひとえに化石燃料のおかげである。単純に計算して、人間一人が生命を維持するのに必要な最低限のエネルギー総量は決まっている。太陽エネルギーを植物が蓄え、蓄えられた太陽エネルギーは草食動物によってさらに蓄積され、それを肉食動物や人間のように植物や動物も食べる雑食動物が食べて生存している。つまり生命の全てのエネルギーの源は太陽にある。
全てのエネルギーを太陽に依存していた時代が農業時代である。農業時代は太陽のエネルギーを食料としてほとんど蓄積できなかった。塩漬けや乾燥した肉や野菜のように動植物の貯蔵には限界があった。だから家畜を飼い、穀物や野菜をつくり、それらをすぐに消費し、貯蔵できる範囲でしか人間は生きられなかった。
ところが化石燃料の発見が状況を一変させた。化石燃料とは、太陽エネルギーの缶詰である。地球が過去に受けた太陽エネルギーを植物や動物として蓄え、さらにそれを濃縮して貯蔵したのが石油や石炭のような化石燃料である。この化石燃料のおかげで、食料生産は飛躍的に増加し、貯蔵もほぼ半永久的に可能となり、何よりも交通網の発達で余剰生産物を足りない地域や国に運搬することが可能になった。つまり、現代のわれわれは過去の太陽エネルギーの恩恵を受けて生存しているのである。だからこそ、70億もの人口をささえることができるのである。
さて、この化石燃料のエネルギーがいつまで持つかだれにもわからない。石油や石炭、メタンハイドレート、オイルサンド、シェールガス等の埋蔵量を合わせれば、ここ数十年、数百年は問題はないだろう。しかし、いつまでも化石燃料には依存できない。いずれは限界が来る。いつかは太陽エネルギーによってまかなわなければならなくなる日が来る。
しかし、化石燃料分のエネルギーを太陽エネルギーで補おうとすれば、化石燃料のように太陽エネルギーを貯蔵できる技術ができるかどうかにかかっている。しかし、仮にそうした技術ができたとして、はたして環境にどのような影響が及ぶか、実はだれにもわかっていない。太陽エネルギーがあたかも究極のエネルギーのように語られているが、実は太陽エネルギーの多くを人類が利用した場合、他の動植物や気象、海象等にどのような影響がおよぶかは全く未知である。しかし、これだけは言える。環境に大きな影響を与えることは間違いない。
というのも、単位時間あたり太陽エネルギーが地球に与えるエネルギーの総量はいまも昔も未来も変わらない。そのエネルギーを現在の地球上のほぼ全ての生物が受け、生存している。その一部を人間が太陽光発電等により途中で収奪した場合、その影響は微生物のレベルで大きな影響をあたえることは間違いない。食物連鎖の結果、最終的には、人間の食料生産にも甚大な影響を与えかねない。また風力、波力発電も元をたどれば太陽エネルギーである。太陽エネルギーを電力エネルギーとして取り出した場合、その程度がどれほどのものになるかはエネルギーの簒奪の規模によるが、気象、海象に影響をあたえることは間違いない。
現在は、こうした太陽エネルギーの利用がごくわずかなために、地球規模の環境にはほとんど影響を及ぼしていない。しかし、現在の化石燃料、否、原発のエネルギー全てを太陽エネルギーに代替させようとすれば、環境にも大きな影響が出てくる。ことは電気の問題だけではなく、とどのつまり食料生産や環境の問題につながる。
環境への影響を避けようとすれば、太陽エネルギーや化石エネルギーへの依存を減らし、エネルギー消費を減らせばよい。たしかに先進国では必ずしも人間の生存に直接関わるギリギリのエネルギー消費のレベルではない。だから節電も可能である。しかし、発展途上国では、エネルギーがそもそも不足している。エネルギー消費を節約すれば、それは直ちに死を意味する。
要するに現在の70億人の人類が生存可能なのは、現在我々が太陽から得ているエネルギーと、石油、石炭等の化石燃料に蓄えられた太陽エネルギーがあるからだ。もし、化石燃料も止めて、全てを現在の太陽エネルギーによってまかなおうとすれば、一定時間における太陽エネルギーの総量が同じである以上、化石燃料のエネルギーに依存していた人口は生存できなくなる。太陽エネルギーの時代は単位時間当たり限りある太陽エネルギーをめぐって人類どうしで戦争が起きる時代となるかもしれない。再生可能エネルギーという文言には大きなまやかしがある。太陽エネルギーは再生できない。
自衛隊の脱軍事組織化
自衛隊だけではない。冷戦後、米軍、英軍をはじめ世界中の多くの軍隊が脅威対処型の軍事組織から危機管理型の警察軍的な組織へと変容している。とりわけ2001年の9.11テロ以降は、対テロ戦争の名の下に米軍が世界警察軍(グロボ・コップ)的な役割を果たしている。日本はもとより英軍、豪州軍等の米同盟軍も否応なく米グロボ・コップの補助的役割をになうようになってきた。その結果、対外的脅威に対処するためにつくられたはずの軍事組織が次第に変質し、従来の軍事組織の目的とは異なる組織になりつつある。 自衛隊は特に組織や隊員の変質が顕著である。
自衛隊における組織の変質のきっかけになったのは、冷戦直後の湾岸戦争の時である。その時以来対ソ脅威目的とした自衛隊の役割が変質し、グローバル安保の名の下に米軍の補助部隊として、米軍のグロボ・コップの下請けを引き受けてきた。ま1992年のカンボジアへの自衛隊PKO部隊派遣以降は国連のPKO協力の名の下に、また非伝統的安全保障という危機管理型の戦略論の後付け理論のお墨付きを得て、海外に積極的に進出するようになった。こうした海外での自衛隊の活動は2006年の改正自衛隊法第3条によって正式に自衛隊の本来任務に格上げされ、自衛隊は国土防衛という脅威対処のみならず国際協力という危機管理にも対応する組織となった。
国際協力が本来任務となったことは、これまで目に見える形で貢献できる仕事が少なかった自衛隊にとって組織の活性化、隊員の士気向上には大いに役立った。しかし、ここではあえてその問題点を指摘しておきたい。
第1は、戦闘集団としての自衛隊の役割の相対的低下である。PKO協力や災害派遣等で、自衛隊に期待される役割は戦闘能力ではなく、後方支援能力である。槍で言えば、槍の穂(槍頭)ではなく、槍の柄が重要になったのである。災害支援から復興支援まで自衛隊に期待される役割は大きくなるものの、その主な役割は後方支援能力や兵站能力になっている。このまま槍の柄ばかりを長くしてしまうと、槍ではなくなり、単なる棒になってしまう。
第2の問題は、隊員の意識の問題である。こうした自衛隊の組織的変質をとらえて護憲派からは、自衛隊を災害救助部隊にせよとの意見も出始めている。外部からの野次馬的な意見なら聞き逃すこともできる。しかし、隊員の中に戦闘員としての意識よりも災害支援や復興支援を自らの天職と心得るものもではじめているのではないか。そうした危惧を抱くのも、身近に、そうした例を見たからである。
海上自衛隊の艦載ヘリの元パイロットで、自衛隊を退職後に留学し、その後日本や海外の援助機関で働いている者を二人知っている。ヘリの乗員になるには多額の訓練費用や長時間の訓練が必要であり、アブラの乗り切った30歳前半に退職するのは自衛隊ひいては国防にとって大きな損失である。にもかかわらず、彼らが自衛隊よりも援助機関に惹かれたのは、自衛隊という組織に対する不満あるいは自衛隊や国防以上の何か魅力があったからだろう。国際協力や災害支援は隊員に士気の向上をもたらす一方、さらなる評価や生きがい、やりがいを求めて自衛隊を離れる優秀な隊員がこれからも続出するではないか。
以上のような自衛隊が抱える問題以上に深刻な問題がある。それは、防衛省のみならず外務省ひいては日本政府が自衛隊の国際協力をどのように国家戦略に位置づけるべきか国家戦略構想がない、あるいは従来の戦略の中にどのように位置づけるべきか不明なことにある。また組織的、制度的な問題として、日本の援助機関であるJICAとの協力をどのように図るのか、さらに言えばNGOとの協力をどのように調整するのか。憲法9条問題や日本人の護憲・平和思想もあって自衛隊とJICAやNGOとの関係は必ずしも良好とはいえない。政府は日本の従来の援助戦略に加えて自衛隊の援助をどのように国家戦略に位置づけるか早急に方針を明確にする必要がある。さもなければ、発展途上国の援助においても中国や韓国に圧倒されるだろう。そして何よりも、自衛隊が第2の青年海外協力隊になりかねない。
自衛隊における組織の変質のきっかけになったのは、冷戦直後の湾岸戦争の時である。その時以来対ソ脅威目的とした自衛隊の役割が変質し、グローバル安保の名の下に米軍の補助部隊として、米軍のグロボ・コップの下請けを引き受けてきた。ま1992年のカンボジアへの自衛隊PKO部隊派遣以降は国連のPKO協力の名の下に、また非伝統的安全保障という危機管理型の戦略論の後付け理論のお墨付きを得て、海外に積極的に進出するようになった。こうした海外での自衛隊の活動は2006年の改正自衛隊法第3条によって正式に自衛隊の本来任務に格上げされ、自衛隊は国土防衛という脅威対処のみならず国際協力という危機管理にも対応する組織となった。
国際協力が本来任務となったことは、これまで目に見える形で貢献できる仕事が少なかった自衛隊にとって組織の活性化、隊員の士気向上には大いに役立った。しかし、ここではあえてその問題点を指摘しておきたい。
第1は、戦闘集団としての自衛隊の役割の相対的低下である。PKO協力や災害派遣等で、自衛隊に期待される役割は戦闘能力ではなく、後方支援能力である。槍で言えば、槍の穂(槍頭)ではなく、槍の柄が重要になったのである。災害支援から復興支援まで自衛隊に期待される役割は大きくなるものの、その主な役割は後方支援能力や兵站能力になっている。このまま槍の柄ばかりを長くしてしまうと、槍ではなくなり、単なる棒になってしまう。
第2の問題は、隊員の意識の問題である。こうした自衛隊の組織的変質をとらえて護憲派からは、自衛隊を災害救助部隊にせよとの意見も出始めている。外部からの野次馬的な意見なら聞き逃すこともできる。しかし、隊員の中に戦闘員としての意識よりも災害支援や復興支援を自らの天職と心得るものもではじめているのではないか。そうした危惧を抱くのも、身近に、そうした例を見たからである。
海上自衛隊の艦載ヘリの元パイロットで、自衛隊を退職後に留学し、その後日本や海外の援助機関で働いている者を二人知っている。ヘリの乗員になるには多額の訓練費用や長時間の訓練が必要であり、アブラの乗り切った30歳前半に退職するのは自衛隊ひいては国防にとって大きな損失である。にもかかわらず、彼らが自衛隊よりも援助機関に惹かれたのは、自衛隊という組織に対する不満あるいは自衛隊や国防以上の何か魅力があったからだろう。国際協力や災害支援は隊員に士気の向上をもたらす一方、さらなる評価や生きがい、やりがいを求めて自衛隊を離れる優秀な隊員がこれからも続出するではないか。
以上のような自衛隊が抱える問題以上に深刻な問題がある。それは、防衛省のみならず外務省ひいては日本政府が自衛隊の国際協力をどのように国家戦略に位置づけるべきか国家戦略構想がない、あるいは従来の戦略の中にどのように位置づけるべきか不明なことにある。また組織的、制度的な問題として、日本の援助機関であるJICAとの協力をどのように図るのか、さらに言えばNGOとの協力をどのように調整するのか。憲法9条問題や日本人の護憲・平和思想もあって自衛隊とJICAやNGOとの関係は必ずしも良好とはいえない。政府は日本の従来の援助戦略に加えて自衛隊の援助をどのように国家戦略に位置づけるか早急に方針を明確にする必要がある。さもなければ、発展途上国の援助においても中国や韓国に圧倒されるだろう。そして何よりも、自衛隊が第2の青年海外協力隊になりかねない。
2012年3月31日土曜日
非戦主義と非暴力主義の混同
いまさら非戦主義、非暴力主義などを論じても、北朝鮮の核兵器開発やミサイル実験、中国の軍事大国化を前にして、無意味なような気がする。しかし、戦後(この戦後という言葉が太平洋戦争後だというのも現在の世界では希有のことのように思われるが)、日本では一貫してこの非戦主義と非暴力主義が混同されており、そのことが結果的に憲法9条の問題を複雑にしてきたのではないかと思う。
非戦主義と非暴力主義は似て非なるものである。そのことは良心的兵役拒否の問題につて考えれば、すぐわかる。良心的兵役拒否者は非暴力主義ではあるが、非戦主義ではない。なぜなら良心的兵役拒否は戦争を前提にしてはじめて非暴力主義にもとづく良心的兵役拒否が成立するからである。良心的兵役拒否はあくまでも個人の思想の問題であり、国家の武力行使である戦争を否定するものではない。
非暴力主義は宗教的信念に基づく場合がほとんどである。キリスト教の非暴力主義は「復讐するは我にあり」(新約聖書「ローマの信徒への手紙」12章 19節)に基づいている。神が人間に対する処罰を与えるが故に、神の被造物である人間が同じ神の被造物である他人に、神に代わって暴力をふるうことをいましめているのである。あるいは非暴力主義は「なんじ殺すなかれ」という十戒の教えに基づいてもいる。さらにメノナイト派やいわゆるアーミッシュの人たちの中には「二王国論」思想に基づきこの世は仮の世で、真の世界は「神の王国」にあり、「終末思想」に基づきいずれ「神の王国」がこの世にあらわれることを期待して、そのときに神の恩寵を受けるべく非暴力主義を実践しているのである。
こうした宗教的非暴力主義はキリスト教だけではない。ロシア正教ではドゥホボール派、またバハイ教でも非暴力主義の教えを説いている。仏教でも非殺生の思想が説かれる。この非殺生の教えは仏教に多大な影響を与えたインドのジャイナ教に多くを負っている。ジャイナ教では十大禁戒や五大禁戒などで聖職者や信者に動植物の殺生を厳しく戒めている。
このジャイナ教の禁戒を現代に適用したのがガンジーである。ガンジーの教えは現代の非暴力主義の原点になっている。しかし、それはあくまでも個人の思想の問題であり、ガンジー自身は非暴力主義者ではあったが、非戦主義者ではなかった。なぜなら、ガンジーは第1次世界大戦のおりインド各地をまわって若者たちにイギリス本国とともに戦うよう兵役志願を呼びかけたのである。その目的はイギリスに協力することで、インドの独立を図ることにあった。つまりガンジーにおいても非暴力主義と非戦主義は異なるのである。
他方非戦主義は国家の武力行使そのものを否定するが、個人の暴力を否定するものではない。カントの『永遠平和のために』で一読了解できる。カントは徴兵に基づく常備軍を否定し、国家間の戦争を否定した。その意味ではカントは非戦主義である。その一方で、カントは有事の際に個人の意志に基づき侵略者と戦う民兵は肯定した。つまりカントは非戦主義者ではあるが非暴力主義者ではない。
カントに多大な影響を与えたルソーもまた、サンピエールの永久平和論を批判しつつ、永久平和への道筋を考察した。ルソーが抱えた問題は、全ての国が共和国になれば、そして世界共和国ができれば永遠平和になるということであった。そのためには、君主が無条件に主権を委譲しない限り、武力革命による人民による君主からの主権の奪取が必要であり、また共和国家の間でも、場合によっては国家間で主権の委譲をめぐって戦争が必要となると、戦争を否定するための革命や戦争という問題を提起した。冷戦時代には左派がこの論理を持ち出し、戦争を否定するための革命や戦争を正当化しようとした。つまりいわゆる左派は共産主義世界になれば暴力も戦争も無くなるが故に共産主義世界を実現するためには革命や戦争は必要であると暴力や戦争を肯定していたのである。
このようにガンジーのような非暴力主義、戦争肯定論、カントやルソーのように非戦主義、暴力肯定論と、非戦主義と非暴力主義は異なるのである。ところが護憲派は、これを意図的にか、あるいは無意識にか、混同している。護憲派は第2次世界大戦の個人的体験に基づいた感情的非暴力主義、あるいは冷戦時代の「死ぬより赤がまし(red better than dead)」という敗北主義的非暴力主義、あるいは一部の宗教的非暴力主義に基づいて憲法を守れといっているにすぎない。戦争そのものを否定する非戦の思想や論理は、非暴力主義の護憲派にはない。
カントのような非戦主義を主張するなら、憲法9条は国家による他国に対する武力行使を禁止する一方で、個人の武装権は認めなければならない。社会契約論に依拠する限り、たとえ国家の武装権は否定されたとしても、国家権力に対抗するための個人の武装権は認めなければならない。日本の護憲派は、個人の非暴力主義の延長線上に擬人化された国家の武力行使も否定している。しかし、それでは、個人の自衛権の延長上に国家の自衛権を認める現状の憲法解釈と論理的には何ら変わらない。湾岸戦争の頃日本が湾岸戦争に参加しない理由づけに朝日新聞や毎日新聞が社説で良心的兵役拒否国家を主張したが、これなど擬人化された国家の論理以外の何物でもない。また憲法9条が擬似宗教になったことの現れでもあった。
非暴力主義の実践は個人の問題である。しかし、非戦主義は国家の政策の問題である。憲法9条を守れというだけでは、非戦主義の実践とはならない。実際に武力によらない武力紛争の解決が国家の政策として求められる。そしてその政策を実行するための組織も必要となる。それは他国が政策遂行手段として軍隊をもっているのと同様に、政策遂行手段としての非暴力民兵部隊が必要である。憲法9条部隊はその原型である。
非戦主義と非暴力主義は似て非なるものである。そのことは良心的兵役拒否の問題につて考えれば、すぐわかる。良心的兵役拒否者は非暴力主義ではあるが、非戦主義ではない。なぜなら良心的兵役拒否は戦争を前提にしてはじめて非暴力主義にもとづく良心的兵役拒否が成立するからである。良心的兵役拒否はあくまでも個人の思想の問題であり、国家の武力行使である戦争を否定するものではない。
非暴力主義は宗教的信念に基づく場合がほとんどである。キリスト教の非暴力主義は「復讐するは我にあり」(新約聖書「ローマの信徒への手紙」12章 19節)に基づいている。神が人間に対する処罰を与えるが故に、神の被造物である人間が同じ神の被造物である他人に、神に代わって暴力をふるうことをいましめているのである。あるいは非暴力主義は「なんじ殺すなかれ」という十戒の教えに基づいてもいる。さらにメノナイト派やいわゆるアーミッシュの人たちの中には「二王国論」思想に基づきこの世は仮の世で、真の世界は「神の王国」にあり、「終末思想」に基づきいずれ「神の王国」がこの世にあらわれることを期待して、そのときに神の恩寵を受けるべく非暴力主義を実践しているのである。
こうした宗教的非暴力主義はキリスト教だけではない。ロシア正教ではドゥホボール派、またバハイ教でも非暴力主義の教えを説いている。仏教でも非殺生の思想が説かれる。この非殺生の教えは仏教に多大な影響を与えたインドのジャイナ教に多くを負っている。ジャイナ教では十大禁戒や五大禁戒などで聖職者や信者に動植物の殺生を厳しく戒めている。
このジャイナ教の禁戒を現代に適用したのがガンジーである。ガンジーの教えは現代の非暴力主義の原点になっている。しかし、それはあくまでも個人の思想の問題であり、ガンジー自身は非暴力主義者ではあったが、非戦主義者ではなかった。なぜなら、ガンジーは第1次世界大戦のおりインド各地をまわって若者たちにイギリス本国とともに戦うよう兵役志願を呼びかけたのである。その目的はイギリスに協力することで、インドの独立を図ることにあった。つまりガンジーにおいても非暴力主義と非戦主義は異なるのである。
他方非戦主義は国家の武力行使そのものを否定するが、個人の暴力を否定するものではない。カントの『永遠平和のために』で一読了解できる。カントは徴兵に基づく常備軍を否定し、国家間の戦争を否定した。その意味ではカントは非戦主義である。その一方で、カントは有事の際に個人の意志に基づき侵略者と戦う民兵は肯定した。つまりカントは非戦主義者ではあるが非暴力主義者ではない。
カントに多大な影響を与えたルソーもまた、サンピエールの永久平和論を批判しつつ、永久平和への道筋を考察した。ルソーが抱えた問題は、全ての国が共和国になれば、そして世界共和国ができれば永遠平和になるということであった。そのためには、君主が無条件に主権を委譲しない限り、武力革命による人民による君主からの主権の奪取が必要であり、また共和国家の間でも、場合によっては国家間で主権の委譲をめぐって戦争が必要となると、戦争を否定するための革命や戦争という問題を提起した。冷戦時代には左派がこの論理を持ち出し、戦争を否定するための革命や戦争を正当化しようとした。つまりいわゆる左派は共産主義世界になれば暴力も戦争も無くなるが故に共産主義世界を実現するためには革命や戦争は必要であると暴力や戦争を肯定していたのである。
このようにガンジーのような非暴力主義、戦争肯定論、カントやルソーのように非戦主義、暴力肯定論と、非戦主義と非暴力主義は異なるのである。ところが護憲派は、これを意図的にか、あるいは無意識にか、混同している。護憲派は第2次世界大戦の個人的体験に基づいた感情的非暴力主義、あるいは冷戦時代の「死ぬより赤がまし(red better than dead)」という敗北主義的非暴力主義、あるいは一部の宗教的非暴力主義に基づいて憲法を守れといっているにすぎない。戦争そのものを否定する非戦の思想や論理は、非暴力主義の護憲派にはない。
カントのような非戦主義を主張するなら、憲法9条は国家による他国に対する武力行使を禁止する一方で、個人の武装権は認めなければならない。社会契約論に依拠する限り、たとえ国家の武装権は否定されたとしても、国家権力に対抗するための個人の武装権は認めなければならない。日本の護憲派は、個人の非暴力主義の延長線上に擬人化された国家の武力行使も否定している。しかし、それでは、個人の自衛権の延長上に国家の自衛権を認める現状の憲法解釈と論理的には何ら変わらない。湾岸戦争の頃日本が湾岸戦争に参加しない理由づけに朝日新聞や毎日新聞が社説で良心的兵役拒否国家を主張したが、これなど擬人化された国家の論理以外の何物でもない。また憲法9条が擬似宗教になったことの現れでもあった。
非暴力主義の実践は個人の問題である。しかし、非戦主義は国家の政策の問題である。憲法9条を守れというだけでは、非戦主義の実践とはならない。実際に武力によらない武力紛争の解決が国家の政策として求められる。そしてその政策を実行するための組織も必要となる。それは他国が政策遂行手段として軍隊をもっているのと同様に、政策遂行手段としての非暴力民兵部隊が必要である。憲法9条部隊はその原型である。
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