2012年5月6日日曜日

日本の原発が全て止まった

日本の原発が全て止まった。止まったからといって停電がすぐに起こるわけではないので、ほとんどの人がまだ電気は足りていると思っているらしい。 電力問題を考える時に混乱するのは、足りている、不足しているという日常感覚が通用しないことだ。日常生活に関わる物資のほとんど全てが、時を越えて、あるいは無視して蓄えることができるものだ。つまり時間という要素が無視できる。だから備蓄すればたいていの場合解決する。それと同じ感覚で電力不足問題を議論している場合が多い。実際には、電力が余っているといっても、それを貯蔵することは、揚水発電のように重力エネルギーとしてエネルギーを水に変換して貯蔵する以外に実用的に有効な方法はない。 電力が余っているということは、需要予測に基づいて供給能力が上回っているということであって、電気が貯蔵されて余っているわけではない。この需要予測が不確かで、不足派は需要予測を高めに見積もり、充足派は低めに予測する傾向がある。今は不足派の電力会社や政府の信用が失墜しているので、電力は余っているという充足派が優勢だ。しかし、両者とも天候等の自然要因や社会、経済活動などの人為要因など多くの不確定要素に依拠しており、どちらか一方が正しいと断定することはできない。 実際、専門家の予測ほど当てにならぬものはないというのが今回の大震災の一般人の教訓だったから、不足派、充足派のいずれの専門家も不信感でしか見られていない。これがなによりも大きな問題だろう。予想がはずれたからといって責任をとった専門家、研究者、学者など東日本大震災でも聞いたことが無い。電力不足問題は人の生死に直結する問題である。はずれた場合の責任のとり方を明確にした上で、不足派、充足派のいずれの専門家も需要予測をすべきではないか。 電力需給は逼迫しているが節電で乗り切れるという説も根強い。しかし、昨年の夏に節電をして、相当程度節電は進んでおり、素人判断でも、これからさらに節電をするのは相当厳しいのではないか。だからだろう、九州電力がピーク時の節電を促すために、一般家庭を対象に時間別料金制の実証実験に入るという。アホなコメンテーターが「よいことだ」と推奨していたが、基本的に貧乏人は暑くても冷房は使うなということだ。時間別料金制が本格導入されれば、生活保護世帯や年金暮らしの高齢者など貧乏人に熱中症で死亡する人が続出するだろう。時間別料金制は、高齢者や病人をさっさとあの世に送って年金や医療保険問題を解決しようとする政府の陰謀ではないかと思う。 また環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は、節電の方法の一つとして契約アンペア数の引き下げを提言している。「たとえば、60アンペアなら50アンペアに、50アンペアなら40アンペアに、といった具合である。引き下げ効果の歩留まりが50%と仮定すれば、合計で約2500万kWある家庭・小口の最大電力量に対して、約250万kW引き下げることができる」。まったくその通りである。本ブログでも以前提案したことがある。 しかし、これは家庭の電力使用に20%の無駄、もくしは削りしろがあることが前提である。実際には20%カットすれば、ほとんどの家庭で日常生活に大きな不便をきたす。たとえば普通のマンションでは40アンペアが普通である。オール電化の高級マンションになれば50、60アンペアはあたりまえだろう。各家庭は、契約アンペア数を前提にして通常電化製品を購入している。というよりも、普通よほどのことが無い限り、契約アンペア数など気にせず電化製品を使用している家庭がほとんどのはずだ。結果、契約アンペア数ギリギリになっている家庭が多いのではないか。 ちなみに40アンペアだと、省エネ型であってもエアコン二台、掃除機、電子レンジを使用すると、他の照明器具、テレビを含めて、まずブレーカーが落ちる。30アンペアにするとエアコンを二台使うのはほぼ無理である。一旦契約アンペア数での生活になれてしまうと、そこから20パーセントカットするのは面倒このうえない。常に電化製品のアンペア数を計算しながら生活しなければならなくなる。 以前、林真理子がエッセーで、実家のアンペア数が低くて、二部屋それぞれについているエアコンを二台同時に使えない不便さを嘆いていた。こうした不便に一般家庭の人がどれほど耐え忍べるかが節電の鍵となる。だから50パーセントの人しかアンペア数は引き下げないと飯田氏は判断したのだろうが、50パーセントの根拠は全く無い。電力会社にわざわざきてもらって室内工事をしてまで契約アンペア数を引き下げようとする人がいるだろうか。ましてやそれを強制的に行うことは尚更むずかしいだろう。 電力不足問題が起きる三年前に、私は契約アンペア数を40から50に引き揚げた。独り暮らしでなぜ引き揚げが必要かといえば、猛暑や厳冬時にエアコンを二台使用したところ、オーブンレンジや照明を付けただけで、ブレーカーが落ちてしまい、パソコンのデータが消失するという苦い経験が続いたからである。冷蔵庫、ウォシュレット、テレビ、ビデオ等の待機電力も馬鹿にならない。だから、まさかの時に備えて、契約アンペア数は変更しないほうがいいという専門家もいる。 結局のところ、不足派も充足派も議論の中心が電力の不足、充足にある限り、電力問題は解決しない。電力問題は結局のところ、わが国の国の有り様、エネルギーをどうするかという問題だからである。飯田哲也氏が日本の電力需要はここ10年減少していると主張している。それはそうだろう。デフレで経済活動が停滞すれば電力需要も低迷する。経済活動が上昇する中で電力需要が減少するのならそれはすばらしいことである。しかし、人口も減り生産活動も海外に移れば、電力需要が減少することは素人にもわかることだ。省エネをいくらしても経済活動を拡大しGDPを引き揚げようとすれば、エネルギー消費量が増えるのは当然である。それが証拠に、1974年のオイルショック以降日本では世界で最も省エネが進んだ国だったが、電力消費は右肩あがりである。 問題は、日本は将来も経済活動を今後も活発化させていくのか、究極のところ再生可能エネルギーだけに依拠していた農業時代に戻りブータン化していくか。電力不足問題が問うているのは、わが国の将来である。

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