2012年8月14日火曜日
紛争地を歩く-シリア編(拘束の顛末)-
本当に専門家としてあるまじき、恥ずかしい失態を演じ、7日午後から12日午後まで当局に拘束されました。帰国できたのは、今思い返せば、単に運が良かっただけかもしれません。一時は死を覚悟しました。事の顛末は以下のようなものです。
8月7日後2時頃、戦闘が激しくなっていると言われるアレッポの現状を見たいと思い、
同市行きのバスがあるかを確認するためにダマスカス郊外にあるプルマン・バスステーションへ行きました。7日の午前中にダマスカス市内の観光地ウマヤド・モスクやスークを見物したのですが、内戦の様子など微塵も感じられませんでした。メディアが報じる内戦の状況とは全くことなった様相に、過剰な報道がなされているのではないかと疑っていました。そこでアレッポでもダマスカスと同じ状況ではないかと思いアレッポ行きを決意しました。
バス・ステーションに着くと、客引きにアレッポ行きバスを運行する会社に連れて行かれました。その時上空で異様な音が聞こえました。見上げると、軍用ヘリが旋回しながら、地上に銃撃を加えていました。思わずカバンからビデオ・カメラを取り出して、撮影しようとした瞬間公安警察の私服警官に逮捕されました。撮影しているのがわからないような超小型のウェブ・カメラも持っていたのですが、早く撮影しなければと思い、思わず小型ビデオ・カメラを取り出してしまいました。撮影をする前に止められたために、カメラには警官がカメラを押さえる指しか写っていません。これまでもイスラエル、エジプトでも同様に撮影をとがめられたことがありました。その時には映像が残っていました。しかし、今回は一切写していませんでしたので、今回も注意処分でその場で釈放ではないかと高を括っていました。しかし、事態は最悪の方向に向かいました。
かれこれ30分ほども尋問を受けた後、これからどうなるのかと逮捕した警官に訊いたところ、ホテルだというので、てっきり宿泊先のホテルに送りとどけられるのかと思っていました。しかし、その後10分ほどしてから警官の上司と思しき、出川哲朗そっくりの小太りの戦闘服姿のオヤジと、カラシニコフを抱えたいかにもすぐに切れそうな兵士が私を車に押し込み、バス・ステーションをあとにしました。そして着いたところが、市内にある公安警察の尋問施設でした。そこは、付近の道路も建物も兵士によって厳重に警備されていました。それを見た時、事態はどうやら最悪の方向に向かっていることに気づきました。
すぐに、建物の地下室にある拘置場所に放り込まれました。この施設は警察の取調室と留置所などという場所ではなく、拷問施設です。ここには三種類の人が拘置されていました。独房に入れられた人一人、そして犯罪者(どういう犯罪かはわからなかった)数十人、そして軍事グループ。私は軍人グループに入れられました。軍人グループは軍の中で何か問題を起こして逮捕された人たちのようです。
丁度48時間後に公安警察から身柄を日本で言えば出入国管理局に移され、そこでの取り調べの後、9日木曜日の午後、不法滞在や不法入国者の一時収容施設に移され、やはり48時間収容されました。私の場合にはパスポート、ビザ、帰国のチケットも全て持っており、不法滞在ではなかったのですが、収容されました。強制退去処分にするために、一時収容されたのでしょう。一体何の罪で収容されるのかなんの説明もありませんでした。また運が悪ことに翌日が休日の金曜日で一切の手続が進まず、結局土曜日の午前中まで収容施設にとどまることになりました。
土曜日の午前中に収容施設から再び出入国管理局の事務所に戻され、強制退去の手続が始まりました。そして夕方に空港内にある小部屋に他の強制退去者など5人とともに拘束されました。以後、飛行機の搭乗手続が始まる日曜日の午後2時まで、およそ20時間を冷房の効きすぎる、壊れたソファ以外になにも無い部屋で待つことになりました。
拘束された時の詳しい様子はあらためてブログに書きます。今回、拘束を受けて、いろいろなことがわかりました。
第1に、ホッブズは人間は何故戦うのかという問いに身体的な自己保存を挙げました。しかし、今回の経験を受けて私は身体的な理由ではなく、自由にあると確信しました。人間は自由を求めて戦うのであって、そして自由を確保するために共同体や国家を形成していくのだと考えるようになりました。自由をうばわれることが如何につらいことか、わずかの期間でしたが、実感しました。
第2に、なぜユダヤ人は唯々諾々と処刑されていったのか、何故叛乱しなかったのか、その一旦がわかったような気がします。希望がなければ、死ぬ事でしか救われない。希望を失えば、もはや抵抗する意味も無く、ただ残された唯一の希望である神にすがる、つまりは死以外にないということでは無いのか。暴力の前に人間はいかに弱いかがわかります。わずか二日でしたが、拷問施設で見聞きした光景は生涯忘れられません。恐らく日本の平和主義者も含め誰もが、シリアの秘密警察の尋問官の怒声、ビンタ、蹴り、皮鞭等の拷問には堪えられず、唯々諾々と命じられたことに従うようになるでしょう。
第3に、人間はあまりの困難に遭遇すると、コンピュータでいうスリーピング・モードにはいるようです。拘束されている人が皆横になって寝ているのはやることがないからだ思っていました。しかし、そうではなくどうやら寝ることでつらい現実から目をそらす、身体の拒否反応のようです。私かも48時間のうち三分の二は寝ていました。といっても、ただ単に考えることを拒否するための睡眠です。頭が普通モードになるとさまざまなことを考えて、堪えられなくなります。
第4に、太陽の光、時間の感覚が人間にとって如何に重要かがわかりました。拘束施設は全て24時間蛍光灯で照らされています。一切窓がなく、太陽の光がありません。時間がわからなくなり、不安に陥ります。長期の拘束に備えて、他の人をみならって、壁に日付用の印をつけました。
個々の拘束に関する詳細については、いずれブログでアップします。
ご心配をおかけした皆さまにはこころよりお詫びを申し上げます。
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