2012年5月19日土曜日
電力不足は生き方の選択だ
関西電力が資料を出さない、出してきた数字は信用できないなどとたたきにたたかれている。関西電力(および経済産業省。以下同じ)の意図は明々白々である。何としても原発を再稼働させたい、ということである。今朝(5月17日)のテレビ朝日で放映していたが、小型の火力発電装置を大量(リースできるとのこと)に使用すれば、実は関西電力の云う不足分の電力は補えるというのだ。それよりも原発が動かなくなることを見越して昨年から製造を発注していれば電力不足騒動など起きなかったはずだ、とも云う。にも関わらず、関西電力がなぜ準備しなかったかといえば、原発を再稼働させたかったからだ。
もし電力不足に備えて昨年から準備していれば、原発を再稼働させなくても電力が足りる。そうなれば、国民世論は間違いなく原発の再稼働を認めず、日本全国の原発は全て一気に廃炉ということになりかねない。このことが電力会社のみならず日本の産業や社会に与える影響はきわめて大きい。
あらかじめ、私の立場を明らかにしておくが、以前にも小ブログで記したように、私は脱原発派である。なぜなら、技術者がいなくなる前に原発を廃炉にしなければならないからである。これほどの電力会社に対するバッシングの中で、ましてや反原発世論の中で、一体誰があらためて原発技術者になりたいと思うだろうか。原発の研究者を目指して大学に入りたいなどと思う若者がいるだろうか。また電力会社が独自で養成してきた原発の技術者がこれからもずっと電力会社で働き続けていくであろうか。優秀な研究者、技術者ならさっさと見切りを付けて外国の原発会社で働くことを選択するだろう。なにも嫌われながら、蔑視を浴びながら会社や日本のために働こうなどと考える奇特な人はそんなにいないだろう。2011年度に東電を依願退職した人数は460人と平年の3.5倍に上るという。恐らく今後はその数はますます増えるだろう。給与カット、リストラ、社会からの蔑視、差別等で転職できる、つまりは優秀な社員は次々と止めていくだろう。だからこそ技術者がいなくなる前に廃炉の方法を確立しておかなければならない。さもなければ、やがてはフチンスやアメリカなど外国の会社から技術者(その中には元日本の原発技術者もふくまれるようになるかもしれない)を雇って、日本の原発の管理をしてもらわなければならなくなるだろう。
さて全ての原発を廃炉にした場合、電力会社の経済的負担がどのくらいになるのか素人には見当もつかない。これまで原発に投資した資金は全てむだになる。また建設中の原子炉、ほとんど使用しない原子炉も含めて廃炉にかかる費用がどれだけの金額になるのか。原発の代わりに新たに火力発電所(小型の発電装置かもしれない)の建設が必要になる。再生可能エネルギーは遠い将来の話しであって、現時点では原発の代わりにはならない。またどう考えても再生可能エネルギーに補助金を付けて、さらに高額で買い取る制度は、太陽光発電などに投資できない大多数の貧困層には不公平である。補助金は税金で、余剰電気の買い取りは電気料金で負担するなど、消費税増税よりもはるかに不公平で、正気の沙汰とは思えない。再生可能エネルギーの問題に加えて、代替の火力発電にもいくつかの問題がある。
第一は、石油をはじめ天然ガスやシェール・ガス等を外国から輸入しなければならないが、そのコストを一体誰が、どのようにして負担するのか。
一部の人からは、シェール・ガスや天然ガスは産出量が増えているから安く買えるという楽観論がある。この議論には盲点がある。つまり日本に大量のエネルギーを買う外貨があれば、ということである。つまり、今後廃炉や火力発電への転換で電気料金は間違いなく上がる。となれば、高い電気料金を嫌って、国外に製造業が移転する可能性が高い。となれば、日本の経済力は低下し、外貨をこれまでのように稼ぐことができなくなり、結果、いかに石油や天然ガスの価格が低下しても、十分な量のエネルギーを輸入できなくなる恐れがある。
第二は、地球温暖化問題をどうするのか。脱原発派からは山本太郎のように、フクシマの惨状を見れば、外国も日本のCO2削減も猶予してもらえるはずだ、との甘ったれた予測をする者もいる。2011年に南アフリカで開かれたCOP17で京都議定書の延長参加を拒否した日本は削減に後ろ向きだということで化石賞を受賞するほどに非難の対象となったのだ。また広瀬隆のように、そもそも温暖化などない、という脱原発派もいる。そうは言っても、いまさら温暖化はないなどと国際政治の中では通用しない。温暖化は科学の議論ではなく政治の問題だからだ。
いかに天然ガスやシェール・ガスのCO2排出量が石油より少なくても、排出することは間違いない。では2020年までに25%を削減するという日本の国際公約をどうするのか。前環境事務次官の小林光は25%を堅持し、省エネ、新技術の開発で達成すべきだという。他方、元経済産業省で、日本経団連のシンクタンク「21世紀政策研究所」研究主幹の澤昭裕氏は「25%削減を省エネだけで達成するのは無理」という。小林氏の予測があたることを祈るが、最悪の場合、25%の削減量を達成できない場合には排出取引で外国から排出権を買うことになるのだろうか。その額は一体どれほどになるのだろうか。
脱原発に舵を切っても、当面火力に頼らなければならない現状では、脱原発派が期待するほど将来は明るくない。技術力、経済力の低下は生活レベルの低下すなわち貧困をもたらす。結果的に医療、福祉の低下から寿命は確実に短くなるだろう。だからといって原発再稼働も、たとえいかに安全性を強調されても再び事故が起これば、国家としては二度と立ち上がれないほどの危険性を孕んでいる。脱原発、原発再稼働、いずれを選択してもバラ色の未来はない。昔、環境問題が話題になるたびに、訊かれた選択肢と同じである。青空の下でのにぎり飯か、スモッグの下でのステーキか。関西電力の問題の本質は、日本人の生き方の選択である。電力不足などではない。
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