2012年7月28日土曜日

丸い三角は書けない

今朝(2012年7月29日)の『朝日新聞』に朝日新聞社が主催している「ニッポン前へ委員会」の委員萱野稔人津田塾大学准教授が、昨日このブログで取り上げた、化石燃料の輸入にともなう貿易赤字の問題を取り上げていた。彼の論旨はこうだ。  原発の不足分を火力発電でまかなっているために、その輸入代金の支払いのために国民所得が大幅に低下したこと、それを埋め合わせるために電気料金が値上げされたにも関わらず、企業が値上げ分を価格に転嫁できず、従業員の給与カットで吸収する結果一層デフレが悪化している。そしてこう結論づける。「エネルギー効率を高め、化石燃料の消費を抑えることが、経済の発展にとって必要となったのである」  たしかにその通りである。少なくとも原発の停止によって増えた化石燃料の輸入分をエネルギー効率を高めることによって、節約しなければならない。しかし、それは本当に可能だろうか。いくらコジェネレーション型の燃料電池を使ったとしても、また再生可能エネルギーを今後大量に投入したとしても原発の不足分をまかなえるのか。というのもコジェネレーション型の発電装置や再可能エネルギーによる発電装置等も初期の製造段階では大量の化石燃料エネルギーが必要となるからだ。一時的にであれエネルギー転換の過程で、エネルギー消費はますます高まる。  萱野氏は結論でこう述べている。「もちろん、原発事故を経験した現在、私たちは安易に原発に頼ることはできない。エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方を模索するという、新たな挑戦が始まったのである」。「丸い三角を書こう」という全く形容矛盾、実行不可能な結論だ。この結論の持っていき方は、進歩的文化人の得意とするところだ。つまり反原発の進歩的文化人的スタンスを維持しながら、その一方で「経済発展を望むという」現実派をも納得させようと結論を丸めているのである。  それはさておき、経済発展というのはエネルギー消費の拡大以外のなにものでもない。経済発展を個人の豊かさに置き替えればそのことはすぐにわかる。われわれは豊かな生活、便利な生活を求めて働いてきた。その結果、経済が発展したのである。豊かな生活、便利な生活を支えるために大量のエネルギーが消費されてきたのである。おかげで生活環境の向上や高度な治療により寿命は格段に伸び、交通、通信は飛躍的に拡大し、われわれの生活を便利にしてきたのである。昨今大衆受けするグローバル化はエネルギーの大量消費があってはじめて実現したことを忘れてはいけない。航空交通網の発達は多量の石油を消費している。またネットの普及で世界中で使用されているコンピュータやサーバーを常時稼働させるためにどれほど大量のエネルギーが消費されているか。グーグルやマイクロソフトが原発の開発に前向きなのも、情報を伝達するための安定した電力供給こそがネットの命だからだ。  たしかに車も電気冷蔵庫、エアコンなど電化製品もありとあらゆるものが効率化され、個々の製品ごとの電力使用量やエネルギー消費量は減少してきた。しかし、そのことで逆に電気冷蔵庫のように製品が大型化したり、エアコンのように節電製品を皆が使うようになり、社会全体のエネルギー消費量は拡大の一途である。しかし、そのことがまた日本の経済発展を押しあげてきたのである。  つまり、「エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方」などはありえない。ありもしない、できもしないことを模索するのではなく、「豊かな生活」「便利な生活」をいかに捨て去るか、グローバル化ではなくローカル化をいかに推し進めるか、生活環境の悪化や病気治療の放棄によって平均寿命をどれほど縮めるか、そしてなによりも人口をいかに減らして社会全体のエネルギー消費量を落としていくかを考えなければならない。原発停止分の代替化石燃料輸入を諦めて「エネルギー消費の低下を基盤とする経済停滞の覚悟を決める」ことこそ、萱野氏の結論でなければならない。電車も携帯も使わない現代の仙人である京都大学の小出助教が力説する、脱原発どころか、将来的には脱化石燃料の社会である。  脱原発派の人たちの多くが恐らくは、原発を廃止しても今と同じ生活が維持できると考えているようだが、それは誤解だ。今の生活の豊かさ、便利さを維持しようと思えば、今と同じ程度のエネルギーは必要だ。再生可能エネルギーが今の化石燃料輸入増加分をまかなうまでには相当の年数がかかる。その間化石燃料を輸入し続けるとすると、萱野氏が指摘するように、「日本経済のさらなる萎縮と貧困化をもたらしかねない」。その貧困化をやむをえないとする覚悟を脱原発にはあるか。脱原発の本気度が試されている。 もっとも本気度が試される前に貧困化が進み、化石燃料の輸入もままならず、人口は減少し、社会全体のエネルギー消費量も低下し、節電などしなくてもすむだろう。江戸時代のように鎖国して3000万人程度の人口を養うに足る程度にまでエネルギーの消費量を落として再生可能な自然エネルギーのみにたよる自給自足の国になることこそが、「エネルギー消費の拡大を基盤としない経済発展のあり方を模索」の結論であろう。萱野氏も正直に、そう結論づけるべきだった。

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