2012年9月5日水曜日
ダマスカス拘束120時間-秘密警察での48時間の拘束-②
【拘置所の実態】
今なお、私が一体どういう組織で、どういう施設に拘留されたのか、正確なところはわからない。シリアには「ショルタ」という一般警察、治安を担当する「ムハバラート」と呼ばれるいわゆる秘密警察がある。私を拘束したのは十中八九ムハバラートだと思う。拘留施設もムハバラートの施設だと思う。
とりあえず、この秘密警察の施設を拘置所と呼んでおく。ただし、実態は暴力が支配する拷問施設である。独房に拘置された小太りの初老の男性一人と、私を含め通路部分に収容された兵士十数人には暴力が振るわれることはほとんどなかった。しかし、年齢に関わりなく雑居房の収容者への暴力、拷問は日常茶飯事であった。
毎朝、恐らく8時か9時頃(時計がないので正確にはわからない)に取り調べが始まる。尋問係官が名簿をもって、我々が座る通路を通って雑居房へ行き、尋問予定の7~8人の名前を呼ぶ。雑居房の中ではリーダーかもしくは鉄扉付近にいる収容者が、異様に元気で大きな声で名前を中に向かって復唱する。呼ばれた者もまた、恐らくは恐怖の裏返しの行為なのであろう、これから楽しいことでもあるかのような弾んだ声で返事をする。そして扉が開けられ、一人一人ずつ雑居坊の中から尋問を受ける収容者が出てくる。この時、モタモタしてなかなか房から出てこない者には係官の容赦ないビンタやケリが加えられる。
初めて見たときにはそのビンタやケリの迫力に驚いた。ビンタは腕を曲げずに腕全体を使ってまるで分厚い板で殴るかのようにして横っ面を張り倒していた。映画やテレビで聞き知ったパンとかパチンといった乾いた音ではない。皮カバンを思い切り平手でたたいたようなドスンというくぐもった音だ。場合によっては、さらに腹部にケリが入れられる。係官は間違いなく空手のような武術を習得しているのであろう、体全体を使って足を素早く回転させ腹に思い切りケリを入れる。サンドバッグに蹴りを入れたときと同じようにドスンとくぐもった音が聞こえてくる。
係官の中には皮鞭を振るうものいる。皮鞭といっても、たたいても傷にならないように、ベルトほどの幅があり、数ミリの厚さのある、まるで皮の靴ベラのような鞭である。これを使って背中をたたいたり、足の向こう脛をたたいたりして、収容者にいうことをきかせていた。ヒュッという鞭が空気を切り裂く音、そしてバシッという鞭が体をたたく炸裂音、全く非日常的な情景にまるで映画をみているかのような錯覚が起き、恐怖もなにも感じない。
ビンタやケリよりももっと驚いたことがある。それは、ビンタやケリを入れられた収容者がまるで何も効いていなかったかのように平然としていることである。ほんの2~3メートル離れたところで目撃していたのだが、決して係官が力を手加減していたわけではない。ビンタを加えられれば勢いで体は横に揺らぎ、ケリを入れられれば後ろによろける。しかし、それも瞬時のことである。すぐにもとに戻り、まるでなにもなかったかのように平然としている。恐らくは、これから始まる拷問に比べればなにほどのこともないからかもしれない。
その拷問を恐れるあまりだろうか、小柄で太った40前後と思われる男が房からなかなか出てこなかった。仲間から押し出されるように房から出てきたときには号泣していた。係官は、彼に当然のようにビンタとケリを入れ、鞭を使いながら追い立てるように恐らく拷問場所だろう、追い立てて行った。しばらくすると、われわれのいる房から10メートルほど離れたところにある拷問室の方向から、バシッという音に続いて、恐らくその男だろう、奇妙な節のついた甲高い悲鳴が繰り返し繰り返し聞こえてきた。その悲鳴が続いている間、房には重苦しい空気が淀んでいた。たまらず若い兵士が、拷問室から悲鳴が上がるたびに、笑いながらその悲鳴を真似て奇声を発していたが、恐らく恐怖から逃れようとしていたのだろう。
小一時間もすると、尋問が終わった収容者が房に戻される。その時、我々の前を通っていくのだが、何ごともなかったように戻っていく者もあれば、指や脛に包帯を巻かれた者、日焼けしすぎたかのように背中一面が真っ赤に腫れ上がった者、仲間に支えられながら足を引きずりながら歩く者もいる。収容者の中には兵士と顔見知りの者もいるらしく、尋問の行き帰りに一言二言挨拶を交わす者や、中には笑顔で会釈をする者もいる。笑顔の意味はわからない。
収容者の年齢は、下は10代から上は60代まで、さまざまである。印象としては若者よりは40代以上の壮年や初老の年代が多かったように思う。私も含めて収容者は皆着たきり雀である。逮捕されたときの服装のまま長ければ何週間、何カ月も拘束される。なぜかわからないがパジャマを着た初老の男もいた。その男のパジャマの下半身部分は排泄物なのかそれとも血なのか茶色く汚れていた。シャワーがあるわけでもなく、洗濯ができるわけでもない。当然皆異臭を発する。とりわけすし詰め状態で収容されている雑居房からせ汗と糞尿とゴミの腐臭とを合わせたようなすさまじい異臭がする。雑居坊の鉄扉を開けるたびに鼻がひん曲がるような異様な匂いが通路にまで漂ってくる。尋問係官も思わず手で鼻を覆っていた。収容者が前を通って行くとき、私も思わず手を鼻にあててしまった。彼らが出て行った後、臭気を追い去るために、いつも若い兵士の一人が脱いだシャツを扇風機替わりに振り回し、臭気を消し去ろうとしていた。拘置所は暴力が支配する、家畜小屋のような臭気が漂い、落語の「地獄八景亡者の戯れ」のような地獄が天国と思えるような場所だった。(続く)
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