自衛隊だけではない。冷戦後、米軍、英軍をはじめ世界中の多くの軍隊が脅威対処型の軍事組織から危機管理型の警察軍的な組織へと変容している。とりわけ2001年の9.11テロ以降は、対テロ戦争の名の下に米軍が世界警察軍(グロボ・コップ)的な役割を果たしている。日本はもとより英軍、豪州軍等の米同盟軍も否応なく米グロボ・コップの補助的役割をになうようになってきた。その結果、対外的脅威に対処するためにつくられたはずの軍事組織が次第に変質し、従来の軍事組織の目的とは異なる組織になりつつある。 自衛隊は特に組織や隊員の変質が顕著である。
自衛隊における組織の変質のきっかけになったのは、冷戦直後の湾岸戦争の時である。その時以来対ソ脅威目的とした自衛隊の役割が変質し、グローバル安保の名の下に米軍の補助部隊として、米軍のグロボ・コップの下請けを引き受けてきた。ま1992年のカンボジアへの自衛隊PKO部隊派遣以降は国連のPKO協力の名の下に、また非伝統的安全保障という危機管理型の戦略論の後付け理論のお墨付きを得て、海外に積極的に進出するようになった。こうした海外での自衛隊の活動は2006年の改正自衛隊法第3条によって正式に自衛隊の本来任務に格上げされ、自衛隊は国土防衛という脅威対処のみならず国際協力という危機管理にも対応する組織となった。
国際協力が本来任務となったことは、これまで目に見える形で貢献できる仕事が少なかった自衛隊にとって組織の活性化、隊員の士気向上には大いに役立った。しかし、ここではあえてその問題点を指摘しておきたい。
第1は、戦闘集団としての自衛隊の役割の相対的低下である。PKO協力や災害派遣等で、自衛隊に期待される役割は戦闘能力ではなく、後方支援能力である。槍で言えば、槍の穂(槍頭)ではなく、槍の柄が重要になったのである。災害支援から復興支援まで自衛隊に期待される役割は大きくなるものの、その主な役割は後方支援能力や兵站能力になっている。このまま槍の柄ばかりを長くしてしまうと、槍ではなくなり、単なる棒になってしまう。
第2の問題は、隊員の意識の問題である。こうした自衛隊の組織的変質をとらえて護憲派からは、自衛隊を災害救助部隊にせよとの意見も出始めている。外部からの野次馬的な意見なら聞き逃すこともできる。しかし、隊員の中に戦闘員としての意識よりも災害支援や復興支援を自らの天職と心得るものもではじめているのではないか。そうした危惧を抱くのも、身近に、そうした例を見たからである。
海上自衛隊の艦載ヘリの元パイロットで、自衛隊を退職後に留学し、その後日本や海外の援助機関で働いている者を二人知っている。ヘリの乗員になるには多額の訓練費用や長時間の訓練が必要であり、アブラの乗り切った30歳前半に退職するのは自衛隊ひいては国防にとって大きな損失である。にもかかわらず、彼らが自衛隊よりも援助機関に惹かれたのは、自衛隊という組織に対する不満あるいは自衛隊や国防以上の何か魅力があったからだろう。国際協力や災害支援は隊員に士気の向上をもたらす一方、さらなる評価や生きがい、やりがいを求めて自衛隊を離れる優秀な隊員がこれからも続出するではないか。
以上のような自衛隊が抱える問題以上に深刻な問題がある。それは、防衛省のみならず外務省ひいては日本政府が自衛隊の国際協力をどのように国家戦略に位置づけるべきか国家戦略構想がない、あるいは従来の戦略の中にどのように位置づけるべきか不明なことにある。また組織的、制度的な問題として、日本の援助機関であるJICAとの協力をどのように図るのか、さらに言えばNGOとの協力をどのように調整するのか。憲法9条問題や日本人の護憲・平和思想もあって自衛隊とJICAやNGOとの関係は必ずしも良好とはいえない。政府は日本の従来の援助戦略に加えて自衛隊の援助をどのように国家戦略に位置づけるか早急に方針を明確にする必要がある。さもなければ、発展途上国の援助においても中国や韓国に圧倒されるだろう。そして何よりも、自衛隊が第2の青年海外協力隊になりかねない。
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