2014年10月29日水曜日
ルサンチマンの政治
ルサンチマンの政治が世界中に広がっている。
貧困がテロの温床というのは、イスラム国の出現で見事に否定された。イスラム国の戦闘に参加するために世界中から志願兵が集まっている。その理由はルサンチマンだ。母国で居場所が見つからない人々が母国にルサンチマンを抱き、自らを受け入れ居場所を与えてくれるイスラム国に共感を覚えるのは当然のように思う。そしてそのイスラム国は、まさにその名前が物語るように、かつての欧米列強へさらには西洋キリスト教諸国へのルサンチマンを晴らすために戦っている。
彼らの目的はイスラム国の建国である。それは欧米列強が恣意的に画定した国境線を否定すなわち西洋主権国家を否定することである。それはとりもなおさず、イスラムを否定した西洋キリスト教諸国への恨みを晴らすことである。だからこそ、国際法も無視し、欧米流の人権も否定し、人質の処刑も残酷になるのである。
ルサンチマンの動きはイスラム国に限らない。中韓が日本に歴史認識問題を仕掛けてくるのは、まさに日本の植民地化に対するルサンチマンである。かつて、日本は中国が弱体化した時「死せるクジラ」と称して欧米列強とともに中国を蚕食し、台湾、韓国を植民地化した。今や立場は逆転した。20年以上にわたる長い経済低迷、それにとどめを刺すかのような東日本大震災と原発事故。安倍政権の掛け声もむなしく、日本の長期低落は避けられない。
弱体化した日本にこれまでの恨みを晴らそうと、中韓が歴史認識問題を仕掛けている。
ことは南京問題や慰安婦問題ではない。まさに歴史認識問題である。これまでのアジア一の大国としての歴史認識を日本が改め、二位、三位になったことを日本国民が受けいれるまで、つまりは中韓が日本より心理的に優位に立ち、それを具体的に日本人が受け入れるまで歴史認識問題は解決しない。慰安婦問題や産経新聞記者の拘束問題を日本が全面的に謝罪し竹島を放棄し、そして最終的には日本がかつて韓国皇帝を廃位させたように、天皇を廃位させるまで韓国の攻撃は続くだろう。
洋の東西を問わず、ルサンチマンの政治が勢いを増している。これまで劣位に置かれていた人々や国家が反撃を始めている。それは単に植民地化へのルサンチマンでとどまるのか、あるいは文明や宗教に基づくルサンチマンとなるのか。ルサンチマンに基づく草の根の第三次世界大戦がすでに始まっている。
大国心理の崩壊と日本外交
明治維新以来、一貫して日本人はアジア随一の大国としての心理を抱いていた。しかし、2010年代に入りその心理はすでに過去のものとなった。今や日本に代わってアジアの大国が中国であると、中国人はもとより日本人のほとんど全員が思っている。今日本は、国民の心理では、アジアで二番目の国家になった。それだけではない、韓国人でさえ、日本人にはITとグローバル化では勝っていると思っている。中国、韓国ではついに日本に勝ったという心理が国民の間に横溢しているのだろう。
今このような駄文を書いている筆者を含めほとんどすべての日本人がこれまで、意識のあるなしにかかわらず、日本はアジア随一の大国との心理を抱いていたことだろう。だからこそ慰安婦問題に観られるように、日本人の間に、中国や韓国を弱者とみなし彼らに寄り添う心理的余裕が生まれたのである。
慰安婦問題がにわかに大きな問題になったのが、日本のバブル期であったことは決して偶然ではない。当時日本の大国意識は絶頂期を迎えた時代であった。将来はアメリカと日本の共同覇権、アメリッポンの時代が来ると本気で信じられていた時代だった。他方、中国は依然として発展途上国の域を出ず、韓国もオリンピックを開催するだけの国力を回復したものの、日本の経済力とは比較にもならなかった。この日本と中韓の経済力の差が日本人に心理的余裕を生み、「良心的日本人」に中韓の慰安婦に寄り添うことで自らの良心の証としたいとの思いがめばえたのだろう。
慰安婦問題での誤報を朝日新聞が取り消したのが今年2014年であったことは決して偶然ではない。朝日新聞が日本政府に厳しく、他方中韓に寄り添うような報道をしてきたことは、まさに日本人の大国心理を無意識の前提にしていたからである。その前提が崩れた以上、もはや朝日新聞がよって立つ弱者への思いやりという倫理的優位性も失われてしまった。また日本人も中韓からの非難に鷹揚に構えている心理的余裕を失った。朝日新聞へのバッシングは、まさに日本が大国の座から滑り落ちたことへの日本人のいらだちである。またいわゆる在特会に集まる人々は、まさに中韓の弱者よりも日本人の方がより弱者に、劣位に置かれているとの思いからヘイトスピーチを繰り返すのだろう。
日本はもはやアジア随一の大国ではない。この現状をどう心理的に受け止めてよいのか、だれも答えを見いだせない。安倍政権や自民党は「強い日本」を取り戻すとして、経済、軍事に力を注いでいる。しかし、どうあがいても中国を追い抜くことはできない。他方いわゆる平和主義者は憲法九条にノーベル賞を授章させる運動で何とか平和大国としての心理を得たいと考えている。しかし、不思議なことになぜ憲法九条がノーベル平和賞に値するのか、だれも論理だって説明できない。右も左も、だれも日本がアジアで二番目の国なったことを受け止められないでいる。
日本が置かれている現状は、添谷芳秀が主張するようなミドルパワーではない。まさにアジアでの第二位国家なのである。心理的余裕を失った日本人は今、原発反対、TPP反対の現代の鎖国政策をとるか、あるいは「開国」をして再度アジアの大国を目指すか、まさに正念場である。
2014年10月23日木曜日
10.21国際反戦デーの無惨
10.21と聞いてピンとくる人はいるだろうか。10月21日は国際反戦デーである。1969年10月21日、新宿を中心に新左翼、労働者、市民等による大規模な反戦デモが行われ、新宿が騒乱に包まれた。あれから45年の今年、2014年10月21日NHK 横の公園で200人ほどのデモ隊が戦争反対のデモをしていた。それはまさしく焼香デモだった。
先頭には全学連の横断幕を持った学生らしき集団がいた。その後ろにはほとんどホームレスのかっこうに近いしょぼくれた労働者らしき国労、千葉動労の横断幕を掲げた集団が続いた。その後に続くのは、60台、70台の全共闘崩れの爺さん、婆さんばかりだ。本当に秋風のしみる風景だ。
戦争反対、アメリカのイラク、シリアへの空爆反対、とシュプレヒコールを叫んでいたが、寒空にこだまするばかりで、ひたすら物悲しい。なぜアメリカの空爆に反対するのなら、現地に行って体を張って反対しないのだ。ただ自己満足だけの反戦運動をして何か世の役に立つと思っているのだろうか。なぜ日本にはこうした似非平和主義者ばかりはびこるのだろうか。足元もおぼつかない爺さん、婆さんが世の中の役に立つことはただ一つ、早くあの世に行くことだ。年金も健康保険も放棄するのが、日本の平和ひいては世界の平和に役立つ最良の方法だ。入れ歯をがたがた言わせながら、戦争反対と叫んでいる自分が世界の平和にとって最大の障害だということを悟るべきだ。
それにつけても、反政府派の過激派は自爆テロを実行するだけの度胸も覚悟もないのだろうか。本当に、本当に情けない。
辺野古の測量を請け負っている会社に爆発もしない金属弾を撃ち込んだ過激派がいる。過激派というのもおこがましい。おそらく60台、70台の全共闘崩れだろう。戦争の修羅場も知らず、自慰に等しい悪ふざけをしたに過ぎない。本気になって反戦、反米を主張するなら、アルカイダやイスラム国のように、銃や爆弾で反米、反政府闘争を敢行してくれ。花火で火遊びをする過激派など世界中どこを探してもいない。
結局日本の過激派や左翼は命を懸けることはなく、遊びや自己満足でしかなかったのだ。
10.21国際反戦デーの焼香デモを見てつくづくそう思った。
2014年10月13日月曜日
憲法九条のノーベル平和賞をめぐる悲喜交々
2014年10月10日にノーベル平和賞の発表があった。事前予測では憲法九条は受賞候補第一位であった。もっとも直前の予想では圏外だったらしい。落胆する人もいれば安堵した人もいたろう。
たまたま私も、憲法九条にノーベル平和賞をという運動に賛同を求められていた。もちろん納得すれば喜んで賛同者に名を連ねます、と返答した。会合に出席して、憲法九条の何がノーベル平和賞に値するか、質問したところ、だれも明確に回答できなかった。
これまで日本は憲法九条のおかげで戦後70年近く一度も戦争をしなかったことが平和賞に値するというのが一般的な答えであろう。しかし、戦争をしなかったというなら、1648年から360年以上戦争をしなかったスイスこそ平和賞に値するのではないか。
ではいったい何が平和賞に値するのだろうか。自衛隊という、軍事費だけで言えば、世界第5位の立派な軍隊を持っている。憲法で戦争をしないとの条文を掲げているのは日本だけではない。イタリアもアフガニスタンも非戦の平和憲法を持っている。
どうしても納得できなかったので、結局賛同者には名を連ねなかった。会合に同席していた憲法九条を称賛する外国人に尋ねてみたところ、核廃絶を訴えたオバマの平和賞と同じで、これから日本が軍隊をなくすことを応援する意味だ、との回答があった。それこそ憲法九条が平和賞候補に挙がったことを安倍さんが「政治的だね」といったことを裏付ける。反安倍運動と見れば、今回の平和賞候補は納得できる。
一方で、万一受賞していたら、憲法九条を支援する人は大いに困ることになる。なぜなら、ノーベル平和賞が現状を肯定することになりかねないからだ。戦後憲法九条の下で、二十数万の軍隊を抱え、日米安保で米国と軍事同盟を締結し、今や個別的自衛権はもちろん集団的自衛権の行使を容認しているのである。平和賞は憲法九条という条文に与えられるわけではなかろう。憲法九条を護持してきた国民に与えられるとするなら、ノーベル平和賞は日本の現在の防衛政策を全面肯定することになる。なぜなら国民の代表たる国会議員によって憲法九条の下、国会で防衛政策が決められてきたからだ。それは、自衛隊、日米安保等現在の防衛政策に反対する社民党、共産党そして憲法九条にノーベル賞を、という運動を進める九条の会など護憲派の人々の思惑とは異なるだろう。
マスメディアが好意的に憲法九条にノーベル平和賞を、という運動を取り上げたのは、相模原の一人の主婦がアイデアを思いついたからだ。数十年前に杉並の主婦が反核平和運動を先導したり、また20年前にニュージーランドの主婦が核兵器裁判を起こしたことがある。今回は三匹目のドジョウをマスコミは狙ったのだろうか。
それにしても、万一憲法九条が授章した時、ノーベル賞委員会はどのような理由を挙げたか、まことに興味深い。また授賞式には国民を代表して安倍首相が出席するのだろうか。そのことを想像するだけで、憲法九条にノーベル平和賞を、という運動がブラック・ユーモアに思えてくる。
2014年10月4日土曜日
憲法九条の想定外の「国際紛争」
安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定をめぐって賛否両論が激しく闘わされている。憲法九条第一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。これまで「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇又は武力の行使」については夥しいほどの数の著作が出版され議論が繰り返されてきた。にも関わらず元法制局長官阪田雅裕氏によれば(半田滋『日本は戦争をするのか』(岩波新書)62頁)「国際紛争」についてこれまで政府で議論になったことはないという。この国際紛争の解釈に一石を投じたのが、安保法制懇の北岡伸一座長代理である。彼は、「国際紛争」には第三国における紛争」たとえばアフガニスタン、イラクのような第三国での紛争は含まれないとの見解を明らかにしている(同上書、61頁)。たしかに「国際紛争」の由来を調べると北岡氏の主張は正しい。
そもそもマッカーサー・ノートでも、GHQ原案でも「他国との紛争」を解決する手段として「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄したのである。つまり憲法九条はアフガニスタンでのタリバン、イラクやイエメンなどでのアルカイダそしてシリアやイラクでのイスラム国など他国内での非国家主体との紛争など想定していなかった。現在「国際紛争」として問題となっているのは、「他国との紛争」ではなく「他国内における非国家主体との紛争」である。
「他国との紛争」に代わって「国際紛争」という文言が使用されたのは、帝国憲法改正案委員会小委員会第4回(1946年7月29日)以降である(『帝国憲法改正案委員会小委員会速記録』(現代史出版、2005年))。冒頭芦田委員長が次のように発言した。「又、第2項の『他国との間の紛争の解決の手段……』という表現はあまりにもだらだらしていますので、この文章も『国際紛争を解決する手段』と修正するという提案もありました」との記述がある(福永文夫独協大学教授のご教示に感謝します)。つまり憲法九条が想定している「国際紛争」とは日本と「他国との紛争」であって、「他国内における非国家主体との紛争」ではない。
そもそも憲法制定時に「他国内における非国家主体との紛争」など全く想定していなかったはずだ。憲法九条の目的はあくまでも日本を非武装化し、二度と「他国と紛争」ができないようにすることだったからである。しかるに現在の「国際紛争」は「他国との紛争」よりもむしろ憲法九条の想定外の「他国内における非国家主体との紛争」が主流になりつつある。つまり第三国における武力行使は憲法上禁止されていないという北岡氏の主張は論理的には正しいことになる。だとすれば憲法九条が想定していない国際紛争に武力の行使は許されるのだろうか。
現在アメリカはイスラム国に対する攻撃を自衛権で正当化している。はたして自衛権で正当化できるかどうかは微妙だが、日本がアメリカに協力を要請されれば明らかに集団的自衛権の発動となる。ただし憲法九条の想定外の「国際紛争」であるために、集団的自衛権の発動がはたして憲法違反となるかどうかは微妙である。あるいは集団的自衛権の発動ではなく日本が推進している人間の安全保障の「保護する責任」、あるいは戦時における婦女子の人権擁護の人道目的でイスラム国への武力行使をアメリカあるいは国連から要請されれば、それを憲法違反として日本政府は拒否できるだろうか。悩ましい問題ではあるが、今後こうした憲法九条の想定外の国際紛争が頻発するだろう。
映画ジャージーボーイズを観た
クリント・イーストウッド監督の『ジャージーボーイズ』を観た。ニューヨークの摩天楼を遠景に、後のジャージーボーイズのリーダーとなるトミー・デビートが落語の地語りのように観客に物語の発端を説明する。そして軽やかな足取りで歩いていく先は散髪屋だ。中に入るとゴッドファーザーのオマージュなのか、16歳のころの主人公フランキー・ヴァリが親方に代わって地元のマフィアの顔役ジブ・デカルロの髭を剃るシーンだ。驚くことにデカルロを演じているのはクリストファー・ウォーケンだ。このシーンを見ただけでアメリカのベビーブーマー世代はフランキー・ヴァリの大ヒット曲「君の瞳に恋している」のメロディーが頭の中に鳴り響いたことだろう。イーストウッドの配役の妙だ。そうクリストファー・ウォーケンはアカデミー助演男優賞を受賞した1978年の「ディアハンター」の中で「君の瞳に恋している」を熱唱していたのだ。
ロバート・デ・ニーロ主演の「ディアハンター」はベトナム戦争の過酷な体験で心身ともに傷ついた三人の帰還兵の友情を描いた青春映画(決して戦争映画ではない)で、バックグラウンドミュージックで流れるギターの名曲「カバティーナ」とともに「君に瞳に恋している」は時代を象徴する音楽である。クリストファー・ウォーケンの結婚式のダンス音楽として、また酒場でデ・ニーロやジョン・カザールらが酒をあおりながら熱唱するシーンで使われていた。団塊の世代はクリストファー・ウォーケンが登場するだけで一気に1960年代の青春時代に引き戻される。
映画はほぼミュージカルの脚本通りに進行する。違うのは冒頭でトミーやフランキーが窃盗などの悪さをしていた若い時代を付け加えたことだろうか。軍隊に入るか、犯罪に手を染めるか、有名になるか、貧乏から抜け出すには、それ以外にないというトミートの言葉が彼らがとにかく売れることに必死だった動機を説明している。また演出もミュージカル通りだ。酒場のネオンサインが壊れてOUR SONSとなっていたのが、故障が直るとFOUR SEASONSになり、それがフォーシーズンズの名前の由来となったというシーン。またエドサリバンショーに出演するシーンで、ミュージカルや映画のポスターになっている客席を背景にフォーシーズンズがきめのポーズを彼らの背後から写し取ったシーンなど、ほぼミュージカルの演出通りだ。とはいえ監督がイーストウッドならではのシーンがあった。ホテルの部屋にあったテレビにイーストウッドが出演したテレビ番組ローハイドが映し出され、若き頃のイーストウッドが映っていた。そしてラストシーンは出演者全員が登場し踊る。ミュージカルのラストと同じで、映画「蒲田行進曲」のラストを思い出した。
栄光と挫折そして復活という青春映画の王道を行くような物語である。ストーリーが単純なだけに音楽の役割は大きい。「シェリー」、「恋はヤセがまん」、「恋のハリキリ・ボーイ」そして「君の瞳に恋している」などアフレコではなく同録の歌唱シーンは緊張感あふれ圧巻である。団塊の世代なら音楽だけで、青春時代を思い出して涙がこぼれる。
私が初めてニューヨークでミュージカル「ジャージーボーイズ」を観たのは数年前のことである。以来、ニューヨークで4回、ロンドンで1回観た。ニューヨークの観客の多くはベビーブーマー世代の観光客だ。知っている曲がかかるとみんなが口ずさむ。初めて部隊を観たときは隣に座っていた60半ばの婆さんは感極まって涙を流しながら「君の瞳に恋している」を歌っていた。公民権運動、ベトナム戦争など激動の60年代を経験したアメリカ人にとってビートルズよりフォーシーズンズの方が身近なのかもしれない。それは昭和歌謡にノスタルジーを感じる日本人と相通ずるものがある。
それにしても監督イーストウッドの制作意欲には驚くばかりだ。音楽の効果的な使い方にも感嘆させられる。そして個人的には、彼が他の作品でも多用しているシーン、街道沿いや場末のアメリカン・レストランのシーンが好きだ。そこには必ずと言っていいほど、円筒形のガラスのケースに陳列されたまずそうなアメリカのパイやケーキが映し出されている。まさにアメリカを象徴する画だ。
2014年9月26日金曜日
慰安婦問題は慰安所問題である
あえて火中のクリを拾うつもりはないが、昨今の日本の言論空間で飛び交っている慰安婦問題の議論があまりにアメリカでの議論と食い違っているので、一筆記しておきたい。
慰安婦問題の本質は慰安所問題である。強制連行や広義の強制性の問題などではない。つまり軍(すなわち国家)が民間業者を通じて間接的に慰安所を管理、運営したことにある。仮に慰安婦たちが自発的に慰安所で自由を謳歌しながら働き高給を得ていたとしても、軍が慰安所に関与していたことを正当化する理由にはならない。良い関与も悪い関与もない。関与はすべて悪い。今の常識に照らせば(認める、認めないは別にして、慰安婦問題はすべて現在の人権概念に基づいておこなわれている)、間接的にであれ軍が売春宿に関与すること自体、軍の威光を汚すものである。
ただし、こうした判断は国により、時代によっても異なる。日本人、特に勝新太郎主演『兵隊やくざ』を見た世代以上なら慰安所(芸者屋、P屋)があったことは誰もが知っている。また慰安所が戦争には必要悪だと大方のものが納得していた。しかし、日本と同様に軍の慰安所を持っていたドイツを除き、欧米諸国では軍が売春宿に間接的にであれ関与することはなかった。売買春は個人や民間の問題であって、国家は取締りこそすれ売春を利用することはありえなかった。背景には売春を禁止した1921年の「婦人及児童ノ売春禁止ニ関スル国際条約」があったこと、またキリスト教倫理に基づく売春への社会的な忌避感があったからである。日本も1925年に条約を批准している。ただし、朝鮮半島、台湾、関東租借地を除くとの留保条件を付けている。
日本ではいわゆる売春に対する倫理的忌避感が希薄である。おそらくは江戸時代の遊郭文化からの伝統であろう。とはいえ何度も公娼制度の廃止が試みられた。最終的に売春が禁止されたのは1958年に売春防止法が成立した時である。しかし、今なお脱法的に「自由恋愛」の名の下でソープランドとして売春制度が残っている。
だからといって、他の国、特にアメリカが日本と同じ程度に売春に寛大だと思うと大間違いである。売春について話をするだけでも、インテリではないといって、嫌われる。ましてや慰安所は戦時において必要悪だったなどと言おうものなら非難の集中砲火を浴びることになる。奴隷制度は必要だった、人種差別は必要だったというようなものである。
慰安婦の強制連行あろうがなかろうが、広義の強制性があろうがなかろうが、慰安所があったこと自体が問題なのである。某氏が言っていたが、慰安所は大学の食堂と同じで、民間業者が直接管理運営しているからと言って、食中毒を起こせば大学も責任の一端は免れない。同様に苦痛を受けたと訴える「慰安婦」がいる限り、国に責任はないと言い切ることはできない。
慰安婦問題の解決には、慰安婦像の記述や国連報告書の虚偽の訂正を求めていく一方、日本政府は慰安所を認可した責任を認め、かつて日本国民であった「慰安婦」には日本国家として賠償や謝罪を行うべきである。そうすることで日本は女性の人権を重視する国家として、これまで浴びせられた汚名を雪ぎ、名誉を回復できるであろう。慰安婦問題は日韓の外交問題ではない。あくまでもかつての「日本国民」と現在の日本政府の問題である。
2014年9月13日土曜日
新聞のブログ化と記者のブロガー化(朝日の誤報問題)
昨今の朝日の誤報問題の背景には新聞のブログ化と記者のブロガー化がある。昨年(2013年)の8月22日に、本ブログで、「ブログ化する新聞」という一文をアップした。ワシントンで毎日iPADに配信される朝日と産経を読んでいると、「両紙とも個人が書くブログのように主張が主観的で、客観報道の建前はとっくにかなぐり捨てている」という内容だった。
産経は以前からブログ化しており、韓国の黒田勝弘、ワシントンの古森義久そして阿比留瑠比など「パワーブロガー」を擁している。産経は「事実の客観的報道を使命とする」新聞というより「個人の主張を使命とする」ブロガーのブログの寄せ集めのようなブログ新聞という印象さえ受ける。いわゆる有識者が寄稿する「主張」欄こそ「ブログ紙」産経の真骨頂だろう。それだけに上記三人を含め他多数の記者ブロガーの主張が全面に出て、産経は読んでいて面白い。
他方、朝日は特定のパワーブロガーはいないが、会社自体がパワーブロガー化してしまっている。パワーブロガーとして朝日は第二次安倍政権登場以来、全社あげて反安倍キャンペーンを展開してきた。アベノミクス批判に始まり、昨年末の秘密保護法から次第に批判がエスカレートしてきた。そして集団的自衛権行使容認に反対するキャンペーンでは記事だけではなく、社説、天声人語、投稿欄の「声」、短歌などあらゆるセクションを利用して反安倍キャンペーンを張ってきた。こうして朝日が反安倍批判をエスカレートさせる過程で「吉田調書」誤報問題が起きた。
朝日は安倍政権登場以来、一貫して安倍政権の原発再稼働には反対してきた。当然再稼働を求める東京電力にも批判的な立場をとっている。「所長の命令に反して作業員原発から撤退」との誤報記事を掲載したのは、東京電力の原発再稼働ひいては安倍政権の原発容認政策に反対するために「吉田調書」を都合よくつまみ食いしたのではないかと勘繰られても仕方のないような反原発の主張を繰り返してきた。
しかし、誤報記事がブログ記事だとすれば、事実と異なるからと言ってとりたてて目くじらを立てるほどのことではない。自らの主張に沿って事実を再構成、再解釈するのは政治、歴史等社会科学系の論文では当然のことだからである。ましてやブログでは、その主張こそが重要なのであって、事実が重要なのではない。新聞は事実を報道することこそ使命であると、朝日も批判する側も思い込んでいるから今回の事件が起きたのである。ブログ記事だと考えれば、誤報ではなく「吉田調書」を読んだ記者の読解力や解釈力あるいは反東電の主張の是非でしかない。
朝日がブログ紙だと考えれば、強制連行を捏造した「吉田証言」を30年以上にわたって訂正しなかったことも納得できる。ブログは基本的に一次取材はしない。世の中に出回っている言説や一次資料を自らの主張に沿って再構成するだけである。一次資料が間違っていたからと言ってブロガーに一次資料に対する責任はない。あるのは引用した責任である。ましてや間違った一次資料を使ったからと言って、それが直ちに自らの主張が間違っていたことにはならない。
朝日も同様に、捏造の吉田証言があっても慰安婦問題の強制性の主張とは何ら関係ない。慰安婦に対する強制性の主張は事実の問題ではなく、女性の人権を守るという価値観の問題だからである。朝日が慰安婦問題で謝罪できないのは、朝日がブログ化した証拠である。事実を報道することが使命の新聞なら吉田証言が捏造とわかれば、池上彰氏が言うように裏取取材の不足を謝罪するのは当然である。にも関わらず、朝日が謝罪しないのは、やはり事実よりも主張ありきだったからではないか。まさにブログそのものである。
ブログは増加の一途である。ブログが増えると記者よりも専門知識を持ったブロガーも増えてくる。その結果新聞社どうしが競争しているというよりも記者どうしあるいは記者とブロガー、ブロガーどうしが論争する時代になっている。朝日の誤報問題背景には新聞のブログ化と記者のブロガー化という抗いがたい時代の流れがある。
2014年8月7日木曜日
韓米への手本となるよう日本は慰安婦に謝罪を
朝日新聞が慰安婦問題について、「強制連行」に関する吉田清治氏の証言がすべて虚偽であると判断して、「少なくとも16本」(『産経新聞』2014年8月7日)の記事を取り消した。具体的にどの記事が取り消されたのかはわからない。1本や2本ではない。「少なくとも16本」をまとめて取り消したのである。まさに前代未聞の事件であり、報道機関としては致命傷だ。また朝日新聞だけではない。朝日新聞の記事を真実として引用したコメント、論文、書籍、国連の勧告書を含めすべてが信用性を失ってしまう。朝日新聞の責任は極めて重大と言わざるを得ない。
現在国際社会では慰安婦問題についてはは強制連行があったかどうかが問題になっているわけでない。本ブログ2013年7月8日「慰安婦問題は歴史問題ではない」で詳細に論じたように、慰安婦に「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、接客拒否の自由」が無かったから「性奴隷」の状態にあったということ、さらに公娼制度も含め慰安婦制度は事実上の人身売買に基づく制度だということである。奴隷労働と人身売買の二点で人権問題とりわけ女性の人権問題として従軍慰安婦は問題視されているのである。
朝日新聞も「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」と記している。全くその通りである。また「90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦事件に国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では女性の人権問題という文脈でとらえられています」。何ら反論はない。ならば慰安婦問題は日本軍による「強制連行」という、日本固有の問題ではなく、女性の人権という普遍的な問題であり、さらには女性に限らず広く人権の問題として初めから議論すればよかったではないのか。今更ながらの論点のすり替えである。
「戦時下での女性に対する性暴力をどう考えるかということは、今では女性の人権問題という文脈でとらえられています」というのであれば、ボスニア紛争を持ち出すまでもない。朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国や米国も同じ問題を抱えている。
2014年6月、朝鮮戦争当時駐留米軍を相手に売春街「基地村」で働かされた元米軍慰安婦が韓国政府を相手取って、管理売春制度をつくり過酷な労働に従事させたとして賠償訴訟を起こした。まさに日本に対して従軍慰安婦が賠償請求しているのとまったく同じ理由すなわち「性奴隷」であり「人身売買」であり、「戦時下での女性に対する性暴力」であり「女性の人権問題」である。強制連行の有無の問題などではない。米軍慰安婦問題については朴槿恵(パク・クネ)政権だけではない。米国政府もその責任から免れることはできない。またベトナム戦争でも「女性に対する性暴力」をふるい「女性の人権」を犯した韓国軍や米軍は日本以上に責任と謝罪を行わなければならない。
朝日新聞が強制連行を誤報と認めた以上、遅きに失したが日本軍や日本に対するいわれなき中傷や非難は雪がれたと信じ、日本政府は「女性の人権」という視点から慰安婦に謝罪して、韓国政府やオバマ政権に米軍慰安婦に謝罪させる手本となるべきである。米国内で従軍慰安婦問題で日本政府を非難している韓国系アメリカ人も含め女性の人権擁護活動に努めているアメリカ人そして何よりも国連の人権理事会はぜひ米国政府に米軍慰安婦に謝罪するよう働き掛けるべきである。そして朝日新聞もせめて誤報の責任をとって、「女性の人権」という視点から韓国政府に対する人権擁護キャンペーンを張ってほしい。
今回の世紀の誤報事件は朝日新聞にとって地獄への一里塚になるだろう。朝日新聞の将来がどうなるかを見届けるために、これからも購読を続けるつもりだ。
2014年6月11日水曜日
集団的自衛権行使容認反対派の敗北
安倍内閣は、集団的自衛権を認める閣議決定に向け、いよいよラストスパートに入ったようだ。反対派はメディアやシンポ、集会などいろいろな手段を使って何とか閣議決定を阻止すべく全力を挙げている。しかし、もはや敗北感漂う状況に追い込まれている。今は、ただ反対の声を挙げるだけで、閣議決定を阻止することはあきらめたようだ。なぜ反対派は負けたのか。
集団的自衛権反対派の反対論は以下の四点にまとめることができるだろう。
①解釈改憲に反対
したがって、憲法改定を国民に問うべきだ。慶応大学の小林節教授はじめいわゆる改憲派も含めた大方の主張である。
解釈改憲反対論は解釈改憲という手続きに対する反対論であり、集団的自衛権そのものの是非を問うているわけではない。むしろ集団的自衛権を容認している者も多い。仮に容認していない人であっても、憲法改定で国民が賛成すれば集団的自衛権を容認せざるを得ない。その意味で、解釈改憲反対論は手続き論への反論であって集団的自衛権そのものへの反論にはなっていない。それだけに中国の脅威や朝鮮半島有事の個別的事例を出されると、何ら反論できない。
②個別的自衛権で対処可能
公明党の主張である。確かに、内閣や安保法制懇が挙げた集団的自衛権が必要となる個々の具体的な事例は、前提が荒唐無稽で非現実的であったり、そうでなければ個別的自衛権で十分に説明できる事例ばかりである。
とはいえ、今回内閣が挙げた事例に反論できたとしても、今後もすべて個別的自衛権で解釈可能ということにはならない。その時は集団的自衛権を認めるのか、あるいは個別的自衛権の範囲でしか自衛隊は行動しないのか。もし前者であれば、ならば将来に備えて今集団的自衛権を認めるべきだという安倍内閣の主張と変わりはない。また後者であれば、個別的自衛権で対処可能という議論ではなく、自衛隊は個別的自衛権の範囲でしか行動すべきではないことを主張すべきであろう。
この反対論は、公明党としては、与党にとどまる一方創価学会の主張にも配慮したぎりぎりの妥協案である。しかし、それは単に問題の解決を先送りした、時間稼ぎの政策論でしかない。
③集団的自衛権そのものに反対。
本来の反対論は集団的自衛権そのものに反対すべきであろう。ただし、真っ向から集団的自衛権行使容認に反対する議論はあまりない。
安倍政権は集団的自衛権の容認することで抑止力が高まり、またこれまで以上に国際協力が可能になるとの積極的平和主義を強調する。集団的自衛権の行使が容認されれば、日米同盟が強化され、中国への抑止力になると目論んでいる。しかし、その一方で中国との間で軍拡競争が始まり、安全保障のジレンマから、かえって安全が損なわれるかもしれない。
とはいえ中国への抑止力になるという主張に反論を加えるのは難しい。抑止力の有効性については実証することも反証することも不可能だが、一般的には誰もが有効だと信じがちだからである。
また集団的自衛権を認めればアメリカの戦争に巻き込まれるという議論も説得力を欠く。集団的自衛権を発動するか否かは政策判断であり、米国の言いなりになるわけではない、という内閣の主張に反論することも難しい。実際、親米安倍政権が未来永劫続くわけではない。政権が変われば、解釈も変わる可能性がある。
過去NATO諸国がアメリカとの集団的自衛権を発動したのはアフガニスタンの対テロ戦争だけである。逆に発動しない例の方が多い。スエズ戦争ではアメリカは英・仏と敵対し、ベトナム戦争ではイギリスはアメリカに積極的な協力はせず、逆にイギリスがフォークランドを攻撃した時にはアメリカはイギリスに情報提供をした程度である。
集団的自衛権を認めれば、日本は戦争をする国になるとの主張は、あまりに情緒的で反論にはなっていない。
④安倍政権の安全保障政策そのものに反対
本来ならこの視点から反対論を展開しなければいけない。しかし、柳澤協二氏が『亡国の安保政策』で指摘しているように安倍首相の目指す安全保障政策とは一体何なのかがわからない。そのために、反論が難しい。
たしかに積極的平和主義を掲げてはいる。国家安全保障戦略を策定し、国家安全保障会議を設置し、秘密保護法を制定し、武器輸出三原則を緩和し、そして今集団的自衛権行使を容認しようとしている。しかし、国家安全保障戦略は祖父岸信介元首相が策定した「国防の基本方針」とそれほど内容に差はない。国家安全保障会議の設置、秘密保護法の制定はいずれも民主党政権も構想した内容であり、武器輸出三原則の緩和はすでに野田政権時代に事実上行われている。
つまり、集団的自衛権行使容認を除けば、これが安倍政権の安全保障政策だという特色あるものはない。その集団的自衛権行使容認も当初は憲法改定によって実現させようと目論んでいたものだ。それが実現不可能とわかって解釈改憲に舵を切った。
安倍首相も政治家として祖父岸信介元首相の遺志を継いで改憲を目指していたのだから、改憲こそ王道であろう。にもかかわらず、あまりに短兵急に解釈改憲で集団的自衛権行使を容認しようとするのは何か隠された意図があるのか。それとも、河野洋平氏の批判に「信念を少し丸めて、その場を取り繕っても、後々大きな禍根を残すこともある。それは政治家として不誠実ではないか」と強く反論したが、何か確固たる「信念」があるのか。その「信念」がわからない。
安倍首相の積極的平和主義の理念とは一体何なのか、「信念」とは何か、それが明確に分からないだけに反論のしようもない。せいぜい個別の問題で個々に反論を加えるだけである。その結果、反対派は各個撃破され、気がつけば安倍首相の圧勝という状況になってしまった。
反対派の有効な反論は、積極的平和主義への具体的な対案を出すことである。それは自衛隊による専守防衛戦略と憲法九条部隊による人間の安全保障戦略である。これについては別稿で論ずる
2014年5月25日日曜日
矢吹晋『尖閣衝突は沖縄返還に始まる』を読む
矢吹晋『尖閣衝突は沖縄返還に始まる―日米中三角関係の頂点としての尖閣』(花伝社、2013年)
本書の主張は、概略以下のような内容である。
戦後ダレス国務長官は蒋介石の主張に配慮し、日台間の沖縄領有権問題に中立を保つために残存主権(residual sovereignty)という新たな主権概念を作り出した。その上沖縄の施政権だけをアメリカに移管し占領行政を行ったのである。それは、米国は領土拡大の意図はないとの大西洋憲章にも合致する論理だった。蒋介石によれば、沖縄は本来台湾に返還されるべきであったが、アメリカは沖縄の施政権を日本に返還することで、沖縄の領有権問題に中立を装った。当時、米中は国交回復の交渉の真っ最中であり、蚊帳の外に置かれた蒋介石はせめてアメリカが尖閣諸島に影響力を残し中国をけん制することを願って、米軍に射爆場を設定するように要請した。それが今日日本の公式文書にわざわざ中国名で「黄尾嶼」、「赤尾嶼」と記載される久場島、大正島の二つの米軍射爆場である。
本書の主張は、一言で言えば、沖縄は日本ではなく台湾(中国)領であるとの蒋介石の主張に依拠している。尖閣が台湾領であることの根拠はそもそも沖縄が日本の領土ではない、百歩譲って、日台(中国)いずれに帰属しているか、あるいは独立しているのか明瞭ではないという前提に立っている。したがって尖閣問題は尖閣の帰属そのものよりもむしろ沖縄の帰属が議論の主眼となる。沖縄が中国領であるなら、尖閣は当然中国領である。したがってアメリカが沖縄を日本に返還したこと自体が誤りとなる。仮に沖縄の領有権が日本にあったとしても、尖閣は地理的には台湾の付属諸島であり、台湾に帰属するのが当然というのが筆者の暗黙裡の主張である。また日本の無主地先占による尖閣の領有権の主張は日清戦争の勝利を受けて行われたものであり正当性に問題があると疑義を示している。
筆者の主張の問題点は、第一に、尖閣は日本領に編入される以前に台湾(中国)領であったと証明できるのか。仮に日本の尖閣の領有が違法だったとしても、それでただちに中国の領土とはならない。日中関係に近代主権国家の国境概念が導入されたのはまさに日本が明治政府によって近代国家を樹立した時である。それ以前の封建国家や帝国の境界は線ではなく面の辺境概念である。尖閣はまさに中国と琉球の辺境の島嶼であり、両国とも自らの辺境と意識していたのだろう。事情はどうであれ、当時の国際法に従えば、明治政府が無主地先占の原則に従って領有したことは合法ではないのか。
この領有権の合法性を否定する論法は、そもそも明治政府による琉球併合そのものを違法とすることである。琉球の併合が違法で本来は中国領であるとするなら尖閣問題は雲散霧消する。筆者の第二の問題点は、まさに、この点にある。琉球併合は違法なのか、そしてアメリカによる沖縄の日本返還はそもそも誤りだったのか。行間ににじむ主張はイエスである。現在中国の一部にある琉球回収の主張はあながち荒唐無稽な議論ではない。
結局尖閣の帰属問題の本質は沖縄の帰属問題であり、だからこそ沖縄の日本返還が尖閣問題の発端となったというのが本書の主張である。
朝鮮有事の際、日米安保は発動されるのか?
朝鮮戦争は国際法上、韓国・国連軍(事実上米軍)対北朝鮮・中国(義勇兵が参戦したという名目なので国家としては参戦していない)戦争である。現在の休戦協定は国連軍、北朝鮮、中国の三者(いずれも現地軍司令官が署名)によって結ばれている。韓国は反対したために休戦協定に調印していない。
安倍政権が想定している朝鮮有事は、北朝鮮が韓国に武力攻撃を仕掛けた場合であろう。この時休戦協定は事実上破棄され、米軍、韓国軍が反撃することになる。問題は米軍が国連軍として国連旗の下で行動するのか、それとも米韓相互援助条約に基づいて星条旗の下で行動するのか。いずれであれ軍事的には米軍が行動することになるが、国際法上米軍の行動が国連決議によって正当化されるのか米韓相互援助条約で正当化されるのか、必ずしも判然としない。
日本から見れば米軍そして韓国軍が国連旗を掲げて国連軍として行動するとなれば、1954年に国連と結んだ地位協定にしたがって米軍や韓国軍、そのほか国連の呼びかけにしたがって参戦する国々を支援することになる。この国連軍に対する支援(施設や物品の提供、兵士の居住、移動などの便宜供与などもっぱら後方支援)は個別的自衛権の発動ではない。しかし、集団的自衛権の発動なのか、あるいは集団安全保障の発動なのか。というのも朝鮮国連軍は国連軍とも言い難く限りなく多国籍軍、さらにより厳密には米韓同盟軍に近いからである。
他方米韓相互援助条約の発動であれば、日本は韓国に出動する在日米軍の行動を日米安保条約によって支援することになるだろう。この時はじめて集団的自衛権の発動が問題となる。しかし、武力行使と一体化するような米軍の行動への支援といったあいまいな問題を除き、現在集団的自衛権で想定されているような自衛隊が紛争地域で米軍を支援する具体的な戦闘はおそらくほとんど無い。北朝鮮との戦いで米軍が日本の支援を要請するような事態が起こるとすれば、それはもはや日本の安全が危なくなる時で、個別的自衛権で対処できる。
また邦人を救援する米艦船の護衛のために集団的自衛権が必要という説明を安倍首相がしていたが、邦人保護であれば、公明党が主張するように個別的自衛権で対処できる。とはいえ、そもそも北朝鮮の海軍に、たとえ輸送艦であっても米海軍を攻撃できる能力も無いし、わざわざ対馬海峡あたりにまで出撃する能力もない。
ちなみに韓国にいる在留邦人の撤退計画の多くは陸路で釜山に集合し、そこから民間船で九州に避難することになっている。北朝鮮が民間への攻撃を禁ずる国際法を守るとの前提だが、民間船の方が米海軍艦船よりは安全である。問題は漢江の北に万一取り残されたり、空港や陸路が封鎖されて釜山まで辿りつけない場合である。韓国政府が邦人救護であれ自衛隊の韓国派兵を認めるとは思えない。万一認めたとして、自衛隊員が戦闘に巻き込まれる危険性は大きく、日本が北朝鮮との武力衝突に発展するおそれがある。
だから、取り残されたり逃げ遅れたりした邦人は、自力での脱出を最後まで試み、万策尽きた場合には潔く憲法九条に殉ずるべきである。国民がその覚悟を持たない限り、集団的自衛権行使容認の挙句、邦人保護を名目に日本は国際紛争に巻き込まれ、平和国家としてのブランドを失うことになる。それはまた、いつか来た道である。
2014年5月16日金曜日
安保法制懇の詭弁
今回の安保法制懇の報告書には、集団的自衛権行使の解釈変更にばかり注目が集まっている。しかし、より重要なのは集団的自衛権行使の前提となる「国際紛争」の解釈がこれまでの解釈とは全く異なっていることである。実は国会でも戦後一貫して「国際紛争」とは何か、明確に定義して議論されたことはない。今回の報告書は、ある意味で、その盲点をついて集団的自衛権行使の議論を展開している。
我が国との関係から国際紛争を類型化すれば、次のようになる。
第1に国家間紛争(International Disputes)
この国家間紛争で武力が行使される状況が戦争である。これはさらに二つに分類できる
①我が国と他国との国家間紛争。
具体的には、たとえば日中、日韓、日露の領土紛争がある。報告書の「我が国が当事国となる国際紛争」である。
②他国と他国の国家間紛争。
具体的には、たとえば南北朝鮮の紛争、ロシアとウクライナの紛争などである。
第2に低強度紛争(Low-Intensity Conflict)
少なくとも一方がアルカイダのようなテロ集団やヒズボッラーのようなゲリラ組織など非国家主体である紛争である。これはさらに次のように分類できる。
①我が国と非国家主体との紛争。
具体的には、中国の武装漁民との紛争である。
②他国と非国家主体との紛争
これは多くの場合、エジプトやシリアのように他国内における内紛、内戦となる。その中にはたとえばパレスチナ紛争やアフガニスタン紛争のように我が国に影響を及ぼす国際的な内紛や内戦もある
③非国家主体同士の紛争
具体的には、かつてのレバノンや現在のソマリアのように事実上無政府状況に陥り、軍閥が群雄割拠し争っている状況である。
これらの紛争のうち、憲法制定時には我が国と他国との紛争しか想定されていなかったのである。アメリカにとって日本を非武装化することが目的であったから当然といえば当然である。
たとえばマッカーサー原案では、Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.(下線引用者)と、「自国(日本)の紛争」(括弧内引用者)と限定している。またGHQ原案では、The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.(下線引用者)と「他国との紛争」と明記されている。すなわち報告書の「我が国が当事国である国際紛争」である。
このGHQ原案を受けて、日本政府は3月2日案および3月5日でもともに「他国との間の争議」という文言を使っている。3月6日の憲法改正草案要綱でも「他国との間の紛争」との字句が見える。そして4月17日に発表された憲法改正草案(政府原案)さらに5月25日の憲法改正草案(政府修正案)でもやはり「他国との間の紛争」という語句が使われている。
ところが7月29日に発表されたいわゆる芦田試案では「他国との紛争」ではなく「国際紛争」と修正が加えられている。この芦田修正では、第二項の「前項の目的を達する為め」が注目されたが、実は「他国との紛争」が「国際紛争」と変えられたことで、国際紛争の解釈が曖昧となり現在に至る混乱の原因となったのである。なぜこのような修正が加えられたのか、不明である。しかし、当時の状況を考えれば、「国際紛争」が「他国との紛争」すなわち「我が国が当事国である国際紛争」であることは誰しもが了解していたことであろう。
その後朝鮮戦争、日米同盟締結、国連加盟、冷戦の激化等の安全保障環境の変化に伴って、「国際紛争」は「他国との紛争」だけでなく「他国と他国との紛争」しかもその他国の一方が同盟国アメリカに限定された「国際紛争」として認識されていたのである。米国と他国との紛争にどのように関わるか、この問題が個別的自衛権と集団的自衛権の切り分けにつながる。
ところが冷戦が終わると、イラクのクエート侵略のように一方がアメリカではない、他国と他国の間の国家間紛争、カンボジアにおける内戦、9.11のような他国内のテロ、アフガニスタンやイラクにおけるテロとの戦いなどこれまで想定していなかった「国際紛争」が我が国の安全保障問題として浮上してきた。国会の議論や政府の解釈はこれらの「国際紛争」も明確な定義や切り分けをしないまま、一律憲法が武力行使を禁止する国際紛争としたのである。その結果、テロ特措法、イラク特措法など憲法を逸脱するかのような法律で日本は「国際協力」をしのいできたのである。
安保法制懇の報告書は憲法の「国際紛争」の曖昧さをなくし、マッカーサー原案やGHQ原案の「他国との紛争」に限定することで、集団的自衛権を認め集団安全保障にも参加する道をつけようとしている。たとえば報告書では以下のような文言がある。「我が国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、すなわち、個別的又は集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる 国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである」。
たしかに特措法による国際協力はもはや限界であり、憲法の逸脱というより無憲法状況といってもよい。だからと言って、報告書にあるように、「我が国が当事国である国際紛争を解決するため」以外なら、「実力」の保持は禁止されていないというのは詭弁である。そもそも禁止されていないから即保持してよいということにはならない。よしんば法理論上認められたとしても、「保持」するかどうかは、まさに「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」である。
報告書に従えば「我が国が当事国である国際紛争」では戦力の保持は禁止されているが、「我が国が紛争当事国ではない国際紛争」つまり上記の国際紛争の分類の第一の①以外の国際紛争にはすべて「実力の保持」は認められことになる。また「我が国が紛争当事国ではない国際紛争」で「個別的又は集団的を問わず自衛のための実力の保持」が行使できる「国際紛争」とはどういう紛争なのだろうか。自衛権の発動要件である「急迫不正の侵害」を受けることはすなわち「我が国が当事国である国際紛争」に巻き込まれたことではないのか。「我が国が当事国である国際紛争」とは一体どのような国際紛争なのか、また保持できない「戦力」と保持できる「実力」の違いは何なのか、報告書は依然として曖昧なままである。
今から約20年前に私は読売新聞社の憲法改正試案の研究会で、憲法が上記のような国際紛争の多様化に対応していない問題を指摘し、憲法を改正すべきだと主張したことがある。今も、その主張を続けている。安倍政権の問題点は、識者からも苦言が呈されているように、政府解釈で憲法を事実上変えようとしていることにある。ここは堂々と憲法改正によって集団的自衛権の容認や集団安全保障への参加を認めるようにすべきであろう。
そもそもの疑問だが、今なぜ政府解釈の変更をしなければならないのだろうか。「いつやるか、今でしょ」と林修先生に背中を押されでもしたのだろうか。靖国神社参拝、国家安全保障会議の設置、国家安全保障戦略の策定、武器禁輸三原則の見直し等、これまでの安倍政権の安全保障政策は日中関係が悪化している今、まるで中国に喧嘩を売っている、あるいは売られた喧嘩を買っているようなものだ。今は専守防衛に立ち戻り自衛隊による国際協力など極力控えて粛々と我が国の防衛体制を固める時だろう。
2014年3月18日火曜日
河野・村山談話の継承を支持する
安倍首相が2014年3月14日の参議院予算委員会で、河野談話を見直さず、村山談話も継承することを明言した。アメリカから相当な圧力があったと思うが、賢明な判断だと思う。
慰安婦問題では国内世論と国外の世論とでは完全に論点が異なっており、見直しをすれば完全に日本の信頼は失墜する。少なくとも慰安婦問題は、国際社会では女性の人権問題であって、軍の強制性の有無の問題ではない。戦前の公娼制度(より広義には徒弟奉公制度)そして何よりも慰安所そのものが否定されており、公娼制度や軍の慰安所を認めた政府、それを利用した軍が人権蹂躙として批判されているのである。
公娼制度は、身売りという事実上の人身売買と、年季奉公という事実上の奴隷労働から成り立っている。国連でもアメリカでも慰安婦問題が非難されているのは、慰安婦問題が人身売買と奴隷労働の問題だからである。戦前においても、1904年の「醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定」や1910年の「醜業を行わしむるための婦女売買禁止に関する国際条約」で売春や人身売買を禁ずる国際協定が締結されており、日本も1925年に批准した。にも関わらず日本では公娼制度が存続したのである。英米では19世紀末に公娼制度は廃止されている。河野談話や村山談話を否定することは、公娼制度を容認することであり、人権侵害を肯定することと受け止められかねない。
昔と今は違うという、見直し派の議論は通用しない。軍の強制性があろうがなかろうが、女衒によって人身売買で売春婦にさせられ、軍の慰安所で性的奴隷労働を強いられたという事実、そしてそうした制度を政府や軍が容認していたことが問題なのである。慰安婦問題を追及している中央大学の吉見義明氏も最初は軍の関与や強制性を問題にしていたが、今では慰安所制度そのものに論点を移している。
慰安所や慰安婦の存在は厳然たる事実であり、国際社会ではその事実が批判されている。もはや文書の有無の問題ではない。慰安所については『兵隊やくざ』を見ていた世代なら誰もが知っている事実である。それが突然問題視されるようになった背景には現代の人権意識の高まりがあるのだろう。
今の人権意識で過去の問題を非難すべきではないという議論もあろう。しかし、昔と今は違うからと言って、今アメリカで黒人奴隷は仕方がなかったなどと言おうものなら、人種差別主義者としてアメリカ社会から抹殺されてしまう。それと同じで、今アメリカで慰安婦は仕方がなかったなどと言えば、完全に信頼を失ってしまう。慰安婦問題はすでに議論の余地のない人権問題であって、これを見直すというのは、そのこと自体が人権無視と思われてしまう。アーミテージのような親日派でも、慰安婦問題について日本に厳しいのは、慰安婦問題が人権問題そのものだからである。
だから安倍首相が河野、村山談話を継承すると明言したことは、日本が人権を重んじる国家であるということを内外に示す良い政策判断であった。慰安婦問題で反省を示した上でで、日本政府が取るべき政策は、「慰安婦20万人」等のプロパガンダをただし、現在の人身売買や奴隷労働の撲滅に向けて積極的な貢献を示すことである。そうすることで中国や北朝鮮の人権蹂躙を非難できる倫理的に優位な立場に立つことができる。
繰り返すが、慰安婦問題は過去の軍の強制性の問題ではなく、現在の人権問題である。安倍政権がこの問題で積極的な対応をすれば、安倍政権に対するアメリカの疑念は払しょくされ、集団的自衛権の容認以上に日米同盟を強固にし、韓国の反日運動を形骸化させるだろう。
武器輸出禁止三原則の見直しは有害無実
武器輸出禁止三原則の見直しが進んでいる。日本はこれまで憲法九条の下で「戦わない」、「派兵しない」、「武器輸出しない」という三原則を国是としてきた。「戦わない」という原則は1954年の自衛隊の創設、「派兵しない」は1991年のペルシア湾への掃海艇派遣によって緩和された。そして今「武器を輸出しない」という原則が見直されようとしている。
これまでの平和主義を捨て、「積極的平和主義」の掛け声のもと安倍政権は、集団的自衛権の見直しで「戦う」、国際協力や同盟協力のために「派兵する」そして「武器輸出できる」国家へと大きく舵を切った。その意味で、武器輸出禁止三原則の見直しは、国家戦略の転換の一部である。だからこそ見直しの内容そのものよりも、見直しをするという宣言こそが対外的に大きな意味を持っている。
見直しをする目的は三つある。第一は国際協力、第二はシーレーン防衛、第三は同盟協力である。第一は、PKO等で使用した重機等の防衛装備品を現地国に供与できるようにすること、第二は海賊等から日本のシーレーンを護れるように関係国に巡視艇等を供与できるようにすること、第三は航空機、ミサイル等武器の国際共同開発に参加できるようにすること、である。
これらが三原則を見直さなければできなかったかというと、そうではない。いずれも三原則の例外規定ですでに実施済みである。1991年にはカンボジアPKO活動、2006年にはインドネシアに巡視艇供与、そして1983年にはミサイルの日米共同開発で、それぞれを例外としたのである。だから今三原則の見直しをしたからと言って、何かが大きく変わるわけではない。それよりもむしろあらぬ疑惑を招くばかりである。国際協力に名を借りて海外への派兵を目論んでいるのではないか、シーレーンの海賊対策といいながら中国の海洋進出に対抗しようとしているのではないか、国際共同開発の名のもとに防衛産業の強化を図ろうとしているのではないか。わざわざ有らぬ嫌疑をかけられるくらいなら、三原則は三原則として残し、これまでのように例外規定を設けながら弾力的に運用したほうが外交上は上策であろう。
武器輸出禁止三原則の見直しには防衛産業の存続、育成を切望する経済界の要請が大きく影響している。事実経団連は2012年の「防衛生産・技術基盤研究会最終報告-「生きた戦略」の構築に向けて-」で見直しを提言していた。しかし、武器が輸出できるようになったからいって、防衛産業が維持、育成できるかと言えば、まったくそのようなことはない。
たとえば戦車や艦船はもちろん武器の部品が輸出できることはまずない。第一に他の民生品同様に価格競争力が全くない。第二に米国がF22を同盟国日本に売却しなかったように性能が高ければ高いほどかえって輸出できない。インドネシアに巡視艇を供与したように輸出ではなくODAによる供与や国連を通じたPKO対象国への防弾チョッキや地雷探知機、重機との防衛装備品の贈与がせいぜいだろう。
そもそも防衛産業が立ち行かなくなっている原因は、輸出できないからではない。武器が高度になればなるほど高価になって財政問題から調達量が減り、その結果生産量が減るからである。かつてメアリー・カルドーが『兵器と文明―そのバロック的現在の退廃』で指摘したように、現在のまま開発費が高騰していけば、いずれ年間の防衛費で戦闘機一機しか調達できなくなる。また海外に市場つまりは戦場を求めても、防衛産業を維持できるような大規模な市場はない。結局兵器はどこの国でも調達コストの上昇から少量生産にならざるを得ず、また大規模戦争がないために少量消費とならざるを得ない。アメリカも含め各国とも自国の防衛産業を維持することで手一杯である。
だから各国とも国際共同開発で分業により開発コストを抑え、調達量を上げ、生産量を確保しようとするのであろう。しかし、国際分業は要素技術を向上させることはできてもシステム技術はアメリカのような最終製造国に握られてしまう。F15のようなライセンス生産も難しくなり、結果的にさらに防衛生産の衰退を招く。いずれにせよ武器輸出禁止三原則を緩和したからと言って防衛生産基盤が維持できるわけではない。
日本の防衛生産力の衰退は、技術開発力の衰退にも原因がある。シャープ、ソニー、パナソニックなどの凋落を見れば明らかだが、技術開発力の低下が生産力の衰退に直結している。同様に防衛生産力の衰退も基本的には技術開発力の低下というよりも日本には防衛技術開発の戦略がないことが結果的に防衛生産力の衰退を招いている。どのような兵器を開発すべきか独自の戦略がないために結果的に防衛生産力の衰退を招いているのである。兵器開発は、まず国家安全保障戦略によってどのような兵器が必要かを策定し、次にそれにはどのような技術が必要か技術開発戦略を立案し、さらにいくら調達するかという調達戦略を計画し、その上で生産戦略を立てることができるのである。
しかし、日本には防衛技術開発の戦略がないばかりか、そもそもDARPAに匹敵するような組織さえない。日本版DARPA のJARPAが2014年度予算に計上されたとの報道もあるが、現状はあろうことか日本の技術戦略の司令塔である内閣府の総合科学技術会議の行政機構の中に防衛省が入っていない。防衛技術の開発は日本では国家の技術戦略には入っていないのである。いくら生産基盤の維持を経団連が望み、輸出で何とか生産現場を維持したいといっても、それは本末転倒の議論である。
結局のところ、武器輸出禁止三原則の見直しは、実質的にはあまり効果はない。むしろ安倍首相の戦後レジームからの脱却という願望を世界にアピールするだけの宣言政策となっている。議論すべきは武器輸出禁止三原則の見直しではなく、戦後レジームからの脱却が国家戦略としてはたして正しいかどうかであろう。
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