2014年6月11日水曜日

集団的自衛権行使容認反対派の敗北

安倍内閣は、集団的自衛権を認める閣議決定に向け、いよいよラストスパートに入ったようだ。反対派はメディアやシンポ、集会などいろいろな手段を使って何とか閣議決定を阻止すべく全力を挙げている。しかし、もはや敗北感漂う状況に追い込まれている。今は、ただ反対の声を挙げるだけで、閣議決定を阻止することはあきらめたようだ。なぜ反対派は負けたのか。  集団的自衛権反対派の反対論は以下の四点にまとめることができるだろう。 ①解釈改憲に反対  したがって、憲法改定を国民に問うべきだ。慶応大学の小林節教授はじめいわゆる改憲派も含めた大方の主張である。  解釈改憲反対論は解釈改憲という手続きに対する反対論であり、集団的自衛権そのものの是非を問うているわけではない。むしろ集団的自衛権を容認している者も多い。仮に容認していない人であっても、憲法改定で国民が賛成すれば集団的自衛権を容認せざるを得ない。その意味で、解釈改憲反対論は手続き論への反論であって集団的自衛権そのものへの反論にはなっていない。それだけに中国の脅威や朝鮮半島有事の個別的事例を出されると、何ら反論できない。 ②個別的自衛権で対処可能  公明党の主張である。確かに、内閣や安保法制懇が挙げた集団的自衛権が必要となる個々の具体的な事例は、前提が荒唐無稽で非現実的であったり、そうでなければ個別的自衛権で十分に説明できる事例ばかりである。 とはいえ、今回内閣が挙げた事例に反論できたとしても、今後もすべて個別的自衛権で解釈可能ということにはならない。その時は集団的自衛権を認めるのか、あるいは個別的自衛権の範囲でしか自衛隊は行動しないのか。もし前者であれば、ならば将来に備えて今集団的自衛権を認めるべきだという安倍内閣の主張と変わりはない。また後者であれば、個別的自衛権で対処可能という議論ではなく、自衛隊は個別的自衛権の範囲でしか行動すべきではないことを主張すべきであろう。  この反対論は、公明党としては、与党にとどまる一方創価学会の主張にも配慮したぎりぎりの妥協案である。しかし、それは単に問題の解決を先送りした、時間稼ぎの政策論でしかない。 ③集団的自衛権そのものに反対。 本来の反対論は集団的自衛権そのものに反対すべきであろう。ただし、真っ向から集団的自衛権行使容認に反対する議論はあまりない。 安倍政権は集団的自衛権の容認することで抑止力が高まり、またこれまで以上に国際協力が可能になるとの積極的平和主義を強調する。集団的自衛権の行使が容認されれば、日米同盟が強化され、中国への抑止力になると目論んでいる。しかし、その一方で中国との間で軍拡競争が始まり、安全保障のジレンマから、かえって安全が損なわれるかもしれない。 とはいえ中国への抑止力になるという主張に反論を加えるのは難しい。抑止力の有効性については実証することも反証することも不可能だが、一般的には誰もが有効だと信じがちだからである。 また集団的自衛権を認めればアメリカの戦争に巻き込まれるという議論も説得力を欠く。集団的自衛権を発動するか否かは政策判断であり、米国の言いなりになるわけではない、という内閣の主張に反論することも難しい。実際、親米安倍政権が未来永劫続くわけではない。政権が変われば、解釈も変わる可能性がある。 過去NATO諸国がアメリカとの集団的自衛権を発動したのはアフガニスタンの対テロ戦争だけである。逆に発動しない例の方が多い。スエズ戦争ではアメリカは英・仏と敵対し、ベトナム戦争ではイギリスはアメリカに積極的な協力はせず、逆にイギリスがフォークランドを攻撃した時にはアメリカはイギリスに情報提供をした程度である。 集団的自衛権を認めれば、日本は戦争をする国になるとの主張は、あまりに情緒的で反論にはなっていない。 ④安倍政権の安全保障政策そのものに反対  本来ならこの視点から反対論を展開しなければいけない。しかし、柳澤協二氏が『亡国の安保政策』で指摘しているように安倍首相の目指す安全保障政策とは一体何なのかがわからない。そのために、反論が難しい。  たしかに積極的平和主義を掲げてはいる。国家安全保障戦略を策定し、国家安全保障会議を設置し、秘密保護法を制定し、武器輸出三原則を緩和し、そして今集団的自衛権行使を容認しようとしている。しかし、国家安全保障戦略は祖父岸信介元首相が策定した「国防の基本方針」とそれほど内容に差はない。国家安全保障会議の設置、秘密保護法の制定はいずれも民主党政権も構想した内容であり、武器輸出三原則の緩和はすでに野田政権時代に事実上行われている。 つまり、集団的自衛権行使容認を除けば、これが安倍政権の安全保障政策だという特色あるものはない。その集団的自衛権行使容認も当初は憲法改定によって実現させようと目論んでいたものだ。それが実現不可能とわかって解釈改憲に舵を切った。 安倍首相も政治家として祖父岸信介元首相の遺志を継いで改憲を目指していたのだから、改憲こそ王道であろう。にもかかわらず、あまりに短兵急に解釈改憲で集団的自衛権行使を容認しようとするのは何か隠された意図があるのか。それとも、河野洋平氏の批判に「信念を少し丸めて、その場を取り繕っても、後々大きな禍根を残すこともある。それは政治家として不誠実ではないか」と強く反論したが、何か確固たる「信念」があるのか。その「信念」がわからない。 安倍首相の積極的平和主義の理念とは一体何なのか、「信念」とは何か、それが明確に分からないだけに反論のしようもない。せいぜい個別の問題で個々に反論を加えるだけである。その結果、反対派は各個撃破され、気がつけば安倍首相の圧勝という状況になってしまった。 反対派の有効な反論は、積極的平和主義への具体的な対案を出すことである。それは自衛隊による専守防衛戦略と憲法九条部隊による人間の安全保障戦略である。これについては別稿で論ずる

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