2014年10月13日月曜日

憲法九条のノーベル平和賞をめぐる悲喜交々

 2014年10月10日にノーベル平和賞の発表があった。事前予測では憲法九条は受賞候補第一位であった。もっとも直前の予想では圏外だったらしい。落胆する人もいれば安堵した人もいたろう。  たまたま私も、憲法九条にノーベル平和賞をという運動に賛同を求められていた。もちろん納得すれば喜んで賛同者に名を連ねます、と返答した。会合に出席して、憲法九条の何がノーベル平和賞に値するか、質問したところ、だれも明確に回答できなかった。  これまで日本は憲法九条のおかげで戦後70年近く一度も戦争をしなかったことが平和賞に値するというのが一般的な答えであろう。しかし、戦争をしなかったというなら、1648年から360年以上戦争をしなかったスイスこそ平和賞に値するのではないか。  ではいったい何が平和賞に値するのだろうか。自衛隊という、軍事費だけで言えば、世界第5位の立派な軍隊を持っている。憲法で戦争をしないとの条文を掲げているのは日本だけではない。イタリアもアフガニスタンも非戦の平和憲法を持っている。  どうしても納得できなかったので、結局賛同者には名を連ねなかった。会合に同席していた憲法九条を称賛する外国人に尋ねてみたところ、核廃絶を訴えたオバマの平和賞と同じで、これから日本が軍隊をなくすことを応援する意味だ、との回答があった。それこそ憲法九条が平和賞候補に挙がったことを安倍さんが「政治的だね」といったことを裏付ける。反安倍運動と見れば、今回の平和賞候補は納得できる。  一方で、万一受賞していたら、憲法九条を支援する人は大いに困ることになる。なぜなら、ノーベル平和賞が現状を肯定することになりかねないからだ。戦後憲法九条の下で、二十数万の軍隊を抱え、日米安保で米国と軍事同盟を締結し、今や個別的自衛権はもちろん集団的自衛権の行使を容認しているのである。平和賞は憲法九条という条文に与えられるわけではなかろう。憲法九条を護持してきた国民に与えられるとするなら、ノーベル平和賞は日本の現在の防衛政策を全面肯定することになる。なぜなら国民の代表たる国会議員によって憲法九条の下、国会で防衛政策が決められてきたからだ。それは、自衛隊、日米安保等現在の防衛政策に反対する社民党、共産党そして憲法九条にノーベル賞を、という運動を進める九条の会など護憲派の人々の思惑とは異なるだろう。  マスメディアが好意的に憲法九条にノーベル平和賞を、という運動を取り上げたのは、相模原の一人の主婦がアイデアを思いついたからだ。数十年前に杉並の主婦が反核平和運動を先導したり、また20年前にニュージーランドの主婦が核兵器裁判を起こしたことがある。今回は三匹目のドジョウをマスコミは狙ったのだろうか。  それにしても、万一憲法九条が授章した時、ノーベル賞委員会はどのような理由を挙げたか、まことに興味深い。また授賞式には国民を代表して安倍首相が出席するのだろうか。そのことを想像するだけで、憲法九条にノーベル平和賞を、という運動がブラック・ユーモアに思えてくる。

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