2013年8月27日火曜日

慰安婦問題は普遍的な人権問題

「慰安婦問題は国際的な倫理基準に照らし、普遍的な人権問題として、広く国際社会が日本の責任を問うているものなのだ」(坂本義和「中日新聞 2012年9月8日(土曜日) 朝刊2面、下線引用者」と坂本元東大教授が指摘するように、慰安婦問題は普遍的な人権問題として国際社会(国連、米国)では理解されており、もはや歴史問題ではない。1998年の国連のマクドゥーガル報告書は慰安婦制度を「レイプ・センターでの性奴隷制」として、下記のように「奴隷制と奴隷売買」、「戦争犯罪としてのレイプ」「人道に対する罪」の三つをあげ、日本を非難している。 「第二次大戦後のニュルンベルグ裁判は「それまでは…国際法の言外に含まれていたこと、すなわち…一般住民に対する皆殺し、奴隷化、追放は国際犯罪であることを明確にし、あいまいさをなくした」にすぎない。事実、とくに奴隷制禁止は明らかに強行法規(juscogens)としての地位を獲得している。 従って、第二次大戦中に日本軍がアジア全域で女性を奴隷化したことは、当時ですら、奴隷制を禁じた慣習的国際法に明らかに違反していたのである」。 「戦争法は奴隷制と共にレイプと強制売春も禁止していた」「奴隷化に加えて、広範囲ないし計画的なレイプ行為もまた、ニュルンべルグ条例や極東国際軍事裁判条例に含まれた人道に対する罪の従来の枠組みにおける「非人道的行為」の範疇に入る」(「アジア女性基金」資料)  人道に対する罪が遡及的に適用できるかどうかはニュルンベルグ裁判でも問題になったが、報告書は、この主張を退けている。奴隷制と奴隷売買に対する報告書の内容は日本の社会の歴史を知る者にはとても合点がいかない。現在日本の反論は、日本の社会的背景に基づく奴隷制や人身売買論への反論である。「普遍的な人権問題」となった以上、特殊日本社会論からの反論は何の有効性も持たない。 議論はとっくの昔に、すでに歴史家から国際法の専門家の手に移ってしまったのである。慰安婦問題が人権問題に移ってしまったことは、ある意味日本が反論できる機会が広がったことを意味する。日本は慰安婦問題を人道に対する罪で非難されているからだ。慰安婦問題で謝罪,補償が認められるならば日本はアメリカに対して原爆投下や無差別都市爆撃を人道に対する罪で非難、謝罪を求めることができるはずだ。戦勝国であろうがなかろうが、「普遍的な人権問題」の観点からすれば、アメリカの原爆投下は明らかに「非人道的行為」の範疇に入るだろう。  実際、慰安婦問題で日本が国連の報告書やアメリカ下院議会の議決に従うなら、日本は原爆投下や無差別爆撃の非人道性でアメリカ政府に謝罪を求め、慰安婦同様に被爆者は個人補償を求めることができるはずだ。 実際には日米関係を考えれば、そのようなことはできない。国際法の問題でなく国際政治の問題になるからだ。歴史を見てもわかるが、国際法は倫理だけではなく力があってはじめて有効となる。逆に考えれば、韓国が日本に謝罪と補償を求めるのは、日韓関係よりも慰安婦問題が重要な理由があるからだ。つまり、慰安婦問題の本質は慰安婦問題にあるのではなく、すぐれて現在の日韓の政治関係あるいは韓国の政治にある。別の小論でも指摘したが、それは日韓の国力の差が縮小し、民族感情が噴出したこと。韓国が国民の流失で国家衰退の危機にあり、反日による民族団結が必要だからではないか。5000万人国民の14パーセントの700万人が在外居留者というのは、やはり異常としか言いようがない。おそらく韓国の最終的な政治目標は現在の日韓基本条約を破棄し、新条約を締結するか改定することにあるのだろう。いくら謝罪しても韓国が満足できないのは、国家は感情、倫理を持った人間ではなく、もともと謝罪も反省もできないからである。できるのは過去への補償と未来への約束だけである。 いずれにせよ、日本政府は慰安婦問題についてこれ以上表立って反駁しないほうがよい。アメリカにこれから慰安婦像が立ち続けるかもしれない。しかし、中国よりもましだ。ワシントンには天安門事件で中国を非難する写真や解説文つきの自由の女神像が立っている。中国に「度量の大きさ」を見習うべきかもしれない。

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