2013年8月27日火曜日
潘基文国連事務総長の日本非難
2013年8月26日潘基文国連事務総長が、日本の歴史認識について、記者会見で日本を非難する発言をした。「正しい歴史認識を持ってこそ、ほかの国々からも尊敬と信頼を受けるのではないか」、「日本政府の政治指導者は、とても深い省察と国際的な未来を見通すビジョンが必要だ」と、名指しこそしなかったが明らかに日本政府を非難した発言だ。この発言の前に「国連事務総長として個別の問題に深く介入するのは望ましくないが」と述べていることから、要するに、「個別の問題に深く介入した」ということだ。彼の発言は、日本に対して改めて満州侵略や韓国併合の責任をとれと、国連事務総長の立場から非難している。
1992年のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書で一貫して日本は中韓だけでなく国連からも侵略責任や植民地支配責任について追及されている。もはやサンフランシスコ講和条約は全く空文に堕し、国連復帰は間違っていたといわんばかりだ。安倍首相が戦後レジームからの脱却を叫んでいたが、日本が戦後レジームから脱却する前に韓国、中国が戦後レジームから脱却してしまった。それどころか国連までがサンフランシスコ講和条約を破棄して、再度日本と中国、韓国との間で平和条約を締結しなおせと言っているに等しい。
日本が国際連盟を脱退した時の様子は、今のような状況だったのだろうか。リットン調査団の報告を不満とし、最終的には国連から脱退してしまった。いくら満州事変が自存自衛の戦争といっても、1929年のパリ不戦条約以後戦争が非合法化された当時の国際状況からそのような言い分が通るはずもなく、実際他国の領土で戦争しており、侵略したことには間違いがない。同じようにいくら現在の人権基準から歴史を裁いているとか、慰安婦に対する解釈が違うと反論しても全く通用しない。現在慰安婦問題は人権問題であって歴史認識問題ではない。日本が批判されているのは、公娼制度の一部としての慰安婦問題であり、公娼制度における人身売買や奴隷労働が批判されているのである。もはや慰安婦問題で日本に勝ち目はない。ケヴィン・メイヤーのようなアメリカの知日派からも日本政府は歴史認識問題で口をつぐむべきだ、との批判が出るほどだ。
ちなみに日本人の妻を持ち、日本に長く暮らしているメイヤーでさえも年季奉公を奴隷労働とみなしている。何度も書いているが、貧しさと口減らしのために奉公に出された「おしん」は奴隷として人身売買されたのであり、国際法に照らせば債務奴隷として人身売買された以外の何ものでもない。ましてや遊郭の遊女たちは債務奴隷どころかまさに性奴隷のために人身売買されたとしか言いようがない。加えて慰安婦は朝鮮人女性を性奴隷として人身売買したのであり、民族差別までもが加わっている言語道断の犯罪である。おそらく外国の交際法に明るい知識人の多くがこのような理解だろう。
私たち戦中戦後の世代の慰安婦に対する理解は、美輪(丸山)明宏の「祖国と女」に尽くされているだろう。また若い女性の目から見れば怒り心頭だろうが、慰安所を戯画化した勝新太郎の『兵隊やくざ』の慰安所や、高級将校相手の芸者(要するに慰安婦)音丸の描写から、慰安所や慰安婦の様子を垣間見た。確かではないが朝鮮半島出身という慰安婦の登場人物がいたように思う。おしん同様に貧しさのあまり口減らしのため国外で娼婦になった日本人女性を描いた山崎朋子のノンフィクション『サンダカン八番娼館』(1972)もまた団塊世代には強烈な印象を残しているだろう。1974年には栗原小巻と田中絹代で映画化され大きな話題になった。1920年代に貧困のゆえにマレーシア、サンダカンの娼館で娼妓として働いたいわゆる「からゆきさん」の半生記である。私は、2008年にサンダカンを訪れたことがある。フィリピンとの海上交易の拠点となるボルネオ島の小さな港街である。今も何十人かの「からゆきさん」の墓がある。どれほど望郷の念で胸をかきむしったことか。貧困の故の悲劇である。
私たちは公娼制度や年季奉公の背景には貧困があり、社会のゆがみ、人間の喜怒哀楽があったことを知っている。だからこそ古くは浄瑠璃、歌舞伎、文楽、落語などの芸能、浮世絵や浮世草子などの美術や古典文学など、また最近は落語、小説、映画などの題材となってきたのである。誰も公娼制度や奴隷制度を肯定はしていない。恥ずかしいことであるからこそ、日本人慰安婦はごく1~2人の例外を除いて誰も名乗りを上げなかったのだろう。丸山明宏の「祖国と女たち」は慰安婦の屈辱をこう唄っている。
「戦に負けて帰れば 国の人たちに
勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて
祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
万歳 万歳
ニッポン 万歳
大日本帝国 万歳 万歳 万歳」
また元従軍看護婦で戦後米兵相手の娼婦「パンパン」になった女性の手記をもとに作詞された「星の流れに」や、米兵に強姦や売春あるいは恋愛したものの結局親に捨てられた混血児の孤児たちを収容したエリザベス・サンダースホームの話を私たちは知っている。米兵を相手にしたパンパンは人身売買されていないから、自由恋愛だから罪にはならないのだろう。それとも戦勝国の米兵だから罪にはならないのだろうか。日本人の貧乏に付け込んで関係を持ち、挙句の果てに親子とも捨てて帰った米兵はごまんといる。別に日本だけではない。ベトナムでもそうだ。そんなアメリカ人が慰安婦問題で下院決議までして日本に謝罪を要求することにいらだちを覚える人は多いだろう。ましてや従軍慰安婦問題は「奴隷制と奴隷売買」、「戦争犯罪としてのレイプ」「人道に対する罪」と非難する国連のマクドゥーガル報告書を否定したい気持ちはよくわかる。
今我々日本が置かれている立場は、明らかにサンフランシスコ講和条約以前に逆戻りしている。つまり、今我々は戦争の責任を改めて問われているのである。韓国の目的は、明らかに日韓基本条約を全面破棄して再度個人補償を含めた基本条約を締結しなおすことであろう。また中国も日中平和条約を破棄し、中国の要求に沿って国境線を線引きした条約を新たに締結しない限り歴史認識問題は解決しないだろう。さらに、潘基文国連事務総長の発言は、事実上国連からの日本追放勧告に等しい。将来、だれか第二の松岡洋右になるのだろうか。我々は今こそ、敗戦をかみしめなければならない。
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