2010年2月26日金曜日

アフガン カブール爆発事件発生











カブールの治安はいいのか悪いのか判然としない。イスラエル、スリランカ、ミンダナオ、ナイロビと治安の悪いところを歩いたことがあるので慣れてしまったのかもしれない。言われているほどの緊張感はない。 確かに、街のあちこちに銃を持った兵士や警官が警戒している。だから見た目治安が悪そうに見える。しかし、四日もいるとどのような状況なのか少しは実態は把握できる。極めて厳重に警備されているのは、米軍やNATO軍をはじめ外国政府機関、国連機関そしてアフガン政府機関や政府高官の住居などの周囲だ。 たとえば私が滞在している宿屋(ゲストハウスと呼んでいる)の一画は政府要人や富裕階級が暮らしているため。警察や軍そして民間警備会社によって厳重に警備されている。車の往来も制限されており、通りを歩く人影も少ない。私の宿屋の正面玄関は二重の鉄扉で覆われている。鉄扉に開いている小さな小窓を覗いて中にいる警備員に電動式のカギを解錠してもらってから中に入る。中にはも一枚鉄扉があって、それを開けてやっと中に入ることができる。外には防弾チョッキを着用し自動小銃を構えた警備員が24時間体制で警戒している。 ちなみに私の宿泊している宿屋は、聞くところによると、もともとは軍閥の指導者の私邸だったという。要は部屋貸しのまかないつき下宿のような宿屋だ。企業や援助関係者など長期滞在者も多い。そのためタリバンの標的になりやすく、2か月前には近くにある軍閥の関係者の家が自爆テロにあった。その家は今も破壊されたまま放置されている。また同じような宿屋が一月ほど前に襲撃されて国連関係者が死傷した。そのため国連は関係者をより警戒の厳重な宿舎に集めた。カブールに到着した当日、近所の邸宅で、自動車の突入を防ぐために、コンクリートを中に流し込んだ直径三十センチはある鉄パイプを何十本も玄関先に埋め込む情事をしていた。昨日完成したようだ。 こう書くと、みんなピリピリして暮らしているように思われるが、イスラエルやフィリピンのサンボアンガで感じたような緊張感はみじんも感じられない。通りでは子供たちが屈託なく遊んでいる。少し離れたところにあるレストランもにぎわっている。市内の中心部では要所要所に銃を持った兵士や警官の姿をよく見かける。これもスリランカのコロンボで見た光景と同じだが、コロンボと同じように緊張感はない。市内中心部にある露天市場や商店街では活気あふれる人々の生活を見ることができる。ただし様子のよくわからない私のようなよそ者には本当のところはわからないのかもしれない。 在留邦人は日本大使館から基本的には外出禁止を要請されている。大使館員はもちろん政府系のJICAなどの職員そして政府の援助資金を受けている企業、NGOも大使館の要請をうけいれて、外出を自粛している。外出する際には防弾車
とここまで書いていると爆発音とともに窓ガラスが揺れた。同時に銃声もきこえ、爆弾事件が起こった。時刻は現地時間6時40分。自動小銃、重機関銃、ロケット弾などの音が聞こえる。爆破現場は宿から直線距離で3-400メートルくらい離れたカブールシティセンター。サフィアホテルが併設されており、外国人を含め7人が死亡、21人が負傷した(午前9時現在)。銃撃戦は小一時間続いた。その間に7時7分に小規模な爆発音が一回(報道ではもう一回あったという)聞こえた。 6時50分に宿屋の屋上に上がって爆発現場を見ると、薄著色の煙が100メートルほど立ち上り、雨雲と混じって最後は白く薄れていった。重機関銃からと思われる曳航弾の赤い弾が一発空高く上がった。雨はやがて雹に変わり、銃声も次第に間遠になった。部屋に戻ると、宿泊人も従業員もまるでなにごともなかったかのようにいつも通りの生活をしている。慣れっこなのか。人々に緊張感はない。私は銃声がこちらに近づいてくるのではないかと少し心配した。なにしろすぐ近くで散発的に銃声がしたからだ。、 10時現在、被害の様子はテレビでもよくわからない。煙や音からすれば2-300キロの爆発物が爆発したのではないか。テレビでは単独の爆発事件ではなく、作戦を練った襲撃事件のようで、なおも襲撃犯の追跡が行われているようだ。 先ほどガイドから連絡があり、危険なので今日の行動すべて取りやめということになった。今日は部屋で仕事をすることにする。遠くでまだ銃声が聞こえる。続報は後ほど。

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