2009年10月25日日曜日

鳩山外交の「ぶらかし」

 普天間の米海兵隊移設問題が風雲急を告げる様相となり始めた。ゲーツ国防長官はオバマ大統領訪日までに回答せよと岡田外務、北沢防衛の両大臣に強く迫ったようだ。すでに防衛官僚に籠絡され早々と辺野古沖への移設を容認した北沢防衛大臣はともかくも、これまで県外移設に固執してきた岡田外務大臣までもが、ゲーツ国防長官との会談後に、渋面をつくりながら県内移設しか選択肢はないと、軌道修正を図りつつある。よほど、ゲーツ国防長官に恫喝されたようだ。一方鳩山首相は今(10月25日)に至るも、「いろいろな選択がある。最終判断を下すのは私だ」と、岡田外相の発言を否定し、なおも県外移設にこだわっている。
 これまでの自民党、民主党の普天間移設問題をみると、まるでペリーに開港を迫られた幕末の江戸幕府のようだ。江戸幕府はペリーに開国か開戦かを迫られ、「内厳外寛」の方針の下、国内の軍備の充実ができるまで開国の要求を「ぶらかし」(回答延期)続けた。対露外交で「ぶらかし」が成功したために、アメリカにも同じ手が使えると考えたのだ。しかし、ロシアのブチャーチンが強硬策を取らず、幕府の「ぶらかし」が成功したのは、ロシアがクリミア戦争で手一杯だったからで、決して日本の「ぶらかし」が成功したわけではない。案の定、1854年にペリーが再来航した際、結局「ぶらかし」外交は破綻し、1854年3月31日に日米和親条約を締結して開国した。
 アメリカは、鳩山政権が江戸幕府のように「ぶらかし」政策をとっていると判断しているようだ。だとすると、アメリカの外交方針はペリーと同じ。強硬策に出て、鳩山政権をガツンと一発恫喝するしかない。つまりオバマ来日までに移設問題に決着を着けなければ、海兵隊のグアム移転も全て白紙に戻すということだ。そうなれば、そもそも日本側が問題視してきた普天間の海兵隊基地問題は元の木阿弥となる。1996年の状態に振り出しにもどる。
 米軍にとって、グアム移転は必ずしも喫緊の課題ではない。たしかに世界的な基地の再編問題は米軍の課題ではあるものの、戦略的に今すぐに移転が必要な状況にはない。当面日本の出方を見守る余裕はある。しかし、日本はそうはいかない。普天間基地周辺の住民の安全を考えれば、これ以上移設問題を先送りすることは難しい。
 にもかかわらず、鳩山首相が「ぶらかし」を続けるのはなぜか。恐らく鳩山首相自身に明確なビジョンがあるわけではないだろう。鳩山首相の言動の裏を推し量ることのできる発言が、10月23日金曜日のニュース・ステーションに出演した寺島実郎氏のコメントにあった。要約すると、寺島氏は、政権が交代したのだから、普天間の基地移設問題を含めてこれまでの日米同盟を全面的に見直し、より自主独立の道を模索すべきだ、そのためには結論を急ぐべきではない。右派民族派の発言のように聞こえる寺島の発言に、あわてた古館一郎が、もちろんそれは日本の平和主義に基づいてですねと、寺島の発言を丸めた。
 寺島の発言は額面通りに生受け取れば、自主武装か非武装かは別にして、明らかに対米自主独立路線である。寺島は鳩山の外交ブレーンであり、東アジア共同体構想は寺島の長年の持論である。また鳩山の対米自主独立路線も、かつては早稲田の民族派にも近かったといわれる寺島の信念であろう。寺島としては、右派のように集団的自衛権の見直しや自主核武装論を考えているわけではないだろうが、その対米自主独立の信念は右派から大いに称賛されるだろう。
 右派だけではない。反米左派、反米リベラル派からも寺島外交ともいうべき鳩山外交への支持があるようだ。10月24日の朝日新聞朝刊に編集委員の星浩がやはり、今こそ冷戦時代のまま続いてきた日米関係を見直す絶好の機会ととらえ、鳩山政権の「脱冷戦外交」を応援している。
 私は、鳩山外交を断固支持する。それは鳩山の友愛外交や寺島「外交」を支持するということではない。「ぶらかし」外交を続けてきた江戸幕府は最後にはペリーの圧力に負けて開国をした。今度こそ鳩山外交は最後までつっぱって、是非対米「開戦」路線をとってほしい。そうすれば、アジアの「冷戦構造」が一気に瓦解し、国内情勢はもとより国際情勢も流動化するだろう。その過程でこそ国内社会では明治以来の官僚支配構造も、また国際社会ではアメリカの支配構造も崩壊するだろう。
 鳩山政権には是非、政党を壊すことしかできなかった「壊し屋」小沢一郎以上に、官僚支配、米国支配の「壊し屋」になってほしい。鳩山政権に歴史的意義があるとするなら、対米「開戦」の捨て石になることである。

2009年10月15日木曜日

「闘う護憲派」宣言

 最初に述べておく。私はいわゆる護憲派ではない。しかし、国内外の状況から、もはや改憲はここ当分どころかひょっとすると未来永劫、不可能といわざるをえない。
 その理由は二つ。自主憲法制定を党是とする自民党が当分は政権復帰が難しいこと。かりに復帰できたとしても、民主党との政権交代の可能性を常に孕んだ状況では、政権交代につながりかねない憲法改正のような法案はおいそれと政治日程にあげることはできない。
 いま一つの理由は、国際社会が事実上、日本の憲法9条、というよりもむしろ非武装の外交について次第に理解を深めるようになり、国際世論の圧力から改憲することが困難でもあり、また国益上も不利になりつつあることだ。マレーシアのサンダカンという田舎町で、50歳代前半の両替商のオヤジが、「日本は外国に軍隊を出さないそうだが、いいことだ」といわれたときには少し驚いた。憲法9条のややこしい議論は抜きにして、どうやらアメリカとの対照で、日本は海外派兵しない国というイメージはひろがりつつあるようだ。
 したがって、現行の憲法9条を前提に日本の安全保障を組み立て直すしか現実的な方法はない。
 国際社会の平和と安定という国際治安活動に自衛隊が参加できない以上、自衛隊に代わる部隊を作らざるをえない。自衛隊とは別組織をつくるべきだという議論は湾岸戦争の時にはじめて話題に上った。しかし、結局その時は自衛隊が最も効果的、効率的だという結論に落ち着いた。とは言うものの、現実には憲法9条が足かせとなって自衛隊は派遣できず、別組織もできず、結局何もできなかった。
 その後日本政府は解釈改憲に次ぐ解釈改憲を行い、事実上丸腰の自衛隊員を民間人よりも安全な場所にいかせるという、世にも不思議なPKO部隊を編成した。
 私自身も湾岸戦争当時は憲法改正して自衛隊をだすのが最適と考えた。しかし、もはや憲法改正が不可能な以上、明らかに憲法違反の特別措置法で自衛隊を派遣する代わりに、自衛隊とは別組織を日本の平和活動の柱とすべきであるとの結論に至った。
 そこで以前から主張しているのは、これまで一貫して護憲を主張してきた労働組合の連合を中心に民間がPKO部隊(PKF)を編成して、非武装で民生協力をすることである。
 この部隊はソマリアやアフガニスタンなどのようないかに治安が悪い地域でも、非武装で民生協力を行うのである。犠牲者は出るだろう。しかし、他国の兵士がこれまでも数多く犠牲になっていることを考えれば、多少の犠牲はやむをえない。なぜなら、日本の非武装平和維持部隊はまさに「平和のボランティア」すなわち「平和の志願兵」だからである。かつてスペイン内戦に多くの日本人志願兵が参加したように、また日本赤軍がパレスチナ紛争に義勇兵として参加したように、かならずや「平和の志願兵」にも日本赤軍支持者や憲法9条の会をはじめ数多くの護憲派が参加するだろう。
 これこそが「闘う護憲派」である。これこそが「真の護憲」である。
 護憲運動は冷戦時代には、実践を問われることはなかった。護憲は単なる反政府運動のスローガンでしかなかったからである。護憲派の誰もが「世界人民」のために護憲運動をしていたわけではなかった。今も、その気分が抜けず、護憲とは国会議事堂前をデモをすることだと勘違いしている連中が多い。
 しかし、いまや「地球市民」や「世界の人民」のための平和への実践こそが問われている。憲法9条を書写することが護憲の実践ではない。国会デモをすることが護憲の実践ではない。護憲の実践は、「地球市民」のため、「世界の人民」のためにある。
 今こそ非武装でアフガニスタンやソマリアに民生協力をしよう。それが憲法9条を持つ日本が国際社会に示すことのできる真の国際協力である。いまこそ民主党そして連合そして護憲派の諸君、一身を賭して「地球市民や「世界の人民」のために「闘う護憲派」宣言を。

2009年10月11日日曜日

オバマのノーベル平和賞授賞

 オバマがノーベル平和賞を授賞した。これで、アメリカの拡大抑止政策は事実上破綻した。ノーベル平和賞を授賞したオバマがはたして核ミサイルのスィッチを押すことができるだろうか。自国ならともかく、拡大抑止で他国のためにノーベル平和賞の名誉を捨ててまで核兵器を使用する決断を下すだろうか。
 これまでもアメリカの核の傘が日本にはさしかけられることはないと何度か書いてきた。
1996年に国際司法裁判所は核兵器裁判で、たとえ自国の存亡が危殆に瀕しているような最高緊急事態でも核兵器の使用は合法とも違法とも言えない、という勧告的意見を出している。日本が仮に北朝鮮や中国の核兵器で攻撃されるようなことがあったとしてもオバマが自国の自衛とはいえない日本の防衛のために核兵器を使用することなどありえない。ましてや、彼はいまやノーベル平和賞を授賞した平和の使途である。
 世界は、オバマの言うように「核無き世界」に向かうのだろうか。そして核無き世界ははたして平和の世界となるのだろうか。
 オバマのノーベル平和賞で思い出すのは、ウッドロー・ウィルソンだ。かれは国連を創設し、第1次世界大戦後の国際社会の平和に多大な貢献をしたことで、やはり大統領在職中にノーベル平和賞を授賞した。しかし、世界は平和になるどころか、再び第2次世界大戦を招いてしまった。理由の一つは、「戦争屋」ヒトラーの登場をふせぐことができなかったことにある。
 「平和の使途」の最大の問題は、「戦争屋」の登場を防ぐために武力を使うことをためらうことだ。武力を使えば、「平和の使途」ではくな、自らも「戦争屋」と非難される。非難を覚悟で武力を使うことは難しい。それが核兵器ならなおさらだ。ノーベル平和賞の授賞でオバマはウィルソンよりも、「平和の使途」として安全保障上の政策選択の幅をせばめられてしまった。
 おそらくオバマのノーベル平和賞授賞を最も喜んでいるのは北朝鮮の金正日とイランのアフマディネジャド大統領だろう。

2009年10月7日水曜日

民主党の二酸化炭素削減政策賛成

 民主党の二酸化炭素削減政策に風当たりが強い。たしかに今の技術では25パーセント削減はきわめて困難であろう。しかし、なんらかの技術突破があれば、25パーセントは夢ではないかもしれない。
 実は、自民党政権下で同様の技術突破を前提にした政策目標が掲げられていることを多くの人は見落としている。とりわけ民主党のCO2削減に反対している人々は、無視している。それはMDだ。MDもまた、環境技術同様に、今の技術系では達成不可能なミサイル弾頭の迎撃という目標を掲げている。 たしかに条件を事前に設定した実験では成功している。しかし、実戦では今のMD技術水準では全く役に立たない。相手側がMDより安価で容易な欺瞞技術を開発すれば、簡単にMD網を突破することができる。
 二酸化炭素削減懐疑派の多くは保守派、自民党支持派で、したがってMD容認派も多い。しかし、どちらの技術も、何らかの技術突破がなければ、実現は不可能である。環境政策に反対しながら防衛政策には賛成するというのは単に地球環境よりも一国防衛が重要であるとの価値判断に過ぎない。技術的な視点からいえば、くりかえしになるが、どちらも同じ未完成技術を元にした議論だ。私自身は、いずれの政策にも賛成である。それはいずれの技術も完成(完成はないが)に向けた技術開発がなんらかの技術突破や技術革新をもたらすと信ずるからである。
 二酸化炭素削減は環境安全保障、ミサイル防衛は国際安全保障と,両者とも同じ安全保障問題である。同時に国際政治の喫緊の政治課題である。軍事安全保障のミサイル防衛で日本がイニシアチブをとることは不可能である。だからこそ非軍事安全保障の環境分野で日本がイニシアチブをとることには大いに意義がある。
 1971年に日本のホンダは、当時は技術的に不可能とまでいわれるほど厳格な米国の排ガス規制マスキー法をいちはやくクリアし、米国進出の足掛かりをつくったことがある。ホンダに続いて日本車が次々とマスキー法をクリアして米国に進出し、環境技術で出遅れたアメリカの自動車会社を打倒していった。二酸化炭素削減も、新たな技術革新が生まれれば、日本の未来は明るい。

2009年9月27日日曜日

「核兵器のない世界」とは

核兵器のない世界は兵器の無い、非武装、非暴力の平和の世界ではない。核兵器のない世界は現在の世界と変わりの無い通常兵器のあふれた、暴力の蔓延した世界である。なぜならヒロシマ、ナガサキで使用されて以来、核兵器は60年以上にわたって使われてこなかったし、今後も使われる蓋然性はきわめて低い。核兵器が使用される恐怖はあったが、現実には核兵器が使われたわけではなかったのである。つまり、事実上の核兵器のない世界だったのだ。
 その一方で通常兵器は、第1次、第2次世界大戦の時に比べても、大量に使用されてきた。その結果、通常兵器で殺傷された人々の数は核兵器で殺傷された人々の数をはるかに多い。たとえばカラシニコフは「草の根の核兵器」と呼ばれるほどに何千万もの人々を殺傷してきた。現在世界各地で人々を殺傷しているのは通常兵器であって核兵器ではない。だから将来核兵器のない世界がきたとしても、それは通常兵器のない世界でもないし、むしろ核兵器に代わるあらたな通常兵器が登場する世界となるかもしれない。
 オバマ政権がなぜ、今核兵器のない世界を世界に向けアピールするのか。
 第1に政治的な背景。医療改革で国内世論の激しい反対に会い、支持率を急速に下げていること。国内での人気の低下を外交で取り戻そうという狙いがあるように思われる。アメリカで医療改革は一種のタブーのような政策だ。クリントンも第1期に医療改革に取り組んだことがあるが、結局失敗した。
 第2に軍事的な理由。最大の理由は核兵器の軍事的有用性が著しく低下したことにある。
核兵器はもともと軍事的兵器というよりも政治的兵器である。戦術的兵器というよりも戦略的兵器である。その意味は戦場で使用する通常兵器ではなく、政治的影響力を行使するために外交で使用する政治兵器である。破壊力を政治力に変換してはじめて核兵器は有効性を発揮できる。一旦使用すれば、単に大量破壊を招くだけで、政治力に変えることはできない。
 冷戦時代には米ソ対立の中で核兵器は相互抑止力を担う軍事的兵器として、また国際秩序を形成する政治的兵器として大いに役にたってきた。しかし、冷戦が終焉した現在、核兵器は相互抑止のための軍事的兵器としての役割は著しく低下している。また国際秩序を形成する政治的兵器としての役割も低下している。米中間の経済関係をみてもわかるように、世界各国間の経済的相互依存関係の深化にともない主に経済力が世界秩序を形成するようになっている。
 大国の核兵器の軍事的、政治的有用性が著しく低下している反面、発展途上国の核兵器の政治的有用性が高まる傾向にある。核兵器の軍事力を政治力に変換し、その政治力で経済力を高めるという核兵器の軍事から経済への代替可能性(fungibility)が著しく高まっているのである。典型が北朝鮮である。核兵器を開発し、それを政治力として、米中日韓などに経済援助を迫る。現在、イランが北朝鮮を真似している。またビルマも北朝鮮の後を追いかけようと、北朝鮮との関係を深めているといわれる。
 核大国とりわけアメリカとしては今のうちに発展途上国への核拡散を防止しなければ、将来的に現在の北朝鮮のような問題をいくつも抱え込むことになる。かつて国際政治学者モートン・カプランが「単位拒否体系」として予想した、世界中に核兵器が拡散しだれも世界を統治することができない恐怖の世界になってしまう。
 さらに深刻なのは、核兵器がテロ組織にわたることである。数年前にキッシンジャーはじめ冷戦時代に核戦略を唱導していた戦略家たちが核兵器の廃棄を提唱したことがある。その最大の理由がテロ組織に核兵器がわたることの恐怖にあった。アルカイダに核兵器がわたったら9.11同時多発テロの被害ではすまない。抑止力のきかないテロ組織に核兵器をわたさないよう核兵器を廃棄し、また核兵器の原材料、技術も徹底して管理することが結果的には国家安全保障に最も有効という論理である。
 米国はじめ現在の核大国が核管理を担えば、仮に核兵器を全廃しても万一の場合には再び核兵器を生産できる。かつて徳川幕府が鉄砲と火薬の原料となる硝石の製造を厳重に管理して、諸藩の謀叛を防いだ。同様に、現在の核大国が維持管理費のかかる現有核兵器を廃棄した上で、プルトニウム、ウラニウム等の原材料の製造、保有や核兵器技術を厳重に管理するのだ。そうすればハードウェアーとしての核兵器は廃棄するものの、ソフトウェアーとしての核兵器を保有していくことができる。
 また最先端の通常兵器であるRMA兵器が最も進んでいる米国にとって核兵器を世界から全廃すれば通常兵器では圧倒的な軍事的優位を保つことができる。なにしろ世界の軍事費の半分近くを米国が使用しており、第2位以下20位くらいまでの国家の軍事費の総計とほぼ同じである。第2位の中国でさえ世界の軍事費の8パーセント程度である。核兵器では米中ロは対等だが通常兵器では米国が断トツの軍事力を誇っている。核兵器の全廃は米国が圧倒的な軍事力を保有し、米国による世界の軍事的支配を強化することにつながる。
 うがった見方かもしれないが、オバマ政権が核兵器全廃を提唱するのは上記のような背景があると考えられる。決して理想主義的な思いから核兵器全廃を主張しているのではないだろう。
 では日本はオバマの核兵器全廃構想にどう対処すべきか。鳩山首相は日本が核兵器を保有する能力はあるが、非核三原則を堅持することをあらためて世界に言明した。日本が核兵器を造り、保有する必要はない。「つくらず」、「持たず」はしっかりと守った上で、しかし、核兵器の作り方は知っておくことである。すなわち技術というソフトウェアーとしての核兵器を保有するのである。核兵器の製造方法を知っておくことは非核三原則に抵触しない。
 現在の核兵器保有国が現有の核兵器を全廃すれば、核兵器技術を保有する潜在的核兵器保有国となる。その時に日本も核兵器製造の技術を獲得していれば核兵器技術を保有する潜在的核保有国として他の潜在的核保有国と同等の政治的影響力をもつことができる。
 鳩山首相は核兵器の技術獲得を目指すべきでないか。二酸化炭素25パーセント削減の技術力が期待できる日本の産業界ならもはやローテクの核兵器技術など容易に獲得できるだろう。それが現在の北朝鮮への核抑止にもつながり、また核兵器全廃の世界において政治的影響力を確保できる国家戦略となるだろう。

2009年9月25日金曜日

元クラーク空軍基地訪問
















 フィリピンに行くなら是非とも行って見たい場所があった。それは元クラーク米軍基地とスービック元米海軍基地である。今回念願かなってクラーク空軍基地跡を8月18日(2009年)に訪問することができた。残念ながら時間がなくスービック海軍基地は訪問できなかった。
 クラーク空軍基地は首都マニラから約60キロ、高速バスでおよそ2時間の距離にある。元空軍基地のあるDAUの街のバスターミナルからトライシクルで10分、60ペソで元空軍基地の正門前に到着する。
 市中を走るトライシクルは正門までしか行かない。経済特区に指定されているためか、元基地内を走るジプニーは特別の許可がいるようだ。そのため正門前には基地内を走るジプニーが多数客待ちをしている。そのうちの一台のジプニーを借り上げ、元空軍基地内を一周してもらうことにした。
 クラーク空軍基地は、スービック米海軍基地とともに冷戦時代には東南アジアにおける米軍の拠点だった。特にベトナム戦争時には重要な戦略拠点であった。しかし、冷戦が終わり戦略上の重要性は著しく低下した。また1991年にピナツボ火山の爆発で大量の火山灰が降り注ぎ、大きな被害を受けた。さらに同年、フィリピン上院1947年に締結され99年間の軍事基地協定の拡張を拒否した。こうした事情が重なって米軍はスービック海軍基地とともに1991年11月26日に返還した。
 元クラーク空軍基地訪問の目的は、米軍の基地返還後の跡地の利用がどのようになっているかを確かめることにあった。
 ピーク時には15000人もの人口があったといわれるクラーク空軍基地跡だ。それだけにとにかく広い。アメリカの地方都市の大きさだ。基地外の雑然とした街並みと比べると,基地内の道路、公園、住宅など街の景観は全くアメリカの田舎街の趣だ。この街並みを見ただけでは、ここがフィリピンだとはとても思えない。
 米空軍が使用していた広大な飛行場は現在国際空港として使われている。とはいえ、私がいた間に離発着した航空機は全くなく、滑走路や駐機上にも飛行機の姿はみえなかった。ターミナルも外観を見るかぎりアメリカの田舎の空港にあるような見すぼらしい施設でしかなかった。
 ガイドブックには免税店やファースト・フード店、レストラン、ホテルなどの商業施設が掲載されている。たしかにあるにはあったが、とてもはやっているとは思えない。とにかく人が少ない。基地外には人があふれかえって、すさまじい喧騒なのに、基地内はシーンと静まり返り、アメリカのさびれた田舎街の静けさだ。
 カジノ付きのホテルもある。昼間だったせいもあるあるが人の出入りは全くなかった。恐らく夜でも、そんなにはやっているとは思えない。基地外の貧困にあえぐフィリピン人がカジノに来ることなど全く考えられない。マニラや外国からわざわざカジノを楽しみに来る金持ちもそれほど多いとは思えない。アメリカで言えばラスベガス近郊の、周囲には砂漠しかないモーテルのカジノのように、ホテルの周辺には何の娯楽もない。これではバクチにしか関心のない客しか来ないだろう。
 基地内を一時間近く走ったが、人にも車にも出会うことはあまりなかった。人の出入りがみられたのは、フィリピン軍の駐屯地と警察の訓練施設の周辺だけだった。
 フィリピン政府は基地の返還に成功したものの、あまりに広大な基地をもてあましているようだ。たしかにこれだけ広大な敷地を再開発しようとすれば、莫大な資金が必要となるだろう。それだけの余裕は今のフィリピン経済にはない。
 また外資を呼び込もうとしても、いくつかの問題がある。まず環境汚染である。敷地内は長年の基地使用で環境汚染がひどいといわれている。環境浄化にも莫大な投資が必要だ。加えて最大の問題はピナツボ火山にある。ピナツボ火山が再噴火する危険性は否定できないからだ。大規模開発しても1991年のような大噴火が再び起これば、元の木阿弥だ。
 基地の跡地利用というのは、一朝一夕には進まない。それにしても返還後18年経った今もほとんど再開発が進んでいないというのは、基地返還そのものが良かったのかという疑問さえ抱かせる。

2009年9月20日日曜日

岡田外相の核密約調査

 岡田外相が米国との核持ち込みの密約を暴こうと懸命だ。目的は外交に対する国民の信頼を取り戻すことにあるという。核密約の存在は、1981年にライシャワー米駐日大使がすでに証言していた。その後も日米両国の関係者から密約の存在は示唆されてきた。若泉敬は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の中で、佐藤首相とニクソン大統領の間で密約が交わされたことを生々しく描いている。
 専門家の間では、日米の間で何らかの合意があることは常識だった。というのも、冷戦時代には米国の艦船が核兵器を搭載していることは常識であったし、また核兵器を搭載した艦船、航空機が日本に寄港する際にわざわざ核兵器だけを持ち込まないようにすることなど戦略的、戦術的にもありえないことだったからである。米国艦船や航空機による日本への核兵器の持ち込みは日米両国政府の阿吽の呼吸、暗黙の了解であった。それを公にしないことで、曖昧性が高まり抑止力の強化に役立っていたのである。核密約があったかどうかは、その検証は歴史家の仕事ではあっても、新政権の外務大臣がまなじりをけっして行う仕事ではないだろう。
 むしろ岡田外務大臣が真っ先に手がけなければならない仕事は、将来に向けて、非核三原則をどうするかを明確にすることである。冷戦後、米国の艦船、航空機は核兵器を搭載していない。今後搭載するかどうかは明言していないし、明言もしないだろう。米国の核戦略の基本はND(Not Deny)、NC(Not Confirm)だからである。
 では、米国から核兵器持ち込みの要請があった場合日本政府はそれを認めるのか、あるいは日本が米国に核兵器の持ち込みを要請しなければならない状況に陥った時、岡田外相はどうするのか。非核三原則を今後とも堅持するのか、社民党の要請を受けて法制化するのか。あるいは逆に核持ち込みを撤廃し非核二原則とするのか、あるいは非核三原則は全て撤廃するのか。核密約問題とは、結局過去の核密約をあばくことが重要なのではなく、非核三原則を今後どうするのかという問題である。
 核密約が明確になったところで、何か劇的に解決する問題があるのだろうか。核密約が解明されたとして、問題となるのは岡田外相も述べているように密約を交わしたことではなく、密約を無かったと歴代自民党政権が嘘をつき続けてきたことにある。しかし、マキャベリではないが権謀術数渦巻く政治では政治家が国益を考えて嘘をつくことは許される。
たしかに歴代政権に問題があるとするなら、冷戦が終わってからも嘘をつき続けた、その戦略思考の無さにあるのではないか。