2011年5月2日月曜日

原子炉制御に向け原発賛成派、反対派は一致協力せよ

千年に一度の大地震。追い打ちをかけるように大津波が押し寄せた。これだけでも未曾有の天災だ。その上さらに福島第一原発事故という人災まで降りかかってきた。福島原発が人災となった理由は、全ての核燃料冷却用電源が失われることを想定したマニュアルが東電にも政府にもなかった事だ。対処マニュアルがないために、全ての事故対策が場当たり的になっている。東電も政府も、いずれの危機管理も破綻してしまっている。アメリカ、フランス、IAEA等国際社会が不安になるのも無理はない。
まさか原子力発電所に電気が必要不可欠とは思わなかった。これが一般の人の感想だろう。一般の人だけではない。世界中のテロリストが原子力発電所のアキレス腱に気づき、北叟笑んでいるかもしれない。9.11のアルカイダのように航空機で原子力発電所に自爆攻撃を目論まなくても、核燃料冷却用電源を断ち切れば原発がメルトダウンして自爆するのだ。福島原発事故が国際安全保障に与えた影響は、環境、経済、社会にもたらした被害以上に深刻だ。
なぜ最悪のシナリオが想定されていなかったのか。それは逆説的だが、絶対にあってはならない事態だからだ。あってはならない事はない事にする、それを希望的観測という。ではなぜ、希望的観測がこれまでまかり通ってきたのか。反原発の人々は、一貫して警鐘を鳴らしてきたと主張するだろう。しかし、不幸な事に日本の原子力政策は、戦後の日本の安全保障の議論にも似て、冷戦時代に左右の政治イデオロギー闘争に巻き込まれ、冷静な論争ができなかった。日本の原発はイデオロギー対立という断層の上に立てられてきたのだ。
原発推進派は体制のイヌ、御用学者などと蔑まれ、仲間うちの小さなコミュニティに閉じこもってしまった。東電の中でも原発関係者は原子力村という小さなコミュニティを作っていたという。政治家、電力会社、官僚、東大の政産官学の原子力推進派はひたすら権力と金で反対派を懐柔し、経済効率優先で原発をつくってきた。反対派は核と聞くだけで延髄反射的に反対を唱え、夢物語りのような自然エネルギー利用のユートピアを喧伝するばかりだった。両者の間には建設的な対話はこれまでもなかったし、事故が起こった今もない。賛成派は楽観論を、反対派は悲観論を言い立てるだけだ。素人はただ、ただ恐れおののくだけだ。
原発はローテクの重厚長大産業の典型だ。原理は至って簡単。石油、石炭、天然ガスに代えて核燃料で作った水蒸気で発電タービンを回す。問題は核燃料をいかに制御するかだ。イデオロギー対立のせいで、核コミュニティの一部の技術者がハード面からのみ核燃料の制御法を考えてきた。本来は政治家や官僚も含めソフト面から原発全体の制御方法を考えておかなければならなかったのだ。
今からでも遅くはない。政府はこれまでの彌縫策を止めて、一刻も早くハード、ソフト両面から最悪に備えた短期的、長期的な危機管理マニュアルを策定すべきだ。そのためには原発賛成派、反対派はこれまでの確執を棚上げして、とにかく今は原子炉の制御に向け協力すべき時だ。

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