最新号『朝日ジャーナル』「原発と人間」を読んだ。朝日ジャーナルらしい左テーストあふれる編集だ。懐かしい。それもそのはずだ。執筆者の年齢をみて驚いた。ほとんどが右手に『少年マガジン』、左手に『朝日ジャーナル』の団塊の世代だ。懐かしい名前もあった。最首悟。『朝日ジャーナル』の常連寄稿者だった。当時肩書は東大助手だった。何年経っても助手のままだった。反体制派で左遷されているのだろうとは思ったが、それならなぜいつまでも東大にしがみついているのか不思議で、その名前が忘れられなくなった。
ちなみに一番真っ当な議論をしているのは、石井彰「真っ当なエネルギー論議のための押さえておきたい『10の基本』」だ。金権欲望の原発推進派、お花畑願望の自然エネルギー派の両方の空理空論を事実に基づいてバッサリと論破している。『朝日ジャーナル』の他の記事のほとんどは、老人のたわごとにしかすぎない。とりわけ池沢夏樹の「落胆して泣いて・・・良き貧しき国の再生を」には「落胆して泣いた」。
原発大国のフランスで長く暮らして、原発の恩恵をたっぷり受けながら、その反省はどこにあるのだろうか。東電の批判、政府の批判など老人の繰り言を延々と書きつらねるよりも、原発の恩恵それは経済的な豊かさや快適な暮らしであり、その恩恵があればこそ自らも筆一本で身すぎ世すぎができたことを「自己批判」すべきではないのか。
池沢は、将来の日本は現在のキューバのように「良き貧しき国」になれという。いまだに他国を理想として日本はこうあるべしという明治以来の他国礼賛、植民地根性から抜け出せないでいる。はるか昔は社会主義のソ連、次に文革の中国、そして主体思想の北朝鮮を理想の国として『朝日ジャーナル』周辺の「文化人」たちは讃えてきた。いまは、それらの国は崩壊、変質、独裁化したために震災後の国家モデルとしてあてはまらなくなった。だから別の国を探したのだろう。しかし、言うに事欠いて経済破綻国家キューバとは。
「ソ連が崩壊した後キューバには、燃料も肥料も入ってこなくなった。そこで彼らは何をしたか。必死で都市型の有機農業を始めた。それがなかなかうまくいっているらしい。その一方で、キューバの人口当たりの医師の数は日本の3倍で、医療は無料。しかも、その医師がほかの貧しい国に派遣されてそこで医療に携わっている」(9頁)。そういう「良き貧しき国」になれと池沢はご高説を垂れている。これはまるで分析も批判もない、ただどこかの観光宣伝パンフ丸写しのような中学生や高校生レベルのレポートではないか。池沢は本気で言っているのだろうか。単なる商品としての論、売文のための論ではないのか。そうでなければ池沢には是非理想の国キューバで「良き貧しき」老後をおくってもらいたい。
「ぼくは65歳だ。昔の貧しくて明るかった日本を知っているからそう(良き貧しき生き方ができるということ-引用者注)言える」。池沢夏樹、老いたり。昔を懐かしむようになったら、完全に老人だ。男も「老いては子に従う」ことだ。老人は昔の自分の価値観を若者世代に押しつけるな。かつて全共闘運動は旧い世代の価値観を破壊することを目的としてきたはずだ。その一端に連なっていたはずの池沢が若い世代に「昔は良かった」式のごりごりの保守的価値観を押しつけてどうするつもりだ。
池沢と同様の主張を哲学者の木田元が保守系老人向け雑誌『新潮45』に書いている。「経済水準が下がっても、もう少し自然に謙虚な社会の設計をする必要がある」。左右のイデオロギー(木田元が右だといっているわけではない。右のメディアに寄稿しているという意味だ)を越えて、老人の主張は「昔は良かった」で、変わらないようだ。
人間還暦を過ぎたら社会の一線を退いて、若い世代に全てを委ね、若い世代の手本となるような、若い世代のためになるような良き死にかたを模索すべきだ。老人は将来に責任を持てない。だからこそ老人の繰り言などをいわず、また「山上の垂訓」のごとき「高説」を垂れることもせず、ただひたすら若い世代の邪魔にならないように、静かに「溶融」ではなく溶暗していくべきだ。日本が「良き貧しき国として再生」するのではなく、日本の老人が「良き貧しき老人として殉死」すべきだ。
老人諸君!それが老人の責任であり義務だろう。
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