2011年5月2日月曜日

原発反対派は今こそ契約アンペア数の削減による電気の不買運動を

 今原発批判が堰を切ったようにあふれだした。たしかに福島原発の惨状を見れば、当然だ。しかし、はたしてどれほどの人が「それみたことか」といって、東電を批判できるだろうか。私は、今もそうだが、これまでもずっと原発賛成派、否むしろ推進派だった。原発の恩恵を受ける一方で、原発や東電を非難する資格があるとは私自身到底思えなかったし、それは今も変わらない。
 昨夕(2011年4月28日)の毎日新聞の夕刊に一貫して原発反対を主張してきたルポライターの鎌田慧がこう心の内を語っている。「ほれ見たことかと、僕が思っている?とてもそんな気持ちになれませんよ。・・・いったい何をやってきたのが。自家発電機で暮らすとか無人島に住むとか、僕自身、消極的な抵抗もしていない。すでにある存在として原発を認めていたのではなかったのか」。今はたして原発反対派、批判派の人たちは、鎌田のような謙虚な気持ちになっているのだろうか。
 スリーマイル島やチェルノブイリの事故をみて原発が絶対に安全などということはありえない。それは至極当然のこととして私は理解していた。今もそう思う。安全保障の原則、危機管理の鉄則で「Never say never」である。原発の存否の判断はあくまでも功利主義的判断に基づくべきである、と常々考えていた。功利主義の判断基準は経済的基準であったり、あるいは政治的基準であったりする。どこまで安全対策をすれば経済的に釣り合うのか、あるいは原発推進がどこまで国家のエネルギー政策に寄与するのか、あるいは地球温暖化を防げるのか、そういう功利主義的基準でしか原発は判断できない。もちろん反対派は原発は功利主義的に判断する対象ではなく、絶対に駄目だというかもしれない。しかし、その判断さえすでに功利主義的であることに気がつかなければならない。いずれにせよ、結果的に自然災害と経済との功利主義的判断の基準が甘かったために、今回の人災を招いたのである。反省すべきは、原発を建設したことではない。判断基準が甘かったことである。
原発の建設を決断したのは、いまから40年も50年も昔のことである。その当時を振り返って、原発を建設しないという選択肢がはたしてあったろうか。豊かさを求めてひたすら経済成長を追い求めていた日本にとってエネルギーの獲得は最重要問題だったのである。1965年に東海村に日本で初めての原子の灯がともった時、新しい時代が到来したような晴れがましさを覚えたことを50才代以上の人は皆覚えているだろう。また原子力エネルギーを使う鉄腕アトムは原子力の平和利用の象徴だったのだ。21世紀は原子力エネルギーの平和利用がロボットにまで広がる輝ける世紀として描かれていたのだ。
石炭から石油へとより経済的、効率的なエネルギーへの転換で高度経済成長を目指した日本が、1974年に突如オイルショックに見舞われてしまった。なんとしてでも安定的な、経済的な代替エネルギーが必要だったのである。当時さまざまな水力、風力、太陽光、地熱、波力など代替エネルギーが模索された。しかし、石油に代わる実用的なエネルギー源は原発しかなかった。
ダム建設で環境破壊を引き起すダム建設は日本各地で反対運動に遭い、また風力発電や太陽光発電の技術は未熟であった。いまでこそ屋根の上には太陽光パネルがついているが、つい最近まで屋根の上についているのは太陽光パネルではなく、太陽熱温水器だったのである。
もちろん原発建設当時から原発の危険性は周知の事実であった。だから広瀬隆の反語的反原発書の『東京に原発を』、あるいは原発の裏舞台を余すところなく描いた映画、森崎東監督の「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」(1985)などで原発の危険性を多くの人知っていたはずだ。たしかに反原発の言論はタブー視され、メディアでもあまり取り上げられなかった。だからといって今になって原発がこれほど危険だとは知らなかったというのは、あまりに無邪気すぎる。1979年のスリーマイル、そして1986年のチェルノブイリで原発の危険性は世界中あまねく知られていた。にもかかわらずわれわれは原発を選んだ。当時から批判はしていた、と言う人は上述の鎌田の言葉をかみしめてほしい。われわれは経済成長、便利な生活を求めて皆原発の危険性を過少評価、無視してきたのだ。
経済が成長するには電力、ガス、石油、風力、太陽光など社会全体の使用エネルギーの総量の増加が絶対に必要だ。社会全体のエネルギー総量を減らして経済の成長などありえない。節電すれば、経済が成長するなどということはない。たとえば節電すれば、電力会社の売り上げが落ちる。電力会社の売り上げが落ちれば、関連の会社の売り上げも落ちる。節電は原発エネルギーから次の代替エネルギーへの移行期間には役に立つが、その間は経済成長は低下する。
第1次、第2次オイルショックの際に節電や省エネが進んだ。しかし、家電や車の省エネは進んだが、社会全体でエネルギーの消費量は増加の一途をたどってきた。とりわけコンピュータの普及やエアコンの増加は電力消費を押し上げてきた。いくら省エネ型のコンピュータやエアコンを作っても、もともとそれらがない時代と比較すれば電力が増加していることは間違いない。ちなみにスーパー・コンピューターやコンピュータのサーバーは驚くほどの電力を消費する。グーグルが自前で原発を保有しようと計画していたのも増大するコンピュータ需要を今の電力のままではまかないきれないからだ。日本ではで電力需要の増加分を原発が補ってきたのである。そのおかげでわれわれは快適な生活を手に入れることができた。
今原発を批判する人はもちろん原発を今後どうするかはわれわれ一人一人の覚悟にかかっている。本当にいますぐにでも原発を停止したいと思うのなら、簡単な方法がある。それは各家庭の契約アンペア数を10アンペアもしくは15アンペアにすることだ。今多くの家庭が30アンペアもしくは40アンペアで契約しているはずだ。これを下げれば、原発を使用しなくても大丈夫である。もちろん家庭では、ブレーカーが落ちないようにさまざまな工夫が必要だ。エアコンとテレビは一緒に使わない。電子レンジと炊飯器は一緒に使わない。ドライヤーとアイロンは一緒に使わない。しかし、ちょっとした工夫で節電ができ、原発は不要になる。
こんな生活は40年前は当たり前だった。だから40年前の生活に戻って、当時の電力使用量にまで各家庭の電気使用量の上限を下げればよいのである。契約アンペアの引き下げによる節電は、いわば電気の不買運動である。電気は全面的な不買が難しいから、少なくとも現在の半分は不買してもよいのではないか。代替エネルギーが実用化されるまで、契約アンペア数引き下げによる電気の不買運動こそが、原発不要論の第一歩である。

0 件のコメント:

コメントを投稿