2011年5月23日月曜日

日本の全ての原子炉を廃炉に

 日本の電力会社は一刻も早く日本の全ての原発は停止すべきである。それは、地震や津波による被害の甚大になる危険性が高いからではない。また原発技術そのものの信頼性に問題があるからでもなければ、廃棄物の処理法が確立されていないからでもない。懸念されるのは、原発技術者がいなくなる、あるいは技術者の質が低下し、今ある原発を制御できずフクシマ以上の被害を出す危険性があることである。
 今福島原発で献身的に原発の制御にあたっている原発技術者は使命感に燃えて頑張っている。彼らがいなければ、どれほど悲惨な結果になっていたか火をみるよりも明らかである。彼らが使命感を持っている限り、福島第一原発は、現在の原発技術者で冷温停止まで何とか制御できるだろう。またそう願っている。しかし、はたしていつまで原発技術者が使命感を持ち続けることができるだろうか。東電はもちろん原発を抱える他の電力会社に原発技術者たちが残り続けるだろうか。電力会社に勤務しているというだけで、まして原発に勤務しているというだけで、今や後ろ指をさされるような状況である。今のままでは原発が廃炉になるまで本人はもちろん家族も世間の白眼視に絶えなければならなくなるだろう。それは自衛隊と同じ境遇だ。旧軍とは関係がないのに、自衛隊は戦後数十年にわたって差別されてきた。
自衛隊員は国防という使命によってなんとか職業意識を保つことができる。しかし、原発度術者はどうだろうか。国防と同じように原発を維持することに高い使命観をもつことができるだろうか。原発の電力は他のものでも代替できる。というよりも将来的には再生可能エネルギーに代替することが国策としてすでに決まっている。原発は時代後れの技術であり、再生エネルギーが本格的に登場するまでのつなぎのエネルギーでしかなくなってしまった。
こんな未来のない仕事に誰が就きたいと思うだろうか。現在東電も含めて原発技術者の全てはできれば仕事を変わりたいと本音では思っているにちがいない。とはいえ社会的責任や不況といったこともあっておいそれと転職はできないだろう。だからこそ原発技術者がいる間に原発を廃炉にする必要がある。彼らがいなくなれば、現発の制御はもちろん、廃炉にすることさえできなくなる。そうなれば、福島第一原発の事故どころではなくなる。
そもそも今回の事故を見るに、いわゆる原子力の専門家と言われる人のレベルが、神の火と呼ばれる原子力を扱うには相当程度低いのではないかという気がする。評論家や解説者のような素人が容易に意見を開陳でき、またそれに対して原発の専門家が十分な反論ができない。これまで仲間内だけの議論に終始してきたからか、専門用語が飛び交っているだけで専門家の話はさっぱり要領を得ない。専門家と政治家との間で十分な意志疎通ができなかったのは、専門家の言葉が一般社会では通用しない仲間うちの隠語同然だったからであろう。
さらに三十数年も前から原子力関連の研究を目指す学生が減り続けており、十数年前には人材不足から原発の信頼性に疑問符がつき始めていた。今回のフクシマ原発の問題も、かなりの部分人材不足に起因しているのではないかと思う。チェルノブイリは明らかに人材不足による人為的ミスが原因だ。その背景には80年代半ばの旧ソ連の経済的疲弊や社会的混乱があった。チェルノブイリと同じなのは事故の大きさというよりも、事故を起こした背景にあるのではないか。
今後大学で原子力工学を学ぼうという奇特な学生はまずいないだろう。原子力工学科を置いていた東京大学、京都大学、東京首都大学などは学科名を変更して学生を集めようとした。過去以上に将来は、全く未来のない発展性もない原発の技術を学ぼうという学生はいないだろう。優秀な学生であればあるほどそうだ。それよりは最新の再生可能エネルギー関連の技術を学びたいと思うだろう。
もう日本では原発技術の開発、維持する人材は出てこない。新たな原発開発ができないとなれば、東芝をはじめ原発関連産業は、海外に生産拠点を移さざるを得ない。そうなれば、必然的に技術者も海外へ移住するか、あるいは技術を海外に移転することになる。あるいは現在の優秀な原発技術者は原発開発に力を注いでいる原発新興国特に中国に高給で引き抜かれることもありうるだろう。仮にそうなれば、日本にはますます原発技術者がいなくなる。だからこそ原発の技術者が日本からいなくなる前に、原発を全て停止すべきだ。地震の発生確率は87パーセントかもしれないが、日本にある全ての原子炉が完全に廃炉になる前に技術者の数がゼロになるのは100パーセント確実だ。

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