2015年1月13日火曜日

イスラムの草の根の世界戦争

2015年1月7日イスラム過激派による風刺週刊誌「シャルリー・エブド」襲撃事件は「民主社会の根幹である言論の自由への重大な挑戦」(社説『朝日新聞』2015年1月9日)であるとしてフランスのみならず世界に大きな衝撃を与えた。フランスではパリを中心に各地で反テロを叫ぶ多くの市民が手にペンを携えてデモ行進をした。確かに、ムハンマドに対する冒涜を理由に新聞社を襲撃したことで今回のテロ事件は一見「言論の自由への重大な挑戦」に見える。しかし、今回の襲撃事件は単に「言論に対する暴力や脅し」や、今後懸念されるイスラム教徒への「差別や偏見に基づくヘイトスピーチ」(社説『朝日新聞』2015年1月9日)の問題ではない。実際は「言論の自由」という西洋イデオロギーやそのイデオロギーに基づく現在の国際社会の秩序に対する挑戦である。この文脈で今回の事件は犯罪ではなく、明らかに共産主義対自由主義の闘争に似たイデオロギー闘争でありイスラム・イデオロギーに基づく革命戦争の一環である。決して貧困や差別の社会問題が生み出した事件ではない。また単なる宗教対立でもない。政治闘争である。  俯瞰的に現代の紛争やテロの原因を見ると、そのほとんどの紛争の主体がイスラム対非イスラムであり、またその紛争地域はイスラムと非イスラムの境界線上で多発している。歴史的に見ても、1979年2月のイラン革命以降、国際テロのほとんどはイスラムに関連している。その後2001年の9.11同時多発テロ以降は西洋諸国が対テロ戦争の名目でイスラムへの攻撃を激化させ、それにイスラムが弱者の戦術としてテロを行使している。今回のパリのテロ事件も単にムハンマドを冒涜したという理由からだけではなかった。ユダヤ系スーパーを襲撃したアムディ・クリバリは、ネットで「イスラム国への爆撃で兵士や市民が殺害された報復」であると襲撃の理由を語っている。つまり単なる個人の単独テロではなく、イスラム対非イスラムの「戦争」の一環として、クリバリはテロを戦術として用いたのである。 イスラム対非イスラムの「戦争」という視点から見れば、1979年のイラン革命以来イスラムの「戦争」は前線なき、「草の根の世界戦争」として拡大の一途をたどっている。80年代は中東特にレバノンに集中していた。90年代に入るとソ連や東独等共産主義陣営が使嗾する共産テロが終息し、相対的にイスラムテロがフィリピン、インドネシア、ケニヤ、ソマリアなど中東以外でも頻発するようになった。そして21世紀に入り9.11を契機に欧米にもイスラムテロが拡大し、今や全世界がイスラムの戦争の前線になっている。 個々の事件は、必ずしも表面的には連携はないが、何かしらその地下茎がつながりあって世界各地でテロ事件が起きている。それは単なるテロではなく、全体としてみればやはりイスラム対非イスラムのある種の戦争が戦われているといっても良いだろう。その地下茎とは、結局のところ、主権在神のイスラムの政治イデオロギーではないのか。それを伝える手段がイラン革命当時のカセットテープからネットに代わり、一気に世界にイデオロギーが拡散していったのだ。 今回のパリのテロ事件は主権在民の西洋政治イデオロギーと主権在神のイスラム政治イデオロギーが抜き差しならないところまで先鋭化したことを如実に表しているように思える。

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