2015年6月10日水曜日
日本はメロス島になるなかれ
安倍ドクトリンの問題は、「尖閣と自衛隊の交換」がかつての「糸と縄」の交換のように、日本に国益があるかどうかである。「尖閣」とは対中抑止であり、「自衛隊」とは対米軍事協力の強化である。集団的自衛権をめぐる世論の分裂や国内の混乱を甘受してまで米軍から対中抑止力を今以上に得ることができるのか。残念ながら、厳密には誰にも実証もできなければ反証もできない。しかし、戦史にこの問題を考えるヒントがある。
かつてトゥキュディデスは『戦史』の「メロス島の対話」の箇所で、アテナイの使者にこう語らせている。「援助を求める側がいくら忠誠を示しても、相手を盟約履行の絆で縛ることにはなるまい、いな、求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」(トゥキュディデス『戦史』中公クラシックス、221頁)。安倍ドクトリンの問題はアテナイの使者のこの言葉に尽きる。安倍政権が対米貢献を強化し米国に忠誠を尽くしたとして、それがアメリカを盟約履行の絆で縛ることにはならない。アメリカはアメリカの国益にしたがって行動するからである。ギリシアの昔から同盟の契りは危ういものである。
それでもなおメロス側が同盟国たるラケダイモンに期待をかけるのは、次のような理由からである。「快こそ善、利こそ正義と信ずることにかけて、かれら(引用者注:ラケダイモン)の露骨な態度はまた世に類ないと言われよう。されば、かくのごときかれらの考えが、現在諸君が理を無視して夢を託す救済などと、相容れぬことは言をまたぬ」とのアテナイ側の主張に対し、メロス島の代表はこう応えている。「しかしわれらは今諸君が言ったと同じ理由により、とりわけラケダイモン人の利益中心の考え方に信を置いている。彼らの植民地たるメロスを裏切れば、心をよせるギリシア諸邦の信望を失い、敵勢に利を与えることになる。ラケダイモン人がこれを望もうわけがない」(同上、220頁)。アメリカが日本を裏切れば、アジアの同盟、友好諸国はアメリカに見切りをつけ、中国との友好、同盟関係を結ぶかもしれない。そうすればアメリカアジアでの影響力を失う。そのような不利益をこうむってまでアメリカは日本を見捨てることはないだろう、というのが日米同盟強化派の心情だろう。
しかしアテナイ側はこう切り返している。「では尋ねるが、利益とは安全の上に立ち、正義、名誉とは危険を冒してかちえられるもの、と諸君は考えないか。だが危険こそ、概してラケダイモン人ができうる限り避けようとするものだ」(同上220-221頁)。たしかにアメリカは尖閣防衛のために米中衝突という危険を冒すとは考えられない。これに対しメロス側は、「だがその危険でも、われらのためとあれば、すすんでかれらは冒すにちがいない、われらの島はペロポネソスにたいしては戦略的にも近く、また血縁ゆえにわれらの忠誠は他より強い信頼に値するだけに」との希望を述べた。結局メロス島はラケダイモンの支援もなくアテナイによって滅ぼされた。日本は中国にたいしては戦略的に近いものの、アメリカとの血縁は無い。血縁なき日本がはたして血縁があってもラケダイモンの支援を受けられなかったメロス島住民以上にアメリカの絆をあてにすることができるのだろうか。
日米同盟をメロスとラケダイモンの関係に当てはめるには無理があるとの批判はあろう。しかし、同盟の絆はギリシアの昔から国益に基づく。安倍政権の危うさは、国益よりも自由、民主主義など普遍的価値観を頼みにしていることである。アテナイの使者が「求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」と言ったように、日本は日本周辺において専守防衛に徹し在日米軍にできる限り拮抗する軍事力を備えることが肝要ではないか。はるばる海外に自衛隊を派遣する余裕はない。
安倍ドクトリンの最大の問題は、保守派の政治家と思われている安倍首相が実は普通の国を目指すタカ派の理想主義者であり、国益を何よりも重視する現実主義者でないことにある。
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