8月1日から11日まで中東の民主化の動向調査のためにエジプトとリビアを訪問した。
まずはガイドブック風に旅行の概要を記しておく。
アラブ首長国連邦国営のエティハド航空で8月1日の夜に成田を出発、アブダビで6時間の乗り換え待ちで、翌2日の正午にカイロに入った。エジプトの民主化闘争が激化するまでエジプト航空が東京・カイロ間の直行便を運行していたが、政情不安で観光客が激減したために、現在は直行便の運行を取りやめている。
今回利用したエティハド航空はこれまで名古屋を拠点にしていたが、昨年やっと成田への乗り入れが認められた新参の航空会社だ。現在プロモーションのために安売りチケットを販売しているため、行きも帰りも満席だった。ただ、乗客の大半の最終目的地はエジプトや中東ではなく、ヨーロッパだ。往きの飛行機にも日本人の二グループあわせて数十人が搭乗していたが、全員ヨーロッパ便に乗り換えた。
2009年の2月に訪れて以来カイロは2年ぶりだった。様変わりしたのは観光客の激減だった。宿泊したラムセス・ヒルトン・ホテルは、いつもなら観光客であふれかえっているはずだが、今回は宿泊客が少なくまさにガランとした印象だった。日本人はほとんど見かけなかった。ひょっとすると8月1日から始まったラマダンのために観光客がエジプトを敬遠したのかもしれない。それにしても帰国前日に訪れたギザのピラミッドでも観光客は皆無といってもよい。広い砂漠に観光客が十数人程度と数えるほどしかいなかったのには驚いた。もっとも、ヒルトン・ホテルの近くにあるエジプト考古学博物館には欧米系の観光客が多く入館していた。とはいえ観光客を多く見かけたのは、ここだけだった。
8月3日はたまたまムバラク前大統領の裁判の日だった。エジプト国民がどのような反応を見せるか、興味津々であった。結論から言えば、裁判が行われた軍の施設の前でムバラク支持派と反対派の小競り合いがあった程度で、カイロ市内では大きな混乱はなかった。
軍は混乱を防ぐために事前に、市の中心部にある民主化闘争の聖地になっているタハリール広場の反対派のテントや横断幕などを7月30日に全部撤去していた。また当日は、反対派がタハリール広場に集結しないように、広場の周辺に多数の兵士や警察官を動員していた。その広場の模様をビデオで撮影していたら、突然兵士に呼び止められ、若い上官の元に連行された。ビデオを取り上げられるかと覚悟したが、何とか切り抜けた。観光客らしき人物は私だけで、あまりに目立ちすぎた。
その後市民の反応を見るために街を歩いたが、街は全く平穏だった。人だかりがあったのは喫茶店だけだ。水タバコを燻らしながら、十数人の客がムバラクの登場をいまかいまかと待ち構え、テレビを凝視していた。午前10時過ぎにベッドに横たわったムバラクが他の容疑者とともに檻の中に登場した。喫茶店の客の中から大きなどよめきでもおこるのかと思ったが、予想外に何の反応も無く、皆冷静にテレビを見続けていた。
エジプトの民主化闘争が今後どうなるかは別にして、観光客の激減による経済の落ち込みが、今後の民主化闘争に少なからず影響をあたえるのではないか。
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