2011年7月21日木曜日

坂本龍一の戯言

 以前「年寄りの責任と義務」で池沢夏樹を批判した。その要旨は、自らは原子力の恩恵を受けて散々暖衣飽食の生活を享受したことを棚に挙げて、これから日本はキューバのような「良き貧しき」国になれというのはあまりに無責任ではないか、ということだった。池沢はこれからどれほど生きるかは知らないが、老後を豊かに暮らせるだけの資産も名誉もあるだろう。もしも本当に「良き貧しき」国になれというのなら、自ら率先垂範して全ての資産を処分して貧しき良き暮らしをしてはどうか。
 今また同じ戯言をほざいている老人がいる。坂本龍一だ。池沢と同じように、脱原発で貧乏肯定派だ。『週刊文春』で日本経済が世界第3位から10位、20位になってもいいから自然エネルギーに転換すべきだといっている。坂本も池沢と同じように経済発展の恩恵を受けた世代ではないか。本人はニューヨークに自宅を構え、エネルギー消費大国のアメリカで散々豊富なエネルギーの恩恵を受けている。
坂本は20年前から極力自然エネルギーを利用したエコな生活をするようにしているという。しかし、考えてみれば家庭生活でいくら節電したとしても、彼の仕事そのものは電気なしには成り立たない。音楽は、ライブであれCDであれネットであれ、電気の存在なしには成り立たない。音楽産業は電気産業でもある。なぜ、こうしたことに思いが及ばないのだろうか。
「トイレで流す水に水道水が使われていること。水道水は水を濾過するのに大量の電気を使う。コストがかかったものすごく無駄なことをしている。トイレで流す水は雨水で十分です」。なせ、これほど能天気なことをいえるのか。雨水で流したとしても汚物を処理するのにどれほどの電気を使用するのかわかっているのだろうか。経済力が10位、20位に落ちるということは、上水道だけではなく下水道までが衛生を保てなくなるということだ。エコを徹底するのなら、かつての日本のよう最悪再びくみ取り式の便所に戻る覚悟はあるのだろうか。もっとも日本の経済力が落ちたしとしても、ニューヨークで暮らす坂本には何の痛痒もないことだろう。
ところで私は原発は全て停止せざるを得ないと考えている。それは以前のブログにも書いたが、原発技術者が今後不足することが理由だ。したがって今後は火力発電やエネファームのような天然ガスによる発電に頼らざるを得ない。最終的にはウルトラ・キャパシタやスマート・グリッドさらにはクリーン・コールといった新技術に基づいた効率的なエネルギーに移行することが必要だ。新技術の開発によって経済力を維持し、さらに発展させていくことがなによりも重要だ。池沢や坂本のように貧乏でもいいではないか、といった功成り名を遂げた、将来に責任のない老人の戯言には本当に怒髪天をつく思いである。
日本人、とりわけ正規の職もなく就職先もなかなか見つからない若い世代は十分に貧乏だ。老人世代は今の豊かさを、そして自分たちが味わった豊かさを若い世代に引き継ぐ義務がある。

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