8月1日から11日まで中東の民主化の動向調査のためにエジプトとリビアを訪問した。
まずはガイドブック風に旅行の概要を記しておく。
8月8日(月)7時半にトルゴマーン・バス・ステーションからバスでシナイ半島の最東端の街アリーシュを目指し出発。2009年2月にも一度、ガザへの入境を目指したが、その時はまさに門前払いであった。そこで再び挑戦した。今回は、エジプト新政権がラファの検問所を開放したとのことで、その実態を調査するためにラファを再訪することが目的であった。そして運が良ければガザに入境することを目指していた。
昼過ぎにアリーシュの街に入ると、エジプト軍の装甲車が目につき始めた。2年前にはなかった光景だ。聞けば、一週間前にイスラム反政府勢力との間で銃撃戦が起こったとのことだ。民主化闘争以降、イスラム勢力の台頭と共にシナイ半島の治安が悪化しているとのことだったが、装甲車の姿を見ると、それが現実ものとして受け止められた。
バス・ステーションの周辺は河川工事のために、様相が一変していた。工事のためかつてはたくさん並んでいた露店が姿を消していた。また人の往来が激しくなったせいか、バスの乗客目当てにタクシーの客引きが多くいた。2年前には一台もタクシーはなかった。その時は仕方なくバス・ステーションの係員に白タクを調達してもらいラファまで行ったほどだ。今回は全くそのような手間をかけ無くてすんだ。70ポンドという高額の料金を支払って、ラファまで行った。途中、数カ所の検問所があったが、誰何されることもなくラファの検問所まで20分程度でついた。2年前よりも兵士や装甲車の数が増えている。
ラファの検問所の様相も一変していた。前回は検問所の手前で軍の情報機関の係官と思しき男に即座に追い返された。しかし、今回は検問所のゲートは開いており、ゲートの中に入ってエジプトの出国審査の国境係官にガザまで行きたい旨を告げることができた。彼は、同僚となにごとか話して、アメリカ、イギリス、日本はノー、パレスチナはオッケーと言った。予想通りパレスチナ人以外は入出国できない。
JMAS(日本地雷処理を支援する会)の研究員の証明書を出して、NGOのメンバーの肩書で入境を試みようと思ったが、残された時間がわずかしかなく、思いとどまった。入境するよりも検問所の周りの様相が一変していることを粒さに観察した方がよいと判断した。
検問所の周りには数十台の白タクが客待ちをしていた。また両替商も何人かいて、ポンドとイスラエルのシュケルの両替をしていた。2年前には検問所周辺にはエジプト軍の兵士以外だれもいなかった。それが、今ではタクシー運転手、両替商、そしてパレスチナから出る人、入る人でごった返していた。
タクシー運転手の間では客の取り合いで殺気立っていた。たまたま私を呼び止めた運転手が50ポンドでアリーシュまで行くというので、一旦オーケーした。すると、どうもその運転手が客引きをしては行けないところで私と交渉したと言うので、運転手同士で口論が始まった。一人の運転手が5ポンドでいいと言うので、そちらに乗り換えた。すでにパレスチナから出てきた家族連れが5人乗り込んでいた。私が乗り換えたことで再び運転手の間で口論が激しくなった。客の数、すなわち出国するパレスチナ人の数がそれほど多くないのが原因かもしれない。実際、一日に出入国できるパレスチナ人の数は制限されているとのことだ。
とはいえ、事実上ガザの封鎖には風穴が開いた。一本しかないガザに続く道路には、ガザ行きには物資を満載したトラックや、逆にガザから帰る空のトラックがひっきりなしに往来していた。2年前にはアリーシュからラファの検問所まではほとんど車の往来はなかった。
イスラエルはこうした状況に神経をとがらせている。イランからスーダン経由でシナイ半島、ラファそしてガザへと武器が流入することを恐れている。実際、これだけトラックの量が多くなり、またシナイ半島の治安が悪化した現状を考えれば、イスラエルの懸念もあながち杞憂と言えない。これまでは地下トンネルを監視していれば良かっただけだったが、エジプトにトラックによる物資輸送の管理を委ねざるをえなくなった。
ラファの検問所が完全に開放されたら、150万人の人口を抱えるガザ地区はもちろん近隣のアリーシュをはじめシナイ半島は多いに発展するだろう。その時パレスチナがエジプトに吸収されるか、それともシナイ半島がパレスチナ化するか、いずれにせよラファの開放は地域全体を大きく揺るがす出来事になりつつある。
そんな妄想に耽りつつ、再び6時間バスに揺られてカイロに帰った。
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