2015年9月29日火曜日

琉球独立支持

琉球独立論者である著者松島泰勝龍谷大学教授は自著『琉球独立』にこう記している。「いきなりではありますが、ここで直言しましょう。日本および日本人は、琉球の独立、および独立後の琉球を支援すべきです。いまからでも遅くはありません。私は、日本人の覚醒を猛烈に要望する者です」。松島氏に「猛烈に覚醒された」日本人として私は安倍政権に沖縄独立を支持するよう強く求める。理由は以下の通り。 第一、尖閣問題を日本から切り離す。現在日中間の直接的な懸案事項は尖閣問題だけである。尖閣問題を琉球政府と中国の問題とすることで、日中間での争点をなくすことができる。 第二、基地問題を日本から切り離す。日本政府と沖縄県で懸案となっている辺野古や普天間等の基地問題を琉球政府と米国との二国間問題とすることで、日本は長年の基地問題から解放される。 第三に、歴史を振り返れば、1854年7月11日に琉球王国とアメリカとは琉米修好条約を締結しており、琉球王国は米国との対等な外交関係を締結した独立国家である。日本が併合、植民地化したことは紛れもない歴史的事実であり、コソボ同様に独立は認められるべきである。 では沖縄が独立することによって、日本の安全保障にいかなる影響があるか。結論を言えば日本の安全保障に懸念されるほど大きな変化ない。それは以下の理由による。 第一に現在の東アジアの安全保障環境は米中の覇権争いである。尖閣や琉球の中国領有権問題を除けば冷戦期のように日本本土の安全が中国によって直接脅かされるような事態ではない。むしろ尖閣や琉球問題を切り離すことで日中関係は改善される。 第二に万が一中国が琉球を併合した場合でも、日本の安全保障にはさほど問題は生じない。アメリカのシンクタンクのシュミレーションでも米国のASB(エアーシーバトル)戦略は在沖米空軍ではなく、むしろ日本本土の三沢、横田などの基地が拠点となる。米海軍も佐世保、横須賀が拠点であり、沖縄ではない。 第三に日本は琉球共和国の非武装中立化を支援し、また日米中台間で琉球周辺を非武装地帯化することで、第一列島線をめぐる日米中台間の軍事衝突を回避することができる。 過日、翁長沖縄県知事がジュネーブの国連人権理事会で、沖縄の「自己決定権が侵害された」歴史を語った。それはまさしく沖縄県民の独立に向けた思いを語ったものであろう。また琉球の人々をアイヌの人々とともに先住民族と認めよとの運動もあるように、すでに日本人とは異なるアイデンティティが琉球には芽生えている。琉球人の自己決定権や先住民族としての権利を一刻も早く安倍政権は認め、琉球共和国との外交関係を樹立すべきだ。

2015年6月26日金曜日

集団的自衛権をめぐる論争について

 集団的自衛権をめぐって喧しい限りです。集団的自衛権行使を合憲とする憲法学者は違憲派から文字通り罵詈雑言を浴びせられています。違憲派によれば憲法学者の中で合憲を支持するものは数パ-セントだということです。  ところでつい最近集団的自衛権の行使を容認する学者も結構いるのではないかと思わせる本に出会いました。時の人である長谷部恭男早稲田大学教授が編集、執筆された『「この国のかたち」を考える』(岩波書店、2014年)です。同書に所収された苅部直東京大学教授の講義録「戦後の平和思想と憲法』で苅部教授は、憲法前文の国際協調主義に基づいて南原繁が個別的自衛権か集団的自衛権かにはこだわらず自衛権を容認していたと、1946年8月の貴族院本会議での南原の演説を引用しています。 「すなわち、本条章はわが国が将来「国際連合」への加入を許容されることを予想したものと思うが、現に同憲章は各国家の自衛権を承認している。且つ、国際連合における兵力の組織は各加盟国がそれぞれ兵力を提供するの義務を負うのである。日本が将来それに加盟するに際して、これらの権利と同時に義務をも放棄せんとするのであろうかを伺いたい。かくて日本は永久にただ他国の善意と信義に依頼して生き延びんとするむしろ東洋的諦念主義に陥るおそれはないか。進んで人類の自由と正義を擁護するがために互に血と汗の犠牲を払って世界平和の確立に協力貢献するという積極的理想はかえって放棄せられるのではないか」(185頁)。  この南原演説に対し、苅部教授はこうコメントを加えています。  「・・南原が、このように「世界平和の確立」への軍事的な貢献を積極的に支持し、一国平和主義と揶揄されるような考え方を批判していたことは、いまでもふりかえるに値する事実でしょう。 また、南原はこのとき国連憲章が認める「自衛権」とだけ言って、それが個別的自衛権か集団的自衛権かにはこだわらず、その行使が日本にも認められるべきだと主張しています」(185-6頁) 憲法前文の国際協調主義を重視する南原演説は、安倍の積極的平和主義の理念と全く同じといってよいでしょう。 続けて苅部教授は、集団的自衛権の違憲、合憲問題について、次のように記しています。 「一九五〇年台から六〇年台にかけての、外務省条約局長や内閣法制局長官による国会答弁では、日本が攻撃されていないのに他国へ自衛隊を派遣することは憲法に反すると説いた例がありますが、集団的自衛権の行使が一般的に不可能だとは解していません。ところがその後、一九六九年もしくは七二年に至って法制局は集団的自衛権の行使は憲法違反だと説明するようになりました。その背景には、日米同盟の廃止をスローガンとする野党に妥協して、国会の法案審議を円滑に進めようとした、自民党政権の政局対策がうかがえます」(186-7頁)。 続けて法制局の憲法解釈についても、苅部教授はこう記しています。「したがって、時の政権の都合によって法制局の憲法解釈が変更されることは、何も二〇一四年の安倍晋三内閣が初めてではありません。そのことは近年何人もの研究者によって実証的に明らかにされています(注略、引用者)。一九七二年の解釈変更の手続きは批判しないのに二〇一四年だけを批判するのはいったい・・・いや、これ以上言うと、教壇からの発言のルールを破ってしまいますね」(187頁)。立憲主義に基づき内閣による憲法解釈は認められないとする違憲派への反論です。 ちなみに長谷部教授は最後の章で、集団的自衛権そして立憲主義に基づきその行使容認の政府解釈変更も違憲との主張をされています。長谷部教授を国会に招致した自民党の船田元憲法審査会筆頭理事は同書をまずは読むべきだったでしょう。 さて現在の集団的自衛権問題は、与野党の権力闘争、保守、リベラルのイデオロギー抗争、Abephilia(安倍好き)、Abephobia (安倍嫌い)の感情的衝突という視点はさておき、憲法の国際協調主義と立憲主義の対立です。この問題は実は南原の演説でもわかるように、制定時から憲法が抱える根の深い問題です。国際政治学や安全保障の立場からは前者、憲法学の立場からは後者に立って論陣を張ることになるのでしょう。元来国際協調主義と立憲主義を止揚する論理や実践が必要なのですが、現在の言論空間ではとても冷静な議論が成り立ちません。残念ながら、憲法や安保法制の問題が、安倍首相個人の個人的資質や性格に還元されてしまい、政争の具や個人攻撃になっているからです。 双方とも冷静に論議のできる論争空間を構築する必要があるのではないかと思います。それにしても「三バカ」と揶揄され個人攻撃を受けている三人の識者に代わって、苅部直東大教授や大石真京大教授が議論に加われば、もう少し冷静な議論ができるのではないかと思うのですが。

2015年6月12日金曜日

集団的自衛権異聞

 集団的自衛権問題が喧しい。とりわけ自民党推薦の長谷部恭男早稲田大学教授までもが違憲と断じたために、政府は一気にコーナーまで追い込まれてしまった。ところで長谷部教授は『憲法と平和を問い直す』(筑摩新書、2004年)で、憲法を原理、原則、理想の表明という立場から護憲論を展開している。その意味ではいわゆる原理主義的護憲派とは一線を画している。今から6年前に、そのことについてブログに書いたことがある。何かの参考になればと思い、再掲する。  憲法を原理、原則、理想の表明という立場からの護憲論がある。たとえば長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』(筑摩新書、2004年)や内田樹『9条どうでしょう』(毎日新聞、2006年)などである。これまでの憲法論議は改憲派、護憲派のいずれであれ、憲法9条を道路交通法のような「準則」と考え、現実と憲法との乖離を問題にしてきた。改憲派は現実にあわせて憲法改正を主張し、護憲派は憲法を厳守して現実を変えよと叫ぶ。  どこかで似たような話しを読んだことある。中江兆民『三酔人経綸問答』である。改憲派、護憲派の論争は東洋豪傑君と洋学紳士君の問答そのままだ。武装を主張する東洋豪傑君、非武装を主張する洋学紳士君の説を南海先生はそれぞれ次のように批判する。  「紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵させ、言葉や文字では発表したが、まだ世の中に実現されていないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの。豪傑君の説は、昔のすぐれた偉人が、百年、千年に一度、じっさい事業におこなって功名をかち得たことはあるが、今日ではもはや実行し得ない政治的手品です。瑞雲は、未来への吉兆だが、はるかに眺めて楽しむばかり。手品は、過去のめずらしいみものだが、振り返って痛快がるばかり。どちらも現在の役にたつはずのものではありません」(中江兆民、桑原武夫・島田分虔次訳・校注『三酔人経綸問答』岩波文庫、93頁)。  そして南海先生の意見は、二人にとっては全く期待はずれにも、至極当たり前のものであった。南海先生の言によれば、「国家百年の大計を論ずるばあいには、奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がるというようなことが、どうしてできましょうか」(109頁)。「外交の方針としては、「平和友好を原則として、国威を傷つけられない限り、高圧的に出たり、武力を振るったりすることを」しない(109頁)。  これまでの憲法論議は、東洋豪傑君と南海紳士君の「奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がる」ような論争ではなかったか。長谷部や内田らの議論は、まさに憲法9条を原則、理想としつつ、実際には政治家が責任倫理にしたがって妥協の術としての政治により原則に則って理想を実現できるよう憲法9条を弾力的に解釈、運用するのが一番ということになる。だから「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との理想を掲げた前文はもちろん、理想としての憲法9条の条文も変える必要はないということになる。  理想、原則としての憲法9条というのは、ユダヤ教、キリスト教の「汝、殺すなかれ」あるいはジャイナ教、仏教の「非殺生」の教えに似ている。これらはいずれも絶対的な教えではあるが、原則や理想であって、この禁戒を厳密に実践している者など誰一人いない。「汝、殺すなかれ」の教えでは殺してはいけない対象である「汝」の範囲が、人間であり、また同胞であり、また殺人者以外でありと、さまざまに限定を加えながら、現実には多くの「汝」を殺してきた。さもなければユダヤ教もキリスト教もとっくの昔に消滅していたろう。またジャイナ教の「非殺生」の対象も動物であり、また動物でも四つ足の哺乳類とするなど、さまざまな解釈が加えられ、今日ではほとんど守られてはいない。  護憲派には熱心なキリスト教徒や仏教徒が多い。信仰を基礎にした護憲論は護憲論として尊重すべきである。しかし、そのそれぞれの宗教においてすら、原則は原則として、弾力的に解釈すべきものだとされる。たとえば、ボンヘッファーの事例である。20世紀を代表する高名なルーテル派のドイツの神学者であるボンヘッファーは、ヒトラー暗殺計画に加担し、ドイツ降伏の直前に処刑された。「汝、殺すなかれ」の実践を誰よりも求められる聖職者が暗殺を計画したということをどきように理解すべきか。日本で最も高名なキリスト神学者の一人である宮田光雄聖戦は、ボンヘッファーの行為をこう擁護する。  暗殺計画加担が問題とされるのは、「ボンヘッファーにおける平和主義と暴力的抵抗とのあいだに矛盾があると考えるからです。しかし、このことは、ボンヘッファーが無時間的な原則主義的倫理につねに反対していたことを思い起こせば、解消するのではないでしょうか。たとえば、テート教授によれば、ボンヘッファーは、『じっさい、最高の諸原則というものを、-それがたとえ平和主義や平和であったとしても、拒否した。むしろ、現在の状況において、何が生ける神の具体的な戒めとして聞かなければならないか、を具体的に問うのである」(宮田光雄『ボンヘッファーとその時代』新教出版社、2007年、379頁)。 護憲派は、ボンヘッファーのように「最高の諸原則」である憲法9条を拒否してでも、「現在の状況において、何が生ける神の具体的な戒めとして聞かなければならない」だろう。だからといって「汝、殺すなかれ」という教えが否定されるのではない。あくまでも教えは教えとして、原理は原理として、原則は原則として高く掲げなければならない。   長谷部や内田が主張するように、憲法9条も「汝、殺すなかれ」と同様に原則として理解する限り、改憲する必要はない。拒否すべきは改憲派、護憲派の「無時間的な原則主義的」憲法解釈である。とはいえ、状況に対応した憲法解釈では、解釈次第では、いかようにも解釈が可能となり、事実上無憲法状況に陥って理想をまったく蔑ろにする恐れがある。理想と現実との甚だしい落差は、「汝、殺すなかれ」「非殺生」との教えがありながらキリスト教徒や仏教徒がいかに多くの殺戮を繰り返してきたかを思い起こせば十分であろう。だから、融通無碍、勝手気ままな憲法解釈ができないように何らかの歯止めが必要となる。改憲が必要とすれば、まさに現状の解釈改憲に歯止めを効かすような改憲であろう。

2015年6月10日水曜日

日本はメロス島になるなかれ

 安倍ドクトリンの問題は、「尖閣と自衛隊の交換」がかつての「糸と縄」の交換のように、日本に国益があるかどうかである。「尖閣」とは対中抑止であり、「自衛隊」とは対米軍事協力の強化である。集団的自衛権をめぐる世論の分裂や国内の混乱を甘受してまで米軍から対中抑止力を今以上に得ることができるのか。残念ながら、厳密には誰にも実証もできなければ反証もできない。しかし、戦史にこの問題を考えるヒントがある。  かつてトゥキュディデスは『戦史』の「メロス島の対話」の箇所で、アテナイの使者にこう語らせている。「援助を求める側がいくら忠誠を示しても、相手を盟約履行の絆で縛ることにはなるまい、いな、求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」(トゥキュディデス『戦史』中公クラシックス、221頁)。安倍ドクトリンの問題はアテナイの使者のこの言葉に尽きる。安倍政権が対米貢献を強化し米国に忠誠を尽くしたとして、それがアメリカを盟約履行の絆で縛ることにはならない。アメリカはアメリカの国益にしたがって行動するからである。ギリシアの昔から同盟の契りは危ういものである。  それでもなおメロス側が同盟国たるラケダイモンに期待をかけるのは、次のような理由からである。「快こそ善、利こそ正義と信ずることにかけて、かれら(引用者注:ラケダイモン)の露骨な態度はまた世に類ないと言われよう。されば、かくのごときかれらの考えが、現在諸君が理を無視して夢を託す救済などと、相容れぬことは言をまたぬ」とのアテナイ側の主張に対し、メロス島の代表はこう応えている。「しかしわれらは今諸君が言ったと同じ理由により、とりわけラケダイモン人の利益中心の考え方に信を置いている。彼らの植民地たるメロスを裏切れば、心をよせるギリシア諸邦の信望を失い、敵勢に利を与えることになる。ラケダイモン人がこれを望もうわけがない」(同上、220頁)。アメリカが日本を裏切れば、アジアの同盟、友好諸国はアメリカに見切りをつけ、中国との友好、同盟関係を結ぶかもしれない。そうすればアメリカアジアでの影響力を失う。そのような不利益をこうむってまでアメリカは日本を見捨てることはないだろう、というのが日米同盟強化派の心情だろう。  しかしアテナイ側はこう切り返している。「では尋ねるが、利益とは安全の上に立ち、正義、名誉とは危険を冒してかちえられるもの、と諸君は考えないか。だが危険こそ、概してラケダイモン人ができうる限り避けようとするものだ」(同上220-221頁)。たしかにアメリカは尖閣防衛のために米中衝突という危険を冒すとは考えられない。これに対しメロス側は、「だがその危険でも、われらのためとあれば、すすんでかれらは冒すにちがいない、われらの島はペロポネソスにたいしては戦略的にも近く、また血縁ゆえにわれらの忠誠は他より強い信頼に値するだけに」との希望を述べた。結局メロス島はラケダイモンの支援もなくアテナイによって滅ぼされた。日本は中国にたいしては戦略的に近いものの、アメリカとの血縁は無い。血縁なき日本がはたして血縁があってもラケダイモンの支援を受けられなかったメロス島住民以上にアメリカの絆をあてにすることができるのだろうか。  日米同盟をメロスとラケダイモンの関係に当てはめるには無理があるとの批判はあろう。しかし、同盟の絆はギリシアの昔から国益に基づく。安倍政権の危うさは、国益よりも自由、民主主義など普遍的価値観を頼みにしていることである。アテナイの使者が「求める側が実力においてはるか優勢であるときにのみ、要請は実を稔らせることになる」と言ったように、日本は日本周辺において専守防衛に徹し在日米軍にできる限り拮抗する軍事力を備えることが肝要ではないか。はるばる海外に自衛隊を派遣する余裕はない。 安倍ドクトリンの最大の問題は、保守派の政治家と思われている安倍首相が実は普通の国を目指すタカ派の理想主義者であり、国益を何よりも重視する現実主義者でないことにある。

2015年5月9日土曜日

世界は歴史戦争の時代へ

 戦後70年の世界の安全保障環境の変遷を振り返ると、おおよそ次の三つの時代に大別できる。1945年から1989年の冷戦時代。1990年から2009年までの対テロ戦争の時代。そして2010年以後と大別できるのではないか。中国がGDPで世界第二位に躍進しアメリカの覇権に挑戦し始めた2010年以降を歴史戦争の時代と名付けたい。今や世界は歴史をめぐって争う時代に入った。  振り返ると2014年3月ロシアはウクライナ領のクリミアを併合し、ソ連崩壊後初めての領土拡大を果たした。ロシアはさらに軍事力を背景にウクライナ東部の割譲を目論んでいる。まるでかつてのロシア帝国の復興を夢見ているようだ。また同年6月、イスラム世界ではアル・バクル・バグダーディがカリフを自称し、オスマン朝以来途絶えたカリフ制のイスラム国の誕生を宣言した。イスラム国は第1次世界大戦後に画定した中東地域の国境線を否定し、かつてのオスマン朝の版図を超えて中東、中央アジア、北アフリカさらにイベリア半島、インドネシア、マレーシアにまで及ぶカリフ制国家を構想している。歴史が1世紀も逆戻りしたかのようである。  目を東アジアに転ずれば、同じように100年以上も昔に回帰したのかと思えるほど歴史をめぐる対立が日中韓の間で繰り広げられている。中国習近平体制は2049年の建国100年に向け「中華民族の偉大な復興」を掲げ「一帯一路」構想の下、南シナ海からインド洋への海洋進出を目指し、陸上では中央アジア諸国への影響力の拡大を目指している。また中国は、日清戦争で逆転した日中間の地位を再逆転し、日本からアジアの大国という地位を奪い返す手段として尖閣問題を使い、歴史認識問題で日本の世論を揺さぶっている。 韓国は相対的に縮まった国力差を背景に、日本による植民地支配の「恨」を今こそ晴らそうと、植民地問題、慰安婦問題と歴史問題にばかり拘泥し日本への非難を続けている。朴槿恵大統領は2013年5月に米議会上下両院合同会議でワイツゼッカーの「過去に目を閉じる者には未来が見えない」を引用して暗に日本を批判したことがある。しかし、現在韓国はチャーチルが残した名言通りになっている。「過去にこだわるものは未来を失う」。過去に囚われすぎて朴政権は日韓関係で二進も三進もいかなくなっている。  ただし、その責任の一端は日本にあるかもしれない。日本でも中韓同様に歴史に回帰し、古き良き時代の「普通の国」への願望が強まっている。戦後憲法制定前までに時計の針を戻し、憲法を見直そうとの動きが本格化し始めた。環境権や緊急事態の条項を新たに付け加えるだけならともかく、九条を改定して普通の国家を目指すことは、中国の後塵を拝するアジアのただの二流の普通の国家になるということに他ならない。変化する国際環境に合わせて憲法を改定するのは当然ではないかとの主張があるが、それは本末転倒である。 憲法は国柄を表し、国家の理想を世界に宣命する宣言文である。理想と現実が乖離するのは当然である。吉田ドクトリンのように理想と現実の妥協はあり得ても、理想が現実と合わないから、理想を引っ込めるというのは話が逆だ。理想に向けて努力することを昭和天皇はじめ我々日本国民は世界に誓ったのだ。九条の理想は自衛戦争を含めたすべての戦争を放棄することである。それは日本のみならず世界の理想である。この理想を掲げる憲法を持っている限り日本は世界の平和大国というアイデンティティを持つことができる。それこそが東アジアの歴史戦争から抜け出し、アジアの指導国、一流国家の地位を確保する唯一の道だ。  フランシス・フクヤマは「歴史の終焉か?」でいみじくも指摘していた。いずれ世界は平和の退屈さに耐え切れず、歴史に回帰するかもしれない、と。退屈さというよりも、どのような世界が望ましいのか、世界は歴史にしか未来の展望を見いだせない状況に陥っているのかもしれない。歴史戦争に勝ち残るには、あるべき未来の世界を構想するソフトパワーをつけることである。  

2015年3月23日月曜日

イスラム国は国家である

3月18日にチュニジアのチュニスで発生したバルドー美術館襲撃事件に関し、イスラム国からの声明が発表され、同事件へのイスラム国の関与が強まった。この事件を報道するメディアが「イスラム国」をイスラム過激組織あるいはテロ組織と呼んでいるが、この呼称は人々に誤解を与え、事件の本質を覆い隠すことになりかねない。イスラム国はあくまでも国家である。ただ、国際社会が承認しないだけである。  今回の事件同様に観光客を標的にした無差別テロがあった。1997年9月、エジプトのカイロ考古学博物館で観光バスが襲撃され、ドイツ人観光客10人が死亡した。そして2か月後の11月にエジプトのルクソールで日本人10名を含む観光客61人が殺害されるテロ事件が起こった。いずれも当時のムバラク政権を打倒しイスラム国家の樹立を狙ったイスラム原理主義勢力「イスラム集団」の仕業であった。エジプトは観光業が主要産業であり、観光客へのテロはエジプト経済に大きな影響を与え、政権への大きな打撃となった。チュニジアもエジプト同様に観光業が主要産業であり、今回の事件による政権への打撃は図りしれない。 今回の事件はイスラム国ではなく、チュニジアのアンサール・アル・シャリアが実行したとの説もあるが、いずれであれイスラム国家の樹立という目的で両者は一致している。むしろアンサール・アル・シャリアがイスラム国のカリフであるバクル・バグダディに忠誠を誓い、テロ事件を起こしたのではないか。アンサール・アル・シャリアはリビア、イエメンにもあり、いずれもイスラム国家の樹立を目指している。 スンニ派イスラム原理主義力は、かつてはまず政権の打倒を目指し、各国で反政府テロを繰り返してきた。しかし、イラク、シリア、エジプト、リビア、シリア、イエメン、チュニジアなど独裁政権による弾圧でその活動が封じ込まれてきた。ところが2011年にチュニジアで始まった民主化運動で独裁政権が次々と倒れると、各国のイスラム組織が活動を活発化さえ、次の目標に向かって闘争が激化したのである。その目標とはオスマン朝以後途絶えたカリフ制イスラム国家の再興である。この目標をいち早く達成したのがイスラム国であり、カリフに就任したアブー・バクル・バグダディはすべてのイスラム国家(ウンマ)を目指すスンニ派原理主義勢力の指導者となったのである。言い換えるなら、イスラム国を承認し、バクル・バグダディをカリフと認める組織が、今イスラム国の拡大を目指してイスラム各地で活動を活発化させているのである。実際、チュニジアの事件の二日後にイエメンでイスラム国によると思われる自爆テロが起こり、敵対するシーア派教徒137人が死亡した。 イスラム国の誕生は、実はイスラエルの建国の過程と瓜二つである。オスマン朝が滅亡した後、パレスチナはイギリスの委任統治下に置かれた。しかし、アラブ系住民とユダヤ系住民との対立が絶えず、またユダヤ系のテロ組織による反英闘争も激化し、1948年5月ついにイギリスは委任統治を放棄した。イスラエルはただちに建国を宣言し、反対する周辺アラブ諸国との第一次中東戦争をしのぎ、イスラエル国家を樹立した。 考えてみるとイスラム国も同様である。フセイン政権崩壊後イラクは事実上アメリカの占領下に置かれた。スンニ派イスラム原理主義勢力が反米闘争を展開し、その後対立するシーア派との宗派間闘争が始まり、2011年12月ついに米軍はイギリス同様に間接統治を諦めイラクから撤退した。治安の混乱に乗じて、イスラム国がモスルやラッカを支配し、建国を宣言したのである。支配領域を持ったカリフ制国家はオスマン朝以来初めてである。イスラエルとイスラム国の違いは、イスラエルが建国直後にアメリカやソ連など国際社会の国家承認を受けた反面、イスラム国は国際社会の承認が無いことである。その一方で各地のイスラム原理主義勢力からカリフへの忠誠を受けている。つまり、イスラム国は国際社会から承認されないものの、建国当時のイスラエルよりも広大な国土を持つ「国家」なのである。決して単なるテロ組織などではない。 したがってイスラム国に対しては、テロ組織に対するような対応は間違っている。イスラム国が戦術としてとるテロが問題なのではない。イスラム国のような「国家」に対してどのように対応するかが問題なのである。しかし、イスラム国をテロ組織と呼ぶ限り、その対応は貧困の撲滅のような相も変わらぬテロ対策になる。他方イスラム国を国家として認めれば、かつてPLO(パレスチナ解放機構)を準国家として主権国家体制に取り込んだように、イスラム国を準国家として国際社会に取り込むか、あるいは軍事的に壊滅するかのいずれかである。いずれにせよパレスチナ問題が半世紀以上たっても解決しないように、イスラム国問題の解決もまた数十年単位となるだろう。

安倍ドクトリンの問題

3月20日、自民党と公明党が、新たな安全保障法制の基本方針について正式合意した。 遂に吉田ドクトリンに代わる安倍ドクトリンとでもいうべき、国家安全保障戦略の大転換が現実となった。 振り返ってみると安倍政権は安全保障戦略の方針転換を一気呵成に行ってきた。2013年12月4日、国家安全保障会議発足、同月6日特定秘密保護法成立、同月17日国家安全保障戦略策定、2014年4月1日防衛装備移転三原則閣議決定、7月1日集団的自衛権行使容認閣議決定、そして2015年3月20日の新たな安全保障法制の制定である。  安倍ドクトリンの最大の目的は、対中国抑止にある。そのためにはアメリカの抑止力が不可欠である。アメリカの抑止力を確実なものにするためには、自衛隊にアメリカ軍の代替や後方支援にあたらせ、日米同盟を深化させることが必要だ。自衛隊とアメリカ軍との軍事協力関係を密接にする(自衛隊が事実上米軍の隷下に入るということ)ために安倍政権は、特定秘密保護法で日米間の情報共有を確実にし、防衛装備移転三原則で日米間の武器開発・製造を円滑にし、そして集団的自衛権行使容認で自衛隊の活動の場を拡大し、安全保障法制で米軍と共に戦う態勢を法的に整備するなど、着実に手を打ってきた。  とはいえ安倍ドクトリンによってはたして抑止力は高まるのか。安倍ドクトリンの問題は、アメリカの抑止力の信頼性である。抑止の能力から見れば、日米の軍事の一体化が進めば、抑止力が高まる可能性はある。中国側として米軍が同盟国日本の防衛にどれだけ軍事力を投入するかわからなくなるからである。いずれ中国の軍事力は質、量とも自衛隊を凌駕するにしても、米軍が日本に協力すれば、中国は太刀打ちできない。しかし、問題はアメリカに中国を抑止する意志があるかどうかである。はたして日本がアメリカに対米協力という恩を売るだけで、アメリカの抑止の意志が高まるだろうか。 中国側はまさに、この点をついて、心理戦、歴史戦を仕掛けている。中国は米中がかつて第二次世界大戦で日本と戦った同盟国であることを強調し、また戦後レジームからの脱却を主張する安倍首相に歴史修正主義者のレッテルを張って日米の離間を図ろうとしている。安倍首相も靖国参拝をしたことでアメリカから猜疑心を持って見られており、レーガン・中曽根、ブッシュ・小泉政権時代ほど安倍・オバマの信頼関係は深くない。日米関係がどこまで緊密化できるかは、国家安全保障の基本理念の「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」をアメリカとどれほど共有できるかにかかっている。とはいえ、米中関係には常に第二の「朝海の悪夢」(1972年のニクソン・ショックのように事前通告なしの米中関係改善が行われること)の恐れがあることを念頭に、日本は対米関係を考える必要がある。 抑止力の信頼性に関してはもう一つの問題がある。それは、どこまでアメリカに協力すれば抑止が確実になるかはわからないことだ。そのためアメリカに際限なく追随する恐れがあり、かえって日本の安全保障にマイナスになるかもしれない。特に国際安全保障分野での対米協力である。もし再びイラク紛争のような紛争が起こり、アメリカが有志連合への協力を要請してきた場合、集団的自衛権の行使を容認した以上、憲法を盾にしたかつてのイラク支援のような復興支援だけというわけにはいかない。より積極的な対米協力をすれば、アメリカの紛争に巻き込まれ恐れがある。他方アメリカにとっても、日本への協力がアメリカの国益を損なう恐れもある。尖閣問題が典型である。アメリカは尖閣を第一次世界大戦の契機となった第二のサラエボにするつもりはない。他方日本は尖閣を、国際社会が事実上併合を認めてしまった第二のクリミアにするつもりはない。日米双方で国益の違いから、抑止力の信頼性に疑問符が付く場合がある。 安倍ドクトリンの最大の問題は、安倍首相が描く将来日本の国家像が不明なことである。吉田ドクトリンは経済優先の国家目標があった。では安倍ドクトリンには具体的にどのような国家目標があるのだろうか。安倍首相は日本をどのような国家にしようとしているのかがわからない。かつては「美しい国」であり、今では「強い国」であり、そして「強い国を取り戻す」というのが安倍首相の国家目標のようである。しかし、災害に強い国を取り戻すことはできても、二度と世界第二の経済大国という座を取り戻すことはできないし、ましてや安全保障で強い国になることなどあり得ない。 国家には秩序を形成する能力のある大国、その秩序を維持する能力のある中級国家、そしてその秩序に追随する能力しかない小国の三種類がある。戦前の日本は秩序を形成する能力のある大国だった。しかし、新たな秩序形成に失敗し小国へと転落した。幸いにも戦後経済大国として復活したが、その実態はアメリカが形成した秩序を維持する中級国家でしかなかった。慶応大学の添谷芳秀教授が『日本の「ミドルパワー」外交』(ちくま新書、2005年)で指摘するように吉田ドクトリンはまさに中級国家戦略だったのである。安倍ドクトリンははたして戦前のような大国日本の復活を目指しているのだろうか。それとも世界の大国でもアジアの指導国でもない日本の現状を踏まえ身の丈にあった中級国家を築こうとしているのか。坂の上にもう雲はない。