2013年7月8日月曜日
慰安婦問題は歴史問題ではない
橋本徹大阪市長のいわゆる「慰安婦問題」発言をめぐって20年ぶりに同問題をめぐって日本国内では議論が大いに盛り上がっているようだ。ワシントンでは、一部の利益団体を除き、ほとんど関心の埒外である。
ネットで秦郁彦と吉見義明のTBSのラジオ討論を聞いて驚いた。慰安婦問題に20年前とは全く違った争点が出てきている。現在の慰安婦問題の核心は、慰安婦に「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、接客拒否の自由」が無かったから「性奴隷」の状態にあったということ、さらに慰安婦制度のみならず公娼制度も事実上の人身売買に基づく制度だということである。20年前の吉見氏の論点は、軍による強制連行の有無だった。彼は、防衛研究所にあった陸軍大蜜記を元に軍の強制連行があったと主張していたはずだ。しかし、その資料では、軍が直接強制連行した証拠としては弱く、強制性や広義の強制と言ったあいまいな言葉にすり替えられ、国内では次第に論争は沈静化していった記憶がある。もっとも国連では日本弁護士連合会が慰安婦問題を国連で取り上げるようにロビー活動を展開し、国内よりも国際社会では盛り上がっていたのかもしれない。国連だけではなくアメリカにおいても2007年にはマイク・ホンダ米下院議員らが慰安婦問題で日本を非難する下院決議121号を可決させ、以後慰安婦問題は、のどに刺さった魚の小骨のように日米同盟をチクチクと痛めている。
同決議を読むと、吉見氏が現在慰安婦問題の核心として取り上げている問題点(下線部)がそっくりそのまま記されている。誤解のないように原文を掲載する。
Whereas the `comfort women' system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;
(日本政府が強制した兵士のための娼婦すなわち「慰安婦」制度はその残虐さや規模において前例のないものと考えられる。それは20世紀における最大規模の人身売買の一つであり、そこでは集団強姦、強制堕胎、辱めそして女性器切除や死に至る、あるいは最後には自殺に追い込まれるような性的暴行等が行われた)。
Whereas the Government of Japan, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II, officially commissioned the acquisition of young women for the sole purpose of sexual servitude to its Imperial Armed Forces, who became known to the world as ianfu or `comfort women';
慰安婦問題はアメリカでは人身売買に軍が関与しており、さらに「性奴隷」の目的だけに日本政府が慰安婦システムを作ったことにされている。つまり 慰安婦問題は軍の強制があったかどうかという問題ではなく、性奴隷とするために日本政府が人身売買を行っていたことになっている。
もし、これが事実なら(吉見氏ら日本人も含めほとんどの外国人はこれが事実だと思っている)、日本政府は1921年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」すなわち売春とそれに伴う女性と児童の人身売買を禁止するための条約に違反することになる。それどころか軍であろうが民間であろうが、誰であっても売春と売春目的の人身売買は禁止されており、日本政府は取り締まらなければならなかった。しかし、実態は条約以降も売春は続いている。
それは、抜け道があるからである。強制売春ではなく自ら仕事として行う自由売春や自由恋愛という形態をとれば問題が無いからである。だから今でも売春はある。たとえばセックス・ワークとしての自由売春はオランダの飾り窓やアメリカのネバダ州など世界でもいくつかの国や地域が公娼制度を認めている。また自由恋愛という形式をとれば、日本のソープランドや風俗店や援助交際のようにほぼ公然と売春ができる。
また人身売買も、借金を返すという方便で身を売るという方法によって、法の網をかいくぐったのである。この借金の代わりに働くというのは、世界中どこでも行われていた労働形態である。売春に限られた労働形態ではない。日本では年季奉公(indentured servitude)という徒弟制度の中で多く行われた労働形態である。ただし、いつまでも借金が減らない、年季が明けても解放されないなど奴隷と変わらない状況になりがちで、現在では年季奉公は多くの国で奴隷労働として禁止されている。
秦、吉見両氏の論点は、結局前借による売春が人身売買にあたるかどうかということにあり、もはや軍が関与したかどうかではない。もし人身売買にあたるとするのであれば、戦地での慰安所の問題だけでなく内地での遊郭も問題となる。吉見氏は戦前の遊郭も人身売買に基づいており奴隷制度であると非難している。つまり日本政府全体の問題であり、単に軍が関与したかどうかが主要な争点ではない。
一方で秦氏は当時の状況を踏まえ、前借による売春は人身売買とはみなさない。親のため、家族のために身を売るということもあったろう、時には女衒に騙されて苦界に身を沈めることもあったろう、事情は人それぞれであり、人身売買とひとくくりにして糾弾することは難しい、というのが秦氏の主張である。慰安所は遊郭の延長線上にあると秦氏が主張するのも、そうした思いがあるからだろう。
私は心情的には秦氏を支持する。吉見氏の論に従えば、いわゆる遊郭文化は女性の人権を蔑にする不届きな奴隷文化ということになりかねない。さしあたり落語家は「明烏」「品川心中」などの廓噺を語ることはご法度になるだろう。廓文化を肯定することも憚られようになるだろう。遊郭を舞台にした宮尾登美子の小説は焚書になりかねない。文化と制度は違うという声が聞こえてきそうだが、少なくとも廓文化を肯定することは許されなくなるだろう。
日本人ですら遊郭を知らない昨今、外国人に日本の遊郭について理解せよというのは土台無理な話である。TVタックルの慰安婦問題の回でアメリカ人のジェームス・スキナー氏が奴隷の定義を盛んに他の出演者に問いかけていた。売春であろうが丁稚奉公であろうが親が借金のかたに子を売るのは立派な人身売買であり、借金を返済するまで働かされるのは文字どおり奴隷というのが彼の主張である。というよりも現在の国際社会の通念である。「おしん」はまさに奴隷だったのだ。親や家族のためにわが身を犠牲にすることを倫理的によしとするか、親子であっても別人格と考えるか、慰安婦問題の根底には文化の断絶がある。
慰安婦問題は今や日本と中韓の間の歴史認識問題ではない。ちょうどイスラム文化と欧米文化が女性の人権をめぐって対立しているように、欧米のグローバル・スタンダード文化と日本文化の対立という側面が出始めている。人権は普遍的概念であり、文化によって人権概念が変わることはない、というのが現在の国際通念である。
今、慰安婦問題は欧米のグローバル・スタンダードの人権概念に基づいて議論されている。いくら日本が昔ああだった、こうだったと言っても、何の役にも立たない。慰安婦問題は歴史問題ではない。現在の人権問題である。小林よしのりが言うように、慰安婦問題の議論で日本は周回遅れになっている。外交的にはもはや全面的に敗北である。やくみつるが言うように謝って、謝って謝り倒すしか方法はない。それは具体的には現在の人権基準で慰安婦問題を解決し、中韓とりわけアメリカからの批判を跳ね返し、彼らに対して倫理的に優位に立つ必要がある。
残念ながら日本は敗戦国である。中韓が国力を増大した今、日本は尖閣問題や慰安婦問題によって彼らから敗戦の落とし前を要求されているのである。そしてアメリカも金の切れ目が縁の切れ目とばかりに米中関係重視に動き始めている。金と力の亡者が暗躍する国際社会で日本が生き残るには道義国家となること以外にない。
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