2011年6月3日金曜日

日本に民主化の春を

 管首相は2回も震災に救われた。強運の持ち主だ。言い換えれば、2度も震災を利用してその地位にしがみついた。
 一回目目は3月11日、大震災当日。その日まさに管の命運は尽きようとしていた。在日外国人からの不正献金問題を国会で追及されていた。同じく在日外国人からの不正献金で前原はすでに3月6日に外相の職を辞していた。献金額も総額104万円と、4年間で25万円を受け取っていた前原よりも多い管の責任は前原以上に重大だった。しかし、管の不正献金問題を追及している国会審議の最中に震災が起き、管は命拾いをした。
 二回目は6月2日、内閣不信任案の採決。民主党の代議士会で管は奇策を講じた。「大震災の対応に一定のめどがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいきたい」と辞任を示唆し、内閣不信任案に賛成する小沢、鳩山グループを抑え込んだのだ。結果は圧倒的多数で否決。管はまたもや命拾いした。
 その後の「一定のメド」の解釈をめぐるドタバタの茶番劇はあまりの阿呆らしさに、言うべき、書くべき言葉が見つからない。辞任の時期を明確にすれば、その時点で直ちにレイムダック化することは火を見るよりも明らかで、管にしてみれば口が避けてもいつ辞任するかなどとは言えない。いつやめるかわからないという状況が管の権力を支える結果になった。いつやめるかは管次第という、独裁政権のような状況になってしまった。
小沢は、辞任するという言質をとったのだから、一歩前進だといって、戈をおさめてしまった。小沢の完敗だ。自民、公明も最強のカードを切ったつもりが、肩すかしを食らわされてしまった。もはや打つ手なし。残るは国会審議で国会のねじれを利用して、民主党提出の法案に反対やケチをつけて、管の足を引っ張ることくらいだ。
負け組の中で最大のピエロは鳩山だ。辞任の時期は復興基本法の成立か第2次補正予算案の早期編成のめどがついたころと考えていたらしい。しかし、管は福島原発の低温冷却までと辞任どころか事実上の続投を示唆した。これに驚いた鳩山は、自分が首相の時は普天間問題で散々ウソを並べ立て結局首相辞任に追い込まれたにも関わらず、今度は管に向かって「人間うそをついてはいけない」という皮肉。「ウソつきがウソをいってはいけない」という言葉は真か偽か、まるで論理学の問いや禅問答のような話になってきた。
民主党を壊し、自民党政権に逆戻りさせるかどうかは別にして、民主党は管と鳩山の確認事項を破棄し、一旦解党して下野し出直しをした方がよい。管も鳩山も被災した人々のことなど二の次にして、権力闘争に明け暮れているような党に政権は委ねられない。実際、確認事項の第1に「民主党を壊さないこと」、第2に「自民党政権に逆戻りさせないこと」と、自分たちの権力維持しか頭にないのだから。そして、なんと大震災の復興については三番目だ。これが民主党の本音か。
もはや管を政権の座から引きずり降ろす合法的手段はなくなった。皮肉にも「民主」を掲げる民主党政権の時に、事実上の独裁政権が誕生してしまった。チュニジア、エジプトの民主化のように、ありとあらゆる手段を使って国民の手で管を引きずり降ろすしかない。日本に民主化の春を。

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