戦争の本質とは、農業時代にはNと工業時代にはUの戦いである。つまり火薬の主原料である窒素と核兵器の主原料であるウランをいかに獲得するか、つきつめればこれが農業時代と工業時代の戦争の勝敗を決したのである。その窒素をいかに獲得するか、窒素の獲得をめぐる物語がトーマス・ヘイガー著、渡会圭子訳『大気を変える錬金術』(みすず書房、2010年)である。
今から100年以上前、19世紀末から20世紀初頭にかけて二人の科学者によって、空中の窒素を固定しアンモニアが大量に生産できるようになった。その二人とは窒素の固定の方法を編み出したフリッツ・ハーバーそして工業化によるアンモニアの大量生産システムを完成させたカール・ボッシュである。二人の業績をとって、空中窒素の固定はハーバー・ボッシュ法と呼ばれている。筆者は「空気をパンに変える方法」と称賛している。というのも植物の三大栄養素である窒素肥料を人工的に大量に製造できるようなったからである。この結果、小麦をはじめ多くの作物を大量に生産できるようになった。その一方でハーバー・ボッシュ法は「空気を火薬に変える方法」でもあった。ほとんどの火薬はアンモニアから合成される硝酸化合物を原料としているからである。
ハーバー・ボッシュ法が発明されるまで、人類はさまざまな方法で肥料と火薬の原料となる窒素化合物を手に入れようとしてきた。最も簡単な方法は、天然の硝石を入手することだった。しかし、天然に存在する硝酸化合物の多くは硝酸ナトリウムや硝酸カルシウムなど水溶性のため、砂漠のような乾燥地帯にしか存在しなかった。そのため古来インド、中国そして南米のチリなど限られた乾燥地域からしか産出しなかった。そのため天然硝石のない日本をはじめヨーロッパ諸国では人造で硝石を生産する方法を編み出したのである(ちなみにこの人造硝石の製造方法やその起源等について体系的な研究はいまだにない。現在、私が科研の挑戦的萌芽研究で3年間の調査を今年から開始した。3年後を乞うご期待)。
人造硝石の製造法には越中五箇山、飛騨白川の培養法、ヨーロッパの牧畜法(硝石プランテーション)そして世界中広く行われている古土法の三種がある。いずれの方法であれ黒色火薬の7割を占める硝石の生産量は微々たるものである。日本の場合でも越中五箇山で一年間の硝石生産量は100トンにも満たない。つまり19世紀末までは戦場で使用される弾薬の量は日本やヨーロッパでもわれわれが想像するほどには多くはなかった。
状況が一転したのは、ハーバー・ボッシュ法によって窒素を空中から無尽蔵に入手できるようになって以降のことである。プロシア皇帝ウイルヘルムⅡ世が、ハーバー・ボッシュ法を知って、これで心置きなく戦争ができると語ったのは有名な話だ。第1次世界大戦が大量破壊の凄惨な戦争になったのは、ハーバー・ボッシュ法によって大量の火薬を生産できるようになったからである。ちなみに第1次世界大戦で使用された塩素ガスをはじめ毒ガスもハーバー・ボッシュ法によって大量生産が可能になった。
大量に生産された弾薬は戦場に大量輸送しなければならない。そのために自動車、鉄道が発達した。また戦場で弾薬を大量に消費するために機関銃が発明され、また大砲の大型化が進んだ。巨砲を搭載するために陸上では戦車や自走砲が登場し、海上ではイギリスのドレッド・ノートのように大砲による海上決戦が本格化した。このように窒素の獲得は戦争の形態をも一変させたのである。
現在、窒素に代わってウランの獲得が安全保障上の問題となっている。状況は19世紀末の窒素の獲得に各国が鎬を削っていたときにそっくりである。窒素がパンや火薬をわれわれに与えたように、ウランはエネルギーと核兵器をわれわれにもたらした。そしてなによりも問題なのは、窒素もウランも大きな環境問題をわれわれにもたらしたことである。ウランが環境に破滅的な影響を与える可能性があることはよく知られている。その一方で空中から固定された窒素の多くが植物に栄養として消費されないままに大量に川や湖、海を汚染していることは案外知られていない。ヘイガーは、本書の最後で窒素による環境問題について指摘している。まさに卓見である。
さて、こうしてみると戦争も国際政治も窒素とウランという二つの元素の争奪の歴史に還元できるのではないか。さらに情報時代の戦争はDすなわちデジタル化された情報の争奪ということになるのではないか。
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