2013年7月27日土曜日

中米諸国の印象

  1990年台まで内戦やクーデターなどで政権不安が絶えなかった中米諸国の現状を体感す るために五日間かけてパナマからグアテマラまでを中米縦断バスで駆け抜けた。とりあえ ず印象を記しておく。   通過した国(括弧内は街)はパナマ(パナマ・シティ)、コスタリカ(サンホセ)、ニ カラグア(マナグア)、ホンジュラス(地方都市を通過)、エルサルバドル(サンサルバ ドル)、グアテマラ(グアテマラ・シティ)、メキシコ(グアテマラ国境のタパチュラと メキシコ・シティ)の7カ国である。経済規模を概観するためにGDPを比較する。 名目GDP(2012年)の順位(括弧内は世界順位)は上位からメキシコ(14)、グア テマラ(77)、コスタリカ(81)、パナマ(88)、エルサルバドル(100)、ホンジュラス (107)、ニカラグア(127) 一人あたりの名目GDP(括弧内はUS ドル換算)は上位からメキシコ66(10,247)、パ ナマ67(9,918)、コスタリカ68(9,672)、エルサルバドル107(3,382)、グアテマラ 118(3,302)、ホンジュラス130(2,242)、ニカラグア134(1,756)である。参考まで に日本13(46,735)である。個人GDPから判断すると、メキシコを除けば中米はパナマ、 コスタリカが第一グループ、エルサルバドル、グアテマラが第二グループ、ホンジュラ ス、ニカラグアが第三グループである。   一方、道路、橋、建物等のインフラや人々の生活の様子等から受けた印象では経済発展 の度合いではグアテマラ、エルサルバドルが第一グループ、パナマ、コスタリカが第二グ ループ、番外がホンジュラス、ニカラグアである。 中南米の経済大国メキシコに隣接するグアテマラそしてグアテマラに隣接するエルサ ルバドルはメキシコ経済のトリクルダウン効果なのか、他の中米4か国よりは発展して いる印象を受けた。グアテマラの発展の印象はメキシコと遜色はない。高速道路も本格 的なコンクリート造り、片側2車線ある。他の国はアスファルトの簡易舗装がほとんど で、中米を縦断する長距離バスは上下、左右にずっと揺さぶられていた。グアテマラ ・シティは近代的な大都会で高層ビルも林立している。小メキシコ・シティといった印 象である。メキシコ経済の恩恵を受けているのか農業だけでなく商業や、軽工業も発展 しているようで、他の中米諸国ではあまり見かけなかった工場も散見された。エルサル バドルは、メキシコ、グアテマラのトリクルダウン効果で恩恵を得ているのかインフラ も比較的整備されており発展しつつある印象を受けた。 パナマの印象はロサンジェルスのヒスパニック地域といった趣である。パナマ運河両 岸は米国が租借しており、中米諸国の中でもっともアメリカの影響が強い国である。パ ナマは自国紙幣を持たずアメリカドルで代用している。ただし単位はドルではなく、バ ルボアである。硬貨は自国硬貨だが、アメリカの硬貨とそっくりである。 ドルが通用するかどうかがアメリカとの距離や経済の規模を物語る一つの指標とな る。基本的にどの国でもドルは通用する。コスタリカは自国紙幣をもっているがドル札 は街中で通用する。エルサルバドルでもホテルの支払いはドル札、メキシコの国境の街 たパクラウゼヴィッツのホテルでもドル札で支払いができた。ただし経済規模が大きく なるにつれ自国通貨への信用がまし、グアテマラ、メキシコでは基本的に自国通貨が優 先されるようだ。 今回の調査で驚いたことが二つある。一つはグアテマラ、エルサルバドルが予想以上 に発展した国家であったこと、そして今一つはニカラグア、ホンジュラスが破綻国家の ような国であったことだ。両国の印象はあくまでも車窓から垣間見る人々の暮らしぶり や国境地帯で旅行客相手の物売りの人々から得た印象である。 コスタリカからニカラグアに入って驚いたのは道路わきにたむろする馬の多さであ る。牧畜に使用するのかと思ったが、放牧地と思われる場所には牛や羊などは見かけな かった。交通の手段にしているのだろうか。ちなみにグアテマラ、エルサルバドルでは 放牧地に牛や羊の群れをよく見かけた。首都マナグアには車も少なく、三輪自転車の輪 タクが手軽な交通手段になっているようだ。木々に覆われた静かな街だが、要するに発 展していないということだ。首都に到着したことがわからないほどに車の往来も少なく 活気のない印象を受けた。バスの通り道が中心部を外れていたのかもしれない。それに しても他の年に比較して活気の失せた街という印象である。 ニカラグアからホンジュラスに入り、地方を駆け抜けた。車窓から見るホンジュラス の様相は一体この国の産業は何だろうかと思うくらい何もなかった。牧草地のような場 所に牛も羊もいなかった。畑のような場所にトウモロコシや他の作物が植えられている 様子もなかった。エルサルバドルやグアテマラでは平地にはもちろん、山の傾斜地にま でトウモロコシが植えてあり、それだけにホンジュラスの様子が異様に映った。 さて今回の最大の目的は、日本で軍隊のない平和、民主主義、人権擁護、環境保護の 先進国として一部の日本人に高く評価されているコスタリカを調査することにあった。 結論はコスタリカは外交宣伝の上手な小国ということである。軍隊なき国家がニカラグ アの三倍もの国境警備や治安維持費を計上している事、永世中立と言いながら親米であ り安全保障は実質的にアメリカに依存している事、台湾と断交して中国と国交を樹立し たことなど、表と裏の顔が全く違うことはいくらでも指摘できる(「加瀬ブログ」で現 地に在住する加瀬かずき氏がコスタリカの現状を詳しくリポートしている)。ある意味 予想通りの普通の国だった。 予想外だったのは首都のサンホセが海抜1000メートルの山間にある小さな街で、印象 はやはり高原にあるアフリカのルワンダの首都キガリに似ていたことである。このよう な小国を外部勢力が侵略するなどあり得ない。脅威があるとすれば、他の中米諸国同様 (運河をもつパナマを除く)内戦が最大の脅威であり、内戦の脅威となる軍隊を廃止す るのが最大の安全保障であることがよくわかる。また農業以外に産業が無かったために 教育に力を入れて人材を育成しなければならなかったこともよく理解できた。その結果 インテルが貿易特区に進出し中米では珍しく工業製品の輸出国になっている。 もう一つ予想外のことがあった。物価の高さである。食料品は日本の地方都市並み程 度の高さである。これでは暮らしていけない貧困層が多くいるはずだ。街には物乞い や、わずかばかりの品物を並べて売る街路商があふれていた。そうかと思うと公園でジ ョッギングを楽しむ人もいる。貧富の格差があるということは治安が悪いということで あり、家や商店の窓や玄関には頑丈な鉄の格子が備え付けられ、塀には鉄条網が張り巡 らされていた。裏通りの小さな商店はケニア、フィリピン、パキスタンのように鉄格子 越しに商売をしている。 サンホセには中華街があり、多くの中国人が暮らしている。彼らの多くはパナマ運河 建設の際に移住してきた中国人の子孫のようだ。街にはam/pm、ケンタッキー、マグド ナルド(ちなみにグアテマラはバーガーキングが目についた)など外資も随分と進出し ている。 コスタリカは首都の地勢学的条件だけでなく経済構造もルワンダに似ている。ルワン ダはIT、農業そしてゴリラ見物の観光 で成長している。ルワンダの先を行くコスタリカ もITと農業そして自然観光で成長する普通の国である。にもかかわらずとりわけ日本人 しかも一部の日本人がコスタリカを平和と人権の国として高く評価するのはどういうこ となのだろうか。一度もいった事のない人が憧れでコスタリカを賛美するのは無知の一 言で批判できる。しかし、実際に訪れた人までもが事実と反することを言うのはどうし てなのだろうか。たとえば元朝日新聞の記者伊藤千尋氏が「マガジン9」というメルマ ガのインタビューに応えて、コスタリカの警官は銃を所持していないと記していたが、 私が見た街のあちこちに拳銃を持った制服姿の男女は警官ではなかったのだろうか、警 官でなければ一体誰だったのだろうか。 コスタリカは日本人平和愛好者がスイスに代えて平和国家に仕立て上げたいのだろ う。確かにコスタリカは他の中米諸国と比べてある意味では特異な国である。それはス イスやルワンダのように山間の小さな国家という地勢学的条件が大いに寄与している。 コスタリカの場合はスイスよりさらに地政学的条件に恵まれている。脅威となる外部勢 力といっても地続きなのは南北のパナマとニカラグアだけである。東西はカリブ海と太 平洋である。大きな町といっても首都のサンホセくらいしかない。そのサンホセも標高 約1000メートルの高地にあり、ある意味要塞のような国家である。サンホセの中心部は 端から端まで歩いて一時間もかからない。つまり外部の脅威に対処する軍隊など初めか ら必要のない国なのである。コスタリカを平和国家として賛美する人々の前提条件は、 コスタリカがあえて軍隊を持たない国ということにあるのだろうが、もともと外部勢力 に対処するための軍隊や政治の手段としての軍事力などとは無縁の国家である。 コスタリカを日本の目標にするなら、日本もコスタリカ程度に世界の政治、経済に影 響力のない小国になることだろう。ひいきの引き倒しにならないように、北朝鮮を地上 の楽園と囃し立てたような悲劇が二度と起こらないように、日本のコスタリカ「愛国主 義者」はあまりコスタリカを地上の楽園のように宣伝しない方が良い。

2013年7月8日月曜日

慰安婦問題は歴史問題ではない

 橋本徹大阪市長のいわゆる「慰安婦問題」発言をめぐって20年ぶりに同問題をめぐって日本国内では議論が大いに盛り上がっているようだ。ワシントンでは、一部の利益団体を除き、ほとんど関心の埒外である。  ネットで秦郁彦と吉見義明のTBSのラジオ討論を聞いて驚いた。慰安婦問題に20年前とは全く違った争点が出てきている。現在の慰安婦問題の核心は、慰安婦に「居住の自由、外出の自由、廃業の自由、接客拒否の自由」が無かったから「性奴隷」の状態にあったということ、さらに慰安婦制度のみならず公娼制度も事実上の人身売買に基づく制度だということである。20年前の吉見氏の論点は、軍による強制連行の有無だった。彼は、防衛研究所にあった陸軍大蜜記を元に軍の強制連行があったと主張していたはずだ。しかし、その資料では、軍が直接強制連行した証拠としては弱く、強制性や広義の強制と言ったあいまいな言葉にすり替えられ、国内では次第に論争は沈静化していった記憶がある。もっとも国連では日本弁護士連合会が慰安婦問題を国連で取り上げるようにロビー活動を展開し、国内よりも国際社会では盛り上がっていたのかもしれない。国連だけではなくアメリカにおいても2007年にはマイク・ホンダ米下院議員らが慰安婦問題で日本を非難する下院決議121号を可決させ、以後慰安婦問題は、のどに刺さった魚の小骨のように日米同盟をチクチクと痛めている。 同決議を読むと、吉見氏が現在慰安婦問題の核心として取り上げている問題点(下線部)がそっくりそのまま記されている。誤解のないように原文を掲載する。 Whereas the `comfort women' system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century; (日本政府が強制した兵士のための娼婦すなわち「慰安婦」制度はその残虐さや規模において前例のないものと考えられる。それは20世紀における最大規模の人身売買の一つであり、そこでは集団強姦、強制堕胎、辱めそして女性器切除や死に至る、あるいは最後には自殺に追い込まれるような性的暴行等が行われた)。  Whereas the Government of Japan, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II, officially commissioned the acquisition of young women for the sole purpose of sexual servitude to its Imperial Armed Forces, who became known to the world as ianfu or `comfort women';  慰安婦問題はアメリカでは人身売買に軍が関与しており、さらに「性奴隷」の目的だけに日本政府が慰安婦システムを作ったことにされている。つまり 慰安婦問題は軍の強制があったかどうかという問題ではなく、性奴隷とするために日本政府が人身売買を行っていたことになっている。 もし、これが事実なら(吉見氏ら日本人も含めほとんどの外国人はこれが事実だと思っている)、日本政府は1921年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」すなわち売春とそれに伴う女性と児童の人身売買を禁止するための条約に違反することになる。それどころか軍であろうが民間であろうが、誰であっても売春と売春目的の人身売買は禁止されており、日本政府は取り締まらなければならなかった。しかし、実態は条約以降も売春は続いている。 それは、抜け道があるからである。強制売春ではなく自ら仕事として行う自由売春や自由恋愛という形態をとれば問題が無いからである。だから今でも売春はある。たとえばセックス・ワークとしての自由売春はオランダの飾り窓やアメリカのネバダ州など世界でもいくつかの国や地域が公娼制度を認めている。また自由恋愛という形式をとれば、日本のソープランドや風俗店や援助交際のようにほぼ公然と売春ができる。 また人身売買も、借金を返すという方便で身を売るという方法によって、法の網をかいくぐったのである。この借金の代わりに働くというのは、世界中どこでも行われていた労働形態である。売春に限られた労働形態ではない。日本では年季奉公(indentured servitude)という徒弟制度の中で多く行われた労働形態である。ただし、いつまでも借金が減らない、年季が明けても解放されないなど奴隷と変わらない状況になりがちで、現在では年季奉公は多くの国で奴隷労働として禁止されている。 秦、吉見両氏の論点は、結局前借による売春が人身売買にあたるかどうかということにあり、もはや軍が関与したかどうかではない。もし人身売買にあたるとするのであれば、戦地での慰安所の問題だけでなく内地での遊郭も問題となる。吉見氏は戦前の遊郭も人身売買に基づいており奴隷制度であると非難している。つまり日本政府全体の問題であり、単に軍が関与したかどうかが主要な争点ではない。 一方で秦氏は当時の状況を踏まえ、前借による売春は人身売買とはみなさない。親のため、家族のために身を売るということもあったろう、時には女衒に騙されて苦界に身を沈めることもあったろう、事情は人それぞれであり、人身売買とひとくくりにして糾弾することは難しい、というのが秦氏の主張である。慰安所は遊郭の延長線上にあると秦氏が主張するのも、そうした思いがあるからだろう。 私は心情的には秦氏を支持する。吉見氏の論に従えば、いわゆる遊郭文化は女性の人権を蔑にする不届きな奴隷文化ということになりかねない。さしあたり落語家は「明烏」「品川心中」などの廓噺を語ることはご法度になるだろう。廓文化を肯定することも憚られようになるだろう。遊郭を舞台にした宮尾登美子の小説は焚書になりかねない。文化と制度は違うという声が聞こえてきそうだが、少なくとも廓文化を肯定することは許されなくなるだろう。 日本人ですら遊郭を知らない昨今、外国人に日本の遊郭について理解せよというのは土台無理な話である。TVタックルの慰安婦問題の回でアメリカ人のジェームス・スキナー氏が奴隷の定義を盛んに他の出演者に問いかけていた。売春であろうが丁稚奉公であろうが親が借金のかたに子を売るのは立派な人身売買であり、借金を返済するまで働かされるのは文字どおり奴隷というのが彼の主張である。というよりも現在の国際社会の通念である。「おしん」はまさに奴隷だったのだ。親や家族のためにわが身を犠牲にすることを倫理的によしとするか、親子であっても別人格と考えるか、慰安婦問題の根底には文化の断絶がある。 慰安婦問題は今や日本と中韓の間の歴史認識問題ではない。ちょうどイスラム文化と欧米文化が女性の人権をめぐって対立しているように、欧米のグローバル・スタンダード文化と日本文化の対立という側面が出始めている。人権は普遍的概念であり、文化によって人権概念が変わることはない、というのが現在の国際通念である。 今、慰安婦問題は欧米のグローバル・スタンダードの人権概念に基づいて議論されている。いくら日本が昔ああだった、こうだったと言っても、何の役にも立たない。慰安婦問題は歴史問題ではない。現在の人権問題である。小林よしのりが言うように、慰安婦問題の議論で日本は周回遅れになっている。外交的にはもはや全面的に敗北である。やくみつるが言うように謝って、謝って謝り倒すしか方法はない。それは具体的には現在の人権基準で慰安婦問題を解決し、中韓とりわけアメリカからの批判を跳ね返し、彼らに対して倫理的に優位に立つ必要がある。 残念ながら日本は敗戦国である。中韓が国力を増大した今、日本は尖閣問題や慰安婦問題によって彼らから敗戦の落とし前を要求されているのである。そしてアメリカも金の切れ目が縁の切れ目とばかりに米中関係重視に動き始めている。金と力の亡者が暗躍する国際社会で日本が生き残るには道義国家となること以外にない。