2012年10月24日水曜日
対中戦略の柱は日露平和条約の締結
日本の対中戦略の柱は、和平演変と日露平和条約の締結にある。中国国内の反日感情を利用して民主化運動を扇動する一方、日露平和条約の締結で米中国交回復以前のように、中国を再び北方の「クマ」の脅威に曝し、中国による我が国南方に対する脅威を分散するのである。
中国が現在大国として台頭してきたきっかけは1972年のニクソン大統領訪中による米中国交正常化にある。毛沢東とキッシンジャーがイデオロギーを抜きにして、国益に基づく古典的な権力外交を展開した結果、中国は最大の脅威であったソ連を米国によって抑止することができた。米国も同様に、中国を味方にすることで、ソ連を封じ込めることに成功した。両国とも、敵の敵は味方という、三国志やマキャベリの教えに従って世界を変えたのである。結果、中国は鄧小平により改革開放政策とることができ、現在の経済的発展の礎を築くことができた。他方、アメリカはベトナムから撤退し、やがてソ連を崩壊に導くことで冷戦に勝利した。
日本もキッシンジャー外交を習って、敵の敵は味方という論理から、ロシアと平和条約を締結し、中国をロシアと対峙させるのである。領土問題が解決しない限り、日露平和条約はあり得ないという硬直した外交姿勢でいる限り、かつて華夷秩序下にあった朝鮮半島や台湾のように、いずれ日本も中国の覇権体制下に置かれるだろう。
日本は対中戦略の一貫として日露平和条約を望んだとしても、一方のロシアには締結の意欲があるだろうか。2000年台に鈴木宗雄事件まで平和条約締結の機運が日露両国で高まっていた。今もロシアに領土交渉に臨む動機があるだろうか。その可能性を示唆する論説を24日の『産経新聞』「正論」に木村汎北海道大学名誉教授が書いている。要するに表向き対等な関係に見えるが、中国が台頭する現状ではロシアは中国の弟分に成り下がり、極東地域は「中国の事実上の植民地になりかねない」。この屈辱的状況を避けるには、日本の協力で極東を開発することが必要になる、ということである。日本にも極東のエネルギー開発で大きな利益がある。平和条約の締結は両国ともに国益に合致する。
そこで何よりも領土問題の解決が必要になる。木村名誉教授は、四島返還を条件にシベリア開発に協力するという構想のようだが、本音のところでは、落としどころを二島返還にあるとみているのではないか。仮にそうだとしても、中国の華夷秩序に組み入れられよりも、二島を代価として独立を維持する方がはるかにましである。ここでは詳細には触れないが、四島返還論には法的問題を指摘する向きもある。
親米派からは日米安保の強化により中国をけん制せよという声が聞こえてきそうである。しかし、日露平和条約の締結は元来日米安保には矛盾しない。それよりも日米安保による対中抑止戦略がそもそも幻想でしかない。日米両国にとって中国は、平和条約を締結した友好国ではないにせよ冷戦時代の日米安保が想定していたような敵国ではない。それどころか日本の経済界もそうだが、討論会でオバマ、ロムニーもChina can be a partnerと言ったように経済面では潜在的友好国である。キッシンジャーに至っては、経済どころか政治的にも軍事的にも友好関係にあるとみなしているようだ。現状では米国は、中国が米国の経済的利益を害さない限り、日本の国益など考慮せず、中国の地域覇権を容認するだろう。だからこそ、日本は日本の国益に沿った日露平和条約の締結という独自の対中戦略が求められるのである。
2012年10月13日土曜日
今こそ和平演変戦略で中国の民主化を
日本政府は尖閣問題に対する対中戦略を間違ってはいけない。軍事力で対抗するよりよりも、今こそ中国の民主化を支援し和平演変により第二の天安門事件を起こし、中国共産党独裁政権を内部から打倒することが何よりも有効な対中戦略である。
尖閣諸島の領海警備の強化は当然としても、それ以上に防衛費を倍増し南西諸島防衛を強化するなどの防衛力増強による対中戦略は必ずしも上策ではない。こうしたハード・パワーによる対中戦略をとれば日本は中国との際限のない軍拡競争の泥沼に陥りかねない。他方、和平演変戦略を日本がとっても、中国は対抗のしようがない。和平演変戦略とはソフト・パワーによる中国民主化戦略である。かつて吉田茂は経済協力を通じた中国の民主化を夢見たが、経済ではなく文化を通じた中国民主化戦略である。具体的には、自由と民主主義の素晴らしさを中国人民とりわけ反日教育を受けた若い世代に伝えることである。それは流行の服や化粧、ブランド品、漫画、小説、アニメ、映画など民主主義社会が生み出したありとありあらゆる文化を通じて根気よく粘り強く中国の人々に自由の素晴らしさ、民主主義社会の精神的豊かさを伝え、共産党独裁体制が自由や人権を抑圧する体制であることを彼らに知ってもらうのである。仮に、その文化が必ずしも日本のものでなくてもかまわない。自由と民主主義を重んじる国ならアメリカでもヨーロッパでも構わない。
幸いなことに、反日政策で日本への訪問者が減ったとしても、中国は留学生や観光客を欧米など世界中に送り出している。海外で自由の素晴らしさを体得した中国人が増えれば増えるほど、思想言論行動の自由を弾圧し、独裁体制につきものの官僚の腐敗にまみれた中国共産党に対する反発が強まるであろう。また国内でいくら言論を統制しようとしても、完璧に統制することはできない。中国はかつてのソ連ほどには情報統制をしていないが、ソ連のグラスノスチが最終的にはソ連崩壊をもたらしたように、ネットの発達した現在では、スマートフォンの普及で一気に情報統制が損なわれるだろう。
現在の中国の最大の弱点は、国家のアイデンティティが失われたことである。だからこそ文化を通じた和平演変戦略が有効なのだ。毛沢東時代には、その評価はさておき、明確なナショナル・アイデンティティとしての共産主義、正確には毛沢東主義があった。毛沢東主義も共産主義も弊履のごとくかなぐり捨てた今の中国に一体何が残ったのだろう。欲望にまみれた拝金主義と官庁腐敗の蔓延する単なる独裁体制だけが残ったのではないか。国連での「盗み取った」発言、IMF 総会への欠席など、経済力と軍事力さえあれば世界は自分たちの思うとおりになるとの現政権の振る舞いは、中国の長い歴史や伝統、文化を損ない、経済力と軍事力以外に国家のアイデンティティを見いだせない現政権の弱点を露呈させてしまった。
眠れる獅子、死せる鯨と呼ばれた中国は、かつてイギリスがそう呼ばれたように、今や「世界の工場」と言われるまでになった、労働者の低賃金と消費市場の巨大さを狙って世界中の工場、会社が進出している。それは、考えてみれば、中国人労働者が低賃金で働かされ、中国の赤い資本家も含めて世界中の資本家から搾取されているのに等しい。百円ショップやユニクロに行ってメード・イン・チャイナの製品を見ると、いったいいくらの労賃が払われたのだろうと思い胸が痛む。見方によっては今の中国は、約100年前に日本も含め欧米列強の食い物になった清朝末期の「死せる鯨」の時代のようだ。当時、国民の貧富の格差は開くばかりか絶対的貧困に多くの農民はあえいでいた。官僚は腐敗し、労働者は買弁資本家や外国資本には搾取される。そして三一運動や五四運動のような反日民族運動が激化し日貨排斥運動が起きたことまで現在の反日暴動とそっくりである。
ならば徹底的に中国政府の反日政策を利用してはどうか。中国民衆の反日運動は、過去そうであったように体制転覆の引き金となる。かつては五四運動を契機に中国国民党や中国共産党が基盤を固め、軍閥を打倒していった。中国共産党は誕生まもない頃の反日ナショナリズムの手法を持ち出して権力を固めようとしている。しかし現代の中国共産党は毛沢東主義も共産主義もかなぐり捨て、金と力だけを武器に民衆を支配しようとした昔の軍閥と変わらない。現代の反日暴動の矛先は必ずや現代の軍閥、中国共産党に向けられるだろう。そして100年前の中国国民が夢見た自由と民主主義の国家が誕生するだろう。中国国民を解放するためにも、日本の対中戦略は文化を通じて中国の民主化を支援する和平演変戦略をとるべきなのである。
2012年10月9日火曜日
尖閣問題はキッシンジャー外交の負の遺産
尖閣問題を考えるとき、大きく分けて二つの視点がある。第一は歴史、第二は政治である。前者の視点に立てば、尖閣問題は日中の二か国の問題となる。他方、後者の視点に立てば、尖閣問題は日中の問題ではなく、米中の問題となる。我々日本人は前者の視点にばかり目を奪われがちだが、より重要なのは、後者の視点である。なぜなら前者の視点に立つ限り、中国には全く分がないからである。しかし、後者の視点に立てば、われわれに分がないのだ。
中国の主張は、要するに、尖閣は少なくとも明の時代から中国のものであり、1895年の日本の尖閣領有宣言は日清戦争の混乱に乗じて日本が中国から「盗み取った」との主張である。中国の主張の問題点は、国境概念のない明時代の『使琉球録』を根拠にしていることだ。封建帝国の時代の国と国との境界は、線で境界を引くのではなく、面で境界がおかれたのである。琉球が日本と明との両属体制下に置かれていたのは、琉球が幕府や明にとっても辺境の地だったからである。ましてや尖閣は中国の冊封体制下では、皇帝の徳の及ばない化外の地であり、現代の国際法で定められるような領土などではなかった。
国境で囲まれた領土の概念が誕生したのは、主権概念が明確化された近代主権国家になってからである。明治維新によってアジアで初の主権国家として誕生した日本は、主権の確立を図るために、千島、樺太、小笠原諸島、竹島そして尖閣列島と日本の主権の及ぶ範囲を確定したのである。尖閣列島領有を宣言したとき中国は清帝国時代であり、華夷秩序の化外の地であった尖閣を主権の及ぶ領土と主張する近代国家にさえなっていない。中国は、意図せずにかあるいは意図的にか、主権国家の国境概念と封建帝国の辺境概念を混同させている。
意図せずにであれば、中国はいまだに近代主権国家概念の根付かない封建帝国の世界観を抱いていることになる。封建帝国の辺境は国力次第で伸びたり縮んだりする。だから封建帝国の世界観に立てば、国力が増大しつつある中国が尖閣さらには琉球までをも「回収」しようとするのは当然のことなのだろう。もし、中国が前近代的な帝国的世界観に立った外交を仕掛けているのであれば、日本の戦略はまさに国際法に則って中国と堂々と対応し、他方近代主権国家である米国やインド、オーストラリアと協力して中国に近代主権国家のルールを順守させ、さらに日本と同様に中国と領有権問題争っているフィリピン、ベトナムなどと共闘して中国を封じ込めればよい。
他方、政治的視点に立つとき、尖閣問題は日中間の領土紛争ではなく、米中間の覇権闘争の一コマでしかない。というのも尖閣問題はアメリカにとって対中外交の一環でしかないからである。尖閣問題に対する米国の態度は、われわれにはあいまいどころか奇異に映る。なぜなら施政権と領有権を分離しているからである。尖閣に対する施政権は日本にあり、施政権を中国が侵犯する場合には日米安全保障条約が発動されるが、領有権については中立との立場をとっている。このことは、領有権の奪還を目的に掲げて中国が尖閣を武力攻撃した場合には日米安保は発動されないと言っているようなものだ。領海警備はともかく現在日本政府が具体的に尖閣諸島に施政権を行使していない状況では、尖閣問題は領有権問題でしかないと米国は強弁し、日米安保を発動せずにおくことは可能だ。
そもそも施政権と領有権を切り離した背景には、1972年の沖縄返還当時の米中ソの権力闘争があった。当時大統領補佐官であったキッシンジャーは米中国交回復によってソ連を封じ込めようとした。そのため尖閣問題で中国の不興を買わないように領有権問題を棚上げしたのだ。尖閣問題は、その意味で、キッシンジャー外交の負の遺産である。
キッシンジャーは国益を第一にイデオロギーを排して、敵の敵は味方という、権力政治を展開した。中国も、三国志の昔から、権謀術数の国である。ともに権力政治を信奉する毛沢東とキッシンジャーは互いにイデオロギーを超えて肝胆相照らす仲となったことだろう。キッシンジャーの思惑通り、ソ連は封じ込められ崩壊した。一方中国はキッシンジャーが懸念していた国際秩序破壊の革命国家ではなく、共産主義のイデオロギーを捨て、国内外に対してむき出しの軍事力を誇示する共産党独裁国家となった。もし、米国が今もなおキッシンジャー流の勢力均衡概念に基づいて対中関係を考えているのなら、尖閣問題は対中戦略の問題でしかない。
キッシンジャー外交はソ連という米国にとって敵を倒すために中国という本来は共産主義国家で独裁体制である敵と一時的に手を組んだだけのはずだ。ソ連を倒した後、次は中国の共産主義体制を倒し民主化するのが米国の大義ではなかったのか。だとすれば民主主義国家の日本と手を組んで中国の独裁体制打倒は当然であろう。人権を抑圧する中国政府の民主化こそ世界の平和と安定に不可欠であろう。尖閣問題であれ何であれ対中国に対しては日本との同盟を強固にするのが当然である。今こそ米国はキッシンジャー外交の負の遺産を捨て、中国の民主化を進める外交をとるべきだ。日本は米国とともに中国の民主化を進めるべきである。そして領土問題は、中国共産党ではなく中国民主政府との交渉にゆだねるべきである。
2012年10月3日水曜日
新しいメディアとシリア危機
今日(10月2日)ワシントンのアメリカ平和研究所(United States Institute Of Peace)で開かれた”Groundtruth:New Media, Technology and the Syria Crisis”を傍聴した。午前9時半から1時過ぎまで、三つのパネルが開かれた。要するにブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しい情報伝達手段や精密な衛星画像などの技術がシリア危機でどのような役割を果たしタカ、その功罪議論する内容だった。結論は、役に立つが、部分的に拡大してとりあげられ、あるいは内容の真偽の確認が取れないといった問題があるとの穏当な結論であった。
議論の中で、今年8月にシリアで行方不明なったアメリカ人ジャーナリストAustine Tice の名前が出てきた。彼は、私が拘束されてしばらくたった13日ころに行方不明になっている。正式なビザを取らずにトルコ国境から越境して、ダマスカス郊外を取材してレバノンに脱出する予定だった。米国務省はタイスがシリア政府の拘束下にあるとの声明を行方不明直後から発表している。私と同様に秘密警察に拘束されていると思われる。彼が、その御どうしているのか、何の報道もなかったので気になってネットを調べると、まさにこれから処刑されるかのような彼らしき人物のビデオが見つかった。6日前にyuotubeに投稿されたらしく、昨日になってアメリカのメディアが取り上げ始めた。
しかし、これは一目見て偽物、作り物であることがわかる。アメリカでもほとんどの人が信じていない。米国務省は、タイスがシリア政府の拘束下にあることを発表している。
何がおかしいかと言えば、タイスを引き連れている集団がアフガニスタンやイラクで見かけるようなイスラム原理主義の服装だからである。仮に、イスラム原理集団だとすれば、反アサドのはずだからタイスは味方のはずである。それがなぜ彼を処刑しなければならないのか理解できない。そもそも近代化の進んだシリアに政府、反政府を問わず原理主義者グループはいない。おそらくはよく似た人物を使って作られたプロパガンダのビデオだろう。しかし、いったい誰がこんな手の込んだビデオを作ったのか。政府がタイスの誘拐を反政府勢力の仕業と見せかけるために作ったのか。仮に政府が作ったとするなら、全くお粗末極まりない。図らずも、今日のシンポで話題になった新しいメディアの信頼性の問題が問われる。
ところで今日のシンポのパネリストにアメリカに逃れてきた三人のシリア人が参加していた。その中の一人にまるでモデルのような若い女性がいた。おしゃれのセンスもよく、こんな美人がアメリカ人にもいるのだとおもっていたら、3か月前にアメリカに来たシリア人の元アレッポ大学の学生だった。シリアで反体制運動をして、何度か投獄されたためにトルコへ密出国したとのことである。いったい誰が彼女を支援しているのか、背後の事情は不明だ。残り二人はおそらく30代の男性で、一人はシリア軍の元将校とのことである。
さて彼らに共通していることがある。それは英語に堪能だということである。女性はまだ米国に暮らして3か月しかたっていなので英語がうまくないと言っていたが、流暢に堂々と英語で応答していた。男性二人は、全く問題なく英語を操っていた。ブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しいメディアについて3時間以上にわたって議論していたが、それ以前に英語を使いこなすことのほうが先決、重要だというのが私の結論だ。国際世論―それは事実上アメリカの世論だが―を動かすには、新しいメディアであれ、旧いメディアであれ、いかに英語で発信するかである。アサド政権が苦境に陥るのは理解できる。
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