旧聞に属するが、エネルギーに対する新たなパラダイムを中沢進一が『日本の大転換』で披露している。原子力発電について、彼はこう記している。「原子炉で起こる核分裂連鎖反応は、生態圏の外部である太陽圏に属する現象である」。これとは対照的に「石油や石炭を使った他のエネルギー利用とは、本質的に異なっている」(22頁)。
全く中沢の指摘の通りである。つまり、われわれは太陽からのエネルギーとは全く無関係の核分裂エネルギーを地上で創り出し、利用してきたのである。原子のエネルギーが取り出せれば、人類は永遠のエネルギーを手に入れることができる。しかし、残念なことに、核融合エネルギーである太陽エネルギーとは異なり、核分裂エネルギーである。核分裂エネルギーはプルトニウムを生産する増殖炉が実現すれば、人類にとって永遠のエネルギーになるはずだった。たった一つの問題を除けば。それは核のゴミ処理問題である。今のところ核廃棄物を処理する方法は見つかっていない。その意味では、核分裂エネルギーを利用した原発は欠陥のある技術である。たしかに、吉本隆明のいうように科学技術の進歩をとめることはできない。とはえい、少なくとも核分裂から核融合へ、あるいは核分裂エネルギーから太陽エネルギーや核融合エネルギーなど他のエネルギーへと科学技術の方向を変える必要はあるだろう。
とはいえ、新たなエネルギーとして太陽エネルギーにもバラ色の未来があるとは思えない。
現在地球上に70億人もの人類が生存している。これほどの人口増加したのも、ひとえに化石燃料のおかげである。単純に計算して、人間一人が生命を維持するのに必要な最低限のエネルギー総量は決まっている。太陽エネルギーを植物が蓄え、蓄えられた太陽エネルギーは草食動物によってさらに蓄積され、それを肉食動物や人間のように植物や動物も食べる雑食動物が食べて生存している。つまり生命の全てのエネルギーの源は太陽にある。
全てのエネルギーを太陽に依存していた時代が農業時代である。農業時代は太陽のエネルギーを食料としてほとんど蓄積できなかった。塩漬けや乾燥した肉や野菜のように動植物の貯蔵には限界があった。だから家畜を飼い、穀物や野菜をつくり、それらをすぐに消費し、貯蔵できる範囲でしか人間は生きられなかった。
ところが化石燃料の発見が状況を一変させた。化石燃料とは、太陽エネルギーの缶詰である。地球が過去に受けた太陽エネルギーを植物や動物として蓄え、さらにそれを濃縮して貯蔵したのが石油や石炭のような化石燃料である。この化石燃料のおかげで、食料生産は飛躍的に増加し、貯蔵もほぼ半永久的に可能となり、何よりも交通網の発達で余剰生産物を足りない地域や国に運搬することが可能になった。つまり、現代のわれわれは過去の太陽エネルギーの恩恵を受けて生存しているのである。だからこそ、70億もの人口をささえることができるのである。
さて、この化石燃料のエネルギーがいつまで持つかだれにもわからない。石油や石炭、メタンハイドレート、オイルサンド、シェールガス等の埋蔵量を合わせれば、ここ数十年、数百年は問題はないだろう。しかし、いつまでも化石燃料には依存できない。いずれは限界が来る。いつかは太陽エネルギーによってまかなわなければならなくなる日が来る。
しかし、化石燃料分のエネルギーを太陽エネルギーで補おうとすれば、化石燃料のように太陽エネルギーを貯蔵できる技術ができるかどうかにかかっている。しかし、仮にそうした技術ができたとして、はたして環境にどのような影響が及ぶか、実はだれにもわかっていない。太陽エネルギーがあたかも究極のエネルギーのように語られているが、実は太陽エネルギーの多くを人類が利用した場合、他の動植物や気象、海象等にどのような影響がおよぶかは全く未知である。しかし、これだけは言える。環境に大きな影響を与えることは間違いない。
というのも、単位時間あたり太陽エネルギーが地球に与えるエネルギーの総量はいまも昔も未来も変わらない。そのエネルギーを現在の地球上のほぼ全ての生物が受け、生存している。その一部を人間が太陽光発電等により途中で収奪した場合、その影響は微生物のレベルで大きな影響をあたえることは間違いない。食物連鎖の結果、最終的には、人間の食料生産にも甚大な影響を与えかねない。また風力、波力発電も元をたどれば太陽エネルギーである。太陽エネルギーを電力エネルギーとして取り出した場合、その程度がどれほどのものになるかはエネルギーの簒奪の規模によるが、気象、海象に影響をあたえることは間違いない。
現在は、こうした太陽エネルギーの利用がごくわずかなために、地球規模の環境にはほとんど影響を及ぼしていない。しかし、現在の化石燃料、否、原発のエネルギー全てを太陽エネルギーに代替させようとすれば、環境にも大きな影響が出てくる。ことは電気の問題だけではなく、とどのつまり食料生産や環境の問題につながる。
環境への影響を避けようとすれば、太陽エネルギーや化石エネルギーへの依存を減らし、エネルギー消費を減らせばよい。たしかに先進国では必ずしも人間の生存に直接関わるギリギリのエネルギー消費のレベルではない。だから節電も可能である。しかし、発展途上国では、エネルギーがそもそも不足している。エネルギー消費を節約すれば、それは直ちに死を意味する。
要するに現在の70億人の人類が生存可能なのは、現在我々が太陽から得ているエネルギーと、石油、石炭等の化石燃料に蓄えられた太陽エネルギーがあるからだ。もし、化石燃料も止めて、全てを現在の太陽エネルギーによってまかなおうとすれば、一定時間における太陽エネルギーの総量が同じである以上、化石燃料のエネルギーに依存していた人口は生存できなくなる。太陽エネルギーの時代は単位時間当たり限りある太陽エネルギーをめぐって人類どうしで戦争が起きる時代となるかもしれない。再生可能エネルギーという文言には大きなまやかしがある。太陽エネルギーは再生できない。
2012年4月4日水曜日
自衛隊の脱軍事組織化
自衛隊だけではない。冷戦後、米軍、英軍をはじめ世界中の多くの軍隊が脅威対処型の軍事組織から危機管理型の警察軍的な組織へと変容している。とりわけ2001年の9.11テロ以降は、対テロ戦争の名の下に米軍が世界警察軍(グロボ・コップ)的な役割を果たしている。日本はもとより英軍、豪州軍等の米同盟軍も否応なく米グロボ・コップの補助的役割をになうようになってきた。その結果、対外的脅威に対処するためにつくられたはずの軍事組織が次第に変質し、従来の軍事組織の目的とは異なる組織になりつつある。 自衛隊は特に組織や隊員の変質が顕著である。
自衛隊における組織の変質のきっかけになったのは、冷戦直後の湾岸戦争の時である。その時以来対ソ脅威目的とした自衛隊の役割が変質し、グローバル安保の名の下に米軍の補助部隊として、米軍のグロボ・コップの下請けを引き受けてきた。ま1992年のカンボジアへの自衛隊PKO部隊派遣以降は国連のPKO協力の名の下に、また非伝統的安全保障という危機管理型の戦略論の後付け理論のお墨付きを得て、海外に積極的に進出するようになった。こうした海外での自衛隊の活動は2006年の改正自衛隊法第3条によって正式に自衛隊の本来任務に格上げされ、自衛隊は国土防衛という脅威対処のみならず国際協力という危機管理にも対応する組織となった。
国際協力が本来任務となったことは、これまで目に見える形で貢献できる仕事が少なかった自衛隊にとって組織の活性化、隊員の士気向上には大いに役立った。しかし、ここではあえてその問題点を指摘しておきたい。
第1は、戦闘集団としての自衛隊の役割の相対的低下である。PKO協力や災害派遣等で、自衛隊に期待される役割は戦闘能力ではなく、後方支援能力である。槍で言えば、槍の穂(槍頭)ではなく、槍の柄が重要になったのである。災害支援から復興支援まで自衛隊に期待される役割は大きくなるものの、その主な役割は後方支援能力や兵站能力になっている。このまま槍の柄ばかりを長くしてしまうと、槍ではなくなり、単なる棒になってしまう。
第2の問題は、隊員の意識の問題である。こうした自衛隊の組織的変質をとらえて護憲派からは、自衛隊を災害救助部隊にせよとの意見も出始めている。外部からの野次馬的な意見なら聞き逃すこともできる。しかし、隊員の中に戦闘員としての意識よりも災害支援や復興支援を自らの天職と心得るものもではじめているのではないか。そうした危惧を抱くのも、身近に、そうした例を見たからである。
海上自衛隊の艦載ヘリの元パイロットで、自衛隊を退職後に留学し、その後日本や海外の援助機関で働いている者を二人知っている。ヘリの乗員になるには多額の訓練費用や長時間の訓練が必要であり、アブラの乗り切った30歳前半に退職するのは自衛隊ひいては国防にとって大きな損失である。にもかかわらず、彼らが自衛隊よりも援助機関に惹かれたのは、自衛隊という組織に対する不満あるいは自衛隊や国防以上の何か魅力があったからだろう。国際協力や災害支援は隊員に士気の向上をもたらす一方、さらなる評価や生きがい、やりがいを求めて自衛隊を離れる優秀な隊員がこれからも続出するではないか。
以上のような自衛隊が抱える問題以上に深刻な問題がある。それは、防衛省のみならず外務省ひいては日本政府が自衛隊の国際協力をどのように国家戦略に位置づけるべきか国家戦略構想がない、あるいは従来の戦略の中にどのように位置づけるべきか不明なことにある。また組織的、制度的な問題として、日本の援助機関であるJICAとの協力をどのように図るのか、さらに言えばNGOとの協力をどのように調整するのか。憲法9条問題や日本人の護憲・平和思想もあって自衛隊とJICAやNGOとの関係は必ずしも良好とはいえない。政府は日本の従来の援助戦略に加えて自衛隊の援助をどのように国家戦略に位置づけるか早急に方針を明確にする必要がある。さもなければ、発展途上国の援助においても中国や韓国に圧倒されるだろう。そして何よりも、自衛隊が第2の青年海外協力隊になりかねない。
自衛隊における組織の変質のきっかけになったのは、冷戦直後の湾岸戦争の時である。その時以来対ソ脅威目的とした自衛隊の役割が変質し、グローバル安保の名の下に米軍の補助部隊として、米軍のグロボ・コップの下請けを引き受けてきた。ま1992年のカンボジアへの自衛隊PKO部隊派遣以降は国連のPKO協力の名の下に、また非伝統的安全保障という危機管理型の戦略論の後付け理論のお墨付きを得て、海外に積極的に進出するようになった。こうした海外での自衛隊の活動は2006年の改正自衛隊法第3条によって正式に自衛隊の本来任務に格上げされ、自衛隊は国土防衛という脅威対処のみならず国際協力という危機管理にも対応する組織となった。
国際協力が本来任務となったことは、これまで目に見える形で貢献できる仕事が少なかった自衛隊にとって組織の活性化、隊員の士気向上には大いに役立った。しかし、ここではあえてその問題点を指摘しておきたい。
第1は、戦闘集団としての自衛隊の役割の相対的低下である。PKO協力や災害派遣等で、自衛隊に期待される役割は戦闘能力ではなく、後方支援能力である。槍で言えば、槍の穂(槍頭)ではなく、槍の柄が重要になったのである。災害支援から復興支援まで自衛隊に期待される役割は大きくなるものの、その主な役割は後方支援能力や兵站能力になっている。このまま槍の柄ばかりを長くしてしまうと、槍ではなくなり、単なる棒になってしまう。
第2の問題は、隊員の意識の問題である。こうした自衛隊の組織的変質をとらえて護憲派からは、自衛隊を災害救助部隊にせよとの意見も出始めている。外部からの野次馬的な意見なら聞き逃すこともできる。しかし、隊員の中に戦闘員としての意識よりも災害支援や復興支援を自らの天職と心得るものもではじめているのではないか。そうした危惧を抱くのも、身近に、そうした例を見たからである。
海上自衛隊の艦載ヘリの元パイロットで、自衛隊を退職後に留学し、その後日本や海外の援助機関で働いている者を二人知っている。ヘリの乗員になるには多額の訓練費用や長時間の訓練が必要であり、アブラの乗り切った30歳前半に退職するのは自衛隊ひいては国防にとって大きな損失である。にもかかわらず、彼らが自衛隊よりも援助機関に惹かれたのは、自衛隊という組織に対する不満あるいは自衛隊や国防以上の何か魅力があったからだろう。国際協力や災害支援は隊員に士気の向上をもたらす一方、さらなる評価や生きがい、やりがいを求めて自衛隊を離れる優秀な隊員がこれからも続出するではないか。
以上のような自衛隊が抱える問題以上に深刻な問題がある。それは、防衛省のみならず外務省ひいては日本政府が自衛隊の国際協力をどのように国家戦略に位置づけるべきか国家戦略構想がない、あるいは従来の戦略の中にどのように位置づけるべきか不明なことにある。また組織的、制度的な問題として、日本の援助機関であるJICAとの協力をどのように図るのか、さらに言えばNGOとの協力をどのように調整するのか。憲法9条問題や日本人の護憲・平和思想もあって自衛隊とJICAやNGOとの関係は必ずしも良好とはいえない。政府は日本の従来の援助戦略に加えて自衛隊の援助をどのように国家戦略に位置づけるか早急に方針を明確にする必要がある。さもなければ、発展途上国の援助においても中国や韓国に圧倒されるだろう。そして何よりも、自衛隊が第2の青年海外協力隊になりかねない。
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