2010年8月29日日曜日

スーダン短信

スーダンで驚いたこと。
第一に、移動の難しさ。
第二に、中国の影響力の大きさ。
第三に、食料品の乏しさ。
第四に、アラビア中東文化ともアフリカ黒人文化とも言えない文化の複雑さ。

第一に、移動の難しさについて。
 後で英文ウィキで調べてわかったことだが、スーダンでは入国三日以内に外務省で滞在手続きをしなければならない。よく調べなかったせいか、日本語のサイトには、こうした記載は無かった。
到着後に判明して、翌日に外務省で手続きをした。料金は99ポンド。写真が1枚必要。待つこと2時間で、パスポートに滞在許可証を貼ってくれた。さらに英文ウィキによると、撮影許可証まで必要と記載してあったが、これは取らなかった。結果的には不要だった。
 問題はこれだけではない。重要なのは旅行許可証である。外務省の滞在許可証を持って、警察本部へ行って、国内を旅行する際の許可証を申請しなければならない。これには写真が1枚必要なだけで、料金はいらない。係官からなぜ、ニアラに行くのかしつこく訊かれたが、なんとか許可はもらった。しかし、A4四枚の許可証をもらうまでに2時間余りもかかり、結局飛行機には乗り遅れてしまった。
 滞在許可証、旅行許可証の二つが無いと、旅行はできない。空港につくと、二つの許可証の提示を求められる。無いと、その場で直ちに、追い返される。乗ってきた飛行機でトンボ返りとなる。ニアラでは許可証を持って、HAC(Humanitarian Aid Commission)に行き滞在することを知らせる。HACはその名前と裏腹に、大半が情報関係者だという。私はHACに赴いたが、通常は必要ないようだ。滞在先の宿舎で宿帳への記載とともに旅行許可証のコピーの提出を求められうからだ。
 さてこれで一安心かというとそうではない。実はニアラから出るときも旅行許可証が必要となる。旅行許可証が無いと、飛行機に搭乗させてもらえない。帰るのだから問題はないだろうと思ったのだが、要は、旅行する際にはいつも許可が必要ということだ。
 旅行許可が必要なのは政府の威令が貫徹している地域のみではないかと思う。事実上無政府地域の南部のジュバは不要だと思う。ジュバにはハルツームからは飛行機でも行けるが、ケニアのナイロビやウガンダのカンパラからは国際バスがあるようだ。確認はしていないが、両国からバスでジュバに行く場合にはビザだけで旅行許可証は不要ではないかと思う。
 とにかく、思いがけない許可が必要となるので旅行には細心の注意が必要だ。ちなみに組織が縦割りになっているのか、在日スーダン大使館では滞在許可証のことや旅行許可証のことは全く教えてもらえなかった。もっとも当り前のことで教える必要もないと思われたからかもしれない。スーダンを旅行する場合には大抵が旅行社を利用するので、周知の事実と思われたのかもしれない。
 第二に、中国の影響力の大きさ。とにかくどこへ行っても中国の影響力の大きさには驚く。乗り継ぎを待っていたカタールのドーハでは、どこへ行くのか、中国人の旅行者が大勢いた。またハルツーム行きの飛行機には日本人と思しき人は私を除けば一人だけ。数人の中国人らしきアジア人が乗っていた。
 ハルツームで中国の影響力を目にしないわけにはいかない。中国系のホテル、レストラン、食料品店さらには病院まである。ハルツームのビルの建設現場では中国人労働者が数多く働いている。
レストランでも中国系と思われる人が多く働いている。ただ外国人が多く集まるショッピングセンターにはインド、フィリピンと思われる人々も多く見受けられた。
 ニアラにも水利関係の中国の会社が進出していた。中国は国連PKOのUNAMID(African Union /United Nations Hybrid operation in Darfur)に参加している。その中には銃を持たずPKO活動には直接参加せず、道路や建物の建設に従事する工兵部隊が数多く働いている。
 スーダンはテロ支援国家に指定されているせいか、欧米系の影響をあまり見ない。たとえば最初に泊ったCoralホテルはもとはヒルトンホテルだった。ネットにはヒルトンホテルとあったのでタクシーの運転手にヒルトンホテルといっても怪訝な様子を見せるばかりで、なかなか話が通じなかった。ホテルに着いて初めてヒルトンが撤退して新しい経営者に変わったことがわかった。気のせいかあまりアメリカのにおいを感じなかった。逆にそれほどまでに中国の影響が大きいということなのかもしれない。
 第三に、食料品の乏しさ。特に生鮮食料品の乏しさには驚く。スーダン唯一のショッピングセンターAfra Mallのマーケットの品数の乏しさには驚いた。日本の大規模スーパー並みの大きさにもかかわらず、食料品特に野菜、果物、肉、魚などの種類の少なさにはびっくり。野菜はニンジン、ジャガイモ、ピーマン、キャベツ、タマネギ、ショウガあとはホウレンソウのような葉物が少しあるくらいだ。果物はオレンジ、リンゴ、スイカ、マンゴーくらいか。肉は羊、牛、鶏。魚はあるにはあったが、タイのような魚と他に何種類かあるだけで、陳列棚はスカスカの状態だ。ニアラには魚は無かった。
一般の人たちが買い物をするハルツームのアラビ・スークに行ったが、状況はあまり変わらず、食生活が豊かとは言えない。
 ニアラでは状況はもっと悪い。町の人たちが飢えるという状況ではないが、われわれの感覚からすると食生活は貧困だ。家畜も十分な餌をもらえないので、肉が固くておいしくないという。確かに牛肉を食べても牛肉の味がしない。これが本来の肉の味なのか、われわれが普段食べている肉の味が人工的なのかはわからない。それでも肉を口にできるのは恵まれた人だけだろう。貧しいからこそWFPがダルフールで活動しているのだろう。
 第四に、アラビア中東文化ともアフリカ黒人文化とも言えない文化の複雑さ。今自分がどこにいるのかが分からなく時がある。エジプトにいるようでもあり、ケニアにいるようでもある。アラブ系の人々とともに全くの黒人系の人もいる。ベールをまとわない黒人女性も多い。言葉はアラビア語、宗教はイスラム。しかしハルツームにはキリスト教の教会もある。なんとも不思議な感覚だ。
 結論。瘴癘な地にも関わらず、精力的に活動する中国人に圧倒される。高度経済成長期の日本を思い起こす。スーダンにこそ自衛隊に代わって憲法9条部隊を!

2010年8月8日日曜日

『さらば日米同盟』を読む

天木直人『さらば日米同盟!-平和国家日本を目指す最強の自主防衛政策』(講談社、2010年)

 要するにアメリカが確実に日本を助けてくれる保証などどこにもないから、憲法9条の平和主義の理念に基づいて対米従属外交を止め、専守防衛に徹する自衛隊の存在を認め、日米同盟を廃棄して東アジア集団安全保障体制を構築せよ、ということである。
 いろいろ問題はあるにせよ、大筋において賛成する。ただし、最も重要な結論部分を除いては、だ。
 国家の安全保障のあり方は、三つしかない。独歩主義(ユニラテラリズム)、二国間主義(バイラテラリズム)、多国間主義(マルチラテラリズム)である。日本は現在米国との外交を基軸する二国間主義をとっている。これを廃棄するなら、残された外交は、独歩主義の自主防衛外交か、たとえば国連やNATOのような多国間主義外交である。多国間主義にも厳密には、NATOのような、特定の敵を想定した脅威対処型の集団防衛体制と国連やOSCEのような集団内部の危機を管理する危機管理型の集団安全保障を体制がある。
 天木の結論は、日米同盟に代えて東アジアに集団安全保障体制を構築せよということである。
 はたして東アジア集団安全保障体制が具体的にどのようなものかを天木は詳らかには論じていない。詳細に検討すれば、たちまちの内にそれが不可能だということが明らかになるからである。
 第1に、東アジア集団安全保障体制の参加国はどの国か。米国、台湾、北朝鮮は入るのか。
 第2に、集団安全保障は武力制裁が前提になるが、憲法9条を持つ専守防衛の日本は武力制裁に参加できるのか。できないとするのなら、そもそも集団安全保障体制に参加する資格があるのか。
 第3に、核大国中国が「約束を破った」場合、他の国は武力制裁を科すことができるのか。集団安全保障の原理的問題である。
 1996年の安保の再定義で日米同盟は冷戦時代の排他的な二国間同盟から包括的な二国間同盟に変化してきた。その結果、日米同盟は脅威対処型の同盟から危機管理型の同盟へと変質した。その結果はたして北朝鮮や中国の脅威に有効に日米同盟が機能するかどうかの疑念が生まれ、また日本も米国のグローバルな危機管理に向けた役割を担わされるようになってきた。天木の問題は、日米安保の変質を無視して、旧来の脅威対処型の日米同盟を前提にして議論をすすめている事である。
天木のいう東アジア集団安全保障体制を構築するための最も現実的な政策は、日米同盟を廃棄することではなく、日米同盟の危機管理的機能をより充実させ、事実上の東アジア集団安全保障体制にしていくことである。その試みの一つが六ヶ国協議といえるだろう。