今日(2010年6月16日)NHKのソングス「高橋真梨子」を、ゼミ学生から誕生日プレゼントされたサントリーの「山崎」をロックで飲みながら聴いた。
高橋真梨子を知ったのは、今から37年前の1972年のことだ(った思う)。ペドロ・アンド・カプリシアスのボーカル前野曜子に代わって二代目ボーカルになったのが高橋真梨子だった。当時私は、今は無きホテル・ニュージャパンの地下にあったニュー・ラテン・クウォーター(プロレスラー力道山が刺殺されたラテン・クウォーターがホテル・ニュー・ジャンパンに場所を移して開業していた。そのニュー・ジャンパンも1982年に火災を起こし、今は取り壊されてプルーデンシャル・ビルになっている)でショーの裏方をしていた。五人組(だと思う)のバンド、ロス・フランミンゴスと交代でペドロ・アンド・カプリシアスが出演していた。生で彼女の歌声を何度かステージの裏から聴いた覚えがある。
高橋真梨子の歌が好きというより、彼女の歌声は私の青春そのものだ。彼女の歌を聴くたびに、彼女の「フレンズ」の出だし「煌めいてた そして 戸惑う青春だった」を思い出す。大学よりもバイト先の夜の赤坂に入り浸っていた。そして仕事帰りのホステスで混み合う最終の丸の内線で新中野の四畳半の下宿に帰る毎日だった。一体、将来どうなるのだろうか、不安と希望の入り交じった青春は、前野曜子から高橋真梨子に歌い次がれた「別れの朝」、「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリー」とともに過ぎていった。
そして還暦を目前にした今、桂枝雀の落語とともに高橋真梨子の歌は旅先での愛聴歌となった。ルワンダの首都キガリで聴いた「あなたの空を翔びたい」。イスラエルのガザ近くのアシュケロンのホテルのベッドで聴いた「ハート&ハード〜時には強く時には優しく〜」。スリランカ内戦で解放されたばかりの街トリンコマリーのホテルで聴いた「桃色吐息」。マレーシアのサンダカンからフィリピンのサンボアンガ行きのフェリーの、ゴキブリの這いずり回る、冷房の壊れた、うだるような個室で聴いた「別れの朝」。アブガニスタンのカブールで自爆テロで閉じ込められたホテルで聴いた「五番街のマリー」。今、高橋真梨子の歌は青春の思い出よりも、訪れた紛争地の思い出とともにある。
願わくば、人生最後の瞬間に聴く歌は「別れの朝」でありたい。
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