2012年10月24日水曜日

対中戦略の柱は日露平和条約の締結

日本の対中戦略の柱は、和平演変と日露平和条約の締結にある。中国国内の反日感情を利用して民主化運動を扇動する一方、日露平和条約の締結で米中国交回復以前のように、中国を再び北方の「クマ」の脅威に曝し、中国による我が国南方に対する脅威を分散するのである。 中国が現在大国として台頭してきたきっかけは1972年のニクソン大統領訪中による米中国交正常化にある。毛沢東とキッシンジャーがイデオロギーを抜きにして、国益に基づく古典的な権力外交を展開した結果、中国は最大の脅威であったソ連を米国によって抑止することができた。米国も同様に、中国を味方にすることで、ソ連を封じ込めることに成功した。両国とも、敵の敵は味方という、三国志やマキャベリの教えに従って世界を変えたのである。結果、中国は鄧小平により改革開放政策とることができ、現在の経済的発展の礎を築くことができた。他方、アメリカはベトナムから撤退し、やがてソ連を崩壊に導くことで冷戦に勝利した。 日本もキッシンジャー外交を習って、敵の敵は味方という論理から、ロシアと平和条約を締結し、中国をロシアと対峙させるのである。領土問題が解決しない限り、日露平和条約はあり得ないという硬直した外交姿勢でいる限り、かつて華夷秩序下にあった朝鮮半島や台湾のように、いずれ日本も中国の覇権体制下に置かれるだろう。 日本は対中戦略の一貫として日露平和条約を望んだとしても、一方のロシアには締結の意欲があるだろうか。2000年台に鈴木宗雄事件まで平和条約締結の機運が日露両国で高まっていた。今もロシアに領土交渉に臨む動機があるだろうか。その可能性を示唆する論説を24日の『産経新聞』「正論」に木村汎北海道大学名誉教授が書いている。要するに表向き対等な関係に見えるが、中国が台頭する現状ではロシアは中国の弟分に成り下がり、極東地域は「中国の事実上の植民地になりかねない」。この屈辱的状況を避けるには、日本の協力で極東を開発することが必要になる、ということである。日本にも極東のエネルギー開発で大きな利益がある。平和条約の締結は両国ともに国益に合致する。 そこで何よりも領土問題の解決が必要になる。木村名誉教授は、四島返還を条件にシベリア開発に協力するという構想のようだが、本音のところでは、落としどころを二島返還にあるとみているのではないか。仮にそうだとしても、中国の華夷秩序に組み入れられよりも、二島を代価として独立を維持する方がはるかにましである。ここでは詳細には触れないが、四島返還論には法的問題を指摘する向きもある。 親米派からは日米安保の強化により中国をけん制せよという声が聞こえてきそうである。しかし、日露平和条約の締結は元来日米安保には矛盾しない。それよりも日米安保による対中抑止戦略がそもそも幻想でしかない。日米両国にとって中国は、平和条約を締結した友好国ではないにせよ冷戦時代の日米安保が想定していたような敵国ではない。それどころか日本の経済界もそうだが、討論会でオバマ、ロムニーもChina can be a partnerと言ったように経済面では潜在的友好国である。キッシンジャーに至っては、経済どころか政治的にも軍事的にも友好関係にあるとみなしているようだ。現状では米国は、中国が米国の経済的利益を害さない限り、日本の国益など考慮せず、中国の地域覇権を容認するだろう。だからこそ、日本は日本の国益に沿った日露平和条約の締結という独自の対中戦略が求められるのである。

2012年10月13日土曜日

 今こそ和平演変戦略で中国の民主化を

 日本政府は尖閣問題に対する対中戦略を間違ってはいけない。軍事力で対抗するよりよりも、今こそ中国の民主化を支援し和平演変により第二の天安門事件を起こし、中国共産党独裁政権を内部から打倒することが何よりも有効な対中戦略である。 尖閣諸島の領海警備の強化は当然としても、それ以上に防衛費を倍増し南西諸島防衛を強化するなどの防衛力増強による対中戦略は必ずしも上策ではない。こうしたハード・パワーによる対中戦略をとれば日本は中国との際限のない軍拡競争の泥沼に陥りかねない。他方、和平演変戦略を日本がとっても、中国は対抗のしようがない。和平演変戦略とはソフト・パワーによる中国民主化戦略である。かつて吉田茂は経済協力を通じた中国の民主化を夢見たが、経済ではなく文化を通じた中国民主化戦略である。具体的には、自由と民主主義の素晴らしさを中国人民とりわけ反日教育を受けた若い世代に伝えることである。それは流行の服や化粧、ブランド品、漫画、小説、アニメ、映画など民主主義社会が生み出したありとありあらゆる文化を通じて根気よく粘り強く中国の人々に自由の素晴らしさ、民主主義社会の精神的豊かさを伝え、共産党独裁体制が自由や人権を抑圧する体制であることを彼らに知ってもらうのである。仮に、その文化が必ずしも日本のものでなくてもかまわない。自由と民主主義を重んじる国ならアメリカでもヨーロッパでも構わない。 幸いなことに、反日政策で日本への訪問者が減ったとしても、中国は留学生や観光客を欧米など世界中に送り出している。海外で自由の素晴らしさを体得した中国人が増えれば増えるほど、思想言論行動の自由を弾圧し、独裁体制につきものの官僚の腐敗にまみれた中国共産党に対する反発が強まるであろう。また国内でいくら言論を統制しようとしても、完璧に統制することはできない。中国はかつてのソ連ほどには情報統制をしていないが、ソ連のグラスノスチが最終的にはソ連崩壊をもたらしたように、ネットの発達した現在では、スマートフォンの普及で一気に情報統制が損なわれるだろう。 現在の中国の最大の弱点は、国家のアイデンティティが失われたことである。だからこそ文化を通じた和平演変戦略が有効なのだ。毛沢東時代には、その評価はさておき、明確なナショナル・アイデンティティとしての共産主義、正確には毛沢東主義があった。毛沢東主義も共産主義も弊履のごとくかなぐり捨てた今の中国に一体何が残ったのだろう。欲望にまみれた拝金主義と官庁腐敗の蔓延する単なる独裁体制だけが残ったのではないか。国連での「盗み取った」発言、IMF 総会への欠席など、経済力と軍事力さえあれば世界は自分たちの思うとおりになるとの現政権の振る舞いは、中国の長い歴史や伝統、文化を損ない、経済力と軍事力以外に国家のアイデンティティを見いだせない現政権の弱点を露呈させてしまった。 眠れる獅子、死せる鯨と呼ばれた中国は、かつてイギリスがそう呼ばれたように、今や「世界の工場」と言われるまでになった、労働者の低賃金と消費市場の巨大さを狙って世界中の工場、会社が進出している。それは、考えてみれば、中国人労働者が低賃金で働かされ、中国の赤い資本家も含めて世界中の資本家から搾取されているのに等しい。百円ショップやユニクロに行ってメード・イン・チャイナの製品を見ると、いったいいくらの労賃が払われたのだろうと思い胸が痛む。見方によっては今の中国は、約100年前に日本も含め欧米列強の食い物になった清朝末期の「死せる鯨」の時代のようだ。当時、国民の貧富の格差は開くばかりか絶対的貧困に多くの農民はあえいでいた。官僚は腐敗し、労働者は買弁資本家や外国資本には搾取される。そして三一運動や五四運動のような反日民族運動が激化し日貨排斥運動が起きたことまで現在の反日暴動とそっくりである。 ならば徹底的に中国政府の反日政策を利用してはどうか。中国民衆の反日運動は、過去そうであったように体制転覆の引き金となる。かつては五四運動を契機に中国国民党や中国共産党が基盤を固め、軍閥を打倒していった。中国共産党は誕生まもない頃の反日ナショナリズムの手法を持ち出して権力を固めようとしている。しかし現代の中国共産党は毛沢東主義も共産主義もかなぐり捨て、金と力だけを武器に民衆を支配しようとした昔の軍閥と変わらない。現代の反日暴動の矛先は必ずや現代の軍閥、中国共産党に向けられるだろう。そして100年前の中国国民が夢見た自由と民主主義の国家が誕生するだろう。中国国民を解放するためにも、日本の対中戦略は文化を通じて中国の民主化を支援する和平演変戦略をとるべきなのである。

2012年10月9日火曜日

尖閣問題はキッシンジャー外交の負の遺産

 尖閣問題を考えるとき、大きく分けて二つの視点がある。第一は歴史、第二は政治である。前者の視点に立てば、尖閣問題は日中の二か国の問題となる。他方、後者の視点に立てば、尖閣問題は日中の問題ではなく、米中の問題となる。我々日本人は前者の視点にばかり目を奪われがちだが、より重要なのは、後者の視点である。なぜなら前者の視点に立つ限り、中国には全く分がないからである。しかし、後者の視点に立てば、われわれに分がないのだ。  中国の主張は、要するに、尖閣は少なくとも明の時代から中国のものであり、1895年の日本の尖閣領有宣言は日清戦争の混乱に乗じて日本が中国から「盗み取った」との主張である。中国の主張の問題点は、国境概念のない明時代の『使琉球録』を根拠にしていることだ。封建帝国の時代の国と国との境界は、線で境界を引くのではなく、面で境界がおかれたのである。琉球が日本と明との両属体制下に置かれていたのは、琉球が幕府や明にとっても辺境の地だったからである。ましてや尖閣は中国の冊封体制下では、皇帝の徳の及ばない化外の地であり、現代の国際法で定められるような領土などではなかった。 国境で囲まれた領土の概念が誕生したのは、主権概念が明確化された近代主権国家になってからである。明治維新によってアジアで初の主権国家として誕生した日本は、主権の確立を図るために、千島、樺太、小笠原諸島、竹島そして尖閣列島と日本の主権の及ぶ範囲を確定したのである。尖閣列島領有を宣言したとき中国は清帝国時代であり、華夷秩序の化外の地であった尖閣を主権の及ぶ領土と主張する近代国家にさえなっていない。中国は、意図せずにかあるいは意図的にか、主権国家の国境概念と封建帝国の辺境概念を混同させている。 意図せずにであれば、中国はいまだに近代主権国家概念の根付かない封建帝国の世界観を抱いていることになる。封建帝国の辺境は国力次第で伸びたり縮んだりする。だから封建帝国の世界観に立てば、国力が増大しつつある中国が尖閣さらには琉球までをも「回収」しようとするのは当然のことなのだろう。もし、中国が前近代的な帝国的世界観に立った外交を仕掛けているのであれば、日本の戦略はまさに国際法に則って中国と堂々と対応し、他方近代主権国家である米国やインド、オーストラリアと協力して中国に近代主権国家のルールを順守させ、さらに日本と同様に中国と領有権問題争っているフィリピン、ベトナムなどと共闘して中国を封じ込めればよい。 他方、政治的視点に立つとき、尖閣問題は日中間の領土紛争ではなく、米中間の覇権闘争の一コマでしかない。というのも尖閣問題はアメリカにとって対中外交の一環でしかないからである。尖閣問題に対する米国の態度は、われわれにはあいまいどころか奇異に映る。なぜなら施政権と領有権を分離しているからである。尖閣に対する施政権は日本にあり、施政権を中国が侵犯する場合には日米安全保障条約が発動されるが、領有権については中立との立場をとっている。このことは、領有権の奪還を目的に掲げて中国が尖閣を武力攻撃した場合には日米安保は発動されないと言っているようなものだ。領海警備はともかく現在日本政府が具体的に尖閣諸島に施政権を行使していない状況では、尖閣問題は領有権問題でしかないと米国は強弁し、日米安保を発動せずにおくことは可能だ。 そもそも施政権と領有権を切り離した背景には、1972年の沖縄返還当時の米中ソの権力闘争があった。当時大統領補佐官であったキッシンジャーは米中国交回復によってソ連を封じ込めようとした。そのため尖閣問題で中国の不興を買わないように領有権問題を棚上げしたのだ。尖閣問題は、その意味で、キッシンジャー外交の負の遺産である。 キッシンジャーは国益を第一にイデオロギーを排して、敵の敵は味方という、権力政治を展開した。中国も、三国志の昔から、権謀術数の国である。ともに権力政治を信奉する毛沢東とキッシンジャーは互いにイデオロギーを超えて肝胆相照らす仲となったことだろう。キッシンジャーの思惑通り、ソ連は封じ込められ崩壊した。一方中国はキッシンジャーが懸念していた国際秩序破壊の革命国家ではなく、共産主義のイデオロギーを捨て、国内外に対してむき出しの軍事力を誇示する共産党独裁国家となった。もし、米国が今もなおキッシンジャー流の勢力均衡概念に基づいて対中関係を考えているのなら、尖閣問題は対中戦略の問題でしかない。 キッシンジャー外交はソ連という米国にとって敵を倒すために中国という本来は共産主義国家で独裁体制である敵と一時的に手を組んだだけのはずだ。ソ連を倒した後、次は中国の共産主義体制を倒し民主化するのが米国の大義ではなかったのか。だとすれば民主主義国家の日本と手を組んで中国の独裁体制打倒は当然であろう。人権を抑圧する中国政府の民主化こそ世界の平和と安定に不可欠であろう。尖閣問題であれ何であれ対中国に対しては日本との同盟を強固にするのが当然である。今こそ米国はキッシンジャー外交の負の遺産を捨て、中国の民主化を進める外交をとるべきだ。日本は米国とともに中国の民主化を進めるべきである。そして領土問題は、中国共産党ではなく中国民主政府との交渉にゆだねるべきである。

2012年10月3日水曜日

新しいメディアとシリア危機

今日(10月2日)ワシントンのアメリカ平和研究所(United States Institute Of Peace)で開かれた”Groundtruth:New Media, Technology and the Syria Crisis”を傍聴した。午前9時半から1時過ぎまで、三つのパネルが開かれた。要するにブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しい情報伝達手段や精密な衛星画像などの技術がシリア危機でどのような役割を果たしタカ、その功罪議論する内容だった。結論は、役に立つが、部分的に拡大してとりあげられ、あるいは内容の真偽の確認が取れないといった問題があるとの穏当な結論であった。  議論の中で、今年8月にシリアで行方不明なったアメリカ人ジャーナリストAustine Tice の名前が出てきた。彼は、私が拘束されてしばらくたった13日ころに行方不明になっている。正式なビザを取らずにトルコ国境から越境して、ダマスカス郊外を取材してレバノンに脱出する予定だった。米国務省はタイスがシリア政府の拘束下にあるとの声明を行方不明直後から発表している。私と同様に秘密警察に拘束されていると思われる。彼が、その御どうしているのか、何の報道もなかったので気になってネットを調べると、まさにこれから処刑されるかのような彼らしき人物のビデオが見つかった。6日前にyuotubeに投稿されたらしく、昨日になってアメリカのメディアが取り上げ始めた。  しかし、これは一目見て偽物、作り物であることがわかる。アメリカでもほとんどの人が信じていない。米国務省は、タイスがシリア政府の拘束下にあることを発表している。 何がおかしいかと言えば、タイスを引き連れている集団がアフガニスタンやイラクで見かけるようなイスラム原理主義の服装だからである。仮に、イスラム原理集団だとすれば、反アサドのはずだからタイスは味方のはずである。それがなぜ彼を処刑しなければならないのか理解できない。そもそも近代化の進んだシリアに政府、反政府を問わず原理主義者グループはいない。おそらくはよく似た人物を使って作られたプロパガンダのビデオだろう。しかし、いったい誰がこんな手の込んだビデオを作ったのか。政府がタイスの誘拐を反政府勢力の仕業と見せかけるために作ったのか。仮に政府が作ったとするなら、全くお粗末極まりない。図らずも、今日のシンポで話題になった新しいメディアの信頼性の問題が問われる。  ところで今日のシンポのパネリストにアメリカに逃れてきた三人のシリア人が参加していた。その中の一人にまるでモデルのような若い女性がいた。おしゃれのセンスもよく、こんな美人がアメリカ人にもいるのだとおもっていたら、3か月前にアメリカに来たシリア人の元アレッポ大学の学生だった。シリアで反体制運動をして、何度か投獄されたためにトルコへ密出国したとのことである。いったい誰が彼女を支援しているのか、背後の事情は不明だ。残り二人はおそらく30代の男性で、一人はシリア軍の元将校とのことである。    さて彼らに共通していることがある。それは英語に堪能だということである。女性はまだ米国に暮らして3か月しかたっていなので英語がうまくないと言っていたが、流暢に堂々と英語で応答していた。男性二人は、全く問題なく英語を操っていた。ブログ、フェイスブックやユーチュブなど新しいメディアについて3時間以上にわたって議論していたが、それ以前に英語を使いこなすことのほうが先決、重要だというのが私の結論だ。国際世論―それは事実上アメリカの世論だが―を動かすには、新しいメディアであれ、旧いメディアであれ、いかに英語で発信するかである。アサド政権が苦境に陥るのは理解できる。

2012年9月25日火曜日

米国は旗幟鮮明に

日中間の対立がいよいよ深刻化している。デモなどは政府によって規制され、表面的には収まったかのように見える。しかし、潜在的には事態は領土問題からイデオロギー問題へと質的に変化している。  中国は当初から尖閣問題をきっかけにして日本の勢力を削ぐことを目的にしている。戦後一貫して中国は日本をファシズム、軍国主義国家として規定することで米国との関係を密にし、日米の分断を図ろうとしてきた。 しかし冷静に考えてみれば、米国が中国共産党との友好関係を図ろうとしたのはニクソン政権時代以降である。しかも、それは本当の友好というよりは当時の大統領補佐官のキッシンジャーの冷徹な権力外交の結果でしかない。敵の敵は味方という権力政治の原則に則り、米国が当時敵対していたソ連を封じ込めるために、やはりソ連と敵対関係にあった中国と友好関係を結んだにすぎない。イデオロギー的に見れば、昔も今も変わることなく、米中は水と油である。ただ両国は経済的には資本主義国家で、まさに双頭の鷲か蛇である。  第二次世界大戦中、国共合作していたとはいえ、筑波大学の古田博司教授が指摘するように(2012.9.20産経新聞「正論」)、実質的に日本軍と戦ったのは蒋介石の国民党であって、毛沢東らの中国共産党ではない。それを、あたかも中国共産党が日本と戦ったかのように歴史を改竄し、米中はともに軍国主義日本と戦わなければならないと主張するのは、まさに笑止千万である。  依然として共産党の独裁下にあり、国民の自由を奪い人権を侵害している国が一体いかなる根拠をもって、少なくとも米国と同程度には民主的で、自由で人権を尊重する日本を軍国主義と非難し、過去を反省していないと言えるのか。  歴史を改竄しなければ、政権を維持できない国ほど、浅ましくも悲しい国家はない。米国はまさか、そのような国家に味方することはないと思う。もし、そうだとすれば、中国が主張するように、日本は過去を反省しない軍国主義でファシズムの国家だと米国が認めることになる。だとすれば、戦後の米国の対日政策は全くの失敗ということになる。米国の有識者に問いたい。日本は米国が指導してきたように民主主義国家なのか、それとも中国が主張するように戦後の国際秩序を破壊するファシズム国家なのか。

2012年9月20日木曜日

尖閣問題は自由と独裁の争い

尖閣諸島をめぐる日本と中国の争いは、資源や領土、主権をめぐる争いではない。自由主義体制と独裁体制との間の自由をめぐる戦いである。ワシントンに来て、それが身に染みてわかった。  ワシントンの街を歩く時、何も気にすることはない。上空を行きかう、おなじみの海兵隊のヘリコプターを撮影しても、誰も咎めることはない。ましてやシリアのように、逮捕、監禁されることもない。人々は誰をも気にすることもなく、自由に話し、行動している。  宿泊したホテルでたまたま私の部屋を掃除していたメードと話をする機会があった。訊くと、15年前にエチオピアから来たという。アメリカの暮らしはどうかと尋ねると、自由があって良いと言う。経済的な理由を挙げると思っていたら、真っ先に出た答えが自由だった。15年前のエチオピアというと、メンギスツ独裁政権が倒れた後にメレス・ゼナウィによる連邦共和制が樹立されて間もないころだ。改革開放がすすんでいたが、それでもなお国を捨てる決意までするほどに自由へのあこがれがあったのだろうか。しかしシリアの体験から私には、彼女の気持ちが少しだけわかる気がする。  人間にとって、最も重要なもの、かけがえのない価値とは、自由だ。豊かさは、自由を獲得する手段の一つでしかない。素晴らしい社会や国家とは、豊かであることよりも、皆が平等に自由を享受できる社会である。すべての価値の根源には自由がある。人は誰からも強制されることなく自らの生き方を決定する権利がある。先人の言葉を持ち出すまでもなく、人間は生まれついて自由である。人間は自由を求めて生きていくのである。働くことも、学ぶことも、窮極的には自由をできる限り獲得することにある。もちろん、その自由は他人の自由を侵すものであってはならない。独裁体制は、他者への配慮を欠いた一部の者による、多数の人々の自由の圧殺体制である。デモをもコントロールする現在の中国共産党体制はまさにその典型である。  中国にはデモをする行動の自由もなければ、ネットは規制され言論の自由もない。さらには都市戸籍と農村戸籍があり居住の自由もない。改革が進められているとはいえ、いまだに戸籍を変えようと思えば多額の賄賂がいる。シリアのように自由もなく賄賂が横行する国家が大国といえるのだろうか。ただ人口が多く、国土が大きいというだけではないか。その人口の多さを武器に経済でも、政治でも、ごり押しを重ねている。なぜ中国国民は自分たちを政治の手段や経済の道具としてしか見ない共産党に反旗を翻さないのか。最近の反日デモを見るにつけ、さらに反日デモが拡大して、反政府運動に拡大しないかと期待を膨らますばかりだ。  日中の対立で問われているのは、中国の独裁体制の悪であり、日本やアメリカなど自由主義陣営の自由の真価である。自由は決して金で売り買いできるものではない。中東で独裁体制への異議申し立てが次々と起こっている今、心ある中国国民には自由を求めて決起を促したい。自由の国アメリカに来て腹の底からそう思う

2012年9月5日水曜日

ダマスカス拘束120時間-秘密警察での48時間の拘束-②

【拘置所の実態】  今なお、私が一体どういう組織で、どういう施設に拘留されたのか、正確なところはわからない。シリアには「ショルタ」という一般警察、治安を担当する「ムハバラート」と呼ばれるいわゆる秘密警察がある。私を拘束したのは十中八九ムハバラートだと思う。拘留施設もムハバラートの施設だと思う。  とりあえず、この秘密警察の施設を拘置所と呼んでおく。ただし、実態は暴力が支配する拷問施設である。独房に拘置された小太りの初老の男性一人と、私を含め通路部分に収容された兵士十数人には暴力が振るわれることはほとんどなかった。しかし、年齢に関わりなく雑居房の収容者への暴力、拷問は日常茶飯事であった。  毎朝、恐らく8時か9時頃(時計がないので正確にはわからない)に取り調べが始まる。尋問係官が名簿をもって、我々が座る通路を通って雑居房へ行き、尋問予定の7~8人の名前を呼ぶ。雑居房の中ではリーダーかもしくは鉄扉付近にいる収容者が、異様に元気で大きな声で名前を中に向かって復唱する。呼ばれた者もまた、恐らくは恐怖の裏返しの行為なのであろう、これから楽しいことでもあるかのような弾んだ声で返事をする。そして扉が開けられ、一人一人ずつ雑居坊の中から尋問を受ける収容者が出てくる。この時、モタモタしてなかなか房から出てこない者には係官の容赦ないビンタやケリが加えられる。 初めて見たときにはそのビンタやケリの迫力に驚いた。ビンタは腕を曲げずに腕全体を使ってまるで分厚い板で殴るかのようにして横っ面を張り倒していた。映画やテレビで聞き知ったパンとかパチンといった乾いた音ではない。皮カバンを思い切り平手でたたいたようなドスンというくぐもった音だ。場合によっては、さらに腹部にケリが入れられる。係官は間違いなく空手のような武術を習得しているのであろう、体全体を使って足を素早く回転させ腹に思い切りケリを入れる。サンドバッグに蹴りを入れたときと同じようにドスンとくぐもった音が聞こえてくる。 係官の中には皮鞭を振るうものいる。皮鞭といっても、たたいても傷にならないように、ベルトほどの幅があり、数ミリの厚さのある、まるで皮の靴ベラのような鞭である。これを使って背中をたたいたり、足の向こう脛をたたいたりして、収容者にいうことをきかせていた。ヒュッという鞭が空気を切り裂く音、そしてバシッという鞭が体をたたく炸裂音、全く非日常的な情景にまるで映画をみているかのような錯覚が起き、恐怖もなにも感じない。 ビンタやケリよりももっと驚いたことがある。それは、ビンタやケリを入れられた収容者がまるで何も効いていなかったかのように平然としていることである。ほんの2~3メートル離れたところで目撃していたのだが、決して係官が力を手加減していたわけではない。ビンタを加えられれば勢いで体は横に揺らぎ、ケリを入れられれば後ろによろける。しかし、それも瞬時のことである。すぐにもとに戻り、まるでなにもなかったかのように平然としている。恐らくは、これから始まる拷問に比べればなにほどのこともないからかもしれない。 その拷問を恐れるあまりだろうか、小柄で太った40前後と思われる男が房からなかなか出てこなかった。仲間から押し出されるように房から出てきたときには号泣していた。係官は、彼に当然のようにビンタとケリを入れ、鞭を使いながら追い立てるように恐らく拷問場所だろう、追い立てて行った。しばらくすると、われわれのいる房から10メートルほど離れたところにある拷問室の方向から、バシッという音に続いて、恐らくその男だろう、奇妙な節のついた甲高い悲鳴が繰り返し繰り返し聞こえてきた。その悲鳴が続いている間、房には重苦しい空気が淀んでいた。たまらず若い兵士が、拷問室から悲鳴が上がるたびに、笑いながらその悲鳴を真似て奇声を発していたが、恐らく恐怖から逃れようとしていたのだろう。 小一時間もすると、尋問が終わった収容者が房に戻される。その時、我々の前を通っていくのだが、何ごともなかったように戻っていく者もあれば、指や脛に包帯を巻かれた者、日焼けしすぎたかのように背中一面が真っ赤に腫れ上がった者、仲間に支えられながら足を引きずりながら歩く者もいる。収容者の中には兵士と顔見知りの者もいるらしく、尋問の行き帰りに一言二言挨拶を交わす者や、中には笑顔で会釈をする者もいる。笑顔の意味はわからない。 収容者の年齢は、下は10代から上は60代まで、さまざまである。印象としては若者よりは40代以上の壮年や初老の年代が多かったように思う。私も含めて収容者は皆着たきり雀である。逮捕されたときの服装のまま長ければ何週間、何カ月も拘束される。なぜかわからないがパジャマを着た初老の男もいた。その男のパジャマの下半身部分は排泄物なのかそれとも血なのか茶色く汚れていた。シャワーがあるわけでもなく、洗濯ができるわけでもない。当然皆異臭を発する。とりわけすし詰め状態で収容されている雑居房からせ汗と糞尿とゴミの腐臭とを合わせたようなすさまじい異臭がする。雑居坊の鉄扉を開けるたびに鼻がひん曲がるような異様な匂いが通路にまで漂ってくる。尋問係官も思わず手で鼻を覆っていた。収容者が前を通って行くとき、私も思わず手を鼻にあててしまった。彼らが出て行った後、臭気を追い去るために、いつも若い兵士の一人が脱いだシャツを扇風機替わりに振り回し、臭気を消し去ろうとしていた。拘置所は暴力が支配する、家畜小屋のような臭気が漂い、落語の「地獄八景亡者の戯れ」のような地獄が天国と思えるような場所だった。(続く)